カジポン国際美術館
(サイバー・アート・ミュージアム)

グハ〜ッ!史上最高の50枚はこれだ!!

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※「ミュージアム」とは美の女神ミューズの神殿を意味する。

自画像(1661年)〜レンブラント

もしたった一枚だけ無人島に持っていけるとしたら、ぼくは何の躊躇もなくこのレンブラント晩年の自画像を選ぶ。先妻にも後妻にも、子供夫婦にも先立たれたうえ、裁判所からは破産通告を受け、作品を没収された彼。だがその瞳からは、運命に対する怒りも、人生への呪いも絶望も感じられない。
全てを失っても、人間がこんな静けさに満ちた表情を出来る生物だとは、この絵に出会うまで知らなかった。(悲しみを味わい尽くし、達観してしまったかのようだ…)

(表情拡大こっちへ!)  \(゚.゚)/ ドヒャー!









自殺前の最後の自画像


この目を30秒ほど見て欲しい。言葉を越えて
ゴッホの魂の全てが流れ込んで来るハズだ

自画像(1890年)〜ゴッホ

今では1枚の作品に50億円以上の値がつくゴッホだが、生前は完全に世の中から無視され、作品は
全く売れなかった(存命中に売れた絵はたったの1枚だけ!)。これは彼が極度の貧困の中、37才で
自殺する直前に描いた、最後の自画像だ。右側面から描いているのは、孤独感から発狂し、左耳を
自分で切り落としてしまったから。下唇からは切れて血が出ている。なんという壮絶な遺書だろうか!
死が迫った人間の目というものは、こういうものなのか。キーを打つ指先が震えまくりじゃ〜!

「ゴッホの絵を見ていると、こちらが鑑賞しているのではなく、向こうがこっちを見つめているようだ」
(by小林秀雄)






ひまわり(1888年)〜ゴッホ

「ひまわりは枯れても美しい。真っ直ぐ天へ向かって生き抜いたからだ。生き抜いたから、枯れたって
美しいんだ。そして最後に未来に向けてたくさんの種を残す。こんなに美しいものが他にあるか?」(ゴッホ)

ゴッホはひまわりを13枚も描いたが、僕はこの1888年に描かれたひまわりが一番好きだ。これは彼が
同じ画家仲間の友人ゴーギャンと共同生活を始めるにあたって、友への歓迎の気持を込め、友の部屋を
飾る為に描いた作品だからだ(ゴーギャンは“嬉しかった”と書き残している)。優しさであふれたひまわり。
この絵には夢がいっぱい詰まっている!2人が借りたアトリエ兼住居は外壁の色にちなんで「黄色い家」と
呼ばれており、この黄色い壷はその象徴だ。めいっぱいに挿された花は、1本1本がこれからこの家に集う
ことになるはずの画家仲間を表しているんだ!
※西洋ではひまわりを「生命の象徴」として考えている。母なる太陽のイメージだけでなく、日本と違って、
種から油をとる為の“農作物”と考えられており、その意味からも生命力の象徴だった。

サインは画面の端ではなく、わざわざ壷の中に書き込まれている。ここからも寂しがりやのゴッホ
が「黄色い家」に託した夢と希望が切ないほどよく分かる。
※彼はどの絵にも「ゴッホ」の姓ではなく「ヴィンセント」の名でサインしている。ゴッホは常に
ごく親しい人に贈る気持で作品を描いていたのだろう(仮にピカソなら“パブロ”、ルノワールなら
“オーギュスト”といったところ)。しかし、サインをファーストネームで書いた画家はゴッホ以外
に僕は知らない。なんて純粋なヤツなんだ!(涙)


  
テキサス、キンベル美術館にある『ドービニーの庭』 ひろしま美術館にある『ドービニーの庭』
ゴッホが自殺をする数日前に描いたと思われる『ドービニーの庭』。よく見ると、左の絵の手前を歩いている黒猫が、右の絵にはいない。
庭にはひとつのテーブルと3つの椅子がある。この椅子は弟テオ、テオの妻、そして生まれたばかりのテオの子どもの席であり、
ここにはゴッホの居場所がなく、彼が黒猫(自分)を世界(画面)から退場させることで、別れのあいさつ(遺書)としたと言われている
※2枚の絵の違いを最初に指摘したのは画家・小林英樹氏
※追記!08年、ひろしま美術館はこの絵をX線等で科学調査し「ゴッホの死後、1900〜1904年の修復時に
画家エミール・シュフネッケルの手で黒猫が消された可能性が高い」と発表。現在論争中。





カラスのいる麦畑(1890年)〜ゴッホ


ゴッホの遺作。彼はこの絵について、弟テオへの手紙の中で「悲しみと極度の孤独感を表現した」と書いている。ゴッホは風景画も静物画もすべて自画像になった稀有な画家だ。どの作品でも、見る者へ内面を全部さらけ出してくる。そして、この遺作からは出口のない閉塞感に苦しむ彼の魂の悲鳴が聞こえる!

頭の上では今にも落ちてきそうな濃青の空が2つの雲を押さえつけており、目の前の泥の道は3本とも先が立ち消えて先に進めず(特に中央の道は曲がりくねった末に行き止まりで消えている)、地平線に続く麦畑は荒れ狂う強風に叩き付けられ運命に翻弄されるように揺れ動き、その上を不吉なカラスの群れが激しく鳴き騒いで飛び交っている。落下する空と盛り上がる大地に上下から挟まれ、世界(地平線)は怒涛の如く自分の方へ押し寄せてくるのに、前にも横にも逃げられず、退路がないので後ろに下がる事も出来ない。

…彼はここに描かれた麦畑の中で、自分に向けてピストルの引き金を引いた。自殺に選んだ場所を最後に描いてから命を断つとは…こんな画家は他にいない。






 
我が子を喰らうサトゥルヌス
両作品とも1820年頃制作〜ゴヤ

その目で地獄の様なスペインの対仏戦争を目撃し、人間の暗部の生き証人となったゴヤ。聴覚を失い自己と対話することが多かった彼は、その晩年、誰に注文を受けたわけでもなく、非公開を前提として自分の為だけに14枚の連作『黒い絵』を描いた。その中の2枚がこれだ。
左側は、我が子によって滅ぼされると予言を受けたサトゥルヌス(ゼウスの父)が、産まれてくる子を次々と殺していくギリシャ神話を描いたもの。右側は底なしの流砂に呑まれていく一匹の犬が、わずかに地表へ頭部を突き出している絵だ。どちらもショッキングな作品だが、サトゥルヌスの目には狂気と哀しみが錯綜しているし、犬の方は吠えることも止めて虚空を見つめており真の絶望が胸に迫ってくる。単なる残酷な絵ではない。どちらも、脳裏に焼きついて離れない作品だ。




1808年5月3日(1814年)〜ゴヤ

1808年5月2日、スペイン・マドリードでは侵略者のフランス軍に対し、市民たちの一斉蜂起が始まった。しかし、フランス軍は強大な軍事力によって反乱を鎮圧。翌5月3日の明け方、同軍は抵抗運動に少しでも関係があると思われる市民を裁判にかけず処刑し始めた。この絵は死の直前の人間の表情(普通に生きててまず見ることはない)を目撃者となったゴヤが描いた、絵画史に残る衝撃的作品だ。




市民たちの影の中に幼子
を抱くマリア様がいる

手の平の中心に穴が空いてるのは、十字架
にかけられたキリストの象徴!画家は市民
の処刑をイエスの受難に例えた(男のポーズ
も磔にされたキリストと同じもの)
処刑された市民は無垢なる
表情を浮かべている…


処刑の順番を待つ市民たち。左
の男の目は一度見たら一生忘れ
られない。あの目は絶対に想像
では描けない。ゴヤは間違いな
く、あの目をこの夜見たのだろう



唯一の救いは、上官から処刑を命じられたフランス兵が、誰一人として真っ直ぐ市民を見ることが
出来ず、全員が目を伏せていることだ。兵士たちもまた、良心の責め苦にあって苦悩しているのだ。



睡蓮の池(1899年)〜モネ

ゴッホやゴヤのヘビーな絵を見た後でこーゆー絵を
見ると、心底ホッとする。光あふれる印象派絵画の
魅力が、極限までハチ切れてるよね。特に水面に
反射した風景がたまらない。画面に触れると波紋が
出来そうだ。太鼓橋にさす木漏れ日がこれまた美しい!
モネじいさん、アンタすごいよ、すごすぎるよ!
※モネは睡蓮を30年で200点も描いた。




“岩窟の聖母”(右図)から
大天使ガブリエル(1508年)
  〜レオナルド・ダ・ビンチ

 この尋常ではない神々しさはコメント不要かと。背中に羽が付いてるの分かるかな?



『洗礼者ヨハネ』(1513〜16年)
       〜レオナルド・ダ・ビンチ

 聖人らしからぬ妖しい笑みがヤバすぎ!
天を
 指差し何かを誘ってる感じだ…。 r(^_^;)



『自画像』(1500年)〜デューラー

 デューラー、28才の自画像。西暦1500年ちょうどに
 描かれた。画家としてこの世のすべてを見つめ、世界
 の真実 を描き出そうとする決意表明のようだ。
 ※背後に書かれた文字はこうだ--「アルブレヒト・
 デューラー、28才。不滅の光をもってこの絵を描く」







(次の傑作へ)






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