1987-2017
『墓マイラー今昔物語〜30年を振り返って』
文芸研究家・墓マイラー/カジポン・マルコ・残月(2017.12.25)
ブルース・リーの墓参りをする 海外の墓マイラーたち(シアトル 2009) |
キスマークだらけのジェームス・ ディーンの墓(インディアナ州 2000) |
可愛らしい花々に囲まれた オードリー・ヘプバーンの墓(スイス 2015) |
「感謝の言葉を伝えたい」、そう思って1987年に墓巡礼を始めた僕は、今年がちょうど墓マイラー30周年に当たります。今日まで墓参を続けているのは、偉大な作家や芸術家本人に御礼を言える喜びと、訪れる度に感じる「彼らは本当にいたんだ!実在していたからこそ墓があるんだ!」という感動が墓前にあるからです。この間の墓参者は100カ国2300人以上。今回、後世に残す記録として、この30年間の墓巡礼にまつわる変化を綴りたいと思います。特に大きな変化は以下の7点です。 (1)インターネットの登場…北海道と沖縄の墓マイラーがラインで情報交換できるなど、ネットの登場で文字通り巡礼が“一変”しました。2000年代に入るまでネットは普及しておらず、それまで墓情報の収集は、もっぱら図書館にある伝記、旅行ガイドブック、テレビの歴史番組に限られていました。古い伝記や旅行本は改葬前の情報が掲載されることがあり、わざわざ渡航したのに墓所が更地になっていてのけぞったことが何度かあります。昭和のテレビ番組では『その時歴史が動いた』『知ってるつもり!?』など偉人を扱った番組が最後に故人の墓を映したため、筆記用具を手に待機しながら見たものです。 伝記に墓所が出てない場合は必然的に「聞き込み調査」となります。多くの著名人は母国の首都に眠っているため、まずは首都の観光局で情報を収集し、次に故人ゆかりの記念館(大抵は生家)に足を運び館長に聞き、さらには終焉の地で警察署を訪れ、葬式のあった教会を教えてもらい、そこで手がかりを得ることが多いです。 墓マイラー界でネット革命が起きた大事件は、世界最大のお墓案内サイト『FIND A GRAVE』の出現です。同サイトには2017年秋の時点で世界約50万箇所の墓地に眠る著名人が掲載され、アメリカだけで俳優・スポーツ選手・政治家など2万人の墓情報が載っています。このサイトは墓参者からの投稿で成り立っており、「世界にはこんなに墓マイラーがいるのか!」と感激しました。墓石がある著名人だけでなく、散骨等で墓石のない人物まで掲載されているのも画期的です。『地球の歩き方』など旅行本の墓情報はパリやロンドンなど有名都市に限られており、このサイトのお陰で地方の墓地に誰が眠っているか調査できるようになりました。 ただし!ネット上には間違った情報も少なくなく、たとえばパリのモンパルナス墓地とモンマルトル墓地は名前が似ているため、埋葬者の誤情報が飛び交っています。実際に現地を訪れ、自分の目で最終確認するまで安心できません。墓地の門をくぐった瞬間の「本当に会えるのだろうか」という緊張感は、ネット時代以前と同じです。 ちなみに、大河ドラマの最後に流れる紀行コーナーは毎回のように墓石の情報が出るため、今でも貴重な情報源です。NHKロケ班の最新情報だから間違いがなく、放送を見ながら「えっ!?あそこに墓があったの!?」「そこ行ってきたばかり!」と画面にツッコミを入れてます。 1987年夏(19歳)、最初にドストエフスキーの墓(旧ソ連)を墓参、大感動し墓マイラーに開眼! 国内で最初に訪れたのは巣鴨・慈眼寺の芥川龍之介の墓(1991) (2)大恩人グーグルマップ…パソコンが普及し始めて約5年が経った2005年、グーグル社が目からウロコのネット地図を公開しました。本来なら高いお金を払って買っていた地図、それも全世界の地図が無料で利用可能に!このサービスに墓マイラーは随喜の涙を流しました。外国の墓地でも事前に駅から何キロあるか分かったので計画を建てやすくなったし、何よりグーグルマップの「衛星写真モード」が貴重でした。 それまでの墓巡礼では、墓地のすぐ近くまで来ているにもかかわらず、墓地が建物の背後で死角になっていたり、林の木々の反対側にあったりで、「おかしい、この付近にあるはずなのに!」と途方に暮れることがありました。ところが、衛星写真を見れば隠れている墓地が一目瞭然です!山の中腹にあり麓から見えなくても、宇宙からはそれらしい墓所が見えています。NASAの職員でもないのに衛星写真を自由自在に利用できるこの喜び。巨大な日本の古墳を前に正面がわからず周囲を一周することもなくなりました。 一方、地図があってもこの30年で行けなくなった国が増えたのは残念なことです。かつてシリアやイラクなど中東のイスラム諸国は治安が良く、欧米以上に安心して墓巡礼ができました。内戦、宗教対立の終結が墓マイラーの悲願です。 内戦前のシリア・ダマスカスの子どもたち(1994) (3)スマートフォンの登場…事前準備で調べ忘れたもの、たとえば同姓同名の墓があったときに生没年をその場で検索できるのが大助かり。黒船来航のペリーの墓は、墓地が広すぎてスマホの画像検索がなければ発見不可能でしたし、奈良では墓地から役所の史跡課に電話をかけ墓前まで誘導してもらいました。他にも、治安が悪い国でカメラを盗まれた時に、スマホをサブカメラの代わりに使っていたことで、かろうじて写真を持ち帰ることができたケースも幾度かあります。日没に間に合わず、宮本武蔵や平家の落武者(平知盛)の墓をスマホのライトで探し出したこともありました。 地元の人は誰も知らなかったペリー提督の墓(ロードアイランド州 2009) (4)カーナビの進化…墓マイラーとなって20年ほど経った頃、鉄道で行ける欧州の墓はおおかた行き尽くしてしまいました。長距離バスでの巡礼も完了。残ったのは一般車を使わねば行けない場所でした。タクシーを使う資金はなく、レンタカーを使うにも日本でさえ初めての土地は迷いやすいのに海外で運転できるのか。その懸念を打ち消してくれたのが、米国ガーミン社のカーナビでした。同社のカーナビは、欧州、米国、日本の地図ソフトを入れ替えることで、「日本語のまま」海外で使用することが可能なのです!お陰で1カ月半に及ぶ全米巡礼や欧州巡礼を無事故で終えられました。目的の墓地にもすべて到達でき、私はガーミン社に足を向けて寝られません。 レンタカー巡礼の最大のメリットは宿泊場所、電車の発車時刻、コインロッカーの心配がないことです。鉄道旅行では常に「今夜の宿を確保できるだろうか」「次の電車の時間までに戻って来られるだろうか」「墓地まで徒歩45分、背中の荷物をどこに預ければいいのか」という不安が付きまとっていました。レンタカーならこの3大問題が一気に解決します!墓地の閉門時間を過ぎていれば朝まで駐車場で寝てれば良いし、電車の時刻表なんて気にせず悠々と墓石を探すことができ、荷物はトランクに入れておけば良い。フランスで車上荒らしに全部盗まれた大惨事もありましたが、鉄道でも置き引きにあっており、リスクがあるのはどちらも同じ。それなら重い荷物から解放されるレンタカーの利用を私は推します。 …とはいえ、電車の旅では毎日のように現地の方と素晴らしい出会いがあり、様々なお顔が懐かしく思い出されます。50代になった今は体力的にもバッグパッカーの巡礼は厳しいですが、若い人にはまずは鉄道での巡礼を勧めたいです。墓地から墓地へ移動する際の地元の人々との交流は、墓前での感謝と並ぶ墓巡礼最大の魅力と断言できます。 駅でバックパックを盗まれ荷物がこれだけに(フランス 1989) ベルリン中央駅にて野宿3日目(ドイツ 1994) 山奥で地獄の脱輪(兵庫 2016) ゴッホ墓参中に車上荒らしにあい、窓を割られ荷物を全部盗まれた(フランス 2015) (5)墓地事務所の機械化…2015年の欧州巡礼で仰天したのですが、オランダの一部の墓地がいつの間にか世界最先端になっていました。墓地の片隅に検索マシーンが設置してあり、埋葬者の名前と没年を打ち込むと、墓地の地図がカラープリントされ、墓前までの道順が色表示されていたのです!管理人事務所が閉まっている早朝に墓地に着いたときも、このマシーンのお陰で異国の墓地でも自力で目的の墓へたどり着けました。嗚呼、もう、全世界の墓地がすぐにでもオランダ化してほしい! 世界中の墓地に導入してほしいオランダのお墓自動案内マシーン(2015) (6)残念な言葉「墓じまい」…30年前には存在しなかった言葉「墓じまい」。シェイクスピアの墓は彼が愛した故郷にあり、墓碑には「我が亡骸を掘り返すことなかれ/この石に触れざる者に祝福を/我が骨を動かす者に呪いあれ」と刻まれており、改葬を厳重に禁じています。多くの人は自身が終焉の地に選んだ土地に永眠しており、まさか死後に見ず知らずの土地に連れて行かれるなど想像もしていません。「荒れ墓になるくらいなら都会へ」、よく聞く言葉ですが、それが本当にやむにやまれぬことであれば仕方ないですが、単に故郷の墓参りが面倒というのであれば、故人が可哀想に思えます。 「我が骨を動かす者に呪いあれ」と彫られたシェイクスピアの墓(イギリス 2005) 「墓じまい」とは少し異なりますが、近年は樹木葬や散骨を選ぶ人が増えていると聞きます。それが「樹木となって地球と一体化する」という自然回帰の信念であれば、一つの死のあり方として尊重したいです。ですが、「子孫に迷惑をかけたくない」という理由であったり、「経済的に石の墓の建立は苦しい」という理由であれば、墓マイラーとしては複雑なものがあります。 自身を育て上げてくれた親の墓を、迷惑に感じる人などいるでしょうか。 赤ちゃんは食べ物など世話をしてくれる人がいないと死んでしまいます。親は1日に何度もお乳をあげ、おむつを交換し、熱を出せば病院に走り、火や浴槽に近づかないよう気を使い、24時間、子の命を守ります。溢れんばかりの愛を注がねば出来ないことです。不幸にして成長後に親子が不仲になったとしても、大きな愛で赤ん坊の命を守った事実は変わりません。親の他界後、墓に花を供えたり墓所を掃除することは死後もできる親孝行であり、孫やひ孫にとって墓前は命のリレーが続いていることがわかる貴重な場になります。遠い未来に子孫がルーツをたどれるようにするためにも墓は必要です。“ご先祖さまのお墓がない”というのは子孫にとって寂しいものです。 経済的問題は深刻です。もしも樹木葬の費用が墓石の建立と同じなら、何百年も先まで自身の存在を伝える墓石を選ぶ人が多いのではないでしょうか。非正規労働者が4割を超え、貯蓄ゼロの世帯が3割に達した日本では、墓を建てたくても建てられない人が増えています。これは大変な「人権問題」と思います。庶民に墓の建立が解禁された近代以降、日本人はこの世に生まれて墓石に入るまでを一生と考える文化でした。墓石には名や没年が刻まれ、後世の人々に各人の存在を伝えてきました。ところが、格差拡大と共に「豊かな者は生きた証(墓)を残せ、貧しい者は残せない」という恐ろしい事態になっています。 行政は出生時に40万ほど出産費用をサポートしてくれますが、死亡時は原則サポートがありません。「衣・食・住・墓」が保障されて文化的な最低限の生活を送られるのであり、国は低所得者のために墓建立のサポートを行うべきで、墓石業界からもそういう声をあげてほしいと願っています。 (7)造語「墓マイラー」じわじわ普及…手前ミソになりますが、巡礼のイメージを少しでも明るくしようと使い始めた“墓マイラー”が徐々に広がり、今夏の巡礼で和歌山新宮市の巨大墓地「南谷墓地」の墓地案内板に「墓マイラー」の文字を確認しました!この造語が墓地案内板に公式採用されるまで30年、感無量です。 本文の最後の2行に「墓マイラー」の文字!(和歌山 2017) −−−人は死して墓石となって生き、墓前を訪れた生者を結びつけます。坂本龍馬や太宰治の命日は、全国から多数のファンが墓前を訪れることで知られています。墓参者同士は初対面であっても、故人を偲ぶために集まったという一点で目に見えぬ絆で結ばれています。これは“墓石があればこそ”であり、散骨されてしまうとファンは1箇所に集まることが出来ません。私はたまたま墓前で出会い、その後ずっと交流が続いている墓友(ハカトモ)が何人もいます。言うまでもなく、一般人にとっても普段は会えない遠方の親族が集う貴重な場となります。墓は残された者のためのものでもあります。 墓石に書かれた一言、いわば故人のラストメッセージで墓参者が救われることも少なくありません。ハリウッドの映画監督ビリー・ワイルダーの墓には「完璧な人間なんていないさ」と刻まれており、詩人サトウハチローさんの墓には「ふたりでみるとすべてのものは美しくみえる」とあり、私は深い感動に包まれました。ハチローさんは童謡「小さい秋みつけた」「嬉しいひな祭り」や歌謡曲「リンゴの唄」を作詞。俳優・原田芳雄さんは漢字一文字で「遊」と刻み、墓参者の気持ちを明るくしてくれます。多磨霊園など巨大霊園を散策中に、まったく見ず知らず一般人の墓に書かれた言葉に胸が熱くなることもあります。言葉を遺せるのは「石の墓」であればこそ。 「完璧な人間なんていないさ(NOBODY'S PERFECT)」ワイルダー監督の墓(2000) 原田芳雄さんの墓。「愛」「心」は見かけるけど「遊」というのは初めて!(2015) サトウハチローさんの墓「ふたりでみるとすべてのものは美しくみえる」(2017) これは実体験からくる感想ですが、名前と命日が彫られた墓石は、手で触れられることもあって故人がこの世にいたことをリアルに伝えてくれます。一方、散骨された海岸から海を見たり、樹木葬で複数の方が眠る木を見ても、故人を側に感じることはなかなか難しいです。もちろん、現地では手を合わせますが、目の前にあるのは情報が何もない空間。寂しさを禁じ得ません。「情けは水に流し恩は石に刻め」という言葉があるように、石は時代を超えて残っていくもの。世界の大半で石を墓としているのはただの偶然ではなく、永遠に生きる石と魂が融合すると本能で感じているからではないでしょうか。 世の中には「墓に来てくれる人もいない」「だから墓は建てない」という人もいます。私個人の意見としてはそれでも墓を建ててほしい。なぜなら、人は自分でも気づかずに誰かを助けていることがあるからです。当人には人助けをしたという自覚がなくともです。ゴッホが好きな私は、ゴッホ存命中に彼の絵を購入したベルギーの一般人の墓にも御礼を言いに行ってます。いつか誰かが訪れようとしたときのために、すべての人に「この世に生きた証」として墓を遺してほしいです。
最後に30年の100カ国巡礼で確信したことを書きます。それは、たとえ文化や国籍が異なっても、人間は「相違点よりも共通点の方がはるかに多い」ということです。どの国の墓地を訪れても、故人を想う家族の同じ光景、同じ表情がありました。悲しみを胸にたたえた人もいれば、お婆ちゃんやお爺ちゃんに「会いに来たよ!」と声をかける和やかなファミリーもいて、思い思いに追悼しています。墓参者である旅人の私に地元の人は優しく接してくれ、自家用車まで出してくれる人が何人もいました。この活動をしてきたから感じることができた、たくさんの人の心の温もり。これからも全身全霊をかけて墓巡礼の魅力を伝え続けます! 【巡礼の旅の10大思い出】
●スヌーピー(ピーナッツ)の漫画家チャールズ・シュルツを訪ねて
〔今後の夢〕 どうしても行きたい人が3人!南仏の画家ピカソの墓はこれまで2度チャレンジしたものの未墓参に。理由はピカソの子孫が暮らすピカソ城(ヴォーヴナルグ城)の敷地にお墓があるため!プライベート空間であり、子孫と友人でなければお城に入ることが出来ません…。どなたかピカソの子孫の親友という方がおられましたら、カジポンもお城に連れて行って下さいませ!(涙) 続いて、南アフリカに眠るノーベル平和賞ネルソン・マンデラ元南ア大統領。日本からとても遠いうえに現地は治安が悪いため、最悪の場合、帰国できないという覚悟が必要に。 そして、南極に墓がある悲劇の探検家ロバート・スコット!南極でヘリをチャーターするのに天文学的な費用が必要と思われ、個人で行くのは不可能に近いです。もしNHKなどでスコット隊長の墓に行く予定があれば、自分も末席に混ぜて欲しいですと、ダメ元でここに書いておきます。嗚呼、いつか夢が叶いますように…! ロバート・スコット…人類初の南極点制覇を試みたものの、後からやって来たアムンゼンに先を越され、その帰路に遭難死した悲劇の英国人探検家。捜索隊がテントを発見したのは死亡から8ヶ月後。中には3人(出発時は8人)が川の字に並び、彼は10年来の仲間の胸に手を置き、掻き抱こうとするかのように死んでいた。捜索隊は亡骸をテントの布で覆って埋葬し、スキー板で十字架を作って弔った。スコットは『社会に訴える』という一文を手帳に書き残していた--「私はこの冒険を悔いない。危険を侵したことは知っているが、物事にさえぎられたまでだ。私は満足している。良い人生だった」。“私は満足している。良い人生だった”…どんなに辛くてもやるだけのことをやった人間であればこそ、死を前にしてこの言葉が書けるのかと、僕はスコットの遺言にどれほど勇気をもらったか。生き方の灯台としてのスコットに御礼を伝えたい。
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