★僕は映画『ゲド戦記』に好感を持った


※ネタバレせずにコメントするのは不可能なので、観る予定がある人はまだ読まない方が良いデス。r(^_^;)

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(原作は未読なので、映画を原作と切り離しひとつの作品として見ました)

巷の映画評を見ていると、物語の背景が説明不足とかなり手厳しく批判されている。僕はそれに同意した上で、「命」そのものを主題にした宮崎吾郎監督に良い印象を持った。途中に出てきた“一つのセリフ”だけでも、僕は見て良かったと思っている。

そのセリフとは“死”に怯えるアレンに対しゲドが言った『自分がいつか死ぬ事を知ってるという事は、我々が天から授かった素晴らしい贈り物なのだよ』というもの。この言葉は死を恐れるあまりに生を実感できないでいるクモにも当てはまる。人間以外の動物はただ生きて死んでいくけど、人間はやがて死ぬ事を“幸運にも”知っている。だからこそ、限られた時間をどう生きるか選択できるし、一度きりの生命の貴さを痛感している。
僕らは誰一人死を避ける事は出来ない。これを書いている僕も、読んでいる貴方も、いつか必ず死ぬ。日々の果てに待っている“終わりの時”の到来を、“知っているから怖い”のではなく“知っているからこそ幸せ”とするこのセリフは、いたずらに死に怯えることなく、前向きに生きる姿勢を保ち続けられる真に大切な言葉だと思う(同様のセリフは999など他作品にもあるけど、“天からの素晴らしい贈り物”と表現した点が僕には一層グッときた)。

もちろん、この映画は問題も多い。映画のキャッチ・コピーは「この夏、人と竜は一つになる」なので、それがどれほど感動的なことなのか僕は楽しみに鑑賞した。果たして、竜は冒頭の共食い場面の後は音沙汰無く、竜に対する感情移入がゼロのままクライマックスに現れて、“テルーが?どうして?”など面食らっているうちに映画は終わった。原作を知らないのでキャッチ・コピーに対しては「だから…何?」と戸惑いを隠せなかった。
スケール感がない、人物描写が浅い(ゲドの半生スルー、薄っぺらなウサギ等)、壮大な音楽が浮いている、ジブリ名物だった背景の描き込みがない、云々。夏休み映画なのに笑いの要素が皆無で、とにかく暗く、血生臭い。見事なくらい、子どもは置いてけぼり。最終決戦では隣にいたチビッコが「クモ、目がない」「怖い」「終わった?」と怯え、ずっと下を向いていた。っていうか、物語の背景説明がほとんどないので、大人も置いてけぼり。

にもかかわらず、僕はこの映画が好きだ。まさにその“地味さゆえに”好きだ。舞台の大半がテナーの家、城、町という狭さ、陰気なアレン、魔法を使わないゲドなど華のないメイン・キャラたち。室内劇かと思うほどの登場人物の少なさ、平面的で殺風景な背景。これらが昨今の情報過多アニメに食傷気味だった僕には実に心地良かった。

アレンが父を刺したことの動機は説明不足だけれど、自分でも抑えられないほど凶暴になってしまう最近の少年を念頭に置き、作品を現代社会とリンクさせる為に吾郎氏は挿入したのだろう。いつもどこか不安で、漠とした劣等感に捉われて心の闇(影)が大きくなり、人々に尊敬される親(他者)を刺すことで自分自身を守ることができると思い込む。父のようにはなれない--アレンは「父さえいなければ生きられると思った」と呟く。
結果、もう一人の自分=「影」に追われることになったアレンは、次第に追い詰められて苦悶する。だが実際には暴走する自分の方が「影」であり(「影」は肉体まで奪っていた)、それを「光」が追いかけていた。テルーはアレンに叫ぶ「死んでもいいとか、永遠に死にたくないとか、そんなのどっちでも同じだわ!一つしかない命を生きるのが怖いだけよ!」。最終的にアレンは永遠の生への誘惑を断ち切り、自分と向き合う覚悟を決め、「光」と「影」は融合し立ち直っていく。

最後にテルーは「命は自分だけのものではない。生きて次の誰かに命を引き継ぐ。そうして命はずっと続いていくんだよ」と語る。クモや闇アレンが“自分の命だけを延ばす”ことにこだわっていたのに対して、テルーは“命は引き継がれるもの”と説く。これはゲドの言葉『自分がいつか死ぬ事を知ってるという事は、我々が天から授かった素晴らしい贈り物なのだよ』に対応している。自分の心臓はやがて止まるけれど、他者との係わり合いの中で、子どもを育てることでも、生き方を通してでも命は繋がり、それは永遠の命そのものなのだ。これは僕に深い感動を呼び起こした。ゴッホの言葉「人間が生きる限り、死人も生きているんだ」を思い出した。

近年、若者社会でドラッグ(ゲド戦記でいう“ハジア”)の問題が深刻化しており、刃物での殺害事件も毎日報道されている。しかし、それは大人社会も同じだ(ていうか、もっと深刻)。「人間の頭が変になっている」「人はせわしなく動き回っているが目的がない」「命を大切にしない奴なんて大嫌いだ!」--こうしたストレートな言葉を出さねばならないほどの吾郎氏の“焦り”を感じた。監督が伝えたいのは『命を大切にする』という一点であり、115分という上映時間の中では、「ゲドの過去」「冥界の扉」「魔法の剣」など他のことは二の次にしたのだと好意的に考えている。批判意見を読む限り、作品メッセージよりも作画や演出ばかりが注目を浴びているのが映画『ゲド戦記』の不幸だと思った。(吾郎氏が同じ1967年生まれというヒイキもあるけどネ)

※ただ、誉めた後で言うのもなんだけど、どうしてテルーは人間の姿をしていたのかは、最低限、語って欲しかった。それと、これはとても重要なんだけど、「命を大切にしない奴は嫌い」ってあんなに言ってたのに、敵とはいえクモを速攻で焼き殺すのは矛盾している。「悪党の命さえ大切」の方が、子どもにはテルーの意志が通じやすいと思うんだけどな…。
※パンフによれば、背景は油絵を意識して意図的に筆のタッチを残したとあったけど…たった半年の制作期間ではああするしかなかったのでは、って思ってしまう(汗)。
※原作者ル・グウィンは次の違和感を表明。「(原作に無い父殺しは)動機がなく、きまぐれ。人間の影の部分は魔法の剣で振り払えるようなものではない」「絵は美しいが、急ごしらえで、『となりのトトロ』のような繊細さや『千と千尋の神隠し』のような力強い豊かなディテールがない」「登場人物の行動が伴わないため、生と死、世界の均衡といった原作のメッセージが説教くさく感じる」「でも、ゲドの声と『テルーの唄』はとても良かった」。原作者にこう評価された事実は、吾郎氏もジブリも厳粛に受け止める必要がある。小説の日本語版翻訳者は「映画『ゲド戦記』は原作が色褪せるどころか輝きを増していく」と絶賛してるんだけどね…。
※ジブリのブランドで“不親切”な内容のまま公開すれば、猛烈に批判されるのは予測できたハズ。それでも非エンタメ路線を貫いた吾郎監督は、全く観客に媚びない点で凄いと思う(嫌味ではなく)。

2006.8.24


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