※文中で“今日”と書かれているのは2000年5月14日のことです。

(1)プロローグ
今、僕は興奮の絶頂でこのキーを叩いている。今日の貴重な体験を誰かに伝えたく、パソコンの画面と鼻息荒く向き合っている!

今日、京都で1日を過ごした。例の如く、色んなお墓を訪ねて。
ただ、いつもと違ったのは最終目的地(真田幸村の墓)までに、いくつかの禅寺に“寄り道”したことだ。

禅の開祖はインド生まれの菩提達磨(ボーディ・ダルマ)、あのダルマさん!ちょうど聖徳太子と同時代に中国で活躍していた。
禅は仏教の修行のひとつで、瞑想して心身を統一し、無我無心の境地に到達するのが目的なんだ(ダルマの“面壁九年”もその一環)。.
禅宗の簡単な特徴を書くと・・・
<神(仏)のいない宗教である
<特定の拝む対象のない宗教である
<“足ることを知る”宗教である
<「自己」を拝む宗教である。なぜならこの身(自己)こそが、即ち仏だからだ!
と、けっこうカッチョイイのだ。

簡素静寂を重んじる禅寺の庭は“枯山水”という様式で統一されている。“枯山水”の庭は読んで字の如く、水を用いることなしに、敷き詰めた砂利と石を巧みに組合わせ、大海に浮かぶ島々や、雲海から突き出す山々を表現した、シンプルかつ壮大なスケールの庭のことだ。石の数は縁起の良い七、五、三をプラスした15個か、シンプルに七個の石にしぼって置いてある。

枯山水の難しさは、石の配置場所はもちろんのこと、庭の背後にある壁の色、瓦の形、生垣の高さ、木の種類、そういった枯山水を取り囲む周囲の造形にも言えることだ。
水なくして水の趣を表現する枯山水の庭は、芸術作品をこえて、ひとつの小宇宙を形成してると言えよう。

砂利で作った水の流れは“渦巻き”や“よどみ”まで見事に表現しており、そういった造形美も見事ながら、500年近く石庭を維持し続けた各時代の住職たちの努力に、惜しみない賛辞を送りたい。

(2)大徳寺・龍源院
始めに拝観したのが大徳寺の龍源院(大徳寺には院が24もある)だ。大徳寺は例の“一休さん”が晩年に住職をしたことでも有名だ。利休や世阿弥の墓もある。
この院は大徳寺24院の中で最も古い寺にも関わらず、こぢんまりと小規模な為、他の院より観光客が少ない。ひっそりしており、シンと静かだ。
院内に国宝がないからかも知れぬ。受付で売ってる絵葉書の見本は何十年もそのままなのか、色褪せてセピア色になっていた。
僕がそんな龍源院に足を運んだのは、枯山水研究家の友人が、「あそこ(龍源院)は、ちっぽけですが日本最高の寺です。宇宙の中心です。少なくとも僕にとっては!」
と、先日僕に気炎を吐いたからだ。

結論から言おう。完全に彼の言った通りだった!
っていうか、日本最高どころか世界最高ではなかろうか!?逆説的になるが、ヴァチカンの巨大なサン・ピエトロも、スペインの壮麗なガウディの教会も、この小さな古寺ほど雄大なスケールがなかったからだ。
ささやかな敷地のこの寺が、そこまで深遠な奥行きを感じさせるのは、他でもない、この寺に点在する変化に富んだ4つの枯山水の為だ。

客室正面にある枯山水は、白砂で表現された大海原の上に、7個の石が左から2、3、2とひとかたまりに並んでおり、順に「亀島」「蓬莱(ほうらい)山」「鶴島」と呼ばれていた。鶴亀は昔から仏教の守護動物といわれている。その鶴亀の中間に配置された蓬莱山は、不老長寿の仙人が住むというありがたい霊峰だ。
この庭を眺望、そして堪能できる客室は、装飾的なものを一切排除した、淡泊の極みのようなガランとした部屋だ。
この部屋を見て“何もない”と思うか“全てがある”と感じるか、そのあたりに禅が禅たる何かが象徴されていると、僕はみた。

次にちょうどそこから客間を挟んだ反対側(裏庭にあたる)の、枯山水を見た。それは僧侶の修行部屋や写経の為の書斎から見える景色だ。
度肝を抜かれた。
本来は海にあたる地面全体が、端から端までその全面が厚い苔(コケ)に覆われていたのだ!それも、平らではなく至る所でモコモコと盛り上がって。
そして苔が作った雲海の遥か彼方で、雲を突き破り天を射抜かんばかりに、一個の奇岩が毅然とそびえ立っていた。
これが仏説で言うところの、世界の中心にある『須弥山』ということだった。この『須弥山』の手前に小さな石があった。それは、一歩でもあの山に近づこうと精進する人間の、孤高な姿だった。
500年間、どれだけ多くの悩める者があの石を見つめてきたか。そう考えた瞬間、言葉にならぬ感動が全身を包んだ。
先ほど“雲海の遥か彼方に”という言葉を使ったが、実寸は5メートル強しかない。それが何キロも向こうまで広がってると思わざるを得なくなる、そんな驚異的な枯山水だった。

3番目は中庭の枯山水で、これは周囲を建物で囲まれた『壷庭』だ。
ちょうど廊下から覗き込むような形になっており、構造がユニークだった。配置された石よりも石の周囲の砂波の方が高かったので、まるで石が天から落ちてきて水の波紋を作ってるような錯覚にとらわれた。
この庭が寺の中心にある為、裏庭の『須弥山』から流れ出した砂の水流が、この壷庭を経由して、先の蓬莱山まで流れ込む設定になっていた。
水は使われていないのに水音が聞こえてくる、この事実に絶句した。

最後は敷地東側にある枯山水だ。
これは、他の厳粛な枯山水とは明らかに趣が違う、陽気でひょうきんな枯山水だった。小さなでっぱりが上にチョコンとついた石が庭の左にあり、反対の右側には、中心がペコンとへこんだ石が置かれていた。つまり、重ねたらピタッとはまる石の間の空間を、全世界に見立てているのだ。
出っ張りのある石は、側の木も天に向かって勢いよく伸びており、遊び心が楽しめる良い石庭だった。

龍源院を周るならこの順番がベストだと思う。
このホッとする庭を最後にとっとかないと、もし始めに見てしまうと、あとは荘厳な枯山水になる一方で、寺を出る時に足元がフラフラになっちゃうから(酸素ボンベが必要なくらい)。


(3)大徳寺・大仙院
なぜ昨日という日を選んで京都へ行ったのか。それは、この大仙院が先代の住職の命日にあたり、通常一般公開していない北棟を解放してくれるからだ。北棟はこの寺の七代目住職で、反骨の坊さんとして有名な“沢庵(たくあん)和尚”が、天下の剣豪宮本武蔵と会った場所で、なんと武蔵は沢庵の目を見ただけで「参りました」と降参したという。そんな部屋に入れたわけだ(ちなみに、漬物のたくあんは彼が創始者)。

普段、海外の国賓が招待されるその部屋は、スダレを通して枯山水が眺望でき、えもいわれぬ清楚で上品な趣があった。壁にダルマ大師の言葉が掛けられていた。
『気は長く、心は丸く、腹は立てず、他人は大きく、己は小さく』
これは政治的交渉相手の国賓に対し、“己を小さく”という言葉であらかじめ先手をとる、したたかな戦術とみた。

話を枯山水に戻そう。
世間一般の通説では、この大仙院の枯山水がキング・オブ・枯山水とされている。
ゆえに、ここへ向かう僕の胸内はいやがうえにも盛り上がり、当初は歩いて向かっていたのに、いつのまにか駆け足になっていた。
胸をはずまして寺に駆け込んだが、入口で固まった。外国人団体客、日本人団体客でごった返し、身動きがとれぬのだ!受付には点滅する電光掲示板があり、拝観の緒注意が次々流れていた。しかも、売店では店員の呼び込みまであったのだ。
さすが日本一の大仙院だなと、やや閉口しつつ入寺した。だがすぐに閉口した口は、あんぐりと開いた。素晴らしい枯山水が待っていたのだ。

庭を見て意表を突かれた。
なんとメインの巨大枯山水に石がひとつもなかったのだ!島のない砂だけの完璧な海だった。な〜んにもない大海原。この意外性はけっこう気に入った。
そして、この“意外性”が数分後さらに輪をかけて再来した。
裏に回って仰天。そこは見渡す限り、石、石、石だった!

こんな劇的な演出が待っていたとは。クーッ、恐れ入ったゾ!
石で創った滝が蓬莱山から流れ出し、山々の間を急流で落ち、最後には始めに見た正面の大海原に到達していた。
滝の周囲は特に素晴らしく、落水の号音がとどろくような荒っぽい造形になっており、目だけでなく、耳までが釘付けになった!こんなものを同じ人類が創ったなんて、信じられんかった。
寺でもらった解説文を読むと「人の一生を表現している」と書かれており、読んだ瞬間、オシッコちびりそうになった(失礼)。


(4)源光庵
大徳寺から北西に30分ほど歩くと、鷹ヶ峰の源光庵にたどり着く。650年前の古寺だ。三十路身体にムチ打ってここまで来たのは、本堂にある『悟りの窓』と『迷いの窓』の2つの窓に接見する為だ。

なるほど、両方の窓が並んだ本堂に入った瞬間、確かにドキッとした。
窓といっても人間ほどの大きさがあり、ガラスなど入っておらず、壁にあいた穴を木枠で囲んだものだった。想像より随分大きかった。
『悟りの窓』は完全なる円形で、これは世界や大宇宙を表わし、『迷いの窓』は正方形で、四角に“生老病死”“四苦八苦”を含ませていた。

『悟りの窓』は窓の周囲に何も物がないため、窓だけが宙にポッカリと浮かんでるようだった。
窓と現世をつなぐ鎖がなく、見つめているうちに、段々遠近感覚がなくなり、自分が今どこで何をしているのか分からなくなり始めた。
つまり“窓酔い”をしたのだ。って、そんな言葉聞いたコトないけど。

窓酔いしたのは、今の僕が悟ることよりも迷うことの方を、自分から求めているからか。実際、僕は四角い窓の方が気持ちが安定した。迷いを求めるのはもちろん、確信犯だ。だって、迷うことは愉快だもの!
円の方は、う〜ん、なんだろう、憧れの象徴かな。どうしても今はあそこに自分の居場所がないと感じ、入って行けない。


(5)龍安寺
次にようやくこの日のメインイベント、真田幸村のお墓がある龍安寺に向かった。この時点で14時半。ここで、どしゃ降りの雨になった。

ヒジョ〜に嫌な予感がした。京都の移動はバスが生命線だ。しかし、どこも細い道ばかりで、道路が渋滞になると、もうお手上げなのだ。
雨ふりは歩行者の傘が邪魔になり、特に渋滞の原因になった。龍安寺の閉門時間は17時。まだ2時間半あったから余裕こいてたら、3度乗り換えたバスのすべてが時間に遅れまくり、あっというまに16時半になった。あと30分。ついに僕は途中でバスを捨てて、タクシーに飛び乗った。

16時40分。
運転手に尋常ではないほど悲愴な顔で事情を話し、間に合わなかったら死ぬかもしれない、と半ば脅迫じみた演出で雨の京都を猛スピードで龍安寺に向かわせた。そして閉門10分前の16時50分、門前にタクシーを猛然と滑り込ませた。タクシーは空気摩擦で車体が赤く発光していた。
いつしか、雨は上がり夕陽が京の町を照らしていた。

龍安寺はお墓の他に、もうひとつ目当てがあった。ここには、何と世界遺産に指定された枯山水があるのだ!閑静な禅寺の中を、僕はひたすら走った。
帰途につく観光客は、汗だくで青スジたて疾走する僕と目を合わせぬようしていた。閉門5分前、枯山水と向き合った。・・・息をのんだ。
15個の石が“ここしか考えられない”という絶妙な場所に、“これ以外にない”という完璧な構図で配置されていた。石は左から5、2、3、2、3のかたまりで並んでいた。

また、特筆したいのが周囲の土壁だ。壁に関して言えば、今日見たすべての傑作枯山水の中で、ここがさらにズバ抜けていた。左右の壁は石庭を観る者が奥行きを感じ取れるように、手前を高くし奥は徐々に低くする遠近法を駆使していた。壁には屋根があるが剥がれた瓦を修復せず、わざとそのままにしていた。
これは、
「見かけの虚飾に惑わされず、ありのままの“素朴”に美を見出すべし」
という、禅思想が実体化したものだ。
壁の色は全体がくすんだ黄土色で、長年の風雨から部分的に薄い緑色に変色
していた。微妙で繊細な色の変化は、それだけで観る者を虜にした。

建築で思想を表現する・・・心底から圧倒された。


こうなってくると、1日の締めくくり方が難しい。僕は今日を完璧な1日にする役目を映画に託すことにした。松竹座の前で立ち止まった
僕が選んだ作品は「アメリカン・ビューティ」。今年のアカデミー賞をゲットした話題作だ。登場人物のほぼ全員が精神的衝突を繰り広げるという、本来ならどん底にヘビーな話なのに、魔法のような脚本で観客はゲラゲラと笑ったり、手に汗握ったりと、さすがはオスカー作品だと思った。
そして同時にハリウッドの大作路線(タイタニックなど)から外れた、こんな地味な人間ドラマにも、ちゃんとスポットライトが当たることに、アメリカという国のふところの深さを感じた。アメリカ人をバカにする時に、その能天気な国民性がよく引き合いに出されるが、この作品を見る限り製作者の良心が見せ掛けでないことは確かだ。

途中で印象的なセリフがあった。
『この世界はあまりにも“美”が溢(あふ)れていて、怒りは長続きしない』
というもの。
そしてもうひとつ、これは劇中で使われたビートルズ・ナンバーだ。
『地球が丸いから僕は感動する・・・だって世界が丸いのだから・・・』
この2つのセリフはパーフェクトに1日を締めくくってくれた!
ひとつめはこの日、瞳に映った全てのものに対して。
ふたつめは源光庵で見た「悟りの窓」と見事につながったことで。


今の僕にとって、書くことは自分が“生存”しているということを世間に伝えるノロシみたいなもの。
いつか死ぬっていうのは、わかっていること。だからこそ、ホームページやメールはゴッホがいうところの“狂気の避雷針”になってくれる。

すごく、助かる。

(P.S.)
長々と書いたレポートだが、始めの龍源院など本文で書いたように、普通に歩けばわずか1分強で一周できる小ささだ。
なのに、そこに小宇宙がある。これを奇跡と言わずして何を奇跡と言おう。京都まで30分で行ける距離に住んでいながら、今日まで30年以上僕はなんてもったいないことをしてたのか〜っ!
文芸研究家というより、近隣に住むものとして不覚じゃったわ!

★寺への行き方
大徳寺へは市バスの205番か206番でOK!あちこちから
バンバン出てます。龍安寺は市バス59番で行けます!

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