ジャズ・ミュージシャンの墓
世界恩人巡礼大写真館 【English Version】

ジャズ・ミュージシャンコーナー

★39名


ルイ・アームストロングの墓
アルバート・アイラーの墓
キャノンボール・アダレイの墓
ベン・ウェブスターの墓
サラ・ヴォーンの墓
ビル・エバンスの墓
デューク・エリントンの墓
キング・カーティスの墓
ベニー・グッドマンの墓
スタン・ゲッツの墓
ナット・キング・コールの墓
ジョン・コルトレーンの墓
フランク・シナトラの墓
ミルト・ジャクソンの墓
アート・テイタムの墓
マイルス・デイビスの墓
トミー・ドーシーの墓
メル・トーメの墓
エリック・ドルフィーの墓
チャーリー・パーカーの墓
ジャコ・パストリアスの墓
ライオネル・ハンプトンの墓

エラ・フィッツジェラルドの墓
クリフォード・ブラウンの墓
チェット・ベイカーの墓
カウント・ベイシーの墓
アート・ペッパーの墓
ミシェル・ペトルチアーニの墓
コールマン・ホーキンスの墓
ビリー・ホリディの墓
グレン・ミラーの墓
セロニアス・モンクの墓

ウェス・モンゴメリーの墓
レスター・ヤングの墓
ジャンゴ・ラインハルトの墓
スコット・ラファロの墓
マックス・ローチの墓
ダイナ・ワシントンの墓

松本英彦の墓



★マイルス・デイビス/Miles Davis 1926.5.26-1991.9.28 (NY、ブロンクス 66歳)2000&09
Woodlawn Cemetery, Bronx, Bronx County, New York, USA




超クールなマイルス! 2000 とても巨大な墓石!名曲『SOLAR』の楽譜 2009 再巡礼!お久しぶりです!

ジャズ・トランペットの『帝王』マイルス・デイビス。サックスのパーカーと並ぶ音楽界のカリスマだ。明るく能天気な“楽しい”ジャズが多かった1950年頃、哲学的香りの漂う、暗く陰湿な演奏スタイルで、世界の悩める孤独者から絶大な指示を得た。だが、やがて彼はファンを裏切るかのように電気楽器を導入し、ポップなフュージョン路線に走る(走る、といっても彼が開拓した道で、それまでフュージョンなるジャンル自体がなかったが)。“再びバラードを”との周囲の声に彼はこう答える「俺がバラードを演奏しなくなったのは、バラードを愛し過ぎているからだ」。つまり、好きなことだけをやっていては進歩出来ないというのだ。
常にジャズを進化させ続けた彼の口癖は「半年も前と同じ演奏をするわけにはいかない」。この悲愴なまでのクリエイター魂!墓は“世界最悪の犯罪地区”“滞在時間に比例して天国が近くなる”といわれるマンハッタンの北部、ブロンクス地区にあった。カーター元大統領から「最低の街」と呼ばれている(オイオイ)。

「おい、俺のことを考えてみろ。俺はずっと、黒人のくそったれ野郎と言われ続けてきたんだぜ。黒人のくせにああだこうだと、あっちこちでな…放っておけ。相手にしないのが一番だ」(マイルス・オン・マイルス:マイルス・デイヴィス インタヴュー選集 p296)



★ジョン・コルトレーン/John Coltrane 1926.9.23−1967.7.17 (USA、NY郊外 40歳)2000&09
Pinelawn Memorial Park and Cemetery, Farmingdale, Suffolk County, New York, USA Plot: Garden of Sanctuary, Sec 60, Range 46, Grave 49

この木の下がジョン・コルトレーンの墓 コルトレーン家。中央に蓮(?)が彫られていた 左手前にジョンが眠る










“聖者”と呼ばれた男 2000年の初巡礼 9年後、墓が新しくなっていた(2009)

人は彼を“聖者”コルトレーンと呼ぶ。日々信じられぬほどの膨大な時間を練習にあて、その音楽に対する求道的な姿勢が「ジャズを通して“神”に近づいた男」と、同じミュージシャン仲間から評された。ジャズメンたちは、彼の演奏テクニックだけでなく、彼の音楽に立ち向かう姿勢に大きく影響を受けた。彼が最前線で活動したのはほんの10年強だったが、彼が生み出した極めて深い精神性を持つ音楽世界には、いまだ誰も踏み込んだ者がいないと言われている。最期は志し半ばの40歳で、肝臓癌のために亡くなった。

            

「私は世の中に“悪”が存在していることを知っている。私は自分の創り出す音楽が、ささやかでもそれに対抗するものになれば、と思う」(コルトレーン)

「慈悲深い神の心は愛の形で示される。それが至上の愛」(コルトレーン)

プレート式の墓の最大のメリット、それは人気(ひとけ)がない所では、この様に頭の先からつま先まで、全身で相手を抱きしめることが出来ることだーッ!これはもう、アルティメット・ミーハーがこの世で望み得る体験のうちで、最上級のもの!このままここで死んでも良いと思ったよ(2000)



★ビリー・ホリディ/Billie Holiday 1915.4.7-1959.7.17 (NY、ブロンクス 44歳)2000&09

Saint Raymonds Cemetery, Bronx, Bronx County, New York, USA



 
壮絶な生涯だった よく似た墓が無数にあり、自力でたどり着くのは不可能



 
トレードマークのクチナシの花が供えてあった(2000) 墓には愛称レディ・ディの文字も刻まれている(2009)

不世出のジャズ・シンガー、“レディ・デイ”ことビリー・ホリディ(本名エリアノーラ・ホリディ)。ボルチモア生まれ。伝記に書かれた彼女の人生はあまりに重い。15歳と13歳という“子供のような両親”の間に生まれ、6歳から掃除などアルバイトを始める。10歳の時に強姦、14歳で娼婦になり翌年に売春罪で投獄される。人種差別の厳しいテキサスで肺炎になった父親は、黒人という理由でどの病院からも冷たく閉め出され死亡。そんな地獄を見てきたホリディだからこそ、彼女が歌えば、どんな平凡なポピュラー曲でも人生の真実を照らす深遠な芸術作品になった(彼女はブルースよりポピュラー曲がメイン)。また、伴奏の音にもたれかかるような独自の歌唱法も、憂いと気だるさを含み強烈な存在感を出している。10代後半、出所後にNYハーレムのナイトクラブのオーディションに合格して歌い始めると、すぐにレコード・プロデユーサーにスカウトされる。1933年(18歳)、人気絶頂のベニー・グッドマンやカウント・ベイシー楽団と共演し一躍有名になった。ホリディのアーティストとしての高い評価を決定づけたのが、24歳の時に歌って代表曲となった『奇妙な果実』(1939)。この曲は南部で実際に度々起きた白人(特にKKK)による黒人リンチ事件に抗議を込めて歌ったもの。当時彼女と契約していた大手コロンビア・レコードは、歌詞の内容に恐れをなして録音を求めるホリディの要望を断った(小さなコモドア・レーベルから発売)。
1947年(32歳)、ヘロイン中毒から脱出しようと入院するが、やはりその誘惑には逆らえず麻薬不法所持で逮捕。ペンシルヴァニア連邦刑務所に一年間収監される。その後もヘロインとアルコールに浸り続け、ガリガリに痩せ衰え、張りのある声が出なくなっていく。彼女が最も信頼を寄せ、精神的に支えてくれたサックス奏者レスター・ヤングが亡くなった4ヶ月後、彼を追うように40代半ばで死んでしまった。

・「私はビリー・ホリディの歌い方が好きだ。彼女はレスター・ヤングやルイ・アームストロングの演奏のように歌う。ビリーの歌はボビー・タッカーのピアノの伴奏だけで聴くのが好きだった。彼女にはどんなホーンも必要ではない。彼女の歌はいつもホーンのようにサウンドしているのだから」(マイルス・デイビス)



『奇妙な果実』

南部の木々はとても奇妙な果実をつける
葉から根元まで血に染まり
黒い遺体は南部の風に揺れる
奇妙な果実はポプラの木に吊るされている
 
美しい南部の田園の中に思いもかけずみられる
腫れあがった目や苦痛にゆがんだ唇 
マグノリア(木蓮)の甘い香りは
突然肉が焦げる匂いとなる

群がるカラスについばまれた果実に雨は降り注ぐ
風にさらされ 太陽に腐り 
遂に朽ち落ちる果実
奇妙でむごたらしい果実がここにある




★ルイ・アームストロング/Louis Armstrong 1901.8.4-1971.7.6 (NY、クイーンズ 69歳)2000&09
Flushing Cemetery, Flushing, Queens County, New York, USA Plot: Section 9※誕生日は1901.8.4の説アリ







はじめまして!(2000) 約10年後に再会。墓前の星条旗が増えていた(2009) 墓石には愛称の“Satchmo”(サッチモ)

墓石の上にあるトランペット(2000) トランペットの上にはコインがあふれ、なぜか「サックス」が供えられてた(2009) 墓石はプレート型と2種類ある

「ジャズとは自分が何者であるか、でしかない」(ルイ・アームストロング)。
「キング・オブ・ジャズ」と呼ばれたジャズ創世記の巨星。ジャズ史上最初の天才であり、トランペットの名手として即興演奏を得意とし、高い音色を長時間キープするなど優れた演奏技術を持っていた。ヴォーカリストとしても有名で、「ズビズビ・ダバダバ」と言葉を即興的につなげ、声を楽器代わりに使う歌唱法“スキャット”の発明者として知られる。天性のしゃがれ声で意図的にリズムをずらして歌うスタイルで聴衆を魅了した。愛称は“サッチモ(大口)”。由来はエラ・フィッツジェラルドが彼の大きな口を「Such a mouth!」と呼んだことによる。
 
1901年8月4日にルイジアナ州ニューオーリンズの裏町にて出生。母は娼婦だった。少年時代は非行を繰り返し、新年を祝うために道端で発砲したところ警官に見つかり少年院へ送られる。だが、少年院に入ったおかげでアームストロングの人生が輝き始めた。アームストロングは少年院でブラスバンドに入り、コルネットと出会った。楽器演奏の楽しさに目覚め、出所後は町のパレードなどで演奏して人気者となる。そして音楽の道を極めるべく、ジャズ史上最初の大音楽家、コルネット奏者キング・オリバー(1885-1938)からトランペットを学び、1917年、16歳のときにキッド・オリー楽団のトランペット奏者としてニューオーリンズでプロ・デビューを飾った。
21歳、キング・オリバーに誘われて当時のジャズの中心地シカゴに移住し、翌年オリバーのクレオール・ジャズ・バンドに参加、初のレコーディングをする。アームストロングの自由な即興演奏はシカゴで評判になった。23歳、ニューヨークでフレッチャー・ヘンダーソン楽団に一年間在籍し、ブルースの女王ベッシー・スミスと共演。
1925年(24歳)、シカゴに戻って念願だった自身のバンド“ホットファイブ”を結成する。アームストロングが活躍し始めた1920年代は、それまでバンド全員が揃って演奏するスタイルが一般的だった。アームストロングは演奏スタイルを革新し、曲の途中に独自の「ソロ即興パート」を入れた。“ホットファイブ”はたちまち人気に火が付き、アームストロングは時の人となった。翌年にはジャズ史上初のスキャット・ヴォーカル曲「Heebie Jeebies(ヒービー・ジービーズ)」を録音。この曲を聴いたシカゴ中のジャズ・ファンが、アームストロングのしゃがれ声に憧れて風邪を引こうとしたという。スキャットの誕生は革命的だった。スキャットのおかげで、人々は同じ歌を様々な歌い方で楽しめるようになったのだ。
1928年、ホット・ファイブは『ウェスト・エンド・ブルース』を録音。ボルチモアの女郎屋で下働きをしていた13歳のビリー・ホリデイは当レコードを聴いて「この歌声は、私にとって実に多くの意味を持つ歌に聞こえた。ある時は私をさめざめと泣かせたし、ある時はこの上なく幸福な気分にさせた」という。
1930年代にはヨーロッパ・ツアーを実施。第二次世界大戦が始まると慰問公演を行った。
 
1950年代は『バラ色の人生』(ラヴィアンローズ)や『キッス・オブ・ファイア』が大ヒットし、1953年に初の日本公演も行った。1954年、自伝『サッチモ:ニュー・オルリーンズの青春』を刊行。
1956年(55歳)、アフリカのガーナで公演した際、アームストロングは数千人の熱狂的なファンに迎えられた。だが、演奏中に観客が警備の警官から殴られている(理由不明)のを見て動揺し、演奏を中断して「殴るのをやめてくれ」と訴えた。
1957年(56歳)、南部アーカンソー州の州都リトルロックで、高校入学を希望した黒人学生9名が、人種差別により入学を阻止される事件が起きた。3年前の最高裁判決(ブラウン判決)で白人と黒人の分離教育が違憲とされていたが、差別主義者のフォーバス知事は登校初日に州兵100人をリトルロック・セントラル高校に派遣し、入学資格を持つ9名の黒人学生の登校を実力で阻止した。登校させるべきと考えた市長は、知事に法律順守を訴えたが拒絶され、市長は直接アイゼンハワー大統領に米軍の派遣を要請した(州兵より軍の方が強い)。だが、アイゼンハワー大統領はリトルロック事件のことを知りながら何も行動しなかった。
これに怒ったアームストロングは新聞記者へのインタビューで「(アーカンソーの)フォーバス知事は無学で、アイゼンハワー大統領は意気地なしだ」と感情を爆発させた。1868年にアメリカ合衆国憲法修正14条は「すべての者に対する法律の平等な保護」を定めているが、彼自身、これまで公演先で白人と同じホテルへ泊まれなかったり、劇場で黒人専用の出入口を強制されるなど、何度も差別を体験していた。大統領や知事を批判したアームストロングの言葉は新聞で大きく取り扱われ、すぐさま世界中に伝わった。マネージャーは大統領を侮辱したアームストロングに発言の撤回を勧めたが、アームストロングは逆に批判を加速させ、予定していたソビエト公演を「黒人をこのように酷く扱うアメリカを代表してソビエトに行くことは出来ない」とキャンセルした。
 
アイゼンハワーは世界から注目を浴び、騒動開始から3週間を経て、ノルマンディー上陸作戦で戦った米軍きっての先鋭部隊・第101空挺師団をリトルロックへ派兵した。9人の黒人学生(Little Rock Nine)は軍に護衛されながら、ついに入学を果たすことが出来た。
1964年、63歳で録音した『ハロー・ドーリー』は当時人気絶頂だったビートルズを抜いて全米No.1ヒットに輝き、3カ月続いていたビートルズの連続1位記録をストップさせ音楽関係者を仰天させる。
1967年12月20日、反ベトナム戦争の立場から泥沼化する戦争に心を痛めていたアームストロングは、テキサス州にあるアメリカ最大の陸軍基地フォート・フッド(甲子園22個分、5万人以上勤務)を慰問に訪れた。そしてアームストロングは、これからベトナムに向かう若い兵士たちに名歌『この素晴らしき世界(What a Wonderful World)』を捧げた。
アームストロングはハリウッドで約60本もの映画に出演。フランク・シナトラやビング・クロスビーと『上流社会』(1956)で共演し、『五つの銅貨』(1959)ではダニー・ケイと共演した。生涯のレコーディングは『タイガー・ラグ』『捧ぐるは愛のみ』など約1500曲に達する。私生活では4度結婚し、最後の相手コットン・クラブの歌手ルシール・ウィルソンとは他界するまで30年添い遂げている。
亡くなる2カ月前、アームストロングはNYでステージに立った。病の後遺症で身体が不自由になり、医者はとめたが彼はやると言ってきかなかった。バンドマンたちは、一人でステージに上がれず、歩くこともおぼつかないサッチモを見て涙を流す。アームストロングは執念で3週間のステージをやりおえた。最終公演の後、アームストロングはステージから降り、バンドマンたちにこう言った「君たちとは本当に長い間一緒にやってきた。でも、これで終わりだ。もうこれ以上は続けられない」。この7週間後、1971年7月6日にジャズ界の巨人は永眠した。享年69。翌年、生涯の功績に敬意を表してグラミー賞が授与された。
大指揮者レナード・バーンスタインが「アームストロングの音楽にはかすかな“痛み”がある」と評したように、どんなに軽いポピュラー曲でもアームストロングが歌うとそこに深みや哀愁が生まれ、人々は歌から人生を感じ取った。
墓はニューヨーク州のマンハッタン島の東側、クイーンズ地区のフラッシング墓地・9区にあり、墓石の上部にトランペットの彫刻が設置されている。サービス精神旺盛で真のエンターテイナーだったアームストロングは国境を越えて愛され、墓前には多くのファンが訪れている。
※墓石に刻まれた生年月日は1900年7月4日。これはサッチモ本人の主張によるもの。だが正確には1901年8月4日だ。
 
「アームストロングは喋りまでジャズになっている」(マイルス・デイヴィス)
「彼はジャズはもちろんのこと音楽界全体に大きな影響を及ぼした」(オーソン・ウェルズ)
「色々なトランペット奏者の良い所を盗もうとしたけど、アームストロングだけは盗めなかった。とにかく凄すぎるからさ」(ウィントン・マルサリス)


『この素晴らしき世界』

♪緑の木々に赤いバラが見える それは僕たちのために花開く
僕はしみじみ思うんだ なんて素晴らしい世界かと

青い空や白い雲を眺める僕
明るく喜びに満ちた昼 暗く神聖な夜
そして僕はしみじみ思うんだ なんて素晴らしい世界なのかと

七色の虹が空に美しく映え 行き交う人々の顔を染めている
友人たちが握手をして「ご機嫌いかが」と挨拶する姿が見える
彼らは心から言うのさ アイ・ラヴ・ユーと

赤ん坊が泣いているのが聴こえる
あの子たちが大きくなって
僕よりずっと沢山のことを学ぶだろう
思わず感動してしまう
なんと素晴らしい世界じゃないか
そうさ 僕はしみじみ思うんだ
嗚呼 この世はなんと素晴らしい世界なのかと!




★チャーリー・パーカー(バード)をたずねて三千里編

チャーリー・パーカー/Charlie Parker 1920.8.29-1955.3.12 (USA、ミズーリ州カンザス・シティ 34歳)2000&09
Lincoln Cemetery, Kansas City, Jackson County, Missouri, USA



“バード”ことチャーリー・パーカーが現れる以前のジャズは主にスイングと呼ばれ、グレン・ミラーなどビッグ・バンドが演奏するダンス音楽だった。アドリブの鬼バードは「ダンスの伴奏なんかやってられるか!」と数名のユニットを作り、アドリブを強調しまくった演奏“ビ・バップ”革命を起こす。ビ・バップは「最初にテーマを演奏し、そのコード進行をスタート地点にしてアドリブを重ねていくスタイル」のこと。スイング時代はアドリブのソロに聞こえるパートもちゃんと楽譜があって、何百回演奏しても同じ“アドリブ風”のメロディー(書きソロ)だった。
バードは自由なリズムに乗せて、複雑で長いフレーズを即興で演奏しまくった。多くのミュージシャンは演奏し始めて徐々に乗ってくるものだが、バードは最初の一音からいきなり最高度に光り輝く音を出し聴き手を圧倒する。晩年、美の創造と黒人ゆえの人種差別の苦しみから逃れるように麻薬に溺れた彼は、わずか34歳で死去。検死官はバードのボロボロの肉体を見て“60歳の老人かと思った”という。


  

夜行バスでカンザス・シティに到着。行動開始の前に、重い荷物をバスターミナルのコイン・ロッカーに
預けようとして思わず固まった。無情な“故障中”の紙が!(写真左)仕方なくフル装備で町へ繰り出す。
ときに早朝午前6時。写真右のハイウェイっぽい道を、何度もクラクションを浴びながら歩き続ける。

  

「グヘチョーッ!」歩き始めて1時間、既に息も絶え絶えの僕にトドメを刺すが如く、道が山道に変わってきた。しかも、いまだ墓地は気配すら見せない。あまりにしんど過ぎて、逆に笑いがこみあげる。振り返ると、町は遥かに遠く「ヨシ、このトホホ・メモリーを記録しよう」とタイマー撮影をしていたら(写真左)、ミズーリ州警察のパトカーが僕の側へ。警官は開口一番「ホワット・アー・ユー・ドゥーイング!」。早朝、山中、アジア人、記念写真、というありえない組み合わせに、えらく長い職質をくらった。僕はサックスを吹く真似をしながら「アイ・ラブ・チャーリー・パーカー!」と怪しまれないよう説明していると、警官はクールにパスポートの提出を要求、車内でパスポート片手に調書を書き始めた(右写真)。不安な気持ちで待ってると、彼は墓への手書き地図をくれた。

ついに山中の墓地へたどり着いたが、墓の数が多すぎてなかなかバードに会えず片膝をつく







通り雨でズブ濡れ 2時間後、やっと乾く あばよ…バード!

そこへ通り雨が!廃屋で雨宿りをした後、バードの墓を発見したときは、墓石がズブ濡れに(写真左)。墓にはサックスの中から大空に羽ばたく鳥が描かれていて、音の翼で自由に飛翔したバードに相応しい、素晴らしい墓だった!鳥は濡れて黒ずんでいたけど、乾くと白くなる気がしてカメラを片手に待機した。
待つこと2時間!予想通り鳥は白く美しくなり、しかも朝陽がちょうど当たってメチャメチャ渋い墓になった!「ああ、バード、素晴らしい演奏を残してくれて本当にありがとう!」。この間、足を中心に44ヶ所も蚊に刺され、3日間悶絶した。今から思うと、別に自然乾燥するのを延々と待たなくても、ハンカチで拭けば良かったじゃん、って後悔している。ほんと、トンマだな〜。

●2009年7月吉日、再巡礼を敢行!





前回パトカーが止まっていた場所に
今回はレンタカーを停車!
約10年ぶりに再会!午後の熱い太陽に照らされていた。
隣は母親のADDIE PARKER(1891-1967)
絵の横にサックス型ブローチがあった


周囲は緑がいっぱい バードへの巡礼を鹿たちが見つめていた 墓地に鹿がいるなんて日本じゃ考えられないね



★ エラ・フィッツジェラルド/Ella Fitzgerald 1918.4.25-1996.6.15 (USA、カリフォルニア州ロス 78歳)2000&09
Inglewood Park Cemetery, Inglewood, Los Angeles County, California, USA  Plot: Sunset Memorial Garden Mausoleum




スキャットが得意 左壁の下から2段目、黄色と赤のバラが見えるのがエラ






ここにバスで来るにはロスの危険地帯を通る必要がある。
ヤクでラリッた連中に途中でからまれ震え上がった。
冷や汗タラタラでたどり着き、思わずエラに抱きついたよ
彼女は母であり祖母だったようだ


早逝が多いジャズ・シンガーの中で長寿だった



滑らかで明るい歌声、完璧で非の打ち所のない音程、見事なハイ・スピード・スキャット。NYの孤児院で育った彼女は、高名なジャズ誌「ダウンビート」の年間最優秀女性歌手部門で20年連続第1位という、前人未到の偉業を為す、文字通りジャズ界の“女王”となった。



★デューク・エリントン/Duke Ellington 1899.4.29-1974.5.24 (NY、ブロンクス 75歳)2000&09
Woodlawn Cemetery, Bronx, Bronx County, New York, USA


「音楽には良い音楽と、そうでない音楽の二種類しかない」(エリントン)



エリントン家の墓所。デュークは右から2番目 2000 2009

作曲家兼バンドリーダー兼ピアニスト。米国音楽史上最大の巨匠だ。白人社会がジャズを下等な娯楽と考えていた1940年代、ジャズをクラシックの殿堂カーネギー・ホールで演奏し、その芸術的地位の向上に努力した。彼は白人ジャズと黒人ジャズの違いを強調し、自分の作品をブラック・ミュージックと呼んで区別していた。“黒人は聴衆を楽しませればいい”という風潮の中で、デュークは「我々はアーティストであってエンターテイナーではない」と、毅然と言い放った。彼は後世の黒人ジャズメンの精神的柱となる。
代表曲は『A列車で行こう』『ザ・ムーチ』。



★セロニアス・モンク/Thelonious Monk 1917.10.10-1982.2.17 (USA、NY郊外 64歳)2000&09
Ferncliff Cemetery and Mausoleum, Hartsdale, Westchester County, New York, USA

 


2000 2009 故人が3名になり墓標のデザインも変化 手前がモンクの墓

流行の演奏スタイルには目もくれず、周囲の誰にも媚びず、音楽性において一切妥協しない、筋金入りの革命的ジャズメン。彼は比類なき名ピアニストであると同時に、超名曲「ラウンド・ミッドナイト」「ストレート・ノー・チェーサー」など数多くのジャズの古典作品を作曲した。当初はその革新的な作風が理解されず、長く不遇を強いられた。難解な演奏が多いので一般のファンは戸惑いつつ聴いているが、モンクは“ミュージシャンズ・ミュージシャン”と呼ばれ、多くのミュージシャンが彼の音楽を愛聴し、そのスピリットを学んでいる。誰にも似ていない“モンクはモンク”という超然とした姿勢が、今なお多くのミュージシャンに感銘を与えているのだ。墓地付近にバス停はなく、とにかく歩いて歩いて、歩きまくった。

「ジャズと自由は共に行進する」(セロニアス・モンク)



★サラ・ヴォーン/Sarah Vaughan 1924.3.27-1990.4.3 (USA、ニュージャージー 66歳)2003
Glendale Cemetery, Bloomfield, Essex County, New Jersey, USA

 

名曲“フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン”は、彼女の歌に勝る者なし!その声量はオペラ歌手並み。



★カウント・ベイシー/Count Basie 1904.8.21-1984.4.26 (USA、NY郊外 79歳)2000&09

Pinelawn Memorial Park and Cemetery, Farmingdale, Suffolk County, New York, USA Plot: Mausoleum, South Forsythia Court, Row 57, Tier D



自身の楽団を率いて活躍 霊廟の壁面に墓がズラリと並ぶ(2009) ベイシーは中段付近(6段中、下から3段目)

ベイシーは自身のビッグ・バンドを率いて、エリントンと双璧の人気を博した。ベイシー楽団にはサックスの
レスター・ヤングら花形アーティストがいて、強力なリズム・セクションに支えられ素晴らしいアンサンブルを聴かせた。


NYといえば摩天楼&大都会の代名詞になっているけど、それはマンハッタン島だけのこと。ここもNY州だけど御覧のように鉄道は“単線”だ(ベイシーの墓地は写真の線路左側にある)。列車は1時間に1本のみ。マイカー社会の米国ではバスの本数も少なく、公共の交通手段だけを利用する巡礼者には辛い国だ。(2000)



★メル・トーメ/Mel Torme 1925.9.13-1999.6.5 (ロス、ハリウッド 73歳)2000&09
Westwood Memorial Park, Los Angeles, Los Angeles County, California, USA

2000 2009

アメリカジャズ界を代表する男性ボーカリスト。“ベルベットの霧”と呼ばれる感傷的な声の持ち主だった。
「メル・トーメはジャズの百科事典だ」(トニー・ベネット)




★フランク・シナトラ/Frank Sinatra 1915.12.12-1998.5.14 (USA、カリフォルニア州 82歳)2009
Desert Memorial Park, Cathedral City, Riverside County, California, USA Plot: B-8, #151

 

“ザ・ヴォイス”と讃えられたアメリカ音楽シーンの巨人。『マイウェイ』をはじめ数々のヒット曲を深みのある甘い声で
歌い上げた。マイクロフォンを世界で最初にマイクスタンドから取り外して歌ったのはシナトラだ。
『夜のストレンジャー』でグラミー賞を受賞。映画にも多数出演している。




★ナット・キング・コール/Nat King Cole 1919.3.17-1965.2.15 (USA、ロサンゼルス 45歳)2000&09
Forest Lawn Memorial Park (Glendale), Glendale, Los Angeles County, California, USA


歌もピアノも超一流 墓地最深部の大型霊廟に眠る 彼の墓は最上段にあり、近くまで行けない

2000 「ナット・コール」と刻まれている 2009 望遠で撮影。う〜ん、遠い!

40年代に先進的な天才ジャズ・ピアニストとして演奏で名をはせ、50年代以降は甘美な歌声でポップス界のスーパースターとなった。甘美なバラードを歌わせれば肩を並べるものがいない。華麗なオーケストラの伴奏で、美しいバラードの名曲を多数吹き込んだ。



★ミシェル・ペトルチアーニ/Michel Petrucciani 1962.12.28-1999.1.6 (パリ、ペール・ラシェーズ 36歳)2009&15
Cimetiere du Pere Lachaise, Paris, France

木漏れ日の中のペトルチアーニ(2009) 左奥の人だかりは、あのショパンの墓!3人向こうだ 2015年に再巡礼

  

「ピアノの化身」と呼ばれたペトルチアーニ。身長は1m足らずだったが音楽世界は巨大だった。ドラムのスティーヴ・ガット、ベースの
アンソニー・ジャクソンとトリオを組んで活動したが、急性肺炎にて36歳で亡くなる。「ピアノの詩人」ショパンのすぐ近くに埋葬されていた!
※僕は「ブラジリアン・ライク」と「ホーム」が好きデス!




★ジャンゴ・ラインハルト/Django Reinhardt 1910.1.23-1953.5.16 (フォンテーヌブロー、フランス 43歳)2009
Cimetiere de Samois-sur-Seine Fontainebleau, France




墓石に4枚のポートレートが収まっていた。写真入りの芸術家の墓は珍しい

墓の上に読書する天使。
(聖書を読んでる?)



朝の光が降り注ぐラインハルトの墓 造花ではなく本物の花壇が左右にある フォンテーヌブローは画家たちも愛した土地だ






墓石の上のギターはグルグル回る

墓に楽譜が刻まれていた。※「nuages(雲)」では
ないかと読者のYさんから情報を頂きました
地元は翌月に『ジャンゴ・ライン
ハルト・フェス』を控えていた

伝説のジャズ・ギタリスト。本名はジャン・バティスト・レナール。ベルギー出身。
ジプシー音楽とスウィング・ジャズを合体させ、新たにジプシー・スウィングを生み出した。




★チェット・ベイカー/Chet Baker 1929.12.23-1988.5.13 (USA、ロサンゼルス 58歳)2009
Inglewood Park Cemetery, Inglewood, Los Angeles County, California, USA Plot: Elm plot, Division C, Lot 152

  

更新中。本名Chesney Henry Baker Jr。トランペットの音色だけでなく、『マイ・ファニー・バレンタイン』など甘い歌声でも聴き手のハートをトロけさせた。
ボロボロになるまでドラッグにはまり、謎の転落死を遂げる。




★ビル・エヴァンス/Bill Evans(William John Evans) 1929.8.16-1980.9.15 (USA、ルイジアナ州バトンルージュ 51歳)2009
Roselawn Cemetery, Baton Rouge,Louisiana, USA

  

この巨木の下にエバンスは眠っている 前年に他界した兄と並んでいた ショパンのように、エバンスもまたピアノの詩人だった



★キャノンボール・アダレイ/Julian Edwin "Cannonball" Adderley 1928.9.15-1975.8.8 (USA、フロリダ州 46歳)2009
Southside Cemetery, Tallahassee, Leon County, Florida, USA













マイルスとの『枯葉』最高っす! アダレイ家 彼の墓は右手前

フラッシュあり

フラッシュなし。この暗さで墓を見つけられたのは奇跡!
※蚊に刺されまくりの墓参。フロリダの蚊は強烈



★グレン・ミラー/Glenn Miller 1904.3.1-1944.12.15 (USA、コネチカット州 40歳)2009
Grove Street Cemetery, New Haven, New Haven County, Connecticut, USA /227 Grove Street
Arlington National Cemetery, Arlington, Arlington County, Virginia, USA Plot: Memorial Section H, Number 464-A, on Wilson Drive

  
コネチカット州にある肖像画入りの墓

グレン・ミラーは第二次世界大戦のさなか、友軍の落とした爆弾で死亡した(ヒドイ!)。
それにしても、アイオワ州に生まれたのになぜコネチカットに建てられたのだろう?


 


こちらはワシントンD.C.のアーリントン国立墓地にある墓。
墓石の背後にトロンボーンの絵が彫られていた!
画面中央から少し左の木の、手前3番目が
グレンの墓。全部同じ形だから探すの大変!

 
アーリントン墓地は相当気合いを入れてかからないと広すぎて挫折する。僕が墓を見つけたのは、雨も降ってきて心が折れる直前だった



★クリフォード・ブラウン/Clifford Brown 1930.10.30-1956.6.26 (USA、デラウェア州ウィルミントン 25歳)2009
Mount Zion Cemetery, Wilmington, New Castle County, Delaware, USA



墓地の場所が分からず迷いまくり。警察署へ
※今なら便利なネット地図がある(涙)
警官の先導で“MOUNT ZION CENETERY”に到着

小規模な墓地




クリフォードは東端に眠っている(画面左端)
墓は最近になって建て直されたようだ

更新中。不世出のジャズ・トランペッター。知人の運転する車が土手に激突、25歳で他界した。



★ベニー・グッドマン/Benny Goodman(Benjamin David Goodman) 1909.5.30-1986.6.13 (USA、コネチカット州 77歳)2009
Long Ridge Union Cemetery, Stamford, Fairfield County, Connecticut, USA






リスの石像と思われる風化
した物体が墓の横にいた
この木の下にグッドマン家の墓が並ぶ

有名人にしてはとても質素な墓


更新中。本名、ベンジャミン・デイヴィッド・グッドマン。伝記映画まで作られたのに、墓の地味さに驚いた。
「失ったものを数えるな。残ったものを数えよ」(ベニー・グッドマン)




★トミー・ドーシー/Tommy Dorsey 1905.11.19-1956.12.26 (USA、ニューヨーク州 51歳)2009
Kensico Cemetery, Valhalla, Westchester County, New York, USA Plot: Uncas Sec. 41




トロンボーンの名手で楽団を率いていた
楽曲は「I'm getting sentimental over you」(3分40秒)
夫婦で眠っている。奥さんの墓には良い言葉が→

「トミーは彼の“Eフラット”と
彼女を呼んでいた」とある

 
ドーシー夫妻の墓所にはこの小さな階段を上るんだけど、階段には“五線譜”の筋が入っていた。このこだわり!



★ライオネル・ハンプトン/Lionel Hampton 1908.4.20-2002.8.31 (USA、ニューヨーク州ブロンクス 94歳)2009
Woodlawn Cemetery, Bronx, Bronx County, New York, USA  Plot: Section: Fir

 

更新中。ジャズ・ビブラフォンの第一人者!



★ミルト・ジャクソン/Milt "Bags"Jackson 1923.10.1-1999.10.9 (USA、ニューヨーク州ブロンクス 76歳)2009
Woodlawn Cemetery, Bronx, Bronx County, New York,  Plot: Brookside Mausoleum Terrace #8



更新中。ジャズ・ビブラフォン奏者。ライオネル・ハンプトンに多大な影響を受ける。



★マックス・ローチ/Max Roach 1924.1.10-2007.8.16 (USA、ニューヨーク州ブロンクス 83歳)2009
Woodlawn Cemetery, Bronx, Bronx County, New York, USA


ビバップ革命に立ち会ったジャズ・ドラマー

墓前に「THANKS!」と書かれた
ドラム・スティックが1本置かれていた



★コールマン・ホーキンス/Coleman Hawkins 1904.11.21-1969.5.19 (USA、ニューヨーク州ブロンクス 64歳)2009
Woodlawn Cemetery, Bronx, Bronx County, New York, USA  Plot: Yew Plot

 

ジャズ・テナーサックスの草分け。多くの若手サックス奏者を育てたゴッドファーザー。



★レスター・ヤング/Lester Willis Young 1909.8.27-1959.3.15 (USA、ニューヨーク州 49歳)2009
The Evergreens Cemetery, Brooklyn, Kings County, New York, USA  Plot: Redempton Section, Grave 11418

  

更新中。レスター・ヤングはめちゃくちゃ優しい性格だった!



★キング・カーティス/King Curtis 1934.2.7−1971.8.13 (USA、ニューヨーク州 37歳)2009
Pinelawn Memorial Park, Farmingdale, Suffolk County, New York, USA /Plot: Mausoleum, West Gallery of Forsythia Court

 
右から3列目&上から3段目がカーティスの墓だ

更新中。ソウル・サックス奏者。暴漢に刺殺された。享年37歳。



★スコット・ラファロ/Rocco Scott LaFaro 1936.4.3-1961.7.6 (USA、ニューヨーク州 25歳)2009
Glenwood Cemetery, Geneva, Ontario County, New York, USA  Plot: Avenue G, Section 18

 

更新中。天才ジャズ・ベーシスト。車が木に激突し他界。彼の死でジャズ・ベースの歴史は10年遅れたとも言われる。



★アルバート・アイラー/Albert Ayler 1936.7.13−1970.11.25 (USA、オハイオ州クリーブランド 34歳)2009 
Highland Park Cemetery, Cleveland, Cuyahoga County, Ohio, USA /Plot: Section 3, Lot 6, Tier 7, Grave 3



 
ジャズ仲間も彼を称えてい
たが、非業の死を遂げた
墓地が広く、探し出すのに困難を極めた!事前に「セクション3、6列目」という情報はあったけど、
写真(右上)の案内板になかなか気付かなかった。コレ、確かに3と6は見えるけど酷いよね!?

前衛サックス奏者として高く評価されていたアイラーだが、1970年の冬、NYのイースト・リヴァーで変死体となって発見された。享年34歳。



★ダイナ・ワシントン/Dinah Washington 1924.8.29-1963.12.14 (USA、イリノイ州 39歳)2009
Burr Oak Cemetery, Alsip, Cook County, Illinois, USA /4400 West 127th Street Alsip

1箇所だけ白い花が供えられているのが見える それがダイナ・ワシントン!

管理人さんに墓の場所を尋ねると「ホラ、あの白いバラのところよ」。確かにポツンと白い花が見えた。近づくと造花だった。
今までは“なんだ造花かぁ”って思ってたけど、この墓参で考え方が変わった。つまり、造花である限り決して枯れることはなく、
いつだって巡礼者はこの花を頼りにスムーズに墓前に行くことが出来る!目印の意味を考えると造花も悪くないぞ。
ダイナ・ワシントンはブルースの女王と言われたが、アルコール中毒医を経てドラッグ中毒に至り、39歳で他界した。




★ウェス・モンゴメリー/Wes Montgomery 1923.3.6-1968.6.15 (USA、インディアナ州 45歳)2009
New Crown Cemetery, Indianapolis, Marion County, Indiana, USA

 
土曜日でオフィスは閉まっていた。地図もなしに無数の墓石を1個ずつ確認…。
雨まで降ってきて悲壮感がつのる。1時間が経ち、巡礼を断念しかけた時、
目の前に「モンゴメリー通り」の看板が。まさかと思って付近を調べると…
うおお!ウェスが眠っていた!奇跡的に
会えたーッ!ジャズ・ギターの名手だった
ので、ギターの絵が彫り込まれていた!



★ジャコ・パストリアス/Jaco Pastorius(John Francis Anthony Pastorius III) 1951.12.1-1987.9.21 (USA、フロリダ州マイアミ近郊 35歳)2009
Our Lady Queen of Heaven Cemetery, Fort Lauderdale, Broward County, Florida, USA Plot: Section L, Block 219, Grave 8

  

“ジャコ”はニックネーム。本名はジョン ベースを弾くジャコ人形がいた

従来はリズムを刻むだけの伴奏楽器と思われていたエレクトリック・ベースを、ライブやスタジオで喝采を浴びる楽器に進化させた伝説の天才ベーシスト。24歳の時、パット・メセニーがリリースした『ブライト・サイズ・ライフ 』(1975)にベーシストとして参加し、翌年のファースト・ソロ・アルバム『ジャコ・パストリアスの肖像』でデビュー。同年、ウェザー・リポートに加入し、約5年間華々しく活躍する。1981年(30歳)、セカンド・ソロ・アルバム『ワード・オブ・マウス』をリリース。翌年、シンセサイザーのジョー・ザヴィヌルと対立してウェザー・リポートを脱退する。

以降は、ビッグ・バンドを率いて活動する一方でコカインに溺れていく。1987年9月、サンタナのライブに飛び入りしようとして警備員に会場を追い出されて、プライドが傷ついたジャコは泥酔してクラブに向かい、そこでも入店しようとして用心棒と乱闘になり、投げ飛ばされたあげく脳挫傷となり意識不明に陥る。事件から10日後、親族による話し合いの結果、植物状態のジャコから父親が人工呼吸器を外した。享年35歳。クラブの用心棒には第二級謀殺罪が適用された。

Weather Report - Birdland(6分48秒)



★スタン・ゲッツ/Stan Getz 1927.2.2-1991.6.6 (USA、カリフォルニア州 64歳)2009
Ashes scattered at sea, Pacific Ocean

 
スタン・ゲッツの遺灰は太平洋に撒かれた(サンタモニカの海岸で撮影)

サックス奏者。ボサノヴァ演奏も得意とし、アントニオ・カルロス・ジョビンと組んで録音した『ゲッツ/ジルベルト』はグラミー賞4部門を独占した!



★エリック・ドルフィー/Eric Dolphy 1928.6.20-1964.6.29 (USA、カリフォルニア州ロス 36歳)2009
Angelus Rosedale Cemetery, Los Angeles, Los Angeles County, California, /1831 W Washington Blvd

エリックの墓は長く人が来た気配がなかった… 楽譜が読める方、曲名を教えて頂けると助かります!

更新中。馬のいななきのようなド迫力のサックスで、ジャズファンの度肝を抜いた。糖尿病が原因の心臓発作により36歳で他界。



★アート・ペッパー/Art Pepper 1925.9.1-1982.6.15 (USA、カリフォルニア州ロス 56歳)2009
Hollywood Forever, Hollywood, Los Angeles County, California, USA

  
サックス奏者。本名はArthur Edward Pepper, Jr。ウエストコースト・ジャズの
代表格だったがドラッグ中毒になってしまう。復活後、脳溢血で他界した。



★アート・テイタム/Art Tatum 1909.10.13-1956.11.5 (USA、カリフォルニア州ロス 47歳)2009
Forest Lawn Memorial Park (Glendale), Glendale, Los Angeles County, California, USA Plot: Great Mausoleum, Sanctuary of Peaceful Rest,






あのホロヴィッツに
影響を与えたという
この巨大要塞=大霊廟にテイタムは眠る。一般非公開につき、
泣く泣く外から遙拝。せめて命日だけでも墓参させて欲しいよ〜!

「テイタムはクラシックの世界でも巨匠となっていただろう」(ホロヴィッツ)「世界の8番目の不思議」(カウント・ベイシー)など、名だたる
音楽家がその演奏を絶賛した天才ジャズ・ピアニスト。白内障でほとんど全盲に近かった。尿毒症で他界。享年47歳。


画像は海外サイトから。そこには墓石がアップされていた。うおお、何か墓参する方法はないものか!



★ベン・ウェブスター/Ben Webster 1909.3.27-1973.9.20 (デンマーク、コペンハーゲン 64歳)2009
Assistens Cemetery, Copenhagen, Denmark

 
小さな黄色い花に囲まれて可愛らしい♪

更新中。重厚感のあるサックスの音色にホレボレ!



★松本 英彦/Hidehiko Mastumoto 1926.10.12-2000.2.29 (京都府、北区、大徳寺総見院 73歳)2008






日本のジャズ史を切り開いた
傑作『モダン・ジャズ』
祝・復刻CD化!4曲目のバリ・ハイに恍惚&感涙

“スリーピー”の愛称で多くの
ファン&ジャズ仲間から愛された














墓石の側にはバンドメンのオブジェ
(手前は松本氏ですね〜♪)
なんと墓前にスイッチがあり、松本氏の演奏が流れる!
音楽家なら誰もが理想とするであろう夢の墓
墓石の左右にスピーカーが
あり、ステレオの本格派





氏の最後の直筆が刻まれる「私は如何に未来に
向って益々若い世界に向って挑戦できるか?」
主電源のPLAY・STOP
ボタン。雨カバーつき
墓前のベンチで音楽に浸り感涙。ダイナミズムの中
にもぬくもりがある、甘く野太い音色が僕を包んだ

 
ボタンを押せば音楽が流れる墓は、海外で時々見かけるけれど、このように12曲もレパートリーが
あり、しかもそれが故人の演奏で、墓参者が自由に選曲できるのは世界唯一だろう!!
曲目は次の通り→(1)Duke's Days(2)My One And Only Love(3)Typhoon
(4)Straight No Chaser(5)Well You Needn't(6)Rhytnm-A-Ning
(7)Furusato(8)Mystic Desert(9)Shallot Fields(松本氏のオリジナル曲)
(10)Manday Samba(11)Sleepy's Funk(12)Love For Sale

戦後の日本ジャズ界をリードした世界的テナーサックス奏者。1926年生まれ。岡山県出身。府中市に転居後、広島の高校でブラスバンド部に入部。 戦後、神奈川座間の米軍キャンプで演奏アルバイトをしている時に、温厚な人柄と細長い目元から米兵に“スリーピー”と呼ばれるようになる。1949年(23歳)、日本初のビバップバンド「CBナイン」に加入し実力を認められた。渡辺晋のバンドを経て、1953年(27歳)、ジョージ川口(Dr)、中村八大(p)、小野満(b)らと日本ジャズ史に燦然と輝く伝説のバンド『ビック・フォー』を結成。国内に第一次ジャズブームをもたらす。1963年(37歳)には、世界的なジャズの祭典“モントレー・ジャズ・フェスティバル”に日本人初の単身招待出演を果たし、世界を舞台に活動するようになる。翌年はマイルス・デイヴィスを迎えた東京の世界ジャズ・フェスティバルに参加。
1975年(49歳)、ジャズの音楽学校を開校。後進の育成に努める。1979年(53歳)、芸術祭大賞受賞。3年後に文化交流の親善大使としてモスクワ公演。 1988年(62歳)、芸術選奨文部大臣賞受賞。
長年の音楽界への貢献が評価され、1991年(65歳)に紫綬褒章を受章し、さらに1998年(72歳)には勲四等旭日小綬章を受章した。2000年2月29日(うるう日)に他界。享年73歳。ソニー・ロリンズを敬愛していた。

※ちなみに墓所では壁を隔てて織田信長の墓がある。墓所の大徳寺総見院は通常非公開だが、毎年秋に特別公開されている。



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