※ハーンが「海外」に向けて書いた日本の紹介文です。


「神々の国の首都」第20章

夜の通りを歩くとしばしばそうなのだが、殊に祭りの夜などには、何かの小さな屋台
の前でじっと押し黙って感心している群集のひしめき合うのが目にとまる。

運よく覗き込むことができても大した見ものなど余りない。せいぜい花を一杯つけた
細い茎か、それともひょっとしたら花咲く木から切り取ったばかりの軽くたおやかな
何本かの枝を生けた花瓶が少々あるだけということがすぐに分かる。
何のことはない、生け花の名人芸を無料で見せてくれているだけだ。
 
日本人は我々野蛮人とは違い、花を茎や枝から無残に切りはなして無意味な色
のかたまり(=花束)に作り上げたりはしない。そういうことをするには自然愛が
強すぎる。
彼等は花の自然な魅力がどれほどその配置や盛り上げ方、すなわち花が葉や茎に
対する関係に負うところが多いかを充分心得ている。そこで彼等は優美な枝や茎を
たった一本、自然が作り上げたままの姿で選び出す。
 
初めのうちは何しろ西洋から来た異人だから、諸君はこういうものを見せられても
さっぱり分からないだろう。こういうものを理解することでは、そこいらのごく平凡な
労働者と比べても、こちらはまだまだ野蛮人なのだ。
だが、この素朴でささやかな展示会に大衆が興味を寄せるさまを不思議がっている
うちに、諸君にもその魅力が次第に分かり始め、やがて悟入(ごにゅう)の喜びに
ひたる時が来るだろう。
そして西洋人特有の優越感があっても、これまで西欧諸国で目にして来た花の展示
の如きは、それら数本の素朴な若枝の自然な美しさと比べれば、ただもう醜怪な
ばかりだと分かって恥ずかしい思いをすることだろう。
 
更に花の後ろに立てられた白か水色の屏風がランプや提灯(ちょうちん)の明りに
助けられて、どんなに効果を高めるかということにも気付くだろう。屏風はそれに映る
植物の影の、えも言われぬ見事さを特に見せようという目的で置かれているからで
ある。
その上に映る枝や花の鮮明な影は、どんな西洋の装飾美術家も到底想像でき
ないくらい美しい。



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