さらばK 〜すべての敗者に捧ぐ〜

『人生は動く影、所詮は三文役者。いろんな悲喜劇に出演し、出番が終われば消えるだけ』
〜シェイクスピア「マクベス」より

この世に生をうけて四十二年を経たわたくしが、今日まで行き続けて知り得た人生の真理はただひとつです。その真理とは『人間は失敗作だ。そこに人間が存在しているだけで悲劇が生じる』というものです。「なぜあなたは狂人になったのか」と問われるならば、わたくしは「なぜあなたは狂わずにいられるのか」と問い返します。わたくしは、どうしてこんな矛盾に満ちた生物が規則正しい自然の法則の中で生存し続けていけるのか不思議でなりません。
狂気への道はあまりにも人間的だった。今のわたくしは何も恨んではいませんが、それだけが実にやりきれません。

第一部

(一)久保 美幸

「どうだい岸田、やっぱり美幸さんの方が素敵だろう?」
「やれやれ木下、恋は盲目とはそういうのをいうんだよ」
部活動の帰りの岸田との会話はいつもこの様に始まりました。その頃、秋季演奏会を控え我がオーケストラ部は追い込みに入っており、合奏につぐ合奏、全部員が一丸となってベートーヴェンの『英雄』シンフォニーを必死に練習していました。そんな中でわたくしと岸田の心を雲の上まで舞い上がらせていたもの…それは他でもない、青年時代において誰もが経験する恋というものでした。
これは本当の意味での初恋でした。確かに大学に入るまでに女性を好きになったことはあるのですが、明確な恋愛感情として自覚する程のものではありませんでした。岸田も同様です。お互いに初恋であったために、相手の女性に対する思い入れは激しく、帰り道では意中の女性のことを、言葉を極めて自慢しあったものでした。
当時、わたくしが狂おしいほどに恋焦がれていた女性は“久保美幸”さんといって、流れる長い黒髪と白桃色の肌、あどけなさの中にどこか艶かしさを秘めた、美しい瞳の女性でした。一つ年下の彼女は、岸田が熱を上げていた“笠原由紀子”と同じく一回生部員でした。美幸さんは入部当初から男子の間で人気が高く、わたくしも夏の合宿以降、偶然演奏ポジションが隣り同士になったということも所似して、秋が終わる頃にはすっかり彼女の可憐さに心を奪われていました。
「誰が見ても遥かに美幸さんの方が美しいよ」
「君には由紀子さんの本当の美しさが分かっちゃいないんだ」
夕暮れの商店街の雑踏にもまれながら、わたくしたちは日々同じような会話を繰り返していました。

岸田達治。彼は背が高く色白で痩せぎすの体、短髪で鼻筋の通った美しい顔立ちをし、唇はやや薄く、瞳は普通の日本人より幾分茶色がかっていました。都会の嫌いなわたくしが、日本海に面したT県のこの地方大学に入り、クラシック好きが昂じて入部したオーケストラ部で彼と出会いました。
わたくしは第二ヴァイオリンで彼はチェロ。パートは違ったのですが、わたくしの下宿と彼の家が同じ方向だったことから、帰りを二度三度共にするうち、お互いがバッハやブラームスの音楽をこよなく愛していることが分かり、すっかり意気投合して交友を深めたのでした。付き合い出して知ったのは彼の人間に対する鋭い観察力。それを育む膨大な読書量に対して、わたくしは新鮮な驚きと心服の情を感じずにはいられませんでした。
彼がわたくしと同じく恋に苦悩していることを知った時、その喜びはどれほど大きかったでしょう。岸田とは想う女性が違っても、愛に煩悶する同志なのです!両者が恋の獄火の只中にいると分かった時、無言で固い握手が交わされ、友情は以前にまして強くなったのでした。

初恋というものは恐ろしいものです。『恋する者と詩人と狂人は同一人物である』とはよくいったもので、わたくしの美幸さんに対する熱い想いというのは、筆舌に尽せぬほど大きなものになってゆきました。朝から晩まで、それこそ彼女のことを考えぬ日は一日もなく、日曜日は彼女に会えぬという理由だけで呪われた日となりました。生活のあらゆる現象に彼女を関連づけて考え、昼休みに出会うというような単なる偶然の出来事にも何かしら運命的なものを感じずにはいられませんでした。
彼女の姿は眩しく、花や昆虫が光へ向かうようにわたくしも彼女の出す光に引き寄せられました。わたくしにとって、彼女の声はすべて歌だし、瞳は宝石、歩く姿を見つめるのは至福の時でした。
しかし、彼女が与えてくれたものは恍惚感だけではありません。嫉妬心や肉体的な欲望からくるジリジリとした焦燥感は耐え難いもので、それは恐怖と紙一重でした。彼女の側にいるだけでその美力に押し潰されて何もできなくなり、冷たい汗が額を湿らせ、時には嘔吐感まで襲ってくる始末でした。
「木下よ、チェロはヴァイオリンの由紀子さんとは遠く離れていて辛い。それに比べて君と美幸さんは同じ第二ヴァイオリンで、しかも隣り同士だから本当に羨ましいな」
これは岸田がよく語っていた言葉です。確かに惚れ始めた頃は隣り同士ということが嬉しかったのですが、熱病に憑かれたように愛するようになってからは、“隣席であること”が地獄の苦しみとなりました。
自分の愛する女性がすぐ側に、手の届く所にいるにもかかわらず、わたくしは何一つ打つ術を持たぬのです。美幸さんに告白することが出来ない、いや許されないのです。わたくしはお世辞にも風采の良い男とは言い難く、自分の容貌に自信がなかったこともあります。が、それ以上に先輩のわたくしの告白が美幸さんに与える迷惑を考えると、どうしても自分の良心がそれを許さないのです。もし、わたくしが心の内を打ち明けてしまえばどんなことになるでしょう?同じ楽器の先輩から、しかも隣席にいる男から、突然恋を押しつけられ、優しい彼女は困り果てるに違いありません。結局彼女は先輩からの告白を冷酷にはね返す勇気もなく、自らこの部活を去ってゆくでしょう…美幸さんが退部してわたくしの視界から消えてしまう、そんなことに耐え得るでしょうか?想像するだけで恐怖のために気を失いそうです。

彼女のいない日々に比べれば、一対一の練習でも寸分たりとも愛している素振りを見せてはならぬ生活、すぐ目の前にある彼女の柔らい黒髪に刹那も触れてはならぬこの拷問生活の方が遥かに幸せでした。
夜、夢に取り付かれたように彼女の家の周りをさまよったり、朝早くから通学路で偶然会ったように装うこともありました。また、想像の世界では彼女を危機から勇敢に救い出すといったことを思い描きましたが、中でもわたくしが繰り返し考えていたのは『美幸さんの家の前で自殺をする』といったものでした。このまま部活を引退し、何の行動も起こさぬまま彼女の前から去った後、果たして彼女の記憶の端にわたくしのことが一度でも浮かぶことがあるでしょうか?彼女が年を取った時、果たして思い出の片隅にわたくしは残り得ているでしょうか?答えは否です。わたくしのような当たり障りのない人間は他人の記憶の中に生き続けることは皆無なのです。
かといって生き続けても告白はできません。第一わたくしのこの深い気持ちを完全に伝え得る言葉が、この世にあると思えないのです。何を彼女に言ったところで、愛を伝える言葉には限界があるのです。
言葉を越えた意志の表現は『行動』です。それも誰にだって出来得る内容のものではいけません。それでは他人より彼女を想っている証明になりませんから。
では、他人に簡単に出来ず、しかも彼女の記憶の中に最も強烈な印象を与えることが可能な『行動』は何か…それは自分の命を断ち切ることです。わたくしにとってはこのまま存在していても彼女の記憶に残らねば死を意味し、肉体が滅んでも彼女の記憶の中に残っていれば生となりました。「あなたのためなら死ねる」と口先だけでいうことは誰にだって出来ます。しかし、本当に死ぬことが果たして出来るでしょうか。
自殺は告白の最高形態なのです。わたくしは死ぬ程美幸さんを愛してしまい、本当に死んでしまうのです。これ以上に意味のある死が他にあろうはずがない、生きるために死ぬのだから!新月の深夜に、わたくしは暗闇という名の優しい旧友に抱かれて、彼女の家の門前で絶命し、翌朝彼女がわたくしの体に一滴でも温かい涙を落としてくれるなら生まれてきた意味もあるというもの…。

しかし、そういう自殺論とは別のところで、空想の好きなわたくしと岸田は、将来の結婚生活についてよく語り合いました。おそらく恋愛における最大の魅力は、自由に想い人との生活を想像できることにあるのではないでしょうか。
帰途の会話もだんだん内容がふくらんでいきます。『結婚後は二家族合同で信州にキャンプに行こう』とか、『正月は必ず集まって一緒に祝おう』などと二人とも大マジメに話し合いました。
二人で街に出かけた時は、マーケットの衣装売り場などで足が止まり、
「おい木下見てくれ、あの子供服の青い小さなパジャマを!」
「確かに、あれはなかなか可愛いね」
「あのパジャマを由紀子さんが自分の子供に優しく着せてあげてる様子を想像してみろ!実に心温まる光景じゃないか」
「おい岸田、そこの薄黄色のマフラー、それにくるまっている美幸さんだってたまらないぜ」
「これを見てくれ、由紀子さんが結婚生活の五十周年に夫にプレゼントする半纏(はんてん)は、たぶんこんなのじゃないかな」
言われてみると、なるほど、岸田が老人になったら似合いそうな半纏でした。
日用品売場でもいろいろな道具を彼女が使用している姿を想い描き夢の翼を大きくはばたかせたものです。
わたくしは目の前に展示してある白いティー・カップのセットを眺めて呟きました。
「ああ岸田、こういった空想が実現するといいんだけどなあ」
「僕も本当にそう思うよ」
「こうやって想像するだけでも、心の中がほんわり温まってくるんだもの、もし夢が現実になったら、我々は一日中顔がゆるみっぱなしだろうなあ」
「うむ、まったくだ」。

岸田は本当に純情な人間でした。こういうことがありました。ある日、帰り道に後ろから彼に追いつくと彼は泣いているのです。
「木下、木下、僕はとりかえしのつかないことをしてしまった」
そう赤い目で頭を振りながら言うのです。
「一体全体どうしたっていうんだ?」
岸田の声はかすれていました。
「今日、チェロの連中が練習後に女子部員からキャンディを貰ってたのは君も見てただろ」
この日のチェロ・パートはとてもハードに練習していたので、優しい誰かが駄菓子を配ったのでしょう。オーケストラ部の女の子たちはこういうことが好きなのです。わたくしは彼の言葉を待ちました。
「僕は、僕はね、偶然由紀子さんから貰えたんだ」
「えっ、本当かい!」
「ああ、本当に直接貰えたんだ」
わたくしは声の調子を下げて聞きました。
「それは、あれかい、つまり、君だけが彼女から貰ったのかい?」
「いや、他にも彼女から貰った奴はいる。僕にとってはそんなことどうでもいいんだ。少なくとも嫌われてはいないことだけはわかった」
なるほど、確かに嫌われてはいないということは重要です。わたくしは少し彼に嫉妬しました。
「じゃあ喜ぶべきことじゃないか」
「後がまずかった…僕は一言も礼を言わなかったんだ。皆は笑顔で言ってたのに!」

岸田は喉の奥から言葉の塊を押し出すと、髪を掻きむしりました。そういうことだったのか。他人には取るに足らぬ些細な出来事であり、滑稽に見えるかもしれません。しかし恋する者にとっては、こういうことが身を引き裂くような大事件なのです。わたくしは彼の無念さがよく分かるので心底気の毒に思いました。
「冷たくあしらってしまったのか」
「引きつった顔では唇が動かなかったんだ」
駅に近づくと人通りが増え、幾人かは岸田の表情にチラチラと視線を送りながら通り過ぎていきます。わたくしたちはずっと黙っていたのですが、別れ際に彼は急に語気を強めました。
「それに僕はあのキャンディを食べるべきではなかった!あれは偶然にしろ由紀子さんが僕にくれた一種のプレゼントだったんだ…いかにささやかなものだとしても。だから、せめて包み紙だけでも一生の思い出としてとっておくべきだった」
わたくしはこの瞬間、どれほど岸田に親友として、いや一人の人間として親愛の念をかきたてられたことか。嗚呼、岸田!
 
 
(二)変遷

わたくしが笠原由紀子さんを愛し始めたのはいつの頃のことでしょうか。おそらく冬も中頃を過ぎた二月頃からだと思います。もちろん自分自身も気づかないくらい徐々にです。由紀子さんを愛してしまったのは、岸田が会う度に由紀子さんの素晴らしさを、彼の魂が直接語りかけてくるように説いてきたからかもしれません。また、久保美幸がわたくしの理想から離れていったことによって、真の恋に目が開いたとも言えます。『恋は幻想の子供であり、幻滅の親である』というのは、先人が残した真理の格言です。

十二月の初め頃から久保はだんだん服装を、それまでの白を基調としたソフトでおとなしいものから、濃赤や黄緑色の派手なものに変化させていき、値のはりそうな高級品ばかりを身にまとうように俗物化していったのです。化粧もまるで仮面をかぶってるように濃くなり、以前の自然な美しさは消え果てました。彼女がちゃらちゃらした銀色の小物をぶらさげた紫色のコートを着て部室へ入ってきた時、わたくしは呆然として手に持っていた『田園』の楽譜を落としました。
わたくしはカラフルな色調の服が悪いといってるのではありません。わたくしが軽蔑するのは、彼女がブランド名や値段を自慢することなのです。なぜ彼女がそうなってしまったのかは、わたくしにも分かりません。女友達や恋人の影響など、いろいろな想像ができますが、わたくしはもうそんなことを聞く気にもなりませんでした。どういう心境の変化があったにしろ、装飾品を自慢するのは他に誇れるものがないことを自らふれ回るのも同然でした。
そして、輪をかけてわたくしを失望させたのは芸術に対する彼女の無関心さでした。彼女はベートーヴェンの『運命』が交響曲第五番であることを知らぬのです!もちろんブルックナーやベルリオーズの名など知るはずもありません。一般の人間ならともかく、オーケストラ部員であり、音楽に対する情熱が人一倍あってしかるべきなのに、わたくしが熱意をもって語るマーラーやワーグナーの音楽に、彼女は一抹の好奇心も示さないのです。バイオリンの弓を握りながら、どうしてクラシックの魔力に魅惑されずにいられるのか、なぜ音の波に五感を麻痺させられずに済むのか、わたくしには理解し難いことでした。そこへもって絵画や文学に対する探究心の欠如を知るに及んで、わたくしは彼女への自分の想いが完全に崩壊してしまったことを悟りました。
彼女は同志ではなかったのです。わたくしは久保の幻を愛していたのです。自分で彼女の理想を作り、それを本物と信じこみ愛していたのです。愛の証明のために自殺まで考えていたわたくしにとって、その愛が誤解によって支えられていたことや、結局わたくしが愛していたのは彼女の心ではなく外見だったということを自覚した時、自分の愚かさと俗物さから激しい自己嫌悪に陥り、精神の荒野の中でひとり立ちすくみました。

純白のシルクは美しければ美しいほど小さなシミが大きく目立つように、久保はその美しさがアダとなって、わたくしには最も醜悪なものとしてしか目に映らなくなりました。岸田には、今さら久保の容姿に惑わされていたなどとは自尊心が言わせるわけもなく、三月に入っても相変わらず由紀子さんと久保を自慢しあう日々が続きました。
ただ、そんな虚しい会話の中でも、彼はわたくしの心にいろいろな影響を与え続けました。中でも、三月四日のことは強く記憶に残っています。その日はわたくしの誕生日で、部活の休憩時間にベーム指揮のモーツァルト『ジュピター』のテープを、“君にやるよ”と彼がくれました。わたくしは楽器の手入れをしながら前日に街中で久保と偶然会った話をしました。
「なあ岸田、昨夜僕は駅前の本屋で美幸さんと一緒になったんだぞ」
「ほう、ついてたな」
「ああ、小一時間ほど二人でいろいろ話ができて本当に楽しかった」
「へえー、よかったじゃないか。どんな話をしたんだい?」
「だからいろいろさ。バッハやブラームスのことなんかも話したよ。け、結構彼女も作曲家に詳しいんだ」
実際には10分ほど他の部員の噂話を聞かされただけでしたが。
「いいよな。木下は口下手じゃないから羨ましいよ。僕はすぐにどもってしまうから、たぶん同じように由紀子さんに出会えても一言も口をきけないだろうよ」
「そんなことないさ。第一、後輩のあの娘から挨拶に来るよ。君は本当に惚れ込んでいるなぁ」
「うん。彼女は僕が今まで出会った中で最高の女性だし、おそらくこれからも彼女ほどの女性には二度とめぐり会えないだろう」
この断言には“あまりに彼女を神聖化しすぎている”と、わたくしは少し反感を抱きました。
「彼女だってただの普通の女性じゃないか。恋をするということは普通の娘を女神と間違うことだって言うぜ」
岸田は目を通していた楽譜を静かに閉じました。
「それは違うね。僕の恋はそういうレベルじゃないってことを、君は分かってくれてもよさそうなのに。僕はもう誰とも結婚しないよ。彼女のような素晴らしい女性がこの世に存在していることを知った以上、僕が別の女性と結婚できるはずがない。だって心の中に由紀子さんがいたまま結婚したら、相手の女性に失礼だろう?たとえ由紀子さんが他の男と結婚してもこの事実は変わらない。当たり前だ、それが彼女の存在に何の影響を与えよう。他人の妻になってもやはり彼女は最高の女性としてこの世に在る訳で、何も状況は変わらない」
「そこまで考えていたのか。一体、彼女のどこがそんなにいいんだ?外見にこだわるわけじゃないが、色白で器量も良く、美しい長髪をもつ美幸さんの魅力は君も認めるだろう?そこへいくと由紀子さんは全てが地味で、そんなに器量も良いとはいえず、色気も何もありはしないじゃないか!本当に、彼女のどこに君は惚れたんだ!?」
咄嗟に前々からの疑問をぶつけました。彼はまるで啓示を受けた予言者のようにゆっくりと口を開き、一度聞いたら忘れることのできない重々しい響きでこう言いました。
「君は彼女の大きな存在感に気がつかないのか?僕は彼女の中の“女”に惚れたんだ」

何かで頭を激しく打ちのめされたような気がしました。器量や肉体といった外見に惚れたのではなく、また精神的なものに惚れたのでもない。彼は彼女の中の『女』に惚れたのです。肉体や精神を遥かに超えたところにあるもの…そこに岸田は心を奪われたのでした。この時ほど岸田の感受性を畏敬の念と共に羨ましく思ったことはありません。そして、わたくしの心はこの会話を契機として一気に彼女の方へ傾いていったのでした。


第二部

(三)笠原 由紀子

わたくしは自分の容姿に自信がなかったせいか、不安を埋めるように小学校の頃からいつもおどけた道化師として陽気に振る舞っていました(太宰治の『人間失格』で主人公が周囲の顔色を伺って「わざわざ」と言われたくだりはトラウマになっています)。この“ひょうきんな男”というキャラの為に、表面的なものであったにしろ友達の数は少なくなかったので、由紀子さんの友人に接近しては、それと悟られぬよう彼女の情報を聞き出しました。わたくしは彼と共に彼女を称えることによって同族感に酔っていたのです。わたくしたち2人だけが彼女の真価を理解しているということに選民意識さえ感じていました。彼女を愛していることに大きな誇りを持っていたのです(ただ、依然として岸田の前では久保美幸を愛していることになっていたので、彼以上に由紀子さんを褒めることはしませんでしたが)。

わたくしは自分が知り得たことは、そのつど我が親友に喜び勇んで報告しました。何度も胸を高鳴らせて電話をかけたものです。
「おい、岸田!なんと由紀子さんの親は二人とも教師だぜ!」
「教師!」
「驚いたろ。それも父親が地学の教師で母親が古典の教師なんだ」
「素晴らしい!父親によって自然や宇宙を愛する心を、母親によって万葉人の如く繊細な感受性を育まれてきたんだ」
「彼女の落ち着きや優しい雰囲気は他の娘にはないものだよな」
「そうだろう。木下、やっと君にも少しは彼女の良さが分かってきたな、ははは」
「あとさ、四人兄妹で下に妹や弟たちがいるんだって。月・木・金曜日に彼女が部活をいつも早引きするのは、仕事で遅い親の代わりに夕飯を作ったり家事を片付けるためだそうだ」
「う〜ん、やっぱり彼女はしっかりしているなぁ。改めて惚れ直すよ、全く」
岸田は“よくもまぁ色々と調べたものだ”と笑いました。
ところが、次にわたくしは『彼女が高校時代に美術部に入っていた』という事実を教えようとして思い止まりました。これは最初の打算となりました。なぜ伝えなかったのか。人というものは運命の出会いと信じて恋の炎を燃やしても、やがて相手が尊敬することの出来ない人物と分かれば、いとも簡単に恋心が醒めるものです。尊敬の持てぬ相手に真の愛情は絶対に育たないのです(そこで愛に見えるものは性欲の錯覚です)。わたくしは“いつか岸田と由紀子さんを争うことになるかもしれない…その時は彼女に深く尊敬された者の方が勝ちだ”と予感していました。よって、自分だけが絵画の知識を熱心に学び、岸田と差をつけてやろうと考えたのです。だから、どうしても彼女が絵を好きだということを岸田に話すわけにはいかなかったのです。

由紀子さんを深く愛するにつれて、今まで見えなかった彼女の内面の美しさが外面にも出てきて、以前の彼女と同じ女性には思えなくなってきました。桜の季節が来て三回生となった頃には、なんとか彼女の記憶にわたくしの思い出を刻み込んでおきたいと切望していましたが、この純粋な願いは久保に対しての自殺論のような非生産的なものではなく、『行動力のあるしっかりした男性』として、人間的な尊敬を受ける対象として彼女の記憶に残ろうとしたもので、その動機からわたくしはオーケストラ部の部長に名乗りをあげました(これには岸田もびっくりしていました)。
その他にも、わたくしは彼女の尊敬を勝ち取るために過去の偉人たちが築き上げたあらゆる世界に分け入って行きました。地学や古典、そして絵画はもちろんのこと、彫刻、文学、詩、演劇、哲学、考古学、映画、ジャズとそれはもう片っ端から取り付かれたように知識を吸収しました。
これらのことについてはいつも彼女が関係していて、この絵を彼女は見ただろうか、この詩を彼女はどう解釈しただろうか、この小説を彼女にも読ませてあげたい、今度この演劇の感想を話そう、この曲を二人だけで聴いたらどんなに素晴らしいだろうというように、すべての体験を彼女と共有する気持ちで感じ取りました。
わたくしは由紀子さんのためとはいえ毎日深く幅広く芸術に親しんだおかげで、まだ未熟といえども感受性を豊かにすることが出来ました。彼女はわたくしにとってのベアトリーチェ(詩人ダンテの女神)になったのです。ある意味では恋によって恋以上のものを手に入れたのだと言えます。

部長というものは全部員の意見をまとめねばならず、とても大変な仕事でしたが、練習熱心な彼女が時々質問に来てくれたので、大いにやり甲斐がありました。会話の中にときおり自分の芸術論を混ぜてみますと、彼女はすぐそれに反応しました。わたくしのあらゆる問いかけに対する彼女の答えは、いつもヒューマンな優しさに満ちており、高慢さや嫌味たらしいところは微塵もないものでした。
夏合宿のときも注意して彼女を観察してみると、彼女は皆の気付かないところで食事の後片付けをしたり、新入部員を親身になってあれこれ面倒をみてやったり、練習もいつも他人より三十分は前から地道に始めていて、わたくしは彼女に敬意を払わずにはいられませんでした。彼女は、いつも他人の前では一歩下がって位置していたのですが、意見がある時はハッキリとものを言う勇気と強さを持つ、わたくしの理想の女性そのものでした。
その年の定演にコーラス部との合同でモーツァルトのレクイエム(鎮魂歌)を演ることになったあと、たまたま楽器室で彼女と一緒になったのでその話をしました。彼女はこの曲を知っていて大好きと言い、わたくしも愛聴していたので、こんな会話が交わされました。
「いい曲だよね。ショパンなんか遺言で葬式にこの曲を演奏してもらったほどだから」
「あの第七曲(ラクリモサ)を聴きながら死んでゆけたら最高ですよね。木下先輩もそう思いませんか?」
「うん。笠原、終わり良ければすべて良しというわけじゃないけど、どんなに悲惨な生涯だったとしても、ラクリモサが流れる中で死んでゆけたら、充分生まれてきたモトを取ったと思えるんじゃないかな」
その後彼女は“地球の地面になっていつまでも太陽の周りを回っていたいので土葬にして欲しい”とも言いました。“人間をやめて地球になりたい”とは、実にスケールの大きい宇宙的な話ではありませんか。

岸田とは、わたくしが部長になってからというもの、そちらの仕事ばかりに時間を取られてしまい、次第に言葉を交わす機会が減っていました。実際、夏合宿の前に久保はもう退部していたので、演技で久保を愛しているふりをする必要もなかったのですが。久保の退部は自然退部も同然だったので、当時文学や芸術にのめり込んでいたわたくしにとっては記憶に値することでさえありませんでした。
ただ、いくら多忙から彼と疎遠になっていたとはいえ、わたくしたちが同族であることには変わりがなく、秋の学園祭のとき、夜中に二人でこっそりと大学に忍び込み、防音設備のある音楽鑑賞室で日頃の下宿のぼろスピーカーのうっぷんを晴らすべく、大ボリュームで第九シンフォニーやジュピター、それにワーグナーのオペラ曲などを、持ち込んだ酒を片手に一晩中聴き明かしたこともありました。この時ばかりは、お互い久し振りに芸術や哲学を語り合い、笑い、音楽に酔いました。
しかしこの頃、岸田の由紀子さんへの想いは彼の生活のリズムを目茶苦茶にしていたようなのです。
十二月頃になると彼の衰弱の様子は一層凄まじくなり、頬はこけ、目は落ち窪み、他の部員も声をかけにくい雰囲気を漂わせていました。だが彼の繊細な印象が母性本能を刺激するのか、彼のことを『達治先輩、達治先輩』と憧れていた後輩の女の子も多かったようです。特にフルートの連中は皆そんな様だったので、一度岸田に冷やかしまじりでこのことを言ったら、彼は一言“興味はない”と早口で言っただけで黙ってしまい、『そんなくだらん話を僕にするな!』と言わんばかりの目でわたくしを一瞥しました。フルートの一回生が恋文を読まれもせず岸田に裂かれた話を聞いたのは、その一週間後でした。

わたくしたちが由紀子さんを愛して不思議でならなかったのは、一瞬たりとも肉欲的なものが湧きあがらなかったことです。ただの一瞬もです。彼女が健康的で美しい体を持っていたのにも関わらずです。このことについては、岸田が『百パーセントの恐怖。そこには恐怖しかない。』と言っていましたが、まさにその通りだと思います。本能が(理性ではなく)それを想像し得ないのです。古来から『本当に惚れた女性は抱くことが出来ぬ』と言われてきたのはこのことだと、わたくしたちは実感しました。

わたくしは、このままたいした変化もなく卒業して岸田や由紀子さんとも離れてゆくのだろうと考えていましたし、それ以外には何も考えられませんでした。あの事件までは----。


(四)事件

あれは忘れもしない二月九日の日曜日の朝でした。突然けたたましく下宿のドアが叩かれたので、何事かと飛び起きると、ドアの外で息せききった岸田が仁王立ちになっていました。その目は充血し、髪も掻きむしられてボサボサでした。驚いたわたくしが言葉を発するより先に岸田が叫びました。
「も、もう駄目だ!これ以上耐えきれない!僕は由紀子さんに告白する。電話を、電話を貸してくれ。君には一部始終、証人になってもらいたい」
「ちょっと待ってくれ、一体、急にどうしたっていうんだ!」
彼は拳で自分の頭を何度も叩きました。
「このままじゃ僕はもう駄目だ!寝ても覚めても由紀子さん、由紀子さんで、自分の人生が失くなっちまった!もう半年ほど一冊の本さえ読んでいないんだ!」
「だけど、どうして急に」
「違う、急じゃない、急じゃないんだ。じっくり考えたんだ、じっくり!ずっと前から考えていた、昨日も一睡もせずに考え抜いたんだ!」
岸田の目から大粒の涙がポロポロとこぼれ出しました。彼はそれを拭おうともせず言葉を続けました。
「このままじゃ、僕に進歩はない。生の中の死だ。食事がとれず体が弱ってきたし、読書をしても活字を目が追わないし、音楽を聴いても音が脳まで伝わらないんだ!あらゆる所で由紀子さんが僕の邪魔をする。彼女に告白しない限り…僕の人生は一歩も先へ進まない!」
いつの間にか、わたくしの目からも彼につられて涙が溢れ出しました。
「岸田、ぼ、僕も告白するほうがいいと思うよ。君のそのやつれ果てた姿は親友として正視できない。もう、彼女の返事がどうであろうと問題じゃない。とにかく君は告白するという行為で人生を変えなくちゃいけない」
岸田は目を瞑った。
「ありがとう、木下」
わたくしは部屋にあがった彼の前に電話を置きました。彼は一度ゆっくりと深呼吸をした後、部員名簿を見ながら震える指でダイヤルを回し始めました。わたくしは心中で彼を応援しながらその姿を見つめていました。
と、その時です。突如としてわたくしの背中を闇の彼方から巨大な戦慄が貫きました。“や、やられる!岸田なら彼女の心を掴むことが出来る!由紀子さんは絶対この男のモノになる、彼女は岸田の誠実さを理解出来る女性だ!阻止せねば、なんとか電話を止めさせねば!”しかしこう思った時は既につながった後でした。“ああ、もう終わりだ”わたくしは天を仰いで目を閉じました…。
ところが!何ということでしょう、予想だにし得なかったことです。日曜で外出しているのか、彼女の家は誰もいなかったのです!岸田の肩から静かに力が抜けてゆき、彼はゆっくりと受話器を置いて、こう呟きました。
「危なかった…一時の激情から取り返しのつかぬことをしてしまうところだった…もう少しで僕は未来のあらゆる可能性を潰してしまうところだった。」
「……」
わたくしは黙っていました。何が彼にとっての幸せなのか分からなくなっていたからです。すると彼は、わたくしが全く想像していなかったことをポツリと言うのです。
「可笑しいか?」
わたくしは彼がなぜこんなことを言うのか理解できませんでした。第一、なんと言ってこの言葉に返せばよいのでしょう。わたくしが下を向いていると、
「朝から邪魔をした。忘れてくれ」
そう言って彼は帰って行きました。

この事件によってわたくしは初めて彼に警戒心を抱き、またそれはどんどん強まっていく一方でした。オーケストラ部員は四回生になると引退せねばならないので、残りの二ヶ月を焦った彼が、またいつ発作的に、そしてわたくしの知らないところで告白してしまうかもしれぬと、毎日が不安で一杯でした。
今になって疑問に思うことです。普通なら“由紀子さんを初めに愛したのは岸田ゆえ自分が一歩引くのは当然、まして親友の恋を妨害することは道義に反する事だ”という良心の声があるはずですのに、当時のわたくしにはその様な考えが全く起こらなかったのです。

人間は皆、一体どういう状態のとき、どんな気持ちで友人を裏切るのでしょう。わたくしの場合、目に見えぬ歯車がわたくしを操っていたのではなく、意識下の恐怖心が自ら歯車を動かしていたようです。恐怖心、そう、わたくしは、岸田が怖かったのです。岸田達治という一人の人間が、わたくしの良心をも覆い尽くしてしまう程恐怖の存在だったのです。
わたくしは由紀子さんを愛しています。岸田も彼女を愛しています。外面的な部分を見る限りでは、煩悶にやつれ果てた彼のほうが彼女を愛しているようにも見えましょう。しかし、わたくしも芸術という避雷針によって心の静寂を保っているだけで、一歩間違えれば彼の様になっているのです。いや、むしろわたくしが岸田に比べて容姿や存在感が歴然と劣っていたことを考えると(岸田は本当に美形だった)、わたくしは深い絶望感に包まれました。
この、木下祐介と岸田達治を比較してみて、どの点をとっても木下が岸田に勝る点はないという事実!この人間的敗北!その恐怖がわたくしを暴走へと追い込んでいったのです。


(五)狂行

前にも述べたように、いつもおどけた調子のわたくしは他人に警戒心というものを抱かせませんでした。由紀子さんとも砕けた会話をし、三回生の終わりにはかつて下した打算によって絵画の知識が彼女以上に詳しくなっていたので、彼女のほうから絵画の話題を持ってくることもよくあり、そこで生まれた信頼関係から人生の相談を受けることもしばしばありました(あくまでも先輩と後輩としてですが)。
そこでわたくしは彼女に岸田に関する知識が全く無いことをいいことに、彼がいかに卑劣で俗悪な人間であるかと様々な話をでっちあげ、その人格と行動の非道さを口を極めて罵ったのでした。わたくしはそれまで人前でほとんど他人の悪口を言ったことが無かったので、それは実に効果的でした。どのような作り話で彼の醜さや非人道性を吹き込んだかは、いくら今のわたくしに自尊心を持つ資格などなかろうと、ここに書くことは出来ません。ただ、その時わたくしの話を聞いていた彼女が、彼に対する怒りと情けなさのために目が真っ赤に腫れるほど涙を流したという事実をここに書けば、あとは読者諸子の想像に任せてことは足りるでしょう。
そしてわたくしはこの自分の犯罪が外部に漏れて、万が一にも彼の耳にこの話が伝わらぬよう、彼女にはわたくしが岸田の名誉を重んじるという建て前で、固く口を閉ざさせる約束を交わさせたのでした。こうしてわたくしの完全犯罪は部活の引退直前に達成されたのでした。

当然その狂行のあと、わたくしは遅過ぎた良心の目覚めに地獄の苦しみを味わせられました。何も知らない岸田は、わたくしに『部活を引退して時間ができたな』と映画に誘ってきたり、文学論をぶつけてきたり、就職活動のことなどを話してきたのですが、わたくしは彼の前に立つと、ものの五分もせぬうちに顔色が悪くなり唇も紫色になってしまうので、しまいには彼も本気でわたくしの体を心配し、一度病院へ行けとしつこく促すくらいでした。反対に、岸田自身は部活から離れて由紀子さんとも遠ざかったので、少しずつ彼本来のリズムを取り戻しているようにわたくしには見えました。
由紀子さんといえば相変わらず練習に精を出しているらしく、コンサート・マスターとして頑張っているようでした。
そんな状態での初夏のある夜のことです。わたくしが心の渇きを癒すために何かを求めてヘッセを読んでいると、いつかのようにけたたましくドアが叩かれたので、驚いてドアを開けますと、そこにいたのはあの日と同じく岸田でした。以前と勝手が違ったのは、玄関に入ってくる彼の両手にしっかりと大きなスポーツバッグが握られていたことです。
「どうした岸田!?」
「家を出て来た」
「家を出た!?」
「ああ、もう置き手紙もちゃんと残してきた。悪いがしばらくここに泊めてくれ。心配するな、いい住み家が見つかるまでだ」
「ぼ、僕は別にいいけど、またなんで家出なんか」
わたくしが罠にはめた彼とこのひとつ部屋で暮らさねばならない!この時の恐怖と絶望は、いくら因果応報とはいえ凄絶なものでした。わたくしに彼の申し出を断れるはずもありません。その夜は一晩中凄まじい良心の責め苦に悶絶し続けました。
朝になって土色の顔をしたわたくしを見てびっくりした彼は、慌てて有り合わせの材料でカロリーの高いスープを作ってくれました。なおも心配する彼を無理に大学に行かせた後、わたくしは泣きながら、ただもう泣きながら、がむしゃらにスープをすすりました。
「許してくれ、許してくれ、許してくれ…」。

わたくしが彼と同居して三日目の夜、美大生の川島と自称哲学者の古杉(こすぎ)が酒を持って遊びに来ました。二人きりで夜を過ごすことに参っていたわたくしは、彼らの来訪を手放しで大歓迎しました。
けっこうロマンチストな部分のある岸田は現実主義者の古杉とはそれほど気が合うようには見えませんでしたが、いつもポォとランボォの詩集を持ち歩いている川島とは実に意気投合し、酒が入ったせいもあってさかんに二人で気炎を吐き合っていました。クリスチャンの川島と無心論者の古杉が火花を散らした時も、彼は両者に横槍を入れて楽しそうに笑っていました。途中で熱烈にニーチェを崇拝している古杉が“ロマンチストとつきあってはおれん”と笑いながら帰った後も川島は部屋に残り、岸田と二人で朝まで芸術やわたくしの言動を肴(さかな)にわいわい語り合っていたようでした(わたくしは酒にとんと弱いのです)。あんなに楽しそうな岸田の笑い声を聞いたのは久しぶりです。
昼頃わたくしが目を覚ますと、岸田の胸の上に何やらメモが乗っていました。
「おーい岸田、胸の上に何かメモがあるぞ」
「んー、何だこれ。『止水は腐る』って書いてあるぜ。川島のやつ、キザなことしてくれるじゃないか、はは」
「しかし、昨夜はやけに僕をダシにしてくれたようだな」
「ああ、川島と二人して君は一度大いに痛い目にあってみるべきだって、気持ちよさそうな寝顔を見て笑ってたんだ。ははは、川島は愉快な奴だなあ、君のことを『受難者』なんて叫び出す始末だぜ」
このあとも川島は岸田に魅かれて三日に一度は下宿を訪れ、自分の絵を持参したり、ギターでボブ・ディランやジョン・レノンを弾いたり、なんだかんだと騒いで帰っていきました。岸田は今までになく充実して見え、随分明るくなりました。当初はどうなるかと心配していた共同生活も、冗談を言い合える楽しい日々となったのです。

三週間が過ぎた頃、岸田は出て行くことを告げました。
「長い間ありがとう。世話になった。バイトの金もだいぶん貯まったし、いいアパートも見つかったので、明日僕は出ていくよ」
「もっといればいいじゃないか。そう慌てるなよ」
これは本音でした。
「ハハ、それではせっかく家出した意味がないじゃないか」
翌朝。
「新しく住むアパートの住所と電話番号、今、分かるかい?」
「そう慌てるな。どうせ大学で会うだろうし、こちらからまた手紙を出すよ」
「うん。今度は川島、古杉らと三人でお邪魔させてもらうよ。夏休みは卒論、頑張ろうぜ」
わたくしたちは固く握手を交わしました。
「お互いにな…それから由紀子さんのことは…もう忘れることにしたよ。僕はこの先彼女に振り回されやしないよ、絶対に!古杉なんかもう六度も振られてるんだぜ。彼女は君に譲ってやるから、君もしっかり振られてこい、ははは!じゃ、失敬」
わたくしは一瞬自分の耳を疑いました。わたくしが由紀子さんに惚れてしまったことを知っていたのか、それとも彼女を忘れる為の冗談でそんなことを言ったのか、真意のほどがどちらにあるのか量りかねました。
この言葉をどう受け止めればよいのか随分悩みました。しかし、これは本人に問いたださぬ限りどうしようもありません。それより、一番大切なことは彼がもう由紀子さんのことを諦めると言っていたことだと思いました。それが本当なら今後のわたくしの行動を根本的に考え直さねばならぬからです。しかし、あれほど思い詰めていた岸田が、本当に思い切る事ができるのか、わたくしは沈考しました。


第三部

(六)訣別

すべてが一段落ついて、あと一つだけ気掛かりなことが残りました。いくら四回生だとはいえ、後期の授業が始まったのに岸田は全く大学に姿を見せなかったことに加え、一向に彼から手紙が届かないのです。これはわたくしを少なからずも不安にしました。
“なぜだろう。岸田が分からない”、そう考え込んでいると、ふと、今まで完全に忘れていたある出来事が、記憶の深溝から湧き上がって来ました。わたくしはあの“狂行”の直後、あまりの良心の痛みと辛さから川島にその事件のことを話していたのです。もちろん、友達から聞いた話として、人物の名前もすべて置き代えてはいましたが。しかし勘のいい岸田のことです。もし仮に川島が彼に語っていたのなら、彼はすべてを察してしまったに違いありません!岸田から連絡が遅れれば遅れるほど、不安は疑惑に、疑惑は確信に、確信は動揺に、動揺は絶望にと発展していきました。
だが、それからの祈りに満ちた二週間の後、遂に彼からの手紙が届きました。彼と最後に別れてから四ヶ月ぶりの手紙です。彼の住所はなく名前だけが書かれていました。わたくしはシャツの背中が冷たい汗でねっとりと皮膚にくっつくのを感じながら、震える指で恐る恐る手紙の封を切りました。

『前略― 木下、僕は必死で由紀子さんを忘れようとしている。だが、これは並大抵の努力で出来ることではない。これは戦争なんだ。勝たなければ死ぬのは僕だ。僕は彼女の写真や自分の日記を全て焼いた。あと、彼女を思い出させるものは君だけだ。僕は完全に彼女を忘れたという自信が持てない限り、全ての過去の象徴、否、過去そのものである君と会うわけにはいかない。
君よ、それまで訣別だ。僕の住所は探さないでくれ給え。彼女をふっきれた暁には、こちらからまた連絡する。せっかく僕が過去を忘れる決心をしたんだ。君も協力してくれ! 〜親友 T・Kより』

わたくしはこの鉛でできたように重い手紙をぶるぶる震える両手で必死に持ちながら、何度も何度も読み返しました。『由紀子さん』『過去』『訣別』と、いろいろな言葉の断片が頭の内部で渦巻きました。わたくしは彼に訣別されたのです。もう、会いたくても会えなくなったのです。一緒にベートーヴェンを聴き、ドストエフスキーを語り合った唯一無二の親友をわたくしは失ってしまったのです。彼はわたくしにとって、どんな財宝とも代えることのできない至上の存在でした。ああ、これ以上の人生の損失は他にありえません!
また、それと同時に、例の狂行のことが一言も載っていなかったことから、彼は一体そのことを知っているのか知らぬのか、新たな煩悶生活が始まりました。そしてそれは、彼が知っていてもいなくても、どちらにしろわたくしにとって生き地獄に変わりありませんでした。


(七)四年後

年月の流れは人間の営みとは関係なくどんどん流れていきます。わたくしが岸田に訣別されてから、四年が経ちわたくしは二十六歳になっていました。平凡な地方公務員のわたくしの楽しみは、もうすぐ川島豊彦・由紀子夫妻に子供が誕生しようとしていたことでした。後見人はもちろんこのわたくしです。
由紀子さんは絵画への夢を捨てきれず、卒業後就職先を蹴ってS美術学校に進みました。そのS美術学校で若いながらも講師として生徒を指導していたのが川島だったのです(現実では何でも起こり得ると驚きました)。もちろん二人はそれまで何の面識もありません。わたくしは由紀子さんから初めてS美術学校に入ることを聞かされた時、運命の巨大な力に、号音をあげて回転する歯車に絶句しました。
わたくしにはあの狂行の責任上、絶対に彼女に愛の告白をせねばならぬ義務がありました。だが、自分の自己防衛本能は安全な将来を選んだのです。『とことんまで恋をした者は友情に手をつける』とハイネも語っているように、わたくしは彼女にとって恋人でも夫でもないが大切な先輩、人生のよき相談相手としての生涯の親友という道を選んだのでした。
わたくしは告白して赤の他人になるよりも、静かに彼女の家庭を遠くから見守ってやりたかったのです。そのためには夫がわたくしの親友であって欲しかった。この点で川島は最高の人間でした。彼は根が優しく善良でそして芸術を深く愛する心を持ち、道徳的にも完成された男だったので、何としてでも彼らを結び合わせねばと決心したのです。
わたくしの理想は、彼女の子供たちからは『木下のおじさん』と呼ばれ、彼ら夫婦とは後見人として一生を共にでき、正月に遊びに行けば彼女のおせち料理をご馳走になれる様な関係でした。だから二人を夫婦にするこの夢を取り逃がすことは死に等しいものでした。
結果は思った以上にうまくいき、二人はお見合いをして少し付き合っただけで婚約、そして結婚へと踏み切ったのでした。彼女はわたくしの推薦した彼を信用し、彼もわたくしが推薦した彼女の真価をすぐに見抜き、彼等は学校では講師と生徒であり、家庭では夫であり妻であると、傍目にも幸せそのものの素晴らしい夫婦でした。


(八)代償

それから十六年、それが現在です。もうわたくしも四十二になります。
先日、川島からの手紙が届くまでは、岸田があれからどうなったのか、全くわたくしには分かりませんでした。ただ一つだけ分かっていた事は、音信不通の状態が示していたように、彼がずっと由紀子さんを想い続けていた事です。『いた』となぜ過去形を使うかは、その川島から先日届いた次の手紙のためです。

『前略〜 この封筒には岸田から君宛の未開封の手紙が同封してある。それには彼の住所が裏に書いてあるが、そこにはもう彼はいない。岸田はもうこの世のどこにもいないんだ。二十年前彼が君の下宿を出て行った後も、彼は時々僕と会っていた。彼のアパートへも彼が入院するまで年に二、三度訪ねていたが、彼は驚くほど孤高な精神生活をしていた。彼の部屋は四畳半なのだが、ガスは通っていないし水道も共同で、部屋の中には文学全集の本棚と机と布団、それとクラシックを聴くためのテープレコーダーしかなく、実に八年以上も電話やテレビや新聞といった外界と接点のあるものを断って、仕事先とアパートを往復する生活をし続けていたんだ。岸田は俗世のあらゆる煩わしい雑事から遠く離れて、ずっと自己と対峙していたんだ。
僕はそのあまりに荘厳な彼の生き様に、彼を訪問した帰途でいつも無意識に涙がこぼれてきたものだ。また、理由は分からなかったが彼と君は訣別したそうだから、自分とこうして会っている事は内緒にしておいてくれとのことだった。
最初に彼が錯乱したのは三十歳の冬だ。夕暮れに一人で近所の公園のベンチに座り冬の太陽を見ていて、突然意識が飛んだらしい。救急車で病院に運ばれてからはひどく暴れて手の付けられない状態が続いたそうだ。そして彼の状態が尋常ではなかったので、数日後専門の病院に移されたんだ。担当の先生の話では、当初から彼は何かの想像に取り付かれていたらしく、不周期的に奇声を発しては部屋の隅で引き付けを起こす事を繰り返していたという。
 
木下、今から書くことを心して読んでくれ。ある日入院中の彼を見舞った時に、先生からユキコという名前に心当たりがないかと問われたので、なぜそんな事を聞くのですかと訊ね返したら、先生は今までに幾度となく発作中に彼からその名前を聞いたとおっしゃるんだ。僕はユキコといっても、まさか幾らなんでもうちの由紀子ではあるまいと思い知らぬと答えておいた。その当時の僕は非常に忙しかったので、少しはこの事が気になったもののすぐに忘れてしまった。
ところが先日、妻が昔の写真を整理しているのを覗いてみると、そこにオーケストラ部時代の君や岸田の写真があったので、僕は二人を指差して学生時代の思い出話をした時の事だ。岸田が死んだのは丁度僕が絵の仕事で二年間ほど妻とフランスへ渡っていた間のことで、我々の会話にのぼる機会もなかったし、考えてみれば、どういうわけか妻に岸田の事を話すのはその時が初めてだった。
その思い出話で岸田のことを誉める度に妻が妙な顔つきをするので、なぜそんな顔をするのかと問い詰めた。妻の口からは自分の耳が信じられぬような話が次々と出てくるのだ。それらをすべて君から聞いて、固く秘密として誓わされたという。この話の内容は岸田の人格をよく知る僕にとって、とてもじゃないが到底事実として認められるべき筋合いのものではない。
続けて妻から、結婚する直前に一度岸田から何か思い詰めたような声の電話を貰ったが気味が悪いし怖かったのですぐに切ってしまったという話を聞かされたとき、僕は雷で打たれたように慄然として、あの先生の話を思い出したんだ。僕は瞬時に全てを理解した。過去に妻との結婚話を岸田にした時に、“結びつけたのは木下だ”と言った瞬間に彼が見せた驚愕の表情がやっと分かった。あの時の見開かれた目はそういうことだったのだ。ああ、木下、どうして君は家内への彼の気持ちを一言も教えてくれなかったんだ!

彼が発作を重ね廃人同然となって絶命したのは三十五歳の時だ。最後の一年は喜怒哀楽を忘れ叫ぶこともなかった。岸田が死んだことは君にはショックだろうから黙っていたが、周りの人間を罠にはめた事が判明した今、もう僕は君に手加減などしない。後見人の君に向かってこう言うのは非常に残念なことだが、君はもう今後一切僕たち夫婦の前には現れないでくれ。今日、この手紙限り君とは完全に他人だ。 〜川島豊彦・由紀子』

わたくしはこの手紙を読み終え卒倒しました。岸田が狂死したうえ川島夫婦からも訣別されてしまった。四十年生きてきてやっとたどり着いたのがこの手紙だとは!しかしわたくしをさらに打ちのめしたのは同封されていた岸田の手紙でした。それは日付けを見る限り彼が三十一歳の時に書かれたようでした。わたくしは冬だというのに全身汗だくになり、白い霧がかかった頭で数時間かけてこの短い手紙を読みました。

『最近発作の回数が増えてきた。ものを考えることが出来るのは僅かの間だけだ。次にいつあれが襲ってくるのか予測もつかない。どうやら僕は、完全に発狂してしまうのを待つだけらしい。発作の間は、自分の精神世界の奥底をかいま見る。暗闇の中のさらなる暗黒。その時の恐怖は、絶対にあれを見た者でないと分からない。それは全てを否定し去る完全な無の世界なのだ。自分の存在を根底から否定される恐怖に耐えられる者はいない。
僕は自分が他人の妻を愛する程馬鹿ではないと思っていた。しかし、僕は自分の意思をコントロールする能力のない弱い人間だということを思い知らされた。僕は“僕から彼女を守るために”僕を殺したい。
だが、僕に自殺は出来ない。それは僕が大自然の美力(びりょく)を知っているからだ。秋の夕焼けや冬の雪景色、薄雲の中の月や日の出前の青い大気、厳粛な夜の山と古代からの生命賛歌を奏でる夜の海などを知ってしまった以上、この美力に溢れた世の中から自ら去って行くことが出来るわけがないのだ!
理想と現実の間で息が出来ず、身動きもとれず、そして美力への執着心から死ぬことも許されない。どう考えても全てに行き詰った僕が完全に発狂するのは時間の問題だ。僕は怖い。何よりこの先どうなってしまうのか分からぬ事がとてつもなく怖い。一体いつまで僕が岸田達治であることを認識出来得るのだろうか。果たして僕は死ぬ時に死を自覚して死ねるのだろうか。』

この手紙を読み終えた後、わたくしに何を語ることができるでしょう。涙は止めどなく流れ落ちますが自業自得です。わたくしは未だに独身です。長い、実に長い四十年でした。しかし、まだ何年もこの世という牢獄で生活をせねばならぬとは、あまりにもやりきれません。これでは終身刑と同じです。天よ、世に八十年も生きねばならぬほど、わたくしは前世で罪を犯したというのでしょうか。

昨日、わたくしに由紀子さんから小包が届きました。どうしてもそれを開ける勇気が出ず、一晩の間まんじりともせず見つめていましたが、極度の緊張から次第に何を見て何を考えているのか分からなくなり、明け方になって無意識のうちに開包していました。
中には一枚のレコードがあるだけで一通の手紙も入っていません。そのレコードはモーツァルトのレクイエムでした。由紀子さんは一体どういうつもりでこのレコードを送ってくれたのでしょうか。わたくしを励ましてくれているのか、それともこの曲について語り合った時の“あのこと”を言っているのか。とにかく今朝からわたくしは泣きながら第七曲のラクリモサばかりを聴いています。

これでわたくしは筆を置きますが、最後にもし恥知らずな願いが許されるなら、どうかわたくしという人間がこの世にいたことを覚えておいて下さい。後生です。わたくしが別れたすべてのKのために。

完(初稿1987.11.23、改定07.8.31) 




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