イブシ銀の日本絵師 ベスト50

●美術関係者が選んだ日本美術100選(NHK発表)
●日本絵師の墓写真館


「浮世絵は素晴らしいでござるぞ」


※日本文化は、世阿弥、利休、琳派、浮世絵、歌舞伎の五つに集約されるように思う(田中一光)グラフィック・デザイナー


このランキングは絵師や作品に優劣をつけたものではなく(芸術にランクは無意味)、あくまでも管理人が人生に影響を
受けた画家・作品順です。いろんな絵画と出合う為のきっかけ、入門用として書いているので、より本格的な内容に
ついては専門的なサイトが多数ありますので、是非そちらをご参照下さいネ。(*^v^*)
(注)皆さんがお気に入りの作品が文中に登場しない場合、僕が“未見”と思って頂いて間違いないです。


御名&順位根拠の作品&コメント

1.葛飾北斎
『富嶽三十六景・神奈川沖浪裏&尾州不二見原』『えびすとヒラメ』『百物語・皿やしき』『北斎漫画・10&12編』
世界で一番有名な日本の画家は北斎だ。北斎は人物画、風景画、歴史画、漫画、春画、妖怪画、百人一首、あらゆるジャンルに作品を残している。しかもそれぞれが超一流なんだ。『富嶽三十六景』は構図の美を極めたシリーズで、画中のどこに富士を配置すべきか計算し尽くされている。荒れ狂う波や鳥居の奥、時には桶の中から富士が覗くこともあり、アイデアの限界に挑んだものだ。『北斎漫画』は現代に続くマンガの原点。町人が割り箸を両鼻に突っ込んでたり、ロウソクの灯を鼻息で懸命に吹いてたり、とってもオチャメ!中でも頑固な禅僧・達磨(だるま)が百面相を作ってるのがすごく笑える。

『百物語・皿やしき』はお菊さんが井戸の中から現れ本来なら怖いんだけど、頭の下が全部お皿で出来ているその着想が斬新。『えびすとヒラメ』はタイと間違えてヒラメを釣り上げた恵比寿さんが当惑している絵だ。恵比寿とタイはめでたい組合わせだが、魚がヒラメだったので恵比寿は腕を組み、しゃがみ込んでいる。しかし恵比寿は困りながらも、“これはこれで、まぁいいか!”と、優しく慈しむような眼でヒラメを見つめていて、実にほのぼのとした温か味のある作品なんだ。

89歳まで生きたのでエピソードも多い。若い頃は伝統的な浮世絵に次々と新風を吹き込み、そして次々と破門された。名前の変更は30回。最晩年の名前は“画狂老人卍(まんじ)”と、もう訳がわからない。引越しが93回。83歳の時の住所録では「住所不定」扱いになっている。80を過ぎて住所不定の爺さんなんかそういない。120畳の巨大ダルマを描いたかと思えば、米粒に雀を描いてみたり、クイズを画中に入れたこともある。とにかくやれることは全てやったという感じだ。
最後の言葉は「あと10年、いや5年生きられれば本物の絵が描けるのに」だった。
(1760年生まれ。江戸後期に活躍。他の浮世絵師との年齢差は、広重と国芳が共に彼より37才年下、歌麿は逆に7才ほど年上になる)


2.歌川(安藤)広重
『近江八景之内・唐崎夜雨(やう)』『名所江戸百景・大晦日の狐火』『東海道五拾三次・亀山&蒲原(かんばら)』
広重は雨、雪、そして夜の作品が素晴らしい。あのゴッホも広重の雨の虜になり、夢中で模写をした一人だ。どしゃ降りの『唐崎夜雨』はその頂点。また『亀山』『蒲原』で描かれる雪景色も息を呑む。特に『蒲原』は雪が降り積もり、しんと静まった夜の雪景色を描いていて、その粛とした美しさに泣く!
『狐火』は夜闇の中の狐の集会を描いたもので、大晦日の凍てつく夜空に星が瞬き、実に幽玄な世界を作っている。
人間的魅力に惹かれて北斎を1位にしたけど、重厚で安定感のある構図、選ぶ風景の渋さ、斬新な色彩感覚など、もしかして広重の方が実力は上かも(オイオイ)…。


3.横山大観(たいかん)
『海山十題・黎明』『潤声(かんせい)』『紅葉』『屈原(くつげん)』
それまで輪郭線が命だと思われていた日本画界で、どんなに酷評されようとも印象派のように線よりも“空気を描く”ことにこだわった大観。夜明け直前の霧の中に富士山が鎮座している『海山十題・黎明』、月夜の深谷に小川のせせらぎだけが響く『潤声』、これらの水墨画の前では眼前の超然とした世界にただもう圧倒され、時の流れなど忘れてしまう。

一方、鮮やかな色彩に心奪われるのが『紅葉』。朱色の葉と背後の川の青さが素晴らしいコントラストだ。『屈原』は紀元前の中国に実在した悲劇の詩人・思想家の名前で、彼は王室の利益より国益を優先させる考え方を王にうとまれ、都を追放された。この荒野をさすらう屈原の絵は、鋭い眼光から強烈な意志の強さが伝わってくる(最終的に屈原は支配層に抗議して入水した)。


4.長谷川等伯
『松林(しょうりん)図屏風』(国宝) 『千利休画像』
桃山時代に巨大な御用絵師集団狩野派に単身挑み、見事に時の双璧を為した一匹狼等伯。この『松林図屏風』は、日本の美術研究者の中で“日本美術史上の最高傑作”と評されている水墨画だ。霧の中にうっすらと姿が見える松林を1.5mx3.5mという大きな空間に描き上げた珠玉の逸品だ。全体の4分の3が霧っていうのが渋すぎ!

 


5.棟方志功
『釈迦十大弟子』『空晴』『歓喜自板像』
ゴッホとベートーヴェンを何よりも愛した板画家、棟方。彼は版画を板画と呼んだ。小卒で右目しか見えない彼は自ら“板極道”と名乗り、彫刻刀で全世界に分け入った。大作『釈迦十大弟子』は下書きなしで彫ったもので、この作品がベネチアで国際版画大賞を受賞した時、彼はこう語った「私が彫っているのではありません。仏様の手足となって、ただ転げ回っているのです」。

『空晴』は水面を1匹の魚が跳ね、背景に「今日 空晴レヌ。」と彫られた素朴で愛すべき小品だ。『歓喜自板像』は棟方57才の時の自身のポートレートで、酔っ払って幸せそうに寝転ぶ自分と、写生に出かけるゴッホと、ベートーヴェンを讃える言葉を熱く刻み込んだものだ(前年に彼は仏でゴッホ兄弟の墓巡礼を敢行している)。遺言は「自分が死んだら、白い花一輪とベートーヴェンの第九を聞かせて欲しい。他には何もなくていい」だった。


6.曽我蕭白(しょうはく)
『群仙図屏風』『美人図』『達磨図』
出た!蕭白!江戸中期に現れた不世出の天才。徹底的に描き込む緻密さと、時には指だけで描いちゃう豪放さを、同時に持ち合わせた絵師だ(『達磨図』なんか手の平で描いている)。ふすま8枚分の龍の顔のどアップなど、絵の依頼者を仰天させて楽しんでるんじゃないかと思わせる作品も多い。当時の文献で「狂人と目される」「おのが才に任せて邪道に陥った者」と評されているが、「邪道」こそ“狂”を尊んだ蕭白には最高の誉め言葉だ。

『群仙図屏風』はワビやサビといった境地は微塵もない大混乱の色彩の世界。人とも魔物ともつかぬ輩が画中に溢れ、ただもう混沌としている。『美人図』はその甘いタイトルとは裏腹に、男からの手紙をビリビリに破って口に加えた女性が、裸足で外をさ迷ってるというブッ飛び作品。
蕭白を前にすると、最初は“狂”の迫力に圧倒され身を引いてしまうが、やがてその毒気がクセになり中毒状態になる。“狂”のない絵はカスだと感じ、たとえ悪趣味でも、美を犠牲にしてもいいと思ってしまうんだ。


7.雪舟
『四季山水図巻』(国宝)『破墨山水図』(国宝)『秋冬山水図・冬』(国宝)
『天橋立図』(国宝)

1420年生まれの室町後期の絵師。僕の好きな絵師の中では最も昔に活躍した人で、雪舟はそんな時代に水墨画を明まで渡航して学んだ努力の人だ。
世に雪舟作と伝えられる作品は10万点にのぼるが、正真正銘の直筆と判明しているのは僅かに8点しかない。そして、その内5点が国宝。個人でこんなに国宝を量産した者は他にいない。

『四季山水図巻』は縦40cm横17m(!)という空前絶後の超大作。延々と続く山水の自然の中で、人間の存在がいかにちっぽけかということがよく分かる。『破墨山水図』は輪郭線がなく墨の濃淡だけで描かれている渋い作品。『秋冬山水図』は秋冬でペアになってるが、特に冬が秀逸。背景に描かれた崖の高さには目が眩むこと必至。『天橋立図』は“神様目線”で描かれている、これまた実に雄大な作品だ。


8.菱田春草
『夜桜』『夕の森』『落葉』『六歌仙』
明治期に活躍した春草は、現・東京芸大を最高得点で卒業し、次々と世に傑作を生み出したが、やがて病から失明し、若干37才で早逝した悲劇の絵師だ。彼は好んで風景画を描いたが、春草の作品は単に美しいだけの風景画とは一線を画していた。春草の風景画から感じるものは“静寂”のただ一点で、画題が『夜桜』であろうと『落葉』だろうと、そこに描かれてるのは彼の静閑な精神世界そのものに思える。

『夕の森』でも高空を鳶(とんび)の大群が舞っているが、地上にいる我々の所には声も羽音も何一つ聞こえない。在原業平らを描いた『六歌仙』でも、人物を包む大気が完全に静止しており真空状態(無音)化している。まったく音のない世界では、人間はものの数分で発狂するという。それゆえ春草の絵が時々怖くなるが、あの清浄で透明感のある“静寂”は、魂を魅了してやまない。

  37歳で夭折 夕の森(1904年、30歳)


9.上村松園
『姉妹三人』『待月』『焔』
明治、大正、昭和初期を女流画家として生きた彼女は、女性の社会進出を嫌う保守的な日本画壇の中で言語を絶する苦労をしてきた。晩年「戦場の軍人と同じ血みどろな戦いでした」と、その孤高の人生を振り返っている。最初の展覧会で作品に嫌がらせから落書きされたが、絵の前で松園は
「そのまま展示を続けて下さい。この現実を見せましょう…」
と美術館職員に語ったという。

女性が美人画を描くとどうなるか?男性絵師と違ってモデルに対する攻撃性がないので、まず輪郭線などに得も言われぬ丸みが出る。大抵の場合、男性絵師はモデルを画中で征服すべく、目に見えぬ格闘をしている(と思う)のでこうはいかない。また、松園美人の特徴は何と言っても髪の美しさにある。あの髪を見た人間は、誰もが目を奪われるだろう。うなじなど髪の生え際が、真綿のように柔らかく描かれている。一冊の本を姉妹が覗き込んでいる『姉妹三人』の温かさ、うちわを手に昇り来る月を待っている『待月』の気品は、深い感動を覚えずにいられない。また、「なぜこのような凄絶な作品を描いたのか分からない…」と松園自身がこう語る、嫉妬の狂気を描いた問題作『焔』が存在している事も付け加えておく。


10.歌川国芳
『讃岐院眷属(けんぞく)をして為朝を救ふ図』『東山桜荘子』『相馬(そうま)の古内裏』『源頼光館土蜘作妖怪図』『里すずめ寝ぐらの仮宿』
「幕末の修羅絵師」と呼ばれる浮世絵界のアウトロー、歌川国芳。彼の十八番はズバリ「妖怪もの」だ。彼の描く妖怪は、怖いというより、健康的でどこかユーモラス。それぞれの表情が個性豊かで、国芳ワールドはある意味ファンタジーに近い。巨大グモ、巨大ガエルは定番だが、『讃岐院眷属…』には10mもの“ワニ鮫”が、『相馬の古内裏』には8m近い巨大骸骨が登場する。『東山桜荘子』では磔になった罪人が両手を広げてピーターパンの様に空を飛び、『里すずめ…』は“千と千尋”の湯屋よろしく、66羽の雀人間が雀の遊郭で大騒ぎをしている爆笑作品だ。

しかも、彼はなかなか反骨の絵師で、天保の改革で歌舞伎、寄席、錦絵、人情本など庶民の娯楽が“風俗を乱す”と弾圧されたことに激しく抗議し、『源頼光館…』では12代将軍家慶、老中水野忠邦らを命懸けで皮肉くっている。もちろん通常の風景画、人物画に関する彼の腕前も素晴らしく、晩年の北斎が絶賛している。


11.喜多川歌麿
『姿見七人化粧』『寛政三美人』『夏姿美人』
美人を初めてクローズアップで描いた歌麿。その美人画がブームになりすぎ、彼は風紀粛正令を出していた幕府から睨まれ、見せしめで発禁処分をくらったり、牢へ放り込まれ手鎖をかけられた。しかし、それでも晩年まで描き続けた執念の浮世絵師だ。美人画は顔立ちが皆良く似ているが『寛政三美人』のように1枚に3人が並んでいると、目元や口元のちょっとした描き分けで個性を出せることが分かる。『夏姿美人』は版画ではなく肉筆画と珍しい。薄物の着物の質感が実に上手く出ている。『姿見七人化粧』ではモデルに手鏡を覗かせて、わざわざ背後から描いているが、これは色香のあるうなじ&表情を同時に描けるからで、歌麿の美へのこだわりを示している。


12.尾形光琳
『紅白梅図屏風』(国宝)『八ツ橋蒔絵硯(すずり)箱』(国宝)
江戸中期に活躍した光琳は、絵画だけでなく、うちわ、着物、硯箱、印籠、陶器の絵付けなど工芸品にも優れた才能を発揮した。創作活動の幅広さから、歴代日本美術界最高のデザイナーと目されている。最晩年の傑作『紅白梅図屏風』の構図は、左右の梅が作る鋭角と、中央の水流が作る曲線とのバランス、梅の“静”と水流の“動”との対比が絶妙で、舌を巻かずにはいられない。
『八ツ橋蒔絵硯箱』の蓋には橋が描かれており、蓋を開けると箱底には川の流れが描かれているというニクイ演出だ。

※蒔絵…金粉・銀粉で漆(うるし)塗りの表面に描いた絵
※螺鈿(らでん)…貝殻を漆塗りの表面にはめ込んだもの


13.円山応挙
『雨竹風竹図屏風』『氷図屏風』

京都円山派の始祖で江戸中期に活躍した。写生の天才で、花、草、鳥、魚、虫、ありとあらゆるものを絵画に起こした。これらは単に本物ソックリに描かれているのではなく、対象物への飽くなき好奇心が全面に出ており、画中に生命を刻み込んでいるようだ。花ひとつをとっても、正面、真上、開花の過程、萎む過程、あらゆる角度から時間を追って描き切っている。『雨竹風竹図屏風』は風雨の中で竹林がうごめくさまを、『氷図屏風』は冬の池の氷面に走る割れ目をリアルに描いている。自然界のすべての事象に美を見出し、全身全霊でそれらと向き合った応挙に、僕は親しみを感じずにはいられない。
(雨月物語の作者上田秋成は「絵は応挙が世に出て、写生が流行り出て、京都中が皆応挙風になりにけり」と書き残している)


14.佐伯祐三
『ガス灯と広告』『テラスの広告』『広告貼り』
1920年代の後半、パリの一角でまだ30歳の一人の若い画家が吐血して死んだ。それが佐伯祐三だ。パリの路地裏を描くユトリロの作品に触発され、佐伯も異国の下町を描き続けた。街角の無造作に貼られたポスターを好んで描き、壁一面に貼られた広告自体がひとつのデザインを構成している。広告というものは、それぞれが自分の存在を主張している。佐伯の描く景色がこちらを見ている気がするのはその為か。ややセピア色がかった画面の中で、彼特有の荒削りな筆致が孤独感や焦燥感を感じさせ、忘れられない印象を与えている。
(余談だが、彼はその短い生涯の中で3度もオーヴェールに眠るゴッホの墓を訪れている)


15.東洲斎写楽
『三代目大谷鬼次の奴(やっこ)江戸兵衛』『鬼次の川島治部五郎』
1794年5月。写楽は美人画全盛期の浮世絵界に、28枚の役者絵で殴り込みをかけた。彼は江戸の町に写楽ブームを引き起こしたが、デビューから約10ヶ月間活動しただけで、いずこかへと消えてしまった謎の絵師だ。現在確認されている彼の作品は144枚だが、殆どが国外へ流出してしまった。『奴江戸兵衛』は上半身だけを、『川島治部五郎』は全身を描いた写楽作品の傑作だ。(近年の研究で彼が四国・阿波藩の能楽師、斎藤十郎兵衛だったことが判明している)


16.青木繁
『黄泉比良坂』『日本武尊』『海の幸』
青木繁の生涯はわずか28年(1882〜1911)と、夭折者の多い日本画壇でもとりわけ短命だ。彼は聖書や日本、インドなどの古代神話を題材に、ときに美しく、ときに荘厳で幻想的な作品を描き残した。西洋の幻想画家ロセッティやミュシャの遺伝子を受け継いだ、世紀末美術の申し子だ。『黄泉比良坂』は“古事記”に記されたイザナギノミコトの冥界脱出の物語を題材にしている(ギリシャ神話のオルフェウスの物語と似ている)。青と緑を基本色とした神秘的な作品だ。一方、『日本武尊』はくすんだ金色を基調として、風に吹かれるヤマトタケルの勇姿を描いており、その顔は画家の自画像となっている。『海の幸』には魚をかつぐ10人の屈強な漁師に混じって、一人の女性がこちらを見つめているが、彼女こそ終生に渡って青木に創作のインスピレーションを与え続けたファム・ファタール“運命の恋人”である。(他の作品にも多く登場している)

「青木君はやはり天才だ」(夏目漱石)


17.鏑木清方(かぶらききよかた)
『三遊亭円朝像』『朝涼(あさすず)』
清方は『三遊亭円朝像』を描く時に「内面を深く究めて伝記を書く気でいった」と語っている。画中の円朝が放つ緊張感がすごい。一方、『朝涼』は朝霧の中で髪をすく少女の絵。早朝の静けさが心地良い。清方は下町の庶民を多く描いた。


18.前田青邨(せいそん)
『知盛幻生』『洞窟の頼朝』『先斗町・清水寺〜京名所八題』
現代歴史画家の大家。武者絵を得意とした。『洞窟の頼朝』は戦いに敗れた若き日の頼朝が、洞窟の中で側近たちと息を潜めている絵だ。真紅の甲冑があたかも闇の中で炎上しているようで、絵を見た途端に釘づけになった。そして、青邨の最高傑作と言われているのが86才の作品『知盛幻生』で、これは平家一門が夜の海からボウッと浮かび上がっている恐ろしげな絵だ。何か怨念じみたものが画中に満ちており、まるで絵を見ているだけで琵琶法師の音色が聴こえてきそうだ。こう書くと殺伐とした作品ばかりを描いているようだが、実は優しい絵がほとんどだ。『先斗町・清水寺』は鳥目線で描かれた鴨川沿いの京都先斗町と、雪の中の清水寺の日没直後の光景だ。
(彼のお気に入りはセザンヌ。理由は「セザンヌは描く対象の根底を深く洞察して、しかもその情緒に溺れなかった」からだそうだ)
※青邨の絵は“人間の根本にある悲しさを描いている”と評される。


19.俵屋宗達
『風神雷神図屏風』(国宝)『鶴下絵三十六歌仙和歌巻』『松島図屏風』
宗達は写楽と同様、生没年が謎の絵師だ。江戸前期に京都で活躍していたことだけは分かっている。『風神雷神図屏風』の風神様は、風邪薬のテレビCMに出演していらっしゃるので、宗達の名は知らなくとも、この絵を知っている人は多いはず。ところで、この作品はユニークな両神の表情が魅力となっているのはもちろんだが、美術ファンを唸らせているのは足元の雲の部分だ。両神が乗っている雲は、宗達が開発した新技法“たらし込み”で描かれている。“たらし込み”は最初に多めの水を墨に含ませて描き、そこへ濃度の異なる墨をたらすことで濃淡の変化を出す技法で、これは後に尾形光琳、酒井抱一ら琳派に継承されていくことになる。『鶴下絵三十六歌仙和歌巻』は寛永三筆の一人、本阿弥光悦とタッグを組んだ逸品で、宗達が約14mに渡って下絵を描き、そこへ光悦が三十六歌仙の和歌を一首ずつ記すという、豪華すぎる作品だ。『松島図屏風』は激しく波打つ黄金の海が印象的な傑作で、米国にさえ流出していなければ(ワシントンDC・フリア美術館)、間違いなく国宝にしていされていたであろ〜う!(涙)


20.狩野永徳
『洛中洛外図屏風』
桃山時代の画壇の覇者。金箔の『洛中洛外図屏風』には、清水寺、東寺、鴨川など京都の名所の殆どが描かれており、今でいうガイドブックのようなものだ。そこには1.6x3.2mに渡って合計2485人もの民衆が描き込まれており、当時の風俗を今に伝える貴重な資料でもある(信長が謙信に贈る為に永徳に描かせたという)。
それにしても、安土桃山城が焼け落ちたのは本当に痛い。天守には永徳自身が「画家人生の集大成」と語った無数の障壁画(内装画)があったのに…う〜ん、悔しい!


21.横山操
『十勝岳』『ウォール街』『雪原』『越路十景・出雲崎晩鐘』
鮮烈。戦後日本画界の風雲児。燃えたぎる内面世界を絵筆で叩きつける豪快で荒々しい描き方をするかと思えば、草木の一本一本を細筆で描く繊細な表現にこだわりもする。『十勝岳』は2.4x6.3mの巨大な作品でその噴火を描いている。彼は実際にこの光景を見て「何の怒りをぶちまけるか十勝」と記している。『ウォール街』ではNYを描き「コンクリートの峡壁に押し潰され、銀色にくすんだ空間」と文明批判している。『雪原』は雪の中で沈黙している無数の木々が見る者を圧迫し、『越路十景』は夕暮れ時に寝倉へ帰っていく鳥の群れを通して望郷の思いを吐露している。53才という短命が惜しい。


22.与謝蕪村
『夜色楼台(やしょくろうだい)図』『鳶(とび)図』『奥の細道図屏風』
江戸中期の俳人・絵師。蕪村の俳句はそれ自体に絵心があり、「菜の花や月は東に日は西に」「五月雨や大河を前に家二軒」など、ビジュアル的に迫ってくるものが多い。逆に絵の方も俳画と呼ばれ、俳味のある洒脱な略筆の淡彩or墨画で、見る者に一句語りかけてくる。雪に包まれた京の夜を描いた『夜色楼台図』は、蕪村が東山を詠んだ「ふとん着て寝たる姿や東山」を彷彿させる。『鳶図』は雨に打たれながらも目から鋭さを失わない一羽の鳶が描かれており、これは蕪村が「世人我を見ること仇敵の如くす」と語るその孤独感と反逆精神を感じさせる。『奥の細道図屏風』は3.5mの屏風に「奥の細道」全文を書き、9つの挿図を描き込んだ文句なしの力作だ。屏風は絵巻と違って視線を自由に遊ばせることが出来る解放感があり、それこそ芭蕉にはふさわしいと蕪村は思ったのだろう。これは、家に欲しい。


23.伊藤深水
『湯気』『暮方』
江戸から現代に続いた正統派美人画の系譜の中で、最後に位置したのがこの深水だ(1972年没)。“貧民窟の天才”と言われているように、貧困の中を苦学して才能を開花させた。彼の作品は、“どうすれば最も女性の優美さを表現できるか?”にこだわったものばかり。『湯気』は白い湯気の向こうに手ぬぐいを絞っている女性がぼんやりと見え、『暮方』では夏の夕暮れどきに、部屋の片隅に置かれた三面鏡の前で、髪を結っている女性を描いている。『暮方』では風鈴や壁に掛けた浴衣が揺れており、室内に一陣の風が吹き込んでいるのがよく分かる。どちらの絵も見事としか言いようのない詩情溢れる情景描写だ。日本美術界の大御所、横山大観も彼を現代最高の画家と絶賛している。


24.川合玉堂
『月天心』『深林宿雪』
『月天心』は山あいの農村の月夜の光景を描いている。特筆したいのは、画中に月が描かれていないことだ。玉堂は月そのものを描かず、民家の屋根が光っていることだけで月夜を表現しているのだ。この“言葉”の少なさはすごい。『深林宿雪』は雪に埋もれた雑木林の中で、炭焼き老人が小屋の周りの雪を掻いている光景だ。林の奥の方まで静まり返っていて、空気が凍てついているのがよく分かる。


25.狩野芳崖
『悲母観音図』『達磨図』
豪華絢爛路線の狩野派に属していながら、淡白な雪舟にハマり、派の伝統に囚われず法外に出る意味から号を芳崖とした。「絵画は常に進歩せねばならない」と、彼は狩野家が厳禁としている円山派も学んだ。気難しい顔の『達磨図』に芳崖の頑固さを、命の誕生を描いた遺作『悲母観音図』に芳崖の優しさを見た。(明治に活躍)


26.小磯良平
『斉唱』『練習場の踊り子達』
小磯の絵の中の女性は、もはや現代では絶滅寸前といっていい“清楚な”たたずまいの女性たちで(笑)、凛とした得も言われぬ清潔感を感じさせる。また、彼は非常に優れたデッサン力を持っているので、群像を描いた時の安定感に素晴らしいものがある。『斉唱』『練習場の踊り子達』などは清楚&群集の好例だ。『踊り子達』は画面が銀色に輝いており、ドガの作人を彷彿させた。


27.伊藤若冲(じゃくちゅう)
『野菜涅槃図』
人間博物館と呼ばれるほど動植物を片っ端から描きたおした若冲。『野菜涅槃図』釈迦入滅の場面を描いた涅槃図を、すべて野菜で表現している掟破りの作品だ。絵の中央に釈迦のように横になっているのは大根。その周囲をナスやキュウリが取り巻き、嘆き悲しんでいる。


28.黒田清輝
『鉄砲百合』『ブレハの少女』『舞妓』
日本洋画の父。日本女性の裸体を油絵で描いた最初の日本人画家。有名な作品は『湖畔』だが、僕は光が溢れる『鉄砲百合』『舞妓』と、逆に殺伐として鬼気迫る『ブレハの少女』を選びたい。明治初期に法律を学ぶため仏に渡り、印象派の明るい絵画と出会って絵に開眼した経歴も面白い。ラファエル・コランの弟子。


29.英一蝶(はなぶさいっちょう)
『一休和尚酔臥(すいが)図』『檜に蝉図』
とんちの一休さんはやがて愛すべき怪僧になったが、この『一休和尚酔臥図』は、そんな和尚が酒屋の店先で酔いつぶれて爆睡しているユーモラスな絵だ。側には水を持ってきた子供がいる。『檜に蝉図』、これはマジですごい。檜の幹に一匹の蝉がとまっている絵だが、豪快なタッチで幹を描き、蝉は細筆で精密に描いている。檜も蝉も共に生命力の溢れる見事な作品だ。一蝶は遊郭吉原での放蕩が過ぎ、47歳から12年間も島流しにされていて、その人生も劇的だ。(江戸中期に活躍)


30.竹久夢二
『立田姫』
夢二の美人画は夢見がちでうつろな目をした女性が多い。夢二が描く瞳は確かに独特の魅力を秘めているが、その反面、何枚も見ていると、どの絵も似通っていて面白味にかける。そうした中でこの『立田姫』(たつたひめ)は目を閉じているので逆に新鮮味があった。細身の真紅の着物も美しい。っていうか、めちゃくちゃキュート!(立田姫は古今集に登場する秋の女神)
※夢二は自らが描いた立田姫を前に「自分一生涯における総くくりの女性だ」と語った。


31.小野竹喬(ちっきょう)
『奥の細道句抄絵』『京の灯』『夕空』
芭蕉を愛した色彩画家竹喬は「奪い取る自然の美しさではなく、与えられる自然の美しさを享受する」ことを目指したといわれる。「虚心になると自然は近づいてくる」が口ぐせだった。『奥の細道句抄絵』『京の灯』の淡いパステルカラーの色彩が胸に優しく沁み込む。『夕空』は冬枯れの樹が大気の透明感をよく伝えている。


32.橋本雅邦(がほう)
『弁天(騎龍弁天)』『龍虎』
狩野派最後の継承者(1908年没)。『弁天』は金色の雲間を裂いて白龍に乗った弁天が降臨するという、超スペクタル作品。『龍虎』は海上の2匹の巨龍と地上の2匹の猛虎が互いに咆哮しあうド迫力の絵で、龍虎の間には緊迫した空気が満ちており、もしも絵の中に一歩でも入ろうものなら、瞬殺されてひとたまりもないだろう。川合玉堂はこの絵を見て弟子入りを決めた。雅邦は芳崖の無二の親友であり、横山大観や菱田春草の育ての親だ。「形式よりも内容、形よりも心だ」が口ぐせだった。


33.竹内栖鳳(せいほう)
『秋興(しゅうきょう)』『宿鴨宿鴉(しゅくおうしゅくあ)』『雪中噪雀(そうじゃく)』
円山応挙を敬愛する栖鳳だけあって、写実力の高さには目を見はるものがある。『秋興』はエメラルドグリーンの池に浮かぶ黄色く枯れた蓮の葉の間を3羽の鴨が泳いでいる絵。『宿鴨宿鴉』は霧深い水辺にうっすらと7羽の鴨と1羽のカラスが見え、とても詩情豊かだ。『雪中噪雀』は6羽の雀が雪の上で遊んでいるかわいい絵。なんだか鳥の絵ばかりを選んでいるが、それぞれ絵のタッチは全然違う。感心しきりだ。


34.岩佐又兵衛
『豊国祭礼図屏風』
江戸初期に活躍し浮世絵の父と言われている。生まれた時は信長に攻められて篭城戦をしていた城中という、波乱の生涯だ。武士の彼は剣を絵筆に替えて中世の庶民を描きまくった。『豊国祭礼図屏風』は京の人々のお祭りを描いた屏風で、千人近く描かれた民衆の誰もが熱狂的に興奮している。ところどころで、かぶき者が喧嘩をしているのが可笑しい。


35.酒井抱一
『三十六歌仙図貼付屏風』
独学で光琳の技法を学んだ。『三十六歌仙図貼付屏風』は金地に四季の草花を描いた屏風に、三十六歌仙全員の姿が描かれている。豪華すぎてクラクラくる。


36.渡辺崋山(かざん)
『鷹見泉石像』(国宝)
『鷹見泉石像』に描かれているのは信長でも秀吉でもない、古河藩のただの家老だ。しかしこの肖像画はモデルが内面に秘める思慮深さや高潔さを引き出しており、国宝になるのも納得だ。


37.土田麦僊(ばくせん)
『大原女(め)・1927年版』『三人の舞妓』
麦僊の『大原女』は見ているだけで健康的になる。『三人の舞妓』は、トランプ遊びをしていてかなりかわいい。(麦僊は竹内栖鳳の弟子)


38.川端龍子(りゅうし)
『筏(いかだ)流し』
院展の上品志向に反旗を翻した龍子。彼は画壇の古株から大作主義と批判されたが、若い画家には熱狂的に支持された。『筏流し』はヨコ7mにわたる豪快な流れっぷりがいい。激流の水しぶきが見ているこちらにかかってきそうだ。


39.富岡鉄斎
『阿倍仲麻呂 明州望月図』
鉄斎は国学、漢学、陽明学、仏教など幅広く学問を修めた文人画家だ。文人画とは、作家や俳人がなど素人が余技的に描いた絵画のことで、職業画家の絵画とは区別し使われている(漱石や芥川もよく描いていた)。『阿倍仲麻呂 明州望月図』は大陸に留学した仲麻呂が、帰国前の送別会で東空に昇る月を見ながら望郷の思いを歌っている場面だ。2x4mの屏風いっぱいに山と海岸が描かれ、送別会が催されている海岸近くに帰国便の船が既に到着しているのが見え、仲麻呂の帰国の喜びと別れの悲しさを見る者に伝える。


40.司馬江漢
『捕鯨図』
知識欲の塊、江漢。銅版画は当時誰も挑戦しなかった。『捕鯨図』は視点が海面にかなり近い低さで、波がすぐ側でうねりとてもリアルだ。北斎も驚き銅版画風の作品を残している。


41.坂本繁二郎(はんじろう)
『張り物』『能面』
自分の周りにあるものだけを描き続けた坂本。油絵でありながらパステル調の優しい色彩感が良い。


42.安田靭彦(ゆきひこ)
『夢殿』『守屋大連(おおむらじ)』
夢殿にこもって瞑想する聖徳太子や、やがて敗れゆく権力者の守屋氏など、歴史上の人物をリアルに描いた。


43.速水御舟(ぎょしゅう)
『蟻』
俵屋宗達を敬愛した御舟。『蟻』は画面の片隅に小さく蟻が2匹描かれているだけで、これを絵画と呼べるか議論はあるだろうが、誰もやらなかったことをやるってのはすごいよ。


44.福田平八郎
『鯉・1921年版』『雨』
『鯉』は複数の鯉がクロスすることで水中の深さまで表現しており感嘆する。『雨』はポツポツと濡れ始めている瓦のみを描いた作品だが、実際に見覚えのある光景なので、それ以上周囲を描く必要はないのだろう。雨を降らせている雨空の色まで分かりそうだ。


45.東郷青児
『サルタンバンク』
『サルタンバンク』は旅芸人がモデルで、彼の作品としては珍しく男性が描かれている。哀愁を帯びた絵だ。


46.浅井忠
『八王子付近の町』『秋林』
『八王子付近の町』は明治初期の八王子には牛がウロウロしていたのが分かって面白い。『秋林』はまるで絵を見ている自分も秋の林の中を歩いているようだった。


47.岸田劉生
『自画像』
申し訳ないが、『麗子像』はやはり怖い。劉生は愛娘の成長を何枚も何枚も描き残した。劉生のファンは「よく見ればすごくかわいいぞ」という。確かに毛糸のショールを羽織った有名な作品は最近かわいく思えてきた(笑)。しかし他の麗子像はかなり厳しいものがあり、中には妖怪変化を起こしているものまである。だが、娘以外を描いた人物画は非常に優れた作品が多く、確かなデッサン力が汲み取れる。特に数多い『自画像』はどれもが魂をさらけ出しているような凄味を感じる。享年は38才と若い。


48.藤島武二
『黒扇』
近代の日本洋画界をリードしてきた藤島。気品のある人物画は万人に好感をもって受け入れられるだろう。特にイタリア女性を描いた『黒扇』はその白眉。


49.小林古径(こけい)
『阿弥陀堂』
平等院鳳凰堂の絵だが、トレードマークの両翼が画中からハミ出ていて、中央の阿弥陀堂だけにスポットがあたっている。こういう逆転の発想はいいね。描き尽くされてきたものが新しくなる。


50.鈴木春信
『縁先美人・見立無間の鐘』
『縁先美人』賑やかな江戸の座敷で、場になじめず一人縁側に出る遊女を描いた浮世絵だ。あまり人物の内面世界まで描くことがない浮世絵の中で、心のうちを見せる珍しい作品だ。



★絵師の傑作を支えた、無名の彫師(ほりし)、摺師(すりし)たちに感謝!!

浮世絵が登場したのは1680年前後で、江戸の初期からあったわけではない。また、当初は墨だけを使った白黒版画で、多色刷の技法が考案されたのは江戸後期に差し掛かる1765年になってからだ。当時の人々はカラーになった浮世絵に心底感動し、その美しさを錦にたとえ、「錦絵」と呼んでいた。北斎や広重がもう少し早く生まれてたら、あの美しい風景画は存在しなかった。ここはひとつ、技術革新に挑んだ刷り師たちに感謝の気持を伝えたい!

※豆知識…歌川派には、豊春〜豊国〜国貞・国芳と、豊春〜豊広〜広重の系統がある。


《次点》

梅原龍三郎『ノートルダム寺院』、安井曽太郎『金蓉』

(番外編・工芸家)本阿弥光悦
『白楽茶碗・銘不二山』『舟橋蒔絵硯箱』


★現在この絵師たちを勉強中★
●田中一村〜日本のピカソ
●関根正二〜20才で夭折、シュールレアリズムの第一人者
●丸木夫妻〜原爆の画家
●松本竣介〜反戦画家、36才で死


日本の芸術は、そのどこまでも辛抱強い観察と、極小のものにある美の探究とで、我々の芸術
より秀れています。この芸術の優越は近世からの事でない。数世紀のゆるやかな発達を通して
完全を得たのです。(オーギュスト・ロダン)


★国は日本美術の歴史を一望できる美術館を建設すべき!!(西洋美術専門は既に存在しているッ!)

原寸大の複製画で西洋絵画の歴史を一望できる『大塚国際美術館』。“日本美術にもこんな場所があったらなぁ!”と思わずにいられない。
理由は大きく3つ。

(1)国宝級の名画には一年のうち数日間or数年に一度しか公開されないものが多い!高松塚古墳壁画の場合は完全非公開で一生僕らは観られないし、先日の若冲展のようにバラバラに保管されていた作品が「120年ぶり」に再会したケースもある。ボストン美術館など海外へ流出してしまった浮世絵も数知れず。最新技術を駆使した複製画で、ぜひ1年365日いつでも名画に会える場所を!※仏画の場合も、絵師は一人でも多くの人に観てもらう為に仏様を描いたのであり、寺宝として何年も蔵の奥に入れたままというのは本来の主旨と違うような…。

(2)屏風の迫力は原寸大でこそ伝わるもの。画集の小さな写真では“絵に呑み込まれる”という感覚は味わえない。俵屋宗達「風神雷神図屏風」、尾形光琳「紅白梅図屏風」、長谷川等伯「松林図屏風」、狩野永徳「洛中洛外図屏風」etc…たとえ複製であってもこれらの屏風で四方を囲まれた部屋があったら、稚内であろうと南洋の果てであろうと這ってでも観に行く!

(3)浮世絵は退色しやすく、年月と共にどんどんオリジナルの色から劣化していく。文化財の記録の為にも早急に(変色しない)陶板複製画を作るべき!

モナリザはルーブルに行けばいつでも会えるけど、日本に住んでいるのに日本美術の傑作に触れることは困難…源氏物語絵巻や雪舟の水墨画は倉庫の奥で眠ってる。でもそれは美術館が出し惜しみをしているわけじゃなく、日本画は油絵より変色しやすいので、作品保護の為に外気に触れぬようにしている--それが分かってるだけに、いつの日か本物を観る機会が訪れるまで、せめて原寸大のスーパー複製画に触れさせて欲しい。縄文時代の壁画から岡本太郎まで、日本美術史を一気に見渡せる美術館を作って欲しい!

この件について実現の可能性を、某美術館の上部の人に取材したことがある。なんと、5年ほど前に茨城県つくば市に建設計画が持ち上がったらしい。予定作品数は300点。大塚(西洋専門)の1074点に比べると少ないけれど、日本美術に特化しているのであれば300点でも充実した内容になる。どの作品を複製するか、平山郁夫さんを始めとした選考委員の顔ぶれまで決まったという。建設予算は大塚美術館の400億の4分の1、つまり100億円と算出された。ところが!そこまで話が進んだのに計画が立ち消えてしまった。その100億円が集まらないというのだ…!ノーッ!っていうか、これって自治体(つくば市)に任せるのではなく、そもそも国が建設するべき。確かに100億はハンパな金額じゃない。でも、天下りや無駄金で問題になってる特殊法人に注がれる税金は毎年5兆円。5兆に比べりゃ100億などカワイイもの。自衛隊が持つ203機のF-15戦闘機は1機が100億円強。たった1機分で美術館が建つので、1機だけ購入を翌年に延ばして予算を回して欲しいッス。ODAでは300億が使途不明金になってるし、政府が本気で金を掻き集めたら100億は速攻で集まると思うんだけどなぁ。経常利益1兆円のトヨタ・奥田会長や経団連の面々に“愛国心”があるのなら、そして「美しい国づくり」を呼びかける安倍首相であれば、後世の子供たちに日本文化の素晴らしさを伝える美術館の建設に全面協力してくれると信じてるんだけどねぇ。r(^_^;)

※読者の方に国会議員や文化庁関係者の知り合いの方がおられましたら、「夢の美術館を作りませんか?」とその人に一声お願いしマス!いっそのこと国民でワリカンにしてもいいかも。1人83円で作れちゃうもの。コーラより安いっす!(笑)

★美術館は表現の自由を守れ(2014.3)

人の一生は短い。でも、芸術家のおかげで生涯に何度も感動を体験でき、生の喜びを感じることが出来る。僕は芸術家を心からリスペクトしている。それだけに、2014年2月に東京都美術館が展示中の作品について、“政治的”という理由で作家に手直しを強要したことに絶句した(従わねば作品撤去と通告)。

美術館側が問題にしたのは「現代日本彫刻作家連盟」代表の造形作家・中垣克久さん(70)の作品「時代(とき)の肖像−絶滅危惧種」。竹を直径約2メートル、高さ1.5メートルのドーム状に組み上げ、星条旗や日の丸をあしらい、秘密保護法の新聞の切り抜きや、「憲法九条を守り、靖国神社参拝の愚を認め、現政権の右傾化を阻止」などと書いた紙を貼り付けたものだ。
70歳の表現者が、安倍首相の強権政治に民主主義の危機を感じ“絶滅危惧種”と名付けた本作。作家にとっては貼り紙を含めて完成作品だ。
いろんな意見を人々が持っているのが健全かつ成熟した民主国家であり、誰もが同じ意見の国なんて独裁者による洗脳国家だ。日本は憲法で心の自由が保障された近代市民国家のはず。芸術家にとって表現の自由は、それがなくては活動できない、最も大切なもの。自身の存在意義にかかわる死活問題。市民にとっては、最初に弾圧される表現者を守ることが、後々、自分自身を守ることに繋がっていく。

今回の東京都美術館の圧力騒動をより深刻にしているのは、美術館が右翼から具体的な脅迫を受けたのではなく、美術館側の“自主規制”によるものということだ。同美術館の小室副館長いわく「こういう考えを美術館として認めるのか、とクレームがつくことが心配だった」。政権や右翼が介入しなくても、国民が萎縮効果により自発的に黙ってくれる。まさに今の時代を象徴している。
クレームがついてもいいじゃないか。芸術とはそういうものだ。昔から、様々な芸術家が絵筆や音楽を武器に権力に抵抗してきた(ピカソ『ゲルニカ』、ベートーヴェン『第九』、ボブ・ディラン『戦争の親玉』など)。むしろ、圧力団体の抗議に対して、身体を張って作家を守るのが美術館の役目じゃないのか。

中垣氏は「長年の創作活動で初めて。自分の作品を改変するのは、身を切るようにつらいことだ。あまりに暴力的な物言いで驚いている」と語る。さぞかし無念だったろう。…それにしても、なぜ日本の三大美術団体、「日展」「院展」「二科展」の大御所会員は、同じ芸術家仲間を守るために立ち上がらなかったのか。芸術家から表現の自由を奪うことは極刑の宣告に等しいと分かっているはずなのに…。権威ある人々が沈黙し、中垣氏をある意味において見殺しにした現実を、僕は文芸研究家の端くれとして哀嘆すると共に、恐怖と危機感を覚える。自分の作品にメッセージを込めて咎められるなど、まるで戦前じゃないか。二度とこのような前例を作ってはいけない。
(参考記事:東京新聞2014年2月19日朝刊)









中垣克久さんの作品「時代(とき)の肖像−絶滅危惧種」。
「日本病気中」という文字が見え、鬼気迫るものがる。
ドームの中には星条旗があるといい、これは独立国で
ありながらアメリカの言うがままになっている現状への
皮肉だろう。




●美術関係者が選んだ日本美術100選(NHK発表)
●日本絵師の墓写真館




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