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 カジポン・マルコ・残月


音へ
                                         
三日前、Nが死んだ。

突然の知らせだった。もうNとは十年近く会っておらず、電話で知らせを受けた時、当初はピンと来なかった。N…、N。そうなのだ、あのNが死んだのだ…。

私がNと初めて出会ったのは学生生活も終りの頃の、ある寒い冬の夜だった。同じ下宿に住んでいる反逆詩人のHが、隣町の駅前にある『ユーレカ』というパブで月に一度催される文芸愛好家たちのサロンに顔を出してみてはどうかと、誘ってくれたのがきっかけだった。
H自身もまだ足を運びだして四度目であり、常連となったわけではないが、彼が言うには“非常に有意義かつ新奇に富んだ会話が飛び交う反時代的な空間”とのことなので、日ごろ出無精の私も好奇心につられて一度覗いてみることにしたのだ。
もともと私はジャズやクラシックが好きだったので、そうした文芸サロンに少なからず興味があったというのもある。それにアルキメデスの叫び「ユーレカ!(見つけたぞ)」という名も気に入った。

ユーレカは明治時代の洋館風の建物で、入口付近は狭いが奥に行くにつれて扇状に広くなる複雑な造りの店であった。内部の装飾品は曲線を基本としたアールヌーボー調のかなり凝ったもので、E・ガレの黄白色のランプが店内をほんのりと照らしていた。
天井に取り付けられた大きなプロペラが、ディレッタント(文芸愛好家)たちの吐き出した煙草の煙で曇天となった頭上を、4本の腕でゆっくり掻き回していた。
こうした俗世間から遊離した光景は、私を一気に魅了した。

Hが紹介してくれたサロンの主催者であるユーレカのマスターに、私は軽く会釈をした。サロンのメンバーは平均して四十人ほどだが、多い時には倍近くの人数が集まるらしい。我々が入ったのは十時項で、ウイスキーが凱旋歌を歌い、ブランデーが人を破顔させる、最も活気が溢れかえっている時間帯だった。Hは数人の画家や彫刻家などに私を紹介した後、
「それじゃ、僕は自分の欲望を満たしてくるから」
と言って、彼が崇拝している詩人R氏のとりまきの一部となった。

私は突っ立っていても仕方がないので、取り敢えずカウンターに錨を下ろしてマスターの勧めてくれたテキーラを飲み、バッカスに接吻した。サロンの人々を観察すると、世代的にはニ十代後半から三十代後半あたりが中心のようだったが、中には高校生らしき者や数人の年配者も混じっていた。
当初は興奮していた私も、カウンターに座り一息ついているうちに、幾分気持ちが落ち着いてきた。そして、ふと店内に流れているBGMに気付いた。多くの者が文学論や芸術論をいきりたってぶつけあっていたので、私はそちらの迫力に呑まれて気付かなかったのだが、そのBGMは天馬の化身である巨人ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』であった。
店内をよく見るとこの喧騒の中で幾人かの者は、両腕を組み、頭を深く垂れて音の世界にトリップしている様に見受けられた。

「これはバーンスタインのだよ」
マスターがグラスを拭きながら指揮者について教えてくれた。なるほど、確かに音のうねり方が凄まじかった。音符という音符が互いに愛撫しあっていた。ああ、レニー、レニー!街角の雑踏の中でも愛する恋人の声だけが耳に飛び込んでくるように、真の名曲はこのような状況下でも聴く者の耳に大河となって流れ込んでくるのだ。体内の細胞はイゾルデの祈りと共に浄化され、そして溶解し始めた…。

曲はワーグナーの後、マーラーの『さすらう若人の歌』『シンフォニー第九番終楽章』と続き、今はマイルス・デイビスのトランペットがゆるやかに流れていた。私はマーラーの悲痛な叫びに戦慄し、打ちのめされ、滲み出た冷や汗で背中はぐっしょりと濡れていた。
テキーラで熱くなった頭を冷ますため、少し冬の大気を吸おうと私は表へ出た。
 “まさかマーラーを聴くことになるとは…。心の準備がないとこたえるな”
 と、その時である。一人の男が出て来た。それがNだった。

「まいったね」
「まったくです」
私はそう答えた瞬間、ただこれだけの言葉で、両者がボードレールの言う“永遠に苦しみ尽きざる”カイン族であり、けっして“眠り、飲み、食う”アベル族でないことを確認した。デミアンであれば、さしずめ額に刻印を目撃していたところか。
「失礼だが、君はあまり見かけない顔だね。初めてなのかい?」
このような形で私たちの親交は始まった。

彼は音大の学生であり、齢は私と同じであった。小柄だが頑強そうな体格で、髪の毛はボサボサ、ダークブルーのジャケットとズボンにはひどく皺がより、手中の煙草は紙巻ではなくパイプという、なかなかボヘミアン的な気質の男であった。Nの氷剣のように鋭く光を放つ眼は、私の心をたちどころに捉えてしまった。並々ならぬ好奇心が湧いてくるのを感じ、Nのロからその人となりを聞きだそうとしたが、元来Nは非社交的な性格らしく、話し掛けておきながら自分のことはあまり語ろうとしなかった。

翌月、Hは田舎に帰省していたので私は一人でユーレカに赴いた。この日はアマデウスの誕生日だったので、音楽は彼のものしかかけぬと入口のボードに書かれていた。顔を出したのがまだ六時と早かったせいか人影はまばらであり、先に身体を休めていた孤独者たちは、各々がピアノ協奏曲第二十番の調べに全身をとっぷり浸していた。

Nは既に来ていた。彼は顔を上げたまま目を閉じており、私は隣席に坐しかけて少し躊躇した。すると、続いて入って来た2人の男が、「そんな所で突っ立たずに一緒に飲もう」と声をかけてきたので、私は彼らと杯を交わすことになった。彼らは双方とも陶芸家だと名乗った。2人はあまりアマデウスに思い入れを持っておらず、ジュピターの第二楽章が流れても滑稽な笑い話に興じていた。しかし、さすがに死の直前に作曲されたアヴェ・ベルム・コルプスが流れている間は、ディレッタントとしての礼儀の上からかロをつぐんでいた。
私は改めてユーレカに集う人々の、その質の高さに驚いた。つまり、二人の陶芸家はちゃんとこの曲を知っており、その上で他曲の時は騒いでいるのだ。この約三分間は咳をする者さえいなかった。

「よくもまあ、このようなメロディーを人間の脳が考え出せたものだ」
「グレン・グールドはモーツァルトのことをグロテスクだと酷評したが、まさか今の曲までそうは言うまい」
「実に心が安らぐいい曲だった」
「気持ちが落ち着いた」
曲が終わって、人々はこう口々に言いあった。数分後、私は手洗いでNと出くわし、
“魂が癒された、ホッとした”
と感想を述べた。彼は怪訝な顔をした。
「安心しただって?僕はそうは思わない。ねぇ君、世の中にあんな恐ろしい曲はそうないぜ」
「恐ろしいだって!?」
「ああ。だってあの曲のモーツァルトは、すでに向こうの世界にいってるじゃないか」
Nは淡々とそう言った。

三度目のユーレカは、五時の開店を待ち切れず半時間ほど早く訪れた。むろん私が一人目だった。マスターはミュシヤの絵をかたどった玄関横の窓を拭いていた。
「あのう、中に入ってもいいですか?」
「早いねぇ」
こう笑顔で答えながらマスターは店の照明をつけてくれた。

私は店内を一番よく見渡せる場所に陣取り人間観察に興じた。幾人かと雑談を交わしながらNを待っていたが、彼が九時になっても現れないので段々不安になり始めた。いつもNが座っていたロートレックの絵の前の席が、ぽっかりと虚しく空いていた。
その日は啄木と志賀の誕生日であり、多喜二が特高の拷問で虐殺された日でもあったので、文学者たちは彼等を称える乾杯を繰り返していた。二月二十日とはそういう日なのだ。

どうしてNは来ないのだろうと気を揉んでいると、十時半になってようやくその姿を見せた。飛び込むように入ってきたNは何か興奮気味で、誰とも礼を交わさずに勢いよく席についた。私は抑え難い好奇心を胸に抱き、グラスを片手に近付いた。

「今日はどうしたんだい?えらく遅かったじゃないか」
Nは鞄から二十枚程の楽譜を取り出すと、目を通せと目配せした。
(見ればいいんだな)
…それは静かではあるが実に妖艶なピアノ五重奏曲で、音符を目で追う内に足が震え出した。
ピアノの旋律の透明感もさることながら、チェロとヴァイオリンの官能的な音の掛け合いにめまいを覚えた。しかも途中に三度も置かれている長大な休符が非常に斬新であった。両手が小刻みに痙攣し、楽譜の束がバリバリと鳴り、興奮の為にロの中は乾ききってしまった。

「凄い。言葉もない。これは一体どの作曲家の曲なんだい?」
Nはゆっくりとパイプを吸っていた。
「それはね、僕のなんだ。ピアノ五重奏曲第三番だ」
「君は作曲をするのか?」
「ああ。それはつい今しがた出来上がったばかりのものだ。まだ湯気が立ってるぜ。おや、僕は音大に行っていると言わなかったかい?」
「そう聞いたが、僕はてっきり演奏のほうかと…」
「演奏も少しはやるさ。でも僕は“暴君”と闘うためにより効果的な武器が欲しかったんだ」
Nは手元にあるピアノ五重奏曲をじっと見詰めてつぶやいた。
「“暴君”ってなんだい」
「時間さ。時間は必ず“死”を引き連れて来る。どんな英雄も時間の前では無力だ。だが、僕はこのまま、なしくずし的にヤツに殺されはしないぞ。音楽という生命を大量に創り出してとことん徹底抗戦してやる。肉体は滅んでも、音楽を“箱舟”に生き続けてみせる。時間に一泡吹かせてやるのさ!」
その刹那、私は彼の内に宇宙の深淵を見た。人は死を避けられぬ宿命と感じながらも、それを忘れ、あるいは考えぬことで正気を保っている。だが、眼前のNは四六時中それと向き合い、魂の抵抗として単身戦いを挑んでいるのだ。
その鮮烈な生き様に、これまで暴君の存在すら意識しなかった私は畏敬の念を抱き、彼に生命宿る者としての誇りと気高さを感じずにはいられなかった。

その次のサロンの日は、コアなディレッタントの間でカリスマ的な人気を持つ、ある老ジャズ・ピアニストの来日公演と重なり、私はユーレカを訪れることが出来なかった。ユーレカを取るか、コンサートを取るかで随分悩んだが、老ジャズ・ピアニストの来日はこれが最後かも知れぬという切羽詰まった思いが勝った(実際その巨匠は翌年他界した)。

四度目の訪問は最も印象深いものとなった。この時のことは、異常な熱気に包まれたサロンの雰囲気と共に、いまだに事細かに覚えている。
私が2ヶ月ぶりのユーレカに胸を高鳴らせて入って行くと、口髭を蓄え野性的なゴーギャン似の画家Sと正面に向き合ったNが、口角に泡をためて激しく論争していた。ユーレカ内の半数の人間が彼等のテーブルを取り巻いていたので、私はその緊迫したただならぬ雰囲気に息を呑んだ。

「クラシックは退屈だよ。暗いメロディーがたらたらと続いてな。だいたい陰気なんだよ。不健康だ!」
その画家はぶっきらぼうに言葉を放り出していた。Nは怒りで顔が紅潮している。
「暗いから退屈だって?なぜそんなメロディーを作曲せずにいられなかったのか、君は作曲家の心情を洞察しないのか?メロディーが暗ければ暗いほど、それはただごとではないんだ!音楽は創ろうと思って創れるもんじゃない。我知らず生れてしまう真実の叫びだ!」
「そんな風に思って聴いている奴はほとんどいないぜ。第一、真実の叫びなら何の説明もなくたって誰でも分かるんじゃないのかね。退屈する人間がいるってのは音楽自体に表現方法として問題があるのかも知れないぜ。フフン、絵画万歳ってわけだ」

Sは明らかに相手を煽っていた。Nは口にグラスを運びかけて、すでに中の酒が無くなっていることに気づき、代わりにコップの水を喉に流し込んだ。一呼吸ついた後、彼は静かに口を開いた。
「君がクラシックを聴いて退屈する最大の原因は、君が現在幸福だからだよ。作曲家は、救いを求めて叫び祈ってるんだ。満たされた生活をしていて、何も祈る必要がない者が、そんな他人の悲痛な祈りに気付くはずもない。幸せな人間は、得てして他人の叫び声を聴きたがらないものだからな」

Sが答える前に、側でこの話を聞いていたHがNに食いついた。
「ほう、まるで作曲家が全世界の不幸を両肩で背負っているかのような言い草だな。だがな、詩人や作家だって作品の中で祈ってるぞ。激情は活字となって叫びに変わるぜ?」
周りで聞いている者たちは皆黙っていた。中にはロを挟みかけた者もいたが、その場に充満している感情の質量に圧されて言葉を呑み込んでしまった。
NはHの方に真っ直ぐ身体を向けた。
「言葉の力は確かに絶大だが、言語には限界がある。感情の爆発を完全に言語へ翻訳することは出来ない。人は歓喜の時や、絶望の淵、怒りの頂点で、“オォ”“アァ”と声を上げるが、考えても見てくれ、叫び声はそれ自体が意味を持つ単語ではなく、ただの“音”なんだ。わかるだろ?言葉を超えたところにある感情表現は音楽なんだ。運命交響曲であれば、我々は第四楽章まで三十分ほどベートーヴェンの叫び声や祈りを聴きっぱなしになるということさ」

Nの声の内には何かしら切実なものがあった。画家はそんなNをからかう様に、肩をすくめて言った。
「それは少し大袈裟じゃないか?本当に作曲にそれほど思い入れをしなきゃならないのなら、そう簡単に何百曲も創れるわけないだろ?」
「大袈裟なもんか!じゃあなんで彼等は皆早死にしてしまうんだ?シューベルト三一、モーツァルト三五、メンデルスゾーン三七、ショパン三九。皆自分の生命を削って作曲してるんだよ!シューマンやチャイコフスキーのように自殺に走る作曲家もいる。チャイコの遺作『悲愴交響曲』を聴いたことがあるか?あれは自殺の前に五線紙へ胸中を告白した遺書だ。あんな悲痛な遺書を僕は他に知らない!」
Nは熱く語っていたが、その口ぶりには全く高圧的なものはなく、そこには息苦しいほどの音楽への求道心だけが満ちていた。画家はNの瞳に誠実さを見たのか、もう彼をからかわなくなった。

この日のNは本当によく喋った。彼自身が驚くほど次々と言葉が溢れ出たようだった。
「クラシックには色んな魅力があるんだ。例えば弦楽器。人は動物の声は聞けても木の声は聞けないと思ってる。でも、ヴァイオリンやチェロのように人間が木の形を変えると、魔法のように彼らは歌いだすんだ。言い方を変えれば、オーケストラは一つの小さな森だし、演奏とは木と対話することだ。楽器の音が耳に心地良いのは、それが木の囁きだからだ」

いつの間にかユーレカのほとんどの人間が集まっていた。
「まだまだある!オーケストラの演奏は、異なる百人もの人間が共同作業をしている素晴らしいものだ。一人で練習している時は自分の役割がよく分からないが、全パートで演奏した時に、自分が他の楽器と掛け合いをしていたことや、さほど重要視してなかった単純な音符がクライマックスで劇的効果を与えていたことを知る。他者を通じて初めて自己の存在価値を悟るんだ。“音楽”という芸術は、まさに人生そのものだよ。僕はまだ作曲技術が未熟だから少人数の室内楽しか創れないが、いつか傷付いた魂が生きる力を取り戻すようなシンフォニー(交響曲)を書きたい」

その時、私の後方から声が飛んだ。高校生の若者だ。
「でもNさん、人類的スケールとなると難しいんじゃないですか?」
Nは少し微笑んで答えた。
「音楽はとても便利なんだ。なんたって人類の共通語だからね。国や民族が違っても、人間の喜怒哀楽はそんなに変わるものじゃない。まさか“美しく青きドナウ”を聴いて激怒する人間はいないだろう?イヌイットにも砂漠の遊牧民にも、バッハの音楽はやはりバッハの音楽として、彼の内面世界が生々しくダイレクトに伝わり、外国文学のように翻訳者という名の第三者を必要としない。とにかく僕は精一杯やってみるさ」                

Sは一度軽く咳をした後、
「がんばってくれ。俺はどうやらアンタを誤解してたらしい。俺の周りにはファッションでクラシックを語る奴や、過保護に育てられたお坊ちゃんピアニストがごろごろいるんでな。アンタが作曲をやると聞いてちょっと挑発してみたくなったのさ。どうか、俺の不遜な態度を許して欲しい」
こう言ってNに右手を差し出した。私の全身に電気が走った。

二人が握手を交わしたのを見て人々は胸を撫で下ろし、続いて自然に笑いがもれた。その後二時間ほど、NとSは話題を映画に変え、ヌーヴェル・バーグの魅力について語り合っていた。店内にはHがリクエストしたビートルズのホワイト・アルバムが流れていた。

閉店の時間がきて皆各々自分の巣へと足を向けた。ドアを出たところでNが横に並び、抑えた声で私に話しかけてきたので、私は歩む速度を緩めた。
「なぁ君、さっき僕は大々的に音楽を擁護したし、実際音楽は人類の宝だと断言できる。ただ、さっき皆には隠していたことがあるんだ。音楽は実に不思議な魔力を持っていて、バッハのミサ曲のように数分聴いただけで周りの温度が暖かくなる曲があれば、ベートーヴェン晩年の『大フーガ変口長調』のように旋律が凄惨を極め、曲の崩壊がこちらの精神を道連れにするような危険な曲もある。恐ろしいのはその二面性なんだ」
ユーレカから駅に続く道は、街中とはいえ時間が時間だったので随分暗かったが、それでもNの顔が異常に汗ばんでいるのが分かった。
Nは早口で言葉を続ける。
「シューマンが発狂したのは“ラ”の音が絶え間なく襲って来たからだという。僕だって音に襲われないと誰が断言出来る?それから、君は笑うかも知れないが僕には前から気になっていたことがあるんだ。『闇』という文字を知ってるだろ?あの文字をどう思う?どうして門構えの中に“音”の字が入っているんだろう。“音”より“光”を入れた方が闇の持つイメージにしっくりくると思わないか?それなのにどうして“音”なのだろう。『暗』の文字だって同じだ。どうして暗の文字は日と“音”から成り立ってるのだろう?僕はそういう“音”のマイナスイメージが気になって仕方がないんだ」

「落ち着けよN。気にし過ぎだ。きっと疲れてるんだよ。よく眠って身体を休ませるんだ。第九を貫くあの燃え盛るヒューマニズムに、どれほど多くの人が生きる勇気を受け取り、自分の足で人生を突き進んだことか!」
「僕は音楽を盲目的に崇拝してはいるが、それは生れてきた喜びを噛み締めるためであり、自我の崩壊の為ではないんだ。ああ、僕は怖い。もし何かのはずみで音の悪魔的な部分に魂を呑み込まれてしまったら、一体どうすればいいんだ!?」
私は何も言うことが出来なかった。我々はそのまま黙りこくって駅まで歩き、“オヤスミ”と言って別々のホームに別れた。
この時は、まさかこれがNとの最後の会話になるとは思いもよらなかった。



「ユーレカが!おい、ユーレカが!」
それから二週間後だった。休日の夜、私が部屋でくつろいでいると、Hがけたたましくドアを叩き信じ難いことを口にした。ユーレカが焼け落ちたのだ。
「ちょっ、ちょっと待てくれ、何だって!?」
「もらい火だったんだ。三件隣に中華料理屋があったろ。あそこの火災でユーレカもやられたんだ!」
Hの言葉は弾丸となって脳髄に撃ち込まれ、私は真後ろに卒倒した。

翌朝早く、私は火災現場に足を運んだ。身を切るような冷気の中、冬の朝日が落城したユーレカに降りた霜を、黄金色に照らし出していた。それは“氷結した音楽”ともいえる神々しい光景だった。まぶしく輝く廃墟の前で、身体を支える力を失った私は、崩れるように両膝を地についた。
時間に宣戦布告をし、攻撃を行うユーレカに集う者の行く手を“不運”という形で天が妨害するのなら、天は敵ではないか?
「…我らのユーレカはもらい火で焼失か」
こう口に出した途端、わけもなく笑いが込み上げてきた。もらい火とは、ある意味で最もユーレカらしい最期のように思えたからだ。しかし、なんと非力な笑いだったか!
ユーレカを失い、Nとの交流も途絶えた。



Nの死を伝えた電話は、今では流行詩人となり情報源の多いHからのものだった。死因はアルコール中毒から来る心不全という。まだ三十二であった。Nは彼自身が言った様に“音”に生命を喰われてしまったのか、私には分からない。ただ寿命で死んだのではないのだから、“暴君”には勝ったといえる。
しかもNは二曲のシンフォニーを創りあげていた。夢を実現していたのだ。二曲目は彼が夭折する三週間前に完成されていた。Nの追悼ということで音大OBの有志たちがすでに初演の計画に入ったという。

卒業後、故郷S県の役所に勤め、人並みに家庭を持った私は、安定した生活を送るただの平凡な音楽愛好家だ。むろん、変化が少ない日々だからといって、私の生活に価値がないとは思わない。妻と共に2人の子を育てることは、偉大な創造行為だと実感している。妻子の穏やかな寝顔は、私に無上の喜びを与えてくれる。
しかし、身一つで“暴君”と闘うNの孤高な生き方は、もう一人の私が心のどこかで羨望していたものだった。冷酷な支配者を相手に、ひとつの命を武器にどこまでやれるか、多くの者が最初から負け戦だと諦めている戦いに、あえて身を投じてみたかった。

私に彼の遺書ともいえるそのシンフォニーを最後まで聴くだけの勇気が果たしてあるだろうか?願わくば…ああ、願わくば…。


…なぜこうなのだ!




完 (初稿1991.11.24、改定03.2.21)