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2015 全欧州大巡礼・管理人用詳細レジュメ

72日間(6/20-8/29):39カ国 810名〜レンタカーで“人類の恩人たち”へ感謝の旅


ドイツ→ルクセンブルク→ベルギー→オランダ→イギリス→アイルランド→フランススペイン→ポルトガル→ジブラルタル→
アンドラ→(仏)モナコ→スイス→リヒテンシュタイン→イタリア→ヴァチカン→サンマリノ→スロベニア→クロアチア→ボスニア→
モンテネグロ→セルビア→ブルガリア→マケドニア→ギリシャ→ハンガリー→ルーマニア→スロバキア→オーストリア→(独)→
デンマーク→スウェーデン→ノルウェー→フィンランド→エストニア→ラトビア→リトアニア→ロシア→ポーランド→チェコ→ドイツ



永久保存版!約650カ所の欧州著名人墓所マップ // 行程タイムテーブル

 
 
ベルリン
●グリム兄弟 Jacob&Wilhelm Grimm(1785-1863/1786-1859)兄ヤコブはゲルマン言語学の創始者。弟ウィルヘルムは文献学者。兄弟で「子供と家庭の童話集(グリム童話)」を著す。
Alter St.-Matthaus-Kirchhof, Schoneberg, Tempelhof-Schoneberg, Berlin, Germany
http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=21566
●1944年7月20日の追悼碑(ヒトラー暗殺未遂:ワルキューレ関係者)…クラウス・フォン・シュタウフェンベルク、ルートビッヒ・ベック、フリードリヒ・オルブリヒト、アルブレヒト・クヴィルンハイム、ヴェルナー・フォン・ヘフテン。
Alter St.-Matthaus-Kirchhof, Schoneberg, Tempelhof-Schoneberg, Berlin, Germany
http://www.friedhof-ansichten.de/archives/2047
 
●マレーネ・ディートリッヒ Marlene Dietrich(1901-1992)女優。ドイツに生れたが反ナチスの立場からアメリカに移住、連合軍を支援した。「嘆きの天使」「モロッコ」
●ブゾーニ Ferruccio Busoni(1866-1924) イタリア出身の作曲家、ピアニスト。
Friedhof Schoneberg III, Friedenau, Tempelhof-Schoneberg, Berlin, Germany//Plot: The first gravesite inside the front gate
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●ヘーゲルGeorg Hegel(1770-1831)ドイツ観念論哲学の代表者。自己を否定した上でその否定をさらに否定して自己に還帰する絶対者の自己展開の過程(弁証法)を構想。論理・自然・精神から成る哲学体系を、理念の弁証法的発展という方法で提示。
●フィヒテ Johann Gottlieb Fichte(1762-1814)ドイツの哲学者。カントの認識論的主観概念を継ぐ。後期は神秘性が濃い。ベルリン大学初代総長。
●ブレヒト Bertolt Brecht(1898-1956)劇作家。マルクス主義的立場に立ち、ブルジョア社会を風刺した「三文オペラ」で有名。ナチス時代はドイツを離れた。
Dorotheenstadtisch-Friedrichwerderscher Friedhof I, Berlin-Mitte, Mitte, Berlin, Germany
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●ドイツ人抵抗運動メモリアルMemorial to the Fighters in the German Resistance :反ナチス抵抗運動のメンバーを讃える記念碑。ヒトラー暗殺計画「ワルキューレ」に連座して処刑された人々。墓地の無印の墓に埋められた人もいる。
Invalidenfriedhof(フリートホーフ), Berlin-Mitte, Mitte, Berlin, Germany
●リヒトホーフェンManfred von Richthofen [original burial site](1892.5.2-1918.4.21)第一次世界大戦の独軍エースパイロット。通称“レッドバロン"。参戦国トップの撃墜機記録(80機撃墜)。乗機を赤く塗装し「赤い悪魔」の異名。豪州軍に撃墜され戦死
Invalidenfriedhof, Berlin-Mitte, Mitte, Berlin, Germany
●【Not墓参】ラインハルト・ハイドリヒReinhard Heydrich(1904.3.7-1942.6.4) ナチスの国家保安本部(RSHA)事実上の初代長官。ヒムラーに次ぐ親衛隊(SS)の実力者。ユダヤ虐殺の実質的な推進者。冷酷さから「金髪の野獣(Die blonde Bestie)」と呼ばれた。チェコ統治中にチェコ人部隊に暗殺された。
Invalidenfriedhof, Berlin-Mitte, Mitte, Berlin, Germany//Plot: Section C, between the large plots of Oven and Scharnhorst.
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●フィッシャー・ディスカウDietrich Fischer-Dieskau(1925.5.28-2012.5.18)バリトン歌手。歌劇・リート・宗教曲など幅広く活躍、すぐれた技巧と知的な表現力。
●Loriot/Vicco von Bulow(1923.11.12-2011.8.22)漫画家、コメディアン。ロリオ。※墓に大量のあひる
●田中路子Tanaka Michiko(1913.7.15-1988.5)女優。小澤征爾、若杉弘ら日本の音楽家を欧州へ紹介。愛称「MICHI」でドイツ語圏で有名。※石灯籠がお墓!
Waldfriedhof Heerstrasse, Charlottenburg, Charlottenburg-Wilmersdorf, Berlin, Germany
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●メンデルスゾーンFelix Mendelssohn(1809-1847)作曲家。バッハの宗教音楽を復興。劇音楽「真夏の夜の夢」、バイオリン協奏曲。哲学者モーゼス・メンデルスゾーンの孫。
Kirchhof Jerusalem und Neue Kirche I(Dreifaltigkeitsfriedhof I), Kreuzberg, Friedrichshain-Kreuzberg, Berlin, Germany
●E.T.Aホフマン Ernst Theodor Wilhelm Hoffmann(1776.1.24-1822.6.25)詩人。絵画や音楽にも長じた。「くるみ割り人形とねずみの王様」。作曲家としては歌劇「ウンディーネ」。オッフェンバック「ホフマン物語」主人公。
Kirchhof Jerusalem und Neue Kirche I, Kreuzberg, Friedrichshain-Kreuzberg, Berlin, Germany
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●コッホDr. Robert Koch(1843.12.11-1910.5.27)医学者。近世細菌学の祖。結核菌・コレラ菌を発見、ツベルクリン発明。ノーベル生理学・医学賞。
Robert Koch Institut, Moabit, Mitte, Berlin, Germany※ロベルト・コッホ・インスティテュート内に霊廟
●グリンカ Mikhail Glinka(1804-1857)ロシアの作曲家。ロシア国民楽派の祖。歌劇「ルスランとリュドミラ」。西欧音楽とロシア民謡を融合。対位法研究で滞在していたベルリンにて客死。
Russisch-Orthodoxer Friedhof, Tegel, Reinickendorf, Berlin, Germany//Plot: * Original Burial Site
●ローザ・ルクセンブルク Rosa Luxemburg(1870.3.5-1919.1.15)ポーランド出身の社会主義者。ドイツ共産党の創立メンバー。第一次大戦後、革命派の武装蜂起を指導、カール・リープクネヒトら同志と逮捕された。リープクネヒトは頭を撃たれて身元不明の死体置き場へ運ばれ、ローザは銃床で殴り殺されて川に投棄された。遺体は半年も放置されたうえ、後にナチ政権が墓所を暴き所在不明となった。2009年、ベルリンのシャリテ病院で身体的特徴が一致する首の無い遺体が発見された。
Zentralfriedhof Friedrichsfelde, Friedrichsfelde, Lichtenberg, Berlin, Germany
●ヒトラー暗殺計画「ワルキューレ」首謀者たちの追悼碑(元国内予備軍司令部の中庭):1944年7月20日の「ヒトラー暗殺未遂事件」の首謀者クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐(Claus von Stauffenberg 1907-1944)、フリードリヒ・オルブリヒト大将(Friedrich Olbricht 1888-1944)、アルブレヒト・メルツ・フォン・クイルンハイム大佐(Albrecht Mertz von Quirnheim 1905-1944)らが事件翌日に処刑された場所。シュタウフェンベルクはヒトラーを暗殺するため爆弾を総統大本営に仕掛けたが軽傷に終わった。
Memorial to the German Resistance, Stauffenbergstr, Tiergarten, Mitte, Berlin, Germany
●カール・フォン・オシエツキーCarl von Ossietzky(1889.10.3-1938.5.4)反戦ジャーナリスト、平和運動家。1935年のノーベル平和賞受賞者。WW1の後、ドイツ軍がヴェルサイユ条約に違反して軍拡準備を進めていることをスクープ。反逆罪で18ヶ月の刑。ナチス、ゲシュタポは強制収容所に送った。ベルリン五輪の前に病気で収容所から釈放され、拘束中に決まったノーベル平和賞を受賞。賞の背後にナチズム批判があり、ヒトラーはその後ドイツ人がノーベル賞を受け取ることを禁止した。2年後、拘留中にかかった結核で他界。享年48。
Friedhof Pankow IV, Niederschonhausen, Pankow, Berlin, Germany
●ヴィルヘルム1世 Wilhelm I(1797.3.22-1888.3.9)初代ドイツ皇帝。ビスマルクを首相に任じ、軍制改革を断行。普仏戦争の勝利でドイツ皇帝に即位してドイツ統一を達成。ビスマルクにかけた最期の言葉「私はもう駄目だ。息子も先は短いだろう。孫の君臨をしっかりと補佐してくれ。頼むぞ」。遺言に従い兄の眠るポツダムではなく、父母が眠るシャルロッテンブルク宮殿の霊廟に葬られた。自由主義者の息子フリードリヒ3世も即位後わずか99日で崩御(癌)、孫ヴィルヘルム2世に受け継がれた。
Mausoleum im Schlosspark Charlottenburg, Charlottenburg-Wilmersdorf, Berlin, Germany
●アレクサンダー・フォン・フンボルトAlexander von Humboldt(1769.9.14-1859.5.6)ドイツの地理学者。気候学・海洋学などを創始。近代地理学の基礎を築く。中南米・シベリアなどを調査旅行した。兄のK.W.v.フンボルト(1767-1835)はプロイセン文部大臣でベルリン大学を創設し、言語類型論の先駆者となった。※フンボルトファミリーの家族の埋葬は公園内にあり訪問可能。
Humboldtschloss, Tegel, Reinickendorf, Berlin, Germany
●ベルリン大聖堂の地下にプロイセン400年間94もの王族の墓
●リヒャルト・ワイツゼッカーRichard von Weizsacker(1920.4.15-2015.1.31)ドイツの政治家、西ベルリン市長から第6代連邦大統領(在任:1984-1994)に就任。在任中の1990年10月3日にドイツ再統一。国葬がベルリン大聖堂で執り行われた。「過去に目を閉ざす者は、現在に対してもやはり盲目となる」「自由民主主義擁護には法と裁判所だけでは不足で市民的勇気も必要」
Waldfriedhof Dahlem am Huttenweg, Dahlem, Steglitz-Zehlendorf, Berlin, Germany
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ライプチヒ
●ヨハン・セバスチャン・バッハJohann Sebastian Bach(1685-1750)作曲家。バロック音楽を総合。ワイマール、ライプチヒなどで教会オルガン奏者、宮廷楽長、音楽監督。宗教音楽、ソナタ、協奏曲などの器楽曲を多作。「管弦楽組曲」「ブランデンブルク協奏曲」「マタイ受難曲」「ブランデンブルク協奏曲」「平均律クラヴィア曲集」など。息子のエマヌエル(1714-1788)、クリスティアン(1735-1782)も音楽家で、バッハ一族から五十余人も音楽家が出た。
Thomaskirche (Saint Thomas' Church), Leipzig, Leipziger Stadtkreis, Saxony (ザクセン), Germany//Plot: In front of the altar
●アンナ・マグダレーナ・バッハAnna Magdalena Bach Plot: [unmarked](1701.9.22-1760.2.22)
●バッハ最初の埋葬地 Johann Sebastian Bach[original burial site](1685-1750)
Alter Johannisfriedhof, Leipzig, Leipziger Stadtkreis, Saxony (Sachsen), Germany
●アルトゥール・ニキシュ Arthur Nikisch(1855.10.12-1922.1.23)ハンガリー出身。20世紀初期の大指揮者の一人。ベルリン・フィルの3代目常任指揮者であり、1913年に楽団にとって初録音となるベートーヴェン「運命」を収録した。リヒャルト・シュトラウスやマーラー等、同時代の作品の演奏も積極的に行い、ブルックナー交響曲第7番の初演を行った。チャイコフスキーいわく「魔術に没頭するような」指揮であったらしい。
Sudfriedhof (South Cemetery), Leipzig, Leipziger Stadtkreis, Saxony (Sachsen), Germany//Plot: Section II
●ハンス・メイヤー Hans Meyer(1858.3.22-1929.7.5)地質学者。3度目の挑戦でキリマンジャロ制覇。現地で誘拐されたりした。
Sudfriedhof (South Cemetery), Leipzig, Leipziger Stadtkreis, Saxony (Sachsen), Germany//Plot: Section III.
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ドレスデン
●カスパー・ダーヴィト・フリードリヒCaspar David Friedrich(1774.9.5-1840.5.7)ドイツ・ロマン主義絵画を代表する画家。宗教的含意を込めた風景画。人は背後からしか描かれない。母、姉、弟、妹の死に接しており、人格や画風に影響を受けている。主要作品はドレスデン美術館に。「霧の海を見おろす散歩者」「氷の海」「山の十字架と聖堂」
Trinitatisfriedhof, Dresden, Dresdener Stadtkreis, Saxony (Sachsen), Germany
●ウェーバーCarl Maria von Weber(1786.11.17-1826.6.5)ドイツの作曲家。指揮棒を初めて用いた。モーツァルトのドイツ語オペラを継承、中世・近世の伝説を題材にドイツ・ロマン派歌劇を確立。「魔弾の射手」を作り、ワーグナーへの橋渡し役となった。モーツァルトの妻は父方の従姉。オーケストラの配置を現在に近い形にする。「舞踏への勧誘」
Alter katholischer Friedhof(Old Catholic Cemetery), Dresden, Dresdener Stadtkreis, Saxony (Sachsen), Germany
●フリードリヒ・オルブリヒト Friedrich Olbricht(1888.10.4-1944.7.21)墓所のあるドレスデンには「オルブリヒト広場」がある…とのことだけど墓所発見できず。
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●ダーヴィト・ファブリツィウス David Fabricius(1564.3.19-1617.5.7)ドイツの天文学者、牧師。周期変光星(明るさの変わる星)ミラを発見。黒点の移動を観測し、これは太陽が自転している証拠となった。※黒点発見はクリストフ・シャイナーとガリレイ
Friedhof Osteel, Osteel, Auricher Landkreis, Lower Saxony (Niedersachsen), Germany
●ガウスKarl Friedrich Gauss(1777.4.30-1855.2.23)ドイツの数学者「数学の王」。代数学の基本定理を証明。18歳で正十七角形の幾何学的作図に成功。最小自乗法・整数論・曲面論・虚数論・方程式論などを論じ、天文学・電磁気学にも精通。
Albanifriedhof (Cheltenham-Park), Gottingen(ゲッティンゲン), Gottinger Landkreis, Lower Saxony (Niedersachsen), Germany
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ヘッセン
●ショーペンハウアーArthur Schopenhauer(1788-1860)哲学者。カントの認識論を徹底。生は同時に苦を意味し、この苦を免れるには意志の滅却・諦観以外にないと説いた。
http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=12793
●アロイス・アルツハイマーAlois Alzheimer(1864.6.14-1915.12.19)医学者、精神科医。嫉妬妄想・記憶力低下となった患者の症例を精神医学会に発表(1906)。この症例が「アルツハイマー病」=「認知症」と呼ばれる疾患の多くを占めるものと認知される。遺体はフランクフルトのHauptfriedhof Frankfurtにある妻の墓の隣に埋葬された。
Hauptfriedhof Frankfurt am Main, Frankfurt am Main, Frankfurter Stadtkreis, Hessen, Germany
●リヒトホーフェンManfred von Richthofen (1892.5.2-1918.4.21)第一次世界大戦の独軍エースパイロット。通称“レッドバロン"。参戦国トップの撃墜機記録(80機撃墜)。乗機を赤く塗装し「赤い悪魔」の異名。豪州軍に撃墜され戦死
Sudfriedhof, Wiesbaden, Wiesbadener Stadtkreis, Hessen, Germany//Plot: West of the main entrance in the Westhain section
●レントゲン Wilhelm Rontgen(1845.3.27-1923.2.10)ドイツの物理学者。1895年に電磁放射線(X線)を発見。1901年、第1回ノーベル物理学賞を受賞。腸ガンで他界。
Alter Friedhof, Giessen, Giesener Landkreis, Hessen, Germany//Plot: Follow the signs
●ヘルムート・ヴァルヒャHelmut Walcha(1907-1991) 1907年10月27日-1991年8月11日
盲目のオルガン奏者。バッハの名演。「バッハの音楽は宇宙へと目を開いてくれます。ひとたびバッハ体験をすれば、この世の生にはなにがしかの意味があることに気づきます」
Sudfriedhof,Frankfurt am Main
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Nordrhein-Westfalen ノルトライン=ヴェストファーレン州
●シューマンRobert Schumann(1810-1856)
●クララ・シューマンClara Schumann(1819.9.13-1896.5.20)
シューマンはロマン派の作曲家。ピアノ組曲「子供の情景」、歌曲集「詩人の恋」、ピアノ協奏曲。「音楽新時報」を発行。妻クララは著名なピアノ奏者。
Alter Friedhof, Bonn, Bonner Stadtkreis, Nordrhein-Westfalen, Germany
●3人の東方賢者Three Wise Men(Dreikonigsschrein)
イエスの誕生時にやってきて拝んだと東方の三賢者(メルキオール、バルタザール、カスパー)。三博士の遺骨を納めた黄金の棺がケルン大聖堂に安置されている。高さ157mの大聖堂は建築に600年以上も要した。完成4年後(1884年)に米国のワシントン記念塔(169m)が完成するまで世界一の建築物だった。
Hohe Domkirche Sankt Peter und Maria*, Cologne, Kolner Stadtkreis, Nordrhein-Westfalen, Germany
●ヴィルヘルム・バックハウスWilhelm Backhaus(1884.3.26-1969.7.5)ドイツ出身、スイスに帰化した名ピアニスト。骨太の構成感と強靭なタッチがベートーベン演奏で真価を発揮。
Melaten-Friedhof,Woensamstrase 50931 Koln//Flur 20 in E 
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ハンブルグ
●ハンス・フォン・ビューロー Hans von Bulow(1830.1.8-1894.2.12)指揮者、ピアニスト。職業としての指揮者の先駆け(それまで作曲家自身が指揮)。従来の指揮は単に拍子をとるだけだったが、ワーグナーが曲解釈による表現を重んじた指揮法を唱え、ビューローが広めた。リストの娘コジマと結婚、2子を儲けるもコジマはワーグナーと不倫、離婚に至る。当時「バッハ、ベートーヴェン、ベルリオーズ」が「ドイツ3大B」と言呼ばれていたが、現在の「バッハ、ベートーヴェン、ブラームス」にビューローが変更。バッハの平均律クラヴィーア曲集をピアノ音楽の「旧約聖書」、ベートーヴェンの32曲のピアノソナタを「新約聖書」と呼ぶ。また、ベートーヴェンの交響曲第7番を「リズムの神化」、ブラームスの交響曲第1番を「ベートーヴェンの交響曲『第10番』」とし、ヴェルディのレクィエムを「聖職者の衣をまとったヴェルディの最も新しいオペラ」と評した。聴衆を啓発せんとする使命感から、演奏前に聴衆に向かって講義し、聴衆が途中で逃げ出せないように会場の扉に鍵を掛けさせ、ベートーヴェン第九を2回演奏。チャイコフスキーはニコライ・ルビンシュタインに「演奏不能」と酷評されたピアノ協奏曲第1番をビューローに献呈、これを初演し再評価のきっかけとした。ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」「マイスタージンガー」を初演。天才続出の時代であり、ブラームスの交響曲第4番初演はブラームスが指揮、ビューローが大太鼓、リヒャルト・シュトラウスがトライアングルを担当(シュトラウスを発掘)。フリードリヒ・ヴィーク(クララ・シューマンの父)にピアノを師事しており、ピアノの手腕も優れていた。ベルリン・フィルの2代目常任指揮者。
Ohlsdorfer Friedhof, Ohlsdorf, Hamburg-Nord, Hamburg, Germany
●ハインリヒ・ヘルツ Heinrich Hertz(1857.2.22-1894.1.1)物理学者。電磁波の存在を初めて実証。名前は周波数を示す単位ヘルツに採用された。
Ohlsdorfer Friedhof, Ohlsdorf, Hamburg-Nord, Hamburg, Germany//Plot: Q 24, 53-58
●C.P.E.バッハ Carl Philipp Emanuel Bach(1714.3.8-1788.12.14)カール・フィリップ・エマニュエル・バッハ。大バッハ最初の妻が生んだ次男。「ハンブルクのバッハ」。父の友人テレマンの作曲様式を受け継ぎ古典派音楽の基礎を築き、作風がベートーヴェン、ハイドンに大きく影響を与えた。生前は父の大バッハよりも有名で、一族で最大の成功者。※弟ヨハンはモーツァルトを教えた。
Michaeliskirche (Church of St. Michael), Hamburg-Mitte, Hamburg, Germany//Plot: In the Church Vault
●テレマンGeorg Philipp Telemann(1681.3.14-1767.6.25)クラシック音楽史上もっとも多くの曲を作った作曲家。後期バロック時代に活躍し、18世紀前半の欧州で随一の人気を得た。ハンブルク市の音楽監督。ヘンデルの生涯の友人であると同時に、大バッハとも親交があり、次男C.P.E.バッハの名づけ親となった。リコーダー演奏の名人。86歳の長寿。
Church of the St. John's Monastery (destroyed), Eppendorf, Hamburg-Nord, Hamburg, Germany
 
●シュトルムTheodor Storm(1817.9.14-1888.7.4)ドイツの作家。詩的リアリズムを代表する作家の一人。「インメンゼー(みずうみ)」「三色すみれ」「白馬の騎者」「水に沈む」のほか多くの詩。
Saint Jurgen Friedhof, Husum(フースム), Osterende, Germany
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バイエルン
●ゾフィー・ショル Sophia Scholl(1921.5.9-1943.2.22)
●ハンス・ショル Hans Scholl(1918.9.22-1943.2.22)
●クリストフ・プロープスト Christoph Probst(1919-1943)
ゾフィー・ショルはミュンヘン大学の女学生(21歳)。非暴力の反ナチス運動=白バラ抵抗運動の主要メンバーの一人。同組織は兄のハンス・ショル(24歳)がリーダー。1943年2月18日(スターリングラード敗戦の翌月)、大学構内で反政府ビラを撒くところをナチ党員の大学職員に発見され、兄と共にゲシュタポに引き渡された。翌日にはハンスの家から手紙が見つかったメンバー、クリストフ・プロープスト(23歳、3児の父)もビラ作成の罪で逮捕された。逮捕の4日後の2月22日、「国家反逆罪」に問われた3人は、民族裁判所で「利敵行為でドイツの防衛力の破壊を試みた」と死刑判決を受け、即日(夕方5時)ギロチン処刑された。同年、メンバーでミュンヘンの壁に「ヒトラー打倒」のペンキ書きをした学生ヴィリー・グラーフ(25)やアレクサンダー・シュモレル(25)も死刑になり、相談役のクルト・フーバー教授(49)もギロチン台に消えた。彼らは尋問で他の協力者について口を割らなかった。青年学生らは東部戦線の地獄を体験した帰還兵であり、ナチスのヨーロッパ支配を否定。プロープストの未亡人・孤児へ援助を与えた者たちも逮捕され、半年〜10年の懲役に処せられた。ゾフィーたちが撒いたビラは、後に連合国がドイツ降伏を呼びかける際のビラとして使われた。現在、ドイツの学校で最も多い校名は "Geschwister-Scholl-Schule"(ショル兄妹学校)とのこと。※ミュンヘン大学前にビラ型の記念碑!
Friedhof am Perlacher Forst, Munich (Munchen), Munchener Stadtkreis, Bavaria (Bayern), Germany//Plot: Section 73, row 1, grave 18/19
 
●ミヒャエル・エンデMichael Ende(1929-1995)児童文学作家。「モモ」「はてしない物語」
Waldfriedhof Munchen, Munich (Munchen), Munchener Stadtkreis, Bavaria (Bayern), Germany
●リーフェンシュタール Leni Riefenstahl(1902.8.22-2003.9.9)女性映画監督・写真家。ナチス政権期に活躍、ヒトラーと交友しベルリン・オリンピックの記録映画「民族の祭典」で名声を得たが論争の的になった。戦後は写真家として活動。
Waldfriedhof Munchen, Munich (Munchen), Munchener Stadtkreis, Bavaria (Bayern), Germany
 
●シーボルトhilipp Franz von Siebold(1796.2.17-1866.10.18)日本学の祖。ドイツの医学者・博物学者。1823年オランダ商館医官として長崎に着任。鳴滝(なるたき)塾で高野長英らに医術を伝え、診療を行うと共に、日本文化や動植物を研究した。5年後、離日の際に座礁し、荷物から日本地図の海外持ち出しが発覚、国外追放となる。このシーボルト事件で多くの洋学者が処罰され、世界地図と日本地図を交換した高橋景保は獄死した。帰国後、日本開国を促すために運動する一方、米海軍司令官マシュー・ペリーに早急な軍事的対処を行わないように要請。1854年の日本開国後、1858年に日蘭通商条約が結ばれ、シーボルトに対する追放令は解除された。翌年再来日、対外交渉のための幕府顧問となる。ミュンヘンで死去。享年70。著「日本」「日本動物誌」「日本植物誌」。
Alter Sudlicher Friedhof,Munich (Munchen),Munchener Stadtkreis, Bavaria (Bayern), Germany
●Monument Ludwig von Bayern:ルートヴィヒ2世最期の地。バイエルンの芸術王は、この湖畔で侍従医と謎の水死。暗殺された可能性が高い。
Berg-Leoni, 92554 Thanstein, Germany
 
●ヨハン・ライヒハート Johann Reichhart(1893.4.29-1972.4.26)ドイツの死刑執行人一族、ライヒハート家の当主。戦前はナチス側として、戦後は連合国側として、死刑廃止になるまで3165人に執行した。
Ostfriedhof,Munich (Section 47, Row 2, #21)
 
●デューラー Albrecht Durer(1471-1528)画家。ドイツ-ルネサンス最大の巨匠。優れた自然観察と写実性とにより、肖像画・風景画に深い精神性をみせた。木版画・銅版画にも傑作を残す。
Johannisfriedhof, Nuremberg, Nurnberger Stadtkreis, Bavaria (Bayern), Germany
http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=9062
http://kajipon.com/haka/durer.JPG
●フォイエルバッハ Ludwig Feuerbach(1804.7.28-1872.9.13)唯物論哲学者。神の幻想からの解放を説き、マルクス、エンゲルスに多大の影響を与えた。ヘーゲル哲学の神学的性格を批判、神学の秘密は人間学であるとし、個別的な自然物としての人間学を樹立。
Johannisfriedhof , Nuremberg , Nurnberger Stadtkreis , Bavaria (Bayern) , Germany
 
●ヘルマン・オーベルトHermann Oberth(1894.6.25-1989.12.28)ロケット研究の基礎を築いたロケット工学者。V2ロケットの開発に成功。ドイツ宇宙旅行協会創立。フォン・ブラウンの師。
●ハンス・クナッパーツブッシュHans Knappertsbusch(1888.3.12-1965.10.25)ドイツの指揮者。雄大な演奏。ワーグナーやブルックナーを得意とした。
Bogenhausener Friedhof,Munchen
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●ワーグナー Richard Wagner(1813-1883)ロマン派の作曲家。旧来の歌劇に対し、音楽・詩歌・演劇などの総合芸術を目指した楽劇を創始。人間の本質を表現すべく、自身でドイツの伝説や神話を元に台本を書き、上演のためバイロイト祝祭劇場を設立した。「タンホイザー」「ローエングリン」「トリスタンとイゾルデ」「ニーベルングの指輪(四部作)」
House Wahnfried, Bayreuth, Bayreuther Stadtkreis, Bavaria (Bayern), Germany
●リスト Franz Liszt(1811.10.22-1886.7.31)ハンガリー出身の作曲家・ピアノ奏者。交響詩の形式を確立。ピアノ演奏では超絶技巧を誇り、楽器の表現能力を拡大。「ハンガリー狂詩曲」
Alter Friedhof, Bayreuth, Bayreuther Stadtkreis, Bavaria (Bayern), Germany
 
●ペーター・ホフマンPeter Hofmann(1944.8.22-2010.11.29)テノール歌手。同時に欧州最高のロック歌手の1人。ワーグナーの楽劇「ワルキューレ」主人公ジークムント(ジークフリートの父)を得意とした。後年パーキンソン病。
Friedhof Wunsiedel(ウンシーデル), Wunsiedel, Wunsiedel im Fichtelgebirge Landkreis, Bavaria (Bayern), Germany
●【Not墓参】ヘス Rudolf Hess[original burial site](1894.4.26-1987.8.17)政治家。初期のナチス副総統。英独の開戦を避けるため、ヒトラーに無断で単独渡英し和平を試みたが、ナチ政権はヘスを精神異常と発表。英チャーチルはヘスを国家捕虜とした。ヘスはロンドン塔に幽閉された最後の人物となる。戦後に戦犯として裁かれ、ユダヤ人虐殺の「人道に対する罪」については無罪とされたが、「共同謀議」「平和に対する罪」で終身刑となった。93歳まで長寿し、被告では最後の生き残りとなったが刑務所の電気コードで首を吊った。墓がネオナチの聖地となることを懸念した墓地管理人とヘスの親族は墓石を撤去することで合意、2011年7月、深夜に撤去された。遺骨は火葬され海に散骨。
Friedhof Wunsiedel, Wunsiedel, Wunsiedel im Fichtelgebirge Landkreis, Bavaria (Bayern), Germany
 
●ディートリッヒ・ボンヘッファー Dietrich Bonhoeffer(1906.2.4-1945.4.9)20世紀を代表するキリスト教神学者の一人。ルター派の牧師。ヒトラー暗殺計画に加担しフロッセンビュルク強制収容所で絞首刑。キリスト教徒に殺人(ヒトラー暗殺)は許されないが、善を選ぶことが不可能な状況下において、より大きな悪を避けるためにより小さな悪を選ばないことは逃避であると考えた。刑死の3週間後、ヒトラーは自殺した。
gedenkstaette,Gedachtnisallee 5, 92696 Flossenburg, Germany
http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=6616844
●ゲルハルト・バルクホルン Gerhard Barkhorn(1919.3.20-1983.1.11)WWUのドイツ空軍エース・パイロット。出撃回数1104回、うち500回以上の空戦で総撃墜数は301機(東部戦線)。歴史上300機超えはバルクホルンと、エーリヒ・ハルトマン(352機1位)だけ。
Friedhof Tegernsee, Tegernsee, Miesbacher Landkreis, Bavaria (Bayern), Germany
●ケプラー Johannes Kepler(1571.12.27-1630.11.15)天文学者。ティコ・ブラーエの火星観測に基づいた研究により、惑星の運動に関する「ケプラーの法則」を発見。法則(1)惑星は太陽を焦点に楕円軌道を描く(2)太陽から惑星に至る直線は等時間に等面積を描く(面積速度保存の法則)(3)惑星の公転周期の2乗は太陽からの平均距離の3乗に比例。
Saint Peter-Friedhof, Regensburg(レーゲンスブルク), Regensburger Stadtkreis, Bavaria (Bayern), Germany
●リヒャルト・シュトラウスRichard Strauss(1864-1949)
作曲家。ドイツ・ロマン派最後の巨匠。交響詩ではリストを、歌劇ではワグナーを継承・発展させた。指揮者としても活躍。交響詩「ドン・ファン」(1888)、「死と変容」「ツァラトゥストラはこう語った」「ドン・キホーテ」「英雄の生涯」。オペラ「サロメ」「エレクトラ」「ばらの騎士」。「エレクトラ」で調性音楽の限界を超え無調音楽の一歩手前まで至った。「サロメ」はメトロポリタン歌劇場で終演後に聴衆から激しい怒号を浴び、わずか1回で公演中止に。「多数の仲間から気違い扱いされていない芸術家など誰もいなかったことを十分に意識すれば、私は今や私が辿りたいと思う道を進みつつあると知って満足している」。
Friedhof Garmisch(Richard Strauss Villa), Garmisch-Partenkirchen, Garmisch-Partenkirchener Landkreis, Bavaria (Bayern), Germany
●カール・オルフ Carl Orff(1898.7.10-1982.3.29)作曲家・音楽教育家。身体の動きと音楽の結合を目指す教育理念を提唱。13世紀の歌集に曲をつけた「カルミナ・ブラーナ」(1937)が有名。
Klosterkirche Andechs(アンデクス), Andechs, Starnberger Landkreis, Bavaria (Bayern), Germany//Plot: Schmerzhafte Kapelle (Chapel of Sorrows)
●パッヘルベル Johann Pachelbel(1653.8-1706.3.6)作曲家、オルガン奏者。ニュルンベルク生まれ。「カノン」が著名。J. S.バッハに影響を与えた。
Saint Rochus Cemetery, Nuremberg, Nurnberger Stadtkreis, Bavaria (Bayern), Germany
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バーデン
●フルトヴェングラーWilhelm Furtwangler(1886-1954)人類最高の指揮者。フルトヴェングラー指揮の「第九」は宇宙遺産。ベルリン・フィル、バイロイト音楽祭の首席指揮者などを歴任。
Bergfriedhof Heidelberg, Heidelberg, Heidelberger Stadtkreis, Baden-Wurttemberg, Germany
http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=4626
●マックス・ウェーバー Max Weber(1864.4.21-1920.6.14)ドイツの社会学者・経済学者。科学の没価値性・理念型論などの社会科学方法論を提唱。経済行為や宗教現象の意味をとらえる理解社会学を開拓。
Bergfriedhof Heidelberg, Heidelberg, Heidelberger Stadtkreis, Baden-Wurttemberg, Germany
 
●ロンメルErwin Rommel'The Desert Fox'(1891-1944)ドイツ国防軍の将軍でありながらナチに入党せず、反ヒトラーの立場をとったロンメル。戦場では様々な奇策で敵を手玉に取り、300人で敵兵8000人を捕虜にしたことも。アフリカ戦線における活躍から“砂漠の狐"の異名を持ち、敵の英首相チャーチルでさえ「ナポレオン以来の戦術家」「極めて勇敢、巧みな敵将。偉大な人物だ。…悔しいが!」と評した。その神がかった戦功により、当時貴族(ユンカー)など特権階級しかなれなかった師団長、陸軍元帥に平民出身で初めて任命された。一方、息子がナチの人種差別理論を得意げに語った時、「私の前でそういう馬鹿げたことを2度と喋るな!」と激高。ベルリンの総司令部から“ユダヤ人の敵兵は捕虜にせず即射殺せよ”と命令書が届くと、これを焼き捨てた。敗戦の色が濃くなっても戦争継続にこだわるヒトラーに「総統は犯罪者だ。祖国が壊滅するまで戦うつもりか」と怒り、戦争終結の進言を試みるも総統暗殺未遂の容疑をかけられ毒薬による自決を強要された。享年52歳。「死んだヒトラーは生きているヒトラー以上に危険だ」(ロンメル)。※僕が墓参した際、敵である英軍・王立戦車連隊からの献花があった。
Herrlingen Cemetery, Blaustein, Alb-Donau-Kreis, Baden-Wurttemberg, Germany
●ゴットリープ・ダイムラーGottlieb Daimler(1834.3.17-1900.3.6)ドイツの技術者。1885年にガソリンを使った内燃機関(エンジン)を発明、世界初のオートバイを制作。翌1886年、駅馬車にエンジンをつけ、これが世界初の四輪自動車となった。自動車製造会社ダイムラーを設立し、1892年に初めて自動車を販売。エンジンモーターはボートや飛行船でも使われた。死後、ダイムラーがベンツ社と合併しダイムラー・ベンツとなった際、ダイムラーのモットー「陸と空と海のためのエンジン」を反映して3方向に伸びる星がロゴとなった。
Uff-Kirchhof, Stuttgart-Bad Cannstatt, Bad Cannstatt, Stuttgarter Stadtkreis, Baden-Wurttemberg, Germany
●フェルディナント・フォン・ツェッペリン伯爵 Ferdinand von Zeppelin(1838.7.8-1917.3.8)ドイツの航空技術者。陸軍中将を退役後、ツェッペリン飛行船を開発し「硬式飛行船」を実用化。
Pragfriedhof, Stuttgart, Stuttgarter Stadtkreis, Baden-Wurttemberg, Germany
●エーリヒ・ハルトマン Erich Alfred "Bubi" Hartmann(1922.4.19-1993.9.20)史上最多352機を撃墜した第二次世界大戦時のドイツ空軍のエース・パイロット。自らも16回撃墜されながら生還し、一度も僚友を戦死させなかった。乗機メッサーシュミットBf109Gの機首に黒いチューリップ風のマーキングをしていたため、ソ連空軍から「黒い悪魔」と恐れられる。独ソ戦において一撃離脱戦法でスコアを重ねた。総出撃回数1405回。敗戦後、ソ連抑留を経て西独空軍に復帰。大佐で退役。夫婦墓に書かれている言葉は「永遠の愛を」。
Weil im Schonbuch, Weil im Schonbuch, Boblinger Landkreis, Baden-Wurttemberg, Germany
Plot: Neue Friedhof(New Cemetery), Weil am Schonbuch,Boblingen, Germany, Sector D, Way 9, Grave 35/36
●カール・ベンツ Karl Benz(1844.11.25-1929.4.4)ドイツのエンジン設計者、自動車技術者。1885年、世界初の自動車「ベンツ・パテント・モトールヴァーゲン」を発明。ただしこれは三輪自動車であり、四輪は翌年のダイムラーが先。特許はベンツが先に取得していた。ベンツはまた、クラッチ、ギアシフト、点火プラグ、キャブレター、水使用のラジエターなど、現代の車に通じる様々な機構を設計した。
Cemetery of Ladenburg, Ladenburg, Rhein-Neckar-Kreis, Baden-Wurttemberg, Germany
●ハイデガー Martin Heidegger(1889.9.22-1976.5.26)哲学者。人間存在の根本的あり方を世界内存在としてとらえ、存在は自己矛盾的構造のもとに決して姿を見せぬ根拠として思索された。サルトルの実存主義へ道を開いた。
FRIEDHOF MEsKIRCH(Messkirch Town Cemetery), Meskirch(メスキルヒ), Sigmaringener Landkreis, Baden-Wurttemberg, Germany
●クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐
Claus von Stauffenberg(1907-1944)ヒトラー暗殺計画「ワルキューレ」首謀者。当教会のシュタウフェンベルク記念礼拝堂の近くに墓。庭にある。
Kath. Pfarramt St. Johann,Am Schlos 8, 72459 Albstadt, Germany
http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=11370
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●フリードリヒ2世/フリードリヒ大王Frederick the Great(1712.1.24-1786.9.22)啓蒙専制君主、哲人王。第3代プロイセン王。学問と芸術に明るく、フルート演奏の名手。軍事的才能にも優れ、国家経営を合理化し、ドイツにジャガイモ栽培を広げて飢餓にも備え、プロイセンの国力を大いに高めた。哲学者ヴォルテールとも親しかった。
Sanssouci Palace, Potsdam, Potsdamer Stadtkreis, Brandenburg, Germany※サンスーシ宮殿の庭、階段をあがって右手。
Plot: buried in the lawn of the south patio of Sans Souci
●ハンス・ガイガー Hans Geiger(1882.9.30-1945.9.24)ドイツの物理学者。放射線量を測定するガイガーカウンターの発明者。ガイガーの実験は原子核の発見につながった。
Neuer Friedhof(Heinrich-Mann-Allee Cemetery), Potsdam, Potsdamer Stadtkreis, Brandenburg, Germany
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ワイマール
●ゲーテ Johann Wolfgang von Goethe(1749-1832)
ドイツの詩人・作家。「若きウェルテルの悩み」などで『シュトゥルム-ウント-ドラング(疾風怒濤)』運動の旗手となる。ワイマール公国で10年間政務を担当。シラーと親交を結んでドイツ古典主義を完成。自然科学の領域でも「色彩論」を著すなど成果をあげた。戯曲「ファウスト」「エグモント」、叙事詩「ヘルマンとドロテーア」、小説「ウィルヘルム-マイスター」、自伝「詩と真実」。
●シラーFriedrich Schiller(1759-1805)ドイツの詩人・劇作家。ゲーテの親友。古典主義に基づく歴史劇を確立。「群盗」「ドン=カルロス」「オルレアンの少女」「ウィルヘルム=テル」。詩「歓喜に寄す」は後にベートーヴェン第九となった。
Alter Friedhof Weimar, Weimar, Weimarer Stadtkreis, Thuringen, Germany//Plot: the Furstengruft
 
●ルーカス・クラナッハ(父) Lucas Cranach,the Elder(1472-1553)ドイツ・ルネサンスの代表的画家。宗教画・肖像画に深い精神性を表現。ルターの友人で宗教改革の支持者。有名なルターの肖像画を描く。デューラーのライバル。息子も同名の画家ゆえ、ルーカス・クラナッハ(父)と表記される。
Saint Jacobs Church, Weimar, Weimarer Stadtkreis, Thuringen, Germany
●エルンスト・テールマンErnst Thalmann(1886.4.16-1944.8.18)ナチスと対決したドイツ共産党の党首。選挙や街頭で激しく争い、ゲシュタポに逮捕されブーヘンヴァルト強制収容所で処刑された。
Buchenwald Concentration Camp Memorial, Buchenwald, Weimarer Stadtkreis, Thuringen, Germany
http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=22376
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●ビスマルク Otto von Bismarck(1815.4.1-1898.7.30)ドイツの政治家。鉄血宰相。軍備拡張を強行し普墺・普仏戦争に勝利、71年ドイツを統一し帝国宰相となる。同盟外交を展開し、保護関税政策により国内産業を育成。「飴と鞭」政策を遂行。90年ウィルヘルム2世と衝突、辞職。
Bismarck Mausoleum zu Friedrichsruh, Friedrichsruh, Lauenburger Herzogtum, Schleswig-Holstein, Germany
●グーテンベルク Johann Gutenberg(1398-1468.2.3)活版印刷発明者。鋳造活字によるプレス印刷機を考案。印刷技術を実用化し近世の知識普及に貢献!
Alte Universitat Mainz, Mainz, Mainzer Stadtkreis, Rheinland-Pfalz, Germany
●ルター Martin Luther(1483.11.10-1546.2.18)ドイツの宗教改革者。1517年、ローマ教皇による免罪符販売に反対して九十五箇条の論題を発表し、教皇の破門を受けつつ宗教改革の端を開いた。信仰のみによって義とされること、教会ではなく聖書のみが規範であること、信者はすべて神の前に等しいことなどを主張。聖書のドイツ語訳を行い、自ら讃美歌を作った。ルーテル。
Schlosskirche:Castle Church Wittenberg, Wittenberg, Wittenberger Landkreis, Sachsen-Anhalt, Germany
Plot: Center of church, below wooden pulpit, about two meters down
●ブクステフーデDietrich Buxtehude(1637-1707.5.9)ドイツのオルガン奏者・作曲家。デンマーク出身。バッハは演奏を聴くために200マイル(320km)も歩いたという。セント・メアリーの教会のオルガン奏者。
Saint Mary's Church, Marienkirche, Lubeck, Lubecker Stadtkreis, Schleswig-Holstein, Germany
●ギュンター・グラスGunter Grass(1927.10.16-2015.4.13)ドイツの作家。現ポーランド・グダニスク出身。鋭い社会諷刺を奇抜な物語の中で行った。1959年(32歳)にナチス支配下の市民心理を描いた『ブリキの太鼓』を発表し高い評価を得る。2002年、米国のアフガニスタン侵攻を「文明にふさわしくない」と批判。ノーベル文学賞(1999)。
Friedhof Behlendorf, Behlendorf, Lauenburger Herzogtum, Schleswig-Holstein, Germany
http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=144947573
●ニーチェ Friedrich Nietzsche(1844.10.15-1900.8.25)ドイツの哲学者。「神は死んだ」と欧州キリスト教文明への批判を深め、キリスト教倫理思想を弱者の奴隷道徳とした。永劫回帰・力への意志の世界においてニヒリズムを克服し「超人」として生きることを主張した。「悲劇の誕生」「反時代的考察」「ツァラツストラはかく語りき」
Rocken Churchyard, Rocken, Burgenlandkreis, Sachsen-Anhalt, Germany
●オズワルト・ベルクOswald Boelcke(1891.5.19-1916.10.28)世界初のエースパイロット(WWI)。通算撃墜数は40機。教官として作成した空戦8箇条の第1条は「太陽を背にして戦え」。リヒトホーフェンの師匠。
Ehrenfriedhof, Dessau, Dessau-Roslauer Landkreis, Sachsen-Anhalt, Germany
●オットー1世Otto I The Great(912.11.23-973.5.7)オットー大帝。ローマ教皇より神聖ローマ帝国の初代皇帝として戴冠。東フランク王国国王。ザクセン朝第2代の王。父ハインリヒ一世の国家統一のあとを継いで王権を確立。
Cathedral of Saints Maurice and Katharina, Magdeburg(マクデブルク), Magdeburger Stadtkreis, Sachsen-Anhalt, Germanyb.
●クラウゼビッツCarl Von Clausewitz(1780.6.1-1831.11.16)プロイセンの将軍・軍事理論家。対ナポレオン戦争の戦場にプロイセン軍やロシア軍として数多く参加し、戦史を記録するとともに作戦を科学的に分析。死後夫人の手で「戦争論」が刊行され、軍事理論家として世界的な評価をえた。晩年はベルリンの士官学校校長をつとめた。「戦争は政治の延長である」
Ostfriedhof, Burg bei Magdeburg, Jerichower Land Landkreis, Sachsen-Anhalt, Germany
●ノバーリス 'Novalis'Friedrich Von Hardenberg(1772.5.2-1801.3.25)ドイツの詩人。ロマン主義運動の先駆者。行政や製塩所に勤務しながら、人生の大半のエネルギーを文筆活動に注ぎ、肺疾患により29歳で早逝した。宗教的神秘主義に彩られた抒情詩や、夢幻的な未完小説「青い花」を残した。
Alter Friedhof (Stadtpark), Weissenfels, Burgenlandkreis, Sachsen-Anhalt, Germany//Plot: look left at the entrance of the Park
●カール大帝 Charles the Great/King Charles I(742-814)西ローマ皇帝(在位800-814)。フランク王国カロリング朝の国王(在位768-814)。ピピンの子。領土を大幅に拡大しゲルマン諸部族を統合し、教皇より西ローマ皇帝の戴冠。法を整備し、学者を保護し、学芸を振興して中世ヨーロッパ世界の基礎を構築。西部ドイツのアーヘン大聖堂に墓。
Cathedral of Aachen, Aachen, Aachener Stadtkreis, Nordrhein-Westfalen, Germany//Plot: The Shrine of Karl der Grose
●ジョージ1世 King George I(1660.3.28-1727.10.11)ハノーバー朝・初代のイギリス国王。在位1714〜27年。ドイツのハノーファー選帝侯エルンスト・アウグストとイングランド王ジェームズ1世の孫娘ソフィアとの間に生まれ、スチュアート朝最後の君主アン女王の死後に54歳で王座についた。完全にドイツ人で英語を解さなかった。内政を大臣に一任し、「王は君臨すれども統治しない」という責任内閣制度が発足。イギリスにおけるハノーバー家の立場は確固たるものになり、現在の王室も彼の子孫にあたる。
Berggarten(ベルクガルデン) Mausoleum, Hanover, Hannoversche Landkreis, Lower Saxony (Niedersachsen), Germany
●ヴィルヘルム・ケンプWilhelm Kempff(1895.11.25-1991.5.23)ドイツのピアニスト、作曲家。バッハやベートーヴェンの名演奏。魂の音楽。
Wenige hundert Meter entfernt befindet sich der Waldfriedhof der Freiherrn von Kunsberg. Auf dem Friedhof befinden sich die Graber einiger von Kunsberg und auch das Grab des deutschen Pianisten Wilhelm Kempff
cemetery of Wernstein, Mainleus
●クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐 Claus von Stauffenberg(1907.11.15-1944.7.21)ワルキューレ(ヒトラー暗殺計画)の首謀者。
Albstadt-Lautlingen(ラウトリンゲン), Graber neben der Stauffenberg-Gedachtniskapelle an der Pfarrkirche St. Johannes Baptista; Grab der Schenken von Stauffenberg
●アンネ・フランク Anne Frank(1929.6.12-1945.3)ユダヤ系ドイツ人の少女。『アンネの日記』の著者。アウシュヴィッツからベルゲン=ベルゼン強制収容所に移送され15歳で没した。
Gedenkstatte Bergen-Belsen(メモリアル・ベルゲン=ベルセン),Anne-Frank-Platz, 29303 Lohheide, Germany
●ディートリッヒ・ボンヘッファー Dietrich Bonhoeffer(1906.2.4-1945.4.9)20世紀を代表するキリスト教神学者の一人。ルター派の牧師。ヒトラー暗殺計画に加担しフロッセンビュルク強制収容所で絞首刑。キリスト教徒に殺人(ヒトラー暗殺)は許されないが、善を選ぶことが不可能な状況下において、より大きな悪を避けるためにより小さな悪を選ばないことは逃避であると考えた。刑死の3週間後、ヒトラーは自殺した。※ベルリン国立図書館一階に首にロープをかけられたボンヘッファーの胸像。
Flossenburg Concentration Camp Memorial, Flossenburg, Neustadt an der Waldnaab Landkreis, Bavaria (Bayern), Germany
●ヴァルター・グロピウス Walter Adolph Georg Gropius(1883.5.18-1969.7.5)ドイツの建築家。ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエと並ぶ近代建築の四大巨匠の一人。芸術教育機関「バウハウス」創立者・初代校長。デザインと工業社会との調和を目指して近代建築の名作を設計、国際建築運動を主唱。1937年から米国を拠点とする。代表作にバウハウス・デッサウ校舎、NYのパンアメリカンビルなど。
Sudwestfriedhof der Berliner Synode, Stahnsdorf, Potsdam-Mittelmarker ,Landkreis, Brandenburg, Germany


チューリヒ
●ジェームズ・ジョイス James Joyce(1882-1941)アイルランドの作家。ダブリン出身。独白によって意識の流れを描く心理主義技法を確立。写実主義「ダブリン市民」、モダニズム小説屈指の大作「ユリシーズ」。ヨーロッパを流浪。
http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=1453
●パウル・カラー Karrer, Paul(1889.4.21-1971.6.18)ロシア出身のスイス人有機化学者。ビタミンができる過程を解明。ノーベル化学賞(1937)
Friedhof Fluntern, Zurich, Zurich, Switzerland
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●カール・リヒター Karl Richter(1926.10.15-1981.2.15)ドイツの指揮者、オルガン奏者。バッハの求道者。1958年(32歳)、バッハ「マタイ受難曲」の歴史的名演を行う。享年54。「バッハの魅力はカンタータに尽きる。言葉によって精神を表しているカンタータの世界は比類ない」
●フェリックス・ワインガルトナー Felix Weingartner(1863.6.2-1942.5.7)ウィーン・フィルの指揮者(当時の制度)。リストの弟子。ユダヤ系ゆえ、ナチの台頭でスイスに逃れた。
●スヴェトラーナ・ベリオソワ Svetlana Beriosova(1932.9.24-1998.11.10)リトアニア出身のバレリーナ。
Friedhof Enzenbuhl, Zurich, Zurich, Switzerland//Plot: Grave No. 4192
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●トーマス・マン Thomas Mann(1875-1955)ドイツの作家。ヒューマニズムの立場から一貫してナチスを批判、民主主義を擁護。ナチス時代は米国に亡命、戦後にスイス移住。ノーベル賞。「魔の山」「ヴェニスに死す」「トニオ=クレーガー」「ブッデンブローク家の人々」
Friedhof Kilchberg, Kilchberg, Zurich, Switzerland
●ユング Carl Jung (1875-1961)スイスの心理学者・精神医学者。性格を外向型・内向型に分類、コンプレックスの概念を確立。当初はフロイトに共鳴したが後に性欲理論等を否定、独自の分析心理学を創始。連想検査を考案。
Reformierten Kirche Kusnacht/Protestant Church Graveyard, Kusnacht(キュスナハト), Zurich, Switzerland
エリーザベト・シュヴァルツコップ Elisabeth Schwarzkopf(1915.12.9-2006.8.3)一時代を築いたドイツソプラノ歌手コロラトゥーラ。90歳の長寿。
Zumikon Friedhof, Zurich, Zurich, Switzerland
●オットー・クレンペラー Otto Klemperer(1885.5.14-1973.7.6)20世紀を代表する指揮者の一人。観客と口論して指揮を放棄するなど激情家で知られる。女性好きでトホホ逸話多数。「ワルターはモラリストだ。だが、私は断じて違う」。他にも寝タバコで大ヤケドとか、ステージから落下して背骨骨折とか。ユダヤ系ゆえドイツから亡命。戦後はハンガリーで共産党政権と衝突。眠そうなオケ団員に「とっとと帰れ!ワーグナーはガキの音楽じゃねぇんだ!」。
Israelitischen Friedhof (Friesenberg), Fluntern, Zurich, Switzerland
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●ゴットフリート・ケラー Gottfried Keller(1919.7.19-1890.7.15)作家。写実主義の傑作教養小説「緑のハインリヒ」
Friedhof Sihlfeld(ジールフェルト), Zurich, Zurich, Switzerland
●ヨハンナ・シュピリSpyri, Johanna(1827.6.12-1901.7.7)作家。「アルプスの少女ハイジ」の原作者。生涯に50以上の物語を出版。慈善活動も行った。
Friedhof Sihlfeld, Zurich, Zurich, Switzerland
●アンリ・デュナン Henry Dunant(1828.5.8-1910.10.30)国際赤十字の創設者。ジュネーブ出身。1859年(31歳)、フランス・オーストリア戦争に際し「人類はみな兄弟」の信念から敵味方分け隔てなく負傷者を救護。その後、戦傷者救援の為の中立的組織の必要性を訴え、赤十字創設に尽力。1864年(36歳)、ジュネーブ条約が調印されて国際赤十字が創立された。1901年(73歳)に最初のノーベル平和賞受賞。賞金は全額赤十字に寄付された。
Friedhof Sihlfeld, Zurich, Zurich, Switzerland
 
ジュネーブ
●エルネスト・アンセルメ Ernest Ansermet(1883.11.11-1969.2.20)指揮者。スイス・ロマンド管弦楽団を育て上げた。
●アルベルト・ヒナステラ Alberto Ginastera(1916.4.11-1983.2.20)20世紀を代表する南米の作曲家の1人。アルゼンチン生まれ。
●ロドルフ・クロイツェル(クレゼール)Rudolphe Kreutzer(1766.11.16-1831.1.6)バイオリンの名手、作曲家。ベルサイユ出身。ベートーヴェンから“クロイツェル・ソナタ”を献呈された。マリー・アントワネットのお気に入り。
Cimetiere des Rois, Geneva, Geneve, Switzerland
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●リチャード・バートンRichard Burton(1925.11.10-1984.8.5)俳優。エリザベス・テイラーと2度結婚。「クレオパトラ」「ワイルド・ギース」
Vieux Cimetiere, Celigny, Geneve, Switzerland
●ディヌ・リパッティ Dinu Lipatti(1917.3.19-1950.12.2)ルーマニアのピアノニスト。音色の透明感から不世出の天才といわれたが33歳で病死。コルトーに師事し、ショパン演奏に優れた。
Chene-Bourgeries(シェーヌ・ブジュリー) Cemetery,Geneva, Switzerland
 
ローザンヌ
●ココ・シャネル'Coco'Gabrielle Bonheur Chanel(1883.8.19-1971.1.10)20世紀を代表するファッションデザイナーの一人。シャネル」創業者。襟なしジャケットとスカートを組み合わせたシャネル‐スーツなど、シンプルで着やすい服飾デザインを創作。香水も発売した。遺言により墓石の周りには白い花が咲き乱れている。
Cimetiere du Bois-de-Vaux(ボワ=ド=ヴォー), Lausanne, Vaud, Switzerland
●ピエール・ド・クーベルタン男爵 Pierre De Coubertin(1863.1.1-1937.9.2)フランスの教育者。近代オリンピックの創立者。1894年(31歳)、国際オリンピック委員会を組織。1896年にアテネで第一回大会を開催。
Cimetiere du Bois-de-Vaux, Lausanne, Vaud, Switzerland
 
バーゼル
●フリッツ・ハーバー Fritz Haber(1868.12.9-1934.1.29)ノーベル化学賞。空気中の窒素からアンモニアを合成。塩素など各種毒ガス使用の指導的立場にあった為「化学兵器の父」とも…。
Friedhof am Hornliヘルンリ), Basel, Basel-Stadt, Switzerland
●カール・ヤスパース Karl Jaspers(1883.2.23-1969.2.26)ドイツの哲学者、精神科医。実存主義哲学を代表する一人。現代思想に影響を与えた。「精神病理学総論」
Friedhof am Hornli, Basel, Basel-Stadt, Switzerland
 
●エラスムス Desiderius Erasmus(1466-1536)人文主義者。神父であったが貴族や教会を風刺。修道院制やスコラ哲学に批判を加えた。著「愚神礼讃」「平和の訴え」。
Basel Munster/Cathedral of Basel, Basel, Basel-Stadt, Switzerland
●オットー・フランク Otto Frank(1889.5.12-1980.8.19)アンネ・フランクの父。
Friedhof Birsfelden, Basel, Basel-Stadt, Switzerland
 
Ticino(ティチーノ)
●ヘッセ Hermann Hesse(1877-1962)ドイツ出身のスイスの詩人・作家。自我の分裂に悩む近代人の姿を描写。平和主義者として世界大戦に反対した。ノーベル文学賞。「車輪の下」「デミアン」「荒野のおおかみ」「ガラス玉遊戯」
S. Abbondio Church Cemetery, Montagnola, Ticino, Switzerland
●ブルーノ・ワルターBruno Walter(1876-1962)フルトヴェングラー、トスカニーニと並ぶ20世紀を代表する偉大な指揮者の1人。演奏に温かみがある。マーラーの弟子で、師の没後に交響曲第9番大地の歌』の初演を行った。ユダヤ系ゆえナチスに迫害され、楽屋に銃弾を撃ち込まれ、演奏会が中止に追い込まれた。米国へ移住すると、CBSレコード(現ソニー・クラシカル)は当時開発されたステレオにワルターの演奏を残すため、コロンビア交響楽団を結成、両者は録音に挑んだ。性格は温厚で、ウィーン・フィルのリハで団員に悲しい顔で「なぜあなた達は美しい音を出さないのですか?もっと歌ってください」と言い、団員達は「あんな悲しげな顔でリハーサルされたら音を出さざるを得ない。トスカニーニら怒りんぼう以上に困った指揮者だ」と、言ったという。
Parrocchia Cattolica di S. Abbondio/S.Abbondio Church Cemetery, Montagnola, Ticino, Switzerland
●フーゴ・バルHugo Ball(1886.2.2-1927.9.14)ドイツの作家、詩人、ダダ(伝統的形式美に極端に反抗)を主導した芸術家。ダダイズムの父。
S. Abbondio Church Cemetery, Montagnola, Ticino, Switzerland
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●エーリッヒ・レマルクErich Maria Remarque(1898.6.22-1970.9.25)反ファシズム作家。級友たちと志願して西部戦線に配属、負傷。「西部戦線異常なし」を発表、市民権を取り消され、ナチの発禁にあう。スイスに移住。「凱旋門」「愛する時と死する時」。チャップリンの元妻ポーレット・ゴダードと結婚。
●ポーレット・ゴダードPaulette Goddard(1910.6.3-1990.4.23)女優「モダン・タイムス」。レマルク夫人(チャップリンの元妻)
Ronco Village Cemetery(Friedhof), Ronco sopra Ascona, Ticino, Switzerland
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●ブリギッテ・ヘルム Brigitte Helm(1908.3.17-1996.6.11)女優。フリッツ・ラングの古典SF『メトロポリス』(1927)のアンドロイドとマリアの2役で有名。ナチスに抗議してドイツから移住。
Ascona Cemetery, Locarno, Ticino, Switzerland
グスタフ・フレーリッヒGustav Frohlich(1902.3.21-1987.12.22)ドイツ俳優フリッツ・ラング監督の映画『メトロポリス』(1927)の主人公フレーダー役。
Brissago Cemetery (Brissago, Lago Maggiore/マッジョーレ湖), Tegna, Ticino, Switzerland
●ロバート・パーマーRobert Palmer(1949.1.19-2003.9.26)ロック歌手。二度のグラミー獲得。心臓発作で他界。享年54歳。
Lugano Cemetery, Lugano, Ticino, Switzerland
 
Vaud
●チャップリンCharlie Chaplin(1889-1977)映画俳優・監督。ロンドン出身。貧しくとも誇りを持つ放浪紳士チャーリーを通して、弱者の悲哀と西欧社会の不平等への怒りを表現。笑いに涙を交えつつ人間の尊厳を描いたヒューマニスト。「独裁者」で反ファシズムを全身全霊で訴えた。赤狩りで米国を追われスイスにて永眠。「黄金狂時代」「街の灯」「モダン・タイムス」「ライムライト」など全81作を残す。
Corsier Cemetery, Corsier-Sur-Vevey, Vaud, Switzerland
●グレアム・グリーン Graham Greene(1904.10.2-1991.4.3)英国出身の作家。「第三の男」「情事の終わり」など作品は大半が映像化。共産主義に傾倒し、米国が入国拒否。「確信を持った共産主義者と確信を持ったカトリックの信者の間には、ある種の共感が通っている」
Cimetiere des Monts-de-Corsier, Corseaux, Vaud, Switzerland
 
●オードリー・ヘップバーンAudrey Hepburn(1929-1993)“世界の恋人"“妖精"と讃えられた女優。ベルギー出身。女性美の基準をグラマラスからスレンダーに変えた。後半生の大半を国際連合児童基金(ユニセフ)の仕事に捧げる。「ローマの休日」「シャレード」「おしゃれ泥棒」「マイ・フェア・レディ」
Tolochenaz Cemetery, Tolochenaz, Vaud, Switzerland
 
●ポール・ヒンデミットPaul Hindemith(1895.11.16-1963.12.28)ドイツの作曲家。反ロマン主義。バロックの現代化に卓越。交響曲「画家マチス」
Cimetiere La Chiesaz, La Chiesaz, Vaud, Switzerland
 
●ココシュカ Oskar Kokoschka(1886-1980)オーストリアの画家。表現主義運動のリーダーの1人。
●ナボコフ Vladimir Nabokov(1899-1977)ロシア貴族出身の作家。「ロリータ」
Cimitiere de Clarens(クララン), Clarens, Vaud, Switzerland
 
●ピーター・ユスティノフ Sir.Peter Ustinov(1921.4.16-2004.3.28)英国のアカデミー賞受賞俳優。名探偵ポワロ。「ナイル殺人事件」「クォ・ヴァディス
Cimitiere de Bursins(ビュルサン), Nyon, Vaud, Switzerland
 
アンリ・ネスレHenri Nestle (Heinrich Nestle) (1814.8.10-1890.7.7)世界最大の食品飲料会社、ネスレ創業者。初めて乳児用調製粉乳(小麦粉ミルク)を開発。
※Sa tombe, ou il repose avec son epouse, domine la Place des Roses a Territet, pres de l'eglise St-John. Territet駅前の聖ヨハネ教会の近く。
http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=20156053
 
●デヴィッド・ニーヴンDavid Niven(1910.3.1-1983.7.29)英国の俳優。「八十日間世界一周」(1956)で気高いイギリス紳士を演じ、「旅路」でアカデミー主演男優賞。
Chateau D'Oex Cemetery, Chateau D'Oex, Vaud, Switzerland
 
デュガル・ヘイストンDougal Haston(1940.4.19-1977.1.17)有名なスコットランドの登山者。アイガー北壁の最初の冬期制覇チームの一員。1975年、エベレスト南西面を初登頂。Leysin(レザン)の雪崩で死亡。
Cimiterie de Leysin, Leysin, Vaud, Switzerland [unmarked]
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●アルベルト・ジャコッメッティAlberto Giacometti(1901.10.10-1966.1.11)彫刻家。孤独感と苦悶を伝える細長い人影が特徴。でこぼこの表面が光と影を生む。
Cemetery of the Church of San Giorgio, Borgonovo(ボルゴノーボ), Graubunden, Switzerland    b。10、1901d 10月。1966年1月11日
●クラウディオ・アバド Claudio Abbado(1933.6.26-2014.1.2)ミラノ出身の指揮者。ベルリン・フィルやミラノ・スカラ座で活躍。ボローニャの自宅で他界。Burial:Unknown
CLAUDIO ABBADO: LA SUA TOMBA IN ENGADINA
Una lapide con il nome e le date di nascita e morte. E nient’altro. Questa e la tomba di Claudio Abbado. Dall’inizio di novembre il grande direttore riposa a Sils-Maria, una frazione di Sils, minuscolo comune di 700 abitanti in Val Fex, nel cantone dei Grigioni. La tomba di Claudio Abbado si trova in un piccolissimo cimitero, accanto alla Cappella di Crasta: una minuscola chiesa bianca.
●H・R・ギーガー H.R.Giger/Hans Ruedi(1940.2.5-2014.3.12)スイス人の画家デザイナー。映画『エイリアン』でのデザインで知られている。
Cimetiere de Gruyeres(グリュイエール), Gruyeres, Fribourg, Switzerland
●パウル・クレー Paul Klee(1879-1940)画家。音楽と絵画を融合。20世紀幻想芸術を発展。
Schosshalde Friedhof, Bern, Bern, Switzerland
●ライナー・マリア・リルケRainer Maria Rilke(1875-1926)オーストリアの詩人。出身はチェコ。孤独者の心の友。詩風は叙情詩から哲学的境地へ。パリでロダンの秘書も務めた。詩集「ドゥイノ悲歌」、小説「マルテの手記」
Raron Churchyard, Raron(ラーロン), Valais, Switzerland
 
 
 
ウィーン
●ベートーヴェン Ludwig van Beethoven(1770-1827)ドイツ出身。ウィーンを拠点に活動した史上最高の作曲家。平民出身者として身分社会に反発、音楽に思想を込め、人類愛をうたった。ハイドン・モーツァルトと並ぶ古典派三巨匠の一人で、ロマン派音楽の先駆者。聴力を失いながらも自己の様式を確立。交響曲第三番「英雄」・第五番「運命」・第六番「田園」・第九番「合唱つき」、ピアノ協奏曲「皇帝」、ピアノソナタ「月光」「熱情」など傑作を多く遺した。Plot: Group 32 A, Number 29
Zentralfriedhof, Vienna, Wien Stadt, Vienna (Wien), Austria
●ブラームスJohannes Brahms(1833-1897)ドイツ・ロマン派を代表する作曲家。堅牢な楽曲構成、重厚な作風からバッハ・ベートーヴェンと共にドイツ音楽「三大B」と称される。交響曲第1番、第4番が著名。Plot: Group 32 A, Number 26
●モーツァルト Wolfgang Amadeus Mozart[cenotaph](1756-1791)オーストリアの作曲家。18世紀のウィーン古典派を代表する巨匠。5歳でピアノ曲、8歳で交響曲を作曲するなど幼少から楽才を現し、35年という短い生涯の中で600曲以上の作品を生み出した。41の交響曲、27のピアノ協奏曲、歌劇「フィガロの結婚」「ドンジョヴァンニ」「魔笛」など。Plot: 32 A ? 55
●ヨハン・シュトラウス1世 Johann Strauss(1804-1849)オーストリアの作曲家。「ワルツの父」。ウィンナ・ワルツの基礎を作った。「ラデツキー行進曲」など約250曲を遺す。Plot: Group 32 A, Number 15
●ヨハン・シュトラウス2世 Johann Strauss Jr.(1825-1899)1世の長男。「ワルツの王」。舞踏音楽のウインナ・ワルツを芸術作品にまで高め、約500曲も華やかな作品を書く。「美しく青きドナウ」「ウィーンの森の物語」、オペレッタ「こうもり」。Plot: Group 32 A, Number 27
●ヨーゼフ・シュトラウス Josef Strauss(1827.8.20-1870.7.22)1世の次男。「舞曲のシューベルト」の異名。兄ヨハンほど知名度はないが43年の生涯に詩情にあふれた約220曲を書いた。Plot: Group 32A, Number 44※女神が寄り添っている
●スッペFranz von Suppe(1819-1895)作曲家Plot: Group 32 A, Number 31
フーゴー・ウォルフHugo Wolf(1860-1903)オーストリアの作曲家。後期ロマン派ドイツ・リート(歌曲)の雄。熱烈なワグネリアン。梅毒により神経を病み狂気の中で他界。享年42。メーリケの詩による歌曲で著名。Plot: Group 32 A, Number 10
●アレクサンダー・ツェムリンスキーAlexander Zemlinsky(1871.10.14-1942.3.16)オーストリア出身の作曲家、指揮者。ウィーン市民歌劇場(フォルクスオーパー・ウィーン)の初代首席指揮者。マーラー夫人になる前のアルマに恋し作曲を指導。ナチス台頭で米国へ移住。妹はシェーンベルク夫人。「抒情交響曲」。Plot: 33.g.71 モダンすぎる墓!!
●ヴィリー・ボスコフスキーWilli Boskovsky(1909.6.16-1991.4.21)ウィーン・フィルコンサートマスターで指揮も行った。現在のニューイヤーコンサート(初演1941年1月1日)の土台を築き、クラシック界のスターとなる。ワルツ王ヨハン・シュトラウスさながらにバイオリンを弾きながら指揮をして世界の聴衆を魅了した。Plot: Group33G, Number 78 
●リゲティGyorgy Ligeti(1923.5.28-2006.6.12)ハンガリー出身の作曲家。ハンガリー動乱でウィーンに亡命。楽曲が映画「2001年宇宙の旅」で使用された。父や兄弟はナチの収容所で死亡。
●グルック Christoph Willibald Gluck(1714.7.2-1787.11.15)ドイツの作曲家。オペラの音楽と劇を密接に結びつけ、装飾的なバロック・オペラを、劇的表現に改革した近世歌劇中興の祖。歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」。Plot: Group 32 A, Number 49
●サリエリ Antonio Salieri(1750-1825)イタリアの作曲家。華麗なオペラで成功しウィーンの宮廷楽長となる。ベートーヴェン、シューベルトらを教育。映画『アマデウス』で有名。Plot: Group O, Row 1, Number 54
●シェーンベルク Arnold Schoenberg(1874-1951)オーストリアの作曲家。調性を否定した無調音楽、十二音技法を確立。1933年、ナチス台頭により米国亡命。「浄夜」「グレの歌」「月に憑かれたピエロ」。Plot: Group 32 C, Number 21A
●ケッヘルLudwig von Kochel(1800-1877)音楽学者。1862年にモーツァルトの全作品目録を出版。整理番号はケッヘル番号として現在も使われている。
Zentralfriedhof, Vienna, Wien Stadt, Vienna (Wien), Austria//Lageplan der Gruppe 16
●ファルコFalco (1957.2.19-1998.2.6/Johann Holzel)オーストリアのミュージシャン。自動車事故により40歳で他界。「ロック・ミー・アマデウス」。ガラスの肖像画墓 Plot: Group 40, # 64
●Neff Dorothea(1903.2.21-1986.7.27)ドイツの性格女優。1967年に失明しても活動を続けた。※墓にデスマスクだけ
Zentralfriedhof, Vienna, Wien Stadt, Vienna (Wien), Austria
●ゲリ・ラウバル Angela Maria 'Geli'Raubal(1908.6.4-1931.9.18)ヒトラーの異母姉アンジェラの娘(姪)。“Geli(ゲリ)"。ヒトラーからの愛と嫉妬に苦しみ、ヒトラーのピストルで自殺した。
Zentralfriedhof, Vienna, Wien Stadt, Vienna (Wien), Austria// Plot: Group 23E, Row 2, Number 73
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●ベートーヴェン Ludwig van Beethoven[original burial site]最初の埋葬地。
●シューベルトSchubert, Franz [original burial site]最初の埋葬地。
Wahringer Friedhof (Defunct), Vienna, Wien Stadt, Vienna (Wien), Austria
Plot: Location now called Schubert Park, Vienna
●クリムトGustav Klimt(1862-1918)オーストリアの画家。1897年(35歳)、ウィーン分離派を結成。世紀末の雰囲気を表現した華麗な装飾画や人物画を制作。「接吻」
Hietzinger Friedhof, Vienna, Wien Stadt, Vienna (Wien), Austria Plot: Section 5
●アルバン・ベルクAlban Berg(1885.2.9-1935.12.24)作曲家。新ウィーン楽派。シェーンベルクに師事。ヴェーベルンと共に無調音楽を経て十二音技法の中に調性を織り込む。
Hietzinger Friedhof, Vienna, Wien Stadt, Vienna (Wien), Austria
●モーツァルトWolfgang Amadeus Mozart(1756-1791)
Saint Marxer Friedhof Cemetery*, Vienna, Wien Stadt, Vienna (Wien), Austria
●ヴィヴァルディAntonio Vivaldi(1678-1741)[memorial]バロック期のイタリアの作曲家。急・緩・急の3楽章からなる独奏協奏曲の形式を確立し、バッハなど次世代に大きな影響を与えた。「調和の霊感」、バイオリン協奏曲集「和声と創意の試み」(「四季」を含む)など。
Memorial table of original grave on the Karlsplatz, Vienna, Wien Stadt, Vienna (Wien), Austria
●アントン・カラス Anton Karas(1906.7.7-1985.1.10)チター奏者。「第三の男」を演奏。
Friedhof Sievering, Sievering, Wien Stadt, Vienna (Wien), Austria//Plot: Group 28. Row 9. Grave 9.
●マーラー Gustav Mahler(1860-1911)オーストリアの作曲家・指揮者。ボヘミア生れ。ロマン派最後の世代。作品はこの世にあって彼岸の世界。諦観の境地、厭世的。ボヘミア民謡やユダヤ音楽を取り入れた大編成の交響曲と歌曲に独自の世界を開拓。歌劇場の指揮者としても活躍。「巨人」「復活」など10曲の交響曲のほか歌曲集「さすらう若人の歌」「なき子をしのぶ歌」など。
Grinzinger Friedhof, Vienna, Wien Stadt, Vienna (Wien), Austria//Plot: Group 6, Row 7, No.1
●ハンス・ヨハン・アスペルガーHans Johann Asperger(1906.2.18-1980.10.21)小児科医、医学理論家。アスペルガー症候群、自閉症を発見。
Friedhof Neustift am Walde, Neustift am Walde, Wien Stadt, Vienna (Wien), Austria
●ハイドン Joseph Haydn[original burial site](1732.3.31-1809.5.31)作曲家。“交響曲の父"。
Hundsturmer Friedhof (Defunct), Vienna, Wien Stadt, Vienna (Wien), Austria//Plot: Site now Haydn Park, Vienna
●エゴン・シーレ Egon Schiele(1890-1918)世紀末ウィーンを代表するオーストリア表現主義の画家。激しい筆づかいで官能性を帯びた戦慄の裸体を描き、人間存在の不安を表現した。スペイン風邪によって28歳で夭折。「抱擁」「家族」など。クリムトは友人。
Friedhof Ober St. Veit, Ober-Sankt-Veit, Wien Stadt, Vienna (Wien), Austria//Plot: Section B
●フェルディナント・ポルシェ Dr. Ferdinand Porsche(1875.9.3-1951.1.30)自動車技師。20世紀最高の自動車設計者。ポルシェ創設者。史上最も成功した大衆車フォルクスワーゲン・ビートルなど、自動車史に残る傑作車を多数設計。独軍ティーガーI、ティーガーII、エレファント重駆逐戦車や風力発電機も手がけた。口癖は「技術的問題を解決するためには美的観点からも納得のいくものでなければならない」。同じ墓所に息子のアントン、孫で名車911やカレラを設計したアレクサンダーも眠る。
Schuttgutkapelle, Porsche Family Estate, Zell am See(ツェルアムゼー), Zell am See Bezirk, Salzburg, Austria
●ウェーベルンWebern Anton(1883.12.3-1945.9.15)前衛音楽家。新ウィーン楽派。喫煙のためにベランダに出てタバコに火をつけたところを、オーストリア占領軍の米兵が闇取引の合図と誤解し射殺。墓の文字がカッコ良い。
Mittsersill Kirchhof, Mittersill, Zell am See Bezirk, Salzburg, Austria 
●カール・ベーム Karl Bohm(1894.8.28-1981.8.14)指揮者。モーツァルトの名手。リハーサルの厳しさで知られウィーン・フィル団員から「音楽上の弁護士(法律顧問)」と評される。
Steinfeld Friedhof Graz, Austria Plot: No. B 177
●カール・ムック Karl Muck(1859.10.22-1940.3.3)20世紀前半を代表する指揮者の一人。ワーグナーの権威。ベームと同じ墓地だが墓写真がネットに皆無。どういうこと?
 
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★1600年〜1872年までハプスブルク王家の身体はKaisergruftに、心臓はAugustiner教会地下室の壷に、内臓はシュテファン大聖堂地下室の銅の壷に埋められた。
 
【Kapuzinergruft(カプツィナー霊廟、ウィーン)】Kapuzinergruft, Vienna, Wien Stadt, Vienna (Wien), Austria
●フランツ1世 Franz I (1708.12.8-1765.8.18)神聖ローマ皇帝在位1745年-1765年。母はルイ14世の弟の子。1736年、当時の王室としては異例の恋愛結婚でマリア・テレジアと結ばれ、自領ロートリンゲン(ロレーヌ)公国からウィーンに来た。2人の間にはヨーゼフ2世、レオポルト2世、マリー・アントワネットなど16人(男子5人、女子11人)の子が生まれた。1745年に即位。外国から来たという理由で宮廷の内外で軽んじられていたが、温かな人柄、陽気で親しみやすい性格で良き父親だった。神聖ローマ皇帝位は長男ヨーゼフ2世が継いだ。
●マリア・テレジアMaria Theresia[body without entrails](1717.5.13-1780.11.29)オーストリアの君主、神聖ローマ皇帝妃。ハプスブルク家。神聖ローマ帝国を夫フランツ1世や長男ヨーゼフ2世と共同統治。在位1740〜80年。皇帝カール6世の長女。1736年にのちの皇帝フランツ1世と恋愛結婚し、ヨーゼフ2世やレオポルド2世、マリー・アントワネットなど16人の子をもうけた。1745年に夫が神聖ローマ皇帝となる。内政改革により中央集権体制を強化、軍事力を回復させる。外交ではフランスと同盟し、ロシアとも協力関係を結んでプロイセンに対抗した。1765年に夫が死ぬと息子ヨーゼフ2世が即位。教会特権をおさえてイエズス会を解散させ、修道院の新設を禁止し、農村各地に小学校を設置した。大臣たちの意見をただしく判断する洞察力をそなえていた。カトリックの啓蒙君主。夫の死後、マリアは没するまで15年間喪服を着用した。
●ヨーゼフ2世 Joseph II(1741.3.13-1790.2.20)神聖ローマ皇帝(在位:1765-1790)。啓蒙専制君主の代表的人物。急進的改革から「民衆王」「皇帝革命家」とも。オーストリア大公、ハンガリー王、ボヘミア王。神聖ローマ皇帝フランツ1世とマリア・テレジアの長男。マリー・アントワネットの兄。姉3人に続いて生まれた男子であり母から溺愛。母の元婚約者候補プロイセン王フリードリヒ2世(啓蒙王)を崇拝し母を悲しませる。1765年(24歳)、父フランツ1世が没し皇帝に選出、母と共同統治を行う。1770年、亡き先妻イザベラとの長女マリア・テレーゼが7歳で夭折。1780年(39歳)、母が他界し単独統治を開始。翌年に農奴制を廃止(農奴解放令)。宗教寛容令を発布し、ルター派、正教会の信者にも公民権上の平等を認める一方、多くの修道院を解散させて資産を国庫に入れ財政を富ませた。ウィーン総合病院を開設し、王領プラーター公園を市民に開放した。1790年、フランスで革命が激化する中で病死。多くの改革が抵抗勢力=貴族に阻まれたことから、自ら選んだ墓碑銘は「よき意志を持ちながら、何事も果たさざる人ここに眠る」。弟レオポルト2世が帝位継承。
※映画『アマデウス』に登場。モーツァルトを宮廷音楽家として雇う。ヨーゼフ2世が出した葬儀簡素令によりモーツァルトの遺体は所在不明に…。
http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?GRid=7178&page=gr //Plot: Buried in front of his parents, Maria-Theresia-Gruft
●Maria Theresia Habsburg[body without entrails](1762.3.20-1770.1.24)7歳で他界。棺の彫刻に。フランツ1世の息子ヨーゼフ2世とイザベラの子。
●フランツ・ヨーゼフ1世 Franz Joseph I(1830.8.18-1916.11.21)オーストリア皇帝、在位1848〜1916年。オーストリア皇帝フェルディナント1世の弟フランツ・カール大公の長男。1854年、バイエルン公マクシミリアンの娘エリーザベトと結婚。イタリア独立戦争や普墺戦争に敗北後、ハンガリーの自治要求をうけいれ、対等な立場で二重帝国をつくることに合意。晩年には一人息子で帝位継承者のルドルフ大公が自殺、98年には皇后エリーザベトがイタリアの無政府主義者に暗殺された。さらに1914年、ルドルフにかわって帝位継承者となった甥フランツ・フェルディナントがセルビアの民族主義者に暗殺された。ブルックナーと面識あり。
●ルドルフ大公 Rudolf 'Crown Prince Rudolf'Habsburg(1858.8.21-1889.1.30)オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の皇太子。ハプスブルク=ロートリンゲン家の世継ぎとして周囲に期待されたが、自由主義に走って貴族批判を行い、父帝との反目などから孤立し、男爵令嬢マリー・フォン・ヴェッツェラと情死したが、暗殺とも言われている。享年30歳。
http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=7177 //Plot: Interred next to his parents, Franz-Josephs-Gruft
●フランツ・フェルディナンド・ハプスブルク Franz Ferdinand Habsburg[cenotaph](1863.12.18-1914.6.28)従兄のルドルフ大公が情死したため、オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子となった。サラエヴォでセルビア人民族主義者によって暗殺され、これがWW1のきっかけになった。
 
【Saint Stephen's Cathedral】Habsburg Entrails:内臓
フェルディナント3世、レオポルド1世、カルル6世、マリア・テレジアなどが銅の壷に。
Saint Stephen's Cathedral, Vienna, Wien Stadt, Vienna (Wien), Austria //Plot: Crypt
 
Augustinerkirche】Habsburg Hearts:心臓 //Plot: Loreto Chapel
 
ザルツブルク
●レオポルト・モーツァルト Leopold Mozart(1719.11.14-1787.5.28)モーツァルトの父。この父あってこそのモーツァルト。史上初のバイオリン教則本を書いた音楽理論家でザルツブルクの宮廷副楽長。息子の楽才を早くから見抜き、6歳にして女帝マリア・テレジアの御前演奏会を実現。7歳から3年半にわたって、ドイツ、オランダ、ベルギー、フランス(ルイ15世の御前)、イギリス、スイスに演奏旅行させ、各地の最先端の音楽を吸収させた。神童モーツァルトがロンドンの演奏会(3時間)で得た収入は、レオポルトの年収の8年分に匹敵したという。
●コンスタンツェ・モーツァルト Constanze Mozart(1762.1.5 -1842.3.6)モーツァルトの妻。中央の墓石。
Saint Sebastian's Cemetery, Salzburg, Salzburg Stadt, Salzburg, Austria
Plot: Enter cemetery through entrance on Linzergasse. Walk towards the mausoleum in the center. Grave is third headstone on your left.
●グルーバーFranz Xaver Gruber (1787.11.25-1863.7.6)小学校の先生。讃美歌「きよしこの夜」を作曲。
Gruber Museum, Niederarnsdorf, Salzburg-Umgebung Bezirk, Salzburg, Austria//Plot: Near museum entrance 
●カラヤンHerbert von Karajan(1908-1989)「帝王」と呼ばれたオーストリアの指揮者。ベルリン・フィルの常任指揮者、ウィーン国立歌劇場総監督として時代に君臨。幅広いレパートリーを持ち、録音に意欲的だった。
Friedhof neben der Pfarrkirche Anif, Anif, Salzburg-Umgebung Bezirk, Salzburg, Austria
https://www.findagrave.com/memorial/4625
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●カール・ベーム Karl Bohm(1894.8.28-1981.8.14)指揮者。モーツァルトの名手。リハーサルの厳しさで知られウィーン・フィル団員から「音楽上の弁護士(法律顧問)」と評される。
Steinfeld Friedhof, Graz, Graz Stadt, Styria (Steiermark), Austria//Plot: No. B 177
●カール・ムック Karl Muck(1859.10.22-1940.3.3)20世紀前半を代表する指揮者の一人。ベームと同じ墓地だが墓写真がネットに皆無。どういうこと?
Steinfeld Friedhof, Graz, Graz Stadt, Styria (Steiermark), Austria
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●ハイドン Joseph Haydn(1732-1809)オーストリアの作曲家。106曲もの交響曲を書いた“交響曲の父"。弦楽四重奏曲や交響曲の形式を大成して古典派様式を確立し、モーツァルトやベートーヴェンに多大な影響を与えた(その両者と共にウィーン古典派三巨匠の一人と称えられる)。1797年にナポレオン軍のオーストリア侵攻に対抗して書いた「皇帝賛歌/神よ、皇帝フランツを守り給え」(弦楽四重奏曲第77番「皇帝」第2楽章は現在のドイツ国歌68曲の弦楽四重奏曲、62曲のピアノ・ソナタ、オペラ、宗教曲、ダンス音楽、あらゆるジャンルで作曲し、総数は約1000曲(現存約700曲)にのぼる。オーストリア東端のアイゼンシュタットに居城を持つハンガリーのエステルハージ侯爵の宮廷楽長。エステルハージ宮はウィーンから40km離れていたが、楽譜出版により名声はヨーロッパ中に広がった。1781年(49歳)、25歳のモーツァルトと親しくなり、モーツァルトから6つの弦楽四重奏曲(ハイドン・セット)を献呈されるなど交流を深め、モーツァルト死後は遺児の音楽留学に尽力する。1809年ナポレオン軍のウィーン侵攻の砲弾が降り注ぐ中で死去。1759年に27歳で最初の交響曲を書き、77歳で没するまで創作意欲が衰えることがなかった。遺体は熱烈な崇拝者の手で密かに頭部を切り離され、脳容量の研究対象にされたが、約150年を経た1954年に、無事に胴体の元へ戻った。代表作にオラトリオ「天地創造」、交響曲ではロンドンで披露した第94番「驚愕」、第100番「軍隊」、第101番「時計」、第103番「太鼓連打」、第104番「ロンドン」など、ハイドンを英国に招いた興行師の名にちなんだ“ザロモン・セット"の人気が高い。気取りのない人柄と作風から、人々に“パパ・ハイドン"と慕われた。
Bergkirche, Eisenstadt, Eisenstadt Stadt, Burgenland, Austria//Plot: Private Mausoleum
Plot: *Second burial site, crypt beneath the church. Reinterred in private mausoleum in 1932
●マクシミリアン1世 Maxmilian of Habsburg, I(1459.3.22-1519.1.12)神聖ローマ皇帝(在位:1493年 - 1519年)。マクシミリアン大帝。ハプスブルク家繁栄400年の基礎を築く。芸術を保護し武勇もあり「中世最後の騎士」と謳われる。多民族国家を形成。皇帝フリードリヒ3世と皇后エレオノーレの長男。墓所は聖ゲオルグスカペル(1460)の霊廟。心臓だけはブリュージュ(ブルッヘ)の聖母教会にある愛妻マリーの墓に共に埋葬された。
St. Georgs-Kapelle,Wiener Neustadt
●ブルックナー Anton Bruckner(1824-1896)オーストリアの作曲家。後期ロマン派音楽を代表する一人。宇宙的スケールともいえる独自の重厚な交響曲(11曲)で著名。ミサ曲も作曲。
Stift Sankt Florian, Linz, Linz Stadt, Upper Austria (Oberosterreich), Austria//Plot: Beneath the organ (at his request)
●【Not墓参】Alois Hitler(1837.6.7-1903.1.3)/ Klara Hitler(1860.8.12-1907.12.21) ヒトラーの父母。父アロイスはオーストリア=ハンガリー帝国税関職員(リンツ税関)。先妻2人に先立たれ、クララは3番目の妻。アドルフが14歳のときにアロイスは65歳で他界。その3年後にクララは癌により47歳で没した。ネオナチの巡礼地にならぬよう、墓石はヒトラーの親類の申し立てで近年撤去された。
Leonding Cemetery, Leonding, Linz-Land Bezirk, Upper Austria (Oberosterreich), Austria
●レハールFranz Lehar(1870.4.30-1948.10.24)ハンガリー出身のオーストリアの作曲家。ヨハン=シュトラウス2世に続いてウィーン・オペレッタの代表的作曲家となった。「メリー・ウィドウ」「金と銀」
Friedhof Bad Ischl, Bad Ischl, Gmunden Bezirk, Upper Austria (Oberosterreich), Austria//Plot: Wall Crypt
●フリードリヒ・グルダFriedrich Gulda(1930.5.16-2000.1.27)オーストリア出身。20世紀を代表する巨匠ピアニストの一人。バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン演奏の名手で、ベートーヴェンのピアノソナタを3度も全曲録音している。好奇心旺盛で40代に入ってジャズにも傾倒した。「モーツァルトの誕生日に死にたい」と公言し、実際にモーツァルトの誕生日に心臓発作で他界した。享年69。2人目の妻は日本人。
Friedhof Steinbach am Attersee, Steinbach am Attersee, Vocklabruck Bezirk, Upper Austria (Oberosterreich), Austria
マクシミリアン・シェルMaximilian Schell(1930.12.8-2014.2.1)俳優。「ニュールンベルク裁判」でアカデミー主演男優賞。「戦争のはらわた」
Preitenegg Cemetery, Preitenegg(プライテネック), Wolfsberg Bezirk, Carinthia (Karnten), Austria//Plot: Buried near his sister Maria Schell.
●ハインリッヒ・ハラーHeinrich Harrer(1912.7.6-2006.1.7)オーストリアの登山家、写真家。アイガー北壁の初登攀に成功後、ヒマラヤ遠征ドイツ隊に参加。第二次世界大戦の勃発でカラチ(現パキスタン)にて拘束されるも、チベットに脱走。その地で幼少のダライ・ラマ14世と交流を持った。「セブン・イヤーズ・イン・チベット」
 
★リヒテンシュタイン
オスカー・ウェルナーOskar Werner(1922.11.13-1984.10.23)俳優。トリュフォー監督の「華氏451」「突然炎の如く」に出演。奇しくもトリュフォー死去の2日後に心臓発作で他界。
Triesen Cemetery, Triesen(トリーゼン), Liechtenstein
 
 
★ボスニア・ヘルツェゴビナ サラエボ
●ガヴリロ・プリンツィプ Gavrilo Princip(1894.7.13?25?-1918.4.28)ボスニア系セルビア人の民族主義者。1914年6月28日、サラエヴォでオーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公を暗殺するサラエボ事件を起こした。この暗殺事件が引き金となって、オーストリア・ハンガリー帝国およびドイツと、対立していた英仏ロシアなどの連合の間で第一次世界大戦が勃発し、数百万人が犠牲に。100年後ボスニアの首都サラエボにプリンツィプの等身大の銅像が建設された。
Saint Mark Cemetery , Sarajevo , Federation of Bosnia and Herzegovina ,Bosnia And Herzegovina
http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=6758252
●スレブレニツァ虐殺記念碑 Memorijalni centar Srebrenica /ボスニア紛争中、1995年に起きたスレブレニツァ虐殺の被害者を埋葬。犠牲者8373人のうち5800人の遺体がDNA調査で身元特定され(08年時点)、3215人がここに埋葬された。2003年に事件を記憶するためポトチャリ地区に建てられた。
Memorijalni centar Srebrenica - Poto?ari,Bosnia And Herzegovina
 
★アルバニア
●スカンデルベグ Gjergj Kastrioti Skanderbeg(1405-1468.1.17)中世アルバニアの君主。オスマン帝国に抵抗した民族的英雄。本名ジェルジ・カストリオティ(Gjergj Kastrioti)。
Saint Nicholas Church, Lezhe, Lezhe, Albania


★マケドニア
ボリス・トライコフスキTrajkovski(1956.6.24-2004.2.26)マケドニア大統領。穏健改革派として人気を集め、NATOの仲介による停戦と和平に尽力。 飛行機事故で死亡。47歳。
Butel Cemetery , Skopje , Skopje , Macedonia Plot: Alley of Great Men
 
★スロヴェニア
●カルロス・クライバー Carlos Kleiber(1930-2004)カリスマ天才指揮者。リハーサル前に徹底して作曲家の自筆譜を調べ自らの音楽とした。指揮台でバレエダンサーのように舞い、音楽と身体の動きが完全に一致。生涯フリーランスの指揮者だった。父エーリッヒも大指揮者で、父は台頭するナチスを批判し、妻とカルロス(5歳)を連れてアルゼンチンに移住した。
Cemetery of Konjsica, Slovenske Konjice, Savinjska, Slovenia
●マリー・テレーズ・シャルロット Marie-Therese-Charlotte of France(1778.12.19-1851.10.19)マリーアントワネットとルイ16世の唯一生き残った子供。
Church of Saint Mary of the Annunciation , Nova Gorica , Gori?ka(ゴリツィア) , Slovenia Plot: Bourbon family crypt
Kostanjevica Monastery Crypt
 
★クロアチア
フラニョ・トゥジマン Franjo Tu?man(1922.5.14-1999.12.10)初代クロアチア大統領。独立の父。セルビア軍の侵攻を跳ね返した国民的英雄。「連邦という檻の中で他民族が他民族を支配するのではなく、共に牢獄を出て対等に独立し協力する関係を築くべきである」
 
●ディオクレティアヌス Gaius Aurelius Valerius Diocletianus(244.12.22-311.12.3)ローマ帝国の皇帝(在位:284年-305年)。軍人皇帝時代を終わらせドミナートゥス(専制君主制)を創始、テトラルキア(四分割統治)を導入。キリスト教に対して「最後の大迫害」と呼ばれる弾圧を加え、聖職者全員の逮捕および投獄、強制的な改宗、聖書の焼却、教会破壊などの勅令を発した。処刑数千人。
墓所はスプリト(Split)のディオクレティアヌス宮殿内の聖ドミヌス大聖堂。
 
★フィンランド
●トーヴェ・ヤンソンTove Jansson (1914-2001)作家、画家。ムーミンの原作者。反ファシズムの風刺画も描いた。
Hietaniemi cemetery Helsinki Finland
グスタフ・マンネルヘイム Carl Gustaf Emil Mannerheim(1867-1951)フィンランド大統領。軍最高司令官として内戦、対ソ戦の冬戦争&継続戦争を指揮、フィンランド独立を保つ。2000年、国民からフィンランドで最も偉大な人物として選ばれた。
Hietaniemi cemetery Helsinki Finland
●シベリウス Jean Sibelius(1865.12.81957.9.20)国民的作曲家。祖国の自然と歴史に根ざした交響詩などを書いた「フィンランディア」
●アールネ・エドヴァルド・ユーティライネン Aarne Edward Juutilainen(1904.10.18-1976.10.28)フィンランドの軍人。侵攻ソ連軍との激戦「コッラーの戦い」において、少ない兵力で撃退し続けた国民的英雄。弟イルマリは「無傷の撃墜王」。
Malmin hautausmaa, Malmi, Helsinki Municipality, Uusimaa, Finland
●エイノ・イルマリ・ユーティライネンEino Ilmari Juutilainen(1914.2.21-1999.2.21)フィンランド空軍のトップエース・パイロット「無傷の撃墜王」。ソ連との冬戦争・継続戦争で、出撃437回、94機の撃墜を記録。ドイツ空軍以外では世界最高位。
Tuusulan kirkko,Kirkkotie 34, 04300 Tuusula, Finland
●シモ・ヘイヘ Simo Hayha(1905.12.17-2002.4.1)フィンランドの軍人“白い死神"。伝説の狙撃手。対ソ戦で史上最多の確認戦果505名。
Ruokolahti:ルオコラハティ, Finland
●エリアス・リョンロートElias Lonnrot(1802.4.9-1884.3.19)フィンランドの民間説話『カレワラ』の収集家。
Sammatti,Finland
Catherine (Karin Mansdotter)(1550.6.11-1612.9.13)スウェーデン女王。リアル・シンデレラ。
Turku Cathedral, Turku, Turku Municipality, Finland Proper, Finland//Plot: Kankas Chape


★エストニア
●レナルト・ゲオルグ・メリ Lennart Georg Meri(1929.3.29-2006.3.14)エストニア独立運動の指導者として活躍した後、1992年から2001年まで同国大統領を務めた。


★ラトビア
●Sergei Zholtok(1972.12.2-2004.12.3)ホッケー選手。墓が稲妻のようなデザイン。
Ivana Cemetery, Riga, Riga, Latvia Plot: section 22


★リトアニア
●ユゼフ・ピウスツキ Josef Pilsudski [Heart only](1867.12.5-1935.5.12)123年ぶりにポーランドを独立させた第二次ポーランド共和国の建国の父にして初代国家元首。過激な民族主義を標榜するナチズムを異常な思想だとして軽蔑。
http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=3984
Rasu kapines, Vilnius, Vilnius City Municipality, Vilnius, Lithuania
●首都ヴィリニュスの桜公園に杉原千畝の記念碑。古都カウナスの旧日本領事館が杉原千畝記念館になっている。
http://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g274948-d2170650-r90901017-Sugihara_House-Kaunas_Kaunas_County.html
★ロシア
●カントImmanuel Kant(1724.4.22-1804.2.12)ドイツの哲学者。「人生の苦労を持ちこたえるには三つのものが役に立つ。希望・睡眠・笑い」。合理論と経験論を統合して批判哲学を創始。認識の限界を指摘し、コペルニクス的転回を果たす。神は科学的認識の対象ではなく、信仰の対象であるとし、道徳の学として形而上学を意義づける。ケーニヒスベルク大学教授。「純粋理性批判」
Konigsberg Cathedral, Kaliningrad, Kaliningradskaya Oblast', Russian Federation
 
★ブルガリア
●カザンラクのトラキア人の墳墓…世界遺産。紀元前4世紀のレンガ造りの丸天井型地下墳墓(カタコンベ)。古代はトラキア人の首都セウトポリス近郊だった。夫婦が互いの手首をつかみ告別の身振りをしている。ヘレニズム時代のブルガリア美術のなかで、最も保存状態の良い傑作。
 
★ルクセンブルク
●ジョージ・パットン George Smith Patton Jr(1885.11.11-1945.12.21)アメリカの陸軍軍人。モットーは「大胆不敵であれ!」。ドイツ軍顔負けの「電撃戦」を実施、2週間で約1000キロを進撃。敵の補給路を遮断するため、機動力を生かして後方に回り込む戦法を駆使。ドイツ降伏の半年後、搭乗車が米軍トラックと衝突し12日後に肺塞栓症で死去。最期の言葉は「(自動車事故は)軍人の死に様ではないな」。
ヴィルヘルム・フォークト(Friedrich Wilhelm Voigt, 1849-1922)。プロシア将校のふりをして詐欺を行い有名になったドイツの靴屋。“ケーベニックの大尉”。
Cimetiere de Notre Dame, Luxembourg, Luxembourg, Luxembourg
 
★ルーマニア
アンリ・マリ・コアンダ(Henri Marie Coand?、Henri Coanda、1886-1972)ルーマニアの発明家、航空力学の先駆者にして世界初のジェット機コアンダ=1910を製作した人物。
Bellu Cemetery Photo: Henri Coanda's Grave //Calea Serban Voda nr. 249, sector 4, Bucharest, Romania
Ranked #58 of 310 Attractions in Bucharest
 
★ギリシャ 6
●ヒポクラテス Hippokrates(B.C.460-B.C.375)古代ギリシアの医師。“医学の祖"。コス島出身(トルコ沖合)。魔法や迷信から医術を解放し、経験と観察を重視する科学的医学の基礎を確立。他界まで40年間Larissa市に住み、医療を研究。1826年、大洪水の後に偶然ヒポクラテスの墓が発見され、後に墓の上にヒポクラテス像が建てられた。モニュメント正面に「医学の父、ヒポクラテス」と古代ギリシア語で書かれている。
●アリストテレスAristoteles(B.C.384-B.C.322)古代ギリシャの哲学者。プラトンの弟子で、アレクサンドロス大王の師。論理・自然・社会・芸術のあらゆる方面を研究。エウリポス海峡の海流変化を前に「エウリポスよ私を呑み込め、私はお前を理解できない」と入水。
シュリーマンHeinrich Schliemann(1822-1890)ドイツの考古学者。トロイアを始めエーゲ文明の遺跡の発見・発掘に貢献。自叙伝「古代への情熱」
テオ・アンゲロプロスTheo Angelopoulos(1936-2012)ギリシャの映画監督。長尺のワン・シーン=ワン・カットという特異な演出技法に優れる。「旅芸人の記録」「霧の中の風景」「ユリシーズの瞳」。
●カティーナ・パクシヌー Katina Paxinou(1900.12.17-1973.2.22)ギリシャの女優。「誰が為に鐘は鳴る」でアカデミー助演女優賞。
First Cemetery, Athens, Regional unit of Athens, Attica, Greece
●アドルフ・フルトヴェングラー Adolf Furtwangler(1853-1907)。ドイツの考古学者。略奪品として放棄されていた陶器の破片から、年代の特定を行う価値を認めた初の考古学者。指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの父。
First Cemetery, Athens, Regional unit of Athens, Attica, Greece
●アリストテレス・ソクラテス・オナシス(Αριστοτ?λη? Ων?ση?、Aristotle Socrates Onassis、1906年1月15日 - 1975年3月15日)海運王
Island of Skorpios Cemetery, Skorpios, Regional unit of Lefkada, Ionian Islands, Greece
Plot: Sarchphagus beside the chapel
 
★セルビア
●ニコラ・テスラ Nikola Tesla(1856.7.10-1943.1.7)クロアチア出身、米国の電気工学者。ラジオ、蛍光灯、ラジコンを発明。交流発電機・テスラ変圧器の創案者。電力輸送・無線通信に貢献。エジソンのライバル。
Nikola Tesla Museum, Belgrade, Serbia Plot: Third room 
Plot: Third room
●ガレリウス Gaius Valerius Maximianus Galerius(260-311.5.5)ローマ皇帝。在位は305年〜311年。キリスト教の迫害を解除する布告を出し、公式な弾圧は終わった。
セルビアのガムジグラード(Gamzigrad-Romuliana)の世界遺産フェリクス・ロムリアーナ。公開は4月から11月、午前8時から午後7時まで。
 
 
★チェコ 15
●ドヴォルザークAntonin Dvorak(1841-1904)ボヘミア生まれの作曲家。ほぼ独学で作曲を学び国際的に活躍。ボヘミア・アメリカ民謡を愛し、旋律民族的色彩が豊富。「新世界より」「スラブ舞曲」
●スメタナBedrich Smetana(1824-1884)チェコの作曲家。ボヘミア国民楽派の祖。歌劇「売られた花嫁」、交響詩「わが祖国」
●ミュシャAlfons Mucha(1860-1939)画家。チェコ語では“ムハ"。アール・ヌーヴォーを代表するグラフィックデザイナー。華麗な曲線を多用したエレガントな作品で知られる。連作「スラヴ叙事詩」に民族愛を込めた。
●カレル・チャペックCapek, Karel (1890-1938)作家。「ロボット」という言葉を作った。反ヒトラー作品「山椒魚戦争」
●ヴァーツラフ・ハヴェルVaclav Havel(1936.10.5-2011.12.18)チェコ共和国初代大統領劇作家。反体制勢力を結集した「市民フォーラム」を結成し、共産党政権打破(ビロード革命)の中心となる。
●カレル・アンチェル Karel Ancerl(1908.4.11-1973.7.3)アウシュヴィッツから生還した指揮者(家族は虐殺)。チェコ・フィルを世界的な楽団に成長させる。演奏旅行中に祖国にソ連軍が侵攻(プラハの春)、亡命先カナダで死去。
Vysehradsky Hrbitov, Prague, Prague Capital City, Czech Republic
●ティコ・ブラーエ Tycho Brahe(1546-1601)
天文学者。星が月より地球から遠く離れているということを証明。ケプラーの先輩。プラハの天文時計近くの旧市街広場にあるティーン教会に埋葬。
Tyn Church, Prague, Prague Capital City, Czech Republic
●ネポムクの聖ヨハネ Saint. John Nepomuk(1340-1393.3.20)
王を怒らせた聖ヨハネは拷問を受け落命。遺体はカレル橋の上から投げ捨てられた。300年経っても遺体の舌は腐らなかった。象徴は5つの星。銀2トンを使って制作された素晴らしい彫刻墓。
Saint Vitus Cathedral, Prague, Prague Capital City, Czech Republic
●Jan Palach(1948.8.11-1969.1.19)プラハ大の学生。享年21。チェコに介入したソ連軍戦車に抗議してガソリンをかぶった。国立博物館の階段で死亡。
Olsanske hrbitovy, Prague, Prague Capital City, Czech Republic
●カフカ Franz Kafka(1883-1924)作家。
New Jewish Cemetery, Prague, Prague Capital City, Czech Republic
●ジャコモ・カサノヴァ Giacomo Casanova 1725.4.2-1798.6.4ヴェネツィア出身の作家&スパイ。長身、浅黒い肌、入念にカールさせた良い香りの長髪。千人の女性とベッドを共にした伝説的プレイボーイ。欧州各地をスキャンダルで追放され、ヴェネツィアで脱獄経験あり。スパイとなってヴェネツィア帰国が許された。正確な墓石は残らず。城の背後にある墓地から公園を作った時に消失。
Santa Barbara Kapelle,Schlos Dux,Duchcov-Dux (Nordbohmen)
famous saying concerning the tomb of Giacomo Casanova
Zamek Duchcov Hrbitov(ドゥフツォフ城墓地/Hrbitovフルシビトフ=墓地), Duchcov, Ustecky, Czech Republic
Plot: Exact gravesite no longer exists. It disappeared when a park was constructed out of the cemetery behind the castle.
●メンデル Gregor Johann Mendel(1822-1884)オーストリアのカトリック司祭・植物学者。遺伝学の基礎を確立。修道院の庭でエンドウの人工交配を行い「メンデルの法則」を発見したが、生前に業績は認められなかった。没後16年経って評価された。
Central Cemetery, Brno, Jihomoravsky (South Moravia), Czech Republic
●ヤナーチェク Leos Janacek(1854-1928)作曲家。故郷モラビア地方の民謡を収集し、作品創作の源泉とした。
Central Cemetery, Brno, Jihomoravsky, Czech Republic Plot: Just off the main walkway
●フランツ・クサーヴァー・モーツァルト Franz Xaver Mozart(1791-1844)作曲家、ピアニスト。モーツァルトの末子で四男。
Composer and pianist. He worked under the name W. A. Mozart Sohn ("son of W.A. Mozart"). Son of Wolfgang Amadeus Mozart.
Saint Andrews Chapel Churchyard, Karlovy Vary(カルロビ・バリ), Karlovarsky (Karlovy Vary), Czech Republic
●ヴァーツラフ・ノイマン Vaclav Neumann(1920.9.29-1995.9.2)チェコを代表する指揮者。1989年のチェコ民主化・ビロード革命ではスメタナ「わが祖国」で反体制派を鼓舞、革命成功後にベートーベン第九を演奏した。墓所はプラハ郊外、別荘があった。フィルケー・ポポヴィツェ(Velke popovice)。
h?bitov Velke Popovice(たぶん)
 
 
★スロバキア
●アレキサンダー・ドプチェクAlexander Dubcek(1921-1992)
スロバキアの政治家。「プラハの春」(1968)のリーダー。民主化後は議会議長。自動車事故で他界。
Slavicie Udolie (Lark Valley), Bratislava, Bratislavsky, Slovakia
 
 
★ポルトガル 3
●バスコ・ダ・ガマ Vasco Da Gama(1469-1524)探検家。喜望峰(1497-1499)航路でインドルートを発見。1524年にインド総督として送られたが病気のためコーチンで死亡。体はポルトガルに運ばれた。
Monastery of Jeronimos, Lisbon, Lisboa, Portugal
●アマリア・ロドリゲス Amalia Rodrigues(1920.7.23-1999.10.6)ファドの女王。※ファドはポルトガルギターで伴奏するポルトガルの民衆歌謡。
Panteao Nacional, Lisboa, Lisboa, Portugal
パウル・ランゲルハンス Paul Langerhans(1847.7.25-1888.7.20)ドイツの病理学者、医師。後世のインスリン発見の糸口を見つけたが40歳で他界。
British Cemetery, Funchal(フンシャル), Madeira Regionマテイラ諸島), Portugal
 
 
★ノルウェー 4
●イプセン Henrik Ibsen(1828-1906)ノルウェーの劇作家、“近代劇の父"。市民劇や社会問題劇を発表。「人形の家」「ペールギュント」
Cemetery of Our Saviour, Oslo, Oslo kommune, Oslo fylke, Norway
●ムンク Edvard Munch(1863-1944)ノルウェーの画家。表現派の先駆者。人間の深層心理、死、愛、孤独といった題材を描く。代表作「叫び」
Cemetery of Our Saviour, Oslo, Oslo kommune, Oslo fylke, Norway
●フリチョフ・ナンセン Fridtjof Nansen(1861.10.10-1930.5.13)ノルウェーの探検家・政治家“難民の父"。1888年グリーンランドを横断、93〜95年フラム号で北極地方を探検、北緯86度14分の地点まで到達、極地が海洋であることを証明。また第一次大戦後は国際連盟の設立とノルウェーの加盟を推進。難民高等弁務官に就任し、捕虜45万人の交換帰国プロジェクトを成功させた。1922年、戦争難民の帰国およびウクライナ飢餓難民救済活動の功績が認められ、ノーベル平和賞を受賞。
Polhogda Private Cemetery, Lysaker, Barum kommune, Akershus fylke, Norway
Plot: Fridtjof Nansen Tomb
 
●フリードリヒ・ヤルマル・ヨハンセン Frederik Hjalmar Johansen(1867-1913.1.3)探検家。ナンセンの親友として北極探検(1893〜1896)に同行。アムンゼン(1910〜1912)との確執の後、精神的に壊れて自死。
Johannes Cemetery, Skien(シーエン), Skien kommune, Telemark fylke, Norway
 
 
★ハンガリー 8
●ショルティ Georg Solti(1912-1997)指揮者。ブダペスト生まれ。シカゴ交響楽団を育てあげ多数の名演を残す。
Farkasreti Cemetery, Budapest, Budapest Capital District, Hungary
Plot: Ashes buried next to Bela Bartok
●コダーイ Zoltan Kodaly(1882-1967)ハンガリーの作曲家。民謡をバルトークらと研究し、民族色豊かな作品を生む。音楽教育にも取り組んだ。組曲「ハーリ=ヤーノシュ」
Farkasreti Cemetery, Budapest, Budapest Capital District, Hungary Plot: 20
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ファドルス・ヤノーシュ Fadrusz Janos(1858-1903)彫刻家。墓上のキリストの磔は自身の仕事。
Kerepesi Cemetery, Budapest, Budapest Capital District, Hungary Plot: plot 28
●カンドー・カールマーン Kando Kalman(1869.7.10-1931.1.13)電気機関車の父。
Kerepesi Cemetery, Budapest, Budapest Capital District, Hungary Plot: plot 28
プシュカーシュ・ティワダル Puskas Tivadar(1844-1893)電話交換技術を発明
Kerepesi Cemetery, Budapest, Budapest Capital District, Hungary
ヨージェフ・アッティラ Jozsef Attila1905-1937.12.320世紀で最も偉大なハンガリーの詩人。Szarszo駅で投身。
Kerepesi Cemetery, Budapest, Budapest Capital District, Hungary Plot: plot 36
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●Victims of Hungarian uprising of 1956//1956年のハンガリー動乱の犠牲者400人以上が葬られる。共産時代は墓参禁止だった。墓地の角。入口のトランスシルバニア人門に『ハンガリーの魂だけはこの門を通り抜けるだろう』。
UJKOZTEMETO, Budapest, Budapest Capital District, Hungary Plot: Plot 300
●ラウル・グスタフ・ワレンバーグ Raoul Gustaf Wallenberg(1912.8.4-1947.7.17)スウェーデンの外交官。第二次世界大戦末期のハンガリーで、迫害されていたユダヤ人の救出に尽力。外交官の立場を最大限に活用して10万人にもおよぶユダヤ人を救い出すことに成功した。しかし、ドイツ撤退後に進駐してきたソ連軍に拉致されて行方不明に。ワレンバーグの捜索は現代に至るまで続けられている。
Szilagyi Erzebet fasor, Budapest, Budapest Capital District, Hungary
 
 
★ポーランド10
●クシシュトフ・キェシロフスキKrzysztof Kieslowski(1941-1996)映画監督。ワルシャワ生まれ。1979年(38歳)、『アマチュア』がモスクワ国際映画祭で金賞。1989年(49歳)、聖書の十戒をモチーフとした10編のドラマ『デカローグ』を製作、キューブリックから絶賛された。同作の一部を劇場用に編集した『殺人に関する短いフィルム』がカンヌ国際映画祭審査員賞を受賞。『ふたりのベロニカ』もカンヌで好評だった。1993年(52歳)、フランス政府の依頼を受け「自由・平等・博愛」をテーマとした『トリコロール三部作』を製作。『トリコロール/青の愛』がヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞、『トリコロール/白の愛』がベルリン国際映画祭で監督賞に輝いた。未来を期待される中、心臓発作により54歳で急死。
Powazki Cemetery, Warsaw, Mazowieckie, Poland
イェジ・アンジェイェフスキJerzy Andrzejewski(1909.8.19-1983.4.20)作家。ワルシャワ蜂起を描いた「灰とダイヤモンド」で著名。
Powazki Cemetery, Warsaw, Mazowieckie, Poland
●リシャルト・カプシチンスキRyszard Kapuscinski(1932.3.4-2007.1.23)現代ジャーナリズムの巨人。20世紀の最も偉大なジャーナリストと評価される。サルマン・ラシュディ「その辺の泣き言や空想ばかり書いているジャーナリストの連中が何千人と束になってかかってもカプシチンスキ氏たった一人にかなわない。彼のおこなったジャーナリズムと芸術のじつに見事な融合によって、彼の言うところの『決して表現され得ることのない戦争の実像』に我々読者はこれほどまでに迫ることができたのだ」
Powazki Cemetery, Warsaw, Mazowieckie, Poland ※墓が地球?
●Irena Kwiatkowska(1912.9.17-2011.3.3)女優。第二次世界大戦でワルシャワ蜂起に参加。
Powazki Cemetery, Warsaw, Mazowieckie, Poland

●ヤヌシュ・コルチャック Janusz Korczak(1878.7.22-1942.8.6)児童の権利という概念の先駆者。ユダヤ系ポーランド人。小児科医、児童文学作家。本名ヘンリク・ゴルトシュミット。1911年(33歳)からユダヤ人孤児院の院長となる。ナチスのポーランド占領後、コルチャックは子供たちを見捨てて自分だけが助かることを拒否し、恐らく収容所に到着したその日に子供たちと共にガス室で殺害された。
Cmentarz Zydowski, Warsaw, Mazowieckie, Poland  Plot: Cenotaph
●ルドヴィコ・ザメンホフ Ludoviko Lazaro Zamenhof(1859.12.15-1917.4.14)平和主義の理想を背景に人工言語・エスペラント語を考案、国際語としての普及に努めた。帝政ロシア領時代のユダヤ系ポーランド人眼科医・言語学者。
http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GSsr=81&GScid=2201560&GRid=17377928&
http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=pv&GRid=17377928&PIpi=24258681
Cmentarz Zydowski,Warsaw,Mazowieckie, Poland


●Centarz Wojskowy 軍人墓地…ポーランドの名も無き英雄たち。時代ごとに墓の形が変化。
http://rinkou.blog.so-net.ne.jp/2009-08-23

●ショパンFrederic Chopin[heart only](1810-1849)ポーランドの作曲家・ピアニスト。パリを中心に活躍。繊細で憂愁に満ちたメロディーから“ピアノの詩人"と呼ばれた。心臓が納められた墓。
Holy Cross Church, Warsaw, Mazowieckie, Poland//Plot: Location of heart only, in accordance to his wishes.
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スタニスワフ・レムStanis?aw Lem(1921.9.12-2006.3.2720世紀SF最高の作家の一人。著書は41の異なる言語に翻訳され2700万部販売。『ソラリスの陽のもとに
Cmentarz Na Salwatorski, Krakow, Malopolskie, Poland
●コペルニクスNicolaus Copernicus(1473-1543)近代天文学の父。ポーランドの天文学者・聖職者。肉眼による天体観測とギリシア思想とに基づいて、従来の天動説をくつがえす地動説を提唱。主著「天体の回転について」
Frombork Cathedral, Frombork, Warminsko-Mazurskie, Poland
●ワンダ・ランドフスカWanda Landowska(1879.7.5-1959.8.16)ポーランドの女性チェンバロ奏者。忘れられた楽器だったチェンバロを現代に復活させた立役者。ドイツ軍の侵攻で米国に移住。
Czersk Cemetery,Gdansk,Pomorskie, Poland
●アルマ・ロゼ Alma Rose(1906.11.3-1944.4.4)オーストリアのバイオリン奏者。アウシュヴィッツで囚人オーケストラを編成・指揮し、ユダヤ人音楽家が少しでも生き延びられるように図った。死因は食中毒。彼女の在職中はオーケストラのメンバーに死者がいなかった。母親はマーラーの妹ユスティーネ。※オーケストラは朝と夕方にゲートにて演奏で囚人を送迎。囚人とSSのために週末コンサートを開いた。ロゼはメンゲレやクラマーに尊敬され、個室を与えられ、団員が病気になると診察してもらえた。1944年に食中毒で死亡したと推定されている。戦前の1932年に女性楽団員のみのオーケストラを結成している。
●Kurt Gerron(1897.5.11-1944.10.28)俳優
Auschwitz Death Camp, Oswiecim, Malopolskie, Poland
●マキシミリアノ・コルベ Maksymilian Maria Kolbe(1894.1.8-1941.8.14)ポーランドのカトリック司祭。「アウシュビッツの聖者」と呼ばれる。コルベはユダヤ人ではなかったが、発行した日刊紙でナチス批判を行ったことから逮捕された。囚人番号は16670。収容所から脱走者が出た際、その罰として10人が餓死刑に処せられることになり、コルベは妻子がいた男の代わりに「私はカトリック司祭で妻も子もいませんから」と申し出て地下牢の餓死室に押し込められた。通常の餓死刑は錯乱しつつ死亡するが、コルベの牢は祈りと歌声によって聖堂のようであったという。※Auschwitz, Cell 18
 
 
★アイルランド 10※英国とアイルランドの墓地は欧州で最も地味。
●マイケル・コリンズMichael 'Mick' Collins(1890.10.16-1922.8.22)アイルランドの独立運動を指揮した政治家、軍司令官。内戦で暗殺された。
Glasnevin Cemetery, Dublin, County Dublin, Ireland
クリスティ・ブラウンChristy Brown(1932.6.5-1981.9.6)
アーティスト、著者。ダニエル・デイ=ルイス主演の『マイ・レフト・フット』(1989)のモデル。生まれつき脳性麻痺で通常の運動・言葉ができなかったが画才を発揮、左足で絵を描いた。
Glasnevin Cemetery, Dublin, County Dublin, Ireland//Plot: St. Paul's Section, IF 50
●スウィフトJonathan Swift(1667-1745)イギリスの作家。痛烈な風刺で文壇・政界に活躍し、後年はアイルランドで聖パトリック教会の首席司祭になった。「ガリヴァー旅行記」「桶物語」「書物合戦」
Saint Patrick's Cathedral, Dublin, County Dublin, Ireland
ジョン・ボイド・ダンロップ John Boyd Dunlop(1840.2.5-1921.10.23スコットランドの発明家。空気入りタイヤを発明。ダンロップ・ラバー株式会社を設立。
IDeansgrange Cemetery, Blackrock, County Dublin, Ireland
●ヴェロニカ・ゲリンVeronica Guerin(1959.7.5-1996.6.26)犯罪組織を相手に戦って殺害されたアイルランドのジャーナリスト。『サンデー・インディペンデント』紙の女性記者。麻薬組織について調査し、ボスのジョン・ギリガンにも会うなど、非常に精力的な取材活動を行った。多くの脅しを受け、銃撃されてもなお紙面を通して奮闘しつづけたが、1996年6月26日にダブリン郊外の交差点で信号待ちをしている間に、組織の者によって至近距離から6発の弾丸を撃たれて死亡した。享年36。ゲリンの死によって麻薬撲滅の機運が高まり、議会も憲法を改正し、150人以上が逮捕され組織の資産も没収された。
Dardistown Cemetery, Cloghran, County Dublin, Ireland
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●ロバート・ショウ Robert Shaw(1927.8.9-1978.8.28)『ジョーズ』『スティング』『007ロシアより愛をこめて』『わが命つきるとも』に出演したアイルランドの名優。
Ashes scattered near his home in Ireland
The memorial stone for Robert Shaw,Tourmakeady(トオメーケティー)
●オリバー・リードOliver Reed(1938.2.13-1999.5.2)俳優。「三銃士」「グラディエーター」※墓地の向かいの青い壁のバーで、門のカギをもらえるとのこと。
Churchtown(Bruhenny Graveyard?), Buttevant, County Cork, Ireland
Plot: His gravesite was picked so that it was in full view of his favorite pub
●ロリー・ギャラガー Rory Gallagher(1948.3.2-1995.6.14)アイルランド出身のブルース・ロック・ギタリスト。死後もロックのジャンルを超えて影響を与え続けている。
Saint Oliver's Cemetery, Cork, County Cork, Ireland
●イエーツ William Butler Yeats(1865.6.13-1939.1.28)アイルランドの詩人・劇作家。神秘的、ロマン的詩風の抒情詩。「アシーンの放浪」「塔」
Drumcliff Churchyard, Sligo, County Sligo, Ireland
●アーサー・ギネスArthur Guinness(1725-1803)ビール王。1756年にビール醸造会社を設立。大麦を黒くなるまでローストした黒ビール(ギネス・ビール)を販売。
Oughterard Churchyard, Oughterard, County Kildare, Ireland
 
 
★ベルギー 10
●ヴィクトール・オルタVictor Horta(1861.1.6-1947.9.9)曲線デザインのアール・ヌーヴォー様式を最初に建築に取り込んだ建築家。タッセル邸(1898-1901)は世界初のアールヌーヴォー建築作品。世界遺産に登録。
●アンナ・ボックAnna Boch(1848-1936)画家。ゴッホ生前に絵を買った唯一の人。
●Jean-Baptiste Moens(1833-1908)切手コレクションの父。最初にカタログを発行。
Ixelles(レル) Cemetery, Ixelles, Arrondissement Brussel, Brussels-Capital Region, Belgium
●マグリットRene Magritte(1898-1967)ベルギーの画家。シュールレアリスム運動に参加し、日常と非日常を融合させた詩的な幻想世界を描いた。「大家族」
Schaarbeek Cemetery, Schaarbeek(シャールビーク), Arrondissement Brussel, Brussels-Capital Region, Belgium//avenue Jules Bordet Schaarbeek
●ブリューゲルPieter Brueghel the Elder(1525-1569)フランドル派最大の画家。風俗画の中に複雑な寓意を込めた。農民を多く描き「農民ブリューゲル」の異名。「農民の結婚」「雪中の狩人」。大作「バベルの塔」。※同じ名の息子と区別して「大ブリューゲル」
Church of Notre Dame de la Chapelle, Brussels, Arrondissement Brussel, Brussels-Capital Region, Belgium
ファン・デル・ウェイデンRoger van der Weyden(1400-1464.6.18)初期フランドル派の画家。15世紀当時もっとも成功し、国際的な名声を得ていた。
Cathedral of Saint Michael and Saint Gudula , Brussels , Arrondissement Brussel , Brussels-Capital Region , Belgium
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●ルーベンスPieter Rubens(1577-1640)フランドルの画家。二千点もの作品を描いたバロック様式の代表的画家。様々な題材を壮大な画風で描いた。“フランダースの犬"でネロが尊敬。「マリ=ド=メディシスの生涯」(注)墓は足下にある。
Saint Jakobskirche, Antwerp, Arrondissement Antwerpen, Antwerp (Antwerpen), Belgium
●ナザレのイエスJesus of Nazareth [alleged bloodspots]Messiah of Christianity.キリストの血液はフランドル伯ティエリーが第2回十字軍から持ち帰った。
Basilica of the Holy Blood*, Bruges, Arrondissement Brugge, West Flanders (West-Vlaanderen), Belgium
ヤン・ファン・エイク Jan Van Eyck(1390-1441)油絵具を最初に使用した著名画家。作品に制作日付と署名を書き入れることも始めた。シント・バーフ大聖堂『ヘントの祭壇画』は北ヨーロッパ写実主義の最終到達点!聖堂の前庭に兄フーベルトとの兄弟像あり。聖ドナトゥス協同教会はフランス革命の余波で破壊されたが再建された。※改葬前はブルージュのSaint Salvator's Cathedralに墓があった。
Sint-Baafs Kathedraal, Ghent(ヘント), Arrondissement Gent, East Flanders (Oost-Vlaanderen), Belgium
●モーリス・ベジャール Maurice Bejart(1927.1.1-2007.11.22)フランスのバレエ振付家。集団バレエによる壮大な作品を発表。「ボレロ」「春の祭典」「火の鳥」など傑作多数。
※Cremated, Ashes scattered at sea, Ashes scattered near the coast at Ostend, Belgium
 
 
★デンマーク
 10
●アンデルセンHans Christian Andersen(1805-1875)童話作家。「人魚姫」「醜いアヒルの子」「親指姫」など150編以上の童話で著名。小説「即興詩人」。デンマーク語名はアナセン。前半生は貧困に苦しみ失敗を繰り返し、大変な苦労人。※グリムは伝承童話、アンデルセンは創作童話が多い。
●セーレン・キルケゴールSoren Kierkegaard(1813-1855)哲学者
●ケニー・ドリューKenneth Sidney "Kenny" Drew(1928.8.28-1993.8.4)NY出身のハード・バップピアニストメロディアスかつ優しいタッチで人気に。
●ベン・ウェブスターBenjamin Webster(1909-1973)テナー・サックス奏者。コールマン・ホーキンス、レスター・ヤングと共にスウィング期の3大テナーの一人。
ラスムス・ラスクRasmus Rask(1787.11.22-1832.11.14)言語学者※板碑と壺が融合!
カーレン・ヨンソンKaren Jonsson(1909.1.17-1942.12.2)女性ピアニスト、作曲家。墓にピアノ鍵盤
Assistens Cemetery, Copenhagen, Hovedstaden, Denmark// Plot: R-1
●ニールセンCarl Nielsen(1865-1931)デンマークを代表する作曲家。交響曲「不滅」
Vestre Kirkegard, Copenhagen, Hovedstaden, Denmark
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●アブサロンAbsalon(1127-1201.3.21)デンマーク大司教政治家。自ら海賊を退治。コペンハーゲンを築く。中世の特筆すべき大人物の一人。
Soro klosterkirkeソーレー修道院(Church of Soroe Cloister), Ringsted, Sjaeland, Denmark
オーレ・キアク・クリスチャンセン Ole Kirk Christiansen(1891.4.7-1958.3.11レゴグループ創設者。もともとは大工で木製の玩具を制作。レゴの社名はデンマーク語の「leg godt」(よく遊べ)から。またラテン語でレゴは「まとめられる」の意。1950年代に息子Godtfredがレゴ・レンガを開発した。
ヨハン・オットー・フォン・スプレッケルセン Johan Otto Von Spreckelsen(1929.5.4-1987.3.16デンマーク出身の建築家。パリのニュー凱旋門を設計。
Horsholm Kirkegard, Horsholm, Hovedstaden, Denmark
 
★オランダ 14
●レンブラントRembrandt Van Rijn(1606.7.15-1669.10.4)
オランダの画家“光と闇の魔術師"。ルーベンス・ベラスケスと並ぶ17世紀の代表的画家。光の明暗や独特のセピア色の色彩を用いて人間の深い精神性を表現。現在「レンブラント光線」と呼ばれるスポット照明を駆使。「夜警」「自画像」「トゥルプ博士の解剖学講義」など優れた肖像画を残す。銅版画でもエッチング技法を完成。ライデン生まれ。
Westerkerk, Amsterdam, Amsterdam Municipality, Noord-Holland, Netherlands
●Saskia van Uylenburgh(1612.8.2-1642.6.14)レンブラントの妻
Oude Kerk (Old Church), Amsterdam, Amsterdam Municipality, Noord-Holland, Netherlands
●アニー・M.G. シュミットAnnie Schmidt(1911.5.20-1995.5.21)「オランダの児童文学の女王」と称えられる、アンデルセン賞受賞の作家。※墓石の文字がグルグル!
Amsterdam Begraafplaats Zorgvlied, Amsterdam, Amsterdam Municipality, Noord-Holland, Netherlands
●ハイネケンGerard Adriaan Heineken(1841.9.29-1893.3.18)ハイネケン創業者。
 
テオ・ファン・ゴッホ Theo Van Gogh(1957.7.23-2004.11.2)本名Theodoor。オランダ出身の映画監督。ヴィンセントの弟テオドルスのひ孫。2004年、イスラム社会を侮辱したという理由で、モロッコ系青年に惨殺された。享年47。
Amsterdam De Nieuwe Ooster, Amsterdam, Amsterdam Municipality, Noord-Holland, Netherlands
 
●アンソニー・フォッカー Anthony Fokker(1890.4.6-1939.12.23)初期の航空開発者。インドネシア生まれのオランダ人。1910年にドイツでフォッカー社を設立。第一次世界大戦の際、リヒトホーフェン(レッドバロン)の乗機フォッカー Dr.Iなどの戦闘機を製作。戦後、渡米してアトランティック航空を創業。肺炎により49歳で他界。※墓が鳥
Begraafplaats & Crematorium Westerveld, Driehuis, Velsen Municipality, Noord-Holland, Netherlands
●キリル・コンドラシン Kirill Kondrashin(1914.3.6-1981.3.7)モスクワ出身の指揮者。世界で初めてショスタコーヴィチの交響曲全集を録音。オランダで西側に亡命、3年後に心臓発作。
Begraafplaats & Crematorium Westerveld, Driehuis, Velsen Municipality, Noord-Holland, Netherlands//Plot: Grave # MM008
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アントニー・レーウェンフック Antony Leeuwenhoek(1632.10.24-1723.8.26)科学者。「微生物学の父」。初めて顕微鏡微生物を観察し、微生物を発見した。後に精子も見つけた。デルフト生まれ。
Oude Kerk (Old Church), Delft, Delft Municipality, Zuid-Holland, Netherlands
●フェルメールJohannes Vermeer(1632-1675)オランダの画家。柔らかい光の中で市民の情景を描いた。フェルメール・ブルーが人々を魅了。現存は37点しかない。「牛乳をつぐ女」「デルフトの眺望」
Oude Kerk (Old Church), Delft, Delft Municipality, Zuid-Holland, Netherlands//Plot: Specific location not marked
 
●バールーフ・デ・スピノザ Baruch De Spinoza(1632.11.24-1677.2.21)オランダのユダヤ系哲学者。自然の秩序を理解し、感情を統御することで至福が得られるとした。神学者でありながら無神論者のレッテルを貼られ、ユダヤ教団を破門。レンズ磨きで生計を立てる。デカルト、ライプニッツと共に合理主義を代表。「エチカ」「知性改善論」
Nieuwe Kerk (New Church),Delft,Delft Municipality,Zuid-Holland, Netherlands
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●エッシャー Maurice Cornelis Escher(1898.6.17-1972.3.27)オランダの版画家。幾何学的アプローチで錯視的な独自の作品世界。
Baarn Algemene Begraafplaats, Baarn, Baarn Municipality, Utrecht, Netherlands
ヴィルヘルム2世 Wilhelm II (1859.1.27-1941.6.4)ドイツ帝国の最後の皇帝。在位1888-1918年。ホーエンツォレルン家。父は在位99日で死亡したフリードリヒ3世。29歳でドイツ皇帝となった。即位後、親政のために宰相ビスマルクを解任。ドイツを農業国から工業大国に急速に発展させた。1914年(55歳)に第1次世界大戦が始まると、ヒンデンブルク元帥とルーデンドルフ将軍が軍を指導。1918年、敗戦の色が濃くなると、国民や軍にドイツ革命の機運が広がった。結果、ウィルヘルム2世は退位してオランダに亡命。ここに、ブランデンブルク選帝侯、プロイセン王、ドイツ皇帝を輩出した11世紀からの名門、ホーエンツォレルン家のドイツ支配は終わった。余生をオランダのドールン城で過ごすなか、ドイツは共和制(ワイマール共和国)へ移行。その後、ヒトラーが台頭し、1940年にナチス・ドイツ軍によるオランダ占領を目撃することに。翌年、他界。享年82。カイザー・ウィルヘルム。
Huis Doorn, Doorn(ドールン), Utrechtse Heuvelrug Municipality, Utrecht, Netherlands
●シルヴィア・クリステル Sylvia Kristel(1952.9.28-2012.10.17)オランダのモデル・女優。1973年(21歳)ミス・テレビ・ヨーロッパ・コンテストで優勝。翌年『エマニュエル夫人』でブレイク。蘭語、英語、仏語、独語、伊語を話した。
Utrecht Sint-Barbara Roman Catholic Cemetery, Utrecht, Utrecht Municipality, Utrecht, Netherlands
Plot: Vak H2, rij 1, graf 19
●フランス・ハルス Frans Hals(1580-1666.8.29)17世紀オランダ絵画黄金時代の肖像画家。筆触をあらわにして巧みに性格描写。マネとゴッホに影響を与える。
Saint Bavo Church, Haarlem(ハールレム), Haarlem Municipality, Noord-Holland, Netherlands
●Guusje Nederhorst(1969.2.4-2004.1.29)オランダの人気女優。夫はオランダのロックスターDinad Woesthoff。ガンにより34歳で他界。※お墓が仏像!
Saint Petrus Cemetery, Scheveningen(スケベニンゲン), Den Haag Municipality, Zuid-Holland, Netherlands
●マリア・モンテッソーリ Maria Montessori(1870.8.31-1952.5.6)イタリアの医学博士、幼児教育者、科学者、フェミニスト。子どもの自主性を尊重するモンテッソーリ教育法の開発者。
Noordwijk-aan-Zee,Noordwijk(ノールトウェイク・アーン・ゼー), Municipality,Zuid-Holland, Netherlands//Plot: Unknown
 
 
★スウェーデン 19
●イングリッド・バーグマンIngrid Bergman(1915-1982)スウェーデン生れの女優。「カサブランカ」「誰が為に鐘は鳴る」「ガス灯」
Norra begravningsplatsen (Northern Cemetery), Solna, Solna kommun, Stockholms lan, Sweden
Plot: Section Kv 11F, grave 228 -11573
【MAP】 http://norrabegravningsplatsen.se/karta/ // http://norrabegravningsplatsen.se/wp-content/photos/karta.png
●ノーベルAlfred Nobel(1833-1896)スウェーデンの化学者。ダイナマイト・無煙火薬の発明者。遺言によってノーベル賞が創設された。
Norra begravningsplatsen (Northern Cemetery), Solna, Solna kommun, Stockholms lan, Sweden
Plot: Section Kv 4A, grave 170
サロモン・アンドレー Salomon August Andree1854.10.18-1897.10.17以降)スウェーデン探検家技師。水素気球エルネン号でカメラマンのニルス・ストリンドベリ&技術者クヌート・フレンケルと気球北極飛行を試みるも遭難1897年7月11日に出発し、わずか3日後に不時着。ホッキョクグマの生肉を食べて旋毛虫症に感染し、3カ月後に衰弱死した。33年後の1930年に遺留品と3人の遺体発見。同時期に探検していたナンセンらは、熊肉を加熱調理して無事だった。
●ニルス・ストリンドベリ Nils Strindberg(1872.9.4-1897.10.17以降)カメラマン。気球北極飛行を試み遭難
●クヌート・フレンケル Knut Frankel(1870.2.14-1897.10.17以降)技術者。気球北極飛行を試み遭難
Norra begravningsplatsen (Northern Cemetery), Solna, Solna kommun, Stockholms lan, Sweden
●ストリンドベリAugust Strindberg(1849-1912)スウェーデンの劇作家・小説家。同国初の自然主義小説を著す。イプセンと並ぶ北欧近代文学の先駆者。
Norra begravningsplatsen (Northern Cemetery), Solna, Solna kommun, Stockholms lan, Sweden
Plot: Section Kv 13A, grave 101 ?9136
●エルンスト・ヨセフソンErnst Josephson(1851.4.16-1906.11.22)画家。墓に自画像。仏、伊、スペインに旅行し、パリでマネの影響を受け、スウェーデンへ近代主義を導入。アカデミーに対抗し、スウェーデン美術家協会を設立。
Norra begravningsplatsen (Northern Cemetery), Solna, Solna kommun, Stockholms lan, Sweden//Plot: Jewish section
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スウェン・ヘディンSven Hedin(1865.2.19-1952.11.26)20世紀最大の探検家。中央アジア探検に多大な成果。“さまよえる湖"ロブノール移動の証明、楼蘭(ろうらん)など古代遺跡の発見。「シルクロード」
●“現代の哲学の父"デカルト(1596-1650)の最初の埋葬地。フランスに改葬され、脳はパリの「the Musee de l'Homme」にある。
●オロフ・パルメOlof Palme(1927.1.30-1986.2.28)
スウェーデンの政治家、元首相。ベトナム戦争に対する米国の介入を強く批判し、大量の兵役忌避者や脱走兵を受け入れた。ソ連の「プラハの春」に対する武力弾圧や、南アのアパルトヘイト政策、スペイン・フランコ政権による独裁政治を糾弾し、反核運動にも尽力。1986年、ストックホルムの路上にて拳銃で暗殺された。
Adolf Fredriks kyrkogard, Stockholm, Stockholms kommun, Stockholms lan, Sweden ※墓は枯山水
 
●グレタ・ガルボ Greta Garbo(1905-1990)往年の大女優。スウェーデン出身。神秘的な美貌で魅了。36歳で引退し伝説的存在となる。「肉体と悪魔」「アンナカレーニナ」「グランド-ホテル」「椿姫」「ニノチカ」
Skogskyrkogarden (The Woodland Cemetery), Enskede, Stockholms kommun, Stockholms lan, Sweden
 
●ダグ・ハマーショルドDag Hammarskjold(1905.7.29-1961.9.18)第2代国連事務総長(1953年4月-1961年9月)。国連事務局を設立し、その職責範囲を定める規則を策定。北ローデシアで墜落死。ノーベル平和賞。「国連は人類を天国に導くためではなく、地獄から救うために作られた」
●グスタフ・フレーディンGustav Froding(1860-1911)韻文を解放したスウェーデンの詩人。ドッシリ壺型の墓。
●ブルーノ・リリエフォッシュLiljefors, Bruno(1860-1939)画家。野生動物の絵。
Uppsala gamla kyrkogard, Uppsala, Uppsala kommun, Uppsala lan, Sweden
 
●カール・フォン・リンネ Carl von Linne(1707.5.23-1778.1.10)博物学者、生物学者、植物学者。「分類学の父」で、分類の基本単位である種のほかに、綱、目、属という上位の分類単位を設け、それらを階層的に位置づけた。火星を表す惑星記号の「♂」を生物学で雄(オス)を表す記号として使い始めた。同名の息子と区別するために大リンネとも表記される。
Uppsala Domkyrka (Cathedral of Uppsala), Uppsala, Uppsala kommun, Uppsala lan, Sweden
●アニタ・エクバーグAnita Ekberg(1931.9.29-2015.1.11)女優。フェデリーコ・フェリーニの映画「甘い生活」(1960)で有名に。
http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=141175932
●アッサール・ガブリエルソンAssar Gabrielsson(1891.8.13-1962.5.28)グスターフ・ラーソンと組んで安全性重視の車メーカー「ボルボ」を設立(1924)。
Kvastekulla Griftegard, Partille, Partille kommun, Vastra Gotalands lan, Sweden//Plot: 1/53
●Torgny Segerstedt(1876-1945)ナチに反対したジャーナリスト。切手になった。墓が枯山水!
Kvibergs kyrkogard (Kviberg Cemetery), Kviberg, Goteborgs kommun, Vastra Gotalands lan, Sweden
●イングマール・ベルイマンIngmar Bergman(1918.7.14-2007.7.30)スウェーデンの映画監督。神の不在など、神とのかかわりを追求する独特の作風を通して人間を描く。「第七の封印」「野いちご」「沈黙」
Faro kyrkogard (Faro Churchyard),Faro(フォーレ),Gotlands kommun,Gotlands lan, Sweden
 
ローマ
【アウグストゥス廟/Mausoleum of Augustus
●ローマ帝国初代皇帝カエサル・アウグストゥスAugustus Caesarアウグストゥス(B.C.63-14)カエサルの養子。アントニウスとクレオパトラを滅ぼし、内政改革も行い、アウグストゥス(崇高なる者)の尊号を元老院から受けた。「アウグストゥスの平和」
●2代皇帝ティベリウスTiberius Julius Caesar(B.C.42-A.D.37)先代アウグストゥスの養子。キリスト刑死時のローマ皇帝。財政引き締め政策を断行。身分出身地の分け隔てなく能力に応じて登用。
●3代皇帝カリグラGaius Julius Caesar Augustus Germanicus(12-41)カリグラ(カリギュラ)。父母双方にアウグストゥスと血縁がありガイウス帝とも呼ばれる。浪費癖の暴君となり、皇帝親衛隊の将校らに惨殺。
●4代皇帝クラウディウスTiberius Claudius Nero Caesar Drusus(B.C.10-A.D.10)先帝カリグラが崩壊させたローマ財政を建て直し、ブリタンニア(英国)南部の征服成功。毒キノコで暗殺?
●12代皇帝ネルウァMarcus Cocceius Nerva Caesar Augustus(35-98)五賢帝の1番目。歴代君主から崇敬される王朝の祖。後継ぎがおらず腹心トラヤヌスを王朝の後継者に。
 
【ハドリアヌス廟(サンタンジェロ城)/Mausoleum of Hadrian
●14代皇帝ハドリアヌス Publius Aelius Hadrianus (76-138)五賢帝の3番目。トラヤヌスの養子。領土拡大路線を変更し、辺境の属州を放棄、英国に「ハドリアヌスの防壁」を築く。教養人で詩人や思想家、学者が集まった。パンテオンや自分の霊廟=サンタンジェロ城など壮大な建造物を建てた。ちなみに初めて髭を生やしたローマ皇帝。
ハドリアヌス霊廟…サンタンジェロ城自体が墓。カラカラまでの歴代皇帝(14〜21代)が永眠。
●15代皇帝アントニヌス・ピウス Antoninus Titus:慈悲深きアントニヌス(86-161)20年以上の治世で軍事遠征はゼロ。最も平穏を維持した証。解放奴隷への道を大きく開き、市民への拷問を制限した。
●16代皇帝マルクス・アウレリウス Marcus Aurelius Antoninus(121-180)五賢帝の最後の皇帝。ピウスの養子。学校、孤児院、病院を建設するなど公共福祉に尽力。帝室財産を売却し、飢えや疫病対策に当てた。貧者のために減税し、刑罰を軽くし、奴隷の待遇を改善。同時に辺境防衛にも力を注ぐ。「自省録」に道徳的生活が平静を導くと記した。唯一のミスは、12代ネルウァから有能な人物を養子にして後継者に指定してきたのに、無能な実子コンモドゥスを後継者に指定したこと。これで五賢帝時代は終わった。 
●20代皇帝セプティミウス・セウェルス Lucius Septimius Severus(146-211)初のアフリカ人皇帝。セウェルス朝の創始者。ローマ中心の姿勢を改める体制刷新を進め、ローマ出身者の親衛隊を解散して属州出身者を登用した。
●21代皇帝カラカラ Caracalla(188-217)ケルト人の長いコート(カラカラ)をローマに持ち込み流行させた。ローマ史上に残る暴君の一人。歴史家ギボンはカラカラを「人類共通の敵」とまで痛罵。東方属州はカラカラの略奪・虐殺の対象となり、エジプトでは無抵抗の民衆2万名以上が殺戮された。メソポタミア遠征中、立ちション中に暗殺され絶命。
 
●139代教皇シルウェステル2世Silvester II(950-1003)フランス人初のローマ教皇。古代ローマ時代の著作の写本を積極的に収集。理性により感情と外界の障害を克服しようとした。近親者の登用禁止を推進。
●176代教皇インノケンティウス3世 Innocentius III(1161-1216年)ローマ教皇の権力を最高潮にした教皇「教皇権は太陽であり、皇帝権は月である」。第4回十字軍がキリスト教徒の町ツァラを襲い略奪を行なったことに激怒し、十字軍を全て破門。フランス王フィリップ2世と英の失地王ジョンも破門。少年十字軍の悲劇が起こった。
●256代教皇レオ13世Leo PP. XIII(1810-1903)信仰と科学思想が共存しうることを訴えた。フランス革命以来、共和制フランスを初めて認めた教皇。労働者の権利を擁護し、搾取とゆきすぎた資本主義に警告を行いつつ、マルクス主義や共産主義も批判。
 
●フラ・アンジェリコ Fra Angelico(1395-1455)ルネサンス初期の画家・修道士。敬虔さあふれる清らかな画風で主に天上界を描いた。「受胎告知」
●217代教皇レオ10世Leo X(1475-1521)メディチ家出身。派手好き、イベント好きで、ルネサンス文化は最盛期に。ユリウス2世の死後、最年少37歳で即位。サン・ピエトロ大聖堂の建築費を賄うために贖宥状を販売し、怒ったルターが九十五ヶ条で抗議、宗教改革のきっかけとなった。
●219代教皇クレメンス7世Clemens VII(1478-1534)メディチ家出身。フランス王・フランソワ1世と同盟を結んだ報復として、神聖ローマ帝国皇帝カール5世の軍がローマに侵攻、市内では殺戮、破壊、略奪、強姦等の惨劇が繰り広げられた。ローマは見る影もなく荒廃。カール5世に皇帝の戴冠を行った。離婚問題で紛糾していたイングランド王・ヘンリー8世と対立。宗教改革の嵐にも晒された。
●228代教皇ウルバヌス7世Papa Urbanus VII(1521-1590)僅か13日の在位期間は歴代最短。死因はマラリア。教皇着座式も行われていない。墓は祝福を授けるポーズ
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●マルチェロ・マストロヤンニ Marcello Mastroianni(1924-1996)イタリアを代表する俳優。アニタ・エクバーグソフィア・ローレンカトリーヌ・ドヌーヴ等と浮名を流す。戦時には捕虜収容所から脱走に成功している。「甘い生活」「8 1/2」
Plot: Entering the Verano Cemetery and taking a right turn it's a walk of appr. 200 meters to the family grave that has room for 8 bodies. On the stone is written MASTROJANNI.
●ロッセリーニ Roberto Rossellini(1906-1977)映画監督。戦争の現実を直視したネオ‐リアリスモ運動の代表者。「無防備都市」「戦火のかなた」
ランベルト・マジョラーニLamberto Maggiorani(1909.8.28-1983.4.22)俳優「自転車泥棒」で名演。
●ジュゼッペ・シノーポリGiuseppe Sinopoli(1946.11.2-2001.4.20)指揮者、精神医学者。
●ジッロ・ポンテコルヴォGillo Pontecorvo(1919.11.19-2006.10.12)映画監督「アルジェの戦い」
●アリダ・ヴァリ Alida Valli(1921.5.31-2006.4.22)女優。「第三の男」「さすらい」「夏の嵐」
Cimitero Comunale Monumentale Campo Verano, Rome, Provincia di Roma, Lazio, Italy
Plot: Nuovo reparto XV, section 85
●ニーノ・ロータGiovanni "Nino" Rota(1911.12.3-1979.4.10)イタリアの作曲家。ミラノ出身。13歳でオペラを作曲。1951年(40歳)に9歳年下の新人映画監督フェリーニと出会い、その大半の音楽(「道」「アマルコルド」等)を手がけることになった。また、「ゴッドファーザー」(コッポラ)、「太陽がいっぱい」(ルネ・クレマン)、「ロミオとジュリエット」(ゼフィレッリ)など多数の名曲を遺す。心臓発作により67歳で他界。
Cimitero Comunale Monumentale Campo Verano,Rome,Provincia di Roma,Lazio, Italy
Plot: Number 8, Row 97, Zone: Nuovo Reparto (XV) - Monte Portonaccio Gradone 1'
 
ラファエロRaphael(1483-1520)ルネサンスの天才画家。その名はダ・ヴィンチ、ミケランジェロと並び称せられる。
●コレルリ Arcangelo Corelli(1653.2.17-1713.1.8)作曲家。合奏協奏曲の形式を完成し、ビバルディら次代の音楽家に多大な影響を与えた。
Pantheon Church, Rome, Provincia di Roma, Lazio, Italy
 
●キーツJohn Keats(1795-1821)英国ロマン派の詩人。芸術至上主義。「エンディミオン」
●シェリーPercy Bysshe Shelley [Body (except for heart)](1792-1822)英国人。キーツ、バイロンと共にロマン派の代表的詩人。情熱と抒情性。イタリアでボートが転覆し溺死。妻は怪奇小説「フランケンシュタイン」を書いたM.シェリー
Campo Cestio, Rome, Provincia di Roma, Lazio, Italy
 
グレゴリオ・アレグリ Gregorio Allegri(1582-1652.2.7)イタリア作曲家司祭歌手ローマ楽派。秘曲「ミゼレーレ」をモーツァルトが暗記。
Chiesa di Santa Maria in Vallicella/Chiesa Nuova, Rome, Provincia di Roma, Lazio, Italy//Plot: Chapel of St. Philip Neri
●ベルニーニ Gian Lorenzo Bernini(1598.12.7-1680.11.28)天才彫刻家。作品は壮大絢爛。「ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのためにつくられた」
Santa Maria Maggiore, Rome, Provincia di Roma, Lazio, Italy
●聖セシリアSaint Cecilia 禁教時代、2世紀頃の殉教者。1599年に発掘された際の聖セシリアを、そのまま彫刻で再現。音楽と盲人の守護聖人。
Basilica di Santa Cecilia in Trastevere, Rome, Provincia di Roma, Lazio, Italy
●キリコ Giorgio De Chirico(1888.7.10-1978.11.20)画家。シュールレアリスムの先駆。内面の不安を夢幻的な作品で表現。「廃墟と馬」
Chiesa di San Francesco a Ripa, Rome, Provincia di Roma, Lazio, Italy
●ザビエルFrancis Xavier(1506.4.7-1552.12.3)日本に渡来した最初のイエズス会士。スペイン貴族。日本滞在後、中国に入ろうとしてマカオで病没。
Chiesa del Gesu, Rome, Provincia di Roma, Lazio, Italy//Plot: right forearm
●ニコラ・プッサン Nicolas Poussin(1594.6.15-1665.11.19)バロック時代期、17世紀フランスを代表する画家だがローマで活躍。細部まで描き込む。「アルカディアの牧人」
Basilica di San Lorenzo in Lucina, Rome, Provincia di Roma, Lazio, Italy
●ジュリアス・シーザー/ユリウス・カエサル Julius Caesar (B.C.100-B.C.44)古代ローマの将軍・政治家。各地の内乱を平定、独裁者の地位に就いたが元老院議事堂で暗殺された。「カエサル」は後にローマ皇帝の称号となる。カイザー・ツァーリなどの称号の語源。
Forum Romanum, Rome, Provincia di Roma, Lazio, Italy//Plot: Remains of the Caesar
●ピエトロ・ジェルミPietro Germi(1914.9.14-1974.12.5)映画監督、俳優。社会派ドラマを次々と発表。「鉄道員」「刑事」
Parrocchia Spirito Santo/Castel di Guido Cimitero, Rome, Provincia di Roma, Lazio, Italy
http://www.inmiamemoria.com/scatole_dei_ricordi/Germi/Pietro/Germi_Pietro___171762.php
●ジュリアーノ・ジェンマGiuliano Gemma(1938.9.2-2013.10.1)俳優。マカロニウエスタンのトップスター。交通事故。
Cimitero Flaminio, Rome, Provincia di Roma, Lazio, Italy
●38代教皇シリキウス Siricius(?- 399.11.26)「教皇」という称号を名乗った最初の人物。古代ローマの最高神祇官に司祭として初めて就任。教皇教令を発した初の教皇でもあった。
CATACOMBS OF PRISCILLA, Rome
●255代教皇ピウス9世 Pius IX(1792.5.13-1878.2.7)31年7ヶ月という最長の教皇在位記録を持つ。『誤謬表』を発表して近代社会との決別を宣言。
5代皇帝ネロ Nero Claudius Caesar Augustus Germanicus(37.12.15-68.6.9)17歳で皇帝就任。母や妻、セネカを殺害、ローマを燃やしてキリスト教徒のせいにし、ペテロを逆さ十字の磔で処刑。最後は元老院に「国家の敵」と宣告され自害。カエサル直系のローマ皇帝は断絶した。自称アーティスト、ワンマンショーの鬼。ヘブライ文字を数値化した「666」はネロを指す。
サンタ・マリア・デル・ポポロ教会(Basilica di Santa Maria del Popolo)に皇帝ネロを埋葬するドミティアヌス家の墓(Mausoleo dei Domizi Enobarbi)
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フィレンツェ
【Basilica di Santa Croce】
●ミケランジェロ Michelangelo Buonarroti(1475-1564)ルネサンス期の天才芸術家。人類の奇跡。彫刻では「ピエタ」「モーセ」「ダヴィデ」、絵画ではシスティナ礼拝堂の「天地創造」「最後の審判」が代表作。
●ガリレイGalileo Galilei(1564-1642)天文学者。命がけで地動説を主張。「それでも地球は回っている」
●ロッシーニGioacchino Rossini(1792-1868)作曲家。歌劇「ウィリアムテル」「セビリアの理髪師」
●マキャベリNiccolo Machiavelli(1469-1527)政治思想家。政治を宗教・倫理から独立した存在として捉え、近代政治学の祖となる。「君主論」
Basilica di Santa Croce, Florence, Provincia di Firenze, Toscana, Italy
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【Basilica di San Lorenzo】
コジモ・デ・メディチ Cosimo De Medici(1389.9.27-1464.8.1)メディチ家のフィレンツェ支配を確立した銀行家。ルネサンスの学問・芸術の保護者。一族からローマ教皇・フランス王妃各2名を輩出。
●コジモ1世Cosimo I de' Medici(1519-1574)フィレンツェの門閥貴族。都市改造事業ウフィツィ美術館ヴァザーリの回廊などを建設。ミケランジェロの葬儀も行った。
●ドナテロDonatello(1386-1466)彫刻家。初期ルネサンス様式彫刻の創始者。写実技巧に優れる。「ダビデ」
●コジモ1世Cosimo I de' Medici(1519.6.12-1574.4.21)フィレンツェの門閥貴族。18歳でフィレンツェ公を継ぎフィレンツェの中央集権体制を確立。都市改造事業ウフィツィ美術館ヴァザーリの回廊などを建設。再びフィレンツェでルネサンス文化が花開いた。ミケランジェロの葬儀を行った。初代トスカーナ大公
Basilica di San Lorenzo, Florence, Provincia di Firenze, Toscana, Italy//Plot: Cappelle Medicee
 
●ボッティチェリSandro Botticelli(1445-1510)初期ルネサンスの画家。優雅繊細な画風。「ヴィーナスの誕生」「春」
Abbazia Di Ognissanti, Florence, Provincia di Firenze, Toscana, Italy
●ジョットGiotto di Bondone(1266-1337)イタリア中世末期の画家・建築家。ヨーロッパ近代絵画の創始者。写実的描写と劇的な表現。
Cathedral of Florence*, Florence, Provincia di Firenze, Toscana, Italy
 
ヴェニス:ヴェネツィア
【Cimitero di San Michele】Venice, Provincia di Venezia, Veneto, Italy
●ストラビンスキーIgor Stravinsky(1882-1971)ロシア出身の作曲家。バレエ音楽「火の鳥」「春の祭典」。民族・原始主義的な独自世界を確立
Plot: Greek Orthodox Section ("Rec. Greco" on cemetery map), grave 36
●ディアギレフSerge Diaghilev(1872-1929)興行師。総合芸術としての新しいバレエを創造。
Plot: Greek Orthodox Section
●ドップラー Christian Andreas Doppler(1803.11.29-1853.3.17)オーストリアの物理学者。“ドップラー効果"を解明
ヴォルフ=フェラーリErmanno Wolf-Ferrari(1876.1.12-1948.1.21)作曲家。コミック・オペラが得意。「マドンナの宝石」
Cimitero di San Michele, Venice, Provincia di Venezia, Veneto, Italy
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●モンテベルディClaudio Monteverdi(1567.5.15-1643.11.29)初期バロックを代表する作曲家。歌詞重視。オペラ「オルフェオ」やマドリガル(多声世俗化曲)を作曲
●ティツィアーノ Tiziano Vecellio(1490-1576)画家。ジョルジョーネとともにヴェネツィア派の最盛期を築く。暖色系の豊かな色彩。Plot: Right side after church entrance
●アントニオ・カノーヴァ Antonio Canova(1757.11.1-1822.10.13)彫刻家。演出過剰なバロック美術から、古典主義の洗練さに回帰する新古典主義の代表。※美しい三角の墓に心臓が入っている。
Basilica di Santa Maria Gloriosa dei Frari, Venice, Provincia di Venezia, Veneto, Italy
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●ティントレットTintoretto (1518-1594)画家。ティツィアーノの色彩とミケランジェロの形態を融合、ドラマチックな宗教画を描いた
Church of Madonna dell'Orto, Venice, Provincia di Venezia, Veneto, Italy
●アルビノーニ Tomaso Albinoni(1671-1751)バロック盛期の作曲家。ベネチア楽派。エレガントな旋律美が特徴
Basilica Cattedrale Patriarcale di San Marco, Venice, Provincia di Venezia, Veneto, Italy
 
ナポリ:カンパーニャ州
●スカルラッティAlessandro Scarlatti(1659-1725)作曲家。多くのオペラやカンタータを作曲
Chiesa di Santa Maria de Montesanto(Church of Montesanto), Naples, Provincia di Napoli, Campania, Italy
●カルーソーEnrico Caruso(1873-1921)伝説的テノール歌手。端整なベルカント唱法による美声。
Cimitero Monumentale di Poggioreale, Naples, Provincia di Napoli, Campania, Italy
●ペルゴレージGiovanni Battista Pergolesi(1710-1736)    b. January 4, 1710  d. March 16, 1736
Giovanni Battista Pergolesi(1710-1736)作曲家。ナポリ楽派。オペラ・ブッファ(風刺喜歌劇)の先駆者
San Procolo Cathedral, Pozzuoli, Provincia di Napoli, Campania, Italy//Plot: Unmarked, gravesite lost
●マッシモ・トロイージMassimo Troisi(1953.2.19-1994.6.4)「イル・ポスティーノ」の撮影完了12時間後に他界。心臓が悪いのに手術を延期していた。
Cimitero di San Giorgio, San Giorgio a Cremano, Provincia di Napoli, Campania, Italy
●ウェルギリウス Publius Vergilius Maro(B.C.70-B.C.19)古代ローマの詩人。古典ラテン文学のみならず世界文学の傑作であるローマの国民的叙事詩「アエネーイス」を書き、後代のヨーロッパの作家たちに絶大な影響を与えた。ほかに「牧歌(詩選)」、田園生活とイタリアの大地に対する賛歌「農耕詩」など。「アエネーイス」の執筆に11年をかけたが、旅先で病没する直前に未完ゆえ原稿焼却を希望。アウグストゥスはそれを認めず刊行を命じ、ラテン文学の金字塔となった。「アエネーイス」は韻律の音楽的な響きと技術的な精密さを究めた文学的到達の極致。その規模の大きさ、文体の洗練された美しさ、情感の優しさにより、「アエネーイス」は普遍的な広がりをもつ。イギリスのチョーサー、スペンサー、ミルトン、テニソンなど多数に影響を与えた。ダンテは『神曲』で主人公の「師」としてウェルギリウスを案内役に登場させている。
Tomba di Virgilio, Parco Vergiliano a Piedigrotta (Napoli)ウェルギリウス公園内
 
●聖アンドリュー Saint. Andrew [partial remains](部分的な残り)十二使徒の1人で、使徒ヨハネと最初の弟子になった。聖ペテロの兄弟。当初は洗礼者ヨハネの弟子でガリラヤ湖の漁師。黒海沿岸地方で伝道、パトラス(ギリシャ)で磔刑。X形十字架にかけられた(アンドレアス十字架)。 
Cattedrale di Sant'Andrea, Amalfi, Provincia di Salerno, Campania, Italy
 
ミラノ:ロンバルディア州
【Cimitero Monumentale di Milano】Milan, Provincia di Milano, Lombardia, Italy
●トスカニーニ Arturo Toscanini(1867-1957)指揮者。楽譜にウルトラ忠実な演奏態度が逆に新鮮
●ホロヴィッツVladimir Horowitz(1903-1959)ピアニスト。ヴィルトゥオーソ(名演奏家)
●エビータ Eva Peron 最初の埋葬地[original burial site](1919-1952)アルゼンチンの政治家。ペロン大統領の夫人。癌により33歳で早逝。
●ヴェルディGiuseppe Verdi 最初の埋葬地[original burial site]19世紀イタリア歌劇作曲家の代表的存在。「椿姫」「アイーダ」「オテロ」「リゴレット」
アミルカレ・ポンキエルリ Amilcare Ponchielli(1834.8.31-1886.1.16)作曲家。バレエ音楽「時の踊り」
Cimitero Monumentale di Milano, Milan, Provincia di Milano, Lombardia, Italy
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●ヴェルディGiuseppe Verdi(1813-1901)19世紀イタリア歌劇作曲家の代表的存在。「椿姫」「アイーダ」「オテロ」「リゴレット」
Casa di Reposo per Musicisti, Milan, Provincia di Milano, Lombardia, Italy//Plot: Verdi Tomb
●聖アンブロジウス Saint. Ambrosius(340-397)4世紀のミラノの司教(主教)。ミラノの守護聖人。四大ラテン教父の一人。アウグスティヌスに影響を与えた。374年、ミラノ司教の後継人事問題が紛糾し、調停役のアンブロジウスに白羽の矢が立った。その気がないため、家に売春婦を泊めるなど“不適格"をアピールし、ミラノから逃亡を試みるも民衆に捕まえられ、ついに司教職を承諾した。テッサロニキでローマ皇帝テオドシウス1世が民衆を虐殺すると、破門を宣言して公開謝罪させた。ギリシャ語に精通し、東方の思想を学び、西方教会の神学の水準を高めた。若きアウグスティヌスもアンブロジウスに出会って回心。アウグスティヌスいわく「アンブロジウスは“声を出さない読書"を最初に行った人物」。
Basilica of Sant'Ambrogio, Milan, Provincia di Milano, Lombardia, Italy//Plot: In Basilica's crypt, open to public on Ambrose's feast day(Basilicaの地下室にてアンブローズの祭日に市民に一般公開
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ロンバルディア州
●ヴェルサーチGianni Versace[cremated remains](1946.12.2-1997.7.15)ファッションデザイナー。スーパーモデルブームの火付け役。作品は華やかでアート指向。ジャンフランコ・フェッレ、ジョルジオ・アルマーニで「ミラノの3G」。
※ヴェルサーチ邸に一時遺灰が安置されていた。その後Cemetery of Moltrasioに墓ができたというが未確認。
Cemetery of Moltrasio, Como, Provincia di Como, Lombardia, Italy
●ドニゼッティGaetano Donizetti(1797-1848)作曲家。歌劇「愛の妙薬」
Basilica of Santa Maria Maggiore, Bergamo, Provincia di Bergamo, Lombardia, Italy
ヴァルテル・ボナッティWalter Bonatti(1930.6.22-2011.9.13)イタリアの登山家。ベルガモ出身。1954年のイタリア隊K2初登頂時に「抜け駆けした」「仲間の酸素を勝手に吸った」と中傷されていたが、半世紀後に新証言が出て2007年(他界3年前)に名誉回復された。マッターホルン北壁の冬季単独初登攀(1965)など記録多数。ポルトヴェネーレに埋葬。
http://www.ecodibergamo.it/stories/Cultura%20e%20Spettacoli/bonatti-riposa-a-portovenere-accanto-a-rossana-podesta_1078131_11/
●ストラディバリAntonio Stradivari(1644-1737)伝説的バイオリン職人
Basilica of San Domenico(今はPiazza Roma), Cremona, Provincia di Cremona, Lombardia, Italy
 
ボローニャ:エミリア・ロマーニャ州
●レスピーギ Ottorino Respighi(1879.7.9-1936.4.18)作曲家。色彩的管弦楽法を駆使し、オペラに偏っていたイタリア音楽を純器楽の方向に発展させた。交響詩「ローマの噴水」「ローマの松」
Cimitero Monumentale della Certosa di Bologna, Bologna, Provincia di Bologna, Emilia-Romagna, Italy//Plot: Campo Carducci. Lato destro C1
●ファリネッリ(カーロ・ブロスキ)Farinelli(1705.1.24-1785.7.15)最も偉大なカストラート・オペラ歌手。カーロ・ブロスキは声変わりしないよう8歳頃に去勢され、声楽を学び始めた。
Cimitero Monumentale della Certosa di Bologna, Bologna, Provincia di Bologna, Emilia-Romagna, Italy//Plot: Campo Maggiore a Levante.Arco 2
フェルッチオ・ランボルギーニ Ferruccio Lamborghini(1916.4.28-1993.2.20)自動車メーカー「アウトモビリ・ランボルギーニSPA」(現ランボルギーニ)の設立者。フェラーリの品質に満足できず起業
Cimitero Monumentale della Certosa di Bologna, Bologna, Provincia di Bologna, Emilia-Romagna, Italy
●グリエルモ・マルコーニGuglielmo Marconi(1874.4.25-1937.7.20)無線の父。無線電信を発明しマルコーニ無線電信会社を創立。1909年、無線通信の発展に貢献を称えられノーベル物理学賞を受賞。
Villa Falcone, Sasso Marconi, Provincia di Bologna, Emilia-Romagna, Italy
 
Emilia-Romagna エミリア・ロマーニャ州
●フェリーニFederico Fellini(1920-1993)映画監督。社会の繁栄の中での精神の退廃を描いた。「道」「甘い生活」「8 1/2」
Rimini Cemetery, Rimini, Provincia di Rimini, Emilia-Romagna, Italy//Plot: To the left from the entrance
●パガニーニNiccolo Paganini(1782-1840)天才バイオリン奏者・作曲家。悪魔呼ばわりされるほど演奏が上手かった。「24の奇想曲」
Cemetery Della Villetta, Parma, Provincia di Parma, Emilia-Romagna, Italy
●エンツォ・フェラーリ Enzo Ferrari(1898.2.18-1988.8.14)フェラーリ創設者。F1の名門スクーデリア・フェラーリのオーナー。1947年に自社製レーシング・マシンを開発。モータースポーツ参戦資金を稼ぐため高級スポーツカーを販売した。国内では「北の教皇」と呼ばれるほど言動に影響力があった。
Cimitero di San Cataldo, San Cataldo, Provincia di Modena, Emilia-Romagna, Italy
●パヴァロッティ Luciano Pavarotti(1935.10.12-2007.9.6)テノール歌手。よく伸び、明るく輝く高音から“キング・オブ・ハイC(ツェー)”と讃えられた20世紀後半を代表するオペラ歌手。3大テノールの1人(他にプラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラス)
Cimitero di Montale(Montale Rangone Cemetery), Montale, Provincia di Modena, Emilia-Romagna, Italy
●ダンテDante Alighieri(1265-1321)イタリア最大の詩人。「神曲」「新生」「饗宴」。フィレンツェの行政長官に選出されたが政争によりフィレンツェを追放(戻れば死刑)。放浪しながら文学に精進。
Tomba di Dante, Ravenna, Provincia di Ravenna, Emilia-Romagna, Italy
●ミケランジェロ・アントニオーニMichelangelo Antonioni(1912.9.29-2007.7.30)映画監督。愛の不毛を描く。「さすらい」「情事」「夜」(ベルリン国際映画祭金熊賞
Cimitero della Certosa, Ferrara, Provincia di Ferrara, Emilia-Romagna, Italy
●【Not墓参】ムッソリーニ Benito Mussolini(1883.7.29-1945.4.28)独裁者。ファシスト党を結成、政権掌握後にエチオピア併合。連合軍のシチリア上陸で失脚。パルチザンに銃殺された。
Cimitero di San Cassiano, Predappio, Provincia di Forli, Emilia-Romagna, Italy
●カルロ・ランバルディCarlo Rambaldi(1925.9.15-2012.8.10)視覚効果アーティスト。「E.T.」「エイリアン」でアカデミー視覚効果賞
Cimitero Comunale di Vigarano Mainarda, Vigarano Mainarda, Provincia di Ferrara, Emilia-Romagna, Italy//Plot: Cremated. The ashes buried near to parents
●カルロ・ルスティケッリCarlo Rustichelli(1916.12.24-2004.11.13)映画音楽作曲家。1940年代から250本以上を手がける。「鉄道員」「ブーベの恋人」
Cimitero di Carpi, Carpi, Provincia di Modena, Emilia-Romagna, Italy
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トスカーナ州
●マスカーニ Pietro Mascagni(1863.12.7-1945.8.2)作曲家。オペラカヴァレリア・ルスティカーナ
Cimitero Della Misercordia, Livorno, Provincia di Livorno, Toscana, Italy
●ジャック・マイヨールJacques Mayol(1927-2001)フランスのフリーダイバー。イタリア・エルバ島没。トスカーナ湾に散骨され、一周忌の際に沖縄・与那国の海底遺跡にも散骨。「グラン・ブルー」主人公のモデル
●プッチーニGiacomo Puccini(1858-1924)オペラ作曲家。流麗で感傷的な旋律が聴衆を虜に。「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」
Puccini Estate Grounds(Villa Puccini), Torre del Lago, Provincia di Lucca, Toscana, Italy//Plot: Private Chapel of His Home
カラバッジョ Michelangelo Merisi da Caravaggio(1571.9.28-1610.7.18)宗教画に写実性とコントラストの強い明暗法を導入、バロック美術に大きな影響を与えた。「聖マタイの召命」「キリストの埋葬」。記録上に残る墓碑銘「自然そのもの以外に比肩しうるもののいない画家 ナポリからローマへと向かう途中のポルト・エルコレにて36年と6カ月12日の人生を生きて1610年8月15日に客死した- 法学者マルツィオ・ミレージが、この異常なまでの才能を持った友人に捧ぐ」2010年に漁村ポルトエルコレ(Porto Ercole)の小さな教会(約200人の墓)の地下聖堂で本人のものと見られる頭骨や大腿骨が発見された。1956年に掘り起こされて納骨室にあった骨を科学的に徹底調査した。
※修道院(1500年代末〜1800年まであった)のサントステファノ墓地に葬られた。2014年7月19日にカラヴァッジオ(骨)公園が出来る。
Cimitero San Sebastiano*, Porto Ercole, Provincia di Grosseto, Toscana, Italy *This location is unconfirmed or in dispute.
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●聖ベネディクトSaint. Benedict(480-547.3.21)ヌルシアのベネディクトゥス。「西欧修道士の父」。修道制度の創設者。中世の修道院長。529年、モンテ・カッシーノに修道院を設け、後に修道会則(戒律)を定めた。
Abbey of Montecassino, Cassino, Provincia di Frosinone, Lazio, Italy//Plot: Beneath the altar
●パゾリーニPier Paolo Pasolini(1922.3.5-1975.11.2)詩人・作家・映画監督。社会から爪弾きにされている青少年の思いを自らの作品の根拠とした。
Cimitero di Casarsa, Casarsa della Delizia, Provincia di Pordenone, Friuli-Venezia Giulia, Italy//Plot: Buried close to his mother, to the left of the entrance.
●マルチェロ Benedetto Marcello(1686.8.1-1739.7.24)作曲家。
Chiesa di San Giuseppe, Brescia, Provincia di Brescia, Lombardia, Italy
●トール・ヘイエルダールThor Heyerdahl(1914.10.6-2002.4.18)ノルウェーの人類学者、海洋生物学者。筏(いかだ)船のコンティキ号でペルーから南太平洋ツアモツ島まで4,300マイル(8千km弱)の航海。
Heyerdahl Family Estate, Colla Micheri, Provincia di Savona(サヴォーナ県), Liguria, Italy
http://www.panoramio.com/photo/86973109 ※ホントにこの場所?
 
●セルジオ・レオーネ Sergio Leone(1929.1.3-1989.4.30)映画監督ローマ出身。「荒野の用心棒」「続・夕陽のガンマン」「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」。世界中でマカロニ・ウェスタンブームを巻き起こした。
Cimitero di Pratica di Mare, Pratica di Mare, Provincia di Roma, Lazio, Italy
http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=7856551
●ペトラルカFrancesco Petrarcah(1304.7.20-1374.7.19)イタリアの詩人・人文主義者。文芸復興期最大の抒情詩人でソネットの確立者。1341年に名誉ある桂冠詩人となった。
Arqua Petrarca, Arqua Petrarca, Provincia di Padova, Veneto, Italy//Plot: Square
 
●アッシジのフランチェスコ Saint. Francis 'Francesco'(1181-1226)無欲の極地として知られる聖人。
Basilica di San Francesco d'Assisi , Assisi, Provincia di Perugia, Umbria, Italy
Plot: Lower level of the basilica, behind an altar
 
★サンマリノ共和国 San Marino
ヨーロッパ最古(4世紀初頭の建国)の小共和国。イタリアのチタノ山(738メートル)にある。首都も同名。面積61平方キロメートル。人口2万9千(2004)。
 
★ヴァチカン市国
Saint Peter's Basilica Vatican City 20
●初代ローマ教皇ペトロSaint Peter(生年不明- 67)十二使徒の一人。
皇帝ネロのキリスト教迫害で逆さ十字磔刑。ペトロの墳墓の上にサンピエトロ大聖堂が築かれた。
●45代教皇レオ1世 Papa Leo I(
390-461)「大教皇」。聡明かつ雄弁な人物。フン族やヴァンダル族のイタリア侵攻を平和的に解決し、王や諸侯を上回るキリスト教の権威が生まれるきっかけになった。
64代教皇グレゴリウス1世 Gregorius I(540-604)「
大聖グレゴリウス」。典礼の整備、教会改革で知られ、四大ラテン教父の一人。多くの聖歌を作曲し、グレゴリオ聖歌の名の由来となった。
●76代教皇ウィタリアヌスVitalianus(生年不詳- 672)教会儀式でオルガンの使用を定めた最初の教皇。
●79代教皇アガトAgatho(577 - 681)シチリアの修道士から教皇に。コンスタンティノス4世の東西教会一致政策を支持。103歳の長寿は歴代教皇で最長。
●96代教皇レオ3世Papa Leo III(750 - 816)ローマの貧民階級出身。西欧に新たな歴史の扉を開いた教皇。東方教会と対抗するためフランク王国のカール1世(大帝)に西ローマ皇帝の帝冠を授けた。
●98代教皇パスカリス1世Paschal I(生年不詳 - 824)カタコンベの発掘に務め、膨大な数の殉教者の遺骨を整理移転した。
●113代教皇ステファヌス7世Stephanus VII(生年不詳 - 897)先々代の教皇フォルモススに恨みを抱いていたため、遺体を掘り起こして教皇の衣服を着させ模擬裁判にかけた後、祝福を与える指を切り落とした上で遺体を川に流した。結果、反発した民衆に殺害される。
●159代教皇ウルバヌス2世Urbanus II(1042-1099)聖職売買の禁止など教会改革を断行。第1回十字軍の派遣を呼びかけた。
●193代教皇ボニファティウス8世Bonifatius VIII(1235-1303)フランス王フィリップ4世と聖職者への課税問題で対立し、幽閉され「憤死」。この後フランス王により教皇庁がアヴィニョンに移転させられ、7代にわたった教皇のバビロン捕囚が始まる。
●216代教皇ユリウス2世 Julius II(1443-1513)多くの芸術家を支援したことでローマにルネサンス芸術の最盛期をもたらす。ミケランジェロにシスティーナ礼拝堂の天井画製作を依頼(というか強要)。
●220代教皇パウルス3世Paulus III(1468-1549)イエズス会を認可し、反宗教改革を主導。ミケランジェロに「最後の審判」を依頼。英国ヘンリ8世の離婚に反対し破門。その結果、イギリスには英国教会が誕生。
●226代教皇グレゴリウス13世Gregorius XIII(1502-1585)ユリウス暦を廃し、グレゴリオ暦とよばれる新暦を採用。学問を好み奨励。天正遣欧使節の少年が謁見した。
●235代教皇ウルバヌス8世 Pope. Urban VIII(1568-1644)ガリレオ裁判の悪役だが、一方で学問と芸術の守護者。ベルニーニはウルバヌス8世の援助を受け、「聖テレジアの法悦」やサン・ピエトロ大聖堂の内装で能力を発揮できた。ペトロの墓の天蓋は教皇領の年間歳入の10倍の費用。「聖ペトロの司教座」は絵画・彫刻・建築の特質を融合した総合舞台芸術。サンマリノの独立を承認(1631)。
●242代教皇インノケンティウス12世 Innocentius XII(1615-1700)「私の親戚は貧しさだよ」。清廉潔白な人柄でカトリック教会の悪習、ネポティズム(親族登用主義)と聖職売買(シモニア)の根絶を目指す。
●259代教皇ピウス11世Pius PP. XI(1857-1939)世界最小の国家バチカン市国を建国。ムッソリーニとは互いに独立国と認め合う「ラテラノ条約」を締結。1937年、「ナチスが人種・民族・国家を神格化している」と回勅で非難。
●261代教皇ヨハネ23世 Ioannes PP. XXIII(1881-1963)他教会や他宗教との対話に積極的。飾らない態度と親しみやすさ、ユーモアのセンスによって世界を魅了した。
●263代教皇ヨハネ・パウロ1世 Ioannes Paulus PP. I(1912- 1978)教皇名として初めて「ヨハネ・パウロ」という複合名を採用。豪華な教皇戴冠式や教皇冠も拒否。マフィアと対決。在位わずか33日の急逝には暗殺説あり。
●264代教皇ヨハネ・パウロ2世 Ioannes Paulus PP. II(1920-2005)。ポーランド出身。455年ぶりの非イタリア人教皇。世界平和と戦争反対への呼びかけと、呼びかけだけにとどまらない数々の平和行動を実践。ガリレオ裁判の過ちを認めて謝罪した。
●ジョヴァンニ・パレストリーナGiovanni Palestrina(1525-1594)ルネサンス後期の音楽家。カトリックの宗教曲を多く残した「教会音楽の父」。
Saint Peter's Basilica, Vatican City//Plot: Tomb destroyed in the 1700's by new construction.※新規建設によって1700年代に破壊された
 

マドリード
●ゴヤ Francisco de Goya(1746-1828)人間の暗部を照らしたスペインの画家。宮廷画家長。聴覚を失いながらも、性格描写に優れた肖像画や戦争の残忍さを告発する銅版画を多数残した。フランスで客死。「裸のマハ」「五月三日の処刑」「カルロス4世の家族」
・San Antonio del la Florida, Madrid, Provincia de Madrid, Madrid, Spain
・En la Sacramental de San Isidro de Madrid
●Pepita de Tudo(1779.5.19-1869.9.20)ゴヤのモデル。マハ。
Cementerio Sacramental de San Isidro, Madrid, Provincia de Madrid, Madrid, Spain
●ベラスケスDiego Velazquez(1599.6.6-1660.8.6)バロック期のスペイン宮廷画家。17世紀スペイン絵画の黄金時代を代表し、写実的技巧、空間構成に優れ、肖像画の傑作を多く残した。マネいわく“画家の中の画家"。「ラス・メニーナス(女官たち)」「ブレダの開城」
※ベラスケスはマドリードのthe Church of San Juan Bautistaに埋葬されたが、後に教会は破壊された。
Burial:Body lost or destroyed Plot: Madrid, Spain
Madrid,San Juan Bautista
●【Not墓参】フルヘンチオ・バチスタ Fulgencio Batista(1901.1.16-1973.8.6)キューバの独裁者。カストロ&ゲバラのキューバ革命によってドミニカに逃亡、ポルトガルを経てスペインで没した。
Cementerio Sacramental de San Isidro, Madrid, Provincia de Madrid, Madrid, Spain
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フアン・デ・ラ・シエルバJuan De La Cierva(1895.9.21-1936.12.9)航空エンジニア。1923年に初めて人間が乗れるオートジャイロ(回転翼航空機/ヘリコプターの前身)を発明。1928年にイギリス海峡を横断。
●フェルナンド・レイFernando Rey(1917.9.20-1994.3.9)スペイン出身の俳優。「フレンチ・コネクション」のボス。カンヌ国際映画祭男優賞を受賞。
●Jose Cubero(1964.4.16-1985.8.30)闘牛士。墓は闘牛士の手にハト!
●Memorial for the Thirteen Roses(1939)1939年8月5日、独裁者フランコに殺された13人の反ファシスト闘士=13本のバラの追悼碑。犠牲者(すべて若い女性)は共和国防衛のために戦い拷問死。
Cementerio de la Almudena, Madrid, Provincia de Madrid, Madrid, Spain
 
●カルロス1世=カール5世 King Carlos I:Karl V (1500.2.24-1558.9.21)神聖ローマ帝国皇帝カール5世(在位1519〜56年)であり、スペイン王カルロス1世(在位1516〜56年)。カスティリャ王フェリペ1世とスペイン王女フアナの長男。父方の祖父はハプスブルク家の神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン1世。父の死後ブルゴーニュ公国を相続、16年にフェルナンド5世が没しスペイン王位をついだ。19年、マクシミリアン1世が没し中欧のハプスブルク家領を獲得、これを弟フェルディナント(のちの神聖ローマ帝国皇帝フェルディナント1世)に統治させる。同年、選帝侯を買収して神聖ローマ帝国皇帝に選ばれた。領土はかつてのフランクのカール大帝をはるかにこえ、スペイン、ネーデルラント、ナポリ、シチリア、サルデーニャ、アメリカとアフリカのスペイン領、ハプスブルク家の領地を含み、キリスト教世界で並ぶ者がいない君主となった。晩年、ネーデルラントとスペインを息子のフェリペ2世に、帝位を弟のフェルディナント1世にゆずり、スペインのトレド西方ユステで死去。
Real Sitio de San Lorenzo El Escorial, Madrid, Provincia de Madrid, Madrid, Spain//Plot: Panteon de los Reyes
●フェリペ2世 King Felipe II(1527.5.21-1598.9.13)ハプスブルク家のカスティーリャ王国・アラゴン王国(=スペイン)の国王(在位:1556年 - 1598年)。スペイン帝国の最盛期に君臨した絶対君主の一人。ヨーロッパ、中南米、アジア(フィリピン)に及ぶ大帝国を支配し、オスマン帝国を退けて勢力圏を拡大。1580年にはポルトガル国王も兼任しイベリア半島を統一した。繁栄の様は「太陽の沈まない国」と形容された。また、イングランド女王メアリー1世と結婚期間中、共同統治者としてイングランド王フィリップ1世(Philip I)の称号を有した。
Real Sitio de San Lorenzo El Escorial, Madrid, Provincia de Madrid, Madrid, Spain//Plot: Panteon de los Reyes
●ドン・カルロス Don Carlos de Austria(1545.7.8-1568.7.24)スペインの王太子、アストゥリアス公。父はフェリペ2世。フェリペ3世の異母兄。記録に「カルロスは肩の高さが違い、右足が左足より長く、頭が大きすぎる。胸はくぼみ、背中にこぶがある。まるで子供のように愚かしい質問ばかりする。高尚なことに興味を示したことはなく、食べることにしか感心がない。際限なく食べ続けているので、よくいろいろな病気にかかり、顔色はひどく悪く、長生きはできないだろう」とある。父に反逆してネーデルランドに行こうとして逮捕監禁され、24歳で牢死した。
Real Sitio de San Lorenzo El Escorial, Madrid, Provincia de Madrid, Madrid, Spain
 
●Praxedes Mateo Sagasta(1825-1903)スペインの政治家。墓に優れた彫像
Panteon de Hombres Ilustres, Madrid, Provincia de Madrid, Madrid, Spain// Plot: Tomb 4. 
●Memorial To The Victims Of Terrorism [memorial]2004年3月11日朝、アルカイダの爆弾10個が通勤電車4両で爆発し191人が死亡、1800人以上が負傷した。
Estacion Atocha, Madrid, Provincia de Madrid, Madrid, Spain// Plot: Memorial only
●ロドリーゴ Joaquin Rodrigo(1901-1999)盲目の作曲家。1939年(38歳)、ギター協奏曲の傑作「アランフェス協奏曲」を発表。97歳の長寿。
Aranjuez Cemetery, Aranjuez, Provincia de Madrid, Madrid, Spain//Plot: Family Pantheon
 
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セビリア
●ファン・ベルモンテJuan Belmonte(1892.4.14-1962.4.8)伝説的マタドール(闘牛士)。ジプシーの息子。病気で不自由な脚を引きずって戦い続けた。牛の角の間に体を入れて牛を誘う“クルサード"を披露し革命を起こした。
Seville Cemetery, Sevilla La Nueva, Provincia de Madrid, Madrid, Spain
Plot: About three hundred feet past the main entrance on the left
●ホセリートJoselito(1895.5.8-1920.5.16) 天才闘牛士。1912年、17歳という歴代最年少のマタドールになった。ライバルは3歳年上のベルモンテ。共に闘牛に革命をもたらした。墓石は棺を運ぶ人々の彫像。
Seville Cemetery, Sevilla La Nueva, Provincia de Madrid, Madrid, Spain
Plot: One hundred feet in and to the left
●Cabello Gonzalez(1929.11.7-1987.12.25)闘牛士。墓石に闘牛のマント!
Cementerio de San Fernando, Sevilla, Provincia de Sevilla, Andalucia, Spain
●Ignacio Sanchez Mejias(1891.6.4-1934.8.13)闘牛士。引退復帰の戦いで腿を突き刺され2日後に死亡。友人ロルカが詩を献呈した。
Cementerio de San Fernando, Sevilla, Provincia de Sevilla, Andalucia, Spain
●ムリーリョBartolome Esteban Murillo(1617.12-1682.4.3)「スペインのラファエロ」。ベラスケスと並ぶスペイン・バロックを代表する画家。聖母や街角の少年少女を優しい目線で生き生きと描いた。「無原罪の御宿り」「蚤をとる少年」※セビリアのサンタ・クルス地区の教会に墓があったが、教会は取り壊された。同地区には現在ムリーリョ美術館が建っている。
Church of Santa Cruz(demolished), Sevilla , Spain
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●コロンブス Christopher Columbus(1451-1506)大聖堂の床にはコロンブスの息子が埋葬されている。
Catedra de Sevilla, Sevilla, Provincia de Sevilla, Andalucia, Spain// *This location is unconfirmed or in dispute.
●フランシスコ・ゲレーロFrancisco Guerrero(1528.10-1599.11.8)中世の作曲家。叙情的な旋律が人気。海賊の襲撃に2度あう。
Sevilla Cathedral, Sevilla, Provincia de Sevilla, Andalucia, Spain//Plot: Chapel of Nuestra Senora de la Antigua
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●アンドレ・セゴビアAndres Segovia(1893.2.21-1897.6.2)20世紀を代表するクラシック・ギター奏者の1人。
Casa Museo de Linares, Sevilla, Provincia de Sevilla, Andalucia, Spain
 
バルセロナ
 
●ミロJoan Miro(1892-1983)スペインの画家。パリでシュールレアリスムに傾倒、明るい色彩と抽象化された記号デザインを使った。版画・彫刻・陶器も制作。「アルルカンの謝肉祭」「星座」
●アルベニスIsaac Albeniz(1860-1909)スペインの作曲家・ピアノ奏者。スペイン国民楽派の確立者。
●モンポウFrederic Mompou(1893.4.16-1983.6.30)20世紀スペインの作曲家。内省的な響きの小品が特徴
Cementiri de Montjuic, Barcelona, Provincia de Barcelona, Cataluna, Spain
●アントニオ・ガウディAntonio Gaudi(1852-1926)スペイン・カタルニアの天才建築家。サグラダ・ファミリア教会を設計するなど、自然をモティーフに特異な造形を残した。
Sagrada Familia, Barcelona, Provincia de Barcelona, Cataluna, Spain
●ダリ Salvador Dali(1904-1989)シュールレアリスムの画家。意識下の幻覚や欲望を写実的にビジュアル化。奇想天外な世界を表現。
Dali Theatre-Museum, figueres, Cataluna, Spain
 
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●Mass Grave to People Killed in Spanish Civil War(las victimas del franquismo en Paterna)スペイン内乱の際、共和国政府をフランコ将軍のクーデターから守って死んだ人々の集団墓所。フランコ治世でファシストに殺された人々もここに。
Cementerio de Paterna, Provincia de Valencia, Valenciana, Spain
●パブロ・カザルスPablo Casals (1876-1973)史上最高のチェロ奏者。フランコ独裁政権と戦った。
Cementiri De El Vendrell, Tarragona, Provincia de Tarragona, Cataluna, Spain
●ファリャManuel de Falla(1876.11.23-1946.11.14)作曲家。印象主義にスペインの民族音楽(特にフラメンコ)を取り入れた国民音楽の発展に貢献。南米に亡命。バレエ音楽「恋は魔術師」「三角帽子」
Cathedral de Cadiz, Cadiz, Provincia de Cadiz, Andalucia, Spain
●【Not墓参】フランコ Francisco Franco Bahamonde(1892.12.4-1975.11.19)スペインの独裁者。1936年、人民戦線政府にモロッコから反乱を起こし、ドイツ・イタリアの援助を受けてスペイン内戦に勝利、1939年独裁制を樹立。大戦後、ヒトラー、ムッソリーニが死ぬ一方で、自身は失脚せずに36年間も君臨して没した。
Valle de los Caidos, Guadarrama(グアダラマ), Provincia de Madrid, Madrid, Spain
●チェーザレ・ボルジアCesare Borgia(1475-1507.3.12)ルネサンス期の軍人・政治家。マキャヴェリズムを体現。教皇ユリウス2世と対立、戦死した。名は「ヴァレンティーノ公」が一般的。伊では「チェーザレ」=ガイウス・ユリウス・カエサル(ガイオ・ジュリオ・チェーザレ)。
Iglesia de Santa Maria de Viana, Viana, Provincia de Cantabria, Cantabria, Spain
●イサベル1世 Isabella I(1451.4.22-1504.11.26)夫フェルナンド2世(アラゴン王)とイスラム勢力下のグラナダを陥落させ800年に及んだレコンキスタを完成。コロンブスを援助。遺骸はアルハンブラ宮殿からグラナダ大聖堂の王室礼拝堂に改葬。
Royal Chapel of Granada, Granada, Provincia de Granada, Andalucia, Spain
●Rocio Jurado(1944.9.18-2006.6.1)歌手、女優。フラメンコを歌い人気に。墓はめっさリアルな人物像。
Cementerio Municipal de San Jose, Cadiz, Provincia de Cadiz, Andalucia, Spain
●パコ・デ・ルシア Paco de Lucia(1947.12.21-2014.2.25)スペインが誇るギタリスト。フラメンコやジャズで活躍。12歳で兄と初レコーディング。享年66。
Cementerio Viejo de Algeciras,Cadiz,Provincia de Cadiz,Andalucia, Spain//Plot: Patio de San Jose
●Merce Rodoreda(1908.10.10-1983.4.13)カタロニアの作家。イーゼルみたいな墓!
Cementeri de Romanya de la Selva, Barcelona, Provincia de Barcelona, Cataluna, Spain
●サラサーテ Pablo Sarasate(1844.3.10-1908.9.20)バイオリン奏者、作曲家。8才でデビューした天才バイオリニスト。高度な演奏技巧と美麗な音色で知られる。「チゴイネルワイゼン」
Cementerio de San Jose, Pamplona(パンプローナ), Provincia de Navarra, Navarra, Spain//Plot: Mausoleum
●タレガ Francisco Tarrega(1852.11.21-1909.12.15)ギタリスト、作曲家。“ギターのサラサーテ"の異名を持つ技巧派だが、詩心も大切にした。「アルハンブラの思い出」
Cementeri de Castello, Castellon de la Plana, Provincia de Castello, Valenciana, Spain
●聖エルモElmo(1190-1246.4.15)
Cathedral of Tuy,Tui, Provincia de Pontevedra, Galicia, Spain
●オーソン・ウェルズOrson Welles(1915.5.6-1985.10.10)アメリカの映画監督・俳優。完全主義制作で有名。1938年、23歳でラジオドラマ「火星人襲来」を演出して脚光をあび、26歳の時に革新的技法の「市民ケーン」(1941)を監督・主演。シェークスピアを積極的に映像化。「第三の男」に出演。
Orson Welles Last Resting Place, Spain ※Ashes are buried in an old well covered by flowers, within the rural property of retired bullfighter Antonio Ordonez, Ronda, Spain
●聖ヤコブJacobus(ヤコブ)十二使徒の1人。弟は使徒ヨハネ。ガリラヤ湖の元漁師。この大聖堂は聖ヤコブの墓の上に建てられており、ヴァチカン、エルサレムと並ぶキリスト教の3大聖地。巡礼ルートは全長800kmもあり、中世の最盛期は年間50万人が巡礼した。ヤコブのシンボルは帆立貝。※“ヤコブ"は「ジャック」「ジェームス」の名の由来。
Catedral de Santiago de Compostela(サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂), Spain
 
 
★ジブラルタル
Gibraltar Cemetery:イベリア半島南端の英国植民地(1713〜)。ジブラルタル海峡(約14km)の向こうにアフリカ大陸が見える。人口2万8千。
 
 
パリ 127 
【ペール・ラシェーズ墓地:Cimetiere du Pere Lachaise】Paris, City of Paris, Ile-de-France, France 46
●ショパン Frederic Chopin[Body minus heart](1810-1849)ポーランドの作曲家・ピアニスト。心臓はポーランドにあり、ボディのみの墓。Plot: Division 11, #10
●ビゼー Georges Bizet(1838-1875)フランスの作曲家。キャッチーなメロディーに富み、オーケストラを色彩的に駆使、南欧の風土を曲に反映させた。歌劇「カルメン」、組曲「アルルの女」。Plot: Division 68, #1
●エディット・ピアフ Edith Piaf(1915-1963)フランスの女性シャンソン歌手。自ら作詞した「愛の賛歌」「ばら色の人生」が世界的にヒット。揺れ動く心を情熱的に歌った。Plot: Division 97
●ドラクロワDelacroix(1798-1863)フランスの画家。ロマン主義を代表。ドラマチックな事件や文学作品を題材に、強烈な色彩で感情の爆発を描き、印象主義・象徴主義など近代絵画の先駆となった。「民衆を導く自由の女神」「サルダナパルスの死」Plot: Division 49
●バルザック Honore de Balzac(1799-1850)近代リアリズム文学を代表するフランスの作家。「人間喜劇」と題した長短90編余の小説を通して、19世紀前半のフランス社会に生きる人々を鮮やかに描き出した。「ゴリオ爺さん」「谷間の百合」Plot: Division 48, #1
●モジリアニ Amedeo Modigliani(1884-1920)イタリアの画家。エコール・ド・パリ(パリ定住の外国人芸術家)。哀愁を帯びた細長い首の人物画で知られる。セザンヌやキュビスムの影響を受けた。Plot: Division 96
●ジム・モリソン Jim Morrison(1943-1971)ドアーズのカリスマ的ロック歌手、詩人。27歳で他界。Plot: Division 6
●イブ・モンタン Yves Montand(1921-1991)「枯葉」「セシボン」の大ヒットで世界的なシャンソン歌手に。俳優としても「恐怖の報酬」「Z」など硬派作品で名演。イタリア出身だが両親がファシスト・ムッソリーニ政権を嫌いフランスに移住。Plot: Division 44
●オスカー・ワイルドOscar Wilde(1854-1900)世紀末文学の代表的作家。アイルランド出身。19世紀末の唯美主義文学の代表者で、芸術のための芸術を提唱。「ドリアン・グレーの肖像」「幸福な王子」Plot: Division 89
●プルースト Marcel Proust(1871-1922)20世紀文学に決定的影響を与えたフランスの作家。フランス上流社会の変容を描き出した長編「失われた時を求めて」で意識の流れを綿密に追い、小説の概念を一新した。Plot: Division 85
●アランAlain (1868-1951)フランスの哲学者、モラリスト。理性主義の立場から芸術や教育など様々な問題を論じた。「幸福論」Plot: Division 94, #3
●アポリネール Guillaume Apollinaire(1880-1918)フランスの詩人。“シュルレアリスム"という言葉を初めて使った。前衛画家を援護したキュービズムの理論的指導者。スペイン風邪により38歳で他界。「ミラボー橋」Plot: Division 86
●サラ・ベルナール Sarah Bernhardt(1844-1923)フランスの舞台女優。「椿姫」などの悲劇を得意とし、自ら劇団を結成。世界各地を巡演し国際的名声を得た。Plot: Division 44, #6
●クロード・シャブロル Claude Chabrol(1930.6.24-2010.9.12)映画監督。パリ生まれ。1950年代にフランス映画界で起きたロケ中心、即興演出などの手法を重視するヌーベルバーグ(新しい波)運動を、トリュフォー、ゴダールらと率いた。初監督作品「美しきセルジュ」はヌーベルバーグ派の長編第1作。「いとこ同志」でベルリン国際映画祭で金熊賞受賞。ヒチコックを敬愛。Plot: Division 10
●ケルビーニ Luigi Cherubini(1760.9.14- 1842.3.15)フランスで活躍したイタリア人作曲家。パリ音楽院院長。グランド(大規模)・オペラ様式を確立。ベートーヴェンはケルビーニを当時最高のオペラ作曲家と考えていた。墓はショパン4つ左隣。「レクイエム」Plot: Division 11, #8
●コレットColette(1873-1954)フランスの女流作家。感性に優れ、官能や自然を描いた。「青い麦」Plot: Division 4, #6
●コロー Camille Corot(1796-1875)バルビゾン派のフランス人画家。銀色のレースがかかったような詩情ある風景画を多く描いた。「真珠の女」など。Plot: Division 24
●ドーデ Alphonse Daudet(1840-1897)フランスの作家。温かな眼差しで郷土プロバンスを見つめた。「風車小屋便り」「アルルの女」Plot: Division 26
●ドーミエ Honore Daumier(1808-1879)フランスの画家。19世紀リアリズムの一翼を担い、庶民の生活を描写。痛烈な政治風刺漫画、石版画を多く残した。Plot: Division 24
●ダビッドDavid [heart only](1748-1825)フランスの画家。19世紀新古典派のリーダー。ナポレオンの宮廷画家として当時の画壇に君臨。超大作「ナポレオンの戴冠」Plot: Division 56
●アンリ・ド・レニエ Henri de Regnier(1864.12.28-1936.5.23)フランス象徴派の詩人。ロマンチシズム溢れる作風。Plot: Division 86
●デュカス Paul Dukas(1865-1935)フランスの作曲家。ドイツ音楽とフランスのエスプリを融合。交響詩「魔法使いの弟子」。Plot: Division 87 (columbarium), urn 4938
●イサドラ・ダンカン Isadora Duncan(1877-1927)モダン・バレエの先駆者。自由な表現を目指し、チュチュ(スカート)やタイツをつけず、トー・シューズを捨て、素足で踊った最初の舞踊家。アメリカ人。事故死。Plot: Division 87 (columbarium), urn 6796
●マックス・エルンスト Max Ernst(1891-1976)米仏で活躍したドイツの画家。フロッタージュ技法(こすり絵)を創始。多彩な画風でシュールな幻想世界を描く。Plot: Columbarium (Division 87)
●アベラール(1079-1142)フランスのスコラ哲学者・神学者。意図を重視する倫理学を主張。女弟子エロイーズとの禁断の往復書簡で知られる。Plot: Division 7
●エロイーズHeloise(1101-1164)修道女。師アベラールと熱愛。Plot: Division 7
●ガッシェ Paul Gachet(1828.7.30.-1909.1.9)医師。周囲から変わり者と見られていたがゴッホと意気投合、肖像画のモデルに。Plot: Division 52
●ゼノブ・グラム Zenobe Gramme(1826.3.4-1901.1.20)実用可能な世界初の発電機を発明。Plot: Division 94, row 1.
●クロイツェル Rodolphe Kreutzer(1766.11.16-1831.1.6 )ベートーヴェンに作品を献呈されたバイオリンの名手。Plot: Division 13
●ラ・フォンテーヌLa Fontaine(1621-1695)フランスの詩人。動物を擬人化し人間の真実を描き出した寓話文学の傑作「寓話集」を残す。Plot: Division 25
●ルネ・ラリックRene Lalique(1860-1945)19世紀〜20世紀に活躍したガラス工芸家、宝飾デザイナー。Plot: Division 23
●ラロ Edouard Lalo(1823.1.12-1892.4.23)フランスのスペイン系作曲家。優れた管弦楽法と異国情緒によりドビュッシー以後の作曲家に影響を与えた。「スペイン交響曲」「イスの王」。Plot: Division 67
●ローランサン Marie Laurencin(1883-1956)フランスの女性画家。スミレ色やバラ色を好んで使い、淡い優雅な色調で多くの少女像を描いた。Plot: Division 88
●マルセル・マルソー Marcel Marceau(1923-2007)フランスのパントマイム俳優。道化のビップに扮し「風に向かって歩く」などを演じたマイムの巨匠。Plot: Division 21
●モリエールMoliere(1622-1673)ラシーヌ、コルネイユと並ぶフランス古典劇3大作家の1人。本名ジャン=バティスト・ポクラン。鋭い観察眼により人間のエゴをコメディ劇で描き出した。自ら舞台に立ち、終幕後に吐血死。「タルチュフ」「人間嫌い」「守銭奴」など。Plot: Division 25
●ヴィクトール・ノワールVictor Noir(1848-1870)反体制新聞の記者。21歳の若さで皇帝派(ナポレオンの甥)に射殺された。民衆葬に約20万人が参列。Plot: Division 92
●ペトルチアーニ Michel Petrucciani(1962-1999)“ピアノの化身"と呼ばれたジャズ・ピアニスト。とても小柄だけど音は雄弁。享年36。Plot: Division 11
●ピサロ Camille Pissarro(1830-1903)フランスの印象派画家。風景に優れる。印象派最年長であり、若い世代を支援し、彼らに慕われた。Plot: Division 5 (Jewish section)
●プーランク Francis Poulenc(1899-1963)フランスの作曲家。「六人組」の一人。シンプルかつエスプリに富む楽曲。Plot: Division 5
●ラディゲRaymond Radiguet(1903-1923)フランスの作家。古典調文体の心理小説「肉体の悪魔」「ドルジェル伯の舞踏会」を残すもわずか20歳で夭折。Plot: Division 56
●シニャックPaul Signac(1863-1935)フランスの画家。スーラと新印象主義を創始。スーラの点描法を発展させ港を好んで描いた。Plot: Division 67
●シモーヌ・シニョレ Simone Signoret(1921-1985)女優。『年上の女』(1958)でアカデミー主演女優賞カンヌ国際映画祭女優賞をダブル受賞。『嘆きのテレーズ』『肉体の冠』。社会問題解決に意欲。夫はイブ・モンタン。Plot: Division 44
●リチャード・ライト Richard Wright(1908.9.4-1960.11.28)lot: Division 87 (columbarium), urn 848
20世紀アメリカ黒人文学の先駆者。ミシシッピ出身。ブラックパワーという言葉を生み、晩年は句集を出すほど俳句に夢中になった。
●Leon Thery(1879.4.16-1909.3.8)Plot: Division 91 結核のため30歳で死んだレーサー。墓はハンドルを持つレーサー像。
●メリエス Marie Georges Jean Melies(1861.12.8-1938.1.21)映画監督。Plot: Division 64
世界初の職業映画監督。代表作「月世界旅行」(1902)。リュミエール兄弟の映画に出会い手品師から映画界へ。映画草創期にトリックを使った映画を開拓(SFXの創始者)。
ジョルジュ・ローデンバックGeorges Rodenbach(1855.7.16-1898.12.25)ベルギー出身の作家。享年43。いわゆるゾンビ墓で右手にバラを持って復活。小説「死の都ブリュージュ」(1892)。Plot: Division 15
http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=7766
●ユルマズ・ギュネイ Y?lmaz Guney(1937.4.1-1984.9.9)トルコの映画監督、作家。1960年(23歳)、クーデターが発生し、小説が左翼的と2年間投獄。出所後、映画制作会社を設立、『希望』(1970)『エレジー』(1972)など、4年間で13本の作品を監督。大半がトルコ政府から上映禁止処分を受けた。1972年(35歳)、アナーキストの学生を匿って再投獄。獄中から指示を出して『群れ』(1979)を『敵』(1980)を製作、後者はベルリン国際映画祭特別表彰を受賞。1981年(44歳)、刑務所を脱獄してフランスに亡命。1982年の『路』がカンヌ国際映画祭パルム・ドールに輝いた。翌々年、胃癌により他界。享年47。
Cimetiere du Pere Lachaise,Paris,City of Paris,Ile-de-France, France//Plot: Division 62
 
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【モンパルナス墓地:Cimetiere de Montparnasse】Paris, City of Paris, Ile-de-France, France 24
●ボードレールCharles Baudelaire(1821-1867)フランスの詩人、近代詩の祖。詩集「悪の華」は近代詩の聖典とされ、象徴派の先駆者となった。芸術至上主義・頽廃主義を代表。「パリの憂鬱」Plot: Division 6.
●モーパッサン Guy de Maupassant(1850-1893)作家。ゾラと共にフランス自然主義文学を代表する作家。短編の名手で、ブルジョア社会を鋭く批判した。厭世主義で晩年発狂した。フローベールの弟子。「女の一生」「ベラミ」「ピエールとジャン」Plot: Division 26
●サルトル Jean Paul Sartre(1905-1980)フランスの哲学者・作家。第二次大戦中はレジスタンスに参加。実存主義者として戦後文学を開拓、雑誌「現代」を創刊。一時共産主義に近づき文学者の政治参加を説いた。「嘔吐」「存在と無」「弁証法的理性批判」Plot: Division 20
●ボーヴォワール Simone de Beauvoir(1908-1986)フランスの女性作家、思想家。実存主義者であり、サルトルの同志かつパートナー。女性論「第二の性」で知られる。Plot: Division 20
●セルジュ・ゲンズブールGainsbourg, Serge(1928-1991)歌手、作詞家、俳優。1958年(30歳)に『リラの門の切符切り』でデビュー(お墓にはこの曲にちなんで切符がいっぱい)。作詞に性的隠語を好んで使った。フランスの国歌ラ・マルセイエーズ」をレゲエに編曲した「祖国の子供たちへ」をリリースし右翼団体に狙われる。ジェーン・バーキン事実婚、シャルロット・ゲンズブールは2人の子。Plot: Division 1
●ローラン・プティ Roland Petit(1924.1.13-2011.7.10)フランスのバレエダンサー・振付家。1940年(16歳)にパリ・オペラ座入団。バレエ・デ・シャンゼリゼ、バレエ・ド・パリを経て、1972年(48歳)創立のマルセイユ・バレエ団(現ローラン・プティ・マルセイユ・バレエ団)を活動拠点とする。ジュネーヴで死去。代表作「若者と死」(1946)「ピンク・フロイド・バレエ」(1973)「コッペリア」(1975) Plot: Division 13
●サン・サーンス Charles Camille Saint-Saens(1835-1921)フランスの作曲家。ピアノ・オルガン奏者。楽器の個性を効果的に生かした管弦楽法を駆使。「動物の謝肉祭」「サムソンとデリラ」「交響曲第3番“オルガン付き"」。1871年、国民音楽協会を組織。Plot: Division 13
●ベケット Samuel Beckett(1906-1989)アイルランド出身のフランスの劇作家・小説家。現代前衛劇の先駆けとなる不条理劇「ゴドーを待ちながら」を発表。演出も手がける。ノーベル文学賞。Plot: Division 12
●ブランクーシ Constantin Brancusi(1876-1957)ルーマニア出身の彫刻家。抽象彫刻の先駆者。材質を使い分け、形を単純化し抽象化することで固有の生命力を表現。パリを拠点に活躍。Plot: Division 18
●シトロエン Andre Citroen(1879-1935)フランスの自動車会社、シトロエンの創業者。第一次世界時に軍事産業として成功し、それを財源に1919年自動車会社を設立。1930年代初期にフランス第1位、世界第4位の自動車会社に急成長させたが、事業を拡張し過ぎて1934年に経営破綻。翌年、失意のうちに胃癌で他界。Plot: Division 28
●ジャック・ドゥミ Jacques Demy(1931-1990)映画監督。「シェルブールの雨傘」でカンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞。「ロシュフォールの恋人たち」も話題に。エイズで他界。享年59。Plot: Division 9.
アルフレド・ドレフュスAlfred Dreyfus(1859.10.9-1935.7.12)ユダヤ系の陸軍大尉。1894年、ドイツのスパイ嫌疑で終身刑になったが、作家ゾラなど人権擁護派・共和派が当局の不正を糾弾し、これに軍・右翼が反論した。「ドレフュス事件」は19世紀末のフランスの国論を二分。のち真犯人が明らかになり、1906年に12年ぶりに無罪となる。Plot: Division 28
●デュラス Marguerite Duras(1914.4.4-1996.3.3)フランスの女性作家。インドシナ・サイゴン出身。愛や孤独といったテーマをシンプルに描く。自伝的小説「愛人」、映画脚本「二十四時間の情事」「かくも長き不在」Plot: Division 21
●モーリス・ルブラン Maurice Leblanc(1864.12.11-1941.11.6)フランスの推理小説家。「アルセーヌ・ルパン」で知られる。Plot: Division 10
●シルビア・ロペスSylvia Lopez(1931-1959.11.20)女優。白血病により28歳で早逝。墓に気品ある横顔の線刻。Plot: Division 13, row 1 (along "avenue Principale")
●フィリップ・ノワレ Philippe Noiret(1930-2006)フランス映画界を代表する俳優の一人。「ニュー・シネマ・パラダイス」「イル・ポスティーノ」Plot: Division 3
●ポール・ピカソPaul Picasso(1921.2.4-1975.6.5)ピカソの子。『アルルカンに扮したポール』(1924)はピカソが3歳のポールを描いたもの。Plot: Division 16
●チャールズ・ピジョン Charles Pigeon(1838.3.29-1915.3.18)安全なガス燈、ピジョンランプを発明。墓は夫婦のベッド!Plot: Division 22, SMALL cemetery.
●プルードン Pierre Joseph Proudhon(1809-1865)フランスの社会思想家。無政府主義の創始者の一人。労働者の連合で国家を無力化する思想を唱えた。著書「財産とは何か」で財産は盗品であると規定。Plot: Division 2
●ジャン・ピエール・ランパル Jean-Pierre Rampal(1922-2000)20世紀の最も偉大なフルート奏者。フルートをピアノのようにソロ演奏会が可能な楽器と初めて世界に知らしめた。Plot: Division 3
●マン・レイMan Ray(1890-1976)アメリカの写真家。本名Emmanuel Raveninsky。1920年代のパリでシュールレアリスムに加わる。様々な写真技法を考案し、写真芸術を開拓した。Plot: Division 7, row 1 (along division 6)
●ジーン・セバーグ Jean Seberg(1938-1979)女優。「悲しみよこんにちは」「勝手にしやがれ」で脚光を浴びる。反戦運動など政治活動に傾倒し、睡眠薬により40歳で自死。ベリーショートが「セシルカット」として流行。Plot: Division 13
●スーチン Chaim Soutine(1893-1943)フランスの画家。リトアニア出身。エコール・ド・パリ(パリ定住の外国人芸術家)の一人。人間の孤独や不安を赤など強い色彩を使って表現。Plot: Division 15, Row 1
●オシップ・ザッキン Ossip Zadkine(1890.7.14-1967.12.25)ロシア人彫刻家。藤田嗣治を証人に立て隣家の女流画家ヴィランティーヌ・プラックス(Valentine Prax)と結婚。Plot: Division 8
●アラン・レネAlain Resnais(1922.6.3-2014.3.1)フランス・ヴァンヌ出身の映画監督。「夜と霧」「二十四時間の情事」「去年マリエンバートで」
Cimetiere de Montparnasse,Paris,City of Paris,Ile-de-France, France//Plot: Division 4
●メビウス/ジャン・アンリ・ガストン・ジロー Moebius/Jean Henri Gaston Giraud(1938.5.8-2012.3.10)大友克洋や宮崎駿、谷口ジローに多大な影響を与えたフランスの漫画家(バンドデシネ作家)。手塚治虫もメビウス線と呼ぶ陰影の付け方を導入した。西部劇を描くときは「ジャン・ジロー」、SFファンタジーを描くときは「メビウス」を使用。映画「エイリアン」「トロン」のコスチューム・デザイン担当。日本の漫画に惚れ込み、娘に『風の谷のナウシカ』にちなんでノウシカ(Nausicaa)と名づけている。
Cimetiere de Montparnasse,Paris,City of Paris,Ile-de-France, France//Plot: 9th. division
Les Catacombes de Paris:カタコンブ600万人】5※10:00-17:00 入場に平均1時間待ち。
元サン・イノサン墓地。約600万人の遺骨がアートに昇華。ロベスピエール、ジョルジュ・ダントン、アントワーヌ・ラヴォワジェ、カミーユ・デムーランなど革命の混乱でギロチン刑になった者も。墓所の教会が破壊された作曲家フランソワ・クープランもここの可能性大。
●ロベスピエール Maximilien Robespierre[original burial site](1758.5.6-1794.7.28)フランスの政治家。フランス革命に際し、パリのジャコバン修道院を本部とした左派の政治結社「ジャコバン派」(後に山岳党)を指導し、国王を処刑。ブルジョア穏健共和主義のジロンド派(指導者3人がジロンド県出身)追放を推進。1793年ダントン、マラー、サンジュストらと急進的改革を行い、反革命勢力一掃の恐怖政治を実行。翌年、ロベスピエール派はクーデターにより打倒されて壊滅、処刑される(テルミドール反動)。
Cemetery of Errancis (Defunct), Paris, City of Paris, Ile-de-France, France//Plot: [unmarked]
●クープラン Francois Couperin(1668-1733)作曲家。“大クープラン"。ロココ期のフランス宮廷音楽の顔。
Church of St. Joseph(Defunct), Paris, City of Paris, Ile-de-France, France
 
【モンマルトル墓地:Cimetiere de Montmartre】Paris, City of Paris, Ile-de-France, France 21
●スタンダールStendhal:Henri Beyle(1793-1842)心理分析に優れたフランスの作家。近代小説の先駆者。ロマン主義に社会批判を盛り込んだ「赤と黒」「パルムの僧院」、評論「恋愛論」で知られる。本名Henri Beyle。Plot: Division 30
●フランソワ・トリュフォー Francois Truffaut(1932-1984)映画監督。ヌーヴェル・ヴァーグの旗手の一人。「大人は判ってくれない」で長編デビュー。作品に愛の主題を貫き「柔らかい肌」「突然炎のごとく」「アメリカの夜」「アデルの恋の物語」「隣の女」を監督。他に異色SF「華氏451」。俳優としてスピルバーグ「未知との遭遇」の科学者を演じる。脳腫瘍で他界。享年52。Plot: Division 21
●ドガ Edgar Degas(1834-1917)フランス印象派の画家。パステルや版画を用いて踊り子や競馬を多数描いた。晩年に失明し彫刻を残す。Plot: Division 4
●ハイネ Heinrich Heine(1797-1856)ドイツ出身の民衆解放を目指した革命詩人・愛の詩人。ドイツの俗物性を痛烈に批判、鋭い社会批評ゆえに弾圧を受け、1831年(34歳)パリに亡命。詩集「歌の本」「ロマンツェーロ」、革命的長詩「ドイツ冬物語」Plot: Division 27
●ギュスターヴ・モロー Gustave Moreau(1826-1898)フランスの幻想画家。聖書や古代神話を神秘的・耽美的な独特の画風でに描いた。弟子にマチス、ルオー。「サロメ」「オルフェ」Plot: Division 22
●ベルリオーズ Hector Berlioz(1803-1869)フランスのロマン派作曲家。標題音楽を確立し、色彩豊かな管弦楽曲を生む。「幻想交響曲」「ローマの謝肉祭」「ファウストの劫罰」「レクイエム」など。Plot: Avenue Hector Berlioz, Division 20, curbside
●ハリエット・スミスソン Harriet Smithson(1800-1854.3.3)アイルランド出身の女優。ベルリオーズは彼女に恋して『幻想交響曲』を書く。1832年、同曲の演奏会で聴衆の注視やプログラムの言葉から、作品のヒロインが自分であることに気づいたハリエットは、音楽に深く心を揺さぶられ翌年結婚。しかし7年後に別居、4年後に病没。ベルリオーズは同棲していた歌手と再婚した。Plot: Avenue Hector Berlioz, Division 20, curbside
●小デュマ Alexandre Dumas Fils(1824-1895)フランスの小説家・劇作家。大デュマの子。世相を見つめた問題劇のジャンルを開拓。小説「椿姫」、戯曲「金銭問題」「私生児」など。Plot: Division 21
●フーコー Jean Bernard Leon Foucault(1819-1868)フランスの物理学者。地球の自転を振子の実験で証明。また、水中では光の速度が空気中より遅いことを証明し、光の波動説の確立に寄与。フーコー電流(渦電流)を発見。Plot: Division 7
●アンドレ=マリ・アンペール Andre Marie Ampere(1775-1836)フランスの物理学者。電磁気学の基礎法則を確立。電流の単位アンペアの由来になった。Plot: Division 30
●ミッシェル・ベルジェMichel Berger(1947.11.28-1992.8.3)作曲家。ロックオペラ「スターマニア」を発表。心臓発作のため45歳で他界。妻はフランス・ギャル。美しいガラス張りの墓。Plot: Division 29
●ジャン=クロード・ブリアリ Jean-Claude Brialy(1933-2007)フランス出身の俳優。「いとこ同志」「黒衣の花嫁」Plot: Division 15
●フーリエ Francois Marie Charles Fourier(1772.4.7-1837.10.10)空想的社会主義者の代表。人間性の回復を唱え、資本主義文明を批判。共同体「ファランジュ」を基礎とした理想的未来社会を構想。Plot: Division 23空想的社会主義者。
●フラゴナール Jean Honore Fragonard[original burial site](1732-1806)フランスの画家。18世紀ブルボン王朝末期の艶美な宮廷風俗を甘美な色彩で描いた。ブーシェに師事。「ブランコ」Plot: Division 19
●テオフィル・ゴーティエ Theophile Gautier(1811.8.30-1872.10.23)作家・批評家。『ジゼル』執筆。ボードレール『悪の華』を献呈された。Plot: Division 3
●ニジンスキー Vaslav Fomich Nijinsky(1889-1950)伝説の舞踊家。ポーランド系ロシア人。ペテルブルグ帝室バレエ学校出身。ディアギレフのロシア・バレエ団の花形であり、振付師としても「牧神の午後」で新境地をひらいた。Plot: Division 22
●オッフェンバック Jacques Offenbach(1819-1880)ドイツ出身の作曲家。近代オペレッタの開拓者。本名Jacob Eberst。歌劇「地獄のオルフェ(天国と地獄)」「ホフマン物語」Plot: Division 9
●サンソン Charles Henri Sanson(1739.2.15-1806.7.4)フランス革命期に死刑執行人を勤めたサンソン家4代目当主。医師でもあり、刑罰が後遺症にならぬよう人体を徹底して研究。身分に偏見を持たない平等論者で、誰にでも治療した。16歳で最初の処刑を行い、ルイ16世、アントワネット、ダントン、ラヴォアジエ、ロベスピエール、サン=ジュストら著名人の処刑に関わった。死刑廃止が執行人という職から解放される唯一の方法と考え、何度も死刑廃止の嘆願書を提出。知人の貴族女性に命乞いされた際は、苦悩の果て息子に代理させた。従来は刀剣による処刑であったが、1792年4月25日(53歳)に初めてギロチンが導入され、迅速な大量処刑が可能になった。そしてサンソンは、不本意ながら史上2番目となる2700名以上を処刑した(1位は独の死刑執行人ヨハン・ライヒハート、3165人)。ギロチン導入の3年後、息子に職を譲って引退。
●サックス Adolphe Sax(1814-1894)サックスを考案したベルギーの楽器製作者。Plot: Division 5
●ソル Fernando Sor(1778.2.14-1839.7.10)作曲家。ギターの音楽的地位を高めた“ギターのベートーヴェン"(時代もベートーヴェンと同世代)。コンサート用の大量のギター曲を作曲。Plot: Division 24
●ゾラ Emile Zola[original burial site](1840-1902)フランスの作家。自然主義文学を代表する存在。人権意識が高く、冤罪事件のドレフュス事件で容疑者を弁護、禁錮となる。「居酒屋」「ナナ」など。Plot: Division 19
●エリック・ロメールEric Rohmer(1920.3.21-2010.1011)フランスの映画監督。男女の恋愛模様を軽快なタッチで描いた。本名ジャン=マリ・モリス・シェレール。「O侯爵夫人」(1976)でカンヌ国際映画祭・審査員特別グランプリ、「海辺のポーリーヌ」(1983)でベルリン国際映画祭・監督賞。「緑の光線」(1986)でヴェネツィア国際映画祭・金獅子賞を受賞。
Cimetiere de Montmartre,Paris,City of Paris,Ile-de-France, France//Plot: Division 13
●アンリ・ポアンカレHenri Poincare(1854.4.29-7.17)フランスの数学者。数論・関数論・微分方程式・位相幾何学のほか天体力学などで優れた研究を行った。実証主義の立場から科学批判を展開。
Cimetiere de Montmartre,Paris,City of Paris,Ile-de-France, France//Plot: Division 17
 
【パンテオン:The Pantheon 】The Pantheon, Paris, City of Paris, Ile-de-France, France 10
●ユゴー Victor Hugo(1802-1885)フランスが誇る大文豪。作品はヒューマニズム精神に貫かれ、ロマン派文学を指導。熱烈な共和主義者であり、ナポレオン3世のクーデターに反対して出国、19年も亡命生活を送る。「レ・ミゼラブル」「ノートルダム・ド・パリ」Plot: Crypt XXIV
●マリー・キューリーMarie Curie(1867-1934)物理学者・化学者。ポーランド出身。夫ピエールと放射能を研究し、ラジウム、ポロニウムを発見、夫妻でノーベル物理学賞。夫の死後、ラジウムの分離に成功し化学賞。※下段がピエール。
●ジャン・ジャック・ルソー Jean-Jacques Rousseau(1712-1778)啓蒙思想家。文明社会の非人間性を批判し、民主主義思想を説いてフランス革命の先駆となる。また小説「新エロイーズ」で情熱の解放を描き“ロマン主義の父"と呼ばれる。童謡「むすんでひらいて」を作曲するなど多才。
●ヴォルテールVoltaire [Body minus heart](1694-1778)啓蒙思想家。「私は貴方の意見には反対だ。しかし、貴方がそれを言う権利を、私は命にかけて守る」。理性を掲げて独裁・専制政治に抵抗し、宗教上の不寛容を示した教会勢力とも戦い、何度も投獄される。著「哲学書簡」、風刺小説「カンディード」など。
●ゾラ Emile Zola(1840-1902)自然主義文学を代表する作家。人権意識が高く、冤罪事件のドレフュス事件で容疑者を弁護、禁錮となる。「居酒屋」「ナナ」作家。Plot: Crypt XXIV
●大デュマ Alexandre Dumas(1802.7.24-1870.12.5)作家。大デュマ(Dumas pere)。「三銃士」「モンテ・クリスト伯」など波瀾万丈のストーリーで大衆を惹き付けた。小デュマの父。※ユゴーの近く。
●ルイ・ブライユ Louis Braille(1809.1.4-1852.1.6)アルファベットの点字開発者。5歳で全盲。15歳にして6点式の点字を完成。結核により43歳で他界。英語で点字を意味するブレイル(Braille)の由来。Plot: Cell 25
●マルロー Andre Malraux(1901-1976)作家。スペイン内戦や中国の革命運動に参加し、戦後はド=ゴールの盟友として文化相等を歴任。「人間の条件」「征服者」Plot: Cell 6
●ジャン・バティスト・ペラン Jean Baptiste Perrin(1870.9.30-1942.4.17)物理学者。物質が分子からできていることを実験的に証明。さらに原子核の周囲を電子が回っている原子模型を最初に発表。1926年ノーベル物理学賞を受賞。
●ディドロ Denis Diderot(1713-1784)思想家。ダランベールらと「百科全書」を編纂・刊行。非常に博学で、文学、美術、哲学、演劇に関する著作多数。※cenotaph(慰霊碑)
 
【パッシー墓地:Cimetiere de Passy】
●ドビュッシー Claude Debussy(1862-1918)フランスの作曲家。従来の和声法を棄て、新たな和声を使って感覚的な音の響きを重視した印象派音楽を生む。「牧神の午後への前奏曲」、仏語歌劇「ペレアスとメリザンド」など。Plot: Division 14
●フォーレ Gabriel Faure(1845-1924)フランスの作曲家。繊細、抒情的な音色で「レクイエム」を書く。歌曲や室内楽に優れ、内省的な作品を多く残した。パリ音楽院院長。作曲家。Plot: Division 15
●マネ Edouard Manet(1832-1883)フランスの画家。印象派の指導者。スペイン絵画の影響を受け、伝統的・アカデミックな絵を離れ、自由な筆致で都会的な作品を描く。「草上の昼食」「オランピア」など。Plot: Division 4
●ベルト・モリゾBerthe Morisot(1841-1895)19世紀印象派では珍しい女性画家。母子が遊ぶ情景を好んで描く。緑色を多く使った画風。モリゾ家はフラゴナールの家系。20歳頃からコローに師事。1864年(23歳)、風景画がサロンに初入選。1868年(27歳)、マネと出会い弟子となり、モデルを多く務めた。1874年、マネの弟ウージェーヌと結婚し、以降、夫や娘をよく描く。享年54。親交があったルノワール、ドガ、マラルメは、モリゾ夫妻の一人娘ジュリーの後見人となった。※マネと同じ墓。
 
【パリ市内】
●ジャン・ラシーヌ Jean Racine(1639.12.22-1699.4.21)悲劇作家。モリエール、コルネーユと並ぶフランス古典劇の代表者。美しい韻文で運命的情念に翻弄される女性心理を鋭く描き、最高度に完成された悲劇を残した。「アンドロマク」「ブリタニキュス」
Saint Etienne-Du-Mont, Paris, City of Paris, Ile-de-France, France
●パスカル Blaise Pascal(1623-1662)フランスの思想家・数学者・物理学者。広大な宇宙に比べれば人間は葦のように弱いが、それを知っている人間は「考える葦」として「知らない宇宙」よりも偉大と説き、実存主義の先駆となった。数学・物理学の分野で流体圧力に関する原理の発見、計算器の考案、円錐曲線論、真空の存在を立証する実験などを行った。著「パンセ」「プロバンシアル」
Saint Etienne-Du-Mont, Paris, City of Paris, Ile-de-France, France
●マラー Jean Paul Marat(1743.5.24-1793.7.13)フランス革命指導者の1人。新聞「人民の友」を発刊し民衆の政治参加を訴えた。ジャコバン派を率いてジロンド派(穏健派)追放を実現したがジロンド派女性に刺殺された。
Saint Etienne-Du-Mont, Paris, City of Paris, Ile-de-France, France
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●グノー Charles Gounod(1818-1893)フランスの作曲家。オペラ・宗教音楽などを得意とし、「ファウスト」でフランス歌劇に新境地を開いた。バッハの旋律を使った「アベ・マリア」も著名。
Cimetiere d'Auteuil, Paris, City of Paris, Ile-de-France, France//Plot: Division 1
●アベル・ガンス Abel Gance(1889-1981)映画監督。フランスサイレント映画界の巨匠“ヨーロッパのグリフィス"。1927年(38歳)、上映時間12時間、3台のカメラを3つのスクリーンに上映する歴史的大作「ナポレオン」を監督。92歳の長寿。
Cimetiere d'Auteuil, Paris, City of Paris, Ile-de-France, France//Plot: Division 8
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●ナポレオン・ボナパルトNapoleon Bonaparte(1769-1821)フランス皇帝。コルシカ島の下級貴族出身。1789年(20歳)に砲兵士官としてフランス革命に参加。1796年(27歳)イタリア征討司令官としてオーストリア軍を破り名声を得る。2年後にエジプト遠征。1799年(30歳)、クーデターにより統領政府を樹立、自ら第一統領となり、ナポレオン法典編纂・産業保護など近代化に努める。5年後の1804年に帝位につき第一帝政を開いた(35歳)。その後、プロイセンを破り英国以外の欧州をほぼ制圧したが、1812年(43歳)のモスクワ遠征で“冬将軍"に敗北。さらにプロイセン・ロシア・オーストリア連合軍に敗れ、1814年(45歳)に退位し地中海・エルバ島に流された。翌年島を脱出してパリに戻り復位したが、「ワーテルローの戦」に敗れて“百日天下"に終わり、今度は南大西洋の孤島・セントヘレナ島に流されて6年後の1821年に他界した。
Les Invalides, Paris, City of Paris, Ile-de-France, France//Plot: L'eglise du Dome
●サン・テグジュペリSaint-Exupery[memorial](1900-1944)フランスの作家。詩的な文章で愛や孤独を描いた童話「星の王子さま」(1943)のほか、飛行士の実体験をベースに人間性の高貴さを描いた「夜間飛行」「人間の土地」で知られる。戦死。
Les Invalides, Paris, City of Paris, Ile-de-France, France//Plot: Adjoining gardens
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●ユトリロ Maurice Utrillo(1883-1955)フランスの画家。画壇に属さず独学で風景画を開拓。アルコールに溺れつつ、灰白色を使った独自の色調で、哀愁を帯びたパリ市街を描き続けた。
Cimetiere St. Vincent, Montmartre, City of Paris, Ile-de-France, France//Plot: Division 4, at the end of Avenue Saint-Vincent
●マルセル・カルネ Marcel Carne(1906-1996)映画監督。ナチス支配下のフランスでファシズムの姿勢を貫く。「悪魔が夜来る」(1942)「天井桟敷の人々」(1945)「嘆きのテレーズ」(1953
Cimetiere St. Vincent, Montmartre, City of Paris, Ile-de-France, France//Plot: Division 4
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●デカルト Rene Descartes(1596-1650)近世哲学の祖、解析幾何学の創始者。哲学論文「方法序説」の中で一切の存在を疑い、最後に確実に存在を認識可能なものの出発点として「コギト・エルゴ・スム(我思う、故に我在り)」の発見に至る。
Saint-Germain-des-Pres Church, Paris, City of Paris, Ile-de-France, France
●ジャンヌ・ダルク Joan of Arc [memorial](1412-1431)フランスの国民的英雄。オルレアンの乙女。北東部シャンパーニュ州の農民の娘。百年戦争の末期、救国の神託を受けたと信じ、1428年にシャルル7世から授かった軍を率いてイギリス軍を撃破。翌年オルレアンを奪還した。だが、捕虜となりイギリスと結んでいるルーアンの司教らに異端宣告を受け、火刑となった。享年19。1920年聖女に加えられた。
Cathedrale Notre-Dame de Paris, Paris, City of Paris, Ile-de-France, France
●リシュリュー枢機卿 Cardinal Armand-Jean Du Plessis Richelieu (1585.9.9-1642.12.4)ローマ・カトリック枢機卿。 ルイ13世の最初の大臣。近代フランスを建設。
Sorbonne Church, Paris, City of Paris, Ile-de-France, France
●ジャン=フィリップ・ラモー Jean-Philippe Rameau(1683.9.25-1764.9.12)フランスの作曲家・音楽理論家。近代和声理論の基礎を創始。フランスのバロック・オペラを発展。数冊の「クラブサン曲集」を残す。
Saint Eustache Church, Paris, City of Paris, Ile-de-France, France
●モンテスキューMontesquieu(1689-1755)フランスの政治思想家。主著「法の精神」で三権分立を主張し、アメリカ憲法やフランス革命に影響を与えた。法律制度と自然的・社会的条件との関連を研究。
L'eglise Saint-Sulpice, Paris, City of Paris, Ile-de-France, France
●パスツールLouis Pasteur(1822.12.27-1895.9.28)細菌学者。微生物が発酵・腐敗の原因と証明。狂犬病ワクチン発見。
Pasteur Institute, Paris, City of Paris, Ile-de-France, France
●クープラン Francois Couperin(1668-1733)作曲家。“大クープラン"。ロココ期のフランス宮廷音楽の顔。※「聖ヨセフ教会に埋葬」とのことだけど、パリ市内だけで5カ所以上も“聖ヨセフ"の名を冠する教会があり未特定。
Church of St. Joseph, Paris, City of Paris, Ile-de-France, France
●アントワーヌ=ローラン・ド・ラヴォアジエ Antoine Laurent Lavoisier(1743.8.26-1794.5.8)「近代化学の父」。質量保存の法則の発見、酸素の命名など。※ルイ16世から国家財政委員に任命され、革命でギロチンに。「彼の頭を切り落とすのは一瞬だが、彼と同じ頭脳を持つものが現れるには100年かかるだろう」
Picpus Cemetery, Paris, City of Paris, Ile-de-France, France
●ディドロ Denis Diderot(1713-1784)作家・思想家。ダランベールと「百科全書」を編纂・出版。非常に博識で哲学・文学・美術・演劇などに関する多くの著作。
Church of Saint-Roch, Paris, City of Paris, Ile-de-France, France
Plot: Unknown location in church; body displaced during French Revolution
●ニコラ・ド・スタール Nicolas de Stael(1914.1.5-1955.3.16)ロシア出身の画家。ロシア貴族の子息ゆえ革命のため亡命、ブリュッセルで美術を学ぶ。パリでブラックやレジェと出会い画才が開花したが、1955年に41歳で自死。荒木飛呂彦先生お気に入りの画家の1人。露伴@ジョジョいわく「抽象画でありながら同時に風景画でもあってそのギリギリのせめぎ合いをテーマに描いている。こんな簡単な絵なのに光と奥行きと哀愁があって泣けるんだ。つまり『絵画』で心の究極に挑戦しているんだ」
Cimetiere de Montrouge, Paris, City of Paris, Ile-de-France, France//Plot: Division 58.
 
【パリ近郊:Ile-de-France】28
●ミレー Jean Francois Millet(1815-1875)フランスの写実主義画家。パリ郊外のバルビゾンに住み、敬意を込めて農民の働く姿や生活を情感豊かに描いた。バルビゾン派。「落穂拾い」「晩鐘」「種まく人」など。
Cimetiere de Chailly en Biere, Chailly-en-Biere, Departement de Seine-et-Marne, Ile-de-France, France
●テオドール・ルソー Theodore Rousseau(1812-1867)フランスの画家。バルビゾン派。印象派への先駆となる風景画を描いた。墓は自然石の野積み。
Cimetiere de Chailly en Biere, Chailly-en-Biere, Departement de Seine-et-Marne, Ile-de-France, France
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●アナトール・フランス Anatole France(1844.4.16-1924.10.12)フランスの作家。軽妙な風刺を駆使。ドレフュス事件を機に社会主義に傾倒。ノーベル文学賞。
Cimetiere de Neuilly-sur-Seine (Ancien), Neuilly-sur-Seine, Departement des Hauts-de-Seine, Ile-de-France, France
●ルネ・クレールRene Clair(1898-1981)フランスの映画監督。洗練された風刺と詩情でフランス映画史に大きな足跡を残す。「巴里の屋根の下」「巴里祭」「自由を我等に」など。
Cimetiere de Neuilly-sur-Seine (Ancien), Neuilly-sur-Seine, Departement des Hauts-de-Seine, Ile-de-France, France
Plot: Chapelle Morel-Chomette
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●ヌレエフ Rudolf Hametovich Nureyev(1938-1993)“ニジンスキーの再来"とまで言われた伝説的バレエダンサー。ヌレエフ版『白鳥の湖』のプレミアで行われた89回のカーテンコールはギネス記録。ソ連出身。キーロフ・バレエ(現マリインスキー・バレエ)で人気を博し、1961年(23歳)海外公演中に亡命。英国ロイヤル・バレエのゲストとしてマーゴ・フォンテインと組む。後年、パリ・オペラ座芸術監督として、シルヴィ・ギエム、シャルル・ジュド、マニュエル・ルグリなどを世に送った。決して保守的にならず、フォーサイスなど現代作品を積極的に採用。エイズの合併症で他界。享年54。
Cimetiere de Sainte Genevieve Des Bois, Sainte-Genevieve-des-Bois, Departement de l'Essonne, Ile-de-France, France
●タルコフスキー Andrei Tarkovsky(1932-1986)ソ連の映画監督。水、火、霧に精神性を持たせた映像詩人。検閲と戦いながら独自世界を追求し、カリスマ的人気を誇る。「僕の村は戦場だった」で世界に認知され、人類の救済をテーマとした「惑星ソラリス」「鏡」「ストーカー」「ノスタルジア」を監督。1984年、表現の自由を求めて西側に亡命、2年後に病没。遺作は反核映画「サクリファイス」
Cimetiere de Sainte Genevieve Des Bois, Sainte-Genevieve-des-Bois, Departement de l'Essonne, Ile-de-France, France//Plot: Section J1, Grave 7259
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●ゴッホ Vincent Van Gogh(1853.3.30-1890.7.29)後期印象派の画家。表現主義の創始者。オランダ出身。印象派と浮世絵から多大な影響を受け、後年はフランスで活動。激しい筆致と鮮やかな色彩が特徴。生前は1枚しか絵が売れず37歳で自死。「ひまわり」「アルルのはね橋」「アルルの寝室」「糸杉」など。ヴァン・ゴーグ。
Auvers-sur-Oise Town Cemetery, Auvers-sur-Oise, Departement du Val-d'Oise, Ile-de-France, France
●サティ Erik Satie(1866-1925)ドビュッシーやラヴェルに影響を与えたフランスの作曲家。新古典主義の先駆。ほぼ独学で作曲を学ぶ。ピアノ曲「ジムノペディ」が有名。「梨の形をした三つの小品」など奇妙な題名が多い。
Cimetiere d'Arcueil, Arcueil, Departement du Val-de-Marne, Ile-de-France, France
●ルイ・ヴィトンLouis Vuitton(1821.8.4-1892.1.27)フランスのジュラ県アンシェイ出身。家業不振のため、ルイは都会で仕事を見つけることを決意。14歳のときに故郷から400kmも離れたパリに向けて歩き始め、2年がかりで到着した。16歳から「荷造り用木箱製造職人」の見習となり、17年後の1854年(33歳)、世界初の旅行カバン専門店を開業した。従来のトランクは円形だったが、ルイは移動時に積み上げやすいよう平らなトランクを考案。生地には当時一般的だった豚皮ではなく、防水加工を施した布地(グリ トリアノン)を使った。このトランクは爆発的にヒットし、ナポレオン三世の皇妃から衣装箱などの注文も入るようになり、評判が評判を呼んだ。一方で偽造商品が多く出回るようになり、対策に悩んだルイは1888年に『ダミエキャンバス』をデザインし、世界で初めて登録商標を行った。4年後の1892年に71歳で他界。 後継者の息子ジョルジュは偽造商品との戦いを続け、複製しにくいようにイニシャル“L・V"、星、花を織り交ぜた『モノグラムキャンバス』を考案し、現在に至る。
Cimetiere Ancien:Asnieres Old Cemetery, Asnieres-sur-seine, Departement des Hauts-de-Seine, Ile-de-France, France
●ジョルジュ・ルオー George Rouault(1871-1958)ストイックな宗教画家。太い黒の輪郭線で心の奥底を表現し、新たな宗教画を誕生させた。晩年に「満足できぬ絵を残すことは神への冒涜」と、一度売った絵を買い戻してまで焼き捨てた。「聖顔(キリストの顔)」「ヴェロニカ」「ミゼレーレ」「悪の華」
Cimetiere Saint Louis, Versailles, Departement des Yvelines, Ile-de-France, France
●ロミー・シュナイダー Romy Schneider(1938.9.23-1982.5.29)ウィーン出身の女優。愛称「シシー」はロミーが10代後半で演じたオーストリア皇后シシーによるもの。ヴィスコンティ『ボッカチオ'70』『ルートヴィヒ』、オーソン・ウェルズ『審判』に出演し、高い評価を得たが、2度の結婚に挫折、14歳の息子を事故で亡くすなど不幸が続き、睡眠薬による心不全のため43歳で他界。死後、1999年のフランスの世論調査で「今世紀最高の女優」に選出された。ウディ・アレンと『何かいいことないか子猫チャン』で共演。一時期アラン・ドロンと婚約していた。
le cimetiere de Boissy-sans-Avoir, Boissy-sans-Avoir, Departement des Yvelines, Ile-de-France, France
●ロダン Auguste Rodin(1840-1917)フランスの彫刻家。ミケランジェロを深く敬愛。それまでの装飾化した置物としての彫刻ではなく、造形に溢れんばかりの生命力と感情を吹き込み、現代彫刻に多大な影響を与えた。「考える人」「地獄の門」「接吻」「カレーの市民」「バルザック像」など。
Musee Rodin, Meudon, Departement des Hauts-de-Seine, Ile-de-France, France
●マスネー Jules Massenet(1842.5.12-1912.8.13)フランスの作曲家。「タイスの瞑想曲」のように繊細かつ優美な作品を書いた。パリ音楽院教授。オペラ「マノン」「ウェルテル」
Cimetiere d'Egreville(エグルヴィル), Egreville, Departement de Seine-et-Marne, Ile-de-France, France
●アンリ・ベルクソンHenri Louis Bergson(1859.1.18-1941.1.5)フランスの哲学者。生の哲学を唱えノーベル文学賞を受賞(1927)。生は不断の創造的な進化の活動であると説き、概念的把握よりも直観の優位を主張した。「どこまで行けるかを知る方法はただ一つ、出発して歩き始めることだ」
Cimetiere de Garches, Garches, Departement des Hauts-de-Seine, Ile-de-France, France
●ミュンシュ Charles Munch(1891.9.26-1968.11.6)指揮者。独領(当時)ストラスブールに生まれ、ナチスの台頭を嫌ってフランスに帰化。ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターを務めた後、1929年(38歳)に指揮者デビュー。ボストン交響楽団、パリ管弦楽団などで活躍。タクトを大きく振り回す情熱的な指揮が話題に。大の練習嫌いで即興の名手だった。ベルリオーズ『幻想交響曲』とブラームス『交響曲第1番』の名演で知られる。
cimetiere des arches(Cimetiere de Louveciennes), Departement des Yvelines, Ile-de-France, France
●ラヴェル Maurice Ravel(1875-1937)フランスの作曲家。新しい音色・和声を開拓し、独特の新古典的作風を確立。オーケストレーションの名手。「ボレロ」「ダフニスとクロエ」「夜のガスパール」など。
Cimetiere de Levallois-Perret, Levallois-Perret, Departement des Hauts-de-Seine, Ile-de-France, France//Plot: Division 16
●モーリス・シュヴァリエ Maurice Chevalier(1888.9.12-1972.1.1)俳優、稀代のエンターテイナー。フランスで最も有名な寄席芸人の一人となり、1929年(41歳)にハリウッド・デビュー。陽気さと洗練された身のこなしで人気爆発、戦前は世界で最も出演料の高いスターだった。ビリー・ワイルダー『昼下りの情事』(1957)に出演。1959年にアカデミー特別賞を受賞。
Cimetiere de Marnes la Coquette, Marnes-la-Coquette, Departement des Hauts-de-Seine, Ile-de-France, France
●シスレーAlfred Sisley(1839.10.30-1899.1.29)フランス印象派の風景画家。イギリス出身。光と詩情と共にパリ近郊の風景を描いた。
Cimetiere de Moret-sur-Loing, Moret-sur-Loing, Departement de Seine-et-Marne, Ile-de-France, France
●エリッヒ・フォン・シュトロハイム Erich Von Stroheim(1885.9.22-1957.5.12)アメリカの映画監督・俳優。オーストリア出身。映画芸術におけるリアリズムの開拓者。D・W・グリフィス、セシル・B・デミルと並ぶ「サイレント映画の三大巨匠」。俳優としてはアメリカ映画初の冷徹な性格俳優。監督作に「グリード」、出演作に「大いなる幻影」「サンセット大通り」など。サイレント映画にもかかわらずドアベルが鳴るよう演出にこだわり、俳優が完璧に台詞をものにするまでリハーサルを繰り返すなど完全主義者として知られる。
Cimetiere de Maurepas, Maurepas, Departement des Yvelines, Ile-de-France, France
●カンディンスキー Wassily Kandinsky(1866-1944)ロシア出身の画家。形を描く絵から離れ、色や形の感情的意味を重視した純粋な抽象画の先駆者となった。芸術理論家としても抽象芸術に貢献。バウハウスで教えるなど主にドイツで活動。
Nouveau Cimetiere de Neuilly a Puteaux(Neuilly-sur-Seine New Communal Cemetery, Neuilly-sur-Seine, Departement des Hauts-de-Seine, Ile-de-France, France
●ヴェルレーヌ Paul Verlaine(1844-1896)フランスの詩人。象徴派の始祖。音楽性と暗示的表現に優れた。放蕩生活の中にあって音楽的な言葉で揺れ動く感情をうたった。
Cimetiere des Batignolles, Paris, Paris, Ile-de-France, France//Plot: Division 11
●デュビビエ Julien Duvivier(1896-1967)フランスの映画監督。特に日本で人気。「望郷」「舞踏会の手帖」「巴里の空の下セーヌは流れる」
ancien cimetiere, Rueil-Malmaison, Departement des Hauts-de-Seine, Ile-de-France, France
●マラルメ Stephane Mallarme(1842.3.18-1898.9.9)ヴェルレーヌやランボーと共にフランス象徴派を代表する詩人。言葉の可能性を徹底的に追求した。「牧神の午後」
Cimetiere de Samoreau, Samoreau, Departement de Seine-et-Marne, Ile-de-France, France
●ジャンゴ・ラインハルト Django Reinhardt(1910-1953)ベルギー出身のジャズ・ギタリスト。ロマ音楽とスウィング・ジャズを融合させたジプシー・ジャズの創始者。それまでジャズ世界では伴奏楽器だったギターをソロ楽器として使用。“ヨーロッパ初の偉大なジャズ・ミュージシャン”。脳出血により43歳で他界。
Cimetiere de Samois-sur-Seine, Samois-sur-Seine, Departement de Seine-et-Marne, Ile-de-France, France
●ジャック・タチ Jacques Tati(1907-1982)フランスの代表的な映画喜劇作家。チャップリンのように自ら脚本を書き、主演し、監督した。パントマイムの名手。本名はジャック・タチシェフ。コメディ「ぼくの伯父さんの休暇」「ぼくの伯父さん」で演じた“ユロ氏"は世界の喜劇役者に影響を与えた。
Saint Germain-en-Laye New Communal Cemetery, Saint-Germain-en-Laye, Departement des Yvelines, Ile-de-France, France
●シュザンヌ・ヴァラドン Suzanne Valadon(1865-1938)フランスの画家。10代後半からルノワールら巨匠のモデルになり、18歳で息子モーリス(画家モーリス・ユトリロ)を生む。父親は不明。1886年(21歳)頃からロートレックと同棲。ヴァラドンはロートレックからデッサンを高く評価され、自身も絵筆を握るようになる。ドガから油彩を学んだり、作曲家サティと付き合うなど多くの芸術家と交流を持った。晩年にフランス政府がヴァラドンの絵を大量購入するなど、画家としても世間に認められ72歳で人生を閉じる。
Cimetiere de St. Ouen, Saint-Ouen, Departement de Seine-Saint-Denis, Ile-de-France, France//Plot: Division 13
●“キキ”アリス・プラン Kiki /Alice Prin(1901.10.2-1953.4.29)「モンパルナスのキキ」と呼ばれた歌手・モデル。13歳から工場で働き始め、翌年に彫刻家のモデルとなったことをきっかけにパリの芸術家たちと親交を深める。モジリアニ、ユトリロ、キスリング、藤田嗣治、スーティンのモデルとなり、20代後半まで写真家マン・レイの愛人となった。モンパルナスのナイトクラブの人気歌手となるが、1942年(41歳)反ナチスのビラを配り、逮捕を逃れるためパリを出た。戦後、麻薬密売で逮捕され52歳で病没。
Cimetiere de Thiais, Thiais, Departement du Val-de-Marne, Ile-de-France, France Plot: Division 75. Temporary concession burial, plot vacated in 1974 [unmarked]
●モーリャック Francois Mauriac(1885.10.11-1970.9.1)フランスのカトリック作家。シリアスな心理描写で魂の暗部を描き、人間のドロドロの苦悩を通して神の恩寵を示した。ノーベル文学賞(1952)。「愛の砂漠」「テレーズデケールー」
Cimetiere de Vemars, Vemars, Departement du Val-d'Oise, Ile-de-France, France
 
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【北部】21
●デュシャン Marcel Duchamp(1887-1968)現代芸術に絶大な影響を与えたフランスの美術家。「芸術を捨てた芸術家」。渡米しニューヨーク・ダダの中心人物となる。画家としてスタートしたが20代半ばで油彩画に訣別。伝統的絵画を否定し、視覚優先の美術鑑賞を批判。便器を「泉」と命名して展覧会に出品するなど、既製品を加工した「レディ・メイド」作品を発表しセンセーションを呼ぶが、創作活動は30代半ばで殆どやめてしまった。81歳まで生きたが、巨大ガラスを使った『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』(通称「大ガラス」)も未完のまま36歳で放棄されている。墓碑銘は「死ぬのはいつも他人ばかり」。チェスの名手としても知られる。※「デュシャン以降、何が制作できるのか」という問いに20世紀の芸術家は直面している。
Cimetiere Monumental de Rouen, Rouen, Departement de la Seine-Maritime, Haute-Normandie, France
●フローベール Gustave Flaubert(1821-1880)リアリズム文学(写実主義文学)の巨匠。フランスの作家。「ボヴァリー夫人」「感情教育」など。
Cimetiere Monumental de Rouen, Rouen, Departement de la Seine-Maritime, Haute-Normandie, France
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●ブラック Georges Braque(1882.5.13-1963.8.31)フランスの画家。フォーヴィスム(野獣派)やセザンヌの影響を受け、ピカソと共にキュビスム(立体派)を創始。「楽譜のある静物」「カフェ・バー」※墓石に美しい鳥のモザイク。
Cimetiere de Varengeville, Varengeville-sur-Mer, Departement de la Seine-Maritime, Haute-Normandie, France
●シャトーブリアン Francois Rene de Chateaubriand(1768-1848)スタール夫人と共に初期ロマン主義文学を代表するフランスの作家。ロマン主義文学の幕開けとなる「アタラ」「ルネ」を発表。両作は世紀病の原型とされる。
※墓前の銘板「偉大なフランスの作家がここに眠る/波の音、風の音だけを聞くために/ここに来る人たちは作家の意思を尊重して欲しい」
Grand Be Island, Saint-Malo, Departement d'Ille-et-Vilaine, Bretagne, France
●ジード Andre Gide(1869-1951)フランスの作家。道徳や既成宗教からの人間性の解放を追求し、諸問題に誠実に立ち向かった。ノーベル文学賞。「背徳者」「狭き門」「田園交響楽」。ジッド。
Cimetiere de Cuverville, Cuverville, Departement du Calvados, Basse-Normandie, France
●モネ Claude Monet(1840-1926)フランス印象派を代表する画家。自身の作品「印象・日の出」から印象派の呼称が生まれた。「ルーアン大聖堂」「睡蓮」など、同じ風景を一日の光の変化に従って描き分ける連作で知られる。
Giverny Church Cemetery, Giverny, Departement de l'Eure, Haute-Normandie, France
●ヴァレリー Paul Valery(1871.10.30-1945.7.20)フランスの詩人・思想家。豊かな音楽性の詩を書くと共に、精神の極限の探究を試みた。文芸全般の評論を書く。マラルメの高弟。詩「若きパルク」「海辺の墓地」
Chemin du Cimetiere Marin, Sete, Departement de l'Herault, Languedoc-Roussillon, France
●ガレ Emile Galle(1846-1904)フランスの工芸家。アール・ヌーボーの優美なガラス器・家具製作の第一人者。ナンシー派を生む。
Cimetiere de Preville, Nancy, Departement de Meurthe-et-Moselle, Lorraine, France//Plot: Northern wall of cemetery
●サキ Saki:H.H.Munro(1870.12.18-1916.11.13)スコットランドの作家。機知に富んだ幻想的な短編を得意とした。第一次世界大戦で志願、独軍に頭部を狙撃され戦死。
Thiepval Memorial, Thiepval, Departement de la Somme, Picardie, France//Plot: Pier and Face 8 C 9 A and 16 A.
●ジュール・ヴェルヌ Jules Verne(1828-1905)フランスの作家でSF小説の父。「80日間世界一周」「海底2万マイル」「月世界旅行」
La Madeleine Cemetery, Amiens, Departement de la Somme, Picardie, France//Plot: Section N
●リチャード1世 Richard I [Heart](1157.9.8-1199.4.6)プランタジネット朝第2代のイングランド王。在位1189〜99年。十字軍遠征時の武勇から獅子心王とよばれ、中世ヨーロッパにおいて騎士の模範と称えられた。青年期に父ヘンリー2世と対立し、フランス王と組んで戦った。1189年(32歳)、息子たちの反乱に失意して衰弱死した父の跡をついでイングランド王に即位。すぐさま第3回十字軍に出発した。1191年にアッコ(イスラエル北部)をイスラム教徒から奪回し、捕虜2700人全員を処刑。サラーフ・アッディーン(サラディン)率いる強力なイスラム軍を相手に大暴れし、武勇は世間にとどろいた。在位10年中イングランドに滞在したのはわずか6か月で、戦争と冒険に明け暮れたが、それを可能にしたのは国政を有能なカンタベリー大司教ヒューバート・ウォルターが支えたからだ。1199年、大陸の領土を死守せんとフランス王フィリップ2世に戦いを挑んで負傷、死去した。享年41歳。※ルーアン大聖堂には「心臓」、フォントヴロー修道院には「身体」が納められた。
Cathedrale Notre-Dame de Rouen, Rouen, Departement de la Seine-Maritime, Haute-Normandie, France心臓
http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=5110
Fontevraud Abbey, Fontevraud-l'Abbaye, Departement de Maine-et-Loire, Pays de la Loire, Franceボディ
●ユル・ブリンナー Yul Brynner(1920.7.11-1985.10.10)ロシア・ウラジオストック出身の俳優。本名ユーリイ・バリーサヴィチ・ブリーネル。父にモンゴルの血が入っておりエキゾチックな魅力で人気を呼ぶ。肺癌で余命が少ないことを知ったブリンナーは、1985年の1月から6月までミュージカル「王様と私」に再出演し、その4カ月後に他界した(「王様と私」には通算4633回出演)。代表作「王様と私」「荒野の七人」「十戒」「ウエストワールド」。
Saint Robert Churchyard, Luze, Departement d'Indre-et-Loire, Centre, France//Plot: Grave located in the pasture behind Saint Michal Abbey de Bos Aubry
●チェリビダッケ Sergiu Celibidache(1912-1996)ルーマニア出身の指揮者。ベルリン・フィルハーモニー首席指揮者。音は重厚極まりなし。完全主義者で録音を嫌った。
Cimetiere de Neuville sur Essone, La Neuville-sur-Essonne, Departement du Loiret, Centre, France
●クロード・レヴィストロース Claude Levi-Strauss(1908.11.28-2009.10.30)フランスの文化人類学者。ベルギー出身。実存主義後の現代の思潮、「構造主義」の祖。社会・文化現象を記号の体系としてとらえ、規則・関係など構造を分析。未開社会の複雑な親族・神話の分析に成功し、構造人類学を確立。広く現代思想に影響を与える。
Cimetiere de Lignerolles , Lignerolles, Departement de l'Indre, Centre, France
 
●レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci(1452-1519)ルネサンス期の画家・建築家・彫刻家・詩人にして近代科学の先駆者。あらゆる方面に才能を発揮した、人類可能性の極限。トスカーナ地方のヴィンチ村生れ。フィレンツェやミラノで活躍し、晩年フランスに亡命してアンボワーズで没した。「モナリザ」「最後の晩餐」
Chapelle Saint Hubert*, Amboise, Departement d'Indre-et-Loire, Centre, France
●藤田嗣治 Leonard Foujita:Tsuguharu(1886.11.27-1968.1.29)東京出身の洋画家。東京美術学校を卒業後、1913年に27歳で渡仏、エコール・ド・パリ(パリ定住の外国人芸術家)に加わる。乳白色の地に東洋的な細い線を使った画風により“世界のフジタ”として知られる。帰国後、戦争画の花形となり、戦後はフランスに帰化しカトリックに改宗。洗礼名レオナルド。「五人の裸婦」「猫」など。
Foujita Chapel, Reims, Departement de la Marne, Champagne-Ardenne, France
●ド・ゴール Charles De Gaulle(1890.11.22-1970.11.9)フランスの軍人・政治家。1940年(50歳)に自国がドイツに降伏すると、ロンドンに自由フランス政府を組織し、本国のレジスタンス(抵抗運動)と提携。戦後、右派をまとめフランス国民連合を組織。1958年(68歳)アルジェリア危機の対応で首相に復帰、新憲法を制定し第五共和制を樹立、初代大統領に就任した。核兵器保有、NATO離脱など自主外交を展開。
Colombey-les-Deux-Eglises Parish Churchyard, Colombey-les-Deux-Eglises, Departement de la Haute-Marne, Champagne-Ardenne, France
●ルノワール Auguste Renoir(1841-1919)印象派の大画家。甘美な色彩表現で人物を好んで描いた。生命感に溢れる女性像を多く残す。「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」「ボート遊びの昼食」など。
●ジャン・ルノワール Jean Renoir(1894.9.15-1979.2.12)画家ルノワールの次男。反戦映画の名作「大いなる幻影」を監督。徹底したリアリズム路線が、イタリアのネオレアリズモに影響を与えた。他に「ゲームの規則」「獣人」
Essoyes Cimetiere, Essoyes(エソイエ), Departement de l'Aube, Champagne-Ardenne, France
●ファーブルJean Henri Fabre (1823-1915)フランスの昆虫学者。様々な昆虫の生態を研究。特に蜂の観察で有名。主著「昆虫記」全10巻。
●ランボー Arthur Rimbaud(1854-1891)ヴェルレーヌやマラルメと並ぶフランス象徴派の詩人。10代から早熟の詩才を示し、活動期間わずか4〜5年で詩作を止めたが、20世紀文学に強烈な影響を与えた。「酔いどれ船」「地獄の季節」「イリュミナシオン」など。
Cimetiere avenue Boutet, Charleville-Mezieres, Departement des Ardennes, Champagne-Ardenne, France
●モーリス・ド・ブラマンク Maurice de Vlaminck(1876-1958)フランスの画家。マチスらとフォーヴィスム運動(野獣派)の中心人物として活躍。荒々しい筆遣いで風景を描いた。「赤い樹」
cimetiere de Rueil-la-Gadeliere
●アンリ・ルソー Henri Rousseau(1844.5.21-1910.9.2)フランスの素朴派画家。税関吏をやめて42歳頃から本格的に絵を描き始め、熱帯ジャングルや非日常的な空間をエキゾチックな画風で描いた。
Tombe d'Henri Rousseau au Jardin de la Perrine.Laval
[original burial site]Cimetiere de Bagneux, Bagneux, Departement des Hauts-de-Seine, Ile-de-France, France
 
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【中部】13
●エドワード・ウィンパーEdward Whymper(1840.4.27-1911.9.16)イギリスの登山家、挿絵画家。1865年、25歳でマッターホルンに初登頂(7度目の挑戦)。アンデス・ロッキー山脈などを踏査。A型テントの原型となったウィンパー型テントの考案者。著「アルプス登攀記」。※同墓地にモンブランやグランドジョラスに消えた日本人登山家の慰霊碑もあるとのこと。
●エットーレ・ブガッティ Ettore Bugatti(1881.9.15-1947.8.21)車体の美しさにこだわった自動車技術者、「ブガッティ」創業者。10代から自動車を設計。史上最大のエンジン排気量12763ccの超高級車T41ロワイヤルを製造。長男ジャンはテストドライブの事故により30歳で他界。
Cimetiere Dorlisheim, Dorlisheim, Departement du Bas-Rhin, Alsace, France
●ジャック=イヴ・クストー Jacques-Yves Cousteau(1910.6.11-1997.6.25)フランスの海洋探検家。スキューバ・ダイビングの先駆者。アクアラングを共同開発。「沈黙の世界」など多数の海洋ドキュメントを製作。1992年の地球サミットで海洋汚染を警告し、母国フランスの核実験再開を猛批判した。
Cimetiere de St-Andre-de-Cubzac, Saint-Andre-de-Cubzac, Departement de la Gironde, Aquitaine, France//Plot: Cousteau Family Grave
●モンテーニュ Michel De Montaigne(1533.2.28-1592.9.12)フランスの思想家。ルネサンス期最大のモラリストとして寛容の精神を訴えた。古今の幅広い知識と人間観察、内省により、自然に則した生き方を求める人生哲学を「随想録」に記す。
Musee d'Aquitaine, Bordeaux, Departement de la Gironde, Aquitaine, France
L'Eglise de Foeuillens, Bordeaux, Departement de la Gironde, Aquitaine, France
●ロートレック Henri Toulouse-Lautrec(1864-1901)フランスの画家。南仏生れの貴族。“ムーランルージュ”などモンマルトルの盛り場に出入りし、斬新な構図に風刺性が混ざった独自のタッチで踊り子・役者・娼婦などパリの風俗を描いた。石版ポスターでも知られる。
Cimetiere de Verdelais, Verdelais, Departement de la Gironde, Aquitaine, France
●クールベGustave Courbet(1819-1877)近代写実主義を主導したフランスの画家。現実社会をあるがままに直視し絵筆を握った。共和主義者としてパリ・コミューンに参加。反体制派の若者をかくまった。後にスイスに亡命。「オルナン伯の埋葬」
Cimetiere d'Ornans
●コルトー Alfred Cortot(1877.9.26-1962.6.15)20世紀前半のフランスのピアノ界を代表する名ピアニスト。ショパン、シューマン、ドビュッシーなどロマン派音楽・近代フランス音楽を得意とした。
Le Villars Cemetery, Le Villars, Departement de Saone-et-Loire, Bourgogne, France
●ロマン・ロラン Romain Rolland (1866.1.29-1944.12.30)人道主義を重んじファシズムと戦い、国際平和運動の先頭に立ったフランスの作家。長編「ジャンクリストフ」「魅せられた魂」の他、ベートーヴェンやミケランジェロの優れた伝記を残す。ノーベル文学賞。
Cimetiere de Breves, Breves, Departement de la Nievre, Bourgogne, France
●サガンFrancoise Sagan(1935.6.21-2004.9.24)フランスの女性作家。18歳の時に「悲しみよこんにちは」でデビューし、時代の寵児となった。
Cimetiere de Seuzac, Cajarc, Departement du Lot, Midi-Pyrenees, France
●ルイ・リュミエール Louis Lumiere(1864-1948)フランスの映画製作者。“映画の父”。エジソンのキネトスコープに刺激され、兄のオーギュスト(1862-1954)と共に撮影兼映写機シネマトグラフを開発。1895年(31歳)、パリで史上初めてスクリーンを用いた投影による映画上映に成功した。「列車の到着」「工場の出口」など。
Cimetiere de la Guillotiere, La Guilloterie, Departement de la Sarthe, Pays de la Loire, France
●ジョルジュ・サンド George Sand(1804.7.1-1876.6.8)女性作家。本名Aurore Dupin。詩人ミュッセや作曲家ショパンと恋愛。作風はロマン主義的→社会主義的→田園小説と変遷。
Cimetiere de Nohant, Nohant-Vic, Departement de l'Indre, Centre, France
●オリビエ・メシアン Olivier Messiaen(1908.12.10-1992.4.27)フランスの作曲家。音楽における人間性の回復を目指す。カトリック神秘主義に立ち、鳥の歌などの素材を駆使。「トゥランガリラ交響曲」※墓が白鳥!
Cemetery of Saint Theoffrey, Saint-Theoffrey, Departement de l'Isere, Rhone-Alpes, France
●ルネ・クレマンRene Clement(1913.3.18-1996.3.17)フランスの映画監督。1945年(32歳)、ナチス占領下フランスの鉄道労働者の反抗を描いた『鉄路の闘い』が第1回カンヌ国際映画祭グランプリと監督賞を獲得。1951年(38歳)、反戦映画『禁じられた遊び』でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞とアカデミー外国語映画賞に輝く。他に『太陽がいっぱい』『居酒屋』『雨の訪問者』など
St Pee sur Nivelle, France※この村のどこかの私有地に墓があるらしい。墓参難易度S級!
●ジュール・ルナール Jules Renard(1864.2.22-1910.5.22)フランスの作家。平易な言葉、ユーモア、鋭い観察力で作品を書いた。「にんじん」「博物誌」
Cimetiere de Chitry-les-Mines, Chitry-les-Mines, Departement de la Nievre, Bourgogne, France
●バタイユGeorges Bataille(1897.9.10-1962.7.8)フランスの思想家・作家。浪費や放蕩など、非生産的行為の中に聖性を見る思想を提唱。ポスト構造主義に影響を与えた。
Dans I'ancien cimetiere,Vezelay,Departement de l'Yonne,Bourgogne, France
http://www.pileface.com/sollers/spip.php?article511 ※門から入って左に4列目、5番目の墓!
●ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(Georges de La Tour,1593年3月19日 - 1652年1月30日)は、現フランス領のロレーヌ地方で17世紀前半に活動し、キアロスクーロを用いた「夜の画家」と呼ばれる[1]。
Georges de La Tour、tombe、Luneville と思う。
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【南仏 Provence】19
●マルタン・デュ・ガールRoger Martin du Gard(1881-1958)フランスの作家。20世紀初頭から第一次大戦に至るフランス社会の時代的な苦悩を描いた大河小説「チボー家の人々」で知られる。ノーベル文学賞。
Musee Franciscain-Eglise et Monastere de Cimiez, Cimiez, Departement des Alpes-Maritimes, Provence-Alpes-Cote d'Azur, France
●デュフィ Raoul Dufy(1877-1953)フランスの画家。フォーヴィスム(野獣派)の一人。装飾的で明るい画風を確立。
Musee Franciscain-Eglise et Monastere de Cimiez, Cimiez, Departement des Alpes-Maritimes, Provence-Alpes-Cote d'Azur, France
●マティス Henri Matisse(1869-1954)フランスの画家。フォービスム(野獣派)運動をブラマンクらと主導。その後、色彩効果を強調した平面的かつシンプルな線による洗練された独自の画境を拓く。晩年は切り紙絵を制作。「ダンス」「オダリスク」、南仏ヴァンス「ドミニコ会修道院礼拝堂装飾」など。
Musee Franciscain-Eglise et Monastere de Cimiez, Cimiez, Departement des Alpes-Maritimes, Provence-Alpes-Cote d'Azur, France
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●ル・コルビュジエ Le Corbusier(1887-1965)スイス出身のフランスの建築家。近代建築の祖。フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエ、グロピウスと共に近代建築の四大巨匠とされる。住宅建築から都市計画まで機能的合理主義に立った現代建築を主導。本名Charles Edouard Jeanneret-Gris。代表作にポワッシーのサボア邸、ロンシャンの礼拝堂など。
Cimetiere de Roquebrune-Cap-Martin, Roquebrune-Cap-Martin, Departement des Alpes-Maritimes, Provence-Alpes-Cote d'Azur, France
●イエーツ William Butler Yeats[original burial site](1865-1939)詩人。
Cimetiere de Roquebrune-Cap-Martin, Roquebrune-Cap-Martin, Departement des Alpes-Maritimes, Provence-Alpes-Cote d'Azur, France
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●セザンヌ Paul Cezanne(1839-1906)近代絵画の父、フランスの画家。フォーヴィスム・キュビスムの先駆となった後期印象派の巨匠。造型そのものに価値を見出し、印象派が軽視した物の形や輪郭線、固有色を重視。「自然は円筒・円錐・球によって構成されている」と画家の主観で対象を再構成する独自の画境を拓いた。「サント‐ヴィクトワール山」など。
Cimetiere de Saint Pierre, Aix-en-Provence, Departement des Bouches-du-Rhone, Provence-Alpes-Cote d'Azur, France
●ダリウス・ミヨー Darius Milhaud(1892.9.4-1974.6.22)フランスの作曲家。フランス六人組の中心的存在。多調和音を使い独特の音色を紡ぎ出した。
Cimetiere de Saint Pierre, Aix-en-Provence, Departement des Bouches-du-Rhone, Provence-Alpes-Cote d'Azur, France
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●メリメ Prosper Merimee(1803-1870)フランスの作家。歴史に博学で、運命や情熱をテーマに簡潔な文体で描いた。考古学や言語学にも精通。「カルメン」「コロンバ」など。
Cimetiere du Grand Jas de Cannes, France
●クラウス・マンKlaus Mann(190611.18-1949.5.21)劇作家。トーマス・マンの息子。命を絶った。Plot: Carre 16
Cimetiere du Grand Jas de Cannes, France
●ボナールPierre Bonnard(1867-1947)フランスの画家。色彩そのもの美を追求した“色の魔術師"。パステルカラーが美しい。ナビ派の創始メンバー。「浴槽の裸婦」など。
Cimetiere Notre-Dame-des-Anges, France
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●ビアズリーAubrey Beardsley(1872-1898)イギリスの挿絵画家。世紀末耽美主義を象徴。流麗な曲線を多用した黒白画の新形式を創始。オスカー=ワイルド「サロメ」の挿絵で著名。享年25歳。
Cimetiere du Trabuquet, Menton, Departement des Alpes-Maritimes, Provence-Alpes-Cote d'Azur, France
●ガストン・ルルー Gaston Leroux(1868.5.6-1927.4.15)フランスの作家。生前は推理作家としてモーリス・ルブランと並ぶ人気を誇った。30代前半から怪奇小説を書き始め、1907年(39歳)にミステリーの古典的傑作『黄色い部屋の秘密』を発表。1910年(42歳)の『オペラ座の怪人』は存命中に映画化されるなど大評判となった。享年58。没後約60年を経て1986年にアンドリュー・ロイド=ウェバーがミュージカル化した舞台はミュージカル史上最大のヒット作となった。
Cimetiere du Chateau, Nice, Departement des Alpes-Maritimes, Provence-Alpes-Cote d'Azur, France//Plot: Immediately to the left of the main entrance, from Allee Francoise Aragon
●キスリング Moise Kisling(1891.1.22-1953.4.29)ポーランド出身のフランスの画家。エコール・ド・パリ(パリ定住の外国人芸術家)の一人。色彩あふれる裸婦を多く描いた。20代後半で成功し「モンパルナスの帝王」と呼ばれる。作「モンパルナスのキキ」など。
Cimetiere de La Valette, La Valette, Departement des Alpes-de-Haute-Provence, Provence-Alpes-Cote d'Azur, France
●ジャン・マレー Jean Marais (1913-1998)フランスの俳優。ジャン・コクトー監督の『美女と野獣』『オルフェ』に出演。コクトーの長年の愛人でもあった。
Vallauris, Cannes, Departement des Alpes-Maritimes, Provence-Alpes-Cote d'Azur, France
●シャガール Marc Chagall(1887-1985)ロシア(現ベラルーシ)出身の画家。故郷や旧約聖書、愛を題材とする幻想的作風で知られ“絵画の抒情詩人”と讃えられる。
Saint Paul Town Cemetery, Saint-Paul-de-Vence, Departement des Alpes-Maritimes, Provence-Alpes-Cote d'Azur, France//Plot: The most westerly aisle upon entering the cemetery
●ノストラダムスNostradamus (1503.12.14-1566.7.1)フランスの医師・占星術師。警鐘を混ぜた長大な予言詩「諸世紀」を残す。
Collegiale Saint-Laurent(Saint Laurent's Church, Salon-de-Provence, Departement des Bouches-du-Rhone, Provence-Alpes-Cote d'Azur, France//Plot: Stones are in a wall of the church
●ピカソ Pablo Picasso(1881-1973)フランスで活躍したスペインの画家。作風は20〜23歳に表現主義的な「青の時代」、24〜25歳に抒情性が増した「バラ色の時代」を経て、1907年、26歳の時に『アビニョンの娘たち』でブラックと共に新しい造形表現となるキュービズム(立体派)を創始。その後、45〜55歳までシュールレアリスム(超現実主義)に近づき、1937年、56歳で反戦メッセージを込めた3.5m×7.8mの巨大壁画『ゲルニカ』を完成させる。版画・陶器・彫刻のほか舞台装置も手がけ、無数の作品を残した。「三人の音楽師」「泣く女」など。
Castle Vauvenargues Estate Grounds, Vauvenargues, Departement des Bouches-du-Rhone, Provence-Alpes-Cote d'Azur, France
●カミーユ・クローデル Camille Claudel(1864-1943)彫刻家。19歳の時にロダン(当時42歳)に弟子入り。ロダンには内妻ローズがいたが、美貌と才能を持ったカミーユに惹かれ、三角関係が15年続く。20代後半で妊娠するも出産を断念。最終的にロ
ダンはローズを選び、カミーユは40代後半に統合失調症を発症。南仏モントヴェルク精神病院で生涯を過ごす。ロダンを憎み続け、身内に看取られることなく78歳で他界。自作の大半を破壊し、約90の彫像と絵画が残った。Cimetiere de Montfavet, Montfavet, Departement du Vaucluse, Provence-Alpes-Cote d'Azur, France//Plot: Remains in ossuary(納骨堂)
HOPITAL MONFAVETにも慰霊碑
●ディオール Christian Dior(1905.1.21-1957.10.24)フランスの服飾デザイナー。1947年(42歳)、ニュールックと呼ばれるシルエット“8ライン”を発表して成功。A ライン、H ラインなど独創的デザインを考案。
Cimetiere de Callian, Callian, Departement du Var, Provence-Alpes-Cote d'Azur, France
●カミュ Albert Camus(1913-1960)フランスの作家。アルジェリア出身。第二次大戦中はレジスタンスに参加。不条理の哲学を探究し、政治的暴力を否定、ヒューマニズムを追求した。「異邦人」「ペスト」「シジフォスの神話」など。ノーベル文学賞。
Lourmarin Cemetery, Lourmarin, Departement du Vaucluse, Provence-Alpes-Cote d'Azur, France
●J・S・ミル/ジョン・ミル John Stuart Mill(1806.5.20-1873.5.8)イギリスの哲学者・経済学者。ベンサムの功利主義を擁護、発展させ、功利主義の社会倫理説を主張。思想・言論の重視性を説いた。
Cimetiere de St. Veran, Saint-Veran, Departement du Vaucluse, Provence-Alpes-Cote d'Azur, France
●ジェラール・フィリップ Gerard Philipe(1921-1959)フランスの俳優。気品漂う二枚目として戦後フランス映画を代表する俳優となったが、肝臓ガンのため36歳で早逝した。「肉体の悪魔」「花咲ける騎士道」「モンパルナスの灯」
Cimetiere de Ramatuelle, Ramatuelle, Departement du Var, Provence-Alpes-Cote d'Azur, France//Cimetiere de Ramatuelle, Gerard Philipe
 
 
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【王墓 サン=ドニ:Saint Denis Basilique】Saint-Denis, Departement de Seine-Saint-Denis, Ile-de-France, France 17+5 22 
●クロービス King Clovis I  (466-511)
現在のフランスからベルギー・ドイツ西部におよぶフランク人の王国を築き、首都をパリに置いた。フランク王国メロビング朝初代の王。在位481〜511年。父はシルデリック1世。妻クロティルドのすすめでローマ・カトリックに改宗し、フランク族による西ヨーロッパ支配を教会が支持した。
●クロタール2世 Chlothar II(584-629)613年にアウストラシアとブルグント王国の王位を手に入れ、フランク王国を統一。623年父によってアウストラシア王に任命。
Chlothar II King Of The Franks
Saint-Germain-des-Pres Church Paris City of Paris Ile-de-France, France
●ダゴベルト1世 Dagobert I(603- 639.1.19)聖ドニを讃えてサン=ドニ修道院を創立。メロヴィング朝の4代目の国王。クロタール2世の長男。 ドイツ最古の城、Altes Schlossをメーアスブルクに築城。
●ピピン3世 Pippin III:King "The Short" Pepin(714-768.9.28)フランク王国の国王(在位:751年-768年)。後期フランク王国のカロリング朝を開く。各地を征服し、その権威はクロヴィス1世以降ピークに。ローマ教皇ステファヌス3世がローマ貴族(パトリキ)に叙(じょ)す。
●ユーグ・カペー Hugues Capet(940- 996.10.24)カペー朝を開いた王。フランク王国が終わりフランス王国が始まった。ロベール家。家督相続当初は幼少ゆえにロベール家領を多く失ったが、カロリング朝の断絶により王位を継承すると、子孫は勢力を回復。ヴァロワ朝からブルボン朝へと血統を繋げ、フランス革命からナポレオンの時代を除いた七月王政まで、800年以上(!)フランスの王権を保った。
●アンリ1世 King Henri I.(1008.5.4-1060.8.4)カペー朝第3代国王(在位:1031年-1060年)。父はロベール2世(敬虔王)。1031年に33歳で即位。夫妻の他に子供の彫像もあるのが切ない。
Saint Denis Basilique, Saint-Denis, Departement de Seine-Saint-Denis, Ile-de-France, France
●フィリップ2世 Philippe II:Augustus "the God-given" of France(1165.8.21-1223.7.14)フランス最初の偉大な王。初代ローマ皇帝アウグストゥスにちなんで尊厳王(Auguste)と称される。カペー朝第7代の王(在位:1180年-1223年)。父はルイ7世。イングランド王家に奪われた大陸領土の大部分を奪還し、「ブービーヌの戦い」で神聖ローマ帝国、イングランドに対する優位を確立し、さらにアルビジョア十字軍を利用して南仏(ラングドック)やブルゴーニュにまで王権を及ぼす基盤を作った。内政面では都市整備、パリ大学の設立などで民衆から支持を得、フランス国民としての共通意識を高めて、1世紀にわたってフランスは繁栄する。
●(イタリア墓)ルイ9世 Louis IX(1214.4.25-1270.8.25)。国内外を問わず、争いを収めるよう努力したため「ヨーロッパの調停者」と呼ばれ、死後、カトリック教会より列聖されSaintとなり、Saint-Louis(サン=ルイ)と呼ばれるように。フランス王国カペー朝第9代の王(在位:1226年-1270年)。父はルイ8世。ブルボン家の先祖で、子孫の多くが崇敬し“ルイ"を名乗った。内政に力を入れ長期の平和を保ったことで、治世下の王国は繁栄した。ただし、宗教心から行った2回の十字軍は自身も捕虜となるなどボロ負け。イスラム圏のチュニジアを攻撃するも、衛生環境の悪さから同地で病没した。最期の言葉は「イェルサレム」。高潔さから理想のキリスト教王と称えられている。※米国の都市名セントルイスの由来。聖王カスティーリャ王フェルナンド3世は従兄。
Cathedral of Monreale, Monreale, Provincia di Palermo, Sicilia, Italy
Plot: North Of The Choir.内臓のみ
●フィリップ4世 Philipe IV(1268 -1314.11.29)。整った顔立ちから「端麗王」(le Bel、ル・ベル)と称される。フランス王(在位:1285年- 1314年)。ナバラ王としてはフェリペ1世。官僚制度の強化に努め、絶対王政へとつながる中央集権化の第一歩を踏み出した。「王国の中の皇帝」とまで称され、国益のためには慣習を超えて行動することを可とした。ただし周辺国には災難。毛織物業で経済的に繁栄していたフランドル地方を手に入れるため現地の人々と争い、ローマ教皇とも対立して強引に教皇庁を南仏アヴィニョンに移し(アヴィニョン捕囚)、また、テンプル騎士団を異端として解散に追い込み、後世に「教皇を憤死させた王」と悪評を得ることとなった。
●シャルル6世 Charles VI(1368.12.3-1422.10.21)。異名は“狂気王"。ヘンリー五世と闘った。
●シャルル7世 Charles VII(1403.2.22-1461.7.22)。百年戦争に終止符を打ち、荒廃したフランスを復興させたがジャンヌ・ダルクを見殺しにした。
●シャルル8世 Charles VIII(1470.6.3-1498.4.7)。イタリア遠征に失敗。うっかり鴨居に頭をぶつけて死亡。
●ルイ12世 King Louis XII(1462.6.27-1515.1.1)。「民衆の父」(le Pere du Peuple)と呼ばれた、ヴァロワ朝第8代のフランス王(在位:1498年-1515年)。シャルル5世の曾孫。シャルル8世が男系後継者なく急死し、フランス王位に即位。王妃アンヌが死去すると、ルイ12世はイングランド王ヘンリー8世の妹メアリー・テューダーと結婚。その3ヶ月後に病没した。※墓は人間の彫像だらけ!
●アンリ4世 King Henri IV(1553.12.13-1610.5.14)。「良王アンリ」。寛容の精神や国民の生活状態を配慮する姿勢が評価され、フランス人に最も人気の高い王!ブルボン家。ルーブル宮殿の大ギャラリーを建造。反対派貴族を武力で弾圧するのではなく、懐柔することに努め、そのためには賠償金の支払いさえ辞さなかった。“ナントの勅令”でプロテスタント(ユグノー)などの新教徒に対してカトリック教徒とほぼ同じ権利を与えたことから、狂信的なカトリック教徒のフランソワ・ラヴァイヤックに刺殺された。※現在のスペイン王室はアンリ4世が開いたブルボン朝の分家)。
●ルイ14世King Louis XIV(1638.9.5-1715.9.1) 太陽王(バレエで太陽神に扮したことが由来)と呼ばれたフランス国王(在位1643〜1715)。王権神授説をとり絶対主義を確立。「朕は国家なり」と称した。ベルサイユ宮殿を建設。「中世以後の国家元首として最長の在位期間(72年)を持つ人物」としてギネス世界記録にも認定されている。
●アントワネットMarie Antoinette(1755-1793)ルイ16世の妃。マリアテレジアと神聖ローマ皇帝フランツ1世との末娘。フランス革命の際、1793年1月21日に夫ルイ16世が処刑され、10カ月後の10月16日に自身もギロチン処刑となった。
●ルイ17世King Louis XVII(1785.2.27-1795.6.6)ルイ16世とマリー・アントワネットの次男。幼児期に兄が病死し王太子(ドーファン)となる。1789年、4歳のときにフランス革命が勃発。国王一家は共にタンプル塔に幽閉され、革命4年後(1793年)に両親は処刑された。8歳のルイ17世は塔の屋上を散歩した際に見つけた花を摘み、花好きの母のために無人と知らずに母の部屋の前にそっと置いたという。両親を失った後は、少年にとって書くこともおぞましい凄惨な日々となった。トイレも窓も玩具もない部屋に2年間閉じ込められ、後見人や看守から日常的に暴力をふるわれ、性的虐待も行われた。他界3カ月前に診察した医師の報告書「出くわした子供は頭がおかしく、死にかけている。最も救いがたい惨状と放棄の犠牲者で、最も残忍な仕打ちを受けたのだ。私には元に戻すことができない。なんたる犯罪だ!」。そしてルイ17世は解放されることなく10歳で病死した。最後まで母が処刑されたことを知らず、死後に独房から墨で書かれた「ママ、あのね…」という言葉と花の絵が見つかった。遺体は共同墓地のサン・マルグリット墓地に葬られたが、検視官ペルタンが心臓をハンカチに包み、コートに入れて持ち出した。ペルタンは蒸留ワインのアルコールを塗って自宅の書棚に隠していたが、アルコールは蒸発し心臓は石のごとく硬くなり、現在はサン=ドニの両親の墓の側に納められている。
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●ヘンリー2世 Henry II [original burial site:body](1133.3.5-1189.7.6)。プランタジネット朝初代のイングランド国王(在位:1154年-1189年)。治世の開始時(1154年)に称号がRex Angliae(イングランド国王)になった。帝国の版図は、フランスの西半分から、アイルランドまでをふくむ広大なもの。治世下では、教会の自由を唱えたトマス・ベケットを王の兵4人が殺害したことから、ヘンリー2世はベケットの墓前で土下座した。晩年は息子達の反乱に失意し衰弱死。
※身体はシノン近郊のフォントヴロー修道院に安置された。フォントヴロー修道院(L'abbaye de Fontevraud)は、フランス・メーヌ=エ=ロワール県フォントヴロー・ラベ近郊にある修道院。
※ヘンリー2世以来、イングランドの支配下に置かれているアイルランド王国は1800年の連合法によって、その翌年にグレートブリテンおよびアイルランド連合王国の一部となった。この状態はアイルランド自由国成立後の1922年まで続き、改名の結果イングランドを含む連合王国の名称はグレートブリテンおよび北アイルランド連合王国となった。
Fontevraud Abbey(フォンントブロー修道院), Fontevraud-l'Abbaye, Departement de Maine-et-Loire, Pays de la Loire, France
●ジョン King John(1167.12.24-1216.10.18)。プランタジネット朝第3代イングランド王(在位:1199年-1216年)。父はヘンリー2世。父が幼年のジョンに領土を与えなかったことから欠地王と呼ばれる。また、フランス王フィリップ2世との戦争で領地を大幅に失ったため「失地王」とも呼ばれる。1215年5月5日、貴族の怒りが爆発しジョン王の廃位を求めて結託。貴族と国民は「反ジョン」でまとまった。ジョン王は、王の権限を制限するマグナ・カルタを承認した(「王の決定だけでは戦争協力金などの名目で税金を集めることができない」「国民は法か裁判によらなければ自由や生命、財産をおかされない」など)。これは現代に続く「法の支配」、保守主義、自由主義の原型となった。無能・暴虐・陰謀好き・裏切り者・恥知らずと評され、大陸領土喪失・甥殺しによる信望の喪失・教皇への屈服とイングランドの寄進・重税・諸侯の反乱と失政が続き、唯一評価されるのは「強制されてマグナ・カルタを認めイギリスの民主主義の発展に貢献した」ことのみと、在位当時から後世の評価まで徹頭徹尾評判の悪い王。不人気ゆえ「ジョン2世王」は存在しない。
Fontevraud Abbey, Fontevraud-l'Abbaye, Departement de Maine-et-Loire, Pays de la Loire, France//Plot: Cardiotaph (heart only)
●リチャード1世 Richard I [original burial site:body](1157-1199)十字軍遠征時の武勇から獅子心王とよばれた。父ヘンリー2世と対立しフランス王と組んで戦った。衰弱死した父の跡をついでイングランド王に即位。すぐさま第3回十字軍に出発した。在位10年中イングランドに滞在したのはわずか6か月で、戦争と冒険に明け暮れた。最後はフランス王フィリップ2世と戦って傷を負い死去。
Fontevraud Abbey, Fontevraud-l'Abbaye, Departement de Maine-et-Loire, Pays de la Loire, Franceボディ
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●ウィリアム1世 William I 'The Conqueror'(1027-87)。「征服王」。ノルマン朝を開き現イギリス王室の開祖となる。ノルマン朝初代のイングランド王。在位1066〜87年。従兄弟エドワード(懺悔王)の死後、イングランド王位に名のりをあげた。イングランドに侵攻し、「ヘースティングズの戦」で王位に就いたハロルドを破り、ロンドンに進軍&征服(ノルマン・コンクエスト)し即位を果たした。イングランド教会に対する教皇の権限を大幅に縮小し、全国検地をおこなって、「ドゥームズデー・ブック」(世界初の土地台帳)にまとめさせた。1087年、フランス王フィリップ1世との戦争中に落馬し、ルーアンで死去。墓標はノルマンディー、カーンの聖エティエンヌ修道院。
※1066年にウィリアム征服王がウェストミンスター寺院で戴冠して以来、同寺院で戴冠式をとりおこなうのが慣例となっている。ウィリアム1世のイングランド征服後、イングランドが外国軍によって征服されることはなく、後の王家は全てウィリアム1世の血統を受け継いだ。ウィリアム1世は、国王に対する忠誠は地方領主に対する忠誠にまさるという先例を築いた。
※中世ヨーロッパの封建社会では、主君の支配がおよぶのは直接の臣下までで、臣下の臣下(陪臣:ばいしん)は範囲外とされていた。
Abbey of Saint Stephen, Caen, Departement du Calvados, Basse-Normandie, France
●ジェームズ2世 James II(1633-1701)。名誉革命によって王座をおわれた。在位1685〜88年。チャールズ2世の弟。最後のカトリック教徒の王。1688年6月10日に男児が生まれ、次の国王にもカトリック教徒が即位するのを恐れた貴族たちが、ジェームズ2世の長女でプロテスタントのメアリーとその夫オランダ総監オラニエ公ウィレム(のちのメアリー2世とウィリアム3世)にイングランド来援を要請した。ジェームズ2世はフランスに逃れた為、上陸したウィレムは悠々とロンドンに進軍し、歓呼の声に迎えられた。この名誉革命によりイングランドは立憲君主制の道を歩み始めた。
Eglise Paroissiale, Saint-Germain-en-Laye, Departement des Yvelines, Ile-de-France, France
 
 
★モナコ
●グレース・ケリー Grace Kelly(1928-1982)アメリカの映画女優・モナコ公国王妃。清楚な気品と美貌。事故死。「真昼の決闘」「裏窓」「泥棒成金」。
●モナコ大公レーニエ3世 Grimaldi III, Rainier Louis Henri Maxence Bertrand de(1923-2005)グレース・ケリーと結婚。
Cathedral of Saint Nicholas, Monaco, Monaco
●ヘンリク・シェリングHenryk Szeryng(1918.9.22-1988.3.3)バッハの名演奏で知られるヴァイオリニスト。ユダヤ系ポーランド人で後にメキシコ帰化。7歳からバイオリンを習い、15歳でデビュー。パリ音楽院を首席で卒業し、二次大戦中の慰問演奏を通してメキシコの大学に就職、1946年(28歳)、メキシコに帰化した。1954年、NYのリサイタルを機に世界的に注目され、積極的に近現代作品にもとり組む。同じポーランド出身のピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタインとよく組んだ。愛用楽器は1743年製グァルネリ「ル・デューク」。
Cimetiere de Monaco,Monaco, Monaco


 
ロンドン
【ウエストミンスター寺院:Westminster Abbey29】Westminster, City of Westminster, Greater London, England
●ダーウィンCharles Darwin(1809-1882)イギリスの博物学者。測量船ビーグル号で南半球を巡って動植物・地質を調査し、「種の起源」で進化論を提唱。一般思想界にも影響を与えた。
Plot: The North Choir ailse, close to Sir Isaac Newton
●ニュートンIsaac Newton (1642-1727)物理学者・天文学者・数学者。ケンブリッジ大教授。万有引力の発見、微積分法や反射望遠鏡の発明、光のスペクトル分析などの功績。造幣局長官・英国王立協会長を歴任。「自然哲学の数学的原理(プリンキピア)」
●ヘンデル George Frideric Handel(1685-1759)ドイツの作曲家。初めはイタリアで、後半生はイギリスで活躍。後期バロック音楽の巨匠。作風は単純・明快。オラトリオ(宗教音楽劇)「メサイア」
●ディケンズ Charles Dickens(1812-1870)イギリスを代表する小説家。ヴィクトリア朝の英国社会を鋭くとらえ、ユーモアを交えて不正を批判。共感を込めて庶民を描いた。「クリスマス-キャロル」「二都物語」「オリバー=ツイスト」「デビッド=カッパーフィールド」。
Plot: Poets Corner(本墓)墓碑銘「故人は貧しき者、苦しめる者、そして虐げられた者への共感者であった。その死により、世界から、英国の最も偉大な作家の一人が失われた 」
●ハレー Edmond Halley[memorial](1656-1742)天文学者。彗星が再訪することを発見。ハレー彗星が約76年周期で接近すると予測。
●キップリング Rudyard Kipling(1865.12.30-1936.1.18)イギリスの作家。植民地インド生まれ。帰英後、インドが背景となった小説を多く書いた。「ジャングル・ブック」。ノーベル賞。
http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=584  Plot: Poets Corner (Cremated at Golders Green Crematorium)
●リビングストン David Livingstone(1813-1873)イギリスの探検家。奴隷貿易の廃止に貢献。宣教師として南部アフリカに派遣され、多数の地理的発見をした。一時行方不明になるも、タンザニアのタンガニーカ湖畔でスタンリーに発見された。
●ローレンス・オリビエLaurence Olivier(1907-1989)英国を代表する名優。シェイクスピア作品を得意とした。
●レイフ・ヴォーン・ウィリアムズRalph Vaughan Williams(1872-1958)作曲家。田園風景を彷彿とさせる牧歌的な作風。シベリウスに傾倒。遺灰は北の聖歌隊席通路に埋葬。
Westminster Abbey, Westminster, City of Westminster, Greater London, England//Plot: His ashes are buried in the North Choir Aisle. Cremated at Golders Green Crematorium
?グラッドストン William Ewart Gladstone(1809.12.29-1898.5.19)ビクトリア時代を代表する政治家の一人。1867年に自由党党首となり、4度にわたり首相をつとめた。初等教育の整備、大学入学における宗教的差別の撤廃、秘密投票を実現。紙税を撤廃し安価な新聞を可能にした。腐敗選挙防止法、選挙権の拡大を規定した第3次選挙法改正を実現。
●パーセル Henry Purcell(1659.9.10-1695.11.21)宮廷作曲家。英国バロック音楽の代表者。多数の教会音楽・器楽音楽・オペラを作曲。
●ブラウニング Robert Browning(1812.5.7-1889.12.12)テニソンと並ぶビクトリア朝の代表的詩人。「劇的独白」と呼ばれる心理描写を試みた。
Westminster Abbey, Westminster, City of Westminster, Greater London, England//Plot: Poet's Corner, alongside Tennyson
●ローランド・ヒル Rowland Hill(1795.12.3-1879.8.27)「近代郵便制度の父」。1837年、“手紙は国内均一の郵便料金(1ペニー)にすべき"と提案し、3年後に世界初の郵便切手が誕生した。
Westminster Abbey, Westminster, City of Westminster, Greater London, England//Plot: Chapel of St.Paul
●アーネスト・ラザフォード Ernest Rutherford(1871.8.30?1937.10.19)「原子物理学の父」。ニュージーランド出身の物理学者。実験物理学の大家で、弟子思いでも有名。放射線の研究でα線・β線を発見。原子核の人工変換に成功。“半減期"の概念を作る。ノーベル化学賞(1908)。
●テニソンAlfred Tennyson(1809.8.6-1892.10.6)英ヴィクトリア朝の国民的詩人。桂冠詩人。詩風は美しい韻律と豊かな抒情性。時代の問題も取り上げた。「イン・メモリアム」は友人の死と進化論によって揺れ動く信仰をうたった詩。
●チョーサー Geoffrey Chaucer(1342-1400.10.25)「英詩の父」。近代英詩を創始した詩人。中世イギリス文学の傑作「カンタベリー物語」を残す。鋭い人間観察とユーモア、独自の文学世界。
Westminster Abbey, Westminster, City of Westminster, Greater London, England
Plot: Poets Corner, name is on Abraham Cowley's marker, actual grave is unmarked. [unmarked]
〔王族〕15
●エドワード懺悔王Edward the Confessor(1004-1066)在位:1042年6月8日- 1066年1月4日。修道士に近い国王。ウェストミンスターを建設。ノルマン・コンクエスト以前の最後の王。白子(アルビノ)。
※ウェストミンスター寺院にはエドワード懺悔王(1066年没)からジョージ2世(1760年没)まで700年にわたる多くの王が礼拝堂に葬られた。
Plot: The Chapel of St. Edward the Confessor, behind the Sanctuary
Westminster Abbey, Westminster, City of Westminster, Greater London, England
●ヘンリー3世King Henry III.(1207.10.1-1272.11.16)ヘンリー3世治世の国王と諸侯(シモン・ド・モンフォール/下院の創設者)の争いの中から、今日の議会の原型が誕生した。
●エドワード1世Edward I(1239.6.17-1307.7.7)在位1272-1307年。ヘンリー3世の長男。強力な指導力の下、イングランドは中世における最盛期をむかえた。多くの法律を制定し土地保有制度の改革や教会裁判権の抑制をはかる。ウェールズ支配の強化により、長男のエドワード2世に「プリンス・オブ・ウェールズ」の称号を授け、これが慣例となってイングランド君主の長男はこの称号を帯びるようになった。スコットランド攻略でスコットランド王を廃位させたが、W・ウォレスらスコットランド独立の反乱がおきた。ウォレスを処刑し、3度目のスコットランド遠征にむかう途中で病死した。
●エドワード3世Edward III(1312.11.13-1377.6.21)在位1327-77年。1337年にフランス王フィリップ6世がフランス内の英王領=アキテーヌ公領の没収を宣言。エドワード3世はフィリップ4世の孫であった為、フランス王位請求権を主張し「百年戦争」(1337〜1453)が勃発する。長子エドワード(黒太子)とノルマンディに上陸、カレーを占拠したが曽々孫ヘンリー6世(1421-1471)の時代にジャンヌ・ダルク率いるシャルル7世軍に敗北した。治世下1347〜70年にペストが大流行し、ヨーロッパでは総人口の3分の1にあたる2500万人〜3000万人が病没した。
※エドワード3世→ジョン・オブ・ゴーント→ヘンリー4世→ヘンリー5世→ヘンリー6世
※没後、イングランドは、ともにエドワード3世の血をひくランカスター家(赤薔薇)とヨーク家(白薔薇)が争う時代へ入っていく。
●リチャード2世Richard II(1367.1.6-1400.2.14)プランタジネット朝のイングランド王(在位:1377年6月22日-1399年9月29日)。リチャード2世の眼前で、農民一揆のリーダー、ワット・タイラーはロンドン市長ウォルワースの手で殺害された。ヘンリー4世が即位=ランカスター朝を開いた後、リチャード2世は尊厳を奪われ餓死させられた。
●ヘンリー5世King Henry V(1386.9.16-1422.9.1)フランス侵攻の野心をもち、1415年にはアザンクールで大勝利をおさめた(英軍約6000VS仏軍2万5000)。フランス軍の死者5000余人、その中には500人以上の貴族が含まれていた。その後フランス王家と縁組みをして両王国の統合に事実上成功したが直後に赤痢で急逝(34歳)。息子のヘンリー6世が9歳で両王国の統治者として即位する。
★ヘンリー7世Henry VII (1457.1.28-1509.4.21)在位1485〜1509年。ランカスター家出身。先帝リチャード3世(ヨーク家)は兄であるエドワード5世(エドワード4世の遺児)を廃位して王となったが、その際に兄王の2人の子を殺害させた疑惑があった。ヘンリー7世は兵をおこし、薔薇戦争(1455〜85)のボズワース決戦でリチャードを倒して即位した。翌年、ヨーク家のエリザベスと結婚し両家を統合、新たにチューダー朝を開く。内戦で封建貴族が疲弊=王権が強化された結果、チューダー朝・絶対王政の時代は118年も続く。
●エドワード6世King Edward VI(1537.10.12-1553.7.6)マーク・トウェイン『王子と乞食』の主人公。在位:1547年1月28日- 1553年7月6日。父はヘンリー8世。母はジェーン・シーモア(3番目の妃)。15歳で病死。日記が残っており、現存する英語で記載された最も古い日記とされる。
●メアリー1世Mary I(1516.2.18-1558.11.17)Queen Mary (Tudor) I. (Mary)在位1553〜58年。ヘンリー8世と最初の妃キャサリンの子(メアリー・ステュアートとは別)。父ヘンリー8世の宗教改革を廃してカトリックに復帰する政策をとった。ミサが復活し、教皇の権威が再確立された。1554年、カトリック大国スペインのフェリペ(後のフェリペ2世)と結婚し、国民の大きな反発を招く。異母妹エリザベスを女王に擁立しようとするワイアットらの反乱を鎮圧。メアリーはフェリペの要請をうけてフランスとの戦争に加担し、英国は大陸最後の拠点カレーを失った。苛烈な宗教弾圧により、カンタベリー大主教クランマーなど約300人のプロテスタントを異端として処刑した「ブラッディ・メアリー(血のメアリー)」。
●エリザベス1世 Elizabeth I (1533.9.7-1603.3.24)在位1558〜1603年。異母姉“ブラッディ”メアリーの死によって即位。ヘンリー8世と2番目の妃アン・ブーリンとの子。祖父ヘンリー7世の堅実さと父8世の豪胆さを併せ持つ。イングランドをメアリー治世下のカトリックからプロテスタントに戻した。統治下のイングランドは産業や経済の発展に本腰が入り、あらゆる分野で繁栄を謳歌し、シェイクスピアも輩出。ドレークらによる私掠(しりゃく)船の活動もあって海洋大国へと発展。貿易を奨励し、66年にはロンドン王立取引所が開設され、1600年には東インド会社の設立が認可された。女王は生涯独身をとおし、各国王家からの求婚をすべてことわった。カトリック教徒である従姉妹のスコットランド女王兼フランス王太子妃メアリー・スチュアートが68年に亡命してくると彼女を幽閉。カトリック教徒はヘンリー7世の血をひくメアリーこそイングランドの正当な君主であると主張していたため、幽閉19年目に処刑した。カトリック大国スペインのフェリペ2世は無敵艦隊を派遣したが英国に大敗北を喫した。
●メアリー・スチュアート:スコットランド女王 Mary Stuart'Queen of Scots'(1542.12.8-1587.2.8)エリザベス1世に抹殺された。
●ジェームズ1世(スコットランド人)James I(1566.6.19-1625.3.27)在位1603〜25年。ヘンリー8世の子であるエドワード6世、メアリー1世、エリザベス1世は全員が子を残さず死去したため、ヘンリー7世の血をひくスコットランド王ジェームズ6世(メアリー・スチュアートの息子)がジェームズ1世としてむかえられ、スチュアート朝に移行した。父はダーンリー卿。カトリックやピューリタンへの弾圧を強めたことから、1605年に国王暗殺をねらうガイ・フォークスの火薬陰謀事件がおき、1620年にはピルグリム・ファーザーズによる新大陸移住がおこった。息子チャールズ1世が王位をついだ。王妃アンの浪費による宮廷経費の増大は国家財政を逼迫させ、清教徒革命に至る国王と議会の対立の最大の原因となる。
※イングランド国旗のセント・ジョージ・クロスとスコットランド国旗のセント・アンドリュー・クロスを重ね合せたユニオン・フラッグを1606年4月12日に制定。
●チャールズ2世Charles II(1630-1685)在位1660〜85年。チャールズ1世の子。ジェームズ1世の孫。クロムウェルらのピューリタン革命後、その反動で起きた「王政復古」によって即位。宗教的寛容をめざすチャールズの意に反して、議会はピューリタンをすべて非国教徒として弾圧する方向に進む。浪費家ゆえ、多額の持参金を目当てにカトリック国ポルトガルの王女と結婚、70年にはフランス王ルイ14世から財政援助を受けることになった。チャールズがカトリック復活を示唆する密約をフランスと交わしたことが発覚し、議会は王の弟でカトリック教徒のヨーク公(のちのジェームズ2世)の王位継承を認める「トーリー党」(逃亡者の意/後の保守党/王党派)、それを認めないグループ「ホイッグ党」(反徒の意/後の自由党/改革派)に別れ、これが二大政党制の起源となった。死後、弟がジェームズ2世として王位についた。
?ウィリアム3世William of Orange (William III)(1650.11.14-1702.3.19)オランダ出身。名誉革命(1688)で即位したイングランド王。在位1689〜1702年。オランダのオラニエ(オレンジ)公ウィレム2世とイギリス王チャールズ1世の娘メアリー・ステュアートの一人息子。ウィレムは大胆な戦術でフランスのオランダ侵略をくいとめる一方で、イングランド王ジェームズ2世の長女メアリー(2世)と結婚してイングランドとの結びつきを強めるなど、卓越した外交手腕を発揮。ジェームズ2世のカトリック化政策を憂慮していたイングランドの有力貴族たちは、プロテスタントのウィレムにイングランド進攻を要請。ジェームズ2世はフランスに逃亡し、オラニエ公と妻メアリーは議会の権利章典を承認し「名誉革命」が達成された。ウィレムは妃メアリーと共同でイングランドの統治にあたった。94年メアリー他界。8年後にウィレム死去。王位は妻の妹アンにうけつがれた。※厳密には無血革命ではなく、ジェームズ2世の支持勢力が多かったスコットランド、アイルランドでは徹底的な武力弾圧があった。
メアリー2世
●アン女王Anne I.(1665.2.6-1714.8.1)スチュアート朝最後のイギリス女王。在位1702〜14年。治世下でイングランドとスコットランドが合同してグレートブリテン連合王国となった。英文学は隆盛をきわめ、スウィフト、デフォー、ポープなどを輩出した。没後、子供がいなかったため、王位継承法にしたがってスチュアート家の血をひくドイツのハノーファー選帝侯がジョージ1世として即位した。
Plot: Buried next to her husband, Prince George
 
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【Highgate Cemetery 8】Highgate, London Borough of Camden, Greater London, England
 
〔East〕
●カール・マルクス Karl Heinrich Marx(1818-1883)経済学者・哲学者・革命家。資本主義から社会主義へと至る歴史発展の法則を明らかにするマルクス主義を創唱。初めヘーゲル左派に属したが、ヘーゲルの観念的弁証法、フォイエルバッハの人間主義的唯物論を批判して弁証法的唯物論を形成。これを基礎にフランス社会主義思想(空想的社会主義)、古典派経済学を批判的に摂取、エンゲルスと科学的社会主義を創始。資本主義体制を批判し、革命家として国際共産主義運動に尽力した。ドイツから英に移住。「資本論」
Highgate Cemetery (East), Highgate, London Borough of Camden, Greater London, England
●ダグラス・アダムズDouglas Noel Adams(1952.3.11-2001.5.11)イギリスのSF作家。全世界で1500万部売れた『銀河ヒッチハイク・ガイド』の作者。無神論者。心筋梗塞のため49歳で急逝。
Highgate Cemetery (East), Highgate, London Borough of Camden, Greater London, England//Plot: Square 74, Plot 52377
●マルコム・マクラーレン Malcolm McLaren(1946.1.22-2010.4.8)「パンク・ロックの父」。ファッション・デザイナー。パンクバンド“セックス・ピストルズ"の著名なマネージャー。パンクの過激で反社会的なイメージをつくりあげた。
Highgate Cemetery (East), Highgate, London Borough of Camden, Greater London, England
●ジョージ・エリオットGeorge Eliot(Mary Ann Evans)(1819-1880)イギリスの女性作家。鋭利な心理描写でリアリズム小説を確立。心理主義小説の先駆者の一人。
Highgate Cemetery (East), Highgate, London Borough of Camden, Greater London, England
●Jeremy Beadle(1948.4.12-2008.1.30)英国のテレビ・プロデューサー。白血病患者を支援。※お墓の形が本棚。
Highgate Cemetery (East), Highgate, London Borough of Camden, Greater London, England
 
〔West〕
●ファラデーMichael Faraday(1791.9.22-1867.8.25)イギリスの化学者・物理学者。電流の磁気作用から電磁気回転をつくる実験に成功、逆作用として電磁誘導の法則を発見、さらに電気分解の法則(ファラデーの法則)を発見した。塩素の液化、ベンゼンも発見。「ロウソクは自分自身で輝くからどんなダイヤより美しい」
Highgate Cemetery (West), Highgate, London Borough of Camden, Greater London, England//Plot: Western Cemetery
●ローランド・ヒル Rowland Hill(1795.12.3-1879.8.27)「近代郵便制度の父」。1837年、“手紙は国内均一の郵便料金(1ペニー)にすべき"と提案し、3年後に世界初の郵便切手が誕生した。※ウエストミンスターに改葬。
Highgate Cemetery (West), Highgate, London Borough of Camden, Greater London, England
エリザベス・シダルElizabeth  Siddal(Rossetti) (1829.7.25-1862.2.11)画家ロセッティの妻。薬物自殺。ロセッティの『ベアタ・ベアトリクス』や、ミレイの代表作『オフィーリア』のモデルになった。
Highgate Cemetery (West), Highgate, London Borough of Camden, Greater London, England//Plot: Toward the front of the cemetery is the family plot of the Rossettis
●クリスティーナ・ロセッティ Christina Rossetti(1830.12.5-1894.12.29)詩人。画家ロセッティの妹。ラファエル前派の画家たちの作品のモデルにもなった。
Highgate Cemetery (West), Highgate, London Borough of Camden, Greater London, England//Plot: Toward the front of the cemetery is the family plot of the Rossettis
●ディケンズCharles Dickens [memorial](1812.2.7-1870.6.9)作家ディケンズの妻の側に作られた記念碑。埋葬されたのはウエストミンスター。
Highgate Cemetery (West), Highgate, London Borough of Camden, Greater London, England
 
【Saint Paul's Cathedral】London, City of London, Greater London, England
●ネルソン提督 Horatio Nelson(1758.9.29-1805.10.21)イギリスの海軍提督。1793年(35歳)以降フランス軍など各地に転戦して右眼・右腕を失い、1798年に「ナイルの海戦」でエジプト遠征フランス艦隊を撃滅、1805年フランス・スペイン連合艦隊をトラファルガー沖に撃滅し、自らも戦死。ナポレオンのイギリス上陸の野望を打ち砕いた。※トラファルガー広場にネルソン記念塔あり。
Saint Paul's Cathedral, London, City of London, Greater London, England//Plot: The Crypt
●ターナー Joseph Mallord William Turner(1775-1851)イギリスの風景画家。印象派の先駆者。光と大気にゆらめく風景を写し取った。「雨・蒸気・速力」
Plot: Artists Corner, the crypt
●アレクサンダー・フレミング Alexander Fleming(1881-1955)微生物学者。アオカビからペニシリンを発見し、抗生物質による治療の門を開いた。ノーベル賞。
Plot: The crypt (Cremated at Golders Green)
●ミレイ John Everett Millais(1829-1896)画家。ラファエル前派創始者の一人。代表作「オフィーリア」
Plot: Artists Corner, the crypt
●アーサー・ウェルズリー“ウェリントン将軍”Arthur Wellesley“Wellington”(1769-1852)
イギリスの将軍・政治家。ナポレオン戦争で戦功。ウィーン会議のイギリス代表。1815年再挙したナポレオンをワーテルローで撃破。のち首相。
http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=1940
●クリストファー・レン Christopher Wren(1632-1723)イギリスの建築家・科学者。ロンドン建築総監督。ロンドン大火後、イギリス古典主義を代表するセントポール大聖堂などを設計。
●ジョン・ダン John Donne(1573-1631)英国の詩人・司祭。心を揺さぶる説教と宗教詩で知られる。若い頃は風刺詩を得意としたが愛の官能詩もよんだ。反戦「誰がために鐘は鳴る」の原詩。
Saint Paul's Cathedral, London, City of London, Greater London, England
●ヘンリー・ムーア Henry Moore(1898.7.30-1986.8.31)イギリスの彫刻家。現代彫刻を発展。材質を尊重しつつ、生命力を内包する人体を抽象化。
Saint Paul's Cathedral, London, City of London, Greater London, England//Plot: The Crypt, Artists Corner
●コンスタブル John Constable[memorial](1776.6.11-1837.3.31)イギリスの風景画家。
●ナイチンゲール Florence Nightingale[memorial] (1820-1910)イギリスの看護婦。赤十字運動の先駆け。
●エゼルレッド2世“無思慮王"Ethelred II:Ethelred the Unready(968-1016)イングランド王(在位:978- 1013、1014-1016)。国内のデーン人を虐殺し、デンマーク王スヴェン1世の反発を招き、デーン人の侵入が激化。攻撃に屈して姻戚関係にあったノルマンディーへ亡命。デーン人に国を奪われたため「無思慮王」と呼ばれ、歴代イングランド王の中でジョン王と並ぶ暗君扱い。
Saint Paul's Cathedral, London, City of London, Greater London, England
 
 
【Golders Green Crematorium9】
●フロイト Sigmund Freud(1856-1939)オーストリアの精神医学者。精神分析の創始者。抑圧された性的衝動(リビドー)の働きとその制御という観点から人間心理を見つめ、精神分析学を確立。ナチスの迫害を逃れ英国に亡命。
Golders Green Crematorium, Golders Green, London Borough of Barnet, Greater London, England//Plot: Ashes in urn in East columbarium
●ハーバート・ジョージ・ウェルズ H. G. Wells (Herbert George Wells)(1866.9.21-1946.8.13)ジュール・ヴェルヌとともに「SFの父」と呼ばれる。「タイム・マシン」(1895)、「透明人間」「宇宙戦争」「モロー博士の島」など。
Golders Green Crematorium, Golders Green, London Borough of Barnet, Greater London, England
Plot: Cremated here on August 16th, 1946. His ashes were later scattered from an aircraft.
●マーク・ボランMarc Bolan(1947.9.30-1977.9.16)グラム・ロックの一人者。「T.Rex」で活躍。30歳の誕生日の2週間前に、ロンドン郊外バーンズにて助手席で自動車事故死。「僕は30歳まで生きられないだろう」
Plot: West Statue Rosebed, Section 5, Plot E 35979
●キース・ムーン Keith Moon(1946-1978)伝説のロック・ドラマー。「ザ・フー」で活躍。誰も真似ができない独自のグルーブ感。演奏も人生も自由奔放、ドラッグ&アルコール中毒で何もかも破壊して32歳で旅立った。
Plot: Scattered in Section 3P
●ピーター・セラーズ Peter Sellers(1925-1980)英国の喜劇俳優。「ピンクパンサー」のクルーゾー警部。キューブリックの映画で一人三役をこなした。
Plot: His ashes are buried under a rosebush, plot #39802. The rosebed is located at the far end of the crematorium complex, next to the Chapel of Memory columbarium.
●アンナ・パブロワAnna Pavlova(1881-1931)ロシアのバレリーナ。『瀕死の白鳥』はパブロワの代名詞。英国を拠点に世界ツアーを実施。2001年モスクワのノヴォジェヴィチー墓地に改葬された。
●ブラム・ストーカーStoker, Bram (1847-1912)アイルランド出身の作家。「ドラキュラ」の作者。
Plot: East Columbarium
●キップリング Rudyard Kipling(1865-1936)の火葬地。
 
【Golders Green Jewish Cemetery】
●ジャクリーヌ・デュ・プレ Jacqueline du Pre(1945-1987)天才女性チェリスト。16歳でエルガーのチェロ協奏曲を弾きこなし国際的スターとなったが、多発性硬化症を発病し28歳で引退。享年42歳。
Golders Green Jewish Cemetery, Golders Green, London Borough of Barnet, Greater London, England
●エリック・シーガル Erich Segal(1937.6.16-2010.1.17)アメリカ出身の作家。ロンドン大で客員教授。『ある愛の詩』執筆。イエローサブマリンの脚本。
Golders Green Jewish Cemetery, Golders Green, London Borough of Barnet, Greater London, England
 
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●ウィリアム・ブレーク William Blake(1757-1827)ロマン派の先駆けとなったイギリスの詩人・画家。幻視的な感覚やイマジネーションを重んじ、神秘的な詩を書く一方で鋭い社会批判も行った。ダンテ「神曲」のための版画も名高い。
Bunhill Fields Burial Ground, London Borough of Islington, Greater London, England
●ダニエル・デフォー Daniel Defoe(1661-1731)イギリス近代小説の先駆者。作家・ジャーナリスト。写実的手法によって名作「ロビンソン=クルーソー」を書き上げた。
Bunhill Fields Burial Ground, London Borough of Islington, Greater London, England
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●ウィリアム・ウォレス William Wallace(1270-1305.8.23)スコットランドの愛国者。イングランド王エドワード1世の圧政に苦しむスコットランド民衆を、愛国精神で立ち上がらせることに成功した。ウォレス指導下で抵抗運動は統一され、1297年のスターリング・ブリッジの戦いでイングランド軍に勝利した。兵力はイングランドの方が圧倒していたが、ウォレスは巧みなゲリラ戦術で翻弄した。激怒したエドワード1世は大軍を投入。徐々に巻き返され1303年にスコットランドは制圧される。2年後にウォレスは元部下の裏切りでイングランドに引き渡され、捕縛から18日後、1305年8月23日に大逆罪で公開処刑された。首吊り・腹裂き・四つ裂きの残虐刑。処刑後、首はロンドン橋に串刺し、4つになった身体はイングランドとスコットランドの4城で晒し物にされた。だが、この苛烈な処分がスコットランド人の国民感情を刺激し、より大規模な民衆蜂起へと繋がった。ウォレス処刑の2年後、エドワード1世はスコットランド鎮圧に向かう途上で病死する。※映画『ブレイブハート』でメル・ギブソンがウォレスを演じた。ロンドンの刑場跡に墓碑の石板あり。
William Wallace's Place of Execution(エクシュキューション:処刑), Smithfield, City of London, Greater London, England
●ミルトンJohn Milton(1608.12.9-1674.11.8)イギリスの詩人。清教徒革命に参加、内心の自由と民主共和制のために戦い、クロムウェルの共和政府に協力。晩年に失明し詩作に没頭。叙事詩「失楽園」「復楽園」、言論の自由を論じた「アレオパジティカ」を著す。
St Giles Cripplegate Churchyard, London, City of London, Greater London, England
●ジョージ・フォックス George Fox(1624.7-1691.1.13) クエーカー(キリスト友会)の創始者。妥協を許さぬスーパー超硬派キリスト教信徒。徹底して平和主義。
Quaker Gardens, London, City of London, Greater London, England
●ホルバインHans Holbein Jr.(1497-1543)ドイツ出身。ヘンリー8世の宮廷画家。デューラーと並ぶドイツ・ルネサンスの巨匠で肖像画の名手。父が同名の画家ゆえ“小ハンス"と呼ばれる。
St Katherine Cree Churchyard, London, City of London, Greater London, England
●エドワード・ロイド Edward Lloyd (?-1713)ロンドンにある世界的な保険市場の起源となるコーヒー店を経営。この店にたむろする保険屋たちが取引場を作った。
St Mary Woolnoth Churchyard, London, City of London, Greater London, England
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?マリー・タッソー Marie Tussaud(1760-1850)
フランス出身の蝋人形彫刻家。仏時代、ルイ16世の妹の蝋人形教師としてヴェルサイユ宮殿に居住したことから、フランス革命の際に逮捕されギロチン処刑のため髪を剃られた。だが蝋細工の技術を買われて助命され、マリー・アントワネットやルイ16世、革命指導者のロベスピエールやマラーのデスマスクをマリーが作った。1835年、ロンドンのベイカー・ストリートに『マダム・タッソー館』を創立。
St Marys Roman Catholic Church, Royal Borough of Kensington and Chelsea, Greater London, England
 
London Borough(特別区)
●ヨハン・クリスティアン・バッハ Johann Christian Bach(1735.9.5-1782.1.1)ドイツ出身の作曲家。前古典派。大バッハの11男、末子。バッハ家では唯一のオペラ作曲家で生前に国際的な名声を得た。ロンドンにおけるヘンデルの後継者。少年モーツァルトと面識があり影響を与えた。「ロンドンのバッハ」※C.P.E.バッハ(ハンブルクのバッハ/テレマンの後継者)の弟。
St Pancras Old Church Churchyard, St Pancras, London Borough of Camden, Greater London, England
Plot: Exact plot unknown, plaque is in the center of the small gardens
●コンスタブル John Constable(1776.6.11-18373.31)イギリスの風景画家。リアルな外光描写で自然を捉えた近代風景画の開拓者。故郷の風景を好んで描き、フランスのバルビゾン派やロマン派、マネに影響を与えた。「干草車」
St John-at-Hampstead Churchyard, Hampstead, London Borough of Camden, Greater London, England
●ジョセフ・ロートブラット Joseph Rotblat(1908.11.4-2005.8.31)物理学者・平和活動家。ノーベル平和賞を受賞(1995)。ポーランド出身。婚約者がナチスに殺害され、生涯独身を通す。原爆開発のマンハッタン計画に参加したが、ナチス・ドイツに原爆の開発能力がないことが判明すると、“もはや原爆は不要"と完成前にプロジェクトを脱退した。この決断でロートブラットは1951年までアメリカ入国禁止となった。戦後、アインシュタインと共に核兵器の廃絶運動に取り組んだ。パグウオッシュ会議の会長。
Hampstead Cemetery, Hampstead, London Borough of Camden, Greater London, England//Plot: West Hampstead
●サミュエル・テイラー・コールリッジ Samuel Taylor Coleridge(1772.10.21-1834.7.25)イギリスの詩人・批評家。ワーズワースとの共著「抒情民謡集」を刊行、ロマン主義復興の先駆となった。神秘的な名詩で知られる。詩論「文学自伝」
St Michael Churchyard, Highgate, London Borough of Camden, Greater London, England
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●バルビローリBarbirolli John(1899.12.2-1970.7.29)指揮者。母国イギリス音楽やマーラーなど後期ロマン派の楽曲を得意とした。
St Mary Roman Catholic Cemetery, Kensal Green, London Borough of Brent, Greater London, England
●ネイサン・メイアー・ロスチャイルド Nathan Mayer Rothschild(1840.11.8-1915.3.1)ロンドン・ロスチャイルドの祖。父はドイツの銀行家マイアー・アムシェル・ロートシルト(1744-1812)。フランクフルトで古銭商人を始めた父は、選帝侯家の御用商人の銀行家になったことから、ナポレオン戦争で巨額の富を得た。そして5人の息子たちがフランクフルト(長男アムシェル)、ウィーン(次男ザロモン)、ロンドン(三男ネイサン)、ナポリ(四男カール)、パリ(五男ジェームス)の5カ所で事業を行い、5家のロートシルト家の祖となった。父マイアーは穏和な性格で、取引相手も必ず儲けることができた事業を選んでいたという。
Willesden United Synagogue Cemetery, Willesden, London Borough of Brent, Greater London, England
●ウォルター・クロプトン・ウィングフィールド Walter Clopton Wingfield(1853.10-1912.4.12)テニスの原型を考案。1873年12月、ウィングフィールド少佐が考えた「スフェリスティキ」(球戯術)が現在の「ローン(芝生)テニス」になった。
Kensal Green Cemetery, Kensal Green, London Borough of Brent, Greater London, England
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●ストコフスキー Leopold Stokowski(1882.4.18-1977.9.13)ロンドン出身のアメリカの指揮者。クラシック音楽の普及に貢献。クラシックの魅力を伝えるために感情過多なほど劇的な演奏・編曲を行い、積極的に録音・映画出演に挑んだ。フィラデルフィア管弦楽団を指揮。
East Finchley Cemetery and Crematorium, East Finchley, London Borough of Barnet, Greater London, England
●トマス・スタンフォード・ラッフルズ Thomas Stamford Raffles(1781.7.5-1826.7.5)シンガポールの創設者。イギリスの植民地建設者。世界最大級の花「ラフレシア」は、発見した調査隊の隊長ラッフルズの名にちなんでつけられた。
St Mary Churchyard, Hendon, London Borough of Barnet, Greater London, England
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●トマス・モア Thomas More(1478-1535)政治家・社会思想家。「ユートピア」を著してイギリス社会を批判し、王権と教権から自由な社会を理想国家とした。ヘンリー8世に重用され大法官となるが、カトリック教徒の立場から英国教会の分離を認めず辞任。また、王の離婚にも反対し、叛逆罪に問われて処刑。エラスムスと交流し古典や法律を研究した。
Chapel of Saint Peter-ad-Vincula, Tower of London, London Borough of Tower Hamlets, Greater London, England
Plot: Exact location unknown
●ジェーン・グレイ Jane Grey(1537-1554.2.12)イングランド史上初の女王(在位1553年7月10日-19日)。非常に美人だった。異名「九日間の女王(Nine-Day Queen)」。即位からたった9日間でメアリー1世(ブラッディ・メアリー)により廃位され、7カ月後に夫と共に大逆罪でロンドン塔に幽閉、斬首刑となった。享年16歳。祖母はヘンリー8世の妹メアリー・テューダー。
Chapel of Saint Peter-ad-Vincula, Tower of London, London Borough of Tower Hamlets, Greater London, England
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ハレー Edmond Halley(1656-1742)天文学者。彗星が再訪することを発見。ハレー彗星が約76年周期で接近すると予測。
St Margaret of Antioch Churchyard, Lee Green, London Borough of Lewisham, Greater London, England//Plot: south-eastern corner near road
●クリストファ・マーロウ Christopher Marlowe(1564.2-1596.5.30)劇作家、詩人。シェイクスピアの登場よりも早く、エリザベス朝演劇の基礎を築いた人物。華麗な無韻詩(ブランクヴァース)で知られる。
St Nicholas C Of E Church(St Nicholas Churchyard), Deptford, London Borough of Lewisham, Greater London, England
Plot: Actual burial site is unmarked but he is commemorated in a plaque on west wall of churchyard [unmarked]
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●ダイアナ妃 Diana 'Princess of Wales' Spencer(1961.7.1-1997.8.31)元皇太子妃。第8代スペンサー伯爵の娘。1981年、ダイアナ・スペンサーは20歳でチャールズ(エリザベス2世の長男)と結婚。長男ウィリアム王子、2男ヘンリー王子が誕生したが、結婚11年目に別居、5年後に離婚した。翌年ダイアナは36歳で事故死した。※ロンドンの百貨店Harrods(ハロッズ)の中には、離婚後の恋人ドディ・アルファイドと写真が並んだモニュメントがある。
Spencer Estate Grounds, Althorp, Daventry District, Northamptonshire, England//Plot: Island on the lake Oval
●サッチャー Margaret Thatcher(1925.10.13-2013.4.8)政治家。「鉄の女」の異名。1979年にイギリス初の女性首相となる。強硬外交と新自由主義的な経済政策を推進。1990年辞任。※亡き夫の遺灰と共に埋められた。
Royal Hospital Chelsea Burial Ground, Chelsea, Royal Borough of Kensington and Chelsea, Greater London, England
Plot: Ashes buried alongside those of her late husband Sir Denis Thatcher 
●ジェレミ・ベンサム Jeremy Bentham(1748.2.15-1832.6.6)思想家。「最大多数の最大幸福」の実現を説いた功利主義の代表者。快楽の増大、苦痛の減少をすべての道徳や立法の窮極の原理とした。※自分の臓器を医学発展のためロンドン大医学部に献体した。防腐処理された標本はロンドン大に展示されていたが、盗難やイタズラの対象になったため、現在は別所で保管され、代わりに蝋人形が置かれている。ベンサムの遺言「 有名人の屍体は『自己標本』にして大学に飾り 後生の人々への教訓や激励として役立たせるべし。無名の人の屍体なら やはり『自己標本』にして 大理石彫刻の代わりに庭園や街路に置くべし。装飾になる。 」
University College London, Bloomsbury, City of Westminster, Greater London, England//Plot: end of the South Cloisters Main Building
●シェイクスピア William Shakespeare [memorial] (1564-1616)劇作家・詩人。※この聖堂は記念碑オンリーだけど良い感じの全身像がある。
Southwark Cathedral, Southwark, London Borough of Southwark, Greater London, England//Plot: South Aisle. Memorial erected in 1912
 
● ジェームス・ハントJames Hunt[cremation location](1947.8.29-1993.6.15)1976年のF1世界チャンピオン。ライバルのニキ・ラウダと名勝負を繰り広げた。心臓麻痺により45歳で他界。(火葬地)
Putney Vale Cemetery and Crematorium, Wimbledon, London Borough of Merton, Greater London, England
●デヴィッド・リーン David Lean(1908.3.25-1991.4.16)34歳で監督デビュー。格調高い作風。『アラビアのロレンス』『戦場にかける橋』がアカデミー監督賞、『逢びき』がカンヌ映画祭グランプリ、『ホブスンの婿選び』がベルリン国際映画祭金熊賞に輝いた。他に『ドクトル・ジバゴ』など。ライバルはキャロル・リード。
Putney Vale Cemetery and Crematorium,Wimbledon, London Borough of Merton, London, England//Plot: Cremated in crematorium
 
●キャロル・リード Carol Reed(1906.12.30-1976.4.26)映画監督。1953年(47歳)、映画監督として初めてナイトの称号を与えられた。『第三の男』(カンヌ映画祭パルム・ドール)、『オリバー!』(アカデミー監督賞)、『華麗なる激情』。
Gunnersbury Cemetery, Acton, London Borough of Ealing, Greater London, England
ハレー Edmond Halley(1656-1742)[memorial] 天文学者。グリニッジ天文台の壁にハレーの最初の墓石がはめこまれている!
Royal Observatory, Greenwich, Royal Borough of Greenwich, Greater London, England//Plot: His orginal gravestone is set in the wall of the Observatory
●パーキンソン James Parkinson(1755.4.11-1824.12.21)イギリスの医師・古生物学者。1817年に初めてパーキンソン病(脳の代謝異常により障害が起こり、手足がふるえ、筋の緊張で運動障害を伴う疾患)を報告。
St Leonard Churchyard, Shoreditch, London Borough of Hackney, Greater London, England
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●ホイッスラー James McNeill Whistler(1834-1903)アメリカ出身の画家。ロンドン・パリで活躍。印象派や日本版画の影響をうけ、風景画や肖像画に静かで詩情ある独自の画風を打ち立てた。
St Nicholas Chiswick(Old Chiswick Cemeteryって書いてる人もいるけど、隣りの墓地と思う), Chiswick, London Borough of Hounslow, Greater London, England
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ヨークシャー
●ロビン・フッド Robin Hood(?-1241)英国民に愛されている12〜13世紀の義賊(ただし複数のアウトローの伝承が合体した人物っぽい)。ノッティンガム州のシャーウッドの森に住み、仲間と悪代官を懲らしめ、貪欲な僧侶の金を奪って貧民に施した。征服者ノルマン人に対する反抗の象徴でもあり、民謡にもうたわれる。ラッキーカラーはグリーン。
Kirklees Priory, Kirklees, Metropolitan Borough of Kirklees, West Yorkshire, England
 
●シャーロット・ブロンテCharlotte Bront(1816-1855)イギリスの女性小説家。ブロンテ三姉妹の長姉。妹たちと助け合い作家となる。「ジェーン=エア」で自我に目覚めた女性の自立と恋愛を描いた。
●エミリー・ブロンテEmily Bront(1818-1848)イギリスの女性小説家。ブロンテ三姉妹の中姉。ヨークシャーの荒涼とした丘陵地帯を舞台に、人間の情熱の極限を描いた「嵐が丘」で知られる。
●アン・ブロンテAnne Bront(1820-1849)イギリスの女性小説家。ブロンテ三姉妹の末妹。「アグネスグレー」。
St Michael and All Angels Churchyard, Haworth, Metropolitan Borough of Bradford, West Yorkshire, England
 
スタッフォードシャー:Staffordshire
●ウェッジウッドJosiah Wedgwood I(1730.7.12-1795.1.3)“イギリス陶芸の父"ジョサイア・ウェッジウッド。イギリス最大の陶器メーカー「ウェッジウッド社」の創設者。窯の中の高温を測るパイロメーター(高温測定計)なども発明した。
St Peter ad Vincula Churchyard, Stoke-on-Trent, Stoke-on-Trent Unitary Authority, Staffordshire, England
 
ダービーシャー:Derbyshire
●トマス・ホッブズ Thomas Hobbes(1588.4.5-1679.12.4)イギリスの哲学者。自然主義・唯物論を国家・社会にも適用した。平和を得るために絶対主権を求めた。主著「リヴァイアサン」
English philosopher. Tutor to the Dukes of Cavendish, Derbyshire. Author of 'Laviathon' (1651).
St John the Baptist Churchyard, Ault Hucknall, Bolsover District, Derbyshire, England
●ジョージ・スティーブンソン George Stephenson (1781.6.9-1848.8.12)鉄道の父。個々の鉄道が将来相互接続するだろうことを予見し、標準軌の必要性に気付いていた。2人目の妻の隣に埋葬。
Holy Trinity Churchyard, Chesterfield, Chesterfield Borough, Derbyshire, England
Plot: Beneath the communion table.
 
ハーフォードシャー:Hertfordshire
●フランシス・ベーコンFrancis Bacon (1561.1.22-1626.4.4)イギリスの哲学者・政治家。「知は力なり」。経験論との先駆者。偶像(イドラ)を捨て去り、経験(観察と実験)を知識の唯一の源泉にすべしと訴えた。『随想録』など。
St Michael Churchyard, St Albans, St Albans District, Hertfordshire, England
●スタンリー・キューブリックStanley Kubrick(1928.7.26-1999.3.7)アメリカの映画監督。娯楽性よりも芸術性を追求すると共に、現代文明の本質をえぐり出す作品を次々と発表したハリウッドの異端児。作品は常に世界的な反響を呼んだ。「2001年宇宙の旅」「時計じかけのオレンジ」「博士の異常な愛情」「シャイニング」「フルメタル・ジャケット」など。
※1978年に領主の邸宅を購入し、他界するまで21年暮らした。今は長女アーニャと共に邸宅の敷地に眠っている。未亡人(クリスティアン・アマンプール・キューブリック)はまだ邸宅に住んでいる。
Childwickbury Manor, Childwickbury, St Albans District, Hertfordshire, England
 
●バーナード・ショー George Bernard Shaw(1856.7.26-1950.11.2)イギリスの劇作家・批評家。ノーベル文学賞。イギリス近代演劇の確立者。強烈な毒舌と皮肉に機知を織り交ぜ、言論界で大暴れ。戦闘力測定不能。「ピグマリオン」はミュージカル「マイ・フェア・レディ」の原作。※夫婦の遺灰は家の庭のSaint Joanの銅像の周囲に撒かれた。
Cremated, Ashes scattered, Scattered in the Graden of their home, Shaws Corner in Ayot Saint Lawrence, Hertfordshire, England
their ashes were taken to Shaw's Corner, mixed and then scattered along footpaths and around the statue of Saint Joan in their garden
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ウォリックシャー:Warwickshire
●シェイクスピア William Shakespeare(1564-1616)劇作家・詩人。文学史に輝く、不朽の人間像を生み出した。青年時代にロンドンに出て俳優になり、続いて座付作者として約37編の戯曲を創作した。四大悲劇「ハムレット」「オセロ」「リア王」「マクベス」、喜劇「ベニスの商人」「真夏の夜の夢」、史劇「ジュリアス=シーザー」「リチャード三世」「ヘンリー四世」、そして「ロミオとジュリエット」など傑作揃い。他に詩集「ソネット集」。※本墓
Holy Trinity Churchyard, Stratford-upon-Avon, Stratford-on-Avon District, Warwickshire, England
Plot: The Chancel
 
●ニック・ドレイク Nick Drake(1948.6.19-1974.11.25)ビルマ(現ミャンマー)出身の英国人シンガーソングライター。生前は商業的に成功せず3枚のアルバムを残して自殺。死後に評価が高まった。ケンブリッジ大在学中にレコード会社と契約。1969年(21歳)アルバム『ファイヴ・リーヴス・レフト』でデビュー。大学を中退してロンドンに住み、翌1970年(22歳)にセカンド『ブライター・レイター』を発表。評論家から高評価を得たが売り上げは伸びず、患っていたうつ病が悪化。1972年(24歳)、3作目にしてラストアルバム『ピンク・ムーン』を発表。1974年11月25日、自宅にて抗うつ薬の過剰服用で死去。部屋のレコードプレーヤーにバッハの「ブランデンブルク協奏曲」が乗っていた。享年26歳。
St Mary Magdalene Churchyard, Tanworth-in-Arden, Stratford-on-Avon District, Warwickshire(ウォリックシャー), England
https://www.youtube.com/watch?v=llNpigCSAZE 『ファイヴ・リーヴス・レフト』
 
ウスターシャー:Worcestershire
●ジョン・ボーナム John Bonham'Bonzo'(1948.-1980)伝説のロックバンド『レッド・ツェッペリン』のドラマー。“重戦車"と例えられたヘビードラムにファンが熱狂した。深酒で死去。享年32。
St Michael Churchyard, Rushock(ラショック), Wyre Forest District, Worcestershire, England
●エルガー Edward Elgar(1857-1934)イギリスの国民的作曲家。行進曲「威風堂々」、変奏曲「謎」など。
St Wulstan Roman Catholic Churchyard, Little Malvern, Malvern Hills District, Worcestershire, England
●ピーター・マーク・ロジェ Peter Mark Roget(1779.1.18-1869.9.12)1852年、単語や熟語を意味で分類するというまったく新しい方式のシソーラス辞典を著した。
St James Churchyard, West Malvern, Malvern Hills District, Worcestershire, England
Plot: near the War Memorial, which is at the liturgical east, geographical south of the church
 
ノッティンガム
●バイロンGeorge Gordon Byron(1788-1824)ロマン派を代表するイギリスの詩人。社会の偽善に対する反抗精神を持った貴族で、上院議員になるも英国を去り、欧州各国を放浪。最後はギリシア独立戦争に加わり戦病死。物語詩「チャイルドハロルドの巡礼」「ドンジュアン」、劇詩「マンフレッド」。
St Mary Magdalene Churchyard, Hucknall(ハックナル), Ashfield District, Nottinghamshire, England
 
グロスタシャー:Gloucestershire
●ブライアン・ジョーンズ Brian Jones(1942-1969)ローリングストーンズの元リーダー。享年27歳。ドラッグ&アルコールが原因で溺死したのか建築業者に殺害されたのか現在も不明。
Cheltenham Cemetery and Crematorium, Cheltenham, Cheltenham Borough, Gloucestershire, England//Plot: Plot V11393
●イアン・フレミング Ian Fleming(1908.5.28-1964.8.12)イギリスの作家。冷戦時代のスパイ、ジェームズボンドを主人公とする007シリーズがベストセラーに。
St Andrew Churchyard, Sevenhampton, Tewkesbury Borough, Gloucestershire, England
 
リバプール(マージーサイド:Merseyside)
●ブライアン・エプスタイン Brian Epstein(1934.9.19-1967.8.27)ビートルズのマネージャー。1962年1月24日にビートルズと5年契約を結び、ビートルズを「革ジャン、ジーンズ、くわえタバコの演奏」という不良イメージから、「スーツ、ネクタイ、演奏後に一礼」の好青年にイメージチェンジさせた。5年契約が切れる1ヶ月前、アスピリンの過剰摂取で他界した。ブライアンを失ったビートルスはメンバーの対立が表面化し解散に向かっていく。※ジョンに惚れていた。
Everton Cemetery, Everton, Metropolitan Borough of Liverpool, Merseyside, England//Plot: Jewish burial ground
●ジュリア・レノン Julia Lennon(1914.3.12-1958.7.15)ジョン・レノンの母親。1940年、26歳でジョンを出産。夫アルフレッドは船乗りで不在、自分自身も他の男ダイキンズと同棲していたため、姉メアリー(ミミ)夫婦がジョンを育てた。6年後にアルフレッドが帰国しジョンを引き取るが、数週間後に連れ戻して再び姉に預けた(ジュリアはダイキンズとの間に娘2人をもうけていた)。アルフレッドは蒸発した。1955年(41歳)、ジョンの父親代わりだった姉の夫が死去。翌1956年、初めてギターを買った16歳のジョンが、近所にジュリアが住んでいることを知って遊びに来るようになる。彼女はジョンにバンジョーのコードを教え、次の年にジョンは初めて「ハロー・リトル・ガール」(1957)を作曲した。ジョンはバンジョーのコードしか知らなかったため、弦4本で演奏できる曲だった。同年、ジョンはビートルズの前身となる「クオリーメン」を結成。長く空白だった母子の関係がようやく深まり始めたその矢先、1958年年7月15日、ジュリアは酒に酔った非番の警官が運転する車にはねられ死亡した。享年44歳。18歳のジョンは大きな喪失感に包まれる。2年前にポール・マッカートニーも母を乳癌で亡くしており、2人の友情は強くなった。ジュリア他界の3年後、1962年にビートルズはデビュー曲「ラヴ・ミー・ドゥ」を発売し、世界制覇の伝説が始まる。※ジョンが7歳年上のオノ・ヨーコに惹かれたのは、甘えることができる母性を求めていたとも言われている。
Allerton Cemetery, Allerton, Metropolitan Borough of Liverpool, Merseyside, England//Plot: Section CE38, lot 806
●エリナー・リグビー Eleanor Rigby(1895-1939.10.10)ビートルズの名曲「エリナー・リグビー」とは直接関係がないものの、1957年にジョン(17歳)とポール(15歳)が初めて出会ったリヴァプールのセント・ピーターズ教会のウールトン共同墓地に、偶然にも実在のエリナー・リグビーの墓があり、ビートルズ・ファンの『聖地』となっている。※ジョンが「クオリーメン」(のちのビートルズ)のコンサートをこのセント・ピーターズ教会でやった。客席にいたポールが後日加入した。
St Peter Churchyard, Woolton, Metropolitan Borough of Liverpool, Merseyside, England
●スチュアート・サトクリフ Stuart Sutcliffe(1940.6.23-1962.4.10)ビートルズの元ベーシスト。“5人目のビートルズ"。スコットランド出身。リヴァプールの美術学校に進み、そこでジョン・レノンと出会った。同い年で意気投合した2人は共同生活を開始。1960年(20歳)、絵が高値で売れたため、ジョンとポールに勧められてベースを購入、バンドに加入した。同年8月、ビートルズの一員としてドイツ・ハンブルグへ行き、写真家の卵アストリッドと恋に落ち3カ月後に婚約。後にビートルズがマッシュルームカットにしたのは、アストリッドがサトクリフに施したのがきっかけという。1961年、ビートルズ2度目のハンブルク巡業後、本腰を入れて画業に専念するためビートルズを脱退、ベースはポールが引き継いだ。その後、ハンブルク州芸術大学に編入し、創作活動を続けていたが、夏頃から酷い頭痛に襲われ始めた(学生時代に酒場で暴行を受けた際の後遺症と言われている)。そして1962年4月10日、ビートルズが3度目のハンブルグ巡業に出る前日に、サトクリフは容態が急変し、病院へ搬送される途中で脳出血により早逝した。享年21歳。半年後の10月5日、ビートルズはデビュー曲「ラヴ・ミー・ドゥ」を発表し、ベートーヴェンやモーツァルトのように、音楽史に名を刻むことになる。後年のジョンは「彼(サトクリフ)はもう一人の自分のような存在だった」と語っていたという。
Huyton Parish Churchハイトン・パリッシュ・チャーチ墓地), Huyton with Roby, Metropolitan Borough of Knowsley, Merseyside, England
 
ケンブリッジ
●グレン・ミラーGlenn Miller(1904-1944)[memorial] アメリカのジャズ演奏家、バンド・リーダー。トロンボーン奏者から出発し、ビッグバンドを結成。甘美な音色の編曲で人気を得た。第二次大戦で前線慰問の搭乗機が墜落。享年40。「ムーンライト・セレナーデ」「真珠の首飾り」など。
Cambridge American Cemetery and Memorial, Coton, South Cambridgeshire District, Cambridgeshire, England
Plot: No Known Grave; name is listed on the Tablets of the Missing.
●クロムウェル Oliver Cromwell(1599.4-1658.9.3)ピューリタン革命の指導者。イングランドの政治家・軍人。イングランド共和国初代護国卿(ごこくきょう)。議会軍を指揮して国王チャールズ1世を破り、王を処刑した。事実上の独裁者となって共和主義の精神を導入。軍事面と行政面に才能を見せたが、インフルエンザにかかって他界。王政復古でチャールズ2世が即位すると、クロムウェルの遺体は墓から引きずり出されて絞首刑にされ、斬首ののち首は鉄棒に刺されてウェストミンスターの屋根に25年間も晒された。ひょえ〜(汗)。※ウェストミンスター宮殿(国会議事堂)正門前に剣と聖書を持ったクロムウェルの銅像。
Sidney Sussex College, Cambridge, City of Cambridge, Cambridgeshire, England
●ウィトゲンシュタイン Ludwig Wittgenstein(1889.4.26-1951.4.29)オーストリア出身の哲学者。ケンブリッジ大学教授。哲学の役目を言語批判による思考の明晰化にあるとした。「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」
Ascension Parish Burial Ground, Cambridge, City of Cambridge, Cambridgeshire, England//Plot: 5D31
 
ウェスト・ミッドランズ:West Midlands
●ワット James Watt(1736.1.19-1819.8.19)イギリスの機械技術者・発明家。1774年、ボールトンと協力し、蒸気機関の改良に成功。圧力計・調速器・往復機関などを発明し、イギリス産業革命の原動力となった。
St Mary Churchyard, Handsworth, Metropolitan Borough of Birmingham, West Midlands, England
●ゴディバ夫人 Lady Godiva(990.9.5-1067.9.10)ゴディバは夫のコヴェントリー領主レオフリックが重税で領民を苦しめていたことから、民衆の為に減税を訴えた。レオフリックは「お前が裸で馬に乗って町を一周したら考えてやろう」と言い、ゴディバは長髪で身を隠しつつで町を一周した。領民はゴディバの勇気と自己犠牲に感動し、窓を閉めて通り過ぎるのを待った。レオフリックは約束を守り税を軽くした。※この伝説にちなみ、市の中心部に馬上のゴディバ像が建っている。
Saint Mary's Priory and Cathedral Coventry, Coventry, Metropolitan Borough of Coventry, West Midlands, England
 
レスターシャー:Leicestershire
●トーマス・クック Thomas Cook(1808.11.22-1892.7.18)近代ツーリズムの祖。旅行代理店トーマス・クック・グループ創業者。ロンドン万博(1851)、パリ万博(1855)などで夜行列車や乗合馬車を使ったツアーを成功させ、庶民の娯楽としての旅行を普及させた。団体旅行を実現するため臨時列車を出させるなど現代に通じる旅行事業を開拓。
Welford Road Cemetery, Leicester(レスター), Leicester Unitary Authority, Leicestershire, England
●リチャード3世 King Richard (Plantagenet) III.(1452.10.2-1485.8.22)ヨーク朝最後のイングランド王(在位:1483年-1485年)。エドワード3世の曾孫ヨーク公リチャードの八男。薔薇戦争の最後を飾る王。1483年にエドワード4世が死去すると、まだ12歳の長男がエドワード5世として即位。しかし、幼い国王は、叔父のグロスター公リチャード(エドワード4世の弟)の策略によって弟と共にロンドン塔に幽閉され蒸発(12歳)。この叔父がリチャード3世としてイングランド国王の座についた。1485年、リチャード3世はフランスに亡命していたランカスター家の傍系ヘンリー・チューダー(のちのヘンリー7世)の挑戦をうけ、薔薇戦争の最後の戦闘となった「ボズワースの戦」で戦死、ここにヨーク朝は滅びた。リチャード3世は戦死した最後のイングランド王となった(他の戦死王はハロルド2世、リチャード1世)。
Leicester Cathedral, Leicester, Leicester Unitary Authority, Leicestershire, England
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ハンプシャー:Hampshire
●エグバートEgbert:King of Wessex(769- 839)829年にイングランドを初めて統一した王。イングランド君主の第1号。ウェセックス王エグバート。七王国の一つ、サクソン人のウェセックス王(在位:802-839)。
Winchester Cathedral, Winchester, City of Winchester, Hampshire, England
●エゼルウルフ(Ethelwulf、? - 858年)ウェセックス王(在位839年- 858年)。ウェセックス王エグバートと妃レドブルガの子。アルフレッド大王の父。エゼルウルフの墓石はイングランド南部の、ステイニングという小さな町の教会に保管されている
●アルフレッド大王 Alfred the Great(849-899.10.26)屈強なデーン人(デンマーク人)の撃退に成功した唯一の王。イングランド七王国時代のウェセックス王。在位871〜899年。エゼルウルフ王の5男。海軍創設など軍制改革をすすめ886年にデーン人からロンドンを奪回。892年にデーン人が再来するも防ぎきった。デーン人の支配地域(デーンロー地方)以外の全イングランドの盟主となり、イングランド統一の基礎を築く。学問の復興にも力を入れ宮廷学校を開いた。「アングロ・サクソン年代記」を編纂させる。アルフレッド編纂の法典はイングランド人とウェールズ人を初めて平等に扱ったもの。死後、聖公会・カトリック教会・正教会で聖人となる。フランク王国のカール大帝に比して大王と讃えられている。
Alfred the Great [original burial site]  Winchester Cathedral, Winchester, City of Winchester, Hampshire, England
●ジェーン・オースティン Jane Austen(1775-1817)イギリスの女流小説家。鋭い人間観察により、日常生活をユーモアと哀感、風刺を交えて鮮烈に描き出した。英文学の一つの頂点を築く!「高慢と偏見」「分別と多感」「エマ」
Winchester Cathedral, Winchester, City of Winchester, Hampshire, England
●ジャンヌ・ダルク記念碑 Jeanne d’Arc/Joan of Arc [cenotaph](1412.1.6-1431.5.30)フランスの国民的英雄。オルレアンの乙女。北東部シャンパーニュ州の農民の娘。百年戦争の末期、救国の神託を受けたと信じ、1428年にシャルル7世から授かった軍を率いてイギリス軍を撃破。翌年オルレアンを奪還した。だが、捕虜となりイギリスと結んでいるルーアンの司教らに異端宣告を受け、火刑となった。享年19。1920年聖女に加えられた。
Winchester Cathedral, Winchester, City of Winchester, Hampshire, England
●クヌート1世 King Canute (995-1035.11.12)イングランド王・デンマーク王・ノルウェー王を兼ねた王。北海沿岸に一大海洋帝国を建設した。ノルマン系デーン人(デンマーク人)。1002年、父スヴェン1世はイングランドのエゼルレッド2世“無思慮王"が国内のデーン人を虐殺したことに激怒し、イングランドに侵入して“無思慮王"を逃亡させ、デーン朝を開いた。翌年スヴェン1世が急死し、復位した“無思慮王"をクヌート1世が蹴散らした。デンマーク王としてはクヌート2世。大王と称される。漫画『ヴィンランド・サガ』で大活躍。
※スヴェン1世ハラルドソン Sweyn "Forkbeard"(960-1014)“八字髭”(はちのじひげ)のあだ名をもつデーン人の王。クヌート1世の父。
Winchester Cathedral, Winchester, City of Winchester, Hampshire, England
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●ナポレオン三世Charles Louis Napoleon Bonaparte(1808.4.20-1873.1.9)1世の甥。ルイ=ナポレオン。亡命生活後、1848年の二月革命で帰国し、第二共和制大統領に当選。1851年にクーデターで独裁者となり、翌年帝位につき第二帝政を開く(在位1852〜1870)。イギリスと協力してクリミア戦争でロシアを退け、一時ヨーロッパに力を示したが、メキシコ遠征に失敗。1870年普仏戦争に敗れて退位。イギリスに亡命して没した。産業保護に力を入れた。
St Michaels Abbey, Farnborough, Rushmoor Borough, Hampshire, England//Plot: In crypt behind the high altar
●アルフレッド大王 Alfred the Great(849-899.10.26)屈強なデーン人(デンマーク人)の撃退に成功した唯一の王。イングランド七王国時代のウェセックス王。在位871〜899年。エゼルウルフ王の5男。海軍創設など軍制改革をすすめ886年にデーン人からロンドンを奪回。892年にデーン人が再来するも防ぎきった。デーン人の支配地域(デーンロー地方)以外の全イングランドの盟主となり、イングランド統一の基礎を築く。学問の復興にも力を入れ宮廷学校を開いた。「アングロ・サクソン年代記」を編纂させる。アルフレッド編纂の法典はイングランド人とウェールズ人を初めて平等に扱ったもの。死後、聖公会・カトリック教会・正教会で聖人となる。フランク王国のカール大帝に比して大王と讃えられている。※家屋の壁にメモリアルの石板。
Hyde Abbey, Winchester, City of Winchester, Hampshire, England
 
●コナン・ドイル Arthur Conan Doyle(1859.5.22-1930.7.7)小説家・医者。推理小説「シャーロック=ホームズの冒険」で人気を博す。後年は心霊術に激ハマリ。妖精を信じていた。
All Saints Churchyard, Minstead, New Forest District, Hampshire, England//Plot: Under an oak tree, with wife
●アレック・ギネス Alec Guinness(1914.4.2-2000.8.5)英国の名優。『戦場にかける橋』でアカデミー主演男優賞を受賞。『スター・ウォーズ』旧3部作のオビ=ワン・ケノービ役でも有名。
Petersfield Cemetery, Petersfield, East Hampshire District, Hampshire, England
●ナイチンゲール Florence Nightingale (1820.5.12-1910.8.13)イギリスの看護婦。出身はイタリア。クリミア戦争(1853-56)に多くの看護婦を率いて従軍し、傷病兵を看護。「クリミアの天使」と呼ばれ、看護婦の社会的地位を高めた。看護学校を創設し近代的看護を確立。赤十字運動の先駆けとなる。
St Margaret of Antioch Churchyard, East Wellow, Test Valley Borough, Hampshire, England
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オックスフォードシャー:Oxfordshire
●トールキン J.R.R.Tolkien:John Ronald Reuel Tolkien(1892-1973)イギリスの児童文学家。中世文学の伝統をベースにしたファンタジー「ホビット」「指輪物語」が世界中で読み継がれる。
Wolvercote Cemetery, Oxford, City of Oxford, Oxfordshire, England
●ゴールズワージーJohn Galsworthy[memorial](1867.8.14-1933.1.31)イギリスの劇作家。資産階級の物欲を批判的に描く。国際ペンクラブの結成に尽力(初代会長)。1932年ノーベル文学賞。遺灰は飛行機からイギリスの海岸線に沿って撒かれた。ハイゲート墓地には慰霊碑がある。英国オックスフォードのニュー・カレッジの回廊には、彼のための記念プレートが設置されている。
New College, Oxford, City of Oxford, Oxfordshire, England//Plot: Cloisters
●トマス・クランマーThomas Cranmer(1489.7.2-1556.3.21)カンタベリー大司教。イングランドの宗教改革の殉教者。カトリックのメアリー1世(ブラッディ・マリー)はプロテスタントを迫害し、女性子供を含む約300人を処刑。最後までカトリックの信仰を拒否したクランマーはオックスフォードで火炙りにされた。
Martyrs' Memorial, Oxford, City of Oxford, Oxfordshire, England
●アガサ・クリスティ Agatha Christie(1890.9.15-1976.1.12)ミステリーの女王。イギリスの女流推理作家。ベルギー人探偵ポアロや老嬢探偵ミスマープルを活躍させ、多数の推理小説を書いた。「アクロイド殺人事件」「そして誰もいなくなった」「オリエント急行殺人事件」
St Mary Churchyard, Cholsey, South Oxfordshire District, Oxfordshire, England
●ロビン・ギブRobin Gibb(1949.12.22-2012.5.20)ビージーズのメンバー。マン島出身。兄弟のバリー・ギブ、モーリス・ギブと結成したビージーズは、1億枚以上レコードが売れた偉大なポップグループ。
Saint Mary The Virgin, Thame, South Oxfordshire District, Oxfordshire, England
●チャーチルWinston Churchill(1874-1965)イギリスの政治家。1900年に政界入り。第一次大戦時の海相・軍需相。第二次大戦中は首相として強力な統率力を発揮した。「第二次大戦回顧録」で1953年にノーベル文学賞に輝き、文筆家としても評価されている。
St Martin Churchyard, Bladon, West Oxfordshire District, Oxfordshire, England
●ウィリアム・モリス William Morris (1834.3.24-1896.10.3)イギリスの工芸美術家・詩人。中世の美を愛し産業革命後の芸術の機械化に反発。モダン・デザイン運動の先駆けとなった。晩年は美を尊重する社会主義を目指した。
St George Churchyard, Kelmscott, West Oxfordshire District, Oxfordshire, England
●ジョージ・オーウェルGeorge Orwell:本名Eric Arthur Blair(1903-1950)イギリスの作家。全体主義を諷刺した「1984年」「動物農園」、スペイン内乱の義勇軍の体験ルポルタージュ「カタロニア讃歌」で著名。
All Saints Churchyard, Sutton Courtenay, Vale of White Horse District, Oxfordshire, England
●C・S・ルイス Clive Staples Lewis(1898.11.29-1963.11.22)アイルランド系のイギリスの作家・中世学者。童話「ナルニア国物語」(全7巻)やユーモアを交えてキリスト教を説いた作品を発表。骨髄癌に侵された米国詩人ジョイと結婚。本名クライブ・ステープルス・ルイス。
Holy Trinity Churchyard, Headington, City of Oxford, Oxfordshire, England
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サレー:Surrey
●ジョン・シンガー・サージェント John Singer Sargent(1856.1.12-1925.4.15)アメリカ出身の画家。社交界の人々を描いた優雅な肖像画が人気に。フランスで美術を学びロンドンとパリで活動した。
Brookwood Cemetery, Brookwood, Woking Borough, Surrey, England
●エドワード殉教王 Edward the Martyr(962-978.3.18)イングランド王(在位:975年-978年)。聖ヨハネを敬愛していたが16歳で暗殺された。王の遺骸に近づいた者に病気が治る奇跡が続いたことから聖人に認定された。
Brookwood Cemetery, Brookwood, Woking Borough, Surrey, England//Plot: Plot 39
●ルイス・キャロル Lewis Carroll:Charles Lutwidge Dodgson(1832-1898)イギリスの童話作家・数学者。本名チャールズ=ドッジソン。ナンセンスな言葉遊びなど独自のユーモアに富んだ「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」で有名。
Guildford Cemetery, Guildford, Guildford Borough, Surrey, England
●コナー・クラプトンConor Clapton(1986.8.15-1991.3.20)名ギタリストのエリック・クラプトンの息子。NYにて4歳で早逝。エリックは「ティアーズ・イン・ヘブン」を捧げた。
St Mary Magdalen Churchyard, Ripley, Guildford Borough, Surrey, England
●ユーディ・メニューインYehudi Menuhin(1916.4.22-1999.3.12)アメリカ出身のバイオリニスト。4歳からバイオリンを学び10代前半でベルリン・フィルやロンドン交響楽団と共演し神童とよばれた。第二次大戦以降はバルトークとの交友で傑作を生む一方、教育活動にも力を注ぐ。
Yehudi Menuhin International School, Stoke D'Abernon, Elmbridge Borough, Surrey, England
 
ドーセット:Dorset
●ハーディ Thomas Hardy[heart only](1840-1928)イギリスの小説家。美しい自然や風俗描写の奥底に人生=悲劇という宿命観。「テス」など。※ウェストミンスター寺院の墓は心臓がない身体。
St Michael's Churchyard, Stinsford, West Dorset District, Dorset, England
●T.E.ロレンス Thomas Edward 'Lawrence of Arabia' (1888-1935)“アラビアのロレンス"として知られる英国の考古学者・軍人。第一次大戦下のアラブ諸国で対オスマン帝国のゲリラ戦を指導、アラブ独立に尽力した。
St Nicholas Churchyard, Moreton, Purbeck District, Dorset, England
●メアリー・シェリー Mary Shelley(1797.8.30-1851.2.1)「フランケンシュタイン」の作者。詩人シェリーの2番目の妻。
St Peter Churchyard, Bournemouth, Bournemouth Unitary Authority, Dorset, England
?Percy Bysshe Shelley [heart only] b. August 4, 1792  d. July 8, 1822
 
サフォーク:Suffolk
●ベンジャミン・ブリテン Benjamin Britten(1913.11.22-1976.12.4)現代イギリスを代表する作曲家。前衛音楽とは一線を画した。「青少年のための管弦楽入門」「ピーターグライムズ」「戦争レクイエム」など。
Saint Peter and Saint Paul's Church, Aldeburgh, Suffolk, England
●デボラ・カー Deborah Kerr(1921.9.30-2007.10.16)女優。“英国の薔薇"。アカデミー主演女優賞に6度ノミネートされ、晩年に名誉賞を受賞。「王様と私」「地上より永遠に」「黒水仙」。
St Mary the Virgin Churchyard, Redgrave, Mid Suffolk District, Suffolk, England//Plot: Family plot
※Redgraveの墓地ではなく、隣町Botesdalen墓地という情報や、家族の埋葬地であるウエストサセックスの小さな村という情報も
St Mary's Church
 
エセックス:Essex
?ジョン・ロック John Locke(1632.8.29-1704.10.28)啓蒙思想の創始者。イギリスの哲学者・政治思想家。専制政治や家父長主義に反対し、三権分立・信教の自由などを主張。宗教抗争を止めるため、政教分離原則を統治機構のシステムに組み込む思想を展開。政府は各個人の自然権を守るために人々の合意により設立されたものに過ぎないと強調し、近代民主主義思想の源流となった。また、人間の知識は感覚経験から成り立つとして、デカルトの生得観念説を批判。「人間知性論」「統治二論」「寛容について」など。
※ジョン・ロック『寛容についての書簡』より
第一に、キリスト教会および信徒は、人類愛の見地から、他人を迫害する権利を持たない。
第二に、人の認識範囲は狭く、また誤り易いので、自分の宗教的な意見が正しく、他人のそれが誤っているということについて、確実な知識を持てない。
第三に、暴力という強制によって人々を救済することはできない。
All Saints Churchyard, High Laver, Epping Forest District, Essex, England
http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=15795789
 
ケント:Kent
●トマス・ベケット Thomas Becket (1118-1170.12.29)カンタベリー大司教。ヘンリー2世は寵愛している司教をベケットが懲戒したことに激怒。ベケットは王の意を汲んだ4人の騎士によりカンタベリー聖堂内で暗殺された。最後の言葉は「喜んで私は、イエスの名のために、また教会を守るために死ぬ」。※大聖堂内の暗殺された場所にモニュメント。ベケットの遺灰は大砲でカンタベリーの空に発射された。
Cremated, Other, Ashes put into a cannon and fired over the city of Canterbury, Kent, England
●聖アンセルムス Saint. Anselm(1033-1109.4.21)初めて理性的、学術的に神を把握しようと努めた中世の神学者(神の存在証明を試みた)。「スコラ学の父」。カンタベリーのアンセルムス。聖職者の叙任をめぐり国王ウィリアム2世、ヘンリー1世と対立、2度にわたって追放されたが、国家に対する教会の自由権を守りとおした。
Canterbury Cathedral, Canterbury, City of Canterbury, Kent, England
●ヒューバート・ウォルター Hubert Walter(?-1205.7.13)イングランドの聖職者。カンタベリー大司教兼大法官。リチャード1世(獅子心王)の片腕として、王の遠征中は宰相の任務にあたり、法制の充実に努めると共に、土地調査や新税制導入で財政収入の増加を目指し、内政改革に手腕を振るった。
Canterbury Cathedral, Canterbury, City of Canterbury, Kent, England
Plot: his tomb is the oldest in the Cathedral and lies in the aisle just south of the entrance to henry IV's Chantry
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●モームWilliam Somerset Maugham(1874-1965)イギリスの小説家・劇作家。物語性に富む巧みな作品を多く書いた。画家ゴーギャンをモデルとした「月と六ペンス」、自伝小説「人間の絆」など。
Canterbury Cathedral, Canterbury, City of Canterbury, Kent, England
Plot: Cremated, Ashes buried beneath a rose bush near the Maugham Library, Canterbury Cathedral
●ジョセフ・コンラッドJoseph Conrad(1857-1924)ポーランド出身の英国の小説家。アフリカを舞台にした中編「闇の奥」や政治小説を著す。
Canterbury City Cemetery, Canterbury, City of Canterbury, Kent, England
●トマス・モア Thomas More(1478-1535)政治家・社会思想家。「ユートピア」を著してイギリス社会を批判し、王権と教権から自由な社会を理想国家とした。ヘンリー8世に重用され大法官となるが、カトリック教徒の立場から英国教会の分離を認めず辞任。また、王の離婚にも反対し、叛逆罪に問われて処刑。エラスムスと交流し古典や法律を研究した。
St Dunstan Churchyard, Canterbury, City of Canterbury, Kent, England//Plot: Roper Chapel
●デレク・ジャーマン Derek Jarman(1942.1.31-1994.2.19)英国の映画監督。耽美性に富む作品で知られる。「カラヴァッジオ」「ウィトゲンシュタイン」「エドワード II」。ゲイであることを公表しエイズで他界。
St Clement Churchyard, Old Romney, Shepway District, Kent, England
●ポカホンタスPocahontas(1595.9.17-1617.3.21)アメリカ先住民・ポーハタン族首長の娘。本名マトアカ。「ポカホンタス」は「陽気な人」の意味。アメリカの植民地建設に貢献したとして神格化された女性。1612年(22歳)、イギリスの捕虜となりジェームズタウン(バージニア州)に連行されキリスト教に改宗、レベッカに改名。その後、タバコ栽培で成功した入植者ジョン・ロルフと結婚。「先住民のキリスト教化成功」の宣伝のため一家はロンドンにおくられ、国王夫妻と会見するなどもてなされたが、帰国前日に天然痘で他界した。
St George Churchyard, Gravesend, Gravesham Borough, Kent, England
●リチャード・トレビシック Richard Trevithick(1771.4.13-1833.4.22)鉄道の父。1804年、レールを走る世界初の蒸気機関車・ペナダレン号を走行させた。だが、当時はレールの耐久性が低く実用化に至らなかった。その四半世紀後(1829年)、スチーブンソンがリバプールとマンチェスターの間に蒸気機関車ロケット号を走らせ名声を得る一方、トレビシックは南米で鉱山の開拓事業に失敗。死亡時は一文無しであり貧民墓地に埋葬された。孫のリチャード・フランシス・トレヴィシック(1845-1913)は明治前半に来日し、日本初の国産蒸気機関車「860型蒸気機関車」の製造を指導するなど日本の鉄道技術を発展させた。
St Edmund's Pleasance Burial Ground, Dartford, Dartford Borough, Kent, England
●ヴァージニア・ウルフVirginia Woolf(1882-1941)イギリスの女性作家。意識の流れを繊細に描写。フェミニズムを含んだ小説や評論を残す。入水自殺。「ダロウェー夫人」「灯台へ」
Monks' House, Rodmell, England
●ロセッティDante Gabriel Rossetti(1828-1882)イギリスの画家・詩人。ラファエル前派を創始。聖書・ギリシャ神話・ダンテの詩などを題材に華麗な絵を描いた。「運命の女(ファム・ファタル)」を多く残す。
All Saints Cemetery, Birchington, Kent, England
フリードリヒ・エンゲルスFriedrich Engels(1820.11.28-1895.8.5)ドイツの思想家・革命家。ロンドンを拠点にマルクスと協力し、科学的社会主義を創始。共著「資本論」「共産党宣言」「ドイツ‐イデオロギー」。名誉欲はゼロ。遺言でドーバー海峡に面するイーストボーン(Eastbourne)のBeachy岬から遺灰が撒かれた。
 
イースト・サセックス:East Sussex
?ゲイリー・ムーア Gary Moore(1952-2011)   b. April 4, 1952  d. February 6, 2011
北アイルランド出身のロック・ミュージシャン。“ギタークレイジー”。ブルースを土台にジャズやフュージョンをブレンド。超速弾きと泣きのギターの両方で尊敬を集めた。
St Margaret Churchyard,Rottingdean,Brighton and Hove Unitary Authority,East Sussex, England
●ケインズJohn Maynard Keynes(1883-1946)
イギリスの経済学者。従来の「自由放任経済で完全雇用が自動的に達成される」という理論を批判し、「完全雇用達成のための政府投資の役割」を強調、自由放任経済の終焉を説き、ケインズ革命と呼ばれる経済学の大変革をおこした。Tiltonの大地に散骨。
Tilton House(Cremated, Ashes scattered, on the Downs at Tilton), Firle, East Sussex, England
●ホルストGustav Holst(1874.9.21-1934.5.25)イギリスの作曲家。惑星の名前を標題とした壮大な管弦楽組曲「惑星」で知られる。
Chichester Cathedral, Chichester, Chichester District, West Sussex, England
●ヴィヴィアン・リーVivien Leigh(1913.11.5-1967.7.8)イギリスの映画女優。インド生まれ。『風と共に去りぬ』の主人公スカーレット・オハラで有名。「哀愁」「欲望という名の電車」など。遺灰は自邸前の池に撒かれ、側に追悼墓石がある。
Cremated, Ashes scattered, Scattered on the lake at Tickerage Mill, near Blackboys, Sussex, England
http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=1261
●ジョージ・エベレスト George Everest(1790.7.4-1866.12.1)ウェールズ出身の探険家、ヒマラヤ山脈の測量者。インド測量局の長官。前任者の事業を引き継ぎ、インド南端からネパールまで2400kmの子午線弧に沿う測量事業を完成させた。
St Andrew Churchyard, Hove, Brighton and Hove Unitary Authority, East Sussex, England
Plot: Churchyard, on the Church Road side
 
サマーセット:Somerset
●アーサー王 King Arthur サクソンと戦ったケルトの伝説的英雄。6世紀のウェールズの武将、のちブリタニア王。9世紀初めの文献にその名が見える。トーマス=マロリーの「アーサー王の死」は伝説の集大成。
Glastonbury Abbey*, Glastonbury, Mendip District, Somerset, England
●T.S.エリオットThomas Stearns Eliot'T.S.'(1888.9.26-1965.1.4)イギリスの詩人。ノーベル賞作家。西洋の古典的な伝統を重んじ、「荒地」「四つの四重奏」を発表。アメリカから帰化。
St Michael and All Angels Churchyard, East Coker, South Somerset District, Somerset, England
●マルサス Thomas Robert Malthus(1766-1834)イギリスの経済学者。「人口論」を発表して社会に大きな衝撃を与えた。リカードと穀物法論争を展開。
Bath Abbey,Bath,Bath and North East Somerset Unitary Authority,Somerset, England
Plot: Buried in the Porch. His plaque is on your left as you enter the Abbey.
 
バークシャー:Berkshire
【St George's Chapel】Windsor, Windsor and Maidenhead Royal Borough, Berkshire, England
●ヘンリー6世 Henry VI(1421.12.6-1471.5.27)イートン校とケンブリッジ大学キングス・カレッジを設立。在位は1422年-1461年と1470年-1471年の2回。フランス王も兼ねた。ヘンリー5世とフランス王シャルル6世の娘キャサリンの子。1453年(32歳)に精神錯乱を起こし、2年後にランカスター派対ヨーク派の薔薇戦争(1455)が勃発。復位後、エドワード4世にロンドン塔に幽閉されて死亡。毎年ヘンリー6世の命日には、ヘンリーが祈祷中に殺害された現場(ロンドン塔のウェイクフィールド・タワー)に、イートン校とキングス・カレッジの総長が、白百合、薔薇、花をかたどった両校の紋章を供えている。子のエドワード(“4世”とは別人)は唯一の戦死したプリンス・オブ・ウェールズとなった。
St George's Chapel, Windsor, Windsor and Maidenhead Royal Borough, Berkshire, England//Plot: Altar
●エドワード4世 King Edward IV(1442.4.28-1483.4.9)ヨーク朝初代国王。ヨーク家は1385年、エドワード3世の「5男エドマンド」にヨーク公の称号が与えられたことで創設された。エドマンドの孫リチャードは、エドワード3世の「4男ジョン」の子孫にあたるランカスター家のヘンリー6世に王位継承権を主張。息子に王位をつがせたいと考えるヘンリー6世の王妃マーガレットを中心とするランカスター派と、ヨーク派との間に、1455年、薔薇戦争が始まった。ヨーク公リチャードは1460年にウェークフィールドの戦で戦死したが、翌61年、リチャードの長男エドワードが仇を討ち、エドワード4世として即位した。ヘンリー6世はロンドン塔で殺害された。
St George's Chapel, Windsor, Windsor and Maidenhead Royal Borough, Berkshire, England//Plot: Altar
●ヘンリー8世 Henry VIII (1491.6.28-1547.1.28)
英国国教会を創設し、絶対王政を完成。在位1509〜47年。イングランド王室史上最高のインテリであるとされ、ラテン語、スペイン語、フランス語を理解した。多くの本に注釈をつけ、自らも著作を行った。外交では北フランスに遠征して勝利。だが、以下のように暴君でもあった。ヘンリー8世はイングランドの国内問題に関するローマ教皇の権限を否定し、“国王はイングランド教会の唯一最高の首長"であるとする「国王至上法」を議会に制定させ、英国国教会を作った。ヘンリーは聖職者に「国王至上法」「王位継承法」を認める誓約を要求し、カトリック教徒である前の大法官トマス・モアやロチェスター司教フィッシャーはこれを拒否したため処刑された。ヘンリーは修道院を解散してその財産を没収した。
ヘンリー8世が英国国教会を作った理由のひとつに、離婚を認めない教皇クレメンス7世との対立があった。ローマ・カトリック教会の支配を脱したヘンリーは、生涯に6度結婚した。最初の妃キャサリン(スペイン王家出身)がメアリー(のちのメアリー1世)を生んだが男子の跡継ぎが育たず、王妃の侍女で若い愛人アン・ブーリンと関係を持ち、アンは女児(のちのエリザベス1世)を出産した。1536年、アン・ブーリンに姦通罪をかぶせて処刑し、数日後にジェーン・シーモアと3度目の結婚をしたが、ジャーンは嫡男エドワード(のちのエドワード6世)を生んですぐに他界した。1540年にドイツのプロテスタント諸侯とのパイプを強化するため、クレーフェ公の娘アンと結婚したが、この政治同盟に利用価値がなくなると数カ月後に離婚。5人目の妻、キャサリン・ハワードをまた姦通罪で処刑し、翌年、6人目の妃キャサリン・パーをむかえた。
ヘンリーの政策を推進したのは、側近のトマス・クロムウェル。クロムウェルは宗教改革をさらに押し進めようとして処刑された。ヘンリー8世の死去後、息子のエドワード6世が王位をついだ。
St George's Chapel, Windsor, Windsor and Maidenhead Royal Borough, Berkshire, England//Plot: Quire
●チャールズ1世(スコットランド人)Charles I(1600.11.19-1649.1.30)ピューリタン革命で処刑された国王。在位1625〜49年。スチュアート朝のイングランド、スコットランド、アイルランド王を兼任。ジェームズ1世の子。強制借り上げ金、ポンド税、船舶税など、様々な不法課税をおこなった。英国国教会の改革を唱えたプロテスタント=ピューリタンを弾圧をしたことで各地に反乱が起き、これを抑えきれないチャールズ1世は投降した。議会軍の指揮官クロムウェルと彼を支持する独立派の意向で、チャールズ1世は反逆者、殺人者、国家の敵として死刑判決をうけ公開処刑(斬首)された。
St George's Chapel, Windsor, Windsor and Maidenhead Royal Borough, Berkshire, England//Plot: Quire
 
●ヘンリー1世 Henry I'Beauclerc'(1068-1135)
ノルマン朝第3代のイングランド王。在位1100〜35年。ウィリアム1世の子。長兄のノルマンディ公ロベールが十字軍遠征のため留守だったことに乗じて国庫をおさえ、ウェストミンスターで即位。ノルマンディを攻略して併合。碩学(せきがく/学者)王。
Reading Abbey (Ruins), Reading, Reading Borough, Berkshire, England
●ビクトリア女王 Queen. Victoria(1819-1901)   b. May 24, 1819  d. January 22, 1901
在位1837〜1901年。父はジョージ3世の4男ケント公エドワード。伯父ウィリアム4世が跡継ぎをのこさず死去したため、18歳でイギリス女王となった。約63年に及ぶ治世期間はイギリス史上最長であり、ビクトリア時代は16世紀後半のエリザベス1世の時代と共に、イギリスがもっとも発展した時代となった。
Royal Burial Grounds at Frogmore, Windsor, Windsor and Maidenhead Royal Borough, Berkshire, England//Plot: Frogmore Mausoleum
●エドワード8世 Edward VIII(1894.6.23-1972.5.28)国王の地位より愛を選んだ。在位1936年1月20日〜12月11日。ジョージ5世の長男。1936年1月に即位したが、離婚歴のあるアメリカ人女性シンプソン夫人との結婚問題から、同年12月に国王の地位を捨て退位した。弟のジョージ6世が新しい国王に就き、自身はウィンザー公の称号を与えられた。結婚後は海外で生活。
※弟ジョージ6世の長女が現女王・エリザベス2世。彼女は長男チャールズ、長女アン、2男アンドルー、3男エドワードを出産。チャールズはダイアナと結婚し、長男ウィリアム王子、2男ヘンリー王子が生まれた。後に離婚。
Royal Burial Grounds at Frogmore, Windsor, Windsor and Maidenhead Royal Borough, Berkshire, England
Plot: Buried next to Wallis, Duchess of Windsor behind Frogmore Mausoleum
★その他
●ゴールディングWilliam Golding(1911.9.19-1993.6.19)イギリスのノーベル賞作家。人間の倫理を追求する作品を発表。核戦争後、孤島に漂着した少年たちが暴力化していく衝撃作「蠅の王」で有名に。
Holy Trinity Churchyard, Bowerchalke, Wiltshire Unitary Authority, Wiltshire, England//Plot: Under a huge yew tree
●イアン・カーティス Ian Curtis(1956.6.15-1980.5.18)ロックバンド『ジョイ・ディヴィジョン』(意味はナチス将校専用の慰安所)のヴォーカルで、文学好きから作詞を担当。障害者のための職安に勤め、障害者たちから強い影響を受け、内省的な詩を書いた。1979年(23歳)ファースト・アルバム『アンノウン・プレジャーズ』をリリースすると初回限定5000枚が即完売し、音楽雑誌から絶賛された。翌1980年、ツアーを経てセカンド・アルバム『クローサー』をレコーディング。「ラブ・ウィル・テア・アス・アパート(愛が私たちを引き裂いていく)」が大ヒットした。アメリカ・ツアーも決定したが、癲癇と鬱病に苦しみ、ロックスターを続けることのプレッシャー、妻と愛人に挟まれる苦悩などから、アメリカツアー出発日の前日(5月18日)、自宅台所で首を吊った。レコード・プレイヤーにはイギー・ポップの『イディオット』が載っていた。享年23歳。墓石には妻の希望により「ラブ・ウィル・テア・アス・アパート」の文字が刻まれた。残った3人のメンバーはバンド名を「ニュー・オーダー」に変更、イアンの自殺を知った日を歌った「ブルー・マンデー」が大ヒットした。
Macclesfield Cemetery, Macclesfield, Cheshire East Unitary Authority, Cheshire, England
●ワーズワース William Wordsworth(1770.4.7-1850.4.23)ロマン派の桂冠詩人。親友コールリッジと共に湖畔詩人と呼ばれ、2人で「抒情歌謡集」を出版。自然美を平明な日常語でうたいあげ、詩壇に一時代を築いた。
St Oswald Churchyard, Grasmere, South Lakeland District, Cumbria, England
●ウォルポール Robert Walpole(1676.8.26-1745.3.18)英国の初代首相。在任1721〜42年。ホイッグ党。ドイツ生まれのジョージ1世が即位すると、王は英語を理解せず政治を内閣に一任、「国王は君臨すれど統治せず」という立憲君主制が出来あがった。ウォルボールは平和維持と課税抑制を基本政策とし、長期政権を維持。この期間は18世紀で最も平和な時代であり「ウォルポールの平和」と呼ばれ、産業革命の芽が育った。
St Martin Churchyard, Houghton, Kings Lynn and West Norfolk Borough, Norfolk, England//Plot: Walpole family vault
●ディズレーリ Benjamin Disraeli(1804.12.21-1881.4.19)イギリスの首相。在任1868、74〜80年。保守党(旧トーリー党)を率いて30年以上も政界に影響力を持った。公衆衛生やスラムの整備に努め、労働者に選挙権を付与した1867年の第2次選挙法改正に貢献。アジア、アフリカにおける帝国の拡大など外交面を重視した。
St Michael and All Angels Churchyard, Hughenden, Wycombe District, Buckinghamshire, England
●ロイド・ジョージ David Lloyd George(1863-1945)イギリス首相。在任1916〜22年。第1次世界大戦から戦後にかける混乱期に、強力な指導力でイギリスの舵取りをおこなった。社会改革を強く主張し、ボーア戦争には反対の立場をとった。ロイドが可決させた予算案は、社会政策を重視し軍備増強の財源を高額所得層の増税によってまかなうため「人民予算」と呼ばれた。上院の権限を縮小する法律が制定され、健康保険・失業保険をはじめ、提案した改革案が多く実現され、イギリスは福祉国家の基盤を確立した。
David Lloyd George Memorial Site, Llanystumdwy, Gwynedd, Wales//Plot: on the banks of the River Dwyfor (not in the churchyard)
 
《ウェールズ》
●チャールズ・ロールズ Charles Stewart Rolls(1877.8.27-1910.7.12)自動車と航空機の先駆者。大学でエンジンに興味を持ち機械学を専攻。26歳のときに、イギリス初の自動車販売店を開店し、仏からプジョーを輸入&販売した。そして1904年(27歳)、自動車技術者フレデリック・ヘンリー・ロイスと出会い、共同で自動車製造会社「ロールス・ロイス」を設立した。ロールズは事業面を担当した。一方、飛行機にも愛を注ぎ、1910年に史上初めて飛行機でイギリス海峡を無着陸で往復した。同年7月、乗機ライトフライヤー号の飛行実演中、尾部が破断して墜落。飛行機事故で死亡した最初のイギリス人となった。享年32歳。身長が約1.95mあった。墓はランガタク邸の下にあり「祝福されし者は心清らかなり、彼ら神にまみえんがため」と刻まれている。※モンマスのアジンコート・スクエアの像は複葉機の模型を手に取っている。
St Cadoc Church:Llangattock-Vibon-Avel Church Cemetery, Monmouth(モンマス), Monmouthshire, Wales
●ディラン・トーマス Dylan Thomas(1914.10.27-1953.11.9)ウェールズの詩人。音楽的な言葉の連なりと鮮烈なイマジネーションで人気を呼んだが、酒を浴びるように呑み続け39歳で没した。
Saint Martin's Churchyard, Laugharne, Carmarthenshire, Wales
 
《北アイルランド》
●ボビー・サンズ Bobby Sands(1954.3.9-1981.5.5)アイルランドの国家主義者。ハンガーストライキで死んだ暫定的アイルランド共和国軍(IRA)のメンバー。
Milltown Cemetery, Belfast, County Antrim, Northern Ireland
 
《スコットランド》12
●マクベス MacBeth(1005-1057.8.15)スコットランドの武将。主君ダンカン王と僚将バンクォーを暗殺して王位を奪ったが、後に王の長男らによって討ち取られる。
Saint Orans Chapel Cemetery, Isle of Iona, Argyll and Bute, Scotland
●ダンカン1世 Duncan I(1001-1040.8.15)スコットランド王。イングランド北部のダラム侵攻が失敗して重臣たちの信望を失い、1040年に従弟のマクベスに殺害された。
Saint Orans Chapel Cemetery, Isle of Iona, Argyll and Bute, Scotland
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●アダム・スミス Adam Smith(1723.6.5-1790.7.17)スコットランドの経済学者。経済学の父。古典派経済学の祖。経済人の利己的な行為は「神の見えざる手」に導かれていくとした。「道徳情操論」「国富論」
Canongate Churchyard, Edinburgh, City of Edinburgh, Scotland
●デイヴィッド・ヒュームDavid Hume(1711.4.26-1776.8.25)スコットランド出身の哲学者・歴史家。イギリス経験論を代表する思想家。経験論の立場から因果法則や実体の観念の客観性を否定。有名な無神論者。
Old Calton Burial Ground, Edinburgh, City of Edinburgh, Scotland
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●ロバート1世Robert I / ロバート・ブルースRobert the Bruce[Bone Fragment](1274.7.11-1329.6.7)最も偉大なスコットランド国王(在位:1306年-1329年)。有名な戦士であり「解放者」の異名を持つ。ウィリアム・ウォレスの死後、イングランド王国に対する独立戦争でスコットランドを率いた国民的英雄。1314年にイングランド王・エドワード2世と戦った「バンノックバーンの戦い」において、4倍以上のイングランド軍に完勝し、スコットランドからイングランド勢力を一掃。その後、後継者のエドワード3世と交渉してスコットランドの完全独立を実現させた。ハンセン氏病で他界。遺体はダンファームリン修道院に埋葬され、心臓はメルローズ修道院に埋葬された。1818年、ダンファームリン修道院の改築中に祭壇前の墓を開けた際、中の遺体がロバート1世の伝承と合致した。
※心臓を銀の箱に入れて十字軍が聖地に運ぼうとしたが、スペイン・グラナダまでしか行けなかった。
Saint Conan's Kirk, Lochawe, Argyll and Bute, Scotland
●ジョン・ロジー・ベアード John Logie Baird(1888.8.13-1946.6.14)スコットランドの電気技術者・発明家。史上初めて動く物体をテレビで遠距離放送することに成功した。また、世界初の完全電子式カラーテレビ受像管も発明。
Helensburgh Cemetery, Helensburgh, Argyll and Bute, Scotland
●ジョン・シェパード=バロンJohn Adrian Shepherd-Barron(1925.6.23-2010.5.15)インド出身のスコットランド人発明家。現金自動預け払い機(ATM)を発明した。
Tarbat(ターバット) New Cemetery,Portmahomack. Highland, Scotland
●ジェームス・マシュー・バリー James Matthew Barrie(1860.5.9-1937
.6.19)スコットランド出身の劇作家。『ピーター・パン』の作者。
Kirriemuir Cemetery, Kirriemuir, Angus, Scotland
●トーマス・リプトン Thomas Lipton(1850.5.10-1931.10.2)英国の紅茶ブランド「リプトン」創業者。グラスゴー出身。1890年(40歳)、スリランカを訪れて紅茶を買い付け、自らの食料品店で販売する。商標をつけるなど、品質や安全性を確保する姿勢が評判を呼び事業は成功した。独身であったため、多額の財産を慈善団体に寄付し、貧困層の子どもたちに紅茶を贈った。ヴィクトリア女王は紅茶の事業と慈善活動を評価し、ナイトの称号を与えた。
Southern Necropolis, Glasgow, Glasgow City, Scotland
●ウォルター・スコット Walter Scott(1771.8.15-1832.9.21)スコットランドの作家。ロマン派詩人から歴史小説家に転じ「アイヴァンホー」などを執筆。
Dryburgh Abbey, Melrose, Scottish Borders, Scotland
●ウィリアム・ウォレス William Wallace [Right half of his body, without the arm, leg or he](1270-1305.8.23)スコットランド独立戦争の英雄。イングランド王・エドワード1世によってロンドンで四つ裂きされ、手足のない右半身のみを埋葬…。
Old Machar Churchyard, Aberdeen, Aberdeen City, Scotland
カークパトリック・マクミラン Kirkpatrick MacMillan(1812.9.2-1878.1.26)ペダル式の最初の自転車を発明(1839)。鍛冶屋。
Keir Mill churchyard, Dumfries and Galloway, Scotland
 


 
〔歴代ローマ法王詳細〕

●初代ローマ教皇ペトロSaint Peter(生年不明- 67)12使徒の一人。シモン・ペトロ。聖人の概念をもつ全てのキリスト教諸教派(正教会・東方諸教会・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会)において聖人とされ、記念日(聖名祝日)は6月29日。
皇帝ネロのキリスト教迫害で殉教。
325年のニケーア公会議で三位一体説を主張するアタナシウス派がカトリック(普遍的)であると認められ、5世紀以降ローマ司教がペトロの後継者として教皇となった。
Saint Peter's Basilica, Vatican City
Plot: Crypt, in the basement
 
●4代クレメンス1世 Pope I. Clement(91-101)ペトロを直接知る人物。「クレメンスの第一の手紙」で教会同士のトラブルを仲裁。諸教会の仲介役を既にローマ司教が果たしていた。クリミア半島ケルソネソスで落命。
Basilica di San Clemente, Rome, Provincia di Roma, Lazio, Italy
ペトロを直接知る人物。「クレメンスの第一の手紙」(96年)はコリントスの教会で起きたトラブルを仲裁しようとしたクレメンスの書簡。カトリックを中心に、ここから諸教会の仲介役としてローマ司教が役割を果たしていたと考え、それが後の教皇制度の萌芽になっていくと見るむきもある。クリミア半島のケルソネソスで致命したという伝承。
 
●25代教皇ディオニュシウスDionysius(? - 268年12月26日)は、ローマ教皇(在位:259年7月22日 - 268年12月26日)。おそらくギリシャの生まれ。258年に殉教したシクストゥス2世を継いで教皇となった。キリスト教徒が直面していた迫害によって新教皇の選出は困難だったため、教皇座は1年近く空席になっていた。迫害がおさまり始めると、ディオニュシウスはローマ教皇に就いた。迫害を主導した皇帝ウァレリアヌスはペルシアのシャープール1世に捕らえられ260年に殺された。新皇帝ガリエヌスは信仰寛容令を発し、迫害を終わらせ教会を合法化した。ディオニュシウスは混乱に陥っていたローマ教会の再建を背負った。アレクサンドリアの信徒の抗議によって、アレクサンドリア司教から神とロゴスを関係させる教義についての説明を求められ、満足な回答を与えた。ディオニュシウスは、ゴート人の襲撃により荒廃したカッパドキアの教会に多額の金を送り、教会を再建させ捕虜の身代金を払った。303年まで続く信仰寛容令によって、教会は秩序と平和が保たれ、ディオニュシウスは殉教せずに死んだ最初の教皇となった。
San Silvestro in Capite、Roma
 
●38代シリキウス(Siricius, ? - 399年11月26日)は、第38代ローマ教皇(在位:384年12月11日 - 399年11月26日)。
「教皇」という称号を名乗った最初の人物。382年に古代ローマの最高神祇官に司祭として初めて任じられた(後にローマ皇帝グラティアヌスによって職を解かれた)。384年には対立教皇ウルシヌスとの選挙に勝って満場一致でローマ教皇に選出。教皇教令を発した初の教皇でもあった。最初の教皇教令はヒスパニアのタラゴナの司祭に対するものだった。さらに聖職者の非婚に関する2つの教令を出した。
異端の同僚司祭に迫害されたヒスパニアの禁欲的なプリスキリアヌス派の司祭が西ローマ帝国の皇帝マグヌス・マクシムスによって魔術を行った罪で処刑された時、シリキウスはミラノの司教アンブロジウスとトゥールのマルティヌスを伴って、この判決に異議を唱えた。シリキウスの祝日は11月26日である。
CATACOMBS OF PRISCILLA
 
●45代レオ1世(Papa Leo I、390年 - 461年11月10日)は、ローマ教皇(在位:440 - 461年)。大教皇。390年、ピサ近郊で生まれた。聡明かつ雄弁な人物で、440年に教皇として即位した後は地方教会の改革や教皇権の強化などに務めた。教義論争でも異端説を弾圧し、正統論を確立した。この頃のイタリアはフン族の首長・アッティラが侵攻してきていたが、レオ1世はアッティラと会見して平和的解決を図った。中世ハンガリーの年代記によると、教皇はアッティラへ、もしも平和裏にローマから去るならば、彼の後継者の一人が「聖なる王冠」を受け取るであろうと約束。その結果、452年にアッティラはローマから撤退している。ヨーロッパでは、ローマ教皇の忠告を守らなかったアッティラに神の天罰が下り死亡、残された部下は天罰を恐れ、ローマ教皇の忠告を守り、夕日を背にして生まれ故郷の東方に帰っていった、という非常に有名な伝承が残っている。この事件をキリスト教が布教活動に利用、ヨーロッパでその後1,000年近く続く、王や諸侯よりも強大なキリスト教の権威が生まれるきっかけになった。また、455年にヴァンダル族の王ガイセリックの軍勢がローマに侵攻してきたときも、その責任者と会見することで虐殺やローマの破壊をしないよう要請し、平和的な解決に努めている。また、この教皇は、副助祭に至るまで、聖職者のあらゆる結婚を禁じた。 461年、72歳で死去した。レオ1世が即位した頃の欧州では、ゲルマン民族の大移動による紛争時代であったが、レオ1世は常に平和的な解決を図り、武力による解決を好まなかった。このため、レオ1世は「大教皇」と称されている。
 
 
★64代グレゴリウス1世(Gregorius I, 540年? - 604年3月12日)は、ローマ教皇(在位:590年9月3日 - 604年3月12日)。問答者グレゴリウス(Dialogos Gregorios)、大聖グレゴリウスとも呼ばれる。
典礼の整備、教会改革で知られ、中世初期を代表する教皇である。四大ラテン教父の一人(他にアンブロジウス、ヒエロニムス、アウグスティヌス)。ローマ・カトリックでは聖人、教会博士であり、祝日は9月3日。
東方正教会でも聖人で記憶日は3月25日。日本ハリストス正教会では先備聖体礼儀の作成者・ロマの「パパ」問答者聖グリゴリイ(鍵括弧原典ママ)と呼ばれる。
グレゴリウスはローマの貴族の家庭で生まれ、政治家としてのキャリアを積んでいたが、思うところがあって修道院に入り、590年に教皇に選ばれた。グレゴリウスは教皇に選ばれると精力的に教会改革に乗り出し、三章問題の解決をはかったり、カンタベリーのアウグスティヌスをイングランド宣教に派遣するなどした。グレゴリウスは西方だけでなく東方においても著名な存在であり、ローマ司教の域を出なかった教皇職の権威を高めることになった。
グレゴリウスは同時に(ヌルシアの)聖ベネディクトゥスの伝記を含む多くの著作を残したことで知られ、教皇として書いた多くの書簡が残されている。グレゴリオ聖歌の名は彼に由来しており、伝承では彼自身多くの聖歌を作曲したとされている。また、東方正教会でも大斎中の平日の奉神礼に用いられる先備聖体礼儀の祈祷文はグレゴリウス1世が編纂したものとされる。

●76代ウィタリアヌス(Vitalianus、生年不詳 - 672年1月27日)(在位657年7月30日 - 672年1月27日)。典礼規定に準拠するオルガンの使用を定めた最初の教皇として知られる。オルガンは宗教儀式の中で使われた。使用目的は会衆の聖歌の歌唱を指導するためだったと言われる。663年6月、ランゴバルド討伐のため南イタリアに遠征した東ローマ帝国皇帝コンスタンス2世とローマで会見する。668年3月26日、タルソスのテオドルスに第7代カンタベリー大司教として叙階を授ける。http://it.m.wikipedia.org/wiki/Papa_Vitaliano

Saint Peter's Basilica, Vatican City

●79代アガト(Agatho、577年 - 681年1月10日)は、第79代ローマ教皇(在位678年6月27 - 681年1月10日)。
シチリアの修道士から、教皇に選ばれる。東ローマ皇帝コンスタンティノス4世によって召集された第3コンスタンティノポリス公会議を支援し、キリスト単意論を攻撃。「単意」という用語を創始した第70代教皇ホノリウス1世を正式に異端宣告した。
これに先立ち、ミラノ、イングランド、ローマなどで教会会議を開催し、西方教会の強化を図り、3人の代表を派遣した。コンスタンティノス4世の東西教会一致政策を支持し、東西教会の信仰一致を主張し、公会議に書簡を送り、キリスト両性説を積極的に展開した。また、イングランドにおけるローマ教会儀式の執行を強化した。681年1月10日、103歳の長寿を以て死去。歴代のローマ教皇の中で最も長寿の人物だった。
聖人に列せされており、祝日は1月10日。
 
●96代レオ3世(Papa Leo III、750年? - 816年6月12日)は、ローマ教皇(在位:795年−816年)。
ローマの貧民階級の出身者であったが、聖職者の道を歩んで頭角を現してゆき、遂に795年にローマ教皇に就任。しかし貧民階級出身者であるレオ3世に対して反発する者も少なくなく、799年には暗殺者に襲われて危うかったところをかろうじて脱出してアルプスを越え、フランク王国のカール1世(大帝)のもとへ逃げ込んだ。カール1世の保護を受けてローマ教皇としてローマに戻った後、カール1世に受けた恩や東ローマ帝国庇護下にある東方教会と対抗するという経緯から800年12月のクリスマスの日、サン・ピエトロ大聖堂でのミサの最中、カール1世に西ローマ皇帝の帝冠を授けた。ここに、西ローマ帝国復活、そしていわゆる欧州の大実力者とローマ教皇の提携という、欧州の新たな歴史が花開くこととなったのである。カール1世に帝冠を授け、西欧に新たな歴史の扉を開いた教皇として、評価されている。 東ローマのビザンツ皇帝の権力から脱却し、ローマ教会の権力確立に努め、カール大帝の戴冠と同時に西ローマ帝国の再興を宣言し、ゲルマン文化・ローマ文化・キリスト教文化の融合が図られ、その後の西ヨーロッパ文化の基礎になった。
 
●98代パスカリス1世(Paschal I、生年不詳 - 824年)は、第98代ローマ教皇(在位817年 − 824年)。
822年、教皇ハドリアヌス1世から再建の始まったサンタ・プラッセーデ教会を完成させた。 教会内に母テオドラの墓所としてサン・ゼノーネ礼拝堂を建設した。 教会のアプスのモザイクをビザンツ様式で製作しており、これは、この時代のローマのモザイクで最も重要なものの1つである。また、カタコンベの発掘に務め、膨大な数の殉教者の遺骨を移転したことで知られる。 サンタ・チェチリア・イン・トラステヴェレ教会に聖女チェチリアの遺体を運び教会を再建したことも、その一つである。
 
●113代ステファヌス7世(Stephanus VII、生年不詳 - 897年8月)は第113代ローマ教皇(在位:896年 - 897年)。
教皇フォルモススに恨みを抱いていたため、896年、フォルモススの遺体を掘り起こして遺体に教皇の衣服を着させ模擬裁判をかけた後、祝福を与える指を切り落とした上で遺体を川に流した。このことに反発した民衆は暴動を起こし、ステファヌス7世を捕らえ殺害した。この前にも、882年に教皇ヨハネス8世が初の教皇暗殺によって命を落とすなど、当時の混乱ぶりが伺える。
Saint Peter's Basilica , Vatican City
 
●139代シルウェステル2世(Silvester II, 950年? - 1003年5月12日)は、フランス人初のローマ教皇(在位:999年 - 1003年)。本名オーリヤックのジェルベール(仏:Gerbert
d'Aurillac)、ラテン語名ゲルベルトゥス(Gerbertus)。千年紀をまたいだ教皇であり、数学者・天文学者として10世紀の西欧世界において傑出した人物である。生涯にわたって、古代ローマ時代の著作の写本を積極的に各地から収集。理性により感情と外界の障害を克服しようとするボエティウスの思想を実践。アラビア数字を西欧世界で用いた初期の人物。教育方法は理論のみならず実践を重視し、算術ないし幾何学ではアバクスを、天文では天球儀を用いた。音楽では一弦琴を利用して音階と和音の数学的観察を行った。修辞学では議論を戦わせ、また図式を用いて解説していた。金銭で聖職者の位階を取引するシモニアの禁止や、聖職者の独身制、近親者の登用の禁止などを推し進めた。
 
●149代教皇クレメンス2世Clemens II(1005-1047)在位は1046年12月25日-1047年10月9日。名はモールスレーベンのスイドガー。ザクセンのホルンブルク出身。バンベルクバイエルン地方の都市)の司教から教皇に即位。ハインリヒ3世に神聖ローマ帝国の帝冠を授けた。墓はバンベルク聖堂の西側内陣にあり、アルプス山脈より北では唯一の教皇の墓。
 
●157代グレゴリウス7世(Gregorius VII,1020年? - 1085年5月25日)(在位:1073年 - 1085年)。本名はイルデブランド(Ildebrando)。聖職売買や聖職者の結婚を禁止するなど、グレゴリウス改革といわれる教会改革で成果をあげ、教皇権の向上に寄与。大司教などの高位聖職者を任命する権利=叙任権闘争で対立した神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世を破門し、1077年に謝罪させ(カノッサの屈辱)、聖職叙任権を教皇が保持するようになった。カトリック教会聖人であり、記念日は5月25日。教会刷新運動の中心だったベネディクト派のクリュニー修道院出身。
di Salerno
 
●159代ウルバヌス2世(Urbanus II, 1042年 - 1099年7月29日)は、11世紀のローマ教皇(在位:1088年 - 1099年)。本名ラゲリウスのオド(Odo Lageriae)またはウード・ド・シャティヨン(Eudes de Chatillon)。グレゴリウス7世によって引き立てられ、その遺志をついで教会改革を達成した。1095年、イスラム勢力の侵攻を受けていた東ローマ帝国の要請を受け、クレルモン宗教会議を招集し、第1回十字軍の派遣を呼びかけた。聖職売買の禁止、司祭の独身制の徹底、俗権からの叙任権の奪回(叙任権闘争)を教会改革の柱として強力に推進、実際に教会の綱紀粛正という目に見える成果を上げていた。
Saint Peter's Basilica , Vatican City
 
●176代インノケンティウス3世(Innocentius III、1161年 - 1216年7月16日)(在位:1198年 - 1216年)。ローマ教皇の権力を最高潮にした教皇「教皇権は太陽であり、皇帝権は月である」。本名はロタリオ・ディ・コンティ(Lotario dei Conti)。教皇権全盛期時代の教皇で、西欧諸国の政治に介入した事で有名である。第4回十字軍を提唱する。しかし軍費が足りなかったために遠征ができず、キリスト教徒の町であるツァラを襲い占領して略奪を行なった。これに激怒した教皇は十字軍を全て破門したが、1204年に東ローマ帝国(コンスタンティノープル)は十字軍によって滅ぼされ、ラテン帝国が建国され、一時的にビザンツ帝国は滅亡した(半世紀後に東ローマ帝国は復興)。また少年十字軍の悲劇が起こったのも、この教皇の時代である。フランス王フィリップ2世とイギリスの失地王ジョンを破門。
 
●192代ケレスティヌス5世(Caelestinus V, 1210年頃 - 1296年5月19日)は、中世のローマ教皇(在位:1294年7月5日 - 12月13日)。修道士として有徳の人であったが、教皇空位の混乱を収拾するために政治的に一時的に「つなぎ役」の教皇として選出。しかし教皇の座を厭い、在位約半年で自ら退位した[1][2]。イタリアのイゼルニア出身、本名はピエトロ・ダ・モローネ(Pietro da Morone, モローネのピエトロ)である。
ケレスティヌス自身、不本意な形での教皇での擁立であり尚且つ政争の具として利用された格好でもあり、本人にとっては一種の災難であった[2]。在位数か月にしてケレスティヌス5世は、自ら「教皇の器にあらず」と述べて退位を希望し、教会法に詳しい教皇官房のベネデット・カエターニ枢機卿に相談した。カエターニ枢機卿は教会法に基づいた辞任の方法を教皇に助言し、ケレスティヌスは自ら「教皇に選ばれた者は、選出を拒否する権利をもつ」という法令を出し、結局、半年たらずで教皇を退位した[1]。ここに存命のまま教皇が退任するという異例の事態が発生した。存命のままの教皇の退位としては、1415年、教会大分裂の際に3教皇鼎立の状態を解消するためアヴィニョンのベネディクトゥス13世とローマのグレゴリウス12世が退位した例がある。また、2013年2月のベネディクト16世の退位は、自由意志にもとづくものであり、ケレスティヌスから719年後のこととなる。
 
●196代ヨハネス22世(Ioannes XXII、1244年? - 1334年12月4日)は、アヴィニョン捕囚の時期のローマ教皇(在位1316年 - 1334年)。魔女を異端として扱うことを決めた。また、異なる思想の神学者を異端審問で次々と火あぶりに。
Saint Peter's Basilica , Vatican City
 
●193代。ボニファティウス8世(Bonifatius VIII 1235年ころ - 1303年10月11日)は、中世のローマ教皇(在位1294年 - 1303年)。中央集権化を進めるフランス王フィリップ4世と聖職者への課税問題で対立し、アナーニに幽閉され「憤死」。この後フランス王により教皇庁がフランスのアヴィニョンに移転させられ、以後7代にわたった教皇のバビロン捕囚が始まる。学術・文化の保護者としても知られる。一方、ダンテはフィレンツェ使節の1人として教皇に会ったが、帰途シエーナに滞在中、永久追放の判決を受け、亡命生活を余儀なくされた。ダンテの代表作『神曲』第1部(「地獄篇」)では、ボニファティウス8世は地獄に堕ちた教皇として、逆さまに生き埋めにされ、燃やされる姿が描かれている。
Saint Peter's Basilica , Vatican City
 
●214代アレクサンデル6世(Alexander VI, 1431年1月1日 - 1503年8月18日)は、15世紀のローマ教皇(在位:1492年 - 1503年)。
本名はロデリク・ランソル(Roderic Lanzol)であるが、母方の伯父であるカリストゥス3世の教皇就任に伴って、母方の苗字であるボルハ(ボルジャ、Borja)に変えたため、ロデリク・ボルハのイタリア語読みであるロドリーゴ・ボルジア(Rodrigo Borgia)[1]の名前で知られることになる。
ルネサンス期の世俗化した教皇の代表的存在であり、好色さ、強欲さやジロラモ・サヴォナローラとの対立によっても非難されることが多い。また、息子のチェーザレ・ボルジアを右腕とし、一族の繁栄とローマ教皇庁の軍事的自立に精力を注いだことで、イタリアを戦火に投じることになった。
アレクサンデル6世に関しては、史上最悪の教皇、カトリック教会の権威を失墜させた張本人という評価から、バランスのとれた政治家という評価まで様々な評価が行われている。生前から既に彼を悪魔に擬した絵が出回るなど、非常に長い間誹謗と中傷にさらされてきた。
Iglesia de Santiago y Montserrat, Rome, Provincia di Roma, Lazio, Italy
Plot: Chapel of San Diego de Alcala
 
●216代ユリウス2世(Julius II 1443年12月5日 - 1513年2月21日)は、16世紀初めのローマ教皇(在位:1503年 - 1513年)。本名はジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ。芸術を愛好し、多くの芸術家を支援したことでローマにルネサンス芸術の最盛期をもたらしたが、その治世において教皇領とイタリアから外国の影響を排除しようとした奮闘が、戦争好きの政治屋教皇というレッテルを彼にもたらすことになった。自らの栄誉や一族の繁栄よりも教会の権威と影響力を強力にすることに専心した。ブラマンテやラファエロ、ミケランジェロなどがユリウス2世の援助を受けて優れた創作活動をおこなった。特にミケランジェロにはシスティーナ礼拝堂の天井画製作を依頼(というか強要)している。また、ローマの補修・美化にもつとめ、サン・ピエトロ大聖堂の新築を決定し、1506年に定礎式を執り行ったのもユリウス2世であった。この様にユリウス2世は、ローマをルネサンスの中心地へと変貌させたのである。
Saint Peter's Basilica , Vatican City
 
●217代教皇レオ10世(Leo X 1475年12月11日 - 1521年12月1日)は、ルネサンス期のローマ教皇(在位:1513年 - 1521年)。本名はジョヴァンニ・デ・メディチ(Giovanni de Medici)。メディチ家出身で、派手好き、イベント好きの教皇のもと、ローマのルネサンス文化は最盛期を迎えた。ユリウス2世の死後、37歳で即位する(「最年少にして、最も醜男の教皇」と呼ばれた)。戦争好きであったユリウス2世とは対照的に、平和主義者として振る舞い、外交ではイタリアを巡るフランスと神聖ローマ帝国の対立の中にあって、父譲りの政治感覚を発揮した。前教皇に続きラファエロを贔屓にし、自らの肖像画やシスティーナ礼拝堂の壁掛け、バチカン宮殿回廊の天井画・壁画などを制作させた。ラファエロが若くして亡くなったときは非常に悲しんだ。サン・ピエトロ大聖堂の建築費を賄うために贖宥状を販売し、怒ったルターが九十五ヶ条で抗議、宗教改革のきっかけとなった。
 
●218代教皇ハドリアヌス6世(Hadrianus VI ,1459年3月2日 - 1523年9月14日)はオランダ出身、ヘールト・デ・フローテのつくった共同生活兄弟団のメンバーで神聖ローマ皇帝カール5世の個人教授という異色の経歴を持つローマ教皇(在位:1522年 - 1523年)。本名はアドリアン・フロリス(Adriaan Florenszoon)とされているが、フロレス・ボイエンス(Florenszoon Boeyens)などと書かれる事もあり、記録によって諸説ある。芸術への出費を削減するなどルネサンス期としては異色の教皇であった。教会改革を志していたが、治世が短すぎた為、果たされなかった。
1522年のニュルンベルクの帝国議会で教皇使節フランチェスコ・キエレガーティ枢機卿は、「教会の混乱の原因が教皇庁と高位聖職者の腐敗にある」事を率直に認め、「教会改革を推進する事を約束する」という教皇のメッセージを伝えた。このように教皇が自らの誤りを認めて公式に発言する例は史上稀有のものであり、現代のパウロ6世やヨハネ・パウロ2世に至るまで類例をみない。
 
●219代教皇クレメンス7世(Clemens VII 1478年[1]5月26日 - 1534年9月25日)は、ローマ教皇(在位:1523年 - 1534年)。メディチ家の出身で、本名はジュリオ・デ・メディチ(Giulio de' Medici)。2代前のレオ10世の従弟に当たる(パッツィ家の陰謀で殺害されたジュリアーノの遺児)。教皇・レオ10世の下で枢機卿として有能な手腕を発揮していたが、教皇に即位した後は不安定な国際情勢に翻弄され、ローマ略奪の惨事を招く。宗教改革という事態に対しても何ら有効な手が打てず、メディチ家の権益擁護に終始した。芸術・文化のパトロンという面では、枢機卿時代にラファエロを引き立て、1520年に政敵であるマキャヴェッリに『フィレンツェ史』の執筆依頼をしている。後には天文学者コペルニクスの研究も支援した。晩年にはフィレンツェからミケランジェロを呼び寄せ、システィーナ礼拝堂の壁画の作成を依頼する(ミケランジェロは気が進まず、実際に「最後の審判」を手掛けたのはクレメンス7世死後の1536年から1541年である)。
在世中はイタリアを巡ってフランスと神聖ローマ帝国との戦闘が続き(イタリア戦争)、マルティン・ルターによる宗教改革運動もあって、不安定な状況であった。1527年、フランス王・フランソワ1世と同盟を結んだ教皇への報復として、神聖ローマ帝国皇帝カール5世の軍がローマに侵攻する。クレメンス7世はサンタンジェロ城に逃れるが、市内では殺戮、破壊、略奪、強姦等の惨劇が繰り広げられた(サッコ・ディ・ローマ、ローマ略奪)。他の都市へ逃れる市民も多く、ルネサンスの中心であったローマは見る影もなく荒廃した。クレメンス7世が優柔不断だった面もあるが、むしろイタリア戦争、宗教改革、オスマン帝国のヨーロッパへの圧力と、カトリック教会史上最悪の状況であった事から、教皇個人の資質のみを責めるのは酷かもしれない。イタリアとヨーロッパが分裂し、混乱を重ねる時代だったのである。クレメンス7世はカール5世と和解し、カール5世に皇帝の戴冠を行う。これ以後もイタリアを巡ってフランスと神聖ローマ帝国の戦闘は続くものの、後者の優位がほぼ確定する。
なお、この間にメディチ家のアレッサンドロ(クレメンス7世の庶子)は教皇の後見のもとでフィレンツェを統治していた。1527年、ローマ略奪の報が伝わると一時追放されるが、1530年にカール5世の支援により復帰、1532年にはフィレンツェ公に叙任され、メディチ家は名実ともにフィレンツェの君主となった。晩年の1533年には、遠縁のカテリーナ・デ・メディチとフランス王子・アンリ(のちのアンリ2世)の結婚式に出席。離婚問題で紛糾していたイングランド王・ヘンリー8世とは対立を深めたが、その1年後の1534年9月25日に死去。時代の激しい荒波にもまれた「悲劇の教皇」であった。
 
●220代パウルス3世(Paulus III、1468年2月29日 - 1549年11月10日)(在位:1534年 - 1549年)。反宗教改革を主導した教皇。本名はアレッサンドロ・ファルネーゼ(Alessandro Farnese)。イエズス会を認可し、プロテスタント側との対話を求め、教会改革を目指してトリエント公会議を召集した事で知られる。ルネサンスの文人でもあった教皇はミケランジェロの才能を高く評価し、システィーナ礼拝堂の最後の審判(1541年)を描かせた。また、カンピドリオ広場の整備、サン・ピエトロ大聖堂の建設にも従わせた。英国ヘンリ8世の離婚に反対し破門。その結果、イギリスにはカトリック教会とは異なるイギリス国教会が誕生。
※逝去の年にあたる1549年8月、イエズス会のフランシスコ・ザビエルが宣教師として初めて日本に到来、以降1551年まで薩摩(鹿児島)、平戸(長崎)、山口、堺(大阪)、京都、豊後(大分)と各地を訪れ、積極的にキリスト教の布教を行っている。
Saint Peter's Basilica , Vatican City
 
●226代グレゴリウス13世(Gregorius XIII,1502年1月7日 - 1585年4月10日)は、第226代ローマ教皇(在位:1572年 - 1585年)。本名はウーゴ・ブオンコンパーニ(Ugo Buoncompagni)。学問を好み、奨励したことで知られ、その治世にずれが累積していたユリウス暦を廃し、グレゴリオ暦とよばれる新暦を採用したことでも有名。天正遣欧使節の少年たちは、この教皇の治世最晩年にあたる1585年3月に教皇の謁見し、ローマ市内でも大歓迎を受けた。
 
●227代シクストゥス5世(Sixtus V、1520年12月13日 - 1590年8月27日)は、16世紀後半のローマ教皇(在位:1585年 - 1590年)。本名はフェリーチェ・ペレッティ(Felice Peretti)。教皇領の治安回復、ローマ教皇庁の財政立て直しに辣腕をふるい、公共事業に惜しみなく投資して都市ローマを現代に近い形に整備した。批判も多いが、残した業績の大きさでは歴代教皇随一である。みずからの目標に対して全力で取り組んでおり、手をつけた事業のほとんどを完成している。歴史の中で彼ほどの有形無形の業績を残している教皇はいない。サン・ピエトロ大聖堂にはドーム屋根が乗せられ、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂にはシクストゥスのロッジアが、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂にはプレセペのチャペルが建てられ、クイリナーレ、ラテランおよびバチカンの教皇宮殿が改修され、サン・ピエトロ大聖堂広場などに四本のオベリスクが建てられ、六本の新街路が建設され、6世紀頃に破壊されていたローマ水道を復旧し(フェリクス水道の建設)、数知れぬ道路と橋が補修され、農業と工業が推奨された。
Santa Maria Maggiore, Rome, Provincia di Roma, Lazio, Italy
Plot: Blessed Sacrament/Sistine Chapel
 
●228代ウルバヌス7世(Papa Urbanus VII, 1521年8月4日 - 1590年9月27日)はローマ教皇(在位:1590年9月15日 - 9月27日)。僅か13日の在位期間は歴代教皇の中で最短。本名はジョヴァンニ・バッティスタ・カスターニャ(Giovanni Battista Castagna)。
ジェノヴァ出身の一族の出だが、本人はローマ生まれ。ボローニャの使節や ロッサーノの司教を経て、スペインでの教皇使節を長く務めた。シクストゥス5世の後継者としてスペイン系枢機卿達の後押しで1590年9月15日に教皇に選出された。が、2週間もたたずにマラリアのため病没。教皇着座式も行われておらず、在位の最短記録となった。
※祝福を授けるポーズの教皇ウルバヌス7世(ジャン・ロレンツォ・ベルニーニとその生徒による1635年-1640年の作品、サン・ピエトロ大聖堂内の墓の彫像)
 
●235代教皇ウルバヌス8世 Pope. Urban VIII(1568-1644)
ガリレオ裁判の悪役だが、一方で学問と芸術の守護者。ベルニーニはウルバヌス8世の援助を受け、「聖テレジアの法悦」やサン・ピエトロ大聖堂の内装で能力を発揮できた。ペトロの墓の天蓋は教皇領の年間歳入の10倍の費用。「聖ペトロの司教座」は絵画・彫刻・建築の特質を融合した総合舞台芸術。サンマリノの独立を承認(1631)。
Saint Peter's Basilica , Vatican City
 
●242代インノケンティウス12世(Innocentius XII,1615年3月13日 - 1700年9月27日)はローマ教皇(在位:1691年 - 1700年)。本名はアントニウス・ピニャテッリ(Antonio Pignatelli)。清廉潔白な人柄で贅沢を嫌い、中世以来のカトリック教会の悪習であったネポティズム(親族登用主義)と聖職売買(シモニア)の根絶を目指した。彼は教皇が莫大な富を持つことと親族を大量に登用することが当たり前だった前任者達と自分を比べて「私の親戚は貧しさだよ」といっていた。彼の教皇在位中は、神聖ローマ帝国との関係でてんてこまいだった前任者達と違いフランスとの折衝に力をいれた点できわだっている。この徳に秀で自制心の強かった教皇は1700年9月27日にこの世を去った。
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●255代ピウス9世(Pius IX、1792年5月13日 - 1878年2月7日)は、カトリック教会の司祭、第255代ローマ教皇(在位:1846年6月16日 - 1878年2月7日)。本名はジョヴァンニ・マリア・マスタイ=フェレッティ(Giovanni Maria Mastai-Ferretti)。31年7ヶ月という最長の教皇在位記録を持ち、イタリア統一運動の中で、古代以来の教皇領を失い、第1バチカン公会議を召集し、『誤謬表』を発表して近代社会との決別を宣言。また、聖母マリアの無原罪の御宿りの教義を正式に制定した。カトリック教会の福者。ピオ9世と表記されることもある。
 
 
●256代レオ13世/近代化(Leo PP. XIII,1810年3月2日 - 1903年7月20日)はローマ教皇(在位:1878年2月20日-1903年7月20日)、カトリック教会の司祭。本名、ジョアッキノ・ヴィンチェンツォ・ペッチ(Gioacchino Vincenzo Pecci)。『誤謬表』(シラブス)の発表以来、完全に断絶していたカトリック教会と近代社会の相互理解を目指した。社会問題を扱った初の回勅『レールム・ノヴァールム』を発表したことで有名。19世紀のカトリック教会は近代思想と科学思想のすべてを否定することで自らのアイデンティティーを保持しようとしてきた。その頂点が1864年の『誤謬表』(シラブス)であり、近代社会とカトリック教会は相容れないという印象を世界に与えていた。レオ13世はこの状況を憂慮し、トマス・アクィナスの「理性と信仰の調和」という思想に解決を見出した。彼はトマスを示すことで、信仰と科学思想が共存しうることを訴えたのである。レオ13世はバチカン図書館の資料を一般に公開し、神学校の設立にも力を注いだ。また、フランス革命以来、共和制フランスをはじめて認めた教皇となった。業績でもっとも有名なものは初の社会回勅にしてカトリック社会教説(英語版)の先駆ともなった『レールム・ノヴァールム』を発表したことであった。労働問題を扱ったこの回勅に於いてレオ13世は労働者の権利を擁護し、搾取とゆきすぎた資本主義に警告を行いながらも、一方で台頭しつつあったマルクス主義や共産主義を批判している。レオ13世は25年という長きにわたって教皇の座にあり、1903年に93歳でこの世を去った。
 
30人●259代ピウス11世(Pius PP. XI、1857年5月31日-1939年2月10日)はローマ教皇(在位:1922年2月6日-1939年2月10日)、カトリック教会の司祭。本名 アキッレ・ラッティ(Achille Ratti)。二つの世界大戦のはざまの時期にあって、世界平和の実現に奔走し、19世紀以来とだえていた諸国と教会の関係正常化をはかった。ピオ11世とも表記される。ピウス11世はムッソリーニと交渉し、1929年2月11日ラテラノ条約が結ばれた。これはバチカンがイタリア政府を認め、同時にイタリア政府もバチカンを独立国として認めるというものであった。これによって「ローマの囚人」状態が解消され、世界最小の国家バチカン市国が成立した。それは同時に、かつてよりバチカンが求めていた広大な教皇領の返還をあきらめるというこ
ムッソリーニ政権下のイタリアとバチカンの関係は必ずしも良好ではなく、1931年には回勅『ノン・アビアモ・ビゾーニョ』(『我々は必要としない』)で公式にファシスト党を非難している[3]。1937年の回勅『ミット・ブレネンダー・ゾルゲ(英語版)』(『とてつもない懸念とともに』)で、ナチスが人種・民族・国家を神格化していると非難し、その非人道的行動を非難
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●261代ヨハネ23世(ラテン語: Ioannes PP. XXIII、英語: John XXIII、1881年11月25日-1963年6月3日)はローマ教皇(在位:1958年10月28日-1963年6月3日)、カトリック教会の司祭。本名は、アンジェロ・ジュゼッペ・ロンカッリ(Angelo Giuseppe Roncalli)。第2バチカン公会議の実施を指示して世界を驚かせ、実際に開会までこぎつけたが、会期途中で世を去った。エキュメニズム(教会一致)の精神に従って、他教会や他宗教との対話に積極的であった。カトリック教会の聖人である。ヨハネス23世とも表記される。15世紀に対立教皇ヨハネス23世が存在することにも注意すること。飾らない態度と親しみやすさ、ユーモアのセンスによって世界を魅了した。
2013年7月5日、バチカンはヨハネ・パウロ2世と共にヨハネ23世を列聖することを発表[1]、翌2014年4月27日に教皇フランシスコによって列聖式が執り行われた[2]。
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●263代ヨハネ・パウロ1世(羅: Ioannes Paulus PP. I、伊: Giovanni Paolo I、1912年10月17日 - 1978年9月28日)はローマ教皇(在位: 1978年8月26日 - 1978年9月28日)、カトリック教会の司祭。教皇名として初めて「ヨハネ・パウロ」という複合名を採用。宗教事業協会の改革を表明した一方、在位わずか33日の急逝には暗殺説が根強い。
複合名を初めて採用したことを皮切りに、虚飾的な事柄に対して非常に改革的に臨み、例えば、教皇演説の中で、これまでの教皇が伝統的に自らを「朕」と呼んでいたのを初めて「私」に変えた他、豪華な教皇戴冠式や教皇冠も拒否した。教皇用の輿の使用も拒否したが、これは周囲の圧力で使わざるを得なかった。さらに、難解な宗教用語やラテン語を多用していた表現を、ジュール・ヴェルヌやピノキオなどを引用した、一般人にも理解しやすい平坦な表現へと改めたが、「威厳を損なう」などとして保守派からは反感を買うこととなった。また、中南米やアフリカ諸国の聖職者をバチカンの要職につけた他、中南米やアフリカ諸国の貧困や独裁体制下で苦悩する民衆への同情を示し、アルゼンチンで行われていた「汚い戦争」を進めていたホルヘ・ラファエル・ビデラ大統領(上記の「ロッジP2」は同大統領を支援していた」)が戴冠式に訪れた際には、直接的な表現でアルゼンチンの現状を非難した。
就任後間もなくバチカン銀行の不透明な財政についての改革を表明し、実際に、かつてカトーリカ・デル・ベーネト銀行の売却で暗闘し、その後も「ロッジP2」のリーチオ・ジェッリ代表を含むメンバーや、マフィアなどと深い関係を持ち汚職を続けていただけでなく、贋造公債の発注がFBIの捜査対象になるなど、その言動が国際的にも問題視されていたマルチンクス総裁の更迭を決めていた。また、マルチンクス総裁以外にも、ジャン=マリー・ヴィヨ国務長官をはじめとするバチカン銀行の汚職に関係するバチカン内部の関係者の更迭を死去直前に決定し、その更迭者リストの内容をめぐって様々な噂が流れていた。
上記のような改革を表明したことが、多くのバチカン内の改革派と信者からの支持と喝采(そして対象者とその利害関係者からの抵抗と非難)を受けたにも関わらず、ヨハネ・パウロ1世は、教皇在位わずか33日目の1978年9月28日の午前4時45分にバチカン内の自室で遺体となって発見された。わずか33日の教皇在位は、20世紀に入ってから最短の在位記録となった。ヨハネ・パウロ1世の遺体が発見されてから15分と経たず、医師団への連絡も行われていない午前5時前には、早くもバチカン御用達の葬儀社であるシニョラッティ社に連絡が行った上に、遺体解剖も行われず、明確な死因もわからないうちから防腐処理が行われたことなど、バチカンによる「証拠隠滅」や「情報操作」と思われる行為が矢継ぎ早に行われたことが、信者やイタリア政界関係者、マスコミだけでなく、バチカン内部関係者からも大きな疑惑を呼んだ。
 
●264代ヨハネ・パウロ2世(羅:Ioannes Paulus PP. II、英:John Paul II、伊:Giovanni Paolo II、波:Jan Pawe? II、1920年5月18日 - 2005年4月2日)は、ポーランド出身の第264代ローマ教皇(在位:1978年10月16日 - 2005年4月2日)。ラテン語表記に基づきヨハネス・パウルス2世とも表記される。本名はカロル・ユゼフ・ヴォイティワ(Karol Jozef Wojty?a)。ハドリアヌス6世(オランダ出身、在位:1522年 - 1523年)以来455年ぶりの非イタリア人教皇にして史上最初のスラヴ系教皇。同時に20世紀中最年少で着座した教皇でもある。神学と哲学の2つの博士号を持っていた。世界平和と戦争反対への呼びかけと、呼びかけだけにとどまらない数々の平和行動を実践し、母国ポーランドを初めとする民主化活動の精神的支柱としての役割も果たした。生命倫理などの分野でのキリスト教的道徳観の再提示を行い、また、宗教間の問題に温和な態度で臨み、他宗教や文化との対話を呼びかけたことは宗教の枠を超えて現代世界全体に大きな影響を与え、多くの信者・宗教関係者から尊敬されている。
1981年5月13日、ヨハネ・パウロ2世はサンピエトロ広場にて、トルコ人マフィアのメフメト・アリ・アジャに銃撃された。銃弾は2発命中し、ヨハネ・パウロ2世は重傷を負ったが、奇跡的に内臓の損傷を免れ、一命を取り留めた。2005年4月8日に行われた葬儀は、参加人数において史上最大規模のものとなった。
ヨハネ・パウロ2世の他宗教との対話推進という姿勢を評価して、キリスト教他派(英国聖公会、東方正教会など)やユダヤ教などの聖職者も多数参列した。カンタベリー大主教ローワン・ウィリアムズも参列したが、これはヘンリー8世によるイングランド国教会創設以来、はじめてのことであった。一般信者も約30万人参列した他、サン・ピエトロ広場に入れなかった信者や一般市民は約200万人にも及び、ローマ市当局は彼らのために大型のディスプレイを路上に設置して葬儀の様子を実況中継する措置を取った。また、参列者によって満室になる宿が続出し、ローマ市当局は野宿する参列者のためにテントを無料で貸し出すなどの緊急措置を取った。葬儀後、ヨハネ・パウロ2世の遺体を納めた石棺はサン・ピエトロ大聖堂の地下にある墓地のヨハネ23世の石棺(ただし2000年の列福の際に取り出されて現在は大聖堂入口を入り右側に埋葬されている)の下の土中に埋葬された。一部の報道によればヨハネ・パウロ2世自身は生前に書いた遺書で、故郷での葬儀と埋葬を希望していたともいわれており、バチカンに埋葬した教皇庁の判断に異議を申し立てる声もあった。
『人間ひとりひとりと諸国の民の母マリアよ、私達をおびやかす悪の力に打ち勝てるようお助け下さい。
現代人の心にこれほど容易に根ざしてしまう悪、そのもたらす計り知れないもろもろの結果によって、すでに現代の人々のいのちを危険にさらし、未来への道を閉ざそうとしている悪から私達をお救い下さい。
飢餓と戦争、核戦争、計り知れない自己破壊、あらゆる戦争より、主よ、私達をお救い下さい。
あがないと救いの無限の力、神の慈愛の力が世界の歴史において、再び発揮されますように。
神の慈愛が悪をおしとどめ、人間の良心を正し、あなたの汚れなきみ心によって、希望の光が全ての人々に示されますように。』
●266代フランシスコ(羅: Franciscus、伊: Francesco、西: Francisco、英: Francis、1936年12月17日 - )は、第266代ローマ教皇(在位:2013年3月13日 - )。就任[注 1]は3月19日であり、この日にサン・ピエトロ広場において就任ミサを執り行った[1][2]。
2014年6月聖体の祝日に先立ちフランシスコはイタリアのカラブリア州を訪れ、ミサを執り行い会衆を前に「マフィアは聖体拝領にあずかることはできない。彼らを破門する」と宣言した。ミサで教皇は「主への崇敬がカネへの崇敬に変わるとき、それは罪と個人的な利益と権力への道へと人を導く」マフィアの行動を非難した。そして「希望を奪われないようにしましょう」と会衆に呼びかけた。同州は犯罪組織ンドランゲタ(Ndrangheta)の拠点であり、同年1月には3歳の子どもが、3月にはプッリャ州で3歳の子どもがマフィアに殺される事件が起きて教皇は犠牲者の遺族に面会し慰めの言葉をかける一方で、マフィアのような反社会的勢力の組織犯罪から社会が決別するように呼びかけていた。

聖ペテロ(初代)、レオ1世(大法王)、グレゴリウス7世(カノッサの屈辱)、グレゴリウス13世(太陽暦)、ユリウス2世(ミケランジェロ援助)、レオ10世(ラファエロ援助)、レオ13世(近代化)、ヨハネ・パウロ2世(平和外交)。
 
 


〔歴代ローマ皇帝詳細〕

●初代ローマ皇帝アウグストゥス(ガイウス・オクタウィアヌス) Augustus 前63〜後14 帝政ローマ初代皇帝。在位、前27〜後14年。ほぼ1世紀にわたった内乱後のローマに、統一と秩序ある政治を復活させた。平和と繁栄と文化隆盛の時代、いわゆる「アウグストゥスの平和」をもたらした。カエサルの姉の孫にあたりカエサルの養子。カエサルの部下アントニウスとアントニウスを支持する将軍レピドゥスの3人で三頭政治を成立させ、政敵の元老院議員300人(キケロなど)と、騎士身分の200人の大量粛清を行った。やがてイタリア支配をめぐって衝突し、レピドゥスは失脚。アントニウスはエジプトの女王クレオパトラと結婚し、彼女がカエサルとの間にもうけた息子カエサリオンを、彼女の共同統治者として承認。オクタウィアヌスはアクティウムの海戦でアントニウスとクレオパトラの連合軍をやぶり、翌年ふたりを自殺に追い込み、カエサリオンは殺害された。前29年、オクタウィアヌスは34歳でローマ世界の単独支配者になり、前27年、ローマの元老院は、オクタウィアヌスに「崇高なる者」という意味の称号「アウグストゥス」をあたえた。元老院が属州総督命令権を授与したので、帝国全土にわたる支配権を獲得し、大神祇(じんぎ)官長にも就任し、ローマの宗教をつかさどる権利も獲得。さらにインペラトル(尊厳者・最高司令官※インペラトルから「エンペラー」という語が派生)であったにもかかわらず、アウグストゥスは独裁君主と思われないようにつねに注意し、自分がローマ共和国を復興させていることを強調した。芸術の擁護者でもあった彼は、歴史家リウィウスをはじめ、詩人のオウィディウス、ホラティウス、ウェルギリウスらと親しくまじわった。壮麗な建築をこのみ、「レンガのローマをうけついで、大理石のローマにした」と自負したといわれている。アウグストゥスのもとで体制整備のため、さまざまの施策が講じられた。属州の人口調査をおこなって徴税の基礎をかためるとともに、各属州のローマ化をすすめて、都市の自治を拡大。共和政以来の悪習を排するため奢侈(しゃし)取締法、姦通(かんつう)処罰法など種々の法が定められ、社会秩序の安定と道徳の確立がはかられた。また、彼はイタリア農業の復活をこころみてもいる。意図した後継者は次々に先だち、アウグストゥスが後14年8月19日南イタリアのノラで他界。血縁者の中から取った養子に次々に先立たれ、結果的に妻の連れ子ティベリウスが消去法で残って後をついだ。タキトゥスのような頑固な共和制支持者でさえ、彼の統治者としての業績をみとめている。
 
●2代ティベリウス(古典ラテン語:Tiberius Julius Caesar、紀元前42年11月16日 - 紀元後37年3月16日)は、ローマ帝国の第2代皇帝(在位:紀元14年 - 37年)。初代皇帝アウグストゥスの養子(妻の連れ子)。イエス・キリストが世に出、刑死したときのローマ皇帝である。イエスの言葉である「神のものは神に、カエサルのものはカエサルに」の「カエサル」とは、ティベリウスのことである。放って置けば際限なく拡大する国家財政を、増税することなく健全に保とうとしたために、皇帝主催の戦車競技会を中止する等の財政引き締め政策を断行した。そのためローマ市民、元老院の人気は低かった。人材登用に卓越した手腕を発揮し、身分出身地の分け隔てなく能力に応じて適材適所に登用。ティベリウスは嫁や側近に裏切られたこともあり疑心暗鬼を強め、治世終盤は恐怖政治に。だが歴史家モムゼンは「ローマがもった最良の皇帝の一人」と賞賛。
 
●3代カリグラ(古典ラテン語: Gaius Julius Caesar Augustus Germanicus)12年8月31日 - 41年1月24日)は第3代ローマ帝国皇帝(在位:37年 - 41年)。アウグストゥスの姉を祖母とするゲルマニクスと、アウグストゥスの実孫である大アグリッピナの間に生まれた男子であり、父母双方を通じてアウグストゥスと血縁がある。カリグラ(カリギュラ)の名で知られているが、個人名からガイウス帝とも呼ばれる。「カリグラ」は幼少の頃に履いていた小さな軍靴に由来する愛称である。壮大な建設事業と領土の拡大に力を注いだ。また最高権力者としての威信を高めることに努め、彼を打ち倒そうと繰り返される陰謀から自身の地位を懸命に守りつづけたが、誇大妄想と暴君に走り、元老院も関与した陰謀により、41年にプラエトリアニ(皇帝親衛隊)の一部将校らによって妻、娘とともに暗殺された。享年28。その治世を通じてローマ市民からは人気が高かったが、現存する後代の史料ではいずれも、カリグラは狂気じみた独裁者であり、残忍で浪費癖や性的倒錯の持ち主であったとしている。次代の皇帝クラウディウスの甥、その次の皇帝ネロの伯父にもあたる。カリグラの父ゲルマニクスは、ユリウス・クラウディウス朝の家系に属する著名な人物で、ローマ帝国で最も重用された将軍の一人として尊敬をかちえていた。
 
●4代クラウディウス(Tiberius Claudius Nero Caesar Drusus, 紀元前10年8月1日 - 54年10月13日)。アントニウスの孫であり、アウグストゥスの妻リウィアの孫にあたる。第2代皇帝ティベリウスの弟大ドルススの息子でゲルマニクスの弟。第3代皇帝カリグラや最後の妻となる小アグリッピナの叔父に当たる。生来病弱で、吃音や片足を引きずる。歴史家としての側面を持つ。カリグラが暗殺されると、プラエトリアニ(皇帝親衛隊=1000人)に担がれる形で皇帝に就任。以降、軍事力がローマ皇帝を決定する最初の例となった。即位すると同時に、先帝カリグラが崩壊させたローマの財政を建て直した。軍事的にはブリタンニア(英国)南部の征服に成功。毒キノコによって暗殺?実子ブリタンニクスも養子としたネロに殺された。
 
●5代ネロ(羅: Nero Claudius Caesar Augustus Germanicus、37年12月15日 - 68年6月9日)。在位54〜68年。コンスル(執政官)グナエウスと、アウグストゥスの曽孫アグリッピナ(小)の子。49年、アグリッピナは自分の叔父にあたる皇帝クラウディウス1世と結婚し、翌年、息子ネロを養子にさせた(前名はルキウス)。クラウディウス帝はネロを娘のオクタウィアと結婚させ、実子のブリタニクスより年長のネロを優先して後継者にさだめた。帝が没すると、アグリッピナの手先の親衛隊が17歳のネロを皇帝と宣言した。治世の最初の5年間は哲学者セネカの指導に従い穏健な政治。ブリタニクスを毒殺。愛人のポッパエアと母アグリッピナが衝突し、母親を殺害。オクタウィアを離縁しポッパエアと再婚した。その後、オクタウィア、セネカを殺害し、64年7月、ローマ市の大半が焼失する火事が起きると、当時まだ少数派だったキリスト教徒に罪をかぶせ、彼らを迫害。一方、家をうしなった人々に避難所をあたえ、火災の予防も考慮にいれて市街を再建した。芸術家を自任し宗教劇の俳優のようにふるまい、軍隊や貴族から愛想をつかされた。戦争は敗戦が続き、アルメニアはパルティアの支配下におかれ、ブリタニアとユダヤでも、反乱がおきた。ポッパエアを蹴り殺し、スタティリアと結婚、彼女の元夫は処刑された。68年、ガリアとヒスパニア(スペイン)の部隊が、親衛隊とともに蜂起し、ネロはローマ市をのがれたが、元老院によって「国家の敵」と宣告され、同年6月、ローマ近郊で「何と惜しい芸術家が、私の死によって失われることか」と言い自殺した(喉を剣で貫くも自分では死にきれず奴隷に切らせた)。ネロが多くの帝位後継者を殺したため、ネロの死とともに、カエサル直系のローマ皇帝は断絶した。ユリウス・クラウディウス朝は5代94年の歴史に幕を下ろし、断絶。以後、軍が武力を背景に皇帝を擁立するようになり、ローマ内戦に突入することとなる。
※当時のローマ市内は木造建築がメインだったが、大火以降にネロが建築したドムス・アウレア(黄金宮殿)は、ローマン・コンクリートの普及に一役買っている。また、ネロがローマの大火以降行った貨幣改鋳は、その後150年間も受け継がれた。ただし、この大火もネロ自身が裏で暗躍し、自分好みの街を作りたかったという望みから起こされたとも言われている。一方で数千人に及ぶ観衆を集めコンサート(ワンマンショー)を開くのが趣味だった。詩の独唱会は出入り口に人員を配置して客が逃げられないようにしたが、あまりの退屈さに逃げる者が続出。部下や親族の美男・美女を皇帝の権限で搾取をするなど、国家元首の振る舞いとしては明らかに問題だった。スポルスという美少年を去勢させ妻に迎え歴代の皇后の装身具で着飾らせた。謀反を企てた者も、ネロの政治姿勢、政策より、このような振る舞いこそが皇帝にふさわしくないとしていた。
※人類史上初めてキリスト教徒を迫害し、初代ローマ教皇・ペテロはネロの迫害下で逆さ十字架(ペテロがイエスと同じでは恐れ多いと逆十字を望んだ)にかけられ殉教したとされる。ヘブライ文字を数値化した「666」はネロを指す。
サンタ・マリア・デル・ポポロ教会(Basilica di Santa Maria del Popolo)に皇帝ネロを埋葬するドミティアヌス家の墓(Mausoleo dei Domizi Enobarbi)
 
?●6代ガルバ(Servius Sulpicius Galba, 紀元前3年12月24日 - 69年1月15日)はローマ帝国の皇帝である。在位は68年から死亡した69年まで。「四皇帝の年」の最初の皇帝である。タキトゥスはその『年代記』にて、「もしガルバが皇帝にならなければ、万人はガルバが皇帝に値すると述べたであろう」と評している。
Via Aurelia, Rome, Provincia di Roma, Lazio, Italy
Plot: Private tomb.
 
●12代ネルウァ(ラテン語: Marcus Cocceius Nerva Caesar Augustus[1] 35年11月8日 - 98年1月27日。五賢帝の1番目。後継ぎがおらず腹心トラヤヌスを王朝の後継者とした。以降、トラヤヌスの親族により帝位は継承されていった為、新王朝成立の重要な契機を与えた存在でありながら歴代君主と血縁関係にないという特異な立場を持つ事になった。即位から15ヶ月後にネルウァ帝は病没し、トラヤヌスが義理の息子として帝位を継承した。歴代君主から崇敬される王朝の祖であった。
 
●13代トラヤヌス Marcus Ulpius Trajanus 53頃〜117 ローマ皇帝。在位98〜117年。五賢帝の2番目で、その治世中にローマ帝国の領土は最大となった。
文武の両面で辣腕を揮い、帝国内の公共施設の強化と領土の拡大に成功した。特に対外面ではダキア(ルーマニア)・パルティア(イラク・イラン)で功績をあげ、ローマ帝国史上最大の版図を現出した。イタリカ(現スペイン)で生まれる。並はずれて有能な将軍として名をあげ、91年にコンスル(執政官)にえらばれた。97年には、共同統治者および後継者として、ネルウァ帝の養子にむかえられた。即位時に兵士たちに贈り物をあたえ、ローマをはじめイタリア諸都市でまずしい自由民の子たちの養育費を支給するなど、ネルウァ帝の慈善事業をひきついだ。トラヤヌスは治世の大半を戦場ですごしたにもかかわらず、内政にも細心の注意をはらい行政改革をおこなった。新しい道や運河、橋がつくられ、アッピア街道も修復された。一方、3ヶ月間にわたって大規模な剣闘技大会をコロッセウムで開催して民衆の歓心を買おうとした。500万人の観客を動員したこの競技によって、1万1000名の奴隷が殺害されたと伝えられる。96年のネルウァからはじまり、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウス、マルクス・アウレリウスとつづく時代(96〜180)は、ローマ帝国の黄金期となり、五賢帝時代とよばれる。トラヤヌスは同時代から現在に至るまで優れた君主として尊敬を受けるローマ皇帝であり、後世の君主たちからも讃えられた。
Trajan's Forum, Rome, Provincia di Roma, Lazio, Italy
Plot: Ashes interred in a chamber in the base of the column.
アウグストゥス霊廟がネルウァの埋葬で満席になってしまったため、トラヤヌスの遺体はトラヤヌスの記念柱の基部に埋葬された。
 
【Publius Aelius Hadrianus】
 
●14代ハドリアヌス Publius Aelius Hadrianus (76-138)ローマ皇帝。五賢帝の3番目。トラヤヌスの養子。領土拡大路線を変更し、辺境の属州を放棄、英国に「ハドリアヌスの防壁」を築く。教養人で詩人や思想家、学者が集まった。パンテオンや自分の霊廟=サンタンジェロ城など壮大な建造物を建てた。ちなみに初めて髭を生やしたローマ皇帝。
ハドリアヌス霊廟…サンタンジェロ城自体が墓。カラカラまでの歴代皇帝(14〜21代)が永眠。
●15代アントニヌス・ピウス Antoninus Titus:慈悲深きアントニヌス(86-161)20年以上の治世で軍事遠征はゼロ。最も平穏を維持した証。解放奴隷への道を大きく開き、市民への拷問を制限した。
●16代マルクス・アウレリウス Marcus Aurelius Antoninus(121-180)五賢帝の最後の皇帝。ピウスの養子。学校、孤児院、病院を建設するなど公共福祉に尽力。帝室財産を売却し、飢えや疫病対策に当てた。貧者のために減税し、刑罰を軽くし、奴隷の待遇を改善。同時に辺境防衛にも力を注ぐ。「自省録」に道徳的生活が平静を導くと記した。唯一のミスは、12代ネルウァから有能な人物を養子にして後継者に指定してきたのに、無能な実子コンモドゥスを後継者に指定したこと。これで五賢帝時代は終わった。 
●20代セプティミウス・セウェルス Lucius Septimius Severus(146-211)初のアフリカ人皇帝。セウェルス朝の創始者。ローマ中心の姿勢を改める体制刷新を進め、ローマ出身者の親衛隊を解散して属州出身者を登用した。
●21代カラカラ Caracalla(188-217)ケルト人の長いコート(カラカラ)をローマに持ち込み流行させた。ローマ史上に残る暴君の一人。歴史家ギボンはカラカラを「人類共通の敵」とまで痛罵。東方属州はカラカラの略奪・虐殺の対象となり、エジプトでは無抵抗の民衆2万名以上が殺戮された。メソポタミア遠征中、立ちション中に暗殺され絶命。
 
●14代ハドリアヌス Publius Aelius Hadrianus (76-138) ローマ皇帝。在位117〜138年。五賢帝の3番目。伯父のトラヤヌス帝とともにドナウ国境周辺の戦闘に参加して殊勲をあげ、数回コンスルに指名された。117年、トラヤヌスが死去すると、その養子になり後継者に指名されたハドリアヌスを軍が皇帝におし、のちには元老院も承認した。当時、ローマ帝国はたび重なる支配下民族の反乱と辺境民族の侵入におびやかされていた。整理統合によって国をかためる必要があると判断したハドリアヌスは、辺境の属州を放棄することにきめ、イギリスにのこる有名な「ハドリアヌスの防壁(長城)」など一連の防御要塞を築く。これによって、ローマ帝国の領土拡大はおわったとされる。ローマの属州をほとんどたずねてまわり、地方の政治・軍事・経済をととのえるとともに、ローマへの忠誠をかためさせた。すぐれた教養人だったハドリアヌスの周りには、詩人や思想家、学者があつまった。建築にも深い興味をしめし、ローマ市内に、アテネウム、ウェヌスとローマの神殿、パンテオン、自分の大規模な霊廟であるサンタンジェロ城など、壮大な建造物をたてたほか、アテネにも多くの建物を建設した。ローマ皇帝のなかで初めて髭を生やした皇帝。
※「ハドリアヌスの長城」…全長117km、高さ約6m、幅約2.4m。途中に17の城塞と約1.5kmごとに20名の守備兵がまもる小要塞がもうけられていた。カーライル市北東のグリーンヘッドからソウイングシールズの間に良い遺構。
ハドリアヌス霊廟…サンタンジェロ城自体がハドリアヌス帝の墓。完成は次の皇帝アントニヌス・ピウス治下。以後、カラカラまでの歴代皇帝がここに永眠。
 
●15代アントニヌス・ピウス(ラテン語: Titus Fulvius Aelius Hadrianus Antoninus Augustus Pius[1][2]、86年9月19日 - 161年3月7日)。妻の甥であるマルクス・アウレリウスと娘の小ファウスティナを結婚させた上でアウレリウスを後継者とし、娘と甥の間に生まれた孫コンモドゥスにまで3代に亘る家族間での帝位継承の基盤を作った。「アントニヌス・ピウス」(Antoninus Pius、慈悲深きアントニヌス)の名で知られるが、これは先帝ハドリアヌスが元老院から憎まれていたにもかかわらず、神として祭るように奔走したことが美談として受け取られたことに由来。『ローマ皇帝群像』はハドリアヌス帝によって処刑されることになっていた人々を救ったためであると主張している。
アントニヌス帝の20年以上に亘る治世で大規模な軍事遠征が行われた記録は一切残っておらず、軍に対する命令や記録も僅かである。現代における古代ローマ史の研究誌『The Journal of Roman Studies』は「23年の治世においてアントニヌス帝は軍団に対して命令や指揮はおろか、根拠地の500マイル以内に近付いた経験すらなかった」と評している[20]。同時にそれは彼の治世が前期帝政(プリンキパトゥス)の中で最も平穏を維持した証でもある。法改革によって奴隷の市民権獲得に関する必要条件が緩和され、狭き門であった解放奴隷への道が大きく開かれた。また衛兵によって拘束された人間をまず罪人である事を前提に扱う慣習を廃止し、容疑者と罪人の立場を明確に分離した。取調べにおける拷問の使用についても新たな制度を設け、14歳以下の市民権保持者に対する拷問は特例を除いて違法とした。遺灰はハドリアヌス廟に葬られた。
 
●16代マルクス・アウレリウス Marcus Aurelius Antoninus 121〜180。在位161〜180年。五賢帝の最後の皇帝で、ストア学派の哲学者でもあった。ピウスの養子にむかえられ、145年にその娘と結婚、161年に即位した。在位中は、北方と東方辺境の防衛に力をそそぎ、166年にパルティア人のシリア侵入を撃退したが、ゲルマン諸族が北イタリアへ攻めいり、ローマ軍はふたたび戦闘をよぎなくされた。公共福祉に心をくだき、国内に蔓延した飢えや、パルティア戦線からローマ軍がもちかえった疫病のために、帝室財産を売却した。180年3月17日、北方辺境の陣中、ウィンドボナ(現ウィーン)で疫病のため志をはたせずに死去した。才能に欠ける実子コンモドゥスを帝位後継者に指定したため、統治に有能な人物を養子縁組によって後継皇帝に指定することで成立していた五賢帝時代は、終わりをつげた。内政においては、学校や孤児院、病院を建設し、減税などまずしい者に配慮した。法律を整備し、刑罰を軽くし、奴隷の待遇を改善した。哲学者としては、道徳的訓戒をギリシャ語であらわした12章におよぶ断片録「自省録」によって知られる。ストア派哲学の貴重な公式化であるこの著作では、道徳的生活が平静をみちびくという彼の信念が表明され、知識、正義、不屈の精神、節制といった美徳が強調されている。
 
●20代セプティミウス・セウェルス Lucius Septimius Severus 146〜211 在位193〜211年。193〜235年までつづいたセウェルス朝の創始者で、はじめてのアフリカ人皇帝。北アフリカのレプティス・マグナの騎士身分の家系に生まれる。ペルティナクス帝が暗殺されたため、軍団によって皇帝に推挙、帝位を僭称したライバルを次々とたおして197年に支配権を確立した。さらに東方遠征にのりだし、メソポタミアをふたたび属州化した。208年から家族とともにブリタニア(イギリス)に遠征中、エブラクム(現ヨーク)で病死した。即位の際、従来ローマ出身者で占められていた親衛隊を解散して属州出身者を登用し、さらに元老院の権限を制限して代わりに騎士身分を重用するなど、従来のローマ中心的な姿勢をあらためる体制の刷新化をおしすすめた。また、権力基盤が軍隊にあることを認識していたので、とくに軍隊を重視し、現役兵士の結婚をみとめ、給与を増額するなどの優遇策をとり、このために経済の統制化もすすんだ。彼の妻ユリア・ドムナはシリアの都市エメサの太陽神の神官の娘であり、これはのちにセウェルス朝における太陽神崇拝導入をもたらすこととなった。
 
●21代カラカラ Caracalla 188〜217 ローマ皇帝。在位211〜217年。カラカラとよばれるケルト人が着ていた長いコートをローマにもちこみ、流行させたことからつけられた。ローマ史上に残る暴君の一人。歴史家エドワード・ギボンはカラカラの治世を「人類共通の敵」とまで痛罵。横暴を一身に受けたのは殆どが東方属州の諸都市・諸地域であり、カラカラの残りの治世はこれらの地域に対する略奪と虐殺に費やされた。
ガリアのルグドゥヌム(現リヨン)で生まれる。弟のゲタとともに共同皇帝になったが、やがてゲタを殺して支持者数万人を粛清し単独支配者となった。東方属州最大の都市アレクサンドリアでは、カラカラが実の弟を殺害した事を正当防衛だと主張した事を揶揄する詩が流行した。この噂を聞きつけたカラカラ帝はアレクサンドリアへと赴き、民衆の誤解を解く場を持ちたいと提案した。民衆は感心して皇帝の弁明を聞く為に集まったが、カラカラは集まった無抵抗の民衆を兵士に命じて虐殺させた。集会に集まった民衆を殺し尽くしただけでは満足せず、数日間にわたってアレクサンドリア市内を徹底的に破壊して2万名以上の民衆を殺戮した。相続税の増収をはかるために、帝国内のすべての自由民にローマ市民権をあたえたが、このためローマの優位がくずれ、市民権をつかった属州への支配がゆらぎはじめた。遠征を盛んにおこない、メソポタミア外征中、道端で放尿している所を近衛兵に後ろから刺されて絶命した。公共の大浴場(カラカラ浴場)を建設。
 
 
 
●23代ヘリオガバルスHeliogabalus(ラテン語: Marcus Aurelius Antoninus Augustus、203年3月20日 - 222年3月11日)。ローマ史上最悪の君主。わずか14歳で皇帝に即位。シリア出身。ローマ入城の際、人びとは新皇帝の出で立ちをみて驚愕した。少年皇帝は女装していたからである。退廃的な性生活に耽溺し、しかもその性癖は倒錯的で常軌を逸したものであった。巫女を無理やり手込めにしたり、美しい人妻は夫を処刑して手に入れた。皇帝は全裸で廷臣や警護兵を甘い声で誘い、男娼として売春する一方、金髪の奴隷ヒエロクレスに対しては「妻」として従っていた]。厚化粧して妻になりきり、しかも、「ふしだらな女」と噂されるのを好んで、他の男性とも肉体関係を結んだ。これを知ったヒエロクレスは「妻」である皇帝の不貞をなじり、罵倒し、しばしば殴打におよんだ。そして、皇帝は、殴られて自分の眼の周りがどす黒く腫れ上がったことを悦んだという。客人に薔薇の山を落として窒息死させるのを楽しんだ。シリアの太陽神エル・ガバルを古代ローマの多神教における最高神に位置づけた。最期は反乱軍に捕らえられ、遺体は激昂した市民たちによって切り刻まれたうえテヴェレ川に捨てられた。享年18。「ヘリオガバルスは全ての点においてローマ史上最悪の皇帝」(エドワード・ギボン) 
“遺体をテヴェレ川に投げ込まれる際、埋葬されるどんな可能性も失くす為に、浮かんでこないように重石をつけられた。元老院からも民衆からも兵士からも愛されなかった男は、埋葬される価値さえなかった”。
 
●25代マクシミヌス・トラクスMaximinus Thrax(ラテン語: Gaius Julius Verus Maximinus、 173年頃 - 238年5月10日)は、ローマ帝国の皇帝(在位:235年 - 238年)であり、最初の軍人皇帝として知られる。トラキア(トルコ・ブルガリア)出身であったため、マクシミヌス・トラクス (Maximinus Thrax、トラクスは「トラキア人」の意)として知られる。また、マクシミヌス1世とも呼ばれる。マクシミヌスは生粋の軍人であり、北方民族(ゴート族など)討伐で目覚しい戦果を挙げた。軍隊への給与を倍額としたが、これは増税を招き、徴税人が暴力や不正な手段で税を取り立てることにつながり、ローマの支配層との不和を招いた。その粗野な書簡などから元老院の憎悪を買い破滅した。
Body lost or destroyed
マクシミヌス・トラクスはアクレイアの包囲戦時に暗殺され、首は切り落とされローマへ。体はそのまま犬や鳥が漁るに委せたらしく墓は無さそう(汗)。ちなみに身長240cm!ラオウか!
 
●クラウディウス・ゴティクス(ラテン語: Marcus Aurelius Claudius Gothicus、213年/214年5月10日 - 270年1月)は、ローマ帝国の皇帝(在位:268年 - 270年)。クラウディウス2世とも。軍人皇帝の一人。三世紀の危機にあったローマにおいて、優れた業績を残す。ローマ市民には人気を博し、神として祀られた。その統治は比較的堅実であり、たびたび北方民族の襲来を破った。弟にクィンティッルスがいる。
 
●アウレリアヌス(ラテン語: Lucius Domitius Aurelianus, 214年9月9日 - 275年9月または10月)は、軍人皇帝時代のローマ皇帝(在位270年 - 275年)である。当時3つに分裂していたローマ帝国を統一した。元老院から「"Restitutor Orbis" (世界の修復者)」の称号を得た。
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コンスタンティヌス1世(大帝)Constantinus I, Flavius Valerius(274-337)キリスト教に改宗した最初のローマ皇帝。東西の帝国を再統一し、専制君主制を発展。東ローマ帝国(ビザンティン帝国)の首都コンスタンティノープル(現イスタンブール)を建設。教会は手あつい財政援助をうけた。最初はローマの太陽神の信奉者だった。
ユリアヌスFlavius Claudius Julianus(331-363)最後の「異教徒皇帝」。古代ギリシャ・ローマの神々への崇拝を復活させた。背教者ユリアヌス。ペルシャ軍と戦い戦死。
テオドシウス1世(大帝)Theodosius I(347-395)統一ローマ帝国を統治した最後の皇帝。スペイン出身。没後、2人の息子がローマ帝国を東西に分割した。
 
●コンスタンティヌス1世 Constantinus I, Flavius Valerius 274?〜337 ローマ皇帝。在位306〜310年副帝、310ころ〜337年正帝。帝国を再統一し、専制君主制を発展させたことから「大帝」と称される。キリスト教に改宗した最初のローマ皇帝。1453年まで東ローマ帝国(ビザンティン帝国)の首都であったコンスタンティノープル(現イスタンブール)を建設した。現セルビア出身。父コンスタンティウス1世はディオクレティアヌスの譲位によって、305年に東方のガレリウスとともに西方の正帝となった。コンスタンティヌスは東方で戦功をあげたあと、306年にブリタニアで父と合流した。兵士に人気があり、父がその年の末に死ぬと、部下から正帝に推挙された。しかし、東方正帝ガレリウスは副帝としかみとめず、西方正帝にセウェルス、ついで308年にはリキニウスをおいたため、コンスタンティヌスは310年にみずから正帝を名のった。
父帝や3世紀の皇帝たちと同じく、コンスタンティヌスも最初はローマの太陽神の信奉者だった。しかし、311年にガレリウスが死んだあとローマを実質的に支配していたマクセンティウスとの312年の戦いの前夜、キリストが夢にあらわれ、兵士の甲冑にキリストの頭文字をしるすようつげたという。翌日には、太陽に十字が重なり、中空に「この十字によりてなんじは勝利せん」というラテン文字がうかぶのをみたと、伝記作者はつたえている。ローマ近郊のミルウィウス橋の戦闘でマクセンティウスをやぶり、元老院はローマの解放者として勝者コンスタンティヌスをむかえ、今日にのこる凱旋門をたてた。コンスタンティヌスは、キリスト教の神を勝利をもたらすものとして信仰するようになった。キリスト教徒への迫害はおわり、ミラノで会した共同皇帝リキニウスも同調して、いわゆるミラノ勅令(313)が発布され、ローマ帝国でキリスト教が公認されることになった。教会は法的な権利をあたえられ、手あつい財政援助をうけた。やがて東西を統一して単独の皇帝となったコンスタンティヌスは、行政改革に着手。軍隊を再編成し、ディオクレティアヌスをひきついで民政と軍政の分離を完成させた。中央政府はコンスタンティヌスと側近からなる枢密顧問会議によって運営された。3世紀に力をうしなった元老院を復権させた。
 
●ユリアヌス Flavius Claudius Julianus 331頃〜363。在位361〜363年。最後の「異教徒皇帝」。コンスタンティヌス1世によるキリスト教の公認後に、ギリシャ・ローマ神への信仰を復興させようとつとめた。コンスタンティヌス1世の甥で、キリスト教徒としてそだったが、のちにその信仰をすてたため、キリスト教世界では「背教者ユリアヌス」とよばれる。355年、従兄のコンスタンティウス2世から副帝の称号をあたえられ、ガリア駐留ローマ軍の将軍に任じられた。その後3年にわたって戦役に従軍し、ガリアに侵入していたアレマン族やフランク族を、ライン川の対岸へおしもどした。360年、配下の部隊がパリでユリアヌスを皇帝に宣した。361年にコンスタンティウス帝が没したため、かろうじて内戦は回避され、ユリアヌスはコンスタンティノープルに入城した。翌年アンティオキアへ侵攻し、古代ギリシャ・ローマの神々への崇拝を復活させた。363年6月、メソポタミアでのペルシャ軍との戦闘中に戦死し、その短い治世をとじた。
 
●テオドシウス1世 Theodosius I 347〜395 ローマ皇帝。在位379〜395年。統一ローマ帝国を統治した最後の皇帝で、大帝とよばれる。スペイン出身。西ゴート族との戦いで、東の正帝ウァレンスが戦死したときに、西の正帝グラティアヌスから東方の統治者に指名され、翌年帝位についた。383年、グラティアヌス帝が殺されると、帝位簒奪者マクシムスを西方の皇帝とみとめたが、イタリアはグラティアヌス帝の合法的な継承者であるウァレンティニアヌス2世がひきつづきおさめることとした。388年、イタリアに侵入したマクシムスをやぶって殺害すると、ウァレンティニアヌスを西の正帝に復位させた。テオドシウスはカトリックの強力な擁護者だった。古代ローマ多神教の礼拝をみとめなかった。390年にギリシャのテッサロニキで反乱をおこした市民7000人の虐殺を命じたことから、ミラノ司教アンブロシウスに破門され、それを解いてもらうために、おおやけに懺悔しなければならなかった。392年、軍司令官アルボガストがウァレンティニアヌス帝を殺害し、かわりに傀儡皇帝エウゲニウスをすえた。テオドシウスはふたたびイタリアに進攻し、394年9月に、アルボガストとエウゲニウスを撃破、その後の4カ月間、帝国の西と東を統治した。ミラノでテオドシウスが死去すると、2人の息子がローマ帝国を東西に分割し、アルカディウス帝が東ローマ帝国、ホノリウス帝が西ローマ帝国の皇帝になった。




【行程表・予想到着日】←あくまでも目安です!大幅にズレる可能性がありますが、1日1回はツイッターで現在地点を
報告しますので、現地にて合流希望の方はそちらを確認してこのアドレスにメールを下さい。

※行程表の見方…名前が載っている人物が墓参対象。名前の前後に到着・出発時刻。
※墓地の具体的な場所はマップにすべて掲載済み。
 
6/20(土)関空23:15(カタール航空)
 
6/21(日)第1日目【独】フランクフルト13:35着 フランクフルト15:30発 ※ゲーテハウス(生家)10:00-18:00 7ユーロ
16:30マインツ:グーテンベルグ16:45発 ※ザンクト・シュテファン教会のステンドグラスはシャガール制作。無料。
17:15ヴィースバーデン:リヒトホーフェン17:45発 ※ゲーテ、ワーグナー、ドストエフスキーも訪れた温泉保養地 温泉5ユーロ//22:00まで 
※途中、ライン川沿いに古城YH。トリーアにはマルクスの生家。
20:15ルクセンブルク泊 ※渓谷が見える「ボックの砲台」は見晴らし最高。すぐ近くにYH。
 
6/22(月)2 【ルクセンブルク、独、蘭】
ルクセンブルク:パットン9:30発
12:00アーヘン:カール大帝12:30発 大聖堂の宝物館・月曜は10:00-13:00 6ユーロ
13:30ケルン:バックハウス14:00発
14:30ケルン大聖堂15:00発 高さ157m、完成当時は世界一。1248年着工-1880年完成(工期632年)
15:30ボン:シューマン ※ベートーヴェン生家16:45発  6ユーロ ※シューマンの家(無料!)
18:45オランダ:ヌエネン19:30発 ※ゴッホが住んでいた家。ゆかりの地MAPをゲットしたいが案内所は17時まで。大きなホテルにあるかな?
20:30ズンデルト泊
 
6/23(火)3 【オランダ】
ズンデルト6:00発 ゴッホ生家
6:30エッテン:ゴッホ像と牧師館7:30発 ゴッホの父の牧師館。墓もここ?
9:00デルフト(3.5ユーロ):フェルメール/スピノザ10:00発
10:20ハーグ:ブッダ型墓10:45発 
10:50国際司法裁判所11:15発
12:40ドールン:ヴィルヘルム2世12:55発 火曜休みゆえ外から雰囲気だけ
14:05クレラー・ミュラー美術館…ゴッホ『星空のカフェテラス』『アルルの跳ね橋』『ひまわり』『糸杉』『自画像』『郵便配達夫』 10:00-17:00月休※17ユーロ 15:20発
16:50アムステルダム西教会:レンブラント、アンネの家17:10発
17:20ゴッホ美術館 15ユーロ
 
6/24(水)4 【オランダ、ベルギー】
8:00アニー・シュミット、ハイネケン8:45発
9:25フォッカー9:55発
10:25ハールレム:ハルス11:00発 ※NYハーレムの由来。ここから移民。
11:40ノールトウェイク:モンテッソーリ12:00発
12:30ライデン:レンブラントの生誕地と風車12:55
14:40アントワープ:ルーベンス15:10(2ユーロ) ノートルダム大聖堂・ルーベンスの2枚の絵@フランダース 6ユーロ
15:25ブリュッセル:オルタ、ボック16:00発
コミュナル・ド・シャールビーク墓地 マルグリット
16:15グランプラス&元祖・小便小僧16:35発
17:00ヘント:ファン・エイク17:45発 4ユーロ
18:30ブルージュ:マクシミリアン1世 6ユーロ(修復中の可能性あり)/イエスの血19:30発 聖血御開帳14:00-15:00
20:00オーストエンデ:ベジャール20:15発 21:00カレー 泊
 
6/25(木)5 【英 】
(ユーロトンネル)カレー6:00発→ドーバー7:20発(往復215ユーロ)
8:00バーチントン:ロセッティ8:30発
9:00カンタベリー大聖堂(9.5ポンド)9:45発 カンタベリーは英国最大の巡礼地!
9:50トマス・モアの教会、モーム図書館10:20発
11:20ポカホンタス11:40発
12:10ダートフォード:リチャード・トレビシック12:30発
13:00グリニッジ:ハレー×2 14::00発 旧天文台10:00-17:00 中庭は7ポンド
14:30ロンドン:ホルバイン14:50発
15:05ミルトン15:30発
15:50クリスティアン・バッハ16:10発
16:15ロンドン大学:ベンサム16:50発 (大英博物館経由:離脱可)
17:05パーキンソン17:20
17:25ブレイク、デフォー、ジョージ・フォックス18:00発
18:15ウィリアム・ウォレス18:30発
 
6/26(金)6 【英】
9:30ウェストミンスター寺院29名(日休)!12:00発
12:30ロンドン塔:ジェーン・グレイ13:00発 22ポンド 9:00-17:30
13:15セント・ポール大聖堂:ターナー、ネルソン等14:30発 
14:45トラファルガー広場14:55発 
15:00バッキンガム宮殿15:15発
15:25マリー・タッソー15:55発
16:00サッチャー16:30発
17:00 J・ハント、D・リーン17:30発
18:15ウィンザー泊
 
6/27(土)7 【英】
ウィンザー:ヘンリー8世、ビクトリア女王など6名10:30発 ※18.5ポンド!高ッ!
(イートン校)
11:00ナポレオン三世11:20発
11:35サージェント、殉教王12:05発
12:20ギルフォード:ルイス・キャロル12:40発
12:55コナー13:15発
13:30メニューイン音楽学校13:50発
14:20チジック:ホイッスラー14:35発
14:55ガナーズベリー:C・リード15:10発
15:30バルビローリ15:55発
16:00ウィングフィールド16:20
16:35ジョセフ・ロートブラット16:55発
17:00コンスタブル17:20発 17:30
 
6/28(日)8 【英】
8:00 Golders Green:フロイト、マーク・ボランなど10名9:30発
9:40ストコフスキー10:05発
10:20ハイゲイト:マルクス、ファラデー、コールリッジ等9名(10:00-17:00/11:00-15:00)12:20発
13:30セント・オールバンズ:ベーコン13:20
13:30キューブリック!14:00発
14:20バーナード・ショー15:00発
16:00エセックス:ジョン・ロック16:25発
18:25オールドバラ:ブリテン&泊
 
6/29(月)9 【英】
オールドバラ6:00発
7:10デボラ・カー7:30発
8:30ケンブリッジ:クロムウェル9:15発
9:20ウィトゲンシュタイン9:40発
9:50グレン・ミラー10:25発
11:40ノーサンプトンシャー:ダイアナ妃12:10発
13:55コヴェントリー:ゴディバ14:25発
15:10レスター:トーマス・クック15:30発
15:40リチャード3世16:10発
17:10ホッブズ17:30発
17:45チェスタフィールド:G・スチーブンソン18:00
19:30ウエスト・ヨークシャー泊
 
6/30(火)10 【英、スコットランド】
7:00ウエスト・ヨークシャー:ロビン・フッド7:30発
10:00ウィンダミア:ワーズワース10:30発
(スコットランド突入)
13:00カークパトリック・マクミラン13:20発
15:30セントボズウェルズ:ウォルター・スコット16:00発
18:00エジンバラ:D・ヒューム18:20
18:25アダム・スミス18:40発
20:40ジェームス・バリー&泊※ここから1時間でアバンディーン:ウィリアム・ウォレス
 
7/1(水)11 【スコットランド】
ジェームス・バリー7:00発
10:00ロッカウェ:ロバート・ブルース10:40
10:50オーバン(フェリー11:55or14:00)
15:30アイオナ島:マクベス オーバン泊
 
7/2(木)12 【スコットランド】
7:30オーバン8:00発
8:40ベリンズバラ:ベアード9:00発
10:00グラスゴー:リプトン10:45発
12:45ケイルンライアン
14:30フェリー
(アイルランド突入)
15:30ベルファスト:ボビー・サンズ16:00
18:45スライゴ:イエーツ&泊
 
7/3(金)13 【アイルランド】
4:00スライゴ発
5:45ロバート・ショー6:00
9:00バトバント:オリバー・リード9:30
10:30コーク:ロリー・ギャラガー11:00発
13:30ギネス(ビール)14:00発
14:45ダブリン:ヴェロニカ・ゲリン15:05発
15:30M・コリンズ、C・ブラウン16:00発
16:20スウィフト16:50発
17:20ダンロップ18:00
18:30フェリー乗り場(平日22:45 日曜20:00)
 
7/4(土)14 【英】
リバプール6:30
6:35キャバンクラブ6:45発
7:05ペニー・レイン7:10発
7:15ストロベリーフィールド7:20発
7:25エレナ・リグビー7:45発
7:50ジュリア・レノン8:15発
8:35サトクリフ8:55発
9:15エプスタイン9:40発
10:50マックルズ・フィールド:イアン・カーティス11:20発
15:10ウェールズ:ロイド・ジョージ15:40発
19:10ウェールズ:ディラン・トマス&泊
 
7/5(日)15 【英】
ウェールズ6:00発
8:00モンマス:C・ロールズ8:30発
(ピーター・マーク・ロジェ)
10:00ジョン・ボーナム10:20発
11:20ワット11:50発
12:40ニック・ドレイク13:10発
13:40シェークスピア14:25発
15:25グロスタシャー:イアン・フレミング15:50発
16:40オックスフォードシャー:W・モリス17:00発
17:45オックスフォード:C・S・ルイス18:05
20:00バース泊 英国唯一の公衆天然温泉「サーメ・バース・スパ」キチガイ価格平日32ポンド(5760円)、土日35ポンド(6300円)
 
7/6(月)16 【英】
9:00バース寺院:マルサス9:30発
11:00 T.S.エリオット11:20発
12:00ドルセット:ハーディ12:20発
13:20ボーンマス:M・シェリー13:40発
14:40ゴールディング15:00発
15:45コナン・ドイル16:15発
16:45ウィンチェスター:クヌート等6名17:45発
17:50アルフレッド大王18:00発
18:30ハンプシャー:アレック・ギネス19:00発
19:30チチェスター泊
 
7/7(火)17 【英】
8:30チチェスター大聖堂:ホルスト9:00発
10:00ジョージ・エベレスト10:20発
10:50ゲイリー・ムーア11:10発
11:40ヴァージニア・ウルフ12:00発
12:20ティルトン:ケインズ12:40発
13:10ヴィヴィアン・リー13:40
14:25岬:エンゲルス14:50発
16:30デレク・ジャーマン16:50発
17:35ドーバー (フェリー 2時間半)
21:00?カレー泊
 
7/8(水)18 【仏】
カレー5:30発
7:00サキ7:30発
8:20アミアン:J・ヴェルヌ8:50発
10:50ランス:藤田嗣治11:10発
13:20ド・ゴール13:50発
15:00エソイエ:ルノアール15:20発
★レビストロース
17:50トゥールニュ:コルトー18:10発
20:00ベズレー泊
 
7/9(木)19 【仏】
6:00ベズレー:バタイユ6:20
6:40ロマン・ロラン7:10発
7:30ジュール・ルナール7:50発
9:50エグルヴィル:マスネー10:10発
10:40シスレー11:00発
11:20フォンテーヌブロー:マラルメ11:40発
12:00ミレー(!)12:20発
12:40タルコフスキー13:00発
13:30キキ14:00発
14:45シュトロハイム15:05発
15:25ロミー・シュナイダー15時45発
16:15ミュンシュ16:40
16:55シュバリエ17:15発
17:45ニコラ・ド・スタール18:10発
18:20サティ18:40発
 
7/10(金)20 【仏】
8:00ペール・ラシェーズ(新人10)11:00発
11:10ラヴォアジエ 11:40発
12:00ノートルダム寺院:ジャンヌ・ダルク12:25発
(ルーブル&オルセー離脱)
12:30パンテオン13:30発
13:35デュ・モン教会:パスカル、マラー14:00発
14:05ソルボンヌ大:リシュリュー14:30発
14:45パスツール研究所&墓15:30発
15:45アンヴァリッド:ナポレオン、サン・テグジュペリ17:00発
17:30ムードン:ロダン (オフ会?)
 
7/11(土)21 【仏】
8:00モンパルナス墓地(新人7)
9:30カタコンベ11:00発
11:30モンマルトル墓地(新人4)14:00発
14:05ユトリロ14:20発
15:00サン・ドニ:歴代フランス王&アントワネット16:30発
17:00ラヴェル17:15発
17:25ヴィトン18:00発
18:40オーヴェール:ゴッホ兄弟、散策、泊。
 
7/12(日)22 【仏】
オーヴェール5:00発
6:00ジヴェルニー:モネ6:20発
7:40ルーアン:リチャード1世、デュシャン8:40発
10:00ティエップ:ブラック10:20発
12:20ジード12:30発
14:10モン・サン・ミシェル14:30発
15時半サン・マロ:シャトーブリアン16:00発
17:45ラバル:アンリ・ルソー18:15発
20:30フォントブロー泊
 
7/13(月)23 【仏】
フォントブロー:リチャード1世、ジョン欠地王9:00発
10:00ユル・ブリンナー10:30発
13:00ジョルジュ・サンド14:45発
16:00レヴィストロース16:30発
20:30カジャルク泊
 
7/14(火)24 【仏、スペイン】
カジャルク:フランソワーズ・サガン5:00発
8:00ランゴン:ロートレック8:15発
9:15ボルドー郊外:クストー9:35発
10:45ボルドー:モンテーニュ11:45発
14:10ルネ・クレマン14:50
(スペイン突入!)
16:35パンプローナ:サラサーテ17:00発
18:00ログローニョ:チェーザレ・ボルジア18:30発
20:00ブルゴス泊
 
7/15(水)25 【スペイン、ポルトガル】
5:00ブルゴス発
10:00サンティアゴ・デ・コンポステーラ:聖ヤコブ11:00
(ポルトガル突入)
16:30リスボン・パンテオン:アマリア・ロドリゲス17:00発
17:30リスボン:バスコ・ダ・ガマ&泊
※大移動後だから大盛パエリアくってワインのもう!
 
7/16(木)26 【ポルトガル、スペイン、ジブラルタル】
5:00発 (スペイン再突入)
10:00セビリア:闘牛士墓地10:45発
11:15セビリア大聖堂:コロンブス、ゲレーロ11:45発
11:50ムリーリョの家12:30発
14:00ファリャ14:30発
16:00パコ・デ・ルシア16:30発
17:00ジブラルタル墓地17:15発
17:30ジブラルタル南端18:00発
20:00オーソン・ウェルズ&泊
 
7/17(金)27 【スペイン】
オーソン・ウェルズ8:30発
10:45グラナダ大聖堂:イサベル11:20発
12:50リナレス:セゴビア13:10発
(マドリード)
16:10ゴヤ旧墓16:50発
17:50フランコ18:10発
18:50エル・エスコリアル20:00発※マドリード市内まで1時間
 
7/18(土)28 【スペイン、アンドラ】
7:15ベラスケス7:45発
8:00アルコベンダス:F・レイ他8:30発
13:00カステリョ・デ・ラ・プラナ:タレガ13:20発
16:00バルセロナ郊外:コロニア・グエル教会地下聖堂17:00発
17:30バルセロナ:サグラダ・ファミリア教会18:00発
20:45アンドラ泊
 
7/19(日)29 【スペイン、フランス】
アンドラ3:30発 (フランス再突入)
8:00セート:ポール・ヴァレリー8:20発
10:00アヴィニヨン:J.S.ミル10:20発
10:35カミーユ・クローデル(2)11:20発
11:50ノストラダムス12:20発
13:00ルールマラン:カミュ13:30発
14:15エクサン=プロヴァンス:セザンヌ、ミヨー14:45発
15:10ヴォヴナルグ:ピカソ15:40発
17:00トゥーロン:キスリング17:20発
18:30ラマチュエル:ジェラール・フィリップ19:00発
20:30カリアン泊
 
7/20(月)30 【仏、モナコ】
カリアン:ディオール7:00発
7:45ヴァロリス:ジャン・マレー8:05発
8:50サン=ポール=ド=ヴォンス:シャガール9:50発
10:35ニース:ガスタン・ルルー10:55発
11:35モナコ:シェリング12:00発
12:05モナコ:グレース・ケリー12:55発
18:00メシアン18:30発
21:00シャモニ泊
 
7/21(火)31 【スイス】
シャモニ:エドワード・ウィンパー8:00発
9:00リパッティ9:30発
9:45ジュネーブ:ヒナステラ他10:15発
10:45レマン湖畔 R・バートン11:05発
11:35ビュルサン:P・ユスティノフ11:55発
12:15トロシュナ:オードリー・ヘプバーン(キターッ!)12:45発
13:00ローザンヌ:シャネル、クーベルタン、F・マーキュリー13:45発
14:15チャップリン(再びキターッ!!)、グレアム・グリーン15:00発
15:10ヒンデミット15:30発
15:40ココシュカ、ナボコフ15:55発
16:05アンリ・ネスレ16:40発
17:20ギーガー18:00発
18:40シャトー・デー:D・ニーヴン19:00発
21:40テッシュ(マッターホルン最寄り)
 
7/22(水)32 【スイス】
(天候で判断)午前中マッターホルンのトレッキング…テッシュ始発6:21
6:33ツェルマット:登山者墓地 7:00or8:00ケーブルカー45分 ゴルナーグラート(往復12000円) ツェルマット13:13(毎時13分)発 13:25テッシュ13:30発
14:15ラーロン:リルケ14:45発
18:15バーゼル:オットー・フランク18:40発
18:55バーゼル:ヤスパース等19:30 食事
 
7/23(木)33 【スイス、リヒテンシュタイン】
バーゼル8:00発
9:10チューリッヒ:ケラー、シュピーリ9:40発
10:00トーマス・マン10:20発
10:50ジョイス、カラー11:15発
11:30クレンペラー11:50発
12:00ワインガルトナー、リヒター他12:40発
12:50ユング13:05発
13:15エリーザベト・シュヴァルツコップ13:35発
(リヒテンシュタイン)
15:30オスカー・ウェルナー15:50発
16:20マイエンフェルト(登頂18:20?)
 
7/24(金)34 【スイス、イタリア】
マイエンフェルト5:30発
7:40シルス:クラウディオ・アバド8:00発
8:30ブレガリア:ジャコメッティ8:50発
11:40マッジョーレ湖畔:ブリギッテ・ヘルム12:00発
12:15レマルク12:45発
12:55グスタフ・フレーリッヒ13:15発
14:20ヘッセ他14:50発
(イタリア突入)
16:00ヴェルサーチ(2)16:45発
18:15ベルガモ:ドニゼッティ&泊
 
7/25(土)35 【イタリア】
ベルガモ6:30発
8:00ミラノ:トスカニーニ、ホロヴィッツ他9:15発
9:25ヴェルディ9:45発
10:00聖アンブロジウス10:20発
13:20マリーナ・ディ・アンドーラ:ヘイエルダール14:20発
17:00ポルトヴェネーレ:ヴァルテル・ボナッティ17:30発
18:50ピサの斜塔19:20発
19:50リボルノ泊
 
7/26(日)36 【イタリア】
リボルノ:マスカーニ8:15発
9:15トスカーナ湾:ジャック・マイヨール9:45発
11:15オルベテッロ/ポルト・エルコレ:カラヴァッジョ12:15発
14:00ローマ郊外:ピエトロ・ジェルミ14:20発
14:50ジュリアーノ・ジェンマ15:20発
15:50第38代教皇シリキウス16:35発
16:50ヴェラーノ墓地:ロッセリーニ等6名18:30発
 
7/27(月)37 【イタリア:ローマ前】※オール徒歩!
7:00 Santa Maria Maggiore ベルリーニ等2名7:30発
7:50 Basilica di San Giovanni in Laterano(旧教皇庁)176代教皇インノケンティウス3世等3名8:20発
8:35 Basilica di San Clemente 4代教皇クレメンス1世8:55発
9:05 コロッセオ ジョジョ立ち記念写真9:20発
9:35 Trajan's Forum:トラヤヌスの記念柱/13代皇帝トラヤヌス9:50発
10:00 Chiesa del Gesu/ザビエル10:20発
10:25 Basilica di Santa Maria Sopra Minerva/フラ・アンジェリコ、教皇3名10:50発
10:55 Pantheon/ラファエロ、コレルリ11:20発
11:30 Santa Maria in Monserrato/214代教皇アレクサンデル6世11:45発
11:50 Chiesa di Santa Maria in Vallicella/グレゴリオ・アレグリ12:10発
12:15 Santa Maria dell'Anima/218代教皇ハドリアヌス6世12:30発(ここからテヴェレ川沿いに20分)
12:50 Basilica di Santa Maria del Popolo/ネロ 13:20発
13:30アウグストゥス霊廟:初代ローマ皇帝アウグストゥス等5名13:15発
13:25 San Lorenzo in Lucina/プッサン13:40発
13:45 San Silvestro in Capite/25代教皇ディオニュシウス14:00発
14:10 トレビの泉(休憩)14:40発
15:00 真実の口15:15発
15:25 Basilica di Santa Cecilia in Trastevere/聖セシリア16:00発
16:05 San Francesco a Ripa/キリコ 16:20発
16:50 サンピエトロ大聖堂(礼拝堂)&泊
 
7/28(火)38 【イタリア、ヴァチカン:ローマ後】
7:00 サンピエトロ大聖堂(墓所)8:45発
9:00 サンタンジェロ城(ハドリアヌス霊廟)5名
10:30発※ローマ離脱
11:15ポメーツィア:セルジオ・レオーネ11:40発
13:50モンテ・カッシーノ:聖ベネディクト14:50発
16:20サレルノ:157代教皇グレゴリウス7世16:50発
17:50アマルフィ泊
 
7/29 (水)39 【イタリア】
8:00アマルフィ:聖アンドリュー8:30発
10:00ナポリ郊外:マッシモ・トロイージ10:20発
10:45ナポリ:カルーソー11:05発
11:30スカルラッティ11:50発
12:15ウェルギリウス13:00発
13:30ペルゴレージ14:00発
17:00ラグイラ:192代教皇ケレスティヌス5世17:20発
20:30アンコーナ泊
 
7/30(木)40 【イタリア、サンマリノ】
アンコーナ発5:00
6:40サンマリノ墓地7:10発
7:55リミニ:フェリーニ8:15発
9:25ベニチオ10:00発
11:00ラヴェンナ:ダンテ11:40発
12:50ボローニャ:ファリネッリ、ランボルギーニ13:20発
13:40マルコーニ13:55発
14:40モデナ:パヴァロッティ15:00発
15:15モデナ:フェラーリ15:35発
16:45フェラーラ:アントニオーニ17:10発
18:10エステ:ペトラルカ18:30発
19:15ヴェネチア泊
 
7/31(金)41  【イタリア、オーストリア】
ヴェネチア(徒歩と船)7:00発
8:00ストラビンスキー、ドップラー等4名8:45発
9:00サン・ジョルジョ・マッジョーレ島:別名フーゴ波止場10:00発
10:45Basilica dei Frari:ティツィアーノ他11:30発
11:40ヴェネチア駅ギアッチョ滑り12:00発
12:15リベルタ橋(ヴェネチア離脱)12:20発
13:40パゾリーニ14:00発
(オーストリア)
17:00ヒュッテンベルク:ハインリッヒ・ハラー17:20発
18:20プライテネック:マクシミリアン・シェル18:40発
19:30グラーツ:カール・ベーム&泊
 
8/1(土)42 【スロヴェニア、クロアチア、ボスニア】
グラーツ8:00発
(スロヴェニア)
9:00カルロス・クライバー9:45発
(クロアチア)
11:30ザグレブ:フラニョ・トゥジマン12:20発
18:00サラエボ:ガヴリロ・プリンツィプ&五輪墓地19:30発
 
8/2(日)43 【ボスニア、モンテネグロ】
サラエボ9:00発 
(モンテネグロ)
11:30プルジネ12:30発 
16:30スレブレニツァ17:30発 
(6時間)
ザイェチャル
 
8/3(月)44  【セルビア、ブルガリア、ギリシャ】
8:00ザイェチャル:ガレリウス帝9:00発
(ブルガリア)
12:30ソフィア13:30発 
(6時間移動、休憩1時間)
20:30ギリシャ・ラリサ:ヒポクラテス&泊
 
8/4(火)45  【ギリシャ】
ラリサ6:00発
9:00エウリポス海峡:アリストテレス10:00発
(アテネまで60分)
(マケドニア)
17:30スコビエ:ボリス・トライコフスキ18:30発
 
8/5(水)46 【クロアチア、セルビア、ハンガリー】
スコビエ発7:00 
(セルビア)
12:30ベオグラード:ニコラ・ステラ13:30発 
(5時間半移動、休憩1時間) 
(ハンガリー)
20:00ニーレジュハーザ泊
 
8/6(木)47 【ハンガリー、ルーマニア】
ニーレジュハーザ5:00発
9:00世界一陽気な墓地@サプンツァ村11:00発
16:30ブダペスト:動乱犠牲者17:00発
17:20ファドルス・ヤノーシュ4名18:00発
18:10ブダペ:ストラウル・ワレンバーグ18:30 泊
 
8/7(金)48 【スロバキア、オーストリア】
ブダペスト7:00発
(スロバキア)
8:30ブラチスラバ:アレキサンダー・ドプチェク9:30発
11:00シュタット:ハイドン11:30発
12:00ウイーナーノイシュタット:マクシミリアン1世12:30発
13:30ウィーン聖シュテファン寺院カタコンベ14:30発
14:15カプツィナー霊廟6名15:00発
15:10Augustinerkirche16:00発
16:05王宮16:30発
 
8/8(土)49  【オーストリア】
7:00ウィーン楽聖墓地:ベートーヴェン、シューベルト等17名13:05発
13:20ザンクトマルクス:モーツァルト13:50発
14:15クリムト14:40発 14:50エゴン・シーレ15:10発
15:40アスペルガー16:10発
16:20アントン・カラス16:35発
16:45マーラー17:10発
17:25旧楽聖墓地18:00発
18:20ハイドンパーク18:40発
19:40ザンクト・ペルテン泊
 
8/9(日)50【オーストリア、ドイツ】
ザンクト・ペルテン6:00発
7:30レオンディンクの父母8:15発
8:50ザンクト・フロリアン:ブルックナー9:20発
10:40バートイシュル:レハール11:00発
11:20アッター湖畔:グルダ11:40発
13:00グルーバー13:30発
14:00ザルツブルク:レオポルド・モーツァルト14:30発
(近くにモーツァルト生家)
14:55アニーフ:カラヤン15:25発
16:40カプルーン:ポルシェ家17:00発
(ドイツ突入!)
17:30ミッタージル:ウェーベルン17:50発
20:00テガーンゼー泊
 
8/10(月)51 【ドイツ】
テガーンゼー:バルクホルン6:40発
7:30ミュンヘン:ゾフィー・ショル8:00発
8:30クナッパーツブッシュ9:00発
9:10ミュンヘン大:モニュメント9:30発
9:50シーボルト10:20発
10:40森林墓地:ミヒャエル・エンデ、Leni11:25発
11:45 シュタルンベルク湖:ルートヴィヒ2世12:05発
12:35カール・オルフ12:55発
14:30ノイシュヴァンシュタイン城!15:30発
17:00ブラウシュタイン:ロンメル17:30発
17:40ウルム泊
 
8/11(火)52 【ドイツ】
ウルム6:30発
8:00メスキルヒ:ハイデガー8:30発
9:15ラウトリンゲン:クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐9:45
12:00ドルリスハイム:ブガッティ12:20発
12:40ストラスブール大聖堂13:10発
15:30エーリヒ・ハルトマン15:50発
17:00シュツットガルト:ツェペリン伯爵17:20発
17:45ダイムラー18:05発
19:30ハイデルベルク:フルトヴェングラー、M・ウェーバー
 
8/12(水)53 【ドイツ】
ハイデルベルク7:00発
7:30マンハイム:カール・ベンツ8:00発
(25km北西のヴォルムスに欧州最古級の墓地/フランクフルト通過、ホームシック注意)
9:40ギーセン:レントゲン10:00発
12:20ゲッティンゲン:ガウス12:40発
14:10ワイマール:ゲーテ&シラー14:40発
14:50ルーカス・クラナッハ父15:10発
15:30ブーヘンヴァルト強制収容所:E・テールマン16:20発
17:40ヴァイセンフェルス:ノヴァーリス18:00発
18:20リュツェン:ニーチェ18:40発
19:20ライプチヒ泊
 
8/13(木)54 【ドイツ・ベルリン】
8:00ライプチヒ:ニキシュ他8:30発
8:35バッハ妻8:55発
9:00聖トーマス教会:バッハ10:00
11:10デッサウ・ロスラウ:オズワルト・ベルク11:40発
13:00ポツダム:ガイガー13:20発
13:30サンスーシ宮殿:フリードリヒ大王14:30発
15:00ワイツゼッカー15:20発
15:35ディスカウ等3名16:15発
16:25シャルロッテンブルグ宮殿:ヴィルヘルム1世17:15発
17:35グリンカ17:55発
18:05フンボルト18:25発
18:55オシエツキー
 
8/14(金)55【ドイツ・ベルリン】
8:00ベルリン:ローザ・ルクセンブルク8:20発
8:50グリム&ワルキューレ関係者9:10発
9:20ワルキューレ現場9:40発
9:50ベーベルプラッツ/焚書のモニュメント(空っぽの本棚)10:10発
10:20ブレヒト、ヘーゲル、フィヒテ10:30発
10:40反ナチ・メモリアル、野獣11:10発
11:20コッホ12:20発
13:10マクデブルク:クラウゼビッツ14:40発
15:10マクデブルク大聖堂オットー1世15:40発
17:10ハノーファー:ジョージ1世(英国王)17:40発
19:40ハンブルク泊
 
8/15(土)56【ドイツ、デンマーク】
8:00ハンブルク・世界最大の公園墓地オールスドルフ墓地:ヘルツ、ビューロー9:00発
9:20テレマン9:45発
10:00ハンブルク:C.P.E.バッハ10:20発
11:00アウミューレ:ビスマルク11:40発
12:40リューベック:ブクステフーデ13:10発
16:00フースム:シュトルム16:20発
18:30“LEGO"クリスチャンセン19:30発
21:45シェラン島泊
 
8/16(日)57 【デンマーク、スウェーデン】
9:00シェラン島:アブサロン9:30発
10:50コペンハーゲン:アンデルセン等6名11:40発
(スウェーデン)
12:40南端:アニタ・エグバーグ13:00発
16:30イェーテボリ:Torgny Segerstedt16:50発
17:10アッサール・ガブリエルソン17:30発
(ノルウェー)
21:00オスロ泊
 
8/17(月)58 【ノルウェー、スウェーデン】
7:00オスロ:ムンク、イプセン7:30発
8:00ナンセン8:30発 ※移動7時間半ぜよ…
15:30ウプサラ:リンネ15:50発
15:55ハマーショルドなど3名16:30発
17:30ストックホルム:ノーベル、バーグマン等5名19:00発
19:15パルメ、スウェン・ヘディン19:45発
20:00グレタ・ガルボ20:45発
21:30ニュネスハムスン23:00発
(フェリー5時間)
 
8/18(火)59 【スウェーデン、デンマーク】
5:45ゴットランド島:イングマール・ベルイマン17:00発※島はジブリ「魔女の宅急便」ロケ地でもある
(フェリー5時間)
22:00ニュネスハムスン発
22:40ストックホルム泊
 
8/19(水)60 【スウェーデン】
安息日・調整日 ストックホルム17:00 (フェリー)
 
8/20(木)61 【フィンランド、エストニア】
ヘルシンキ港9:55発
10:05トーヴェ・ヤンソン、マンネルヘイム10:45発
11:30エイノ・イルマリ・ユーティライネン12:00発
12:15シベリウス12:45発
13:20港 14:00or17:00発(フェリー)
(エストニア)
19:00タリン:レナルト・メリ20:00発
 
8/21(金)62 【エストニア、ラトビア、リトアニア】
タリン5:00発
(ラトビア)
9:30リガ:IVANA KAPSETA 10:30発
(リトアニア)
14:00ビルニュス:ユゼフ・ピウスツキ15:00発
(ポーランド)ブラニュボまで所要7時間+休憩!
 
8/22(土)63 【ロシア、ポーランド】
ブラニュボ7:55発 ★ロシアの日帰りだけ鉄道
10:30ロシア・カリーニングラード:カント15:00発 
16:05ブラニュボ16:15発
(ポーランド)
16:30フロンボルク:コペルニクス
 
8/23(日)64 【ポーランド】
フロンボルク:コペルニクス10:00発
14:00ワルシャワ:コルチャック先生14:30発
14:50ショパン15:10発
15:30キェシロフスキ等4名16:30発
20:30クラクフ:スタニスワフ・レム&泊
 
8/24(月)65 【ポーランド、チェコ】
クラクフ8:15発
9:20オシフィエンチム(アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所):アルマ・ロゼ13:00発
16:00ブルノ:メンデル16:40発
18:40ヴァーツラフ・ノイマン19:10発
19:40プラハ泊
 
8/25(火)66 【チェコ、ドイツ】
8:00プラハ・ヴィシェフラット墓地:ドボルザーク等6名9:15発
9:40ネポムクの聖ヨハネ10:10発
10:25ティコ・ブラーエ11:00発
11:20 Jan Palach11:40発
11:45カフカ12:15発
14:00カルロビ・バリ:F・モーツァルト14:20発
16:00ドゥフツォフ:カサノバ17:00発
18:10ドレスデン:カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ18:40発
19:00 C・ウェーバー&泊
 
8/26(水)67 【ドイツ】
ドレスデン8:15発
10:30ペーター・ホフマンなど11:05発
12:10ボンヘッファー12:50発
14:10レーゲンスブルク:ケプラー14:30発
15:50ニュルンベルク:パッヘルベル16:20発
16:25デューラー、フォイエルバッハ16:15発
17:20バイロイト:ワーグナー&泊
 
8/27(木)68 【ドイツ】
バイロイト:リスト9:20発
10:00クルムバッハ:ケンプ10:45発
11:45バンベルク:149代教皇クレメンス2世12:15発
13:45フランクフルト (生還おめでとう!!)
 
8/28(金)69  11:25 日本にフライト(カタール航空)途中ドバイ@アラブ首長国連邦にて墓参※トランジット7時間
 
8/29(土)70  17:25 帰国関空


【重要】日程が大幅にずれ、8/5以降の最新行程です!

8/5 伊丹8:00発(成田行き) 成田9:20発
フランクフルト16:30着

8/6(木)47 【ドイツ、オーストリア】
フランクフルト8:00発
11:30ニュルンベルク:パッヘルベル12:00発
12:05デューラー、フォイエルバッハ12:40発
13:10フォイヒト:ヘルマン・オーベルト13:40発
14:10レーゲンスブルク:ケプラー14:30発
17:00リンツ:レオンディンクの父母
リンツYH

8/7(金)48 【オーストリア】
YH8:20発
8:50ザンクト・フロリアン:ブルックナー9:20発
11:40ウイーナーノイシュタット:マクシミリアン1世12:10発
12:50シュタット:ハイドン13:20発
14:20カプツィナー霊廟6名15:00発
15:10 Augustinerkirche16:40発
16:45王宮17:00発
17:10ウィーン聖シュテファン寺院17:40発
18:00駐車場発
19:00ブラチスラバ:アレキサンダー・ドプチェク

8/8(土)49  【オーストリア】
6:00ブラチスラバ:アレキサンダー・ドプチェク
7:00ウィーン楽聖墓地(前半):ベートーヴェン、シューベルト等17名 9:20発
9:30(10:00)ウィーン国際空港・妻子到着
11:00ウィーン楽聖墓地(後半):ベートーヴェン、シューベルト等17名12:00発
12:20ザンクトマルクス:モーツァルト12:50発
13:10(美術史美術館)14:00発
14:20クリムト14:40発 14:50エゴン・シーレ15:10発
15:40アスペルガー16:10発
16:20アントン・カラス16:35発
16:45マーラー17:10発
17:25旧楽聖墓地18:00発
18:20ハイドンパーク18:40発
21:40アッター湖畔

8/9(日) 【オーストリア、ドイツ】
8:00アッター湖畔:グルダ8:20発
9:20ザルツブルク:レオポルド・モーツァルト9:50発
(近くにモーツァルト生家)
10:20アニーフ:カラヤン10:50発
12:50ミュンヘン:ゾフィー・ショル13:20発
13:50クナッパーツブッシュ14:20発
14:30ミュンヘン大:モニュメント14:50発
15:10シーボルト15:40発
16:00森林墓地:ミヒャエル・エンデ、Leni16:30発
16:50シュタルンベルク湖:ルートヴィヒ2世17:10発
17:40カール・オルフ18:00発
19:30ノイシュヴァンシュタイン城!

8/10(月)51 【ドイツ、イタリア】
フュッセン発5:30発
(5時間+休憩)
11:30エステ:ペトラルカ12:00発
13:00フェラーラ:アントニオーニ13:30発
14:30ボローニャ:ファリネッリ、ランボルギーニ15:15 18:45発
16:30モデナ:フェラーリ16:50発
17:05モデナ:パヴァロッティ17:25発
21:50シャモニ泊

8/11(火)52  【スイス】
シャモニ:エドワード・ウィンパー8:00発
9:00リパッティ9:30発
9:45ジュネーブ:ヒナステラ他10:15発
10:45レマン湖畔 R・バートン11:05発
11:35ビュルサン:P・ユスティノフ11:55発
12:15トロシュナ:オードリー・ヘプバーン(キターッ!)12:45発
13:00ローザンヌ:シャネル、クーベルタン、F・マーキュリー13:45発
14:15チャップリン(再びキターッ!!)、グレアム・グリーン15:00発
15:10ヒンデミット15:30発
15:40ココシュカ、ナボコフ15:55発
16:05アンリ・ネスレ16:40発
17:20ギーガー18:00発
18:40シャトー・デー:D・ニーヴン19:00発
22:00チューリヒ泊

8/12(水)53 【スイス、リヒテンシュタイン】
チューリッヒ:ケラー、シュピーリ8:30発
8:50トーマス・マン9:10発
9:40ジョイス、カラー10:05発
10:20クレンペラー10:40発
10:50ワインガルトナー、リヒター他11:30発
11:40ユング12:00発
12:10エリーザベト・シュヴァルツコップ12:30発
(リヒテンシュタイン)
14:30オスカー・ウェルナー14:50発
15:20マイエンフェルト(登頂17:20)※有名な『ハイジ』の舞台!

8/13(木)54【ドイツ】
マイエンフェルト7:00発
10:30シュトゥットガルト:エーリヒ・ハルトマン10:50発
11:50ダイムラー12:10発
13:40ハイデルベルク:フルトヴェングラー、M・ウェーバー14:20発
14:50マンハイム:カール・ベンツ15:20発
(25km北西のヴォルムスに欧州最古級の墓地/フランクフルト通過、ホームシック注意)

20:20ヴァイセンフェルス:ノヴァーリス20:40発
21:00リュツェン:ニーチェ21:20発
22:00ライプチヒ泊

8/14(金)55【ドイツ・ベルリン】
8:00ライプチヒ:ニキシュ他8:30発
8:35バッハ妻8:55発
9:00聖トーマス教会:バッハ10:00
11:10デッサウ・ロスラウ:オズワルト・ベルク11:40発
13:00ポツダム:ガイガー13:20発
13:30サンスーシ宮殿:フリードリヒ大王14:30発
15:00ワイツゼッカー15:20発
15:35ディスカウ等3名16:15発
16:25シャルロッテンブルグ宮殿:ヴィルヘルム1世17:15発
17:35グリンカ17:55発
18:05フンボルト18:25発
18:55オシエツキー

8/15(土)56【ドイツ・ベルリン】
8:00ベルリン:ローザ・ルクセンブルク8:20発
8:50グリム&ワルキューレ関係者9:10発
9:20ワルキューレ現場9:40発
9:50ベーベルプラッツ/焚書のモニュメント(空っぽの本棚)10:10発
10:20ブレヒト、ヘーゲル、フィヒテ10:30発
10:40反ナチ・メモリアル、野獣11:10発
11:20コッホ12:20発
13:10マクデブルク:クラウゼビッツ14:40発
15:10マクデブルク大聖堂オットー1世15:40発(10:00-18:00)
17:10ハノーファー:ジョージ1世(英国王)17:40発
19:40ハンブルク泊

8/16(日)57 【ドイツ、デンマーク】
8:00ハンブルク・世界最大の公園墓地オールスドルフ墓地:ヘルツ、ビューロー9:00発

10:00ギュンター・グラス10:30発
11:00リューベック:ブクステフーデ11:30発
14:00フースム:シュトルム14:20発
16:30レゴランド18:00発(10:00-18:00)
18:05“LEGO"クリスチャンセン18:30発
21:00シェラン島泊

8/17(月)58 【スウェーデン】
シェラン島:アブサロン8:10発
9:30コペンハーゲン:アンデルセン等6名10:15発
(スウェーデン)
11:30南端:アニタ・エグバーグ12:00発
(6時間半+休憩=8時間)
21:30ニュネスハムスン23:00発
(フェリー5時間)

8/18(火)59 【スウェーデン】
5:45ゴットランド島:イングマール・ベルイマン17:00発※島はジブリ「魔女の宅急便」ロケ地でもある
(フェリー5時間)
22:00ニュネスハムスン発
22:40ストックホルム泊

8/19(水)60 【スウェーデン】
ストックホルム8:00発
9:00アーランダ空港9:30発 ※11:45フライト
10:10ウプサラ:リンネ10:35発
10:40ハマーショルドなど3名11:15発
12:15ストックホルム:ノーベル、バーグマン等5名13:45発
14:00パルメ、スウェン・ヘディン14:30
14:45グレタ・ガルボ15:15発
ストックホルム19:30発

8/20(木)61 【エストニア、ラトビア、リトアニア】
(エストニア)
7:00タリン:レナルト・メリ8:15発
(ラトビア)
12:45リガ:IVANA KAPSETA 13:45発
(リトアニア)
17:45ビルニュス:ユゼフ・ピウスツキ18:15発
18:25ネリス川の杉原千畝顕彰碑 泊
http://aroundtheworldheritage.web.fc2.com/201107/SugiharosNamai.html ネリス川の河畔に建つ杉原モニュメント、カウナス杉原記念館

8/21(金)62 【リトアニア、ポーランド】
ビルニュス8:00発
10:00リトアニア・カナウス:杉原記念館10:00-17:00(土日11:00-16:00)10:30発
(ポーランド)ブラニュボ、フロンボルクまで所要5時間半+休憩!

8/22(土)63 【ロシア】
ブラニュボ7:55発 ★ロシアの日帰りだけ鉄道
10:30ロシア・カリーニングラード:カント15:00発
16:05ブラニュボ16:15発
16:30フロンボルク:コペルニクス

8/23(日)64 【ポーランド】
フロンボルク:コペルニクス10:00発
14:00ワルシャワ:コルチャック先生14:30発
14:50ショパン15:10発
15:30キェシロフスキ等4名16:30発
20:30クラクフ:スタニスワフ・レム&泊

8/24(月)65 【ポーランド】
クラクフ8:20発
9:30オシフィエンチム(アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所):アルマ・ロゼ11:30発
(6時間半+休憩)
グラーツ泊

8/25(火)66 【オーストリア】
8:00グラーツ:カール・ベーム8:30発
9:20プライテネック:マクシミリアン・シェル9:40発
10:40ヒュッテンベルク:ハインリッヒ・ハラー11:00発
14:30カプルーン:ポルシェ家15:00発
(ドイツ突入!)
15:30ミッタージル:ウェーベルン15:50発
21:00ヴァイデン:ボンヘッファー

8/26(水)67 【ドイツ、チェコ】
ヴァイデン:ボンヘッファー9:20発
10:30ヴンジーデル:ペーター・ホフマンなど11:00発
12:00クルムバッハ:ケンプ12:30発
15:00ドゥフツォフ:カサノバ15:30発
16:40ドレスデン:カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ17:00発
17:20 C・ウェーバー17:50発
21:20ゲッティンゲン泊

8/27(木)68 【ドイツ】
ゲッティンゲン:ガウス9:10発
10:30ギーセン:レントゲン11:00発
12:00フランクフルト (生還おめでとう!!)

8/28(金)69  11:25 日本にフライト(カタール航空)途中ドバイ@アラブ首長国連邦にて墓参※トランジット7時間

8/29(土)70  17:25 帰国関空



船は港にいる時、最も安全であるが、それは船が作られた目的ではない(パウロ・コエーリョ)



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