現代の聖書!世界遺産!
傑作マンガベスト100
(名セリフ付)
61〜100位


●1〜30位
●31〜60位

●ランキング表

●マンガ家の墓写真館


作品名&作者(敬称略)&コメント
※作品名の後は連載開始年です


61.オルフェウスの窓('75)〜池田理代子
「悲恋に打ち勝てる人間になるまで、あの窓には立たない方が賢明だと私は思うね」(第1巻)

 
ロシア革命を舞台にした大河マンガなんてこれくらいだろう。しかも反政府勢力の細かなグループ分けなど、実に入念に調べ込まれてて、政治思想史としての資料的価値も充分。なんせ話のスケールがでかかった。革命フェチ・池田理代子女史の本領発揮!
 このマンガの主要キャラは元々音楽学校の生徒だったこともあり、彼らの情熱を通してクラシック音楽に目覚めた人も多いのでは?後に自分で聴いたベートーヴェンの『皇帝』(byバックハウス)は本当に素晴らしかった!
 ※高校時代、このマンガのイメージLP(当時CDはなかった)を買った…レジでめちゃ恥ずかしかったけど、レコードは今も宝物。

 

62.スラムダンク('90)〜井上雄彦
「安西先生…バスケが…バスケがしたいです…。」by三井(第8巻)
「あきらめる?あきらめたらそこで試合終了ですよ?」by安西先生(27巻)


 三井のセリフに号泣し、そして安西先生の言葉に勇気づけられた、数百万人のジャンプ読者たち。『スラムダンク』の何がすごいって、連載していた6年の間、ただの1話も中だるみが無かったことだ。ライバルも含めて全キャラが実にイキイキと描かれていた。最終回、前代未聞のセリフなしのクライマックスに、興奮で口から心臓が飛び出そうになった。ページをめくることが、あんなにもったいないと感じたのは初めて。
※作者はバガボンドを描き始め、第2部を連載する気はサラサラなさそうだ。

 

63.ヒストリエ('03)〜岩明均
「だました…だました…今まで…ぼくを…ぼくを…よく…も、よくもぼくを…よくもぼくをォ!!だましたなァ!!よくも今まで!!ずっと今まで!!よくもぼくをォ!!なんであんな…あんなに…。よくもだましたアアアア!!だましてくれたなアアアアア!!ぼくを…!!ずっとぼくを…!!今まで…!!今まで…!!今まで…!今まで…」(第3巻)
「書物から得た知識の多くが、ほったらかしにしておけばいつまでも“他人”なのだが、第三者にわかりやすく紹介してみせる事で、初めて“身内”になってゆく」(同上)
「人はそれぞれ…スッキリしないものをいくつか抱えたまま生きてる…それが普通なんだと思う。心に傷を負ったままでも、楽しく暮らす事はできるさ…」(第5巻)


 2010年文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞に輝いた歴史漫画。連載中。作者は『寄生獣』で知られる岩明均先生で、デビュー前から構想を温めていた作品。主人公はアレキサンダー大王の書記官エウメネス。紀元前4世紀のギリシャなど古代オリエント世界が舞台(話題の『テルマエ・ロマエ』より400年古い)。友人の家で何気なく第1巻を手に取ったところ、第1話からいきなり古代ギリシャの大哲人アリストテレスが登場し、「ぬぁわにー!?この漫画、アリストテレスが出てるぞ!」とテンションがいきなりMAXに。アリストテレスが出てくる漫画などそうあるもんじゃない。しかも友人いわく「6巻からアレキサンダーが活躍し始めるんだぜ」「!?」。漫画によく登場する英雄は、信長やナポレオンなど、中世〜近世の人物が大半。だが、本作で描かれるのは紀元前のアレキサンダー!この新鮮さ、そりゃあヒットする訳だ。全巻一気買い。その価値は十分にあった。

 エウメネスは実在の人物だけど、プルタルコス著の『プルターク英雄伝』には、前半生について「祖国を追われた者」としか記されていない。なぜエウメネスは故郷を追われたのか。岩明先生は「エウメネスは生粋のギリシャ人ではなく、蛮族(バルバロイ)と蔑称で呼ばれていた遊牧騎馬民族スキタイ出身だった」という切り口で、故郷を追われ奴隷身分からマケドニア王の側近にまで這い上がっていく過程を1巻〜5巻までかけて描いた。これがまっこと、手に汗握る展開!エウメネスは非常に頭が切れるうえ剣の達人でもあるんだけど、ひょうひょうとして嫌味な部分がなく、とても感情移入しやすい好人物。特に、ヘロドトスやホメロスの書物をこよなく愛する“文学マニア”である点も、僕の中で加点しまくりだ。自分からは争いを起こさないが、身に降りかかる火の粉はクールに倍返し、ってのもツボ。
 前述したように物語の本筋となるアレクサンダーは6巻まで一向に出て来ない。でも、“いつになったらアレクが出てくるんだ”なんて一度も思わなかった。それくらい波瀾万丈。普段は沈着冷静なエウメネスが第3巻で感情を爆発させるシーンがあり、その部分のセリフを忠実に紹介。「だました…だました…今まで…ぼくを…ぼくを…よく…も、よくもぼくを…よくもぼくをォ!!だましたなァ!!よくも今まで!!ずっと今まで!!よくもぼくをォ!!なんであんな…あんなに…。よくもだましたアアアア!!だましてくれたなアアアアア!!ぼくを…!!ずっとぼくを…!!今まで…!!今まで…!!今まで…!今まで…」。状況説明がなくても、ただ事じゃないのは分かると思う。そんな前半生。
 
 既に十二分に盛り上がっているのに、6巻でさらにアレキサンダーと出会う。この作品はエウメネスを主人公にした時点で成功を約束されたようなもの。史実では、この先ギリシャ征服を皮切りに、南はエジプト、東はインド近辺まで空前の大帝国を築いていくことになる。エウメネスは書記官という文官でありながら、意表を突く作戦で兵を巧みに運用するなど、これからも痛快な戦術で読者にカタルシスを与え続けてくれるだろう。
 アレキサンダーは30代前半で他界するので短い生涯なんだけど、連載が現在のペースで進むと、僕の予想では大王が他界するのが第40巻あたり、そしてエウメネスが没するのが60巻あたり。問題は7年間で6冊という執筆ペース。ゲーテがファウストを60年間かけて完成させたように、岩明先生のライフワークになりそう。僕自身、健康に注意して最終回まで見届けたい!

 

64.ちはやふる('07)〜末次由紀
「生き甲斐は“娘の活躍”のスクラップ!!」(第4巻)
「順位とか最近気にならなくなったんだ」(同上)
「綿谷先生にまた会える。きみのかるたは綿谷先生そっくりだから」(同上)
「泣くな。おれはまだ泣いていいほど懸(か)けていない。“悔しい”だけでいい」(第5巻)
「あの、栗山先生。心の声がだだ漏れです」(第6巻)
「負けることに疲れるんじゃない。期待に応えられないことに疲れていくんだ」(第7巻)
「“ここにいたらいいのに”って思う人は、もう“家族”なんだって。つきあいの長さも深さも関係なく」(第8巻)
「わかってないんだ、あいつ。いま、時間がどれだけ大切か」(第9巻)
「強くなりたい。この一秒を、ただの一秒にしたくない」(同上)
「万全を尽くしたって負けるときは負ける。だからこそ、せめて万全を」(第10巻)
「うんざりするのに、ホッとしてもいた。あいつも自分を諦めない」(同上)
「本当に高いプライドは人を地道にさせる。目線をあげたまま」(第11巻)
「知れば知るほど不思議だわ、競技かるたって…。男女の別なく、体格の別なく、年齢の別なく、知性と体力の別なく、読まれた瞬間に千年まえとつながる。そんな競技いくつもない」(同上)
「おまけマンガさえなくなったら、このマンガ、ホントに恋バナ砂漠じゃん!」(同上)
「わっかてますから、言わないでやってください」(同上)
「し…知ってたけど!かるた強いやつ変人ばっかだよー!!」(第12巻)

 09年マンガ大賞受賞。13年3月現在19巻まで刊行。激ハマリ。めちゃくちゃ良い。百人一首をこよなく愛する高校生の青春が描かれる(彼らを指導する大人たちも百人一首へのLOVE爆発)。高校かるた部という地味めなクラブ活動に、こんなにも胸熱になり引き込まれるとは!登場キャラ全員がいきいきと動き、ライバル校の脇役まで血が通っている。捨てキャラがいず、誰もが必然性があって登場している(皆に見せ場がある)。

試合シーンは個人戦も団体戦(5人対5人)も手に汗握りまくり。ぶっちゃけ、読み始めるまでは「すぐに試合展開がネタ切れになるのでは?」と疑っていた。だって、野球マンガならバント、スクイズなど多彩なバリエーションが攻守にあり、ルールも多様だ。でも百人一首は「上の句を聞いて下の句を取る」、それだけしかない。強者の条件は、「早く取れる」という超シンプルなもの。ところが!作者の末次由紀先生は、全試合を異なる展開にしている!高い聴力の選手、ズバ抜けて高い記憶力の選手、スピード重視型の選手、“歌”の虜になった選手、様々な選手が登場する。ネタバレになるから詳しく書けないけど、“そうくるか!”と小膝を叩くような、精神の駆け引きの描き方が非常に上手い。掲載誌が女性漫画誌ゆえ、“恋愛要素だらけなんじゃ?”という予想はことごとくハズレ、あるキャラをして「このマンガ、恋バナ砂漠じゃん!」と叫ばせるほど、ストイックな戦いが繰り広げられる。主将の真島という、イケメン・長身・金持ちがいて、僕が“即・敵認定”したキャラがいるんだけど、物語が進むごとに彼の優しさ、不器用さ、運のなさ(汗)が積み重なり、最新巻まで読んだ時点で、もう彼が何か良いセリフを言う度に涙腺が決壊しそうに。ヤツを応援せずにはいられない。
ヒロインのライバルの若宮詩暢(しのぶ)という恐ろしくキャラ立ちした選手、ヒョロくんというイジワルに見えて超努力家の選手、ライバル校のデータ集めに奔走している仲間想いの机くん、ルックスはイマイチでも真島より男気がある肉まん君、泣きながら素振りしている千早、出てくる誰もが愛おしいッス。

 

65.ONE PIECE('97)〜尾田栄一郎
「ただ酒をかけられただけだ。怒るほどの事じゃないだろう?」(第1巻)
「いいねぇ、世界一の剣豪!海賊王の仲間なら、それくらいになって貰わないと俺が困る!」(同上)
「おれは同情なら受ける気はねェ!」「同情なんかで命賭けるか!」(第4巻)
「それぞれの野望の炎をたやすことなく 己の道をつき進むことをここに誓え!」(第5巻)
「剣士として最強を目指すと決めた時から、命なんてとうに捨ててる。このおれをバカと呼んでいいのは、それを決めたおれだけだ」(第6巻)
「いやだ!断る!お前が断ることをおれは断る」(第6巻)
「アンだとコラ、恋はいつもハリケーンなんだよ!!」(第9巻)

「ルフィ…助けて…」「当たり前だ!!」(第9巻)
「おれは剣が使えねェんだ!航海術も持ってねぇし!料理も作れねェし!ウソもつけねェ!おれは助けてもらわねェと生きていけねェ自信がある!!」(第10巻)
「うちの航海士を泣かすなよ!」(同上)
「(ルフィに)もし死んだら殺してやる…」byゾロ(同上)
「(処刑台で)ゾロ!サンジ!ウソップ!ナミ!わりい、おれ死んだ」「なははは、やっぱ生きてた。もうけっ」(第11巻)
「よかった…病人はいねぇのか…」(第16巻)
「人はいつ死ぬと思う…?(略)…人に忘れられたときさ…!!!」(同上)
「男にゃあ!どうしても戦いを避けちゃならねェ時がある!仲間の夢を笑われた時だ!」(第20巻)

「人は心だろうが!」(第21巻)
「いいかお前ら…物事をマイナスに考える事において…この俺を越えられると思うなァ!!(バァーン!)」(07年32号)
「この世にゃァ、心の優しい人間達はいっぱいいるんだ!そんな事はわかってる!なのに…死んで消えゆく者達が!恨みだけこの世に残すなんて滑稽だろう!」(第623話)2011年22号


 このマンガほど男性キャラがよく号泣する作品はあまりなかろう。男泣きにつぐ男泣きだ。しかも、彼らはメソメソ泣かない。鼻水を垂らし、ヨダレを垂らし、滝のように涙を流す。友情があらゆる価値に優先する、少年マンガの王道マンガだ!
 第24巻は初版発行部数がマンガ史上最高の252万部を記録し、その後も部数は増えている。押しも押されぬジャンプの看板作品となった。

 61巻から始まる“魚人島編”は、直前のエピソードが壮大な頂上決戦であった為に地味な印象がある。だが、個人的には“よくぞ描いてくれた”という内容だった。
 “魚人島編”は人間と共存する道を模索する魚人グループと、人間を皆殺しにすべしという魚人グループとの対立がメイン。ルフィたちは共存派に加勢しているけど、武闘派(反人間派)がここまで人間を恨む背景には、人間が魚人を差別してきた歴史がある。共存派は「人間すべてが悪ではなく、ルフィたちのような理解者もいるから、そこに賭けよう。時間がかかっても、人間が差別や偏見を捨てる日を信じて頑張ろう」と考えている。それゆえ共存派は懸命に武闘派を説得するが、人間への憎しみに囚われた武闘派は、同じ魚人である共存派に対して“人間に尻尾を振る裏切り者”と皆殺しにすべく攻撃してきた。武闘派リーダーは吠える「おれ達は選ばれた!!復讐という『正義』を受け継ぐ為に!!!悪しき下等種族(人間)よ!!!この報復におれ達は命を捧げる!!!」。この言葉に対して、かつて共存派の指導者(母親)を武闘派に暗殺されたフカボシ王子が叫ぶ。

「疎通を失った“魚人街”(武闘派の拠点)はまるで切り離された魚人島の暗黒の感情。我々は…海底深い無法の溝(みぞ)に蓄積し続けた、いびつな“怨念”に見て見ぬフリをし!!表面ばかりを整えて前進した気になっていた!!こいつらこそが!!母上が最も恐れていた存在!!!我らはまず…“内側”と戦うべきだった!!母は魚人島の“怨念”に取り殺されたのだ!!!(略)私は心のどこかでまんまと人間を恨んでいた。死者の無念は死者のもの。“怨念”は生きる者が勝手に生み出し増幅させる幻!!!わずかに人間を恨んだせいで見落としていた魚人街の怨念は…気づけば我らでは手に負えぬ程強大な力になっていた!!!このままじゃあ!!魚人島は“人間を恨む心”で我が身を滅ぼす!!!麦わら…頼む!!!過去などいらない!!!ゼロにしてくれ!!!」

 僕はこのやり取りに、大型掲示板などネットに溢れる他民族への憎悪発言のことを思った。ネットでは近隣の国民に対して、信じ難いほどの憎しみ・軽蔑を込めた言葉を書き続けている人がいる。ワンピースでは、共存派であるフカボシ王子は、自身にも心の隅に人間へのわだかまりがあったため、“わずかに人間を恨んだせいで”、憎しみを果てしなく増大させていた仲間の心を“見落としていた”と慟哭している。
僕はいわゆる共存派であるけれど、領土問題(竹島・尖閣)その他のこともあり、心の一部に近隣国にわだかまりがある。かつてのドイツでも、不況で街中に失業者が溢れている時に、金融を支配する一部のユダヤ人に対して、“面白くない”と感じる部分があった為に、国民はナチスの抱く巨大な負の感情を見抜けずに政権を与えてしまった。フカボシ王子の自戒の絶叫は、暴走するまで憎悪を放置させておくことへの渾身の警句。リベラル派はネット界の極端な右傾化という現状から目を背け、「いびつな“怨念”に見て見ぬフリをし!!表面ばかりを整えて前進した気になっていた!!」と後悔することのないよう、よく目を開き、耳を澄ませていかなくちゃいけない。
 そしてこれは国内に限ったことじゃない。中国の「憤青(ふんせい)」、韓国の「愛国ネチズン」と呼ばれる保守青年たちは日本の若者以上に過激な者も少なくない。ワンピースは中韓でも非常に高い人気を誇るマンガであり、このフカボシ王子のメッセージは多くの外国人読者が目に触れるだろう。是非そこから憎悪という闇を飼い育てる危険性を汲み取ってもらいたい。
 尾田栄一郎先生が「退屈」と批判が多い魚人島編を長編にしたのは、このフカボシ王子の5ページわたる嗚咽を描きたかったからではないかと、勝手に考えている。僕の中では屈指の名編となった。コミックス第64巻は初版発行部数が400万部に達し日本記録を更新した。この大記録を打ち立てた作家が、「内側の怨念とまず戦うべきだった」「恨む心が我が身を滅ぼす」と伝えてくれる人で本当に良かった。

「(シャンクスに対し)どんな敵にくれてやったんだ。その左腕…」「“新しい時代”に懸けて来た…」「…くいがねェなら結構だ」

 

66.原発幻魔大戦('11)〜いましろたかし
「バカ菅!浜岡(の停止)は誉めてやる!」(第1巻)
「野田首相!私はあなたを“恥”だと思ってます!」(第2巻)
「そんなアホな…何?クソバカ サンケイのとばし記事の可能性が大?」(同上)
「肉屋を応援するブタ」

漫画誌・コミックビーム。
表紙を3Dメガネで見ると
官邸前デモが立体で迫った
「バカ菅!浜岡(の停止)
は誉めてやる!」
単行本第1巻から
仮にも全国紙の新聞のことを
「クソバカ」と書いて、この言葉が
編集部で訂正されない。天晴れ

 いま最も“とんがって”いる漫画誌・コミックビーム。2012年9月号の表紙は、いましろたかし先生の『原発幻魔大戦』の主人公が、官邸前金曜デモ(脱原発デモ)に参加している場面が描かれていた!しかも、3Dメガネで見ると官邸前デモが立体で迫る。世の中にマンガ雑誌は数あれど、表紙にガチで「原発はいらない!」と載せているのはコミックビームくらいだろう。まさに無双状態!
 “クソバカサンケイ”という言葉はキツイ表現だけど、そう言わせる根拠は多々ある。中でも7月21日の産経抄。坂本龍一さんが「たかが電気」と発言した言葉尻を捉えて猛烈にディスりまくってるんだけど、スピーチの前後を聞けば“電気は不要”と言ってるのではなく、いくらでも発電方法があるなかでの“たかが原発の電気”と言っていることがすぐに分かる。産経は「たかが電気」という一部分だけを悪意で抜粋して叩いている(スピーチ全文)。もっと腹が立ったのは、官邸前デモの参加者をバカにした文章。「昨日の首相官邸周辺でのデモには鳩山由紀夫元首相も参加した。原発への恐怖心を利用して騒ぎを大きくしようと画策する左翼団体や金持ち文化人、それに選挙目当ての政治屋どもに踊らされていることに参加者はそろそろ気付かれた方がいい」。“原発は安全”と嘘のキャンペーンを張って国民を踊らせてきたサンケイが、どの口でそう言うのか。10万人がみんな“騙されているアホ”みたいなことを、よく新聞が書くわ。

 

67.銀の三角('80)〜萩尾望都
『この銀河系は2億5千万年の周期をもって一巡し、それを1宇宙年という。数えると、この銀河の年齢は生誕よりまだ50から60宇宙年の若さに過ぎない』

「2人だけで話したいのだが。亡くなった人の魂のために」


 プロのSF作家たちの間で、この作品をSFマンガ史上の最高傑作に挙げる人がかなり多い。時間と空間を縦横無尽に駆け巡るこの物語は、一度読んだだけではチンプンカンプンで、二度目から頭にセリフが入ってくる。萩尾望都の絵はどこまでも美しく、マンガというより「セリフ付き画集」だね(その極致がミューパント!)。

※2012年5月、尊敬する漫画家・萩尾望都先生が紫綬褒章を受章することに!先生の談話で作家ヘッセにについてこう語られていた→「ヘッセを読んで夢中になったのは、日常的に悩み事とか色々あるんですけどそういうものを相談したり、共感してもらう場所がほとんどないという、そういう時にヘッセを読んでここにも悩んでいる人がいるんだなと思って、それですごく救われたような感じがした」。わかる!僕も様々な悩みを抱えていたときにヘッセを読み、“一人じゃなかった”と救われた気がした。さらに言うなら、ヘッセ作品だけじゃなく、萩尾先生の作品でも同じ感覚に包まれた。『銀の三角』『ポーの一族』『トーマの心臓』『スターレッド』、タイトルを聞いただけで、読んだ当時にまで時間が巻き戻され、心理状態がリアルに思い出される。
/萩尾先生はインタビューで「漫画というジャンルの魅力はなんでしょう?」という質問にこう回答されている→「絵と言葉です。ストーリーがあってストーリーを絵で表現するんですけど、その表現のためにカット割りをしますよね。カット割りが絶妙な感じで展開しますと、読み手の気持ちを本当にとことん揺さぶることができるんです。いい映画とか、いい音楽を聴いて感動するような。ものすごく深いところまで突き刺さっていくような揺さぶり方をすることができます。自分も揺さぶられましたし、おなじ揺さぶりを描いて、誰かに返したいなという感じがします」。萩尾先生、受章おめでとうございます!(インタビュー全文


 

68.2001夜物語('84)〜星野之宣(ゆきのぶ)

『俺は沈んでいく…深い蒼い海の底へ…生命の群れがきらめく、豊かな海の底へ…』(第1巻)

 
作者の豊かな天文科学知識に裏付けされたド感動SFマンガ。宇宙空間という無機質で冷たい世界を舞台に描かれる、超ヒューマンで心温まるストーリー。ロボットの言動に涙腺をウルウル刺激される。汝、壮大なスペース・オペラに驚嘆せよ!!

 

69.T・E・ロレンス('84)〜神坂智子

「ここは彼等(アラブ人)の地…どうか進んでいま片方の頬を彼等に向けてもらいたい。であれば、我々の上にもアッラーの恵みがあることだろう」(英国兵に対するロレンスの演説)(第5巻)
「自分の言葉がわかる相手に浸透していくのを感じるのはとても心地良いものだ」(第2巻)


 
青い眼のアラブ人、通称アラビアのロレンス。当作品はマンガという表現形態を通じ、かつてこの世に実在した一人の男を、見事に現代へ甦らせた。作者の史実研究への熱心さは歴史学者も驚くほどで、それだけでも称賛に値する。英国本国に裏切られ、白い肌のためアラブにも完全に同化できない彼の苦悩が、読み手にひしひしと伝わってきた。
 それにしても、バナナ・フィッシュや日出処の天子、このロレンスを読んできた女の子って、すっかり同性愛に対して免疫がついてると思う。どの作品でも同性愛が何の違和感もなくサラリと描かれているので、自分も何だか頭がヒートして「これって全然普通じゃん」って思ってしまった。絶対、男性より女性の方がこの件に関しては「進歩的」だと断言したい。

 

70.サンクチュアリ('90)〜池上遼一
「力の前に尾を振るのは簡単だ…だがな、それは生きてるんじゃねぇ…生かされているんだよ!!」(第6巻)

 
重厚な人間ドラマだった。“日本を変える”という野望のもとに、政界で日本のトップを狙う国会議員浅見と、極道として裏社会のトップを狙う北条という2人の男の友情を描く。両者が属している光と影の世界が、徐々に混じり合って行くストーリー展開の上手さは圧巻の一言。政界の腐敗ぶりが生々しい。けっして極道を美化するのではなく、運命の歯車に翻弄される一本気な男たちの生き様を、ギリシャ悲劇もかくあらんといった筆致で描ききっていた。野人、渡海の涙に男泣きした読者も多いハズ。

 

71.シャカリキ!('92)曽田正人(まさひと)
「ヨーロッパの選手が速いのは上手いからじゃない。レースが楽しいからじゃないんでしょーかっ!!」(第5巻)
「坂で一番のヤツが一番やっ!!」(同上)
「オレ、人間同士って互いの持つ何かを認め合った時、そこで初めて何らかの”関係”が生まれると思うんだよナ。好意にしろ憎しみにしろ…さ」(第6巻)
「何いうてん…今までが…休憩やあ!生き返ったで!」(同上)
「自転車にバックギヤはない。前進し続けるしかねーんだ!!!」(第15巻)
「この乗り物がなけりゃ生きてみたいとも思わない!!」(第16巻)


 
自転車競技(ロードレース)を描いた力作。全18巻。作中の「自転車にバックギヤはない。前進し続けるしかねーんだ!!!」は座右の銘にしたいほどの名言。この作品を読んで“自転車乗り”になった人も多いと聞く。僕もツール・ド・フランスをチェックするようになった。臨場感のあるレース場面に風を感じ、雨天の日は顔に当たる雨粒を感じ、ゴール後は自分まで全身が筋肉痛になっている気がした。
 
 個人的にスポーツ漫画における名作の条件は次の3点と考えている。
(1)勝利に至るまでの主人公の努力が丁寧に描かれていること。
(2)勝因にラッキーが含まれても良いけど、あくまでも努力>幸運。
(3)試合やレースで敗れていった者の胸中がキッチリ描かれていること。勝者の栄光より、敗者の挫折を描く方が難しい。しかも人生では挫折の方が圧倒的に多い。
『シャカリキ!』はこれら3点を完璧に抑えていた。特に、最重要である(3)がしっかり描かれていた。勝利の美酒を味わった選手が、その達成感から自転車に乗り続けるのは説明がなくても分かる。しかし、僕にとって興味があるのは、負けても負けても、自転車レースへの情熱を失わない選手の心理。“天才”を前に完敗した選手が、それでも挑戦する気持ちを抱き続ける姿にこそ、凡人の僕は感動してしまう。どんなにレースが苦しくても「この乗り物がなけりゃ生きてみたいとも思わない!!」という選手たちにグッと来る。
 当漫画を読むまで知らなかったんだけど、自転車レースには仲間を勝たせるためにレースに参加している選手がいる。「風除け」となってサポートしたり、相手チームのペースを攪乱するためにスパートをかけたりする完全に裏方の要員だ。そういうサポート選手にもしっかり光を当てていた。“彼の努力が報われて欲しい!”とエールにも力が入る。

 長い登り坂コースで懸命にペダルを踏んでいた選手たちが、1人、また1人と脱落し、自転車から降りていくレース終盤は、リタイヤした選手の無念さが分かるだけに、その場に駆けていって健闘を讃えたくなる。
 主人公のテルは、自転車で坂道を登るのが三度の飯より好きな「坂バカ」。彼は登り坂が長ければ長いほど目が輝く。“こんなに登ったのに、やっとこさ半分。また同じだけこの坂を楽しめる!”と考えてしまう人物。曽田先生はそんな彼をこよなく愛し、「坂バカ」と書いて「クライマー」と読ませていた。登っている姿は、鼻水を垂れ、舌を出し、汗まみれで美しいとは言えない。それなのにカッコイイ。ヘロヘロになっているテルが、リタイヤするどころか、「今までが…休憩やあ!生き返ったで!」と再加速するシーンとかめっさ熱い。鳩村先輩、ユタ、ハリス、監督、自転車屋の親父さん、気持ちの良いキャラが多かった。
 この漫画を読破したのは、京都のネットカフェ。泊まりがけで墓巡礼をしている時だった。京都は一方通行や細道が多いゆえ移動はレンタサイクルがメイン。市街地の端っこは坂道が多く、夏は猛暑だし、道を間違えることが続くと心が折れそうになる。でも、『シャカリキ!』のテルのお陰で、眼前に登り坂が見えた時、それまで「ゲゲッ!」と思っていたのが、「俺の大好物だーッ!頂きます!」と登り始めることが出来るようになった。心の持ちようで肉体への負担は劇的に軽くなる。もっと早く読んでおけば良かった!

 

72.沈黙の艦隊('88)〜かわぐちかいじ
「人類の名においてのみ“われわれ”という言葉は存在します!」(海江田、国連演説で)(大望総集編第31巻)

 
核廃絶を目指して立ち上がった原子力潜水艦艦長とその部下たちが、世界市民の世論を動かしていくハイテンション政治ドラマだ。領土を原潜とし、独立国家を宣言した艦長海江田は言う「核を持つ我が国が世界各国と同盟を結べば、相手国は核武装の必要はなくなる。その国は、けっして他国から侵略されることはないからだ。深海に潜み、どこにいるか分からない同盟国(我が国)の報復を恐れて、どの国も相手国を攻撃不可能になるのだ」。彼らを核テロリストとみなした米国は、大艦隊を差し向ける。天才的戦術を駆使して、たった一隻で迎え撃つ主人公たち。全編クライマックスの連続。毎回毎回が、「こうくるかッ!」と舌を巻くほど素晴らしかった。「世界は私に似ている」はこの作品を代表する名セリフだ。
 ※深海に鳴り響くモーツァルトに全身総毛立った!

 

73.夕凪の街 桜の国('04)〜こうの史代
「分かっているのは“死ねばいい”と誰かに思われたということ。思われたのに生き延びているということ」

 ヒロシマの悲劇を描き、文化庁メディア芸術祭大賞&手塚治虫文化賞に輝いた短編。従来の原爆をテーマにしたものとは切り口が異なり、投下時の惨状を緻密に描写するのではなく、終戦から10年後(『夕凪の街』)、50年後(『桜の国』)の被爆者の日常を描いた作品だ。淡々と優しい絵柄で描写しながら、たった一発の爆弾がとてつもなく多くの人間の人生を狂わせた事を浮き彫りにしている。
 特に胸を揺さぶられたのが『夕凪の街』。被曝から10年が経ち、広島の街並みや生活は徐々に復興していくけど、心の傷は簡単には癒えない。主人公の女性は腕の大きな火傷のあとを見ながら呟く「この街の人は不自然だ。誰も“あの事”を言わない。いまだに訳が分からないのだ。分かっているのは“死ねばいい”と誰かに思われたということ。思われたのに生き延びているということ」。“分かっているのは死ねばいいと誰かに思われたこと”--この短いセリフは衝撃的だった。今まで原爆の威力の恐ろしさ、大空襲の焼夷弾の非人道性を聞いた時に、爆弾の性能に戦慄を覚えながらも、さらに巨大な恐怖の存在を漠然と感じていた。それはこのことだったんだ。真に恐ろしいのは武器そのものより、それを使用する“死ねばいい”の感情。それをたった30ページでハッキリと教えてくれた。物語の後半、主人公はボロボロの内臓で黒い血を吐きつつこう思う--「10年経ったけど、原爆を落とした人は私を見て、“やった!また一人殺せた”とちゃんと思うてくれとる?」。ぜひ、原作の御一読をお薦めします。





『夕凪の街 桜の国』

原作の表紙。
こんなに優しい絵柄

74.エースをねらえ!('73)〜山本鈴美香
「どの人生も終わるさ。夢のようだ。が、この27年が人の80年に劣るとは思わない。岡をたのむ。」(宗方から藤堂へ)(第10巻)

 この熱血テニスマンガを読んだ時、自分の視線は主役の岡ひろみやお蝶夫人ではなく、トラウマを背負った宗方、恋愛敗残兵千葉氏、気配り男・藤堂へ注がれた。このマンガの漢どもは、同性でも男ボレしてしまうほど、超ド級ナイスガイだ。鬼畜だと思っていた宗方コーチが、精神ボロボロの岡に電話で「俺はいつもお前のことを考えている」と語るシーンは、嗚咽なしには読めない。“見守るだけの愛”以外に選択肢がないという辛い恋を受け入れる千葉、岡が挫折する度にさりげなく助言をしてくれる藤堂。つくづく、ええマンガじゃ。

「見つめるだけ、ただ惚れてるだけ、それで良い。これが俺の青春」〜千葉

 

75.同棲時代('72)〜上村一夫
『愛がいつも涙で終わるのは、愛がもともと涙の棲家だからだ。』

 ドロドロ。ただもう、ドロドロ恋愛。OLの今日子と無名のイラストレーター・次郎が主人公。竹久夢二調の絵柄で、昭和の浮世絵師といわれた上村一夫の代表作(45才で亡くなった)。
※上村一夫への追悼コメント…
「上村一夫が死んで“絵師”という言葉は死語になる。この人のあとにどんな画人が現れても、絵師という呼び名はもう似合わない。女の眉ひとすじ描くのに骨身を削る絵描きなどもう流行るまい」(久世光彦)作家
「天才らしく、一年に二つずつ年齢をかぞえて、90才の人生を送ったのだ」(阿久悠)作詞家・作家

 

76.ヒカルの碁('99)〜ほったゆみ&小畑健
「神の一手を見たとさえ思ったのに!」(第4巻)

 「少年マンガで碁!?」連載開始時に多くの読者はこう驚いた。派手な格闘モノや冒険モノが人気を集めている少年誌で、将棋よりさらに地味な“囲碁”マンガの登場に、僕は面食らった。将棋ならルールの説明はいらないし、駒に様々な種類があるうえ、成金などささやかなアクションもある。碁は子供たちに馴染みがないし、白と黒の石を置くだけ。正直、すぐにネタギレになり、早晩打ち切りになるだろうと予測していた。だからこそ、物珍しさに読み始めた。…そしてアッという間にハマッた。めちゃくちゃ囲碁って面白いじゃん!!思わず囲碁セットを買ってしまった。今や囲碁人気は社会現象となりつつある。ここまで大ヒットするなんて、きっと作者本人が一番驚いてるんじゃないかな(アニメ化されちゃうし!)。最終回まで質の高い脚本が続いた。

 

77.攻殻機動隊('91)〜士郎正宗
・「彼ら(平和運動家達)は暴力を嫌っとる…その点は我々と同じだ」「偽善よ。消費優先の生活こそが貧困国に対する暴力だわ」
・「よし!桜の24時間監視は中止!」

 ネットが極限まで普及し、究極的に情報化された近未来社会を舞台にした、犯罪捜査官たちの人間ドラマ。この作品は何がすごいかといって、著者が頭の中に持っている膨大なサイバー情報だ。作中で描かれたリアルな未来像は、今この作品が発表されても話題になるに違いない。これが約15年前(91年)に描き上げられていたとは、驚嘆するほかない!(映画マトリックスの元ネタになったのは有名)

 

78.よつばと!('03)〜あずまきよひこ
「(迷子になって)こいわいよつばです!こいわいよつばです!」(第3巻)
「て、てきか!?」(同上)
「たまごとってきたー!こどもようもあったからもってきた」「子供用?ああ、うずらか。こども用…」(第4巻)
「もうしつれんおわったー?」「…そうね、終わりにしなくちゃいけないよね」「うん、もうやめとけ?な?」「わかった…私、前を向いて歩いていく」(同上)
「(あずき、バニラ、チョコのアイスを前に)よし、じゃあとーちゃんが全部食べて、一番おいしかったのをよつばにやろう」「おとなは!!まったく、おとなは!!」(同上)
「(長靴でざっぷざっぷ)とーちゃん!これはなかなかいいみずたまりだ!いいのと悪いのがありますか」「ある。よつばくらいになるとわかる」「ほーそりゃすごい。あれは?」「(ばしゃ)…だめだめー、こんなのでよろこんでたらしろうと!」(第5巻)
「海行くかー」(同上)
「よつばちょっといまイライラしたなー!そーなったら、ここのねこをつかう!…いやされた〜」(第6巻)
「どこでもいける!どこまででもいけるー!」(同上)
「(牧場で牛を見て)このなかにぎゅうにゅうがはいってる!だれがつくったの!?だれがいれたの!?」「牛が自分で作って自分でためてるの」「うしが…(ぱちぱちぱち)みんなも!みんなもうしをほめて!」(第7巻)
「そと!おみせ!?おしょくじ!?こらー!!」(第8巻)
「おおいそぎでおねがいします。おなかペコペコなので」(同上)
「パン?」(同上)
「あはははは!うわーっ!!あー、あー!?あかないー!?あれー!?あけろー!!」(同上)

「よつばがちいさいから!よつばがちいさいから、まもれなかった!」(同上)
「よーいやさー!!よーいやさー!!おかし!おー!おかし!おー!」(同上)
「これはおこられることですか?よつばはいまからおこられますか?」(第12巻)
「てがあおいときくらいあるでしょ!!」(同上)
「ひとつだけ消さないで残しとこう」「なんで?」「んーなんか記念だ」「きねんかー」(同上)
「きょうはなにしてあそぶ?」(同上)


 
 読む前は主人公の“よつば”が5歳の女の子なので、あまりに自分と接点がなさ過ぎ、“感情移入できるハズがない”と思ってたけど、これは大きな誤解だった!物語は、ある町に島育ちの“よつば”が“とーちゃん”と共に引っ越してくるところから始まる。町には“たいやき”“電車”など初めて見るものがいっぱい。1巻のオビは「いつでも今日が、いちばん楽しい日」 。読者は“よつば”と一緒に、初めて自転車に乗ったり、動物園、海に行くなど、毎回新しい体験を重ねていく。これらの日々は、細部まで丁寧に描写されていて、基本的に1話が1日。5巻までかけてようやく“ひと夏”が終わった。

 横里隆氏いわく「私たちはこの作品を通して、よつばと一緒に世界と出合い直す体験をしている」。まさに、この“出合い直す”という部分が作品最大の魅力だろう。各話ごとに子供時代の記憶を掘り起こされ、冒険というのは何も海外のジャングルや古代遺跡に行くことではなく、日常生活の中にもたくさん冒険があることを再発見。頁をめくる度に遠い昔の新鮮な感覚が甦った。よつばは5歳だから、毎日少しずつ出来ることが増えていく。これはある意味ゲーム(RPG)の主人公のよう。6巻で自転車(補助輪付き)を初めて買って貰った時の「どこでもいける!どこまででもいけるー!」の叫びはすごく開放感があった。同巻のオビ『今日も世界はひろがっていく。』は作品全体を象徴する傑作コピーだね。12巻のオビ「目の前には実物大の世界地図」もグッド。

 季節感の描写が巧みな本作品の中でも、最も豊かな詩情を感じるのが5巻のエピソード『よつばとはれ』。クラゲ出るし忙しくて海に行かないと言ってたとーちゃんが、ツクツクボウシの声が響く大気に夏の終わりを感じて「海行くかー」と思い直す場面は屈指の名シーン。僕はこのマンガを読んでると、トム・ハンクスの映画『キャスト・アウェイ』に出てきた「世界一美しいものは、その世界自身だ」を何度も思い出す。よつばがこれからどんなことを体験して行くのか、めっさ楽しみデス。

各巻ごとのマイ・ベストエピソード※4、5巻は絞りきれず複数あり
1巻『よつばとひっこし』…最初からツカミOK。風香を悪人と思ってビビるよつばの狼狽ぶりに爆笑。
2巻『よつばとケーキ』…あさぎにイチゴを盗られた時のよつばの顔!時間が凍るとはあのこと。「ひゅ〜、ちゃくりく〜」と思わず戻したあさぎの気持がわかる(笑)。
3巻『よつばと花火大会!』…迷子になって「こいわいよつばです!こいわいよつばです!」と叫ぶくだりが可愛い。あと、前話に出てきた“恵那の肩たたき券”にジ〜ン。恵那はほんと良い子だね。
4巻『よつばとつくつくぼうし』…「つくつくぼうしの正体はセミ」と懸命に報告するよつばに、とーちゃんが「うっそだぁー、ほんとかー?」と返すオチになごみまくり。『よつばとばんごはん』のうずらやプチトマトが“子供用”っていう表現もいいね。また『よつばとせいしゅん』の「もうしつれんおわったー?」「…そうね、終わりにしなくちゃいけないよね」も人生を進ませる良い会話だし、『よつばと勝負』の「おとなは!!まったく、おとなは!!」は大人として“ごめんごめん”と笑ってしまった。
5巻『よつばとあめ』…『よつばと!』全編を通して、ストーリーの進行とは関係のないちょっとしたセリフに、作品世界のリアルさを感じることが多い。僕が最もグッときた“何気ない台詞”は、雨の中を2人で歩いてて、セミの話をしてる最中にとーちゃんが「カサふらふらするな、ちゃんとさせ」と注意するところ。カサの話はこのコマだけで、次コマはまた普通に話が進む。すっごい自然な“間”に感服した。『よつばとはれ』の不気味なてるてる坊主に噴いた。
6巻『よつばとはいたつ』…自転車で風香の高校へ行く、よつば最大の冒険!あと、『よつばとリサイクル』でぬいぐるみのネコに“癒しを求める5歳児”という状況が笑えた。
7巻『よつばとぼくじょう』…自分は普段何も考えずに牛乳を飲んでいたけど、よつばが「みんなもうしをほめて!」と感動して拍手している姿を見て、“確かにスゴイ”と生命自体に感動した。
12巻『よつばとヘルメット』…青いペンキを踏んだよつばのせいで、家の中が足跡だらけになった後、とーちゃんが全部ふき掃除せずに、1個だけ足跡を残したシーンにウルウル。失敗やイタズラも記念になる。

※06年の文化庁メディア芸術祭マンガ部門で優秀賞に輝く。
※『よつばと!』に出てくる叫び声は、その多くが古典的な叫び声「ギャーッ」。これこそ王道の絶叫だね。
※キャラはデフォルメだけど背景は細かい
※“テレビのへや”という例え方が個人的に懐かしかった。
※まさかの“ダンボー人形”商品化。目が光るし、みうらちゃん付き(笑)。

 

79.アストロ球団('72)〜中島徳博&遠崎史朗
「あ…あのタマは!!殺人L字ボール!!」(第4巻)

 
センターを守る選手が、ボールをキャッチして吹っ飛んで、電光掲示板に突っ込んで感電死…野球マンガのみに限らず、スポーツマンガ全体を見渡しても、試合を通してこんなに屍が山積みになるマンガはない。ヒョエ〜!

 

80.すごいよ!マサルさん('96)〜うすた京介
「(殴られて)ゲフゥ…やるじゃないか。お前のパンチを食らって倒れなかったのは…オレが初めてだぜ!!」(第1巻)

「ウオンチュッ!」(おそらく全巻)

 ギャグマンガは次ページの展開が読めぬのが普通。だが、この作品では次のコマすら読めなかった。日本のギャグ・マンガ史は「マサル前マサル後」に分かれると言っても、過言ではあるまい!チェーホフの戯曲に通じる独特の“間”に唸った。

 

81.ムウ('76)〜手塚治虫
「俺はあと何年も命が持たないのだ。だから俺が死ぬ日に人間の歴史も終わらせる」

 
戦後、沖縄の某島で、駐留米軍の秘密毒ガス兵器によって、ほぼ全島民が死亡した--これはマンガの中の話だけど、本作はその地獄をかろうじて生き残った男の、世界に対する復讐劇だ。サブ・ストーリーとして同性愛者の神父の苦悩も描かれている。手塚マンガでは1、2を争うハード・ボイルド作品だ。マンガのオビがやたらカッコいいので下に書いておく。

『業を背負った神父の選択。純粋なる“悪”こそ美しい…。』

 

82.子連れ狼('70)〜小島剛夕(ごうせき)&小池一夫
「刺客……子連れ狼、見参!」(第1巻)

 人生の悲哀を感じさせる味わい深いストーリーと、圧倒的な画力でみせる凄惨な斬りあいに、読み手は涙ぐんだりハラハラしたり、もう大変。昨今の少年マンガによくある“敵のボスが逃げて次回へ続く”なんてことが、ここではない。瞬殺なのだ。

 

83.pink('89)〜岡崎京子
・『ヒトを好きになるのってやっかいなことを引き受けることだ。必ず苦しみがグリコのオマケのよーに付いてくるもんな』
・『買ってきた農協100%りんごジュースを、ユミちゃんはひとくちしか飲まなかった。地獄だ』

・『この世の中では何でも起こりうる。どんなひどいことも、どんな美しいことも』

 
ま、まさか、こんなラストが用意されていたとは…!あっちの描写がストレートだったのもビックリしたし、いろんな意味でそれまでの少女マンガの枠を突き抜けた感じがした。この作品で岡崎京子がブレイクしたのも納得。

 

84.ギャラリーフェイク('90)〜細野不二彦
「どうやらこの雪舟、既に1枚、相剥(あいはぎ)本を取られているんでさ。つまり先約アリってやつで」(第2巻)

 主人公は古今東西の美術品に対して天才的な審美眼を持っており、ウンチクを読んでるだけでも随分知的好奇心が満たされる。さらにこの作品が輪をかけて素晴らしいのは、主役が根っからのヒューマニストであることだ。うーむ、良いマンガだ。

 

85.人造人間キカイダー('72)〜石ノ森章太郎
『ピノキオは人間になりました。メデタシメデタシ。…だが、ピノキオは人間になって本当に幸せになれたのだろうか…?』

 ロボットのキカイダーには『良心回路』(すごいネーミング)が組み込まれており、けっして悪を行なうことは出来ない。しかし『服従回路(イエッサー)』を敵に取り付けられ、キカイダーは善も悪も行なえるようになってしまう…。しかしこれこそが、より人間の存在に近づいた状態なのだ!人間は「善も悪も行える」けど、悪の誘惑に打ち勝って善を選択している(それは時にとても苦しいもの)。これを踏まえた上で、もう一度上にあげたセリフを読めば、これがどれだけ重いものか伝わるだろう。
 主人公のジローは呟く「俺はこれで人間と同じになった…!だが、それと引き換えに俺は…これから永久に“悪”と“良心”の心の戦いに苦しめられるだろう」と。

 

86.バビル2世('71)〜横山光輝
「地球を支配したいと思ったが、地球を滅ぼそうという気はない。だからこれ以上(基地を)破壊せず、おとなしくひきあげてくれ」(ヨミ、バビル2世に)

 
世界征服を目論み、バベルの塔にある超高度科学技術を狙うヨミと、それを阻止せんと立ちはだかるバビル2世。敵のヨミがすごく部下思いだったから、連中を殺しまくるバビル2世がときどき悪魔に思えた。ポセイドンのデザインが好き。ロプロスの最後は劇的だった。

   

 

87.スター・レッド('78)〜萩尾望都
「あの人はずっと一人でいるのよ。あの死んでしまった星で、ずっとたった一人でいるのよ。わたしを捜しているうちはまだいい…。そのうち帰らないと気づく。それからを見たくない、見たくない!」
「いいや、見るんだ。だとしても、知らなければならない」


「ではエルグは…死なないあの男は、ずっとあの星にいるのか。一人で、世の終わりまで忘れられて」

『君を独り占めし、数千年の孤独を全て埋めたかった』(以上単行本第3巻から)


 
ピックアップしたセリフはネタバレ的要素が入ってしまったが、どうか許して欲しい。だって、このセリフ、すっごく気になるだろう?一体どんな悲劇がエルグを襲ったのか知りたくなるだろう?さあ、読んでくれたまえ!それが僕の狙いッス!!

 

88.進撃の巨人('09)諫山創(いさやま・はじめ)
“オレ達の戦いはこれからだ!!! ご愛読ありがとうございました”(第2巻)
“怒涛の料理バトル編突入!!「こ、このスープは!?」「しまった!!もう玉ねぎしかない!!」「チクショー金持ちめ!!肉食わせろ!!」「こうなったら…盗むしかない…!!」限られた土地の限られた食材で、いかにして肉料理(高カロリー)に立ち向かうのか!?”(第3巻)
「兵士をやるってのはどうも…体より先に心が削られるみてぇだ…」(第10巻)


 
講談社漫画賞少年部門を受賞。連載中。どこの本屋でも平積みになっており、話題性につられ手に取ってみた。ストーリーは実に奇抜。舞台は人類の大半が死滅した後の世界。人口が激減した理由は、人類をエサとして捕食する巨人族(身長は3mから60m!)が突如出現したから。生き残った人々は巨大な石壁を三重に建設し、その内部で畑を耕し、身を寄せ合って生き続けた。100年が経った頃、前例がないほどの超大型巨人が現れ、一番外側の壁が破壊されてしまう。これによって、人類を守るものは二重の壁だけになってしまった。“坐して死を待つよりも”と反撃を試みる人々。無敵に見えた巨人族にも弱点はあり、首の後ろを攻撃されると絶命した。だが、弱点が分かったところで、巨人の数が多く容易に近づけない。攻撃を試みる度に膨大な戦死者が出た。閉塞感に包まれるなか、ある日、巨人の中に人間の味方をする者が出現する。なぜ?ストーリーは多くの謎を含みながら現在進行形で進んでいる。

 巨人族がどのように誕生したのかは何も語られていない。読者はいきなりこのハードな世界に放り込まれる。巨人族は人型&裸体で無表情。生殖器はない。中年のオッサンのような外見が多く、形容しがたい不気味さがある。たぶん小学生の時に読んでいたら、夜に眠れなくなってた。
 普通の漫画なら生き残って今後の物語に絡んできそうな人物が、戦闘が始まると虫けらのように死んでいくので、読んでる時の緊張感がハンパない。名前と顔が一致する前に食べられてしまうんだよね…。巨人族としては、人間が鶏や豚を食べるように捕食しているだけで、明確な悪意はない。僕らが唐揚げを食べる時に、鳥に悪意を持っていないのと同じ。諫山先生が当作品を通して何を描こうとしているのか、4巻の段階ではまだ見えていないので今後の展開が楽しみ。

 ひとつ特筆したいことが。2巻はめちゃくちゃ盛り上がるところで終わるんだけど、予告ページをめくると「オレ達の戦いはこれからだ!!!ご愛読ありがとうございました」と見開きで出てきて仰天した!さらにページをめくると正式な次巻予告が載っていた(笑)。このブラック過ぎるジョークを許可した講談社の担当さんは器が大きい。3巻の巻末の予告はさらにカオス。『(次巻から)怒涛の料理バトル編突入!!「こ、このスープは!?」「しまった!!もう玉ねぎしかない!!」「チクショー金持ちめ!!肉食わせろ!!」「こうなったら…盗むしかない…!!」限られた土地の限られた食材で、いかにして肉料理(高カロリー)に立ち向かうのか!?』と、ちゃんとキャラの絵を描き本気で遊んでいた。ニセ予告が楽しすぎる。
※ちなみに諫山先生は最初に『ジャンプ』編集部に原稿を持ち込んだという。面接でジャンプ向けに作風を変えるように言われ、それを拒否して『マガジン』に持ち込み連載が実現したんだって。ジャンプの逃した魚は大きいぜよ〜。

 

89.プラネテス('99)〜幸村誠
・「これはもうラッキーとかいう次元じゃないね。オレは宇宙に愛されている!!大願を成すまで死なない男なんだな!!」(第1巻)
・「身を軽くするってのは長旅の基本だからな」(第2巻)
・「この世に宇宙の一部じゃないものなんてないのか。オレですらつながっていて、それで初めて宇宙なのか。レオーノフ、お前のいるその病室も宇宙なんだ。ここも宇宙なんだ」(同上)
・「何故ひとは流れ星に願うのか、わかった。こんな時、こんな夜、つい空を見上げてしまうからなんだ」(第4巻)
・「愛し合うことだけが、どうしてもやめられない」(同上)


「宇宙」の“宇”は上下四方の意味、“宙”は現在過去未来の意味という。2075年の宇宙を舞台にした本格SFマンガ『プラネテス』。SFといっても宇宙戦艦に乗って異星人と戦うのではなく、主人公は宇宙空間に浮かぶゴミ(寿命が尽きた衛星など)の回収業者。一見地味な仕事だが、宇宙船がゴミと衝突すれば大事故になるので、人命にかかわる重要な仕事だ。でも、彼の本来の夢は木星への有人飛行に挑戦すること。ひたすら遠い世界への冒険を憧れている。そんな彼が、目からウロコになるとても印象的なシーンがあった。(これくらいは書いてもネタバレにはならないと思う)様々な人との出会いを経た主人公が、休暇で地球に降りてきた時に、故郷の夜の浜辺で悟るんだ--「ここも宇宙なんだ!」って。それまで地球と宇宙を分けて考えていた主人公が、“この世のすべてが宇宙の一部、オレですらつながっていて、(親友が入院している)病室だって宇宙なんだ!”と絶句する。確かに、僕自身こうして部屋の中でPCを触っていても、実際は宇宙空間にいるんだよネ。だけど日頃は自分が宇宙に浮かんでいるとか考えず、「宇宙」はどこか遠いものだと思っていた…。うーん、鮮烈な体験をした!

 

90.ワイルド7('69)〜望月三起也
「(俺を殺せば)貴様は殺人罪で死刑だ!!」〜犯人
「死刑は覚悟だ!!」(第4巻)

「ヤツを助けるのは友情だ!!その友情がこの場合犯罪行為だというんだな。けっこう!!友情が犯罪なら…喜んで犯罪者になるぜ!!」(同上)

 
証拠、尋問、裁判、判決、という面倒な手続きは一切踏まず、一気に処刑する権利を持つ特別部隊が、地獄から来た警察ワイルド7だ!!彼らは検察庁の肝いりで編成された。証拠が無いため手を出せない凶悪犯人を世の中から消す組織だ。随所に垣間見える男の美学。友情のためならヤツらは簡単にバッジを外す。ハイジャック犯を投降させる為に、犯人の家族を逆に人質にとる戦法には仰天した。自分は基本的に死刑反対論者だが、このマンガの虜でもあるという矛盾を抱えている。米軍基地襲撃犯という“ヘボピー”のプロフィールも圧巻。

「俺は死ぬことよりも奴の期待を裏切る方がイヤなんだ」

 


91.ROOKIES('98)〜森田まさのり
「お前は武器を持たないと人とは付き合っていけない臆病者だ!他人の痛みを分かろうともしない卑怯者だ!お前は自分はどんなにカッコ悪いか考えた事があるのか!?」(第2巻)
「小人閑居(しょうじんかんきょ)して不善(ふぜん)をなす。徳の至らない人は暇でする事がないとつい悪い事をやってしまう。言いかえれば目的を持って頑張ってる人は悪い事してる暇なんてないってわけだ」(同上)
「夢にときめけ!明日にきらめけ!by川藤幸一!」(第3巻)
「一所懸命が何でくだらないんだーっ!?お前はそんな奴らに胸がはれるほど充実した毎日を過ごしているのかーっ!?明日死んでも満足なのかぁーっ!?」(同上)

「イエーッ!ゴーッ!ニコガク、ゴーッ!」(部員たち)


 近年までジャンプで連載されていた野球マンガ、ルーキーズ。上でピックアップしたセリフに、一瞬引いてしまう人は多いと思う。今どきこういう“熱血”は流行らないし、汗をかいてる人間は周囲から肩をすくめられるのがオチだ。だが、このマンガはあえて今の時代に熱い言葉を正面からぶつけてきた。するとどうだろう、森田まさのりの語り口が上手いせいか、なんともこの言葉の「直球」が気持ち良いのだ。僕らはカーブやシュートばかり投げてくる最近のマンガに飽き飽きしていたのかも知れない。とにかく全然「ダサく」聞こえず、それどころかナインの涙にこちらがもらい泣きする始末。
 気弱で大舞台でエラーしてしまう、イジメられがちだった御子柴君がキャプテンに指名された時に、他の部員が「いいじゃん御子柴なら」と異議を唱えなかったのは感動的。みんな彼がどれほど野球を愛しているか、ちゃんと分かっていたんだ。

「こうやって努力してたら(甲子園の)可能性はゼロじゃねーだろ。“行けるかもしれない”…って…そういうのでいいんだ。俺そういうのでいいんだよ(涙)」by御子柴(第3巻)

 

92.動物のお医者さん('88)〜佐々木倫子
「キミのやり方が大雑把だから細菌が死んでしまうんだ。親身になって世話すれば病原菌だって必ず応えてくれる。見たまえ、私の病原菌のイキのよさを!」(第2巻)

 
菱沼さんの一挙手一投足に夢中。間違いなく少女マンガ史に名を刻むべき女傑だ。それとオンドリのヒヨちゃん…怖かった。

        

93.蟲師('00)〜漆原友紀
「あれは数万年は生きている。お前はその最後の旅に同行したわけだ。会えてよかったな」(第1巻)
「収穫期のこの季節、我々が山深くまで入る事は禁忌となっておるのです」「ものすごい精気だ。甘いような苦いような。地底から木の葉の一枚一枚から立ち昇る--むせ返り皮膚にまとわりつく匂い。ここは光脈筋だ。生命の川の流れる所。まして今は実りの時期。普通の山でも精気は増す。不用意に入れば精気にあてられ気が惑う」(第2巻)
「どうしてころすの」「お前らがヒトの子を食うからだ」「ぼくらはわるくない」「俺らも悪かない。だが、俺達の方が強い」(同上)
「ん…白い竹…いつの間に…赤子の声…?…2人の墓の方からだ…」(第4巻)
「あんたイサザの知り合いか?あいつなら今も馴染みだぜ。ここの事もあいつに聞いて来たんだよ。そろそろ薬の必要な時期だろうってな。今も変わらずやってるよ」「…そうか…ならいい。これでいい…」(同上)
「ここは光脈筋のようだ」「何が光ってるの?」「光酒(こうき)っつってな、蟲の生まれる前の姿のモノが群れをなして泳いでる」(第6巻)


 時代設定は明治維新を経なかった百数十年前の架空の日本。作中では、自然界に動物でも植物でもない、無数の目に見えぬ生命の原生体“蟲”(むし、昆虫ではない)が存在している。主人公は山里でヒトと蟲との接触が生み出すトラブルを解決していく蟲師ギンコ(男)。彼は蟲が人社会に迷惑をかけた時に問答無用で退治するのではなく、共生の道を探りつつ事態を改善していく。ギンコの体は蟲を引き寄せてしまうため同じ土地にとどまることができず、ずっと旅を続けている。
 作品から伝わってくるのは生命そのものの力強さ。蟲は生きようとしているだけだし、人もまた生きようとしているだけ。双方の「生きんとする力」のせめぎ合いが毎回描かれる。そこには人が善で蟲が悪という視点はこれっぽちもない。作者は命を平等に見ており、安易にハッピーエンドに走ることもなく、きっちりと正面から生死を描いている。描き手の真摯な姿勢が伝わるからこそ、たとえ読後に底なしの寂しさが残るエピソードでも、読者はそれを人生の真実として受け入れることが出来る。
 せひ特筆したいのは作品が持つ空気感。自然描写は上手いとか巧みとかいうレベルではなく、本を開けば身体ごと中に持っていかれる。ギンコが山深く分け入る時、読み手はヒンヤリとした気温や、むせかえるほどの草木や土の匂いを感じる。陽の光は肌に柔らかく射し、海辺では潮風を感じ、小川では心地良い水流の音を聴く。一方、雪の夜は全ての音が雪に吸収され圧倒的な静けさが身を包む。時おり挿入されるカラーページでは、美しい色彩が目に沁み込む。
 閃光や爆音の派手なアクション・シーンもなく、淡白な絵柄と抑制された色使いで世界は描かれ、物語の舞台はゆっくりと時が流れる静かな山里。昨今のハイスピードで展開するバトルマンガとは正反対の、商業ベースに背を向けるかのような地味な作品世界が、アニメ化・映画化されるほど多くの読者に熱狂的に支持されていることは、現代の殺人的な競争社会にヘトヘトになった人々が、ここに自分のリズムで呼吸できる場所を見つけたからだと思う。

 物語は一話完結なのでどこから読んでも楽しめる。僕のイチオシは第4巻。「虚繭(うろまゆ)取り」「一夜橋」「春と嘯(うそぶ)く」「籠のなか」「草を踏む音」、収められた5つのエピソードはどれも味わい深い。『蟲師』を読むのは深夜がオススメ。昼間の何十倍も作品が迫ってきマス。

 連載誌のアフタヌーンシーズン増刊が季刊→隔月→休刊となり、『蟲師』は月刊アフタヌーンに移籍。作品自体もギンコのように旅をしている。2巻の巻末に書かれていたコメント「一巻を買って下さった皆さんのおかげで、二巻は色付きになりました。ブラボ。感謝」を読み、グッと作者が身近になりました。(*^v^*)

 

94.童夢('83)〜大友克洋
「へへへっ、栓をこう…キュッとね…」※ガス栓!

 
チョウさん、あんたオイタが過ぎるぜ。宇宙空間や荒野ではなく、普通の団地を舞台にサイキック・バトルが展開しているのがリアルだった。消防団員に合掌。
 『童夢』はマンガ史において初めて壁を超能力で円状に凹ませた歴史的作品。以降、ドラゴンボールをはじめ、あらゆるバトルマンガで、“気”(オーラ)など目に見えない力で戦う時に、攻撃が命中した壁、岩、地面が円状に陥没するようになった。

 

95.めぞん一刻('80)〜高橋留美子
「ご町内のみなさまーっ!私こと五代祐作は響子さんが好きでありまーすっ!響子さーん!好きじゃあああ!!」(第1巻)

 高橋留美子って何者!?男が自分で気付かない男性心理を、なんで女性の彼女がこれ程まで的確に把握しているのだろう!?

※近年、日本のマンガが欧州でブレイクしまくってるけど、まさか『めぞん一刻』の外国人コスプレを見ることになろうとは。しかも“一の瀬のオバサン”や“四谷さん”、雰囲気出てるし!朱美さんは微妙だけど…
 
  

96.編集王('94)〜土田世紀
「カンパチ…来いよ。ネクタイ締めたリングもあるぜ!」(第1巻)
「マンガにゃマンガでケリをつけるのさ!!」(第2巻)
「花がなくなっても桜は桜に変わりねえよ。人目なんか関係なく毎日黙々と生きてるのさ」(同上)
「姐さんしか出来ねえから迎えに来たんだ!結婚なんかそこら中で誰でもやってるじゃねえか!!」(第3巻)
「何が表現の自由だ!何も表現してねえじゃねえか!」(同上)
「何も形に出来なかったけど…桃井環八は前向きに倒れましたと日記には書いておこう」(第4巻)
「宮さんの迷いのグーは開かれ…パーになったその右手は“家庭”をこぼれ落とし…“仕事”を掴もうと開かれたものに見えた」(同上)
「“売れる作品”より“残る作品”を…って思ってるんだ」(第13巻)


 マンガ業界の仁義なき戦いを描いた人間ドラマ。とはいえ、けっして興味本位に内情を暴くのでも、業界ウケを狙ったものでもない。少しでも素晴らしいマンガを必死に世に送ろうとする人々の、魂を賭けた奮闘記だ。その志しは雲をつくほど高い。

 

97.バキ('99)〜板垣恵介
「まだやるかい?」(第5巻)

 読んでるだけで痛さの伝わる激痛格闘マンガ。この作品は延々と格闘シーンが続くのに、一試合一試合に趣向が凝らされててまったく飽きない。予測不能の展開が野郎たちのハートを鷲づかみにして放さないのだ。キャラクターが濃いため、主人公バキの戦いであろうと、サブキャラ同士の戦いであろうと、二転三転する戦況に力が入りまくる。どの戦いも“そこまでやるか!”という内容だが一番度肝を抜かれたのは花山薫対スペック戦。もう勘弁してくれと叫びたくなる激しいバトルがたたみ掛ける様に続き、ページをめくる度にめまいが襲ってきた!
※91年から続いていた『グラップラー刃牙』の続編。

 

98.HELLSING/ヘルシング('98)〜平野耕太

「我ら刺客なり、イスカリオテのユダなり!!時到らば我ら銀貨三十神所に投げ込み、荒縄をもって己の素(そ)っ首、吊り下げるなり!されば我ら徒党を組んで地獄へと下り、隊伍を組みて方陣を布(し)き、七百四十万五千九百二十六の地獄の悪鬼と合戦所望するなり!黙示の日まで!」(第6巻)
「嫌だ!!そんな頼み事は聞けないね!!」(同上)
「俺たちゃケンカ弱いからよ、おっかねえから正々堂々とケンカなんかしねえぜ。軍人さんたちよう!!」(同上)
「さてと死のうぜ犬ども。畜生(ファック)、畜生っていいながら死のうぜ。腹に銃弾くらってよ、のたうち回って」「へへへ、そりゃそうだ」「ちげえねぇ」「まったくもって、ちげぇねえや」(同上)
「ではお先に!!以上(オーバー)!!」(第7巻)
「冗談じゃねぇ!お前には無理矢理でもカッチョ良く死んでもらうぞ!!」(同上)
「もう疲れました。先に休んでいいですか」「ああ、ゆっくり休め。じゃあな」(同上)
「バカな女だなぁ。ああ畜生、畜生め。いい女だなこいつ。こいつ守って死ぬんなら、べつにいい」(同上)
「死んだプロテスタントだけが良いプロテスタントだ!!」(同上)
「拘束制御術式零号!開放!!」(第8巻)
「血とは魂の通貨、命の貨幣。命の取引の媒介物に過ぎない。血を吸う事は命の全存在を自らのものとする事だ」(同上)
「貴様はそんなものまで!そんなものまで喰ったのか!!道理で死なぬはずだ!道理で殺せぬはずだ!!奴は一体どれ程の命を持っている!?一体どれ程の人間の命を吸ったのだ!?」(同上)
「アンデルセンより全武装神父隊に告ぐ。第9次十字軍(クルセイド)遠征、熱狂的再征服(レコンキスタ)は完全に壊滅した」(同上)
「我らは神の代理人、神罰の地上代行者。我らが使命は我が神に逆らう愚者を、その肉の最後の一片までも絶滅する事」(同上)
「馬鹿野郎共が、誰奴(どいつ)も彼奴(こいつ)も死ぬ事ばかり考えやがって!地獄(リンボ)が満杯になって、かわりに教皇庁(ヴァチカン)はガラガラになって!いいだろう付いて来い。これより地獄へまっしぐらに突撃する。いつものように付いて来い!!」(同上)
「俺の様な化け物は、人間でいる事にいられなかった弱い化け物は、人間に倒されなければならないんだ!!」(同上)
「やめろ人間!!化け物にはなるな、私の様な」(同上)


 描かれたスケールの大きさに目眩がした。主人公は中世から生きている吸血鬼アーカード。彼は吸血鬼でありながら英国国教騎士団に属し、人間の味方をする吸血鬼ハンター。物語の前半はありふれた吸血鬼退治の話で、なぜこの作品が特別に人気を集めているのか分からなかった。急転するのは第5巻の後半から。南米に潜伏していたナチスの残党が1000人の吸血鬼部隊を率いてロンドンを攻撃。英国側はこれに反撃するが、ここに(プロテスタントの英国と対立する)ヴァチカンの武装神父隊=空中機動“十字軍”3000人が介入し、ロンドンは未曾有の大混乱に陥り火の海となる。あまりに荒唐無稽な内容なので、この文章だけ読んでもイメージが掴めないと思うけれど、平野節と呼ばれる煽りセリフの連続で気分が高揚し、病的なほど緻密に描かれたバトル描写もあって、読み手は無理矢理この崩壊したロンドンに放り込まれる(8巻の“拘束開放バトル”は空前絶後のスケール!)。

 普通のマンガなら最終回まで活躍するであろう個性派キャラが次々と散っていくので、一寸先は闇、常に緊張感がある(好人物が生き残る保証はない)。どのキャラも死と背中合わせで作品の中を生きている。通常全10巻のマンガであれば8巻あたりからクライマックスになるのに、『へルシング』は早くも5巻からクライマックスが始まった。その後、ずっとハイテンションを維持したまま描き続けている平野先生の集中力に驚く。本作はバトルの連続なので、人間ドラマの部分はどちらかと言えば希薄。それでも僕が評価するのは、“死に様こそが生き様”、そう思える幾多の死が描かれているから。戦いによる死を美化するつもりはないが、ヘタレと思っていた政治家(ペンウッド卿)が最後に見せる勇気、ゴロツキの傭兵部隊が“納得”して死に挑む見せる凄まじい散り様は、魂を震わせずにはいられない。僕は、自分の敗北がほぼ決まってる圧倒的な力を持つ相手(組織や国家も含めて)と対峙した時の、その立ち向かう際の心構えを作品から学んだ。彼らのように腹をくくって生きたいものだ。
※マンガ史上に残るであろう好敵手アンデルセン神父は、そのケタ外れの存在感で忘れ得ぬキャラとなった。

●平野先生が単行本のページ端に書いているアシスタント募集の文が切実。作者も戦ってることが伝わってきた→「アシスタントさん求む!20才前後でくらいでやる気のある方誰かお願いします。このままだと死にます」(2巻)「アシスタント募集!助けて下さい。助けて…助…け…。東京都足立区近郊で月に5〜7日程度お手伝いされる方、お助け下さい。くわしくは編集部まで。経験、男女、年齢は問いません。よろしくお願いします。お願いします。お願いしま…。」(6巻)

 

99.DEATH NOTE('03)小畑健&大場つぐみ
 連載時は次週の予測がまったくつかない、裏の裏の裏の、そのまた裏を読むような頭脳バトルの連続に、興奮しっぱなしだった。特に第1部のキラ対Lの攻防戦は、21世紀のマンガ史に深く刻まれ、これから先も語り継がれていくだろう。第2部のニア&メロとの戦いは、複数のノートが何度も使われて物語が複雑になり失速したのがチト残念。だが、失速とは言っても、世間一般の漫画より遙かに高いレベルの脚本であったことは間違いない。絵もめちゃくちゃ上手い。
このスケールの大きな物語を12巻にまとめているところもスゴイ。ヘタすりゃ30巻超えの可能性もあったので、コンパクトにまとめたのは作者及び編集部の英断だったと思う。

 

100.銀河鉄道999('77)〜松本零士
「私は鉄郎をネジになんかしたくない!!」(第10巻)

 宇宙空間を機関車が走る--もうその設定だけで漢はイチコロ。永遠の命より限られた命を選んだ鉄郎の存在には、永遠の命を「幸福」と定義している既成宗教の関係者は、戦慄を感じているんじゃないかな。
 ※「“999”という数字は1000の一歩手前、つまり大人になる直前の最後の一瞬を表現したのです」〜松本零士

 

次点101.CIPHER('85)〜成田美名子
「あたし…離れたらすぐサイファのことなんて忘れちゃうよ!すぐ別のBFを作るんだから!それでもいいの!?」
「いいよ」
「……」
「でも、おれは忘れない」(第7巻)


 成田美名子は作品世界の雰囲気作りが上手い(マンガなのにキャラが自然体に見える)ので、読んでる側も無意識にその中へ入ってしまう。読者は作中の人物と時間を共有し、彼らの中に溶け込んでいく。サイファのルームメイトでシャイなハル(日本人)が、好感度MAX。

※NHKでオンエアされた成田美名子の特集番組に胸を揺さぶられた。売れ始めた当初の彼女は、どこか読者と距離を置いていたという。ところがある時、イジメで自殺をした少女(中学生)の遺書に「“エイリアン通り”の○巻と○巻を棺に入れて下さい」と書かれていた事を知り愕然とする。同マンガにもイジメの話が出てくるからだ。『エイリアン通り』は500万部の大ヒット作。作品の影響力の大きさを痛感した成田さんは、“どうして私は、何が何でも生き抜こうって話を描けなかったのか”と心から後悔したという。そして次回作にはハッキリしたメッセージを込める決意をする。それは--“過酷な運命でも生きてれば何とかなる、いつか解決する時がある、だから何とか生きててくれ”、というものだった。そしてペンをとったのが『CIPHER』だったという。「人は別にマンガがなくても生きていける。じゃあマンガは何の為にあるのか。そう考えると、読んでくれる人の為に役に立たなくちゃと思うようになった。ちょっとでも元気になるとか、読んでる間だけでも今の心配事を忘れてくれるとか」。「“辛くても生き抜こう”、この姿勢は一生変わらない」そんな風に語る彼女は素晴らしいと思った!(2005.9)

 

102.夏子の酒('88)〜尾瀬あきら

「作物を売って利益を得ようとするなら、それはもう農業ではない。商業だ。」
「そ、それじゃなにかい、俺たち百姓は儲けちゃいけないって言うのかよ。」
「いかん!」
「そりゃ厳しすぎるんじゃないか?」
「おまえは農業を厳しくないものだと思っていたのか?」(文庫マンガ第7巻)
「飲みごたえがあって、しかも飲み飽きず、淡麗なのにふくらみがあり、甘くて辛く、強くて繊細、それらが絶妙のバランスで保たれている酒」(文庫マンガ第10巻)


 ストーリーも良かったが、それまで酒について無学だった自分には、銘柄や製造過程など非常に勉強になった。このマンガに出会ってなかったら、醸造アルコール入りのニセ酒(日本のお酒の9割!)しか知らずに、一生を終えるところだった。また、物語は酒に限定されず、有機農業を続ける意義を通して、日本の農業問題までテーマを掘り下げていた。土の匂いがするマンガなのだ。
 作中のキャラクターはホントに美味しそうに酒を飲む。あんまりうまそうに味わっているので、最終回までに何度酒屋へ走ったことか。おかげで自分は石川産の地酒『天狗舞』と出会うことが出来た。この酒は夏子が作ったんじゃないかと思うほど美味しい酒だ。諸君も財布を握り締め、専門店へ駆けつけれ〜!…ヒック。

 

103.カラマーゾフの兄弟('10)〜及川由美
「(神は人間が作ったものとして)神がどうしても必要なんだという考えが、よく人間みたいに野蛮で汚い動物の頭に忍び込めたよな。そのこと自体は本当に神聖で感動的だと思わないか?だから俺は神を認めている」(第2巻)
「愛の経験を積んでいない多くの人々にとって、人間の顔は愛する事の障害になる」
「(児童虐待について)いったいどうしてこんな事が起こらなくてはいけないんだ!?これは父親が食べたリンゴの罪を子供が償っているんだと言うやつもいるが…そんな…バカな話があるかよ!?子供はまだ何も食べちゃいないんだぜ!?」
「お前なら将軍をどうしてやるかね?」「銃殺にすべきです」「ブラヴォー!!こいつはたいした天使さんだよ!!」「ハッ」「銃殺とはな…傑作だよ。え!?アレクセイ・カラマーゾフ君!!お前の心にもちょっとした悪魔の心くらいは潜んでいるんだな…」「…僕は…僕はバカげた事を言いました!!だけど…」「それだよ!!“だけど”!!その“だけど”がくせ者なんだよ!!」
「恐らく…ああいった悪行や苦悩が未来の“永久調和”の肥料(こやし)になるのだろう。だけど…だけどさ、いくらなんだってその代償が大きすぎるよ!!そんな永久の調和なんてものは、臭い便所の中で“神サマ”にお祈りしていた女の子の一粒の涙にも値しない。アリョーシャ、俺は神を認めないんじゃない。神の創った世界を認めないんだ。“調和”への入場券なんて渡されたら、つつしんで神にお返しするね」
「責め殺された子供たちの血の上に築かれた…今の自分の幸福を赦す事ができるかい?」
「兄さんは“あの人”の事を忘れている。ちがう。イワンが“あの人”(キリスト)の事を忘れるはずがなかったんだ。もし“あの人”の事を忘れていたなら、イワンの不信がここまで絶望化する事はなかったのかもしれない」
「人間というものは、心正しい人の堕落とその汚辱を喜ぶ」


 
近年、純文学を漫画化・アニメ化するケースが増えている。原作が長編小説の場合、メインのあらすじだけが映像化され、サイドストーリーは大幅にカットされることが少なくない。その結果、熱心な原作ファンからは、“あのシーンがない”“このシーンもカットされた”と激しく糾弾されることになる。それゆえ、非難されるリスクを背負ってコミック化に挑む漫画家さんの勇気と覚悟に心から脱帽している。特に内面世界を掘り下げていくロシア文学は、読み込むだけで膨大なエネルギーを要することから、コミカライズは相当“タフ”なものになる。
 それらロシア文学の中でも、エベレスト級の超大作『カラマーゾフの兄弟』(byドストエフスキー)に、2010年から及川由美さんが挑み始めた。第一巻では、ミーチャ、イワン、アリョーシャの3兄弟だけじゃなく、放蕩親父や使用人スメルジャコフも丁寧に性格描写されていたことから、“この漫画家さんの原作愛は本物だ”と、胸中で熱いエールを送っていた。単に物語を追うだけでなく、コマ運びと台詞の間を使った“時間芸術”というか、各章の締め方にも余韻があって良い。モノローグに静けさと痛みがある。
 第二巻は、原作にシリアスな宗教論が出てくる部分であり、どんな形になるのか想像出来なかった。無宗教に近い日本人にとって、ドストエフスキーがこだわっていた神をめぐる問題はさほど重要でないため、編集者の判断でごっそり削られることも充分考えられた。“カラマーゾフ”をエンターテインメント重視の犯罪サスペンスとしてコミック化するなら、宗教云々は不必要なパートだ。でも宗教論は間違いなく物語のひとつの“核”。これ抜きの“カラマーゾフ”はあり得ない。かくして、イワン&アリョーシャの『大審問官』付近の一連の宗教論争が約50ページも描かれていた!イワンは修道士である弟アリョーシャに様々なことを語る。以下はその抜粋。セリフからイワンの苦悩や憤怒(義憤)が伝わると思う。彼は特に“児童虐待”を憎悪していた(当時のロシアでも、幼児が虐待死する深刻な事件が起きていた)。イワンはその理不尽を放置している神に抗議しているんだ。
・「(児童虐待について)いったいどうしてこんな事が起こらなくてはいけないんだ!?これは父親が(エデンの園で)食べたリンゴの罪を子供が償っているんだと言うやつもいるが…そんな…バカな話があるかよ!?子供はまだ何も食べちゃいないんだぜ!?」。
・「恐らく…ああいった(児童虐待などの)悪行や苦悩が未来の“永久調和”の肥料(こやし)になるのだろう。だけど…だけどさ、いくらなんだってその代償が大きすぎるよ!!そんな永久の調和なんてものは、(虐待され)臭い便所の中で“神サマ”にお祈りしていた女の子の一粒の涙にも値しない。アリョーシャ、俺は神を認めないんじゃない。神の創った世界を認めないんだ。“調和”への入場券なんて渡されたら、つつしんで神にお返しするね」
・「責め殺された子供たちの血の上に築かれた…今の自分の幸福を赦す事ができるかい?」

 “神の実在は認めても、子供が苦しむような神が創ったこの世界を否定する”、西欧の人々はこうしたイワンの苦悩に触れ、強い衝撃を受けたという。無神論者のことは「変わったヤツ」「罰当たり」と無視できても、倫理や正義に基づいて神を糾弾するイワンの言葉は、軽く受け流せないものだったからだ。
 次巻はカラマーゾフ家に最大の事件が起きる怒濤の展開が待っている。嗚呼、ミーチャ!幻冬舎はコミックの売上高に左右されず、“カラマーゾフ”と係わった出版人としての名誉を重んじ、及川先生が望むだけのページ数を確保して欲しい!

 【悲報!】うああ、なんてこった!及川先生が作品を発表していたメディアが廃刊に!それにともない、第3巻が未刊行に!次巻はカラマーゾフ家に最大の事件が起きる怒濤の展開が待っているというのに!幻冬舎は“カラマーゾフ”と係わった出版人としての名誉を重んじ、及川先生が望むだけのページ数を確保たうえで、カラマーゾフ後半の単行本化を実現して欲しいッ!幻冬舎が動かないなら、ここはもう、心ある他社が!(滝泣)

 

104.テルマエ・ロマエ('08)〜ヤマザキマリ
「入口の日よけ布か…この案もいただいたぞ!」(第1巻)
「冠!?この老人はこの種族の族長なのか!?」(同上)
「たまらんな…この毒気が抜けていく感じ…」「オレ、何かもうどーでもいいわ…生まれ変わりそうだ…」(第3巻)
「この器の縁(ふち)にあるギリシャ伝来のメアンドロス柄…扉の外にあった日よけ布にもこの柄がついていたが…」(同上)
「黄金の輝きと中心に穴を空けた手の込んだ作り…これは相当に価値のある通貨とみた!この調理人の腕にはこれくらいの報酬があって当然であろう」(同上)
「まさかこれも通貨だというのかっ!?なんという細かさ…精巧過ぎて恐ろしい!!」(同上)
「“湯の力”か…我々は神から素晴らしい物を授かったのですね…」(同上)
「…アエリウス…どこまでも軟弱な男…」(同上)
「金(きん)としての威張り腐った自己主張が全く表に出ない謙虚さ!だけど他の色には決して真似のできない高貴な味わいと輝き…!」(同上)
「…そうか!!黄金であれど神の宿る気配があれば、上品な荘厳さが醸(かも)される」(同上)


 
2010年マンガ大賞&手塚治虫文化賞短編賞を受賞。作者は海外在住の漫画家ヤマザキマリさん。第1巻だけで50万冊も売れ、マンガ大賞にも輝いており、期待しまくって手に取った。「テルマエ・ロマエ」はラテン語で「ローマの浴場」の意。日本の銭湯のように、古代ローマには至る所に公衆浴場があった。
 舞台は西暦130年代、賢帝ハドリアヌス治世のローマ。主人公は風呂の設計技師ルシウス・モデストゥス。仕事一筋の真面目な男だ。この誰よりも風呂を愛するルシウスが、毎回のように現代日本の露天風呂や銭湯にタイムスリップするという奇想天外な物語。大ヒットも納得、非常に面白い!ルシウスは日本人のことを「平たい顔族」と呼び、ローマ帝国とは全く異なる文明に衝撃を受けつつも、持ち前の探求心から日本の風呂文化の長所を必死で学ぼうとする。
 タイムスリップを扱った作品は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『ある日どこかで』『JIN』のようにアタリが多い。カルチャーギャップが生む笑いは鉄板だ。でも、それだけならここまで話題になっていない。ツボは“意外性”“風呂トリビア”だ。古代ローマとアジアの島国・日本という、一見まったく接点がない両者なのに、どちらの市民もお風呂が超大好きという一点から“魂レベル”で理解し合えるのがグッド!文字通りの“ハダカの付き合い”は、時代の壁も心の垣根もたやすく取っ払う。この漫画は、日本人にとっての日常の1ページである入浴行為が、いかに創意と工夫に溢れているかをローマ人の視点でユーモラスに解説してくれる。文化再発見ってヤツだ。「この案もいただいたぞ!」と喜ぶルシウスの興奮が伝わり、彼が考案したものを見て、“なるほど、ローマ風にこうアレンジしたか!”と小膝を叩いてしまう。

 初めて露天風呂に入った山賊の至福の表情や会話が良い「たまらんな…この毒気が抜けていく感じ…」「オレ、何かもうどーでもいいわ…生まれ変わりそうだ…」。日本の温泉街でラーメン屋の親父に味噌ラーメンと餃子を食べた後、“5円”を払うシーンも楽しい。「黄金の輝きと中心に穴を空けた手の込んだ作り…これは相当に価値のある通貨とみた!この調理人の腕にはこれくらいの報酬があって当然であろう。ほんの感謝のしるしだ!」。
 ヤマザキ先生は外国暮らしが長く、湯船への憧れと執着がピークに達しており、“古代ローマ人ならこの想いを分かってくれるハズ”と、この“風呂讃歌”を描き始めたとのこと。先生いわく「ヨーロッパにはお風呂も銭湯もないから、お湯につかりたくてもつかれない。でも、そこら中に古代ローマ時代の浴場の遺跡がある。昔はあったのになぜ今ないのか、それがもどかしくて」。
 単行本にはエピソードごとに作者のコラムが入っており、博物学的な幅広い視野から風呂文化の考察が綴られている。根底を貫くものは風呂LOVE。温泉地のお土産ひとつをとっても「世の中には日常の緊張や様々な義務感から解放されて伸びたパンツのゴムみたいな精神状態にならないと、欲しいと思えない“物”というのが存在するということを、温泉街の土産物は教えてくれます」と一家言を持っている。

 ヤマザキ先生は「(連載を)薄く延ばして長くやるつもりはない」「もう最後は考えてある」と公言している。2巻までは基本的に1話完結。僕はそれがもったいなかった。“このネタはもっと広げられるのに!”って。3巻で初めて3話連続の物語・温泉街編が出てきた(屈指の名エピソード!)。1話完結が多いのは、それだけ語りたいことが多いのだろう。世の中には無理やり話を伸ばしてズルズル連載する漫画がたくさんあるので、その姿勢はカッコ良い。
※阿部寛さん主演の映画も大ヒット。映画のコピーは「すべての“風呂”はローマに通ず」(笑)。

 

105.えへん、龍之介。('11)〜松田奈緒子
「芥川さんほどの人でも…あるんですかスランプ」「だって君。新しいモノを書こうと呻吟(しんぎん)苦労した作品を、出したとたん批評家どもに八つ裂きにされる。うんざりだよ」
「間違いなく次の百年を継ぐ橋になると思います」
「君の子供達に!」
「(強盗に)時に君…君はなぜ泥棒になったんだい?」「話せば長いので…」「もう仕事は終わったんだろ?ちょっと話していけよ(小説のネタになるかもしれん)」
「批評家にコケにされても、僕は僕の信じるモノを書かなきゃならない。作品だけはゆずれない。僕の自由の王国なのだ」
「…僕のコト、好きかしら」「しらんわっ」
「なんとゆう烈(はげ)しさだろう…本気になったら身の破滅だ。“遊び”では許されぬ人だ」
「少し書いては頭から読みなおし、長考の末また書いて、気に入らなければ全て捨てて、また一から書き直す。気が遠くなるほどの彫琢(ちょうたく)を施す緻密さと、女の罠にコロリとはまる間抜けさと、一緒に抱える愛すべき男。我が友、芥川龍之介」
「(震災直後の)この混乱期に見てきたようなデマがなぜ出るのだ?しかも一斉に…」
「おそろしいほど子供だった。すべて上手くゆくと思っていた」
「おい、お前。覚悟はできているか。人生は進むしかない薔薇色の悪夢だぞ」
「おかあちゃん…」「ポッポ見にいくか?」「あい!」
「物を書かない僕は凡人です。廃人になっても物を書く人間として生きたいのです!」
「僕は小説に“筋”はいらないと思っている。小説の価値は作品の中に埋まっている“詩的精神”それ一点につきるのだ。わからなくていい。美しければいい」
「ただ前に進むしかない。苦しかろうが、つらかろうが。そして空に消えてゆく」
「お父さん…あなたにとって、この世は地獄なのですか?子どもたちや家族、ご友人や私などがいても、あなたを救えないほどの地獄なのですか?」

 
妻が女性漫画誌『BE・LOVE』を読みながら「なんか、芥川龍之介の漫画があるよ」と教えてくれ、半信半疑でページを開くと、ひとコマ目のセリフが「よう!室生君」。正直、ブッ飛んだ。詩人の室生犀星(さいせい)の名前が漫画誌に!?犀星だけじゃない。この作品には、龍之介が親交を結んだ、萩原朔太郎、谷崎潤一郎、平塚雷鳥、菊池寛、川端康成(学生)、夏目漱石(想い出)、当時の文壇の文士達が次々と登場し、大杉栄ら時代を象徴する思想家も出てくる!そして、ちゃんと語ってる!全一巻なので、各キャラの出番は短いんだけど、それでも“とりあえず出しました”的な印象はなく、みんな画中で呼吸している。っていうか、大杉栄が出てくる漫画なんて、男性漫画誌を含めても記憶にない。感無量。大正末期から昭和初期にかけて時代の息吹が、どのページにも濃縮されていた!
 松田先生が龍之介を見つめる目はどこまでも優しい。室生犀星のセリフに人物観がよく出ている。「少し書いては頭から読みなおし、長考の末また書いて、気に入らなければ全て捨てて、また一から書き直す。気が遠くなるほどの彫琢(ちょうたく)を施す緻密さと、女の罠にコロリとはまる間抜けさと、一緒に抱える愛すべき男。我が友、芥川龍之介」。巻末の作者の言葉はこうだ「今までいろんな編集さんにお見せしても“渋すぎてウチではちょっと”“レンアイものじゃないと載せられない”。芥川が描きたいと思って早や20年!やっとこの日がきました!!」。いやはや、並々ならぬ意気込みを感じる。陰気でしかめっ面というイメージのある“文豪”が、この作品では“人間・芥川龍之介”として生命力を持って描かれる
 ユーモアを感じるシーンも多い。例えば、強盗にあった龍之介が、お金を差し出した後、立ち去る強盗に声を掛ける場面。「時に君…君はなぜ泥棒になったんだい?もう仕事は終わったんだろ?ちょっと話していけよ」。“小説のネタになるかもしれん”と思ってるんだ。編集者との締め切りをめぐる攻防戦も楽しい。
 川端康成との会話も胸に響いた。「芥川さんほどの人でも…あるんですかスランプ」「だって君。新しいモノを書こうと呻吟(しんぎん)苦労した作品を出したとたん、批評家どもに八つ裂きにされる。うんざりだよ」「(芥川さんの作品は)新しいのに、優雅で古典的均衡があって美しい。間違いなく次の百年を継ぐ橋になると思います」。
 萩原朔太郎が夜中に家の屋根に登って近所を見渡すシーンも素晴らしい。「高台にあるのが芥川の家。あれが室生の家。芥川はまだ起きているか。室生は寝たか…。終電はとうに過ぎて、あれは貨物列車。車輪のリズムが朝をつれてくる…」。足下の猫がお前は幸福かい?という目で見ている。「幸福である必要があるかい?僕たちはただ、百年残る言葉を探しているのだ。そのために今生きているのだ」。泣ける。

 そして、最も胸が熱くなったのは、ごく平凡でありきたりな家族団らんシーン。僕らは龍之介が30代で自殺することを知ってる。だから、奥さんや小さな子ども達の笑顔を見てると、その後に訪れる悲しみが思われてたまらない気持ちになる。奥さんが晩年の龍之介に「ぼくが自殺したらどうする?」と問われて「お父さん…あなたにとって、この世は地獄なのですか?子どもたちや家族、ご友人や私などがいても、あなたを救えないほどの地獄なのですか?」と悩む姿が切ない。龍之介が死んだ時、長男・比呂志は7歳、次男・多加志は5歳、三男・也寸志は2歳。この作品では次男に汽車ポッポを見せに行くなど、龍之介は子煩悩な一面を幾度か見せている。「ポッポ見にいくか?」「あい!」。子どもらはあんなに父のことが大好きだったし、必要としていたのに…。なんとか子どもの為だけでも生きられなかったか…。ちなみに次男は終戦直前に23歳の若さでビルマに散っている。長男は俳優に、三男は作曲家になった。

 大杉栄は官憲に尾行されているところを川端康成の下宿にかくまってもらい、そこで龍之介と出会った。関東大震災が起き、そのドサクサで大杉栄や左翼活動家、朝鮮人がデマで殺害されたことに対し、龍之介は「(震災直後の)この混乱期に、見てきたようなデマがなぜ出るのだ?しかも一斉に…」と権力を疑った。後年、このデマを流したのは正力松太郎と分かっているが、こういうことにもちゃんと漫画誌で触れていることに感心した。
 漫画であると同時に文学のたたずまいを感じさせる本作品。キャラの絵は軽妙で、筆致も奔放。文豪たちの表情は特徴をよく捉えていて、松田先生ならではの味わいがある。また、子どもたちの動作がいちいち可愛く、赤ちゃんのお尻の大きさとか、この年齢ならこの大きさっていうリアリティも出ている。

 終戦の年の東京大空襲で、龍之介の生家も手帳などの遺品も、全部燃えてしまった。日本が空襲される前に降伏していたら、多くの人命が救われたのはもちろんんこと、どれほど無数の学術的資料が残されていたか…!
 全6話約180ページという制約がある中で、龍之介がときにジョークを言いながら、自死を選ぶまで壊れていく過程がきっちり描かれている。絶命シーンや亡骸を描かなかったのは、作者の優しさと見た。本作品から伝わってくるのは龍之介への怒濤の愛。現代の僕らは、生まれた時代が異なるため、大正文士たちの交流を見聞きすることが叶わない。漫画というカタチで、龍之介、朔太郎、犀星が酒を飲んでいる部屋に同席できて深く感動。彼らの顔を見てるだけで至福の時間になる。松田先生の20年越しの想い、確かに受け止めました!

 

106.ダニー・ボーイ('09)〜島田虎之介
「もうしばらく待たせておけ。まだ歌が残ってる」
「わたしらにはもはや期待すべき未来など無い。だが諸君、わたしたちは君らには無いものを持っている。想像力と創造力が芸術を支配していた頃…創作への愛と確信がすべてであった頃…そう…わたしたちには“過去がある”」
「空の混み具合はいかがかな?」「あたりには誰もいないわ。空はすべてあなたのものよ」「ハハハ、いいねクロリス。世界はすべてぼくのものと若い頃は思ってたが、今は空だけで満足だよ」
「ア…」「ウ…」「や…」「お…」「グ…」

 
全1巻。島田先生は前作『トロイメライ』が手塚治虫文化賞新生賞に輝いている。先生は漫画家としてはかなり遅い39歳のデビュー。単行本が2年に1冊出ていて、2012年時点で4作品。『ダニー・ボーイ』が一番新しい。絵柄は版画のようですごく特徴がある。最初は見慣れないタッチに抵抗があって読みにくく感じたけど、次第にその絵柄が持つ不思議な魅力にハマっていた。“この物語はこの絵柄で描かれて初めて生命が宿る”と感じるようになった。一台の古いピアノをめぐる人間模様『トロイメライ』も良かったけど、『ダニー・ボーイ』はさらにその何倍も素晴らしかった。

 作中では“伊藤幸男(サチオ)”という1970年代半ばにブロードウェイで脚光を浴びた男の人生が、出生時に彼を取り上げた助産婦から、晩年を知っている航空管制官まで、9人の視点から鮮やかに描き出される。
 サチオは天性の傑出した美声を持っており、9人の人間はみんな一度聴いたら忘れられない声として彼を記憶している。そしてその声をふとした瞬間に思い出し、当時の自分のことを振り返る。つまり、サチオを通して9人の過去も語られるという構成になっているんだ。
 随所にロングカットやフェードアウトなど映画的な表現方法が使われており、各自の表情のズームアップから回想シーンに入っていく下りは、漫画を読んでいることを忘れてしまいそうになる。登場人物と一緒に時が巻き戻され、“今から魔法の時間が始まるぞ”っていう空気に包まれる。
 9人の記憶は特別大きな事件が語られるわけじゃない。でも、どれもエピソードの後に良い余韻がある。サチオは天真爛漫で性格に裏表がなく、心底から音楽を愛している。そんなサチオを見て、みんな忘れていた何かを思い出す。サチオがアメリカでオーディションを受けたとき、歌を聴いた後の審査員が「(次の候補者は)もうしばらく待たせておけ。まだ歌が残ってる」と目を閉じているシーンが特にジンワリときた。
 作品名の「ダニー・ボーイ」は同名のアイルランド民謡からきている。サチオが飛行機に乗って口ずさむ歌。同曲を聴きながらこの漫画を読むと、頭の天辺からつま先まで作品世界にドップリ浸ることができる。島田先生が『ダニー・ボーイ』を描かれたのは47歳の時。年齢が持つ余裕というのか、コマ運びが実にゆったりとしていて、若手漫画家と同じ漫画という表現方法を使っていても、全然違うジャンルの芸術のようだ。1巻読み切りなので、機会があれば皆さんも是非。読み終えた後、心に太陽の陽射しと青空が残った。

 ※ネット情報によると、モデルになったのは1990年に飛行機事故で他界した元劇団四季のイサオ・サトウさんで、氏は実際に『太平洋序曲』でトニー賞助演男優賞にノミネートされたという。

 

107.鉄コン筋クリート('94)〜松本大洋
「もちもーち、こちら地球星日本国シロ隊員。応答どーじょー。この星はとっても平和です。どーじょー。はいっ、シロ隊員、全力で悪と戦います。以上、交信終わり」(第1巻)
「お前は、俺と同じ時代にデカやってた事を後悔するだろうぜ。」「とっくにしてるよ。」(同上)
「シロは凄えな。こんなドブみたいな街で、まるっきり汚れる事なく生きとる。不思議な子だ。たぶん全ての答えをあれは、持っとる。」(同上)
「俺、昔から嫌いなんだよあいつ」「あ〜、ダメだァ〜、クロォ。悪口とか言ってっとね、心のここんとこカサカサになんだもん。ホントだぞっ!」(同上)
「安心安心」(同上)
「暗いと不平を言うよりも、進んで灯りをつけましょうってな」(第2巻)
「世間を敵に回しても、神に愛想を尽かされても、この老いぼれがお前を信じとるから安心しとけ」(同上)
「観戦者みたいな口ぶりだが、自分がベンチに入ってる事を忘れるな」(第3巻)
「運動会で担任とやる二人三脚は辛いぞ。子供心にあれは応える。」(同上)
「女房、子供は大切にな…」「ハイッ。」「大切な事なんだよ。」(同上)
「クロの無い所のネジ、シロが持ってた。シロがみんな持ってた」(同上)


 単行本の帯コピーは“新世紀痛快悪童漫画”。純真無垢でおっとりしたシロと、頭の回転が速くケンカに強いクロという2人の子供が、互いに足りない部分を補いあってたくましく生きる姿を描く。舞台は架空の街・宝町。彼らにとって宝町は自分のシマ。街並みを変えようとするヤクザや外部の企業から宝町を守るべく戦う。主役の2人以外にも存在感のある個性的なキャラが多く登場し、中でも昔気質のヤクザの鈴木(ネズミ)や、当初は冷めた人間だったがシロとの交流で優しくなっていった新入り刑事の沢田は、物語をより深める名脇役だ。鈴木と舎弟・木村の“別れ”は作品を代表する名シーンのひとつ。アクションシーンも盛り沢山で、朝夜兄弟との対決やチョコラ救出バトルは07年に公開された映画版でも盛り上がった。
 1巻では様々な看板でゴチャゴチャしていた街並みが3巻では個性のない無機質な建物ばかりになっており、背景でも時の流れを語っている。シロは幾つも腕時計を巻き、被り物にもこだわり、ファッションセンスは松本キャラの中でピカイチ。

※今では信じられないけど連載時は打ち切りの憂き目にあったようで、後半のイタチのエピソードが観念的になりやや失速した感がある。是非、当初の構想にあったという、イタチVSシロ・クロの一大バトルを『アナザー・鉄コン』として描き下ろして欲しいッス!

 

108.MONSTER('95)〜浦沢直樹
「お前が生まれてきたのには、意味がある!!お前は、誰かに望まれて生まれてきたんだから!!」(第12巻)

 
10巻あたりで完結していれば、確実にTOP20内に入っていた。10巻までは、1話でも飛ばして読むと内容が分からなくなるほど、猛烈に密度の濃い展開だったのに、それ以降は単行本1冊分まるまる素っ飛ばしても、全然ストーリーが変化していなかった。「大傑作」が「ちょっと良作」になってしまい、読者として残念極まりない。(女装って…どうよ…)

※追記…サイト読者の方から、「これは実話を漫画化したものだから、10巻以降がマンネリ化したのも、女装も実際そうだったので仕方ないんです」とメールを頂いたのですが、別の方から「あの物語はフィクションです。さも本当にあったことのようにドキュメンタリータッチで書かれた本(「もうひとつのMONSTER」)があるので、誤解をされる方が多いようです」と教えて頂きました。

 

109.もやしもん('04)〜石川雅之
「何が除菌ブームや、何が清潔な暮らしや!人間一人がどれだけの菌持ってると思ってんだ!100兆だぞ!まっすぐ並べると地球5周だ。便所の菌なんてメじゃねェ!菌ってだけで悪だってんなら、人は菌袋だ、お前もだー!」(第1巻)
「何だったっけこいつ…あァ…風邪の菌だ。(川浜の口に)あっ!」(同上)
「かもして、ころすぞ」「みんな!食うなァ!」(同上)
「要は酵母のウンコなんスね酒って」「発酵に限ってはウンコではなく“生産物”と呼ぼう」(同上)
「人類が唯一成功した錬金術。それこそが酒であり発酵という菌の力の奇跡だ」(第2巻)
「何も出来ず朝を迎えた俺を笑ってくれ…」「いやいや偉かったぞ。それは女の形をした爆弾だからな」(同上)
「UFOや宇宙人にふれる時はね、ロマンというフィルターを心にかけるとよく見えるよ」(第3巻)
「植物の周囲1ミリは植物と共に生きる菌で大都会が形成され、土壌の500倍の“菌口密度”を誇る」(第4巻)
「沢木の指の跡をかもす遊びか」「やろうかァ」「今回色指定とかあった?」「“さわき”って書けばいいんだよ。菌ごとに分かれよう」(同上)
「お前らチョット落ち着けよ。酒の味変えねェでくれ」「ばっきゃろい何言ってんだ、そこのホモサピは。俺らは酒造ってんじゃねェ、生活してんだ」(第5巻)


今までにない切り口の漫画で実に面白い。舞台は農業大学。主人公の沢木君は菌やウィルスが肉眼で見え、会話を聞いたり話もできるという特殊能力を持っている。世界を菌の目線で見つめるという新鮮な体験に、知的好奇心を刺激されまくった(作中の菌たちは可愛くデフォルメされている)。菌視点で世の中を見ることで、自分の狭い価値観に気づかされることもしばしば。菌関係の話は読んでるだけで勉強になり、立派なトリビア本でもある。何度も登場する日本酒やワインの醸造ネタは、登場人物が美味そうに呑んでいるので、思わずこちらも喉が鳴ってしまう。僕もガラにもなくワインとチーズを用意したり、吟醸酒を冷やしたり、作品の影響恐るべし。
作中の菌たちの口癖は「かもすぞ」。この「かもす(醸す)」という言葉は、繁殖、発酵、腐敗させること。だからO-157は「かもして、ころすぞ」とかなり怖いセリフを吐く(汗)。沢木君が「酒の味変えねェでくれ(かもさないで)」と頼むと「ばっきゃろい何言ってんだ、そこのホモサピ(エンス)は。俺らは酒造ってんじゃねェ、生活してんだ」と切り返されちゃう。人物は農大生も教授もクセのある連中ばかりで実に濃い。キャンパスはそこいらのテーマパークより楽しそうで、中高生は農大に入学したくなるだろう(実際、農業や畜産は生きる事と直接関わっている大切なもの)。
お薦めエピソードは第2巻の第17話『相手の目線に立ってみよう』。色んな種類の菌・カビが大連合を組もうと盛り上がる話で、小さな菌たちが愛しくなることウケアイだ。第4巻の第48話『初秋へ』も菌たちの優しさにホロリと泣ける良い話。他のマンガ家にも『もやしもん』のファンが多く、『のだめカンタービレ』第15巻には菌が出張して、のだめの作ったカレーを“かもし”ている(笑)。
※まだ6巻しか出てないけど、漫喫でサラ読みするのは無理。なんせコマの外まで菌の解説文が書かれているので、1冊読むのにすごく時間がかかるんだ。
※連載開始時のタイトルが第2話から変更になった異例の作品。「農大物語」→「農大物語 もやしもん」→「もやしもん」となった。単行本表紙のロゴデザインが未統一なのも珍しい。
※雑誌掲載時に書かれていたコマ外のキャラ紹介や作者のつぶやき、宣伝が毎回収録されているのも異例。


【作品の欄外に書かれている菌たちの解説文がユニーク&勉強になる!】
A・オリゼー…黄麹(こうじ)カビ。デンプンを糖化。味噌、醤油、酒造りに参加する日本の国菌。
アルテルナリヤ…コンタクトは洗わないと彼らの家になります。
クラドスポリウム…クーラーに住んでスイッチオンを待ってます。
C・トリコイデス…黒カビ。おフロ大好き。
P・クリソゲヌム…青カビ。ミカンやお餅でよく会うね。
A・アセチ…ロマネ・コンティ(高級ワイン)だろうがアセチにかかればただのお酢。
S・アウレウス…あらゆる病気の起因になれるマルチプレイヤー。
A・ソーエ…高濃度の塩分の中でも“かもし”可能で醤油や味噌の醸造に大活躍。
E・シバリエリ…古本なんかを“かもす”けどカツオブシも作ります。
T・ハルジアナム…生きたモノをかもしませんが、落ち葉とかは任せて下さい。
L・ラクチス…ご存じ乳酸菌。このコは多分野生です。
B・ナットー…納豆菌。氷点下だろうが湯の中だろうがどこでも元気。



友人がゲットした限定品のレア日本酒
『純米吟醸生かもすぞ』。めっさ美味しい!
6巻限定版には40cmの巨大A・
オリゼーぬいぐるみが付いてるゾ

110.カリフォルニア物語('79)〜吉田秋生
「なんちゅう顔すんだ。せっかくのジャックダニエルが泣くぜ」(愛蔵版第3巻)
「いかがです?もっと」「いや…もう十分です」(同上)
「何が救いになるかは本人にしか分からんさ。…そうだろう?」(愛蔵版第4巻)

 
吉田秋生20代前半の初期作品だが、この、まるで大長編を何作も発表してきた巨匠が描いたような落ち着いた空気(枯淡、と言ってもいい)は一体何なんだ!?オヤジ、バーボンを一杯くれって感じ。主人公の親友“インディアン”は、マンガ史上屈指の頼れる好感度キャラクター。ああいう広い心を持つ漢を目指したい!!

 

111.残酷な神が支配する('93)〜萩尾望都
『愛したい。誰かを愛したい。愛したい!心から!まっすぐに!ただまっすぐに!幸福に!愛されたい!愛されたい、誰かに!幸福になりたい!誰か愛せる者、まともに愛してくれる者を探して、見つけて、この狂った秤の針を、もとにもどしたい!』(第3巻)

 
凄まじい話だったとだけ記しておく。

 

112.仮面ライダー('71)〜石ノ森章太郎
「…貴様は危険な化物だ。気の毒だが…生かしておくわけにはいかない」
「…コウモリ男は死んだ。だが…この男も、もとはと言えば…普通の人間だった。ショッカーの哀れな犠牲者なのだ!」


 
悪の組織ショッカーの最終目的は、今となってはブラック・ユーモアになってしまった。彼らの目的は日本人の一人一人に番号を振り分け、コンピューターのもとで情報を管理し、テレビを通して自分たちの都合の良いように国民を操るというもの。国民総背番号制ってあんたそれ、もう国会で可決されて実行された法案じゃん。トホホ…。

 

113.宇宙戦艦ヤマト('74)〜松本零士
「佐渡先生。わしをしばらくひとりにしてくれんか?」(第2巻)

 僕は松本零士が描くメーター(計器類)が大好き。ブリッジに色んなメーターがズラリと並んでるのを見ると、血が沸騰してしまう。これってメーター・フェチなのか?

 

114.こちら葛飾区亀有公園前派出所('76)〜秋本治
「(麗子)2880万円も使わせてしまってごめんなさいね」
「(中川)なーに、フェラーリを買ってぶつけたと思えばいいさ。先輩の怒りの方が恐ろしいからね」(第61巻)


 
単行本は既に130巻を越え、今なお連載中。ここ数年で作品の質が落ちまくっており、秋本治死亡説が流れている。現在の秋本治は3代目という噂も…。(笑えないところがリアル)

 

115.月の子('88)〜清水玲子

「人魚姫は、命をかけるほど好きになれる、そんな素晴らしい人に出会えた。それが幸せなんじゃないでしょうか」(第7巻)

 第1巻を読み終えた時、誰があの最終巻を予測できたであろう。こんなブラックな作品、聞いたことがナイゾーッ!「にがよもぎ」はマジでシャレにならん…。

 

116.ドカベン('72)〜水島新司
 最後の試合はホントに素晴らしかった。あれ以外のラストは考えられない!

 

117.アンジェリク('77)〜木原敏江
「妙な気分だった…嫉妬半分、苦笑半分…だが悪い気はしなかった。…そうだあの娘ならいい。あの娘以外ではだめだ」(文庫版第3巻)

 
「わたしきっと地獄に堕ちるわ…」と口では言いつつ、周囲にどんな迷惑がかかろうとも本能のおもむくままに行動するアンジェリク。プッツン状態の彼女は向かうところ敵なし!それにしても、太陽王ルイ14世は最低なヤツ。

 

118.ねじ式('68)〜つげ義春
『まさかこんな所にメメクラゲがいるとは思わなかった』

 つげの絵のセンスは天才的だと思う。※でも正直、ちょっと苦手かも…。

 

119.笑う大天使(ミカエル)('87)〜川原泉
「何を暗いお顔なさってるのかしら。あたくし達のかわいいコロボックルちゃんは」「げっ!3年のお姉様方!右から順に、紫の上、白薔薇の君、桔梗(ききょう)の宮…」(第1巻)
「文句があるならベルサイユへいらっしゃい」(第2巻)

 多くの女性から熱烈に支持されてる、名門女学校の異端児三人衆の武勇伝。主役の3人(コロボックル様、オスカル様、ケンシロウ様)は各人の個性が上手く描き分けられ、しっかりキャラが立っている。脇役も、紫の上、白薔薇の君、桔梗の宮、沈丁花(じんちょうげ)さんなど、名前だけでインパクト絶大。本作ではちょっとしたお菓子の説明なども、「優雅さを気品と威厳でサンドイッチにして、高貴さでコーティングしたエンゼル・パイ」と楽しい。同時に、これほどメインキャラが始終何かを食べているマンガも珍しい(笑)。3人組はどんな時でも自然体で、それが見ていて気持良い。
 世間には「川原教」の信者が多い。世の大半の女性がそうだといっても過言ではあるまい。K-1の選手であろうと、街角で著者の悪口を言って、3分後もまだ生きている可能性はゼロだ。
 ※川原泉は「ごきゅごきゅ」など擬音が面白い。作者が作品にガンガン突っ込むのも特徴。
 ※3巻のテディ・ベアのルドルフ、あの切ない物語にはウルッときた…。

 

120.ぼくの地球を守って('87)〜日渡早紀
「うわーっ!木蓮!また歌ったな…!」(第19巻)

 
この輪廻転生マンガが大ヒットした連載時、前世や生まれ変わりを信じた自殺願望ともとれるファンレターが作者のもとへ何通も届いたらしい。それに対する作者の返事はいたってシンプルなものだった--『人は何も死ななくても、その人生の中で何度でも生まれ変われる』。その通り!!

 

有閑倶楽部('81)〜一条ゆかり
「ハンサム、皇太子、もちろん金持ち!やったわ玉の輿!!」(第4巻)

 登場人物はみんなキャラが立ちまくり!破壊的ギャグの嵐が脳をシェイクしまくった。オカルトものは、けっこうマジで怖い。

 

パタリロ!('78)〜魔夜峰央
「これは・・・そうかダジャレの暗黒面!」(第50巻)

 
この第212話『ダジャレの帝王』のバイタリティ、そしてテンションの高さ!50巻目にしてなお高品質の作品を生み出し続ける作者には、アッパレとしか言いようが無い。ギャグ以外でも、タマネギ部隊にスポットを当てた作品などには感動エピソードも多く、“パタリロ!”をベスト100に入れないわけにはゆかぬ。絵的にも、すっきりした背景のタッチが読みやすくて良い。

 

綿の国星('78)〜大島弓子
 高2の夏、映画版を見に行き、売店でチビ猫の下敷きを買った。学校に持っていき、クラスの誰にもばれないようにずっと使っていたことを、ここに告白する。

 

ハレンチ学園('68)〜永井豪
「死、死んで、た、たまるかよう。戦争なんかで…い、いやだ、生きてやるわ、生きてやるわ、生きて…」(最終回)

 
ずっとただのピンクマンガだと思っていたら、最後の方でメインキャラクターが次々とPTAとの戦争(!)で散っていった。参りました、豪先生。

 

闇のパープル・アイ('84)〜篠原千絵
 絵の上手い、下手はともかく、親子二代に渡る壮大なバトルは圧巻だった。ほとんど中だるみがなく、一気に読ませた。

 

ナニワ金融道('90)〜青木雄二
「人間、どんなことにでも慣れてしまうもんや」

 
いやー、なんちゅうか。…えげつない…だがこれもまた現実世界!青木氏は本業以外でも権力や世の不正義と戦っていた昔気質のマンガ家だっただけに、03年の急死が残念でならない。

 

コッペリオン('08)井上智徳
「こんな地震大国に原発を建てるのがそもそもの間違いだったんだ」(第2巻)
「樹木はカリウムによって葉の水分を調整する。セシウム137はカリウムに成りすまして木の中に入り込む」(同上)
「お台場原子力発電所…当時私はあの巨大施設の現場チーフを任されていたんだ。ところが表向きのクリーンな印象とは異なり、内部の実情はひどいものだった。国は莫大な予算を原子力に投じてはいたが…本来安全対策に遣われるべき費用のほとんどがカットされていた。噂では利権に群がる官僚や政治家たちにむしり取られ…意味のない公共事業(ハコモノ)へ回されたとか…。果ては原子炉の管理業務までもが外部へ委託され、会社の人間は1人また1人…危険な現場から立ち去っていった。その時思ったよ。これがこの国システムなんだってな。とっくに歯車は壊れていたんだ。にもかかわらず…誰もが見て見ぬフリをし続けた。そのツケがあの原発事故だったというわけさ」「原子炉の定期点検は金がかかる…だから…社の命令で回数を大幅に減らしたんだ!そのせいであんなことに…あれは…あの事故は人災だったんだ!!」(第7巻)※2010年5月。震災前!
「都民の決意。お台場原発建設決定。エネルギー自らの手で!」(同上)
「俺はもう打った。いいから早く打て!」(同上)
「めっちゃいい役、ウラヤマー!!」(第8巻)

 
福島で原発事故が起きる前に、原発問題を扱ったマンガはわずかしない。『パエトーン』(山岸凉子)、“ゴルゴ13”の第213話『2万5千年の荒野』(さいとう・たかを)、東電事故によって連載中断になった『白竜〜LEGEND〜/原子力マフィア編』(原作・天王寺大/劇画・渡辺みちお)、『原発幻魔大戦』(いましろたかし)、そしてここに紹介する『コッペリオン』、僕が知っているのはこの5作品だけ。『コッペリオン』以外は短編や挿入エピソードのひとつなので、原発事故のみを描いて10巻以上も物語が続いている唯一の漫画作品と言っていいだろう。

 舞台は2036年の東京。「」“新都電力”が東京湾に建設した「お台場原発」がメルトダウン事故を起こし、東京は死の街と化す。政府は生存者を救出するため、放射能の中でも生きられるよう遺伝子操作をした人間「コッペリオン」を生み出し、都心に向かわせる(コッペリオンが何人いるかはまだ不明)。物語はコッペリオンの女子高生3人を中心に展開し、強制退避区域の中で個人的な事情で生活している人々との交流が描かれる(救助を拒否する人もいる)。
 2008年に連載がスタートした本作品。井上先生は今の福島の状況をどう感じているのだろう。震災の約1年前、2010年5月に刊行された第7巻に、原発設計に係わった人物の言葉として、こんな台詞が出ていた。「お台場原子力発電所…当時私はあの巨大施設の現場チーフを任されていたんだ。ところが表向きのクリーンな印象とは異なり、内部の実情はひどいものだった。国は莫大な予算を原子力に投じてはいたが…本来安全対策に遣われるべき費用のほとんどがカットされていた。噂では利権に群がる官僚や政治家たちにむしり取られ…意味のない公共事業(ハコモノ)へ回されたとか…。果ては原子炉の管理業務までもが外部へ委託され、会社の人間は1人また1人…危険な現場から立ち去っていった。その時思ったよ。これがこの国システムなんだってな。とっくに歯車は壊れていたんだ。にもかかわらず…誰もが見て見ぬフリをし続けた。そのツケがあの原発事故だったというわけさ」。また、「原子炉の定期点検は金がかかる…だから…社の命令で回数を大幅に減らしたんだ!そのせいであんなことに…あれは…あの事故は人災だったんだ!!」「こんな地震大国に原発を建てるのがそもそもの間違いだったんだ」とも。
 福島の事故後に明らかになった、電力会社のずざんな危機管理を見抜いているようなセリフだ。

 掲載誌は講談社の週刊ヤングマガジン。“原子力村”と対立するセリフを載せた英断に敬意を表したい(施工業者も三菱をもじった三ツ星重工)。作品内で東京競馬場は集団墓地となっており“高濃度汚染地帯”と化している。人骨にストロンチウムが堆積しているためだ。第2巻には「樹木はカリウムによって葉の水分を調整する。セシウム137はカリウムに成りすまして木の中に入り込む」というセリフもある。この作品にはセシウム、ヨウ素、シーベルト、そういった言葉がいろいろ出てくる。事故前に読んでいたら、実生活と縁のない元素や単位ゆえ、記憶に残らず素通りしていただろう。いま読むと、注釈を読まなくてもセシウムの半減期が長いことが分かる…。放射性物質に詳しくなる必要もなく、生きていけたら良かったのに。
 物語には自衛隊の反乱部隊が出てくる。彼らは原発事故の救助にあたった部隊で、政府に見捨てられ、書類上では全滅した事になっていた。こういうエピソードもすべて震災前に描かれていた。

 作品の評価が難しいのは途中から人間ドラマよりもバトル描写が増えたこと。コッペリオンに選ばれた者は、遺伝子操作の副産物として特殊能力を持っており、空中に浮かんだり、放電攻撃ができたりする。そして、価値観の異なるコッペリオン同士がサイキック・バトルを展開する。僕はこの作品がどこを目指しているのか分からなくなった。超能力者同士の戦いは他のマンガでゴマンとあるわけで、あまりそこに比重を置かなくても良いのでは(汗)。ド派手な超能力対決がなくても、「放射能に対抗する体を持つ者が汚染区域で救助作業を行う」という、それだけで様々なドラマが生まれるし、幾らでも物語を掘り下げることが出来ると思う。苦言をもうひとつ。毎回のように最初の数ページを前回のラスト数ページと同じにするのは止めて欲しい。バラエティー番組でCM明けの巻き戻しを見せられてる気分。週刊誌ではよくても単行本でやられると脱力。とにもかくにも、現実となった原発事故を受けて、今後どのように作品が進んでいくのか注目しています。
※一番好きなキャラは男子学生でコッペリオンの黒澤遥人君!

 

鈴木先生('06)武富健治
「想ってるだけでいいじゃない…!どうしても伝えたかったら一度そっと伝えて…それで、もういいじゃない!」(第3巻)
「完全に…レッドゾーンに入り込んでたよ…」(同上)

 
中学教師の主人公が、誠実に生徒たちと向き合い、様々な問題にぶつかっていく。壊れゆく登場人物がいっぱい。※僕はまだ半分までしか読了しておらず、今後ランクアップする可能性大。

 

ZERO('90)〜松本大洋
「何もボクシングが全てって訳じゃないさ。ゴシマみたいにならずに済んだことを神に感謝するんだな、カーチス。」(上巻)
「あなたはいつだって正しい事を言う。今までも…たぶんこれからもね。だけど僕はあの人を信用するよ。あなたの言う悪魔に付いて行く。」(下巻)
「花が種を作るのであれば…奴はたぶんこの試合を最後に…」(同上)
「良く立ったぞトラビス!一緒に行こう。素晴らしい所だ…もっと強くっ。もっと高くっ。」(同上)
「殺せ!彼もそれを望んでいる。」(同上)
「そうさ、普通じゃない。開放されたんだよ。素晴らしい試合だ。」(同上)
「ずっと一人だった。この10年間ずっとだ。そんな息子にもやっと友達が出来てな。日が暮れるまで思い切り遊んでこい。親ならそう思うだろ。」(同上)


現在刊行されている松本マンガで最も古い作品。この狂気をはらむ美意識が刻まれた作品を23歳で描き上げたとは信じられない。主人公は10年間無敗のミドル級チャンピオン五島雅。孤独な五島は失うものが“ゼロ”ゆえに最強だ。しかしそんな彼も30歳を迎えて体力の衰えを感じ、リングの闘いを通して、花が散る時のように“種”を相手の魂に残そうとする。下巻ではまる一冊を使って凄絶な一つの試合を描ききった。五島とトレーナーの父子のような愛、そして五島の魂が子供のように開放されていくクライマックスが素晴らしい。版画のように明暗が強調された筆致も、リング上に炸裂する気迫を表現するのに高い効果を上げていた。

【ネタバレ文字反転】
孤独な五島にとってトレーナーの荒木は肉親同然。それまで凶暴だった五島がリング上で童心に戻り、ボコボコに膨れあがった顔で「ハイッ!」と嬉しそうに返事をする場面は、親に誉められた子供のようで泣ける。ラストの「花がいい…次、生まれる時は花がいい…そうしたら荒木、お前は隣に咲いてくれ…」は、どれほどこの2人が魂レベルで結びついているのかが分かる、心を揺さぶる名セリフだ。

※前作の野球マンガ『ストレート』は絶版であり、氏が「絶対に復刊しない」と断言していることから(一説によると遺言にも「絶版厳守」と明記するらしい)、ZEROが今後も松本作品の入口になるだろう。
※作品中のスポーツ紙の見出し「廃人工場 五島」って凄いインパクトがあるね。
※僕は30代でこれを読んだので、冒頭の「こいつも来年、30か…さすがに…老けたな…」に、グサッとダメージを受けました(笑)。


 

純情クレイジーフルーツ('83)〜松苗あけみ
・「子供なんていらない。ベビーはあたしひとりでいいの…」
・「…渇いている」


 
女子高を舞台にしたパワフルな娘たちの物語。男の自分は、読んでも良かったのだろうか?何か見てはいけない世界(禁断の地)を覗いてしまった気分だ。
カイジ('96)〜福本伸行
「前向きのバカならまだ可能性はあるが、後ろ向きのバカは可能性すらゼロ!」(第3巻)

 やっぱジャンケン編だろう。単行本6冊にわたって、ジャンケンしてるマンガなんてあり得ない!しかも心理戦がめちゃくちゃ面白かったッ!
マージナル('85)〜萩尾望都
「愛のほかは全部くれると言った!」(第5巻)

 その昔自分はかーちゃんにこのマンガを見せ、メインキャラの一人キラの衣装を作ってもらった…。
ぼくの村の話('92)〜尾瀬あきら

 名作『夏子の酒』の尾瀬あきらが描いたというので何気に読んでたら、なんと成田空港の建設に反対する農民たちの物語だった。クライマックスは砦を作って機動隊と対決した“三里塚決戦”。今どき、よくこんな企画が通ったと思う。絵柄が優しいだけに、内容とのギャップが強烈なインパクトになった。
ドラゴン・ヘッド('94)〜望月峯太郎
「怖いものは、やっつけるか友達になるしかないんだ」(第2巻)
「太陽ッ!?なんでこんな暗いのに太陽が出てるのッ!?う…嘘ッ!?そ…そんなッ、そんなッ!?」(第3巻)

 地震、噴火、洪水、大火災、発狂した武装市民、よくもまあ、これだけフルコースを用意してくれたもんです。それにしても、さんざん引っ張っておいて、あのオチはないだろう。あんなオチならタラちゃんどころか、イクラちゃんだって考え付くさ。
さくらの唄('91)〜安達哲
「あの娘をひと目見たら、もう恋に落ちるしかないよ!落ちない男をオレは信じない!そういう感性の鈍さをオレは信じない!」「わかったっつーの」「じゃあなんでそんなに普通にしている!?なぜオレの様に身を焦がさんのだ!」(文庫版上巻)
「いい女はみんな堂々としてるぜ。猫背でクライ顔したいい女などいない。存在だけで他を圧倒する自己表現してる」(同上)
「自分に人生があったのはこの日の為だったのだと今分かった。漫然と意味もない日々に自分が生まれねばならなかった理由をよく考えたがそれは今日という日があったからだ…!!」(同上)
「フッフッ。今のオレを2時間前のオレと同じに思うなよ」(同上)
「す…素晴らしい…!オレに権力があれば今のポエムにすべての名誉を与えるだろう」(同上)
「こんな人に一瞬でも嫉妬心抱いたのがおかしくってさ。ぜーんぜん違うと思ったのよ。関係ないや。こんな人みたいになりたくないや。要するにあたしの人生とは無縁の人種だ、いないも同じだってね」(文庫版下巻)


 有害図書に指定され発禁騒動が起こった問題作。前半の平和な学園ドラマが途中からえらいことに(上の名セリフ抜粋も上巻が殆どで下巻はほぼ皆無)。近親相姦、性暴力、いじめ、自殺、読んでて気が狂いそうになった。電車の中で有名な文化祭上映会事件のとこを読んでて倒れそうになった(よほど顔色が悪かったのか、周囲から注がれるビビリ視線を感じた)。相当精神的にタフな人でないと、この作品をお薦め出来ない。読者の精神をズタズタに引き裂く青春の地獄絵巻。逆説的になるが、他の漫画家が及び腰になる内容を、ここまで青春マンガというジャンルで描ききったという意味で、マンガ史に残る作品であることは間違いない。100選に入れるよりあるまい。
美貌の果実('87)〜川原泉
「せ、精しゃん!!」
「ふっふっふっ…すげェだろ〜。こんな事も出来るんだぞ精さんは」
「うん!しゅげえ!」


 葡萄の精とワインを作る人々との、優しく、温かく、そしてちょっぴり切ない物語。川原泉のホンワカ・ワールドの真骨頂。
月下の棋士('93)〜能篠純一
「一人なんて怖くない…今、一人なんだから…でも人を愛して…人を信じて…待って待って…また一人になるのが怖いだけ!!」

 8巻あたりまでは極度に緊張感が張り詰めた、非常に中身の濃いマンガだった。“棋士”という言葉そのものがやたらと眩しかった。しかし、それ以降は…。
イズァローン伝説('82)〜竹宮恵子
 こんなに長いSFを描ける女性マンガ家を他に知らない。その豊かなイマジネーションに脱帽。
GOGOモンスター('00)松本大洋
「1年生の時…スーパースターはすぐ傍にいて…いつだって僕のハモニカを聴きに来てくれたのに…今はもう奴らしか感じられない…奴らばかりだ」
「あの手の嘲笑や視線はすぐに慣れる。人間の適応能力は君が考えるよりずっと高いんだ」


 松本大洋が約2年を費やして描き下ろした、450ぺージという辞典並みの長編(値段もドドーンと2500円)。作者が“締め切り”という拘束を気にせずペンを握った作品であり、複雑な構成は描き下ろしならではのもの。『花男』と同じく小学3年生の一年間を描いており、タイトルの軽快なイメージと違ってアクションは一切ない。主人公は使われなくなった校舎の4階に“奴ら”(モンスター)が棲み着いていると感じているユキ。他の生徒には見えておらず、周囲はユキのことを気持ち悪がるが、転校してきた同級生のマコト、用務員のガンツさん、段ボール箱を被っている謎の5年生“IQ”だけは、ユキの言葉に耳を傾けてくれる。本作品は読者への情報が少なく、細かい解釈は読み手によって異なるだろうが、大筋では「モンスターはユキ自身が心の内に作り出したものであり、感受性の強いユキは大人になることへの漠然とした不安をモンスターとして感じていた」といったところか。満開のヒマワリ、雨、ハーモニカの音、様々なイメージや心象風景を積み重ねることで、一人の少年の内面世界とその成長を描ききった。哲学的な作品ではあるが読後感は爽やかで、本を閉じた後も自転車に乗るユキとマコトと一緒に風を感じていた。
 これまでにも子供が主人公の松本マンガはあったけど、この作品は従来より一歩先に進んだところにある。『鉄コン』のクロや『花男』の茂雄は、内面の成長に親友や肉親といった“他者”が大きな役割を持っていた。ところがユキは、基本的に自分1人の力で成長している。鏡となってくれる相手がいないんだ(マコトとは少し距離がある)。現実社会には自分を変えてくれる友人に出会えなかった人も確実にいるわけで、その場合はユキのように自分で自分を成長させるしかない。ユキに強く共鳴した人にとっては忘れ難い一冊となるだろう。
本作はセリフが少なくナレーションもないが、作者いわく、多弁であるよりも「引く演出」の方がテーマが伝わりやすいと考え、このような形になったとのこと。また、締め切りがない=描き直しが可能ということで、執筆がなかなか先へ進まず大変だったという。「10枚やったところで、この8枚はダメじゃないか、とかやりはじめちゃって。3歩進んで1歩下がるみたいなことをずっとやりながら少しずつ前に行った」(松本)。

※「12月27日」の回は2ページのみ。セリフはなく冬休み期間も開いていた校門が、夕方になり「ガラガラガラ…ガシャッ」と音を立てて閉まるだけなんだけど、この、門を転がす音が響き渡る校内の“カラッポ感”が素晴らしい。
※前作『ピンポン』から登場した学校チャイムの音「リーン・ゴーン・ダーン・ドーン」が本作でも随所に登場。キンコンカンコンよりも、この音の方が臨場感があって好き。
※モンスターの正体が自分自身であるというのは『鉄コン』のイタチを彷彿とさせる。
※「彼は格好よかった?」「うん」。この“うん”と言うユキの穏やかな表情は、見ているだけで涙がこぼれそうになる。松本作品を代表する“良い絵”だと思うッ!
※「GOGOモンスターは、もはやマンガとは言えない何か」(よしもとよしとも)
※P.193、ユキが描いてる“奴らのボス”を見ていたマコトが、伏せた目を(モンスターが棲む)校舎の4階に移す描写は、2コマなのに間が絶妙!
※この作品は日本漫画家協会賞特別賞(01年)に輝いた。


 
クレイジー・ピエロ('81)〜高橋葉介
 鮮血のオペラ。中学時代、悪友Nの本棚にあるのをたまたま手に取り、どえらい目に。顔面タテ切りや頭部輪切りは10年以上目の奥に残った。残酷なのに美しいという、異様な印象を与える作品だ。
コージ苑('85)〜相原コージ
 4コママンガで涙が出るほど笑ったのはこの作品が初めて。
櫻の園('85)〜吉田秋生
 読んでいると、どんどん身体が透明になっていく気がした。全然タイプが違う作品だけど、純クレと同様に、この作品は男の自分には禁書だったような気がする。
少年ケニヤ('51)〜山川惣治
 今思うと、ストーリーはあまりに荒唐無稽だが、小学生の時はどれだけワクワクしたか。その頃の興奮が心の片隅に残っているので、このベストからどうしても外せなかった。
吉祥天女('83)〜吉田秋生
「あんな奇跡みたいな女がいるのか!」

 かっちょいいヒロインに対し、男性陣は遠野君を除いてアホ男オンパレードだった。
球道くん('76)〜水島新司
『球けがれなく、道けわし』(第1巻)

 
キャッチャーのエージが良かった。しっかし、監督の入っていた日本酒のお風呂はインパクトがあったなぁ。
うしろの百太郎('73)〜つのだじろう
 マンガ本編も怖かったが、途中の写真入りの解説がさらに怖かった。
バイオレンス・ジャック('77)〜永井豪
 あのラストは自分の中でも賛否両論があり、ここには迷いの存在だけを告白するにとどめよう。
赤々丸('84)〜内田美奈子
・「ううっ、絶望が押し寄せて来る!総てのものは色あせ、わたしは暗闇の中にたたずむ。そこは断崖のふち!」
・「見られて何が悪い。人生はショーだぜ」

 一見ギャグ・マンガだが、作品全体として哲学的なメッセージを含んでいる。
ここはグリーン・ウッド('86)〜那州雪絵
 いやはや何もかもがシュールじゃったのう。
マカロニほうれん荘('77)〜鴨川つばめ
「本名、“ひざかた歳三”25歳!落第10回生であります!!」
「あたしは、“きんどー日陽”ちゃんよー。あたしは落第24回生、40歳よー、よろしくねー!!」(第1巻)


 
25歳&40歳、これで二人とも高校生。すでに設定の段階でブチ切れている。
ちびまる子ちゃん('86)〜さくらももこ
「ひゃっほう、そいつあ素敵にゆかいだ!」(第2巻)

 作者が作中にガンガン自分でツッコミを入れるスタイルが新鮮だった。(“一人ツッコミ”は川原泉と通ずるものが)
魔人探偵脳噛ネウロ('05)〜松井優征
「人間として人間の心を捕える力…誇っていいぞヤコ。それは貴様やあの女が持っていて、我が輩が持っていない能力だ」(第2巻)
「人間に可能な事は…我が輩が思っていたよりずっと多い」(同上)
「ああ…どうしてこんな事に…私の自慢のバイキングが…シェフの誇りを満載した無敵艦隊が、開始30分で壊滅するなんて」(第4巻)
「芸術品の価値を決める大きな要素の一つが、それに宿った制作者の感情の強さだ。その感情に共鳴する人間が多いほど、大きな感動を生み出すんだ」(第7巻)
「あんたを殺さなきゃ俺の正体が人間か魔人かもわかんない」「人間に決まっている。我が輩を殺す為の創意工夫、予想外の出来栄えだったぞ。その向上への姿勢こそ…貴様の正体が人間である証拠だ」(同上)
「貴様も奴も自分の可能性を知る事に関して真摯だ。それは生命力の強い魔人には出来ない事だ。人間は短い時間を生きるからこそ…必死になって進化の可能性を探し求める。しかも、追い込めば追い込むほど進化のスピードは加速するのだ」(同上)
「今諸君が最優先で守らねばならないのは!!警官としてのプライドだ。悔しくないか!?プライドをズタズタにされて悔しくないか!?1人の警官として!!傷つけられたプライドを取り戻せ!!犯人を探す者も!!2次犯罪を防ぐ者も!!市民の前にただ立って安心を与える役割の者も!!全員がプライドを持って仕事にあたれ!!バラバラにされた警察のプライドを!!諸君らが拾い集めてここに持ってこい!!以上!!」(ジャンプ08年08号)


 人間界の『謎』を食べに魔界からやって来た魔人ネウロ。当初は人間を見下すのみだったが、人間の深層心理を研究しているうちに、様々な長所にも気付き始める。作者の画力は決して高いとは言えない。しかし、あの絵であればこそ生きる、このストーリー。絵の上手下手と物語の魅力は関係ないという好例。
シニカル・ヒステリー・アワー('84)玖保キリコ 、幻魔大戦('67)石ノ森章太郎、サザエさん('46)長谷川町子、美味しんぼ('83)花咲アキラ、自虐の詩('85)業田良家、伊藤潤二もの。

ベスト圏外〜エイリアン通り(成田美名子)、いつもポケットにショパン(くらもちふさこ)、釣りキチ三平(矢口高雄)、デザイナー(一条ゆかり)、ホワッツ・マイケル?(小林まこと)、希林館通り(塩森恵子)、海の闇月の影(篠原千絵)、未望人(柳沢きみお)、タケオの世界(根本敬)、エンジェル伝説(八木教広)、イブの息子たち(青池保子)、ザ・コクピット(松本零士)、オバケのQ太郎(藤子不二雄)、草迷宮・草空間(内田善美)、きりひと賛歌(手塚治虫)、夢見る惑星(佐藤史生)

全巻購入済み(未読・出番待ち)〜からくりサーカス(藤田和日郎)、ガラスの仮面(美内すずえ)、エロイカより愛をこめて(青池保子)、バジル氏の優雅な生活(坂田靖子)、ALEXANDRITE(成田美名子)、あさきゆめみし(大和和紀)、宇宙家族カールビンソン(あさりよしとお)、星の時計のLiddell(内田善美)、花咲ける青少年(樹なつみ)、バリバリ伝説(しげの秀一)、CLEAR(耕野裕子)、SWAN(有吉京子)、神童(さそうあきら)

呪いのワースト・オン・ステージ〜B.B.フィッシュ('90)きたがわ翔…絵がキレイなだけ。美男美女の物語というだけでムカツいてるのに、15巻かけて伏線ゼロのミもフタもない最終回。読者を馬鹿にし過ぎ。本気で時間を返して欲しい。


●食べ物の考察(アニメ・グルメ)
07年2月、ランキングポータルサイト(ランキングジャパン)が、『食べてみたいアニメグルメ』のアンケート結果を発表。TOP15は以下の通り(15)日本昔話の大盛りご飯(14)ラピュタの目玉焼き乗せパン(13)トトロのとうもろこし(12)キン肉マンの牛丼(11)キテレツ大百科のコロッケ(10)ポパイのほうれん草(9)トムとジェリーのチーズ(8)おじゃる丸のプリン(7)ドラえもんのどら焼き(6)小池さんのラーメン(5)ドラゴンボールの仙豆(4)アンパンマンの顔※これは微妙(3)ギャートルズのマンモス肉(2)美味しんぼの“究極のメニュー”(1)ハイジのチーズ!このランキングを見ると昭和40年代生まれの人間には、アレがないコレがないって感じなので、僕の個人的なTOP20を作ってみた。すると上位の半分以上が違うメニューに!
(20)ガンダムのスレッガー中尉のハンバーガー(19)ど根性ガエルの梅さんのお寿司(18)伊賀のカバ丸の焼そば(17)ラピュタのドーラがかぶりつく肉(16)日本昔話の大盛りご飯(15)スネ夫のおやつのメロン(14)999のトチローの母のスープ(13)ルパンの“カリオストロの城”のナポリタン・スパゲティー(12)ドカベンのサチコ特製サンマ弁当(11)じゃりン子チエのホルモン焼き(10)ハウルのベーコンエッグ(9)ドラえもんのどら焼き(8)ラピュタの目玉焼き乗せパン(7)ヤマトの佐渡先生の酒(6)ギャートルズのマンモス肉(5)小池さんのラーメン(4)999の食堂車のビフテキ(3)ハクション大魔王のハンバーグ(2)あしたのジョーで力石が飲めなかった水道水(1)第1位はハイジのチーズで一緒なんだけど、願わくばお婆さんの白パンと木の器に入った山羊のミルクとセットにしたい(笑)。珍味系の番外編としては、味はともかく長靴いっぱい食べたいナウシカのチコの実、絵本からは“ぐりとぐら”の巨大カステラ、特撮からはウルトラセブン(VSポール星人)でダンが飲みたかった温かいコーヒー。もう世代色がガンガンのマイ・ベスト・メニューでした!(☆o☆)

ネットの活用方法はいろいろある。読者の方に紹介して頂いた戸田誠二さんという漫画家は、自分のサイトで作品を発表し続けた結果、それが反響を呼んで出版社から声がかかり、単行本の発売に至ったという珍しいデビューを果たした方だそうです。普通、パソコンのモニターで漫画を読むとすごく目が疲れるんですが、戸田さんの場合は短編作家ということで、1ページだけの作品も多く、ネットと相性がいいのかも知れませんね。リンク・フリーということなのでグッときた9作品を貼っておきます。人間の孤独や小さな救い、他者との交流が生んだぬくもりなどを描いた作品が主流なので、共感できる方も多いのでは。『人生』(1ページ)/『失恋』(1ページ)/『恋人』(1ページ)/『サメ』(1ページ)/『スマイル¥0』(1ページ)/『くらげ』(1ページ)/『Making World』(6ページ)/『2056』(3ページ)/『そんなあなたが好きよ』(2ページ)。戸田さんは来年で40歳。どの作品も独特の余韻がありますね。時々スピリッツにも掲載されているということで、これからの活動を楽しみにしています。
(読者オススメ)サイト読者の方から、『はじめの一歩』(森川ジョージ)を強力に推すメールを頂きました。
70巻を超える大長編マンガですが、以下の戦いが特に素晴らしいそうです!
・伊達VS一歩 (フェザー級日本王者タイトルマッチ・2122巻)
・千堂VS一歩 (フェザー級日本王者タイトルマッチ・2830)
・木村VS間柴 (J.ライト級日本王者タイトルマッチ・3233巻)
・鷹村VSホーク (J.ミドル級世界王者タイトルマッチ・4244巻)
・鴨川VSアンダーソン (第二次大戦後・46)

他にも、『蒼天航路』『トライガン』『天才柳沢教授の生活』『真説 ザ・ワールド・イズ・マイン』『アタゴオル物語』などもお薦めを頂いています♪
●参考資料・歴代発行部数
1位 こちら葛飾区亀有公園前派出所&ゴルゴ13  各1億5000万部
3位 DRAGON BALL 1億4000万部
4位 ONE PIECE 1億1000万部
5位 ドラえもん 1億部
(ジョジョ)7千万部

●2006年度、漫画家の会社所得ランキング

鳥山明    14億8300万円 バードスタジオ
高橋和希    5億1000万円 スタジオダイス   
藤子F不二雄 4億5600万円 藤子エフ不二雄プロ  
長谷川町子  4億4700万円 (財)長谷川町子美術館  
岸本斉史    3億7400万円 スコット  NARUTO
許斐剛     3億4700万円 テイケイワークス  
尾田栄一郎  3億3300万円 ビリーウッド  
やなせたかし 2億7000万円 やなせスタジオ  
井上雄彦    2億2000万円 アイティプランニング

【限られた時間でどの作品を次に読むのか】
世の中には無数の名作と呼ばれるマンガがある。しかもどんどん新作が発表される。一方、日々の生活で読むことが出来る時間は限られている。作品をチョイスする際に僕が参考にしているのは、文化庁メディア芸術祭・マンガ部門(文化庁主催※1997-)、手塚治虫文化賞マンガ大賞(朝日主催※1997-)、マンガ大賞(各書店の漫画担当者など有志で構成されるマンガ大賞実行委員会主催※2008-)という3つのマンガ賞。これらのマンガ賞は講談社や小学館といった出版社の枠を超えたもので、ノミネート作品のジャンルも幅広く、とても重宝している(マンガ大賞は“最新刊が8巻以内”という制約があるけど、受賞作がその後に脱力展開になったとは今のところ聞いてない。一方、手塚治虫文化賞は「ドラゴンヘッド」「MONSTER」のように受賞後に失速する作品も少なくない、汗)。





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●1〜30位
●31〜60位

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