世界恩人巡礼大写真館・番外編 【English Version】

【嗚呼、ルキノ・ヴィスコンティ監督は何処に!?】

★ルキノ・ヴィスコンティ/Luchino Visconti 1906.11.2-1976.3.17 (イタリア、イスキア島 69才)2004&05
La colombaia,Foro Isola d'ischia,Napoli, Italy


めっさ激シブ!

〔映画監督ヴィスコンティ賛歌!〕
14世紀から続くイタリアの名門貴族出身でありながら、貧困者や労働運動に深く共鳴し、虐げられた者の魂を描いたこと
から“赤い貴族”の異名を持つ(先祖はあのダ・ビンチの後援者だった)。社会派作品を撮る一方で、珠玉の文芸作品も
多く残し、滅び行く貴族の美学、退廃的な官能美を映像に描き込めば右に出る者はいない。(戦時中は反ナチス運動
に参加してファシスト政権に逮捕されたことも)。マーラーの音楽に乗せて“美”の核心に迫った「ベニスに死す」、芸術
の虜になった王を描いた歴史大作「ルードウィヒ」、格調高い映像で人間の孤独を描いた「家族の肖像」、この3作は
もう何度繰り返して見たか分からない。厭世的でありながらヒューマニズムを失わないヴィスコンティ映画にハズレなし!

代表作『揺れる大地』『若者のすべて』『山猫』『ベニスに死す』『ルードウィヒ神々の黄昏』『地獄に堕ちた勇者ども』『家族の肖像』


「ウガーッ!ノォーッ!」2004年5月17日。僕はローマの墓地で天に向かって絶望の雄叫びをあげていた。
どうしてもヴィスコンティ監督に「感動」をもらったお礼を言いたくて、はるばる日本から墓地まで行ったのに、
半日かけて探してもとうとう墓石が見つからなかったッ!(ヴィスコンティは僕の好きな映画監督第1位っす!)
とにかく、あまりにも墓地が広大すぎた。墓マイラーになって17年。これほど無念さを味わった巡礼は初めて!
もう自分1人の力では巡礼不可能だと分かったので、この場を借りて「捜索願い」を全世界に発信します!!


●Verano墓地への行き方

ローマ・テルミニ駅前のバスロータリーで路線バスNO.492に乗るだけでOK!ただし、乗り場がロータリーから外れているので要注意!駅を出てそのままロータリーを真っ直ぐ横断すると、対岸の向かって右端にカバンや雑貨を売っているキオスクがある。キオスクは四辻に面しており、その四辻を左折して20mほど行った所に
492番のバス停があります!(道の反対側には逆方向に向かう492番のバス停があるので、くれぐれも間違えないように!)必ずバス停の看板に目的地のVeranoがあることを確認すること。バスは20分に1本くらい(?)。乗車すると15分前後でVeranoに到着します。
鉄道と違ってVeranoに着いてもアナウンスや表示はないので、うっかり乗り過ごすことのないよう、乗車時に「Per Verano?(ヴェラーノに行きますか?)」と書いた紙を運転手に見せ、なるべく運転手の近くに座ること。すると、着いた時に教えてくれます。




バーン!これがCimitero di Campo Veranoヴェラーノ墓地だ!バス停からも見えるので、もしバスの
運転手が教えてくれなかったら、自分から「クィー・ヴェラーノ?」(ここってヴェラーノ?)と尋ねよう!


守衛室
甲子園球場がスッポリ入るほど巨大な墓地(一辺が1.5キロ)なので、自力でヴィスコンティに辿り着くのは
絶対ムリ!正門の右の方に守衛室(僕は管理人事務所と勘違いした)が見えたので直行する。守衛の
オジサンさんは全く英語が通じなかったが、こちらのたどたどしい「Dove LUCHINO VISCONTI, per favore」
(ドーヴェ・ルキノ・ヴィスコンティ・ペル・ファヴォーレ「ヴィスコンティのお墓はどこですか?」)が何とか通じた!
ヴィスコンティは巨匠なので、一発で場所が分かると思っていたけど甘かった。守衛さんは壁に貼った大きな
区画地図をしばらく眺めた後、肩をすくめてしまった。この瞬間、僕の不安はイッキに頂点に!実は、日本で
ネットをどれだけ検索しても、ヴィスコンティは“ヴェラーノに眠っている”と文章でしか確認できず、証拠となる
墓写真はついに見れなかった。だから、本当に当地に眠っているのか内心とても心配してたんだ。僕が
悲愴な顔をしていると、守衛さんは「どこそこに行け」みたいなことを言うんだけど、全然意味が分からない。
困惑していると、彼は僕の腕をとって“着いて来い”といきなり歩き始めた。い、い、いったい何処へ…!?

管理人事務所はこの中 正門から少し離れている
守衛さんは、正門の前を向かって右に50mほど歩いて止まった。指差した場所にあったのは管理人
事務所!“なにーッ!こんなとこにオフィスがあったのか!”守衛さんに「ディ・モールト・グラーツェ!
(めっさアリガトウ)」とお礼を言って中に駆け込んだ。先に5人ほど並んでいたので、20分近く待つ。



これは管理人のオバサンがプリントアウトしてくれたもの。「PEPARTO EX CIVILI」という区域の第19ブロックに
埋葬されているとあった。そこには7名が眠っており、5番目の墓がVISCONTI LUCHINOと記されていた!
管理人が墓の区画番号まで出してくれたので、間違いなくここに埋葬されていることが分かり、僕は頭の中が
歓喜で沸騰、メチャメチャ興奮したッ!あともう一息で、憧れのヴィスコンティ監督に謁見できるッ!!



問題はこの広大な敷地のどこに第19ブロックがあるかだ。管理人は上の画像の墓地パンフをくれたが、
そこには肝心の区画番号が書かれていなかった!地図を見せながら「ドーヴェ?(どこ?)」と尋ねると、
手元には詳細な墓地図がない模様。おいおい、管理人室だろう!?管理人は守衛室の場所を地図で
指し示すと、“そこで訊け”みたいなことを言った(今、そこから来たんですけど…)。で、守衛室に逆戻り。
調べた結果、赤字で書いたA地点が19ブロックであることが判明!速攻で正門からお墓を目指した!

右も左も、墓、墓、墓! こういう階段がいっぱい。階段の上も… やっぱり墓、墓、墓!!

歩き始めて、ほんの数分で汗が出てきた。A地点まで直線距離で1キロもないが、とにかく階段が多くて起伏が激しい!
しかも、この日のローマは5月中旬だというのに、30度以上あるんじゃないかという異常な暑さ。マイッタ!

普通の墓を買えない人は壁面に。 さらに貧しい人はアパート型。 見渡す限り、壁そのものが墓になっている。

様々なタイプのお墓を眺めながら(お花見ではなく“お墓見”といふ)、どんどん奥に進んで行く。





PEPARTO EX CIVILI! 19ブロック! どう考えてもココにいるはずなんだけど…。

ついに第19ブロックに到着!だがいくら探してもいなかった!ウギャーッ!っていうか19ブロックの埋葬者は7名どころか
20名近くいたし、ヴィスコンティだけでなく他の6名全員も墓碑銘とプリントが一致しなかった。コレってど〜ゆ〜こと!?こんなの
初めて。墓地側のデータベースそのものが間違っているということか!?しかし、そんな事があり得るのか。ヴィスコンティが
亡くなったのは1978年。約25年も昔だ。その間にファンが誰も訪れなかったわけがない。今まで問題にならなかったのか?

絶句してても始まらないので、いったん守衛室に戻って区画地図を調べなおすことにした。さっきの守衛さんはもう
おらず、オバサンの守衛さんと交代していた。僕はデジカメに撮ってきた第19ブロックの画像を見せ、「うう…行って
来たけど墓はなかったんです(涙)」と訴えた。新しい守衛さんは、「そりゃないわよ、19ブロックはB地点(地図参照)
だもの」との返事!ドッヒーン!A地点まで往復した疲れは、B地点に行けば会えるという喜びで吹き飛んだ!!

確かにそこは19ブロックだったが…
数百人が眠る巨大霊廟だった!
こ、ここからヴィスコンティを探すのか…!?

知らないなら、知らないと言って欲しい。一度暗闇の中に放り出された後に、希望の光を発見して幸福の頂点だっただけに、
期待が砕け散った時の絶望感はA地点の比ではなかった。B地点にあったのは数百人が眠るマンション級巨大霊廟!
貴族の末裔のヴィスコンティは独立した墓のハズなので、そこに眠っているとは思えなかった。しかし、そうはいっても
確かに19ブロックなので、首を捻りつつも手前から探し始めた。「こりゃ、日没までかかっちまうぞ…」ものの数分で途方に
暮れていると、20代後半くらいの男性が通りかかった(ブラピ風のイケメン)。彼はこの19ブロックが「オンリー・チャイルド」
だと教えてくれた。子どもだけが眠る霊廟だったんだ。よく見れば、どの墓も若くして亡くなっていた。“これが全て子どもたち
の墓だというのか…!”思わず僕の胸に、ヴィスコンティに会えなかった嘆きとは別の悲しみが込み上げてきた。
墓巡礼を十数年やってても、子どもの墓は見てるだけで胸がギューッって締め付けられる。これに「慣れ」はない。




念の為に付近も調べてみたが、岩と
一体化している珍しい墓石群があっただけ。
一向に会えず、献花用に買った
赤いバラもしおれてしまった…

トボトボと守衛室に引き返す。入るのは本日4度目だ。会えなかったことを先ほどのオバサンに告げると、さすがに悪いと
思ってくれたのか、何やら電話をかけて別の守衛を呼んでくれた。ダンディで貫ろくのある、ロマンスグレーのオジサマだ。
落ち着いた物腰が「信頼できる男」というオーラを放っていた。“このオジサマに訊けば間違いない!”そう思ってすぐに
これまでの経緯を話してみると(英語が通じた)、「安心しろ。その19ブロックとはここだ!」。やった!教えてくれたのは
C地点!ハチョ〜ッ、A地点よりもっと遠いではないかーッ!クラッときたが、“今度こそ会えるんだ!”という嬉しさで、
守衛室から勢いよく飛び出した。そして、いくつもの長い階段を上りながら、炎天下の中を突き進んだッ!!



3度目の第19ブロック!

あうう…ユダヤ教徒専用の墓地だった。
ヴィスコンティのヴの字もナシ。
「今回も残念だったニャー」


もはや何も言うまい。

 

しまいには、「もしや、19と79のタイプミスでは?1と7は似ているからな…」と、第79ブロックの墓まで
調べ始めた。それでも、やっぱりヴィスコンティ監督はいなかった…。嗚呼、天は我を見放したのか!
強烈な日光を浴び続けて熱中症になり、頭痛と渇き切った喉に苦しみつつ、虫の息で帰途についた。

 

「ムキーッ!」万策尽きて管理人事務所を再訪したら、すでにもう閉まっていた!その日はお昼までだったのだ!
(神は俺をからかっているのか!?)※午後もやってるのは週に2日間だけっぽい。巡礼者は注意されたし!


プスプスプス…身体から煙があがった。本当はベニスに死んでるんじゃないのか?

最後にもう一度、プリントにあった「PEPARTO EX CIVILI」という区域にあるA地点を調べたが、
ヴィスコンティ監督はやっぱりいなかった。ギ、ギ、ギブ・アップ…!

「もうお手上げ…ど〜すりゃいいの?」 墓地の前の立ち食いピザ屋で、
怒りのヤケ食いヤケ呑みだーッ!!


★2005.1.18、サイト掲示板にて“sdさん”から以下の情報が寄せられました!

『ヴィスコンティ監督のお墓は、彼自身の希望でカトリック信者にしては珍しく火葬にされて、監督が1950年代に居住していた、ナポリ湾の島・イスキア島の別荘に埋葬されました。そしてその別荘が「la colombaia」と言うヴィスコンティ財団になっていて、ヴィスコンティ博物館にもなっています。財団の住所は、
via F.Calise,130 80075 Foro Isola d'ischia(NA)
info@colombaia.org
初夏の頃に行かれると良いと思います。有名なカプリ島の隣の島ですから。ご健闘を祈ります。』

うおーッ!sdさん、貴重な激レア情報を有難うございます!イスキア島ですね!!(ということは、ローマで
墓地の管理人がプリントアウトしてくれた情報は何だったのか!?わ、わ、わけがわからーんッ!!)


そして…!!

2005年7月2日、ついにヴィスコンティ監督に謁見ッ!!

 

いざ、ナポリからイスキア島に向けて出航ッ!

まずはバス! そして歩いて! 歩いて、歩いて!

さらに歩いて! どんどん歩いて! ヴィスコンティ財団に到着!

映画のスチールを展示! 管理人のドメニコさん 最後は裏山に分け入る!




この花瓶の背後の岩が監督の墓石! 「ハハーッ!」悲願達成!!

ナポリからフェリーでイスキア島に渡って、バスに乗って、島内を歩きまくって、ついに念願の
ヴィスコンティ監督に御礼の言葉を伝えることが出来ましたァーッ!sdさん、北海道のSさんをはじめ、
様々な方から情報を頂いたお陰です。本当に、本当に、有難うございましたーッ!!(*^o^*)

※このレポートの前半をあらためて読み返し、存在しない墓を探して駆けずり回ってたことにクラッときます(笑)。人生、諦めたら終わり!




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