激報!1999秋の爆裂古墳ツアー完遂!

(1)0時ダヨ!全員集合!
 阪急梅田駅、深夜0時。先月下旬、8人の酔狂者が一角に集結した。

 
今回の巡礼団はいつにも増して各人に共通点がないのが特色だった。バリバリ貿易商社マンでありながら前世が伊能忠敬という人間ナビ・ミスターN、表の顔は鉄工所のどぐされ旋盤工、闇世界では旋盤の間隙をぬってペンを走らせた作品、例えて言うなら信号待ちの一瞬を執筆に当てた赤信号小説の大家であるサイボーグ作家ミスターS。
 現在辻調理師学校で世紀末鉄人の名を欲しいままにし、スタンドの“ザ・海原雄山”を発動させまくっているK君、20代半ばにしてその腕が国宝指定間近というカリスマ美容師M君、彼の恋女房であきらかに実権を掌握している名花K嬢。
 ワイルド植物学者として世界に名だたるM女史(学生生活24年目突入)、当日みんなのサンドイッチを用意して聖母マリア様とあがめられたデパガのTさん、うつけ者獄門文芸ジャンキーの僕という、2ミスター、2青年、3マドモアゼル、1トンマ、そんな顔ぶれであった。

(2)集団苦行『マトリックス』

 
深夜に集合したのは、今巡礼エリアが広域な為、梅田始発スタートが前提としてあったからだ。せっかくだからヤングにバカウケのマトリックスを観ようではないか、オールナイトだから一回観て、後はロビーでリラックスとしゃれこもう、そんな軽いノリがお約束のヘルズ・ドアーを開けたのだった。
 マトリックス…面白かったが、誰一人連チャンで観ようと言わなかった。約2時間半、音と光の洪水だったからだ。
「フギャッ!」
フラフラとロビーへ出て一同愕然。
梅田ピカデリーは客席約500。で、なんでロビーにイスが3ケなんじゃい!しかも既にカップルと厚化粧のオバハン(超オバハン)が陣取っとるやないけ!床に座ろうにも、何だかネバネバ、ネチネチ。我々は観念して再び爆発音、銃声、画面ピカピカの嵐の中へゾンビの如くユラユラと戻っていったのだった。視聴覚の疲労がピークを迎え、そこを2ミリほど越えた時、ようやく終映とあいなった。
 上映中、劇場の薄暗闇の中でミスターSはスクリーンの爆光を利用し、大学ノートにひたすら小説を執筆していた。
『時間とはそこにあるものではなく、作り出すものだ』
ミスターSの背中はそう熱く語っていた。ウーム、孤高じゃ。

 始発乗車直前、M君、K嬢、Tさんが日曜出勤及びスタミナへの不安から除隊を申告、巡礼団は早くも5人に

(3)爆睡の寺

 
第1目標、“天満屋のお初”は近松がその死骸を見たという、有名な曾根崎心中のヒロインだ。お初、ときに19歳。一刻も早くお会いしたいと墓のある谷町の寺に辿り着いたのが5時半すぎ。まだ寺門は固く閉ざされていた。まぁ、ある程度この事は予想していた。尊いお坊様だって人の子、そりゃあ日曜の朝くらいゆっくり眠りたかろうて。
(1時間半経過)
おんどりゃ!いつまで惰眠むさぼっとんのじゃ、このクソ坊主がぁ!!
 蚊には3リットルほど血を吸われるし、寺門の裏からエンドレスに犬コロが我ら聖なる巡礼団に対し吠え続けとるし、7時の時報でついに堪忍袋の緒が切れた。
「起きさらせーっ!コンチクショー!」
門のインターホンを毎秒108往復のスピードで押しまくり、住職のヨメに開門させた。犬コロ、急に黙る。

 墓地に突入すると同時に、僕の秘奥義・墓地スキャンを素早く作動、瞬時に墓石の解析にとりかかり、これまた108秒でお初さんの墓前へ。彼女の墓石は、こじんまりとかわいらしく、そのコケットな人柄を反映しているようだった。300年前の墓にしてはやたら新しかったが(っていうか殆ど新品)、とにかく本当に会えて、待った甲斐があったわい。

 しかし、約1時間半も待機したこの時点で、わざわざ前夜から始発の為に梅田に出てきていた意味は完全に消滅していた…。

(3)鳥人間、ヤマトタケル

 
『天皇というものには実際に尊敬に値する理由はない。日本に残る一番古い家柄、そしてずいぶん昔に日本を支配した名門であるということの外に特別な意味はなく、古い家柄といっても単に家系図をたどりうるというだけで、人間誰しもただ系図を持たないだけで、類人猿からこのかた、みんな同じだけ古い家柄であることは論をまたない(坂口安吾)』
 人間の命は生まれとは関係なく誰もが平等、僕の皇族に対するスタンスは安吾と同じだ。にもかかわらず、なぜ宮内庁管轄のヤマトタケル(以下ヤマタケ)古墳を訪れるのかを説明する義務があると僕はみた。
 ヤマタケは本名オウスノミコト。大和の王(彼のオヤジ)は息子に王位を奪われることを恐れ、死んでこいといわんばかりに、彼を次々と戦地へ送り込んだ(それも少人数!最悪独りぼっちの時もあり)。それだけでもけっこう不憫だが、僕が彼に惚れたのは、彼が敵に友情を感じてしまうオセンチ野郎だったことだ。極めつけは九州のクマソタケルを倒した時。死んでいく宿敵に「せめて名だけは残したい」と頼まれ、彼は本名を捨ててライバルの名“タケル”をその後名乗り続けたのだ。最後は結局、王の狙い通り遠征中に死んでしまった。死に際の、その辞世の句「大和は国のまほろば…」は実に美しく、もの悲しい。古事記によると、昇天の際に白鳥となって近鉄古市駅下車徒歩15分の場所に帰ってきたとのこと。
 どう?僕が会いたくなったん分かりるけ!?

 事件は現場(ヤマタケ古墳)で起こった。我ら巡礼団は奇跡的に一見シラサギに良く似た本物の白鳥を目撃し、そればかりかその聖鳥をカメラに収めることに見事成功したのだ!ぜひHP写真館で確認して欲しい。

(4)極限のタイムトライアル!太子&馬子

 
このレポートもいささか疲れてきた。太子は今ツアーのメインなのだがサクッといかせてもらおう。
 太子町古墳群と駅を結ぶ送迎バスは1時間に1本。バスを降りるなり血相を変えて付近の花屋(仏花オンリー)に聞き込みを開始。太子は当地でビル・ゲイツより著名な為、古墳は一発で判明。だが蘇我馬子の墓は明日香村(石舞台)だと言われた。ガビーン!しかし、僕の愛読書『大和時代100の謎』にはハッキリと太子町に馬子の墓と…!
 太子の古墳詣でもそこそこに、時計を睨みながら聞き込みをハリーアップ。鬼神の質問行脚がついに成果を見たのはバス発車12分前。馬子の墓はなんと民家の垣根の間にスッポリと挟まっていたのだ!馬子は太子とタッグを組んで日本に仏教を布教させた、仏界の大恩人。ただの悪代官ではない。しばし語らう。時に9分前。小野妹子とも会いたかったが70分コースのため断念。早朝の爆睡寺事件のあおりがここに出たのだ。組んずほぐれつバス停へ向かう。

 バス停で調理師K君がやたらと「カジポン次はどこ?あと何人まわるの?」と問うてくるので“もしや”と思ったら図星、除隊申請であった。

(5)超古代文明の罠

 
一行は奈良県桜井の巻向駅に降り立った。先の太子町から鉄道を4度も乗り換えての長い旅路だった。ローカル線の巻向駅は無人駅。線路も単線。はっきりいって風景はひなびきっており、とてもじゃないが邪馬台国の中心地だったという形跡は皆目見当たらぬ。
 しかしこんな田園地帯にあったのだ、女王卑弥呼の古墳が!初秋の炎天下のもと、歩き疲れすっかり言葉数も減った巡礼団の前にその古墳、というか山は横たわっていた。正直戸惑った。あまりにイメージと違ったのだ。僕の想像では、あの卑弥呼の墓なんだから、駅から古墳まで“卑弥呼通り”という道が続き、道の両サイドに“卑弥呼まんじゅう”“卑弥呼人形”“卑弥呼うちわ”の店が所せましと並び、民家の表札はどこもかしこも卑弥呼さんだらけ…のハズだった。なのにその古墳には1枚の立札さえない。団員たちの不信感と非難の混じった激サブな視線に僕のソウルはフリーズした。
“これは、なんとしても証拠を探さねば…!”
 身の危険を感じた僕はターボダッシュをかけ古墳(?)のサイドラインを全力で調査、ほどなく宮内庁の看板を遠方に視認した。古墳の正面はあちらだったのだ!そこで僕は躊躇した。その看板まで行くには、今までに何人もの盗掘者が泥濘(ぬかるみ)に足をとられて命を落としたであろう、不気味な死の湿地帯を必ず通らねばならなかった。僕はミスターN、S、M女史に古代人の罠と承知で突破を敢行するか意をただしてみた。

 巡礼団に撤退の2文字は無かった。半時間後、看板を自分の目で見て卑弥呼の墓だと確信した全メンバーは、古墳全体を見渡せる場所に1列に並び、墓を一瞬でも疑った非礼を懺悔する為、一斉に土下座した。
 その後、またしても駅までダッシュ。ローカル線ゆえ、1本見送るとえらいことになる。ダッシュの距離は先の太子町より長く、反対にタイムリミットはさらに短かった。さすがにこれは団長の僕もこたえ、列車には間にあったが、半分失神していた。

(6)テーマパーク・一休寺

 
午後3時、つ、ついに到着、今巡礼のイスカンダル、京都府田辺。駅前の自販機に滅多に置いてない『さらさらトマト』を発見。全員が目の色を変え間髪を入れず貪り飲む。その時僕は朝から1度もランチタイムを設定しておらぬことに気づき、団員の労をねぎらう為にリュックの中からブドウロールを取り出し、血の争いが生じぬよう均等に分配した。ブドウロールとトマトジュースを口の中で混ぜるとチョコチップの味に化学変化を起こすって知ってた?

 さて、一休寺である。来たよ来た来た、キャラクターグッズのハリケーン!アニメ一休さんで使用されたセル画から始まり、一休さん&母上様(てるてる坊主)の携帯ストラップやサヨちゃんの手ぬぐい、カレンダー、各種シールや絵葉書など、金が幾らあっても足り〜ん!一休さんオリジナルの“永遠に腐らない納豆”という怪しすぎる商品まであった。
 その一方、売店の向かいには一休さんの本物の髪の毛が植毛された激リアル“一休さん木像”があったり、いろりの側では梅昆布茶がサービスで飲めたり、一休寺自慢の庭園を見ようと思ったら屋根の改築工事で建築資材が散乱していたりと、実にシュールな世界じゃった。年表を見て新石衛門さんが実在の人物だと分かったのも大収穫。

 敷地内には小坊主一休像、晩年一休像などが点在してまるでパビリオン。でも肝心の墓所は遠くからしか見られなくチョッピリ残念。とはいえ、長き巡礼もようやくゴールに辿り着いたという喜びが僕の全身を包みこみ、パタリロのクックロビン音頭にしばし興じた。

 以上、当初の半分の人員で全行程を終了。団員たちは「もうしばらく墓巡礼はごめんだ」と吐息を漏らしていたが、同時に事を成し遂げた誇りに満ちた表情をこころなしかたたえていた。帰路の列車内、安堵の顔で昏睡している団員を尻目に、僕は呟いた。“フッフッフッ君たち甘い、甘いぞ。次の日曜は朝8時から平家怨念ツアーが待ってるぜ”

 おあとがよろしいようで。