首相は憲法を解釈する権限を憲法上持っていない
集団的自衛権の問題点
2014.5.16

※追記「立憲デモクラシーの会」声明まとめ(2014.6.10)
※追記2「自民・公明党執行部の事前取引が発覚」(2014.6.25)
※追記3「閣議決定を受けて」(2014.7.4)


ニュースの街頭インタビューで「尖閣のことがあるから集団的自衛権に賛成」とトンチンカンな答えをしている人が後を絶たない。中国から日本が攻撃を受けたときに使うものは個別的自衛権(自身に対する攻撃に反撃)で、当然ながら自衛のために行使可能。
集団的自衛権は、日本がまったく攻撃を受けてなくても、他国同士の戦争で一方に肩入れして「日本も戦争していいよ」というもの(しかも割り込む形だから先制攻撃になる)。全然質の違うものが、賛成派の中でごっちゃになっているし、政府側も誤解されたままの方が都合がいいから、わざと説明せず放置しているように見える。これは大問題。


★「やられたらやりかえす」のは個別的自衛権であり、集団的自衛権は日本が「やられていないけどやりかえす」こと。



【多忙な人のためにパパッと読める、閣議決定の6つの問題点】

安倍氏の言ってることは、とどのつまり『日本の同盟国が攻撃されたら日本への攻撃とみなして開戦する』ということ。“最小限度の反撃”は、日本に先制攻撃を受けた相手にとっては開戦と同じ。
憲法のどこをどう読んでも、第9条がこんなものを認めているわけがなく、だからこそ、集団的自衛権の容認派でさえ、「行使するならまず憲法改正を」と、国民投票で改憲するよう運動してきた。

《閣議決定の6大問題》

(1)法治国家の否定
安倍氏は国家の最高法規である憲法を、首相のさじ加減ひとつでどうにでも解釈できるという前例を作ってしまった。ほぼすべての憲法学者が違憲と言っているのに、全部無視して閣議決定を強行した。
自衛隊発足から60年間、歴代首相も、そして“法の番人”内閣法制局も、ずっと「行使できない」といってきた集団的自衛権を、いち内閣が「できる」としたことは、戦後日本の憲政史上、最悪の汚点だ。

(2)徴兵制の危険(大袈裟でなく)
少子化を反映し、今でさえ自衛隊員の募集は苦労している。隊員たちは日本の領土を守るために志願して入隊したのに、日本を攻撃していない相手にこっちから武力を行使し、しかもそれで自衛隊に犠牲者が出たら、入隊希望者が激減するのは目に見えている(イラク派遣時には自衛隊を辞めた人間も多いと聞く)。
そうなると、綺麗事を言っておられず、組織を維持するために徴兵制をとらざるを得なくなる。ふうや他の子を戦地に送るなんて冗談じゃない。

(3)日本人に安全な場所はなくなる
前述したように、日本が集団的自衛権を行使すれば100%先制攻撃になるため、相手国の人々は「卑怯な日本」に強い恨みを抱くようになる。そして“正当な報復”として日本人は海外にいても国内ににても殺害の対象となる。アフガン・イラク戦争に参戦した国は、スペインでもイギリスでも、国内で大規模テロが起きた。
今、日本人はどこにいっても歓迎される。平和国家であり、技術立国であり、真面目な国民性から好感をもたれている。それが、紛争国の一方に肩入れすることで、相手国の陣営すべてから憎まれてしまう。

(4)同盟国も過ちを犯す
イラクで大量破壊兵器が見つからなかったように、同盟国が常に正しいとは限らない。アメリカは神ではない。

(5)秘密保護法というベール
内閣が開戦を決めた際に、その選択が正しいかどうかを国民が検証しようにも、国防に関することはトップシークレットで何も分からない。そして歴史が証明しているように、間違いなく、政府に都合の良い情報ばかり出てくる。日本は秘密保護法の施行前の今でさえ、いまだにイラク戦争の後方支援の功罪を検証できていない。

(6)憲法第98条、及び第99条違反
憲法第98条「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」
憲法第99条「天皇または摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」



『街頭にて』(防空ミサイル部隊所属・元自衛官/泥 憲和)※“超”説得力を感じた元自衛官さんのスピーチ!

突然飛び入りでマイクを貸してもらいました。集団的自衛権に反対なので、その話をします。私は元自衛官で、防空ミサイル部隊に所属していました。日本に攻めて来る戦闘機を叩き落とすのが任務でした。
いま、尖閣の問題とか、北朝鮮のミサイル問題とか、不安じゃないですか。でも、そういったものには、自衛隊がしっかりと対処します。自衛官は命をかけて国民をしっかり守ります。そこは、安心してください。
いま私が反対している集団的自衛権とは、そういうものではありません。日本を守る話ではないんです。売られた喧嘩に正当防衛で対抗するというものではないんです。売られてもいない他人の喧嘩に、こっちから飛び込んでいこうというんです。それが集団的自衛権なんです

なんでそんなことに自衛隊が使われなければならないんですか。縁もゆかりもない国に行って、恨みもない人たちを殺してこい、安倍さんはこのように自衛官に言うわけです。君たち自衛官も殺されて来いというのです。冗談ではありません。自分は戦争に行かないくせに、安倍さんになんでそんなこと言われなあかんのですか。なんでそんな汚れ仕事を自衛隊が引き受けなければならないんですか。自衛隊の仕事は日本を守ることですよ。見も知らぬ国に行って殺し殺されるのが仕事なわけないじゃないですか

みなさん、集団的自衛権は他人の喧嘩を買いに行くことです。他人の喧嘩を買いに行ったら、逆恨みされますよね。当然ですよ。だから、アメリカと一緒に戦争した国は、かたっぱしからテロに遭ってるじゃないですか。イギリスも、スペインも、ドイツも、フランスも、みんなテロ事件が起きて市民が何人も殺害されてるじゃないですか
みなさん、軍隊はテロを防げないんです。世界最強の米軍が、テロを防げないんですよ。自衛隊が海外の戦争に参加して、日本がテロに狙われたらどうしますか。みゆき通りで爆弾テロがおきたらどうします。自衛隊はテロから市民を守れないんです。
テロの被害を受けて、その時になって、自衛隊が戦争に行ってるからだと逆恨みされたんではたまりませんよ。だから私は集団的自衛権には絶対に反対なんです。安部総理はね、外国で戦争が起きて、避難してくる日本人を乗せたアメリカ軍の船を自衛隊が守らなければならないのに、いまはそれができないからおかしいといいました。みなさん、これ、まったくのデタラメですからね。日本人を米軍が守って避難させるなんてことは、絶対にありません。そのことは、アメリカ国防省のホームページにちゃんと書いてあります。アメリカ市民でさえ、軍隊に余力があるときだけ救助すると書いてますよ
ベトナム戦争の時、米軍は自分だけさっさと逃げ出しました。米軍も、どこの国の軍隊も、いざとなったら友軍でさえ見捨てますよ。 自分の命の方が大事、当たり前じゃないですか。そのとき、逃げられなかった外国の軍隊がありました。どうしたと思いますか。軍隊が、赤十字に守られて脱出したんです。そういうものなんですよ、戦争というのは。安倍さんは実際の戦争のことなんかまったくわかってません。絵空事を唱えて、自衛官に戦争に行って来いというんです。自衛隊はたまりませんよ、こんなの。
みなさん、自衛隊はね、強力な武器を持ってて、それを使う訓練を毎日やっています。一発撃ったら人がこなごなになって吹き飛んでしまう、そういうものすごい武器を持った組織なんです。だから、自衛隊は慎重に慎重を期して使って欲しいんです。私は自衛隊で、「兵は凶器である」と習いました。使い方を間違ったら、取り返しがつきません。ろくすっぽ議論もしないで、しても嘘とごまかしで、国会を乗り切ることはできるでしょう。でもね、戦場は国会とは違うんです。命のやり取りをする場所なんです。そのことを、どうか真剣に、真剣に考えてください。
みなさん、閣議決定で集団的自衛権を認めてもですよ、この国の主人公は内閣と違いますよ。国民ですよ。みなさんですよ。憲法をねじ曲げる権限が、たかが内閣にあるはずないじゃないですか。安倍さんは第一回目の時、病気で辞めましたよね。体調不良や病気という個人のアクシデントでつぶれるのが内閣ですよ。そんなところで勝手に決めたら日本の国がガラリと変わる、そんなことできません。
これからが正念場です。だから一緒に考えてください。一緒に反対してください。選挙の時は、集団的自衛権に反対している政党に投票してください。まだまだ勝負はこれからです。戦後69年も続いた平和を、崩されてたまるもんですか。しっかりと考えてくださいね。ありがとうございました。(リンク元※拡散希望とのことです)


安倍氏は憲法を正式な手続きで改正せずに、強引に解釈を捻じ曲げて集団的自衛権を行使しようとしている。
集団的自衛権とは『日本が攻撃されていないにもかかわらず、アメリカ(同盟国)が攻撃されたら相手国に反撃する』というもの。相手国にすれば攻撃対象でなかった日本側から先制攻撃を受けることになる。これまで歴代内閣は、憲法第9条で戦力不保持が規定されても自衛隊を持っていることについて、「憲法は自衛権を否定してない」と自衛のための軍備を整えてきた。
また、憲法第13条は国民の幸福追求権の尊重をうたっており、侵略された時に国家が国民を見殺しにしないために自衛隊を保持してきた。このような背景から、歴代内閣も大半の憲法学者も、他国の領土、領海で自衛隊が攻撃を行うことを禁じてきた(厳密にはイラク戦争で米艦船に給油したり、フル装備の米兵を航空自衛隊がバグダッドに運んでいたのは、軍事行動に参加しているのも同然だけど、少なくとも目の前の敵に引き金は引いてなかった)。

1954年の自衛隊発足以来、60年間も「武力行使を受けた時にそれを排除するための必要最小限度の実力の行使は可能」としてきたものを、「自分が武力攻撃を受けてなくても攻撃可能」と変更するのは、日本という国のあり方を激変させるものであり、少なくとも憲法の改正は絶対条件だ。安倍内閣(というより安倍氏)が、独断で解釈できるような軽いものではない。
僕はこの間、様々な憲法学者、元防衛官僚などの意見に目を通してきた。最も多く見られた意見は次の2つ。
(1)解釈改憲は“法の支配”の否定であり認められない。正々堂々と改憲を提案して国民投票にかけるべき(保守改憲派ですら法律専門家はこの意見が大半)。
(2)仮に中国が尖閣問題で日本を攻めてきた場合は、普通に「個別的自衛権」の対象であり憲法を改正する必要はない。
そればかりか、14年5月15日に安倍氏自ら国民に向けて行った集団的自衛権の行使容認を求める説明は、自衛隊イラク派遣に第一線で関わった元防衛官僚の柳澤協二氏がNHKや民放の討論番組で「最も集団的自衛権の事例として的外れな内容」と言っていた。

  

安倍氏は赤ちゃんや少女が米艦船に乗っているパネルを持ち出し、“この船が攻撃されるのを見ているだけでいいのか”と訴えた。これについて柳澤氏は「こんな事態にはならないし、もしそうなったら官邸の危機管理の大失態」という。その理由→
(1)ある国から攻撃を受ける場合、その前に敵国が部隊を集結させ、燃料を集め、弾薬を補給するという大きな動きが出る。これは必ず分かるし、そのために自衛隊、防衛省はずっと情報能力を蓄積してきている。逆にそんなことも分からないようでは、そもそも何の為に税金を使って仕事をしてきたのかということになる。
(2)それゆえ、情勢が緊迫した時点で、外務省は不要不急の渡航は控えるように勧告を出す。次の段階で「退避勧告」を発令。この段階ではまだ民間機が飛んでいる。民間のエアラインが何便も飛んでる間に殆どの人を引き上げさせる。戦争になれば民間人は作戦の邪魔になるため、軍事的観点から言っても早くど民間人をどかしておかなくていけない。
(3)最後に大使館員が残ったとして、常識的には米軍の輸送機など飛行機で退避するのであって、艦船に乗るなんてあり得ない。
(4)退避させるにしても、まずは弾の飛んでこない比較的安全な所に避難して頂き、ある程度状況が落ち着いてから運ぶのが鉄則。
(5)安倍氏が見せたパネルのような、邦人を載せた米艦船を自衛隊が守らなければいけないような事態は、官邸の危機管理の大失態ということになる。
動画の中で、柳澤氏は安倍氏のパネルを「個別的自衛権や警察権で対応でき、集団的自衛権はいらない典型的なケース」「非現実的な想定で国民の情に訴えている」と説明している。

【追記】「ワシントンなど米国本土を狙った場合は北極方面に向けて発射されるので日本上空を通過しない」(辻元清美議員)。
【追記2】2014年6月16日の朝日新聞スクープ「有事に際し“米艦で邦人救出”を米拒む 過去の交渉」。→1997年に日米両国は、「日米防衛協力のための指針」(1978)を改定する際、朝鮮半島有事で日本が米軍を支援する見返りとして、避難する日本人を米軍が運ぶ「非戦闘員救出作戦」(NEO)を協力分野に加えることで合意。対日協力の目玉になるはずだった。しかし98年にガイドラインに基づく協力内容を定める周辺事態法をつくる際、米側の強い意向で「非戦闘員救出作戦」はメニューから外された。米軍が海外の自国民らを救出・保護する作戦では、国籍による4段階の優先順位があり、米国籍、米国の永住許可証の所有者、英国民らが優先で、日本人は最後の『その他』に位置づけられている。首相ら政府は年内に集団的自衛権の行使容認を決める前提で、米国とガイドラインの再改定交渉に臨む方針だが、政府関係者は「再改定の主要なテーマにも邦人救出は入っていない」。

これまで日本政府は、自衛権発動のための3要素を次のように定めていた。
(1)日本に対する急迫不正の侵害がある
(2)それを防ぐ為の他の手段がない
(3)必要最小限度の実力行使にとどめること
この3つの要件を満たさなければ、個別的自衛権であっても武力行使できなかった。安倍氏は「集団的自衛権になっても必要最小限度の実力行使は変わらない」と言う。言葉のレトリックで“必要最小限度”と聞けば受け入れやすくなるけど、日本に対する武力攻撃を排除するための必要最小限度の攻撃(個別的自衛権)と、アメリカに対する武力攻撃を排除するための必要最小限度の攻撃(集団的自衛権)は、同じ「必要最小限度」という言葉でも規模がまったく違う。アメリカを守るための必要最小限度など想像もつかない。しかし安倍氏はそこに触れずに「必要最小限度」という言葉を使っている。安倍氏は“行使を容認できるケース”について「放置すれば日本の安全に重大な影響が及ぶ場合」と定義したが、これだってあまりに漠然としており、解釈のしようで何だって当てはまる。

僕たち国民が想像する必要があるのは、安倍氏が用意したあのパネルの次に、どんなパネルが待っているかということだ。あのパネルは始まりの1枚でしかない。2枚目は戦争に突入する絵だ。殺し、殺される絵。そして戦争は始めることより終わらせることの方が難しい。3枚目は泥沼化。憎悪の連鎖で国内では爆破テロ。恐ろしいことに、日本海側に原発がズラリと並んでいる。4枚目は…兵器が前大戦より強力化している今、これがバラ色になっているとは思えない。

戦前、護憲運動で活躍し「憲政の神様」と呼ばれた犬養毅首相。軍部の満州侵略に反対し、日本は中国から手を引くべきとの持論をもっていた犬養首相は、満州国樹立から2ヶ月経っても政府の満州国承認には慎重だった。そして1932年5月15日、海軍急進派の青年将校らは総理公邸に乗り込み、「話せばわかる」と語りかける犬養首相を「問答無用」と射殺した。駆けつけた家人に犬養首相が最期に言ったのは「今撃った男を連れてこい。よく話して聞かすから」。過去に軍部の暴走を止めようとした原敬首相、浜口雄幸首相も右翼にテロで殺害されており、ついには首相公邸に軍人が乗り込んでの射殺。軍部に逆らえば首相でさえ殺害される…護憲派は震え上がり、軍部の発言権が一気に増した。事件の11日後、海軍大将・斎藤実が首相となって政党政治は終焉。満洲国承認決議案が全会一致で可決された。1945年の敗戦まで13年間政党政治は復活しなかった。裁判所は軍部に甘く、実行部隊の軍人は首相暗殺犯にもかかわらず、死刑ではなく禁固15年となった。この軽い判決が、「クーデターをしてもたいして罪にならない」と軍部を増長させ、4年後の二・二六事件に繋がっていく。そして日本は戦争の泥沼へ。
2014年5月15日、安倍氏は会見を開き、『日本が直接攻撃されていなくても、自衛隊が海外で戦闘可能』となる集団的自衛権について、憲法改正も国民投票もせずに、安倍氏が「憲法“解釈”で認めていきたい」と説明。国会軽視ぶり、憲法軽視ぶりが、ここに極まった。
そもそも、憲法は権力=政府を縛るものなのだから、縛られる側が解釈を変えたらいけない。例えば、憲法第14条「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」も、第29条「財産権は、これを侵してはならない」も、これは“国民が政府に対して命じている”ことだ。そして第9条は国民が国に戦争をさせないと決めた規定。首相には憲法を自由に解釈する権利はない。もし首相が勝手に解釈できるなら、首相が代わる度に恣意的に利用される。安倍氏はこの最も基本的な部分を理解していないように見受けられる。

NHKが最悪なのは、安倍氏に“集団的自衛権容認”の報告書を出した「安保法制懇」のことを、まるで「政府の公式諮問機関」のごとく報道している点だ。「安保法制懇」は(1)政府の審議会ではなく首相個人の私的諮問機関(2)メンバー全員が安倍氏の“お友だち”で集団的自衛権オール容認派(3)「法制懇=法的基盤の再構築に関する懇談会」という名称なのに、法学部出身の憲法学者が一人もいない(4)国のあり方が根っこから変わる話なのに議事録もなく、会合は6回だけ、全部出来レース。メンバーも報告書も何ら権威がないのに、NHKは全くそこに突っ込まず「有識者」「安保法制懇が提出」と説明するばかり。
この事態に改憲派の憲法学者(小林節・慶応大学教授ら)でさえ、「解釈による改憲は法律上許されない。集団的自衛権を容認するなら堂々とルールに従って改憲せよ」と主張している。首相が自由に憲法を解釈できるなら、国会などあってないようなものだ。82年前の5月15日は、政党政治が終わるきっかけとなった日。後世の人々が歴史を振り返った時に、昨日の会見を「平成の五・一五事件」と呼ばないようにせねば。

【結論】憲法の解釈が時の政権の意向で変更されてはたまらない。政策の安定性も損なわれる。郵政民営化の際、小泉氏は解散・総選挙に踏み切って国民に信を問うた。戦争に至る可能性がある集団的自衛権が、郵政民営化より軽い事案とは思えない。安倍氏がどうしても集団的自衛権を行使したいなら、集団的自衛権をテーマに「解散・総選挙」を実施すべきだ。そして憲法改正の国民投票も。中国や北朝鮮が脅威なら、個別的自衛権で対応できる。どうしても集団的自衛権が必要なら、最低でも行使は“日本領海のみ”という地域条項を作れ(さもないと中東に狩り出される。安倍氏が「中東派遣はない」と言っても、後の政権が判断を変えない保証はない)。こんな解釈改憲を許しては民主主義の汚点になる。「内閣総理大臣は憲法を解釈する権限を憲法上有していない」(大浜啓吉/行政法学者)。
※推薦動画『集団的自衛権を考える超党派の議員と市民の勉強会』※元防衛官僚・柳澤協二氏の講演。ホント分かりやすい。容認派の人にこそ見て欲しい。

【追記〜メディアは権力から離れろ】
今回の集団的自衛権についての首相会見関連ニュースで、最も脱力し、また怒りにとらわれたのは、安倍氏が会見を行ったまさにその日(5/15)の夜、NHK、毎日新聞、朝日新聞、時事通信の幹部が安倍氏と会食していたことだ(読売、産経がいないのは最初から調略の必要がないからか)。欧米のメディア幹部は政権トップと食事なんかしない。読者に中立を疑われるし、権力に尻尾を振ってたまるかというプライドがある。だが、安倍氏は会見の約2時間後、午後8時から10時まで西新橋のすし店「しまだ鮨」で、朝日新聞の曽我豪編集委員、毎日新聞の山田孝男特別編集委員、時事通信の田崎史郎解説委員、島田敏男NHK解説委員らと会食をしている。この島田敏男NHK解説委員は秘密保護法の時も会食しており、あまりに権力に近すぎる(なんと今日のNHK『日曜討論 集団的自衛権』の司会が島田解説委員!)。ほんと、この辺のメディアと権力のズブズブから改革しないとどうにもならん。(リンク「首相動静watcher」から)

/海外の報道機関の独立性については、このブログ記事『英BBC、時の政権と距離を置くよう腐心〜運営の仕組みと具体例を見る』が詳しい。英国で国営放送BBCが政権批判を堂々と行えるのは、「報道の不偏不党が法律で規定されている上に、新聞、ネットも含めたメディア及び社会全体で報道組織の独立性を重要視する認識が確立しているためだ」とのこと。中でも注目したのがアルゼンチンとのフォークランド紛争(1982)のこと。“大衆紙が愛国主義的報道を行う中、BBCのニュース番組「ニューズナイト」の司会者は国防省の情報を「英国側(の情報)を信頼するとすればだが」と表現。「わが軍」ではなく「英国軍」と呼ぶなど、距離を置く言葉を使った。大衆紙サンは政府の情報を信じない司会者がいるBBCを「裏切り者」と呼び逆風を吹かせたが、BBCは方針を変えなかった”。脱帽。


2014年6月9日、保守とリベラルの垣根を越えた学者たちによる「立憲デモクラシーの会」が集団的自衛権容認に反対する声明を出した。会見を開いたのは、小林節(慶應義塾大学名誉教授・憲法学)、阪口正二郎(一橋大学・憲法学)、杉田敦(法政大学・政治学)、中野晃一(上智大学・政治学)、山口二郎(法政大学・政治学)、千葉眞(国際基督教大学・政治学)、西谷修(立教大学・思想史)、小森陽一(東京大学・日本文学)の8名。
この会見で非常に鋭く、かつ、分かりやすく政府方針(解釈改憲)の危険性・問題点を指摘していた。内田樹氏のサイトに全文が載っているけど、なかなかのボリューム。それゆえ、忙しい方のために要点を整理。
※各教授の声明など、要約にあたって専門用語などを読みやすい言葉に置き換えたり、順番を入れ替えたりしていますが、原文にない意見を僕が拡大解釈して入れるようなことはしていません。基本的に重要箇所の抽出です。
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〔立憲デモクラシーの会:緊急声明〕

(1)内閣の憲法解釈の変更によって憲法9条の中身を実質的に改変する安倍政権の「方向性」は、憲法に基づく政治という近代国家の立憲主義を否定するものであり、「法の支配」から恣意的な「人の支配」への逆行である。
→野党時代の自民はまともなことを言っていた。民主党政権下の2010年、自民党は『月刊自由民主』(2月号)の中で「憲法は、主権者である国民が政府・国会の権限を“制限”するための法であるという性格を持ち、その解釈が、政治的恣意によって安易に変更されることは、国民主権の基本原則の観点から許されない」とはっきり書いている。いわば「立憲デモクラシーの会」の立場は、2010年の自民党の見解と全く同じ。閣議決定による憲法解釈の変更をもし許せば、日本も非民主国家のように『法の支配』ではなく『人の支配』の国になってしまう。

(2)首相が示した集団的自衛権を必要とする事例は、軍事常識上ありえない「机上の空論」である。また、抑止力論だけを強調し、日本の集団的自衛権行使が他国からの攻撃を誘発し、かえって国民の生命を危険にさらすことへの考慮が全く欠けている点でも、現実的ではない。
→日本が米軍を守る為に集団的自衛権を行使して武力攻撃を一緒に行えば、相手側に「日本は戦争を仕掛けた」と解釈される。当然、報復があり、結果的に全面的な戦争参加につながり、かえって国民を危険にさらしかねないという側面を、安倍氏は意図的か、あるいは無知ゆえか無視している。日本海沿岸には多数の原発があり、通常兵器による戦争は、すなわち、核戦争を意味する。そのような脆弱な国土を作っておいて、武力攻撃を行うという事をどこまで真面目に考えているのか。※そもそも、米国側は米軍艦船に一般邦人を載せることを過去に断っているし、現在も想定していない。

(3)「必要最小限度」の集団的自衛権の行使など、実戦では困難であり非現実的。
→同盟軍と一緒に戦っている最中に、「必要最小限度を超えた」という理由で日本が単独で戦線を離脱するなど実際には不可能。武力行使の基準が「放置すると我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性がある」という不明確なものであり、集団的自衛権はいったん行使をすれば歯止めがなくるのは明らか。憲法9条の「交戦権の否認」とも真っ向から対立している。

日本は戦後ずっと、多少の政治的な考えや立場の違いはあっても、戦争はやらない、少なくとも外国に軍隊を送って人を殺すようなことはしない、他国を荒らさない、といった枠組みを守ってきた。それをベースに日本は国際貢献をやってきたという実績がある。その60年の努力の積み重ねを、ただひとつの内閣が消し去ろうとしている。
米国がイラクの不都合な体制を壊して、その結果どうなったかといえば、あの国はもはや何十年にもわたって安定的な社会ができないような場所になってしまった。それがまたさらに色々な所に飛び火し、アメリカが20世紀に築いてきた国際的威信の元手がすべて崩れてしまった。それと同じように、日本もこれまで築いてきた信用の原資を実質的に失うことになってしまう。

★小林節(慶應義塾大学名誉教授・憲法学)
集団的自衛権の本質は「同盟国の戦に我が国は無条件で駆けつけて参戦する」。この事が忘れられて、「尖閣諸島は危ないでしょう」「やる事は少しだけだから」「限定的だからいいでしょう」と何か細かな状況論議に変わってしまっている。9条はどう見たって、文言と歴史的背景からいって、海外派兵を厳禁しているとしか読めない
「必要最小限(の武力行使)」という言葉は安全弁のように言われるが、「必要です」といって武力行使が始まったら、無限の安心感を持つまで、「だって必要を感じるから」と歯止めがなくなる。
憲法9条のおかげで、戦後日本が戦(いくさ)働きをしないできたという事は、“こんな大国があるのだ”という、自民党が好きな言葉で言えばユニークな「国柄」になる。私は本当にこの国の国民でよかったと思う。今の世界の中でこんな大国で、武器を振り回さない、我慢強い国民がいるという事がこれからの世界にとってどれほど重要か。この国の「国柄」を捨てることの恐ろしさというか、もったいなさを感じる。

★中野晃一(上智大学・政治学)
自民党が野党時代に採択した平成22年綱領の中に「意に反する意見を無視し、与党のみの判断を他に独裁的に押し付ける国家社会主義的統治とも断固対峙しなければならない」という一節がある。当時は民主党の政治主導というものをそういった形で批判していた。しかし昨年、麻生副首相の“ナチスの手口を見習え”発言があった(麻生氏「(戦前ドイツの)憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」)。正確にはナチス憲法というものは存在せず、ワイマール憲法が全権委任法によって無効化されて、ヒトラーの独裁制が成立したわけだが、麻生氏は日本においても、憲法について法律どころかその前の段階として、閣議決定によって憲法を無効化してしまおうと主張。
しかもそのやり方が、国民をバカにしているようにしか思えない。腹話術師(安倍氏)が人形(安保法制懇)に対して、極端なことを言わせて、そのあとで腹話術師が「そんなことはできないだろう」とたしなめたような形で、あたかも何かが良くなったような形で、とんでもない暴論を通そうとする猿芝居。その意図はハッキリわかっているにもかかわらず、マスコミは猿芝居に付き合っている。これほど政党システムが壊れたことは戦後の日本ではなかった。もし公明党が、腹話術の人形をやらないといえば、今度は維新の会、みんなの党が、人形をやりますよと待っている。
特定秘密保護法が成立したことで、これから安全保障は軍事機密という形で国民の議論から益々遠ざかっていくことが決まっている。その中で、安全保障に関して、政府が武力攻撃を必要と判断したものに対して国民が関わっていく余地はなくなってくる。政府が“巻き込まれる”という形を作り上げ、自衛隊員にもしものことがおきたら、マスコミは勇気を出して批判できるのか。今、これだけの状況でも議論できていないのに、実際に日本人に死傷者が出た時に「そもそも戦うべきでない戦争なのだ」と政権批判がどこまでできるのか。
安倍氏は「限定容認論」という形で、とにかく通してしまえば、トロイの木馬を一頭でも通してしまえば、あとは城壁がないも同然と分かっている。マスコミは猿芝居と知りながら、毎日毎日、どうでもいい議論をとにかく報道し続け、あたかも政権が時間を使って何らかの妥協をしたような形を見せる演出に加担している。まさに、麻生副首相がナチスを引き合いにした憲法の無効化が目の前で行われている。

★阪口正二郎(一橋大学・憲法学)
安倍氏は首相に返り咲いてから、憲法第96条の改憲要件を「3分の2」から「過半数」に緩和しようとしていた。その理由について「国民に憲法を改正するチャンスを与えるためだ」と言っていた。ところが今は、いち内閣が自分たちの考え方だけで憲法解釈の変更によって集団的自衛権の行使を容認しようとしており、明らかに2年前の安倍氏の民主主義論と矛盾している。当時の議論に忠実であれば、国民に意思を問う憲法改正によって行うべきということ以外ないはずなのに、なぜか今回は国民の意見は聞かなくてもいい、内閣の、しかも私が決めればいいのだという話になっている。非常に異常な事態だ。

★千葉眞(国際基督教大学・政治学)の要点。
・欧州にはNATO(北大西洋条約機構)という集団安全保障体制への依存過多が結果的に冷戦を持続してしまったという反省があり、1970年代以降、軍事的な集団保障体制への依存度を弱め、OSCE(全欧安保協力機構)を設立して、各国間に信頼醸成のメカニズムを作り、冷戦構造を克服しようとする試みが始まった。1995年には常設事務局をジュネーブに設置し、OSCEの役割は一段と強化された。これら、対話と信頼醸成のメカニズムを駆使して平和を確保する「非軍事的」な安全保障が米ソ冷戦の終結への一要因となった。現在ではさらに非軍事的な安全保障体制が進化し、「協調的安全保障」が提唱され、カナダ、ニュージーランド、オーストラリア、ASEANなどが、それに基づく手法を採用している。一方、安倍政権がやっている事は、現代の安全保障論からいえば時代遅れもいいところで、中国や北朝鮮を仮想敵国に仕立てあげ挑発しようとしている。日本は非軍事の安全保障を機軸とし、これまでの平和憲法の「非戦」の信用力と信頼醸成を中心にした平和構築外交を推進すべき。
・安倍氏の個人的な諮問機関、安保法制懇の問題点について。この団体は、憲法を骨抜きにし、立憲主義を破壊することに手を貸した。憲法の定める改正手続きを否定し、立憲主義を葬り去ろうとする政権に尻尾を振り、学問的および職業的良心を持つはずの人たちが、それを捨て去ってまで暴挙に加わった。そして、時の政権の支配をやりやすくするために、政権に利用されることを知りながら、その意向に節操を売り渡した。政権と一枚岩になってしまい、政権にお墨付きを与えるだけの御用学者集団に成り果てた。これを徹底的に批判していく必要がある。

★西谷修(立教大学・思想史)
・安倍氏は(靖国参拝など歴史問題で)「向こうが折れないから悪いんだ」と言ってつっぱり、それで「集団的自衛権」で守ってもらおうと、「遠い友だちの戦争を手伝うんだ」といきがっている。その異様さをちょっと考えた方がいい。そんなふうに考えて、そんな振る舞いをする人たちというのは、もうほとんど病理学的な名前がつくような事態だと思う。実際安倍首相が、安保法制懇にしろ、内閣法制局にしろ、NHKにしろ、集めてくる人たちは、我々の社会常識から考えれば、極めて異様な人たち。そこに加わっている学者という人たちも、学会でも極めて特殊な少数派。そういう人たちが国の舵を取り、それを動かそうとしている。それが政府の息がかかっているということで、メディアに、テレビに取り上げられる。それに対して、おかしいといった反応が出てこないことが、今の日本社会の異様さを示している。

★小森陽一(東京大学・日本文学)
安倍晋三という政治家個人の「歴史的使命」のために、総理大臣が国民である自衛隊員の命を人身御供に出していいのか。

★杉田敦(法政大学・政治学)
「立憲デモクラシーの会」は、安全保障についての考え方は違っても、憲法についての考え方が同じならば一緒にやっていくという前提で集まっている。そういう趣旨の会であるにもかかわらず、ここまで安全保障論議をせざるを得なくなったのは、安倍氏や安保法制懇が彼らなりの安全保障論を持ち出すことによって憲法を空文化、無効化しようとしているからに他ならない。法制懇座長代理の北岡伸一氏は「憲法より安全保障のほうが大切であり、憲法なんか道具にすぎない」という言い方をしており、安全保障について、時の政府がフリーハンドで判断できるように憲法上の抑制をすべて外したいと主張している。そういう主張をされると我々としては、「憲法が大切であり、立憲主義をないがしろにすると国家そのものが保たないですよ」と言わざるをえなくなる。
憲法に9条という形で、安全保障を大きく制約する規定が設けられているのは、世界で一般的なやり方ではない。しかし、それこそが、戦後日本が一貫して追求してきたプロジェクトであり、この意義というものを改めて強調せざるを得ない。戦後日本では、戦前から戦中の経験をふまえて、政治に何らかの歯止めを設けないと、政治そのものが破たんしかねないと考えてきた。政治が暴走する危険が大きい。そういう判断のもとに、憲法9条等にある種の歯止めの役割を期待してきた。“それはもう古い”というのが容認派の主張だが、古いというからには政治が自ら武力行使の歯止めになること、その議論ができるということを示して欲しい。
イラク戦争では「サダム・フセインが大量破壊兵器を持っている」というガセネタに基づいて日本も協力した。これについてその後、アメリカではかなり政治的な厳しい議論があり、イギリスでもブレア政権に対して極めて厳しい追及が行われたが、日本では何も行われていない。そして、政治家や政治学者として、イラクへの介入を推進した人々が現在、集団的自衛権行使を進めようとしている。まずは、かつて安全保障について適切な判断ができなかったことの反省をした上でなければ受け容れられない。
現在、容認派は「必要最小限」というレトリックを使ってなんとか突破しようとしているが、この必要最小限という言葉は、戦争のやり方に関する基準「交戦法規」であって、戦争や武力行使をやるかどうかの基準「開戦法規」ではない。これを意図的にごまかして、「集団的自衛権を認めても、めったに手は振り上げません」と印象操作をしている。この「必要最小限」というのは歯止めにはならず、結局、すべて政治家の判断にお任せということになる。北岡氏ら容認派は「政治家は選挙の洗礼を受けるからいいのだ」といった乱暴な議論をするが、泥沼のような戦争に入ってしまった後で、いくら選挙で与党を倒したって取り返しはつかない。まずはイラク戦争の検証を徹底的にやってから、この問題を提起して欲しい。
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以上。第一線の憲法学、政治学者たちの渾身の声明。これから国民としてどうすればいいのか、思索の参考になればとまとめました。



★『自衛権行使「新3要件」公明が原案 自民案装い、落としどころ』(西日本新聞 2014年06月20日)

〔集団的自衛権行使容認の新3要件〕
(1)わが国または他国に対する武力攻撃が発生し、わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがある。
※変更後…密接な関係にある他国への攻撃で、わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある。
(2)他に適当な手段がない。
(3)必要最小限度の実力行使にとどまる。

まったく有権者を馬鹿にした話だ。6/20付けの西日本新聞のスクープによると、6/13に自民・高村正彦副総裁が「叩き台を作ってみた」と公明側に提案した自衛権行使の「新3要件案」は、実は公明党の北側一雄副代表が内閣法制局に原案を作らせ、自民・高村氏に渡したものというではないか!北側氏は「この紙を見たのは初めて」と明言したが、それは大嘘だった。この数日前に公明党執行部が密かに集まり、“まず連立ありき”という政治決断が下され、解釈改憲を受け入れるため自民と公明の「落としどころ」を探ったという。何もかも猿芝居。公明幹部は「元々の文言より歯止めが利くようになった」と言っているが、自分で作った原案に、自分でツッコミを入れているだけ。
公明党執行部は、身内の議員まで騙している。6/17に公明党が開いた会合で、所属議員から「被爆国として個別的自衛権の範囲でやりくりしながら、不戦の誓いを守ってきたのではないか」「政府が示した事例で集団的自衛権が必要だと主張する議員が一人もいないのに、なぜ行使容認の閣議決定案の議論に入るのか」と異論が噴出し、6/19の会合でも「高村試案には地理的制限がない」(中東に自衛隊が引っ張り出される)といった慎重論が相次いだ。その『高村試案』が公明党執行部の「下書き」をベースにしたものであることを公明党の一般議員は知らない。政府筋は「公明党幹部から『まだ騒ぎますけどすみませんね』と言われた」という。つまり、“もうちょっと抵抗するフリをするけどヨロシク”ということ。完全に出来レース。
メディア腐敗が深刻なのは、このカラクリをせっかく西日本新聞が暴露したのに、NHKはニュースで流さないし、リベラル寄りの新聞も不自然なまでにスルーしていることだ。なぜ大手メディアは伝えようとしない!首相動静を調べてみると、西日本新聞がこのスクープを載せた6/20夜、安倍氏は毎日新聞の山田孝男特別編集委員、読売新聞の橋本五郎特別編集委員、福山正喜・共同通信社社長らと会食している。案の定というか、もはやギャグ。マスコミは中立性を保つため、任期中の権力トップと距離をとれ!




●NHKが黙殺した新宿の焼身自殺事件

 

安倍政権が集団的自衛権容認を閣議決定した7/1の2日前、6/29の午後2時すぎ、多くの人で賑わう日曜の新宿駅前で年配の男性が集団的自衛権に反対して焼身自殺を図った。事件の衝撃性もさることながら、このことをまったく報道しなかったNHKの権力ゴマすり姿勢に、怒りを覚えると同時に、NHK会長に安倍氏の友人・籾井氏が送り込まれたことで、ここまで報道の自主性を失ってしまったことに戦慄した。男性がどんな言葉で訴えていたのか詳細を知りたくて、各局のニュース番組を見たものの、NHKは完全に黙殺、テレ朝でさえ事件を短く伝えて終わった。新聞全国紙の内容は、何も伝えていないに等しかった。その中で、次の中日新聞=東京新聞の記事を見つけ、これで少し何が起きたか分かった。
(1)午後1時5分ごろに「男性が橋の鉄枠に乗り、拡声器でしゃべっている。ガソリンの臭いがする」と110番
(2)男性は50〜60代でグレーの背広姿。新宿駅南口前の高さ約20メートルの歩道橋の上に登っており、警察官が下りるように説得
(3)男性は拡声器で「集団的自衛権反対」「70年間平和だった」「政教分離」などと話し、最後に与謝野晶子の反戦詩「君死にたもうことなかれ」の一節を口にした後、ペットボトルに入ったガソリンかぶりライターで火を付けた
(4)全身のやけどで1〜2カ月の重傷
(5)日曜日で多数の買い物客がおり、周囲は一時騒然となった
その後、この男性に関する情報は一切ないまま7/1に安倍氏が集団的自衛権容認を閣議決定した。この箝口令ともいえるメディア規制は、「自殺をセンセーショナルに伝えない」という報道協定によるものといえるが、中国政府の抑圧に抗議してチベットの僧侶が何人も焼身自殺を遂げていることは世界各国で報道されている。つまり、権力を持たない一般市民が政治的メッセージを込めた抗議行動としての自死と、生活苦などによる自死とは、受け止め方が異なるのだ。だからこそ、このニュースは日本の公共放送が伝えていないのに、次のように世界各国を駆け巡った。

・【英BBC】「自衛権解釈変更に抗議し日本人男性が焼身」
Japanese man sets self on fire over military rule change
・【AFP通信】「安倍首相に抗議した東京の男性、焼身自殺図る」
Tokyo man sets himself on fire in protest against Abe
・【ロシアの声】「日本の軍事化に抗議し東京で男性が焼身」
Man in Tokyo sets himself on fire, protests Japan's militarization
・【アルジャジーラ】「日本で男性が抗議の焼身自殺図る」
Tokyo man sets self afire in apparent protest
・【ロイター通信】「自衛権解釈に抗議し男性が自分に火をつける」
Man sets himself on fire in Japan in defense protest: witnesses
・【AP通信】「抗議か、東京で男性が自分に火をつける」
MAN SETS SELF AFIRE IN TOKYO IN APPARENT PROTEST

ネットをやらず、NHKしか見ていない人であれば、この事件があったことさえ知らないだろう。コチラのブログでは、抗議の焼身自殺を報道しない日本のマスコミを『ドイツなど各紙が批判』として内容を紹介している。
★『ドイツ紙がこぞってNHKの集団自衛権抗議の焼身自殺報道の欠落を指摘』
(引用開始)日本の諸メディアは、極端な遅滞でこの驚くべき事件に取りかかっている。公共放送のNHKにいたっては、19時の主要ニュースで事件を全く報道しなかった。理由は判らない。ところが、はっきり判っていることは、この放送の新会長が就任時に、放送では政府批判をしてはならないと述べたことだ。
この氏名不詳の抗議者が対抗しようとする新しい安全保障政策は、安倍晋三首相の長年の主要なプロジェクトである。これは何十年も効力を持った日本の安全保障政策の柱を倒すことと同じなのである。焼身自殺は日本では非常に稀である。にもかかわらず公共放送のNHKは19時の主要ニュースで報道をあきらめている、すなわち事件から5時間後にである。この放送の中立性については、ここ数ヶ月間に疑いが増加ししつつある。ここ半年間、安倍首相によって個人的に選ばれた人物によって指導されているのである。(引用終わり)
僕らは日本で起きている様々な出来事が知りたくて、NHKに受信料を払っている。政権に都合の悪いことを報道しないのであれば、公共放送の看板を外して政府広報局に名前を変えればいい。日本より人権意識の高い欧州メディアが、この自殺報道を伝えているのはなぜなのか考えて欲しい。
僕は抗議の自殺を美化したい訳じゃない。同じ国に生きる者として、閣議決定の前に命を絶つという究極の方法を選んでまで抗議した男性がいた、その事実を知っておくべきと思うんだ。報道がなければ何も分からない。命を賭して閣議決定に反対した国民がいても、国民への説明を尽くしたと考えているのか、議論不足と言えないのか、自公議員の心に問いかけたい。

【追記】7/8になってようやく東京新聞が続報を伝えた。男性は埼玉在住で63歳。目撃者が聞いた証言では、「70年間平和だった日本が本当に大好きでした。集団的自衛権で日本が駄目になってしまう」と訴えていたとのこと。男性のスピーチは1時間あった。どうして「日本が駄目になる」と考えるのか、もっと語っていたはず…。

【追記2】次のことは書くだけで気持ちが滅入るんだけど、書かなきゃもっと酷い世になりそうだから記す。自民党(北海道)・道民会議の小野寺秀(まさる)道議(50)が、ツイッターで男性が焼身自殺を図ったことについて「死にきれず多大な方々に迷惑をかけた愚行」「公衆の場での迷惑極まりない行為」とバッシング。「公衆の場での迷惑極まりない行為」なんて、中国共産党政府が、チベット僧に浴びせる侮辱発言と同じ内容だ。それに“死にきれず”という批判は、つまり死んだ方がよかったということなのか。
小野寺道議は発言を批判されるとツイッターにこう書いた「余計なお世話です。これでも10年以上道議で、ずっとこの姿勢でトップ当選ですから」。また、“ツイッター上で人を小馬鹿にするようなリプを返しているけれども、選挙の時も有権者に対して同様な言い方をするのか”に対しては「全く同じですのでご心配なく」。右派とか左派とか関係なく、1人の人間が死を選んだことに何か感じないのか。しかも相手はずっと年上の男性。なんでこう高飛車になれるのか分からないし、何年もトップ当選ということが不条理に感じた。ちなみに選挙区は帯広。



2004〜06年まで内閣法制局長官を勤めた阪田雅裕氏(70)のコメントが、問題点を非常に分かりやすく説明。
→「集団的自衛権の行使を認めていない現在の憲法解釈は、内閣法制局が勝手に考えたわけではありません。吉田茂内閣以来、歴代の首相が一貫して言い続けてきたことです。 (略)自衛隊はなぜ「自衛隊」なのか。読んで字の通り、実力行使が認められるのは自らの国に武力攻撃があった場合に限られます。外国に出かけていって戦争に加わるようになれば、他国の軍隊と変わりません。政権が本気でそれを目指すのであれば、「日本は平和主義をやめる」と国民にはっきり言うべきです。行使を認めようとする人たちは「(同盟国が)殴られているのに助けないのか」と言いますが、殴られているんじゃなくて、他の国が勝手に殴り合いをしているわけです。仲裁することはあってもどちらか一方に味方する行為を、日本の国民は望むでしょうか。「解釈改憲」や「限定容認論」という言葉から、100%の平和主義を90%に緩めるだけで「九条はちゃんと残る」と思っている人も多い。でも、違います。解釈を変えたらすべてを失うことになる。オール・オア・ナッシングだと理解してほしい。
改憲に必要な国民投票で過半数の賛成を得る自信がないからといって、九条の解釈を一方の理論で変えてしまうのは政治の王道ではない。政治的に数が多ければ解釈すら自在に変えられるという考え方は、立憲主義の否定です。 解釈を変えるなら、合理的に説明できるものでなければならない。安倍さんがしようとしていることは、その矩(のり、範囲)を超えています。(元記事




●小林よしのり氏といえば、リベラル側から見ればいわゆるネット右翼の生みの親であり、僕はずっと氏に対して批判的だった。しかし、2014年5月8日の時事通信に載った氏のインタビューを読んで、かなりの部分で意見が合い驚いた。氏は今も保守なんだろうけど、明らかに安倍・田母神系とは異なるように感じた。時事通信のリンク先はそのうち消えるため、以下に転載保存。
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『行使容認は危険−漫画家小林よしのり氏・集団的自衛権を問う』

−集団的自衛権行使容認の議論をどうみる。
極めて危険だ。間違いなく米国と一緒に侵略戦争をすることになる。限定的容認論もうそっぱちで、地球の裏側で自衛隊が戦争することに国民も気付いてない。

−もともと反対だったのか。
アフガニスタン・イラク戦争から問題があると思い始めた。日本はイラク戦争の総括をしていない。大義だった大量破壊兵器はなく、実際には侵略戦争だった。北朝鮮の脅威があるから米国と戦うと言ったが、逆に危機は増している。イラクに行った当時の陸自隊長(佐藤正久参院議員)は他国軍に守られて活動するのは屈辱的だと言うが、自衛隊のメンツのために議論しているのではない。わしは護憲派ではないし、憲法9条もおかしいと思うが、改憲しても米軍の戦争に付き合うのは全く了承できない。

−安倍政権はケースを分けて行使容認を想定している。
日本の護衛艦と米艦が公海を並んで航行している時に米艦が先に攻撃を受けるのは、絶対あり得ない。そんな異常な設定で議論を急ぐ理由は、中国に対する恐怖しかない。尖閣諸島国有化以降の軍事的な挑発が怖くてしょうがないから、米国に守ってほしいというのが一番の理由だろう。

−小林さんの著作を読み、自衛隊に入隊した若者もいる。
自衛隊員は優秀だし、日本のために命令があればどこでも行くという覚悟は立派だ。だからこそ無意味に、簡単に殺せないし、死地に追いやれない。自国防衛で亡くなったら英雄として扱えばいい。でも、侵略のレッテルがはられる戦争で亡くなるのはかわいそうだ。

−解釈改憲については。
閣議決定での解釈改憲は筋がおかしい。日本では「誰が政治をやっても同じ」というニヒリズムが(安倍晋三首相の)独裁につながっている。民主主義が機能していない。

−中国との緊張は高まっている。
尖閣国有化で、日中のチキンレースが始まり、いつ戦争が始まってもおかしくない。首相が靖国神社に参拝するのは原理原則だが、この状況ではまずい。時局は変わる。何が国のためになるかをその都度考えるのは疲れる作業だ。みな原理主義に陥っているが、状況が変われば戦略も変えないといけない

−ナショナリズムの大切さを訴えてきた。
新しい歴史教科書をつくる会の活動などでナショナリズムを復活させたが、排外主義に流れてしまった。嫌韓、反中の排外主義には将来がない。いくら憎んで怖がっても、日本列島は朝鮮半島、中国とあまりに近い。憎むと最後は戦争しかなくなる。(アジアが連帯して欧米に対抗する)大東亜主義の理念をよみがえらせないとだめだ。

−「自主防衛」を主張してきたが、何が必要か。
日米安全保障条約による「日米安保体制」という言葉がいつの間にか「日米同盟」にすり替わった。安保条約の第1条は国連中心主義をうたっているが、米国は気に食わない。一度、日米安保に戻る必要がある。侵略戦争をしないために建前でも国連中心主義は必要。個別的自衛権を強化して、自国防衛で最大限戦えるようにする。憲法改正するにしても、「侵略戦争はしない」という一文が絶対に必要だ。(以上)

※まさかウチのサイトで小林氏のインタビューを肯定的に取り上げる日が来ようとは。もちろん、対立するよりも共闘できた方が良い。保守勢力も安倍・竹中の新自由主義者と、旧来の日本社会を大切にする保守と、かなり分かれ初めて来た印象。


●民主党の辻元清美議員は、保守サイドからすこぶる評判が悪い。社民を抜けたことでリベラル側でも嫌っている人がいる。だけど、辻元議員がブログに出した声明『安倍総理が示す集団的自衛権行使の事例に反論します』(2014.5.27)は、とても分かりやすく問題点を突いており、保守サイドからも評価する声が。以下に抜粋&紹介。

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5月15日、安倍首相は「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の報告書を受けて、憲法解釈による「集団的自衛権の行使容認」について、官邸で記者会見を行いました。

私は、この記者会見を見て「国民を欺いている」という怒りと共に、得意げにパネルを使って説明している安倍首相の姿を、これが「一国の総理大臣」のすることか、と情けなくなりました。
それは、安倍首相が示している具体的な「危機」の事例があまりにも現実とかけ離れ、国民の生命と財産をさらに危険にさらすのではないか、と考えるからなのです。

以下、具体的に反論します。

事例1)
「紛争国から逃れようとしているお父さんやお母さんや、おじいさんやおばあさん、子どもたちかもしれない。彼らの乗っている米国の船を今、私たちは守ることができない」と、母親が乳飲み子を抱いて紛争地から米国艦船で脱出しようとしている様子を描いたパネルを指して訴えました。

<反論1>
紛争が起こった場合、一般的には各国艦船は民間人を乗船させません。民間の船や飛行機に輸送を要請します。
軍の艦船は「敵」からの攻撃の標的になる可能性が高いため、民間人が巻き添えになる。避難民に化けたテロリストが乗り込んでくる可能性もある。安倍首相はこのような紛争地での軍事的常識をご存じないようです。「子どもやお母さんを助けられない」と国民感情に訴える「物語」で国民に納得させようという意図が透けて見えます。


事例2)
他国に向けて撃たれたミサイルを日本が撃ち落とすことは集団的自衛権の行使にあたるためできない、これが歴代内閣の判断でした。ところが、安倍首相は「米国に向けて撃たれたミサイルを日本が撃ち落とすために集団的自衛権の行使を認めるべき」と主張しています。

<反論2>
仮に朝鮮半島などから米国本土に向けてミサイルが打たれたとしても、日本からそのミサイルを撃ち落とすことは技術的に不可能です。そもそもワシントンなど米国本土を狙った場合は北極方面に向けて発射されるので日本上空は通過もしない。技術的に不可能なことまで持ち出して、集団的自衛権を認めさせようとしているのは噴飯ものです。


事例3)
「日本のタンカーなどが航海する海域(ペルシア湾など)に撒かれた機雷の除去を日本の掃海艇が戦火の中でもできるようにしないと原油が止まる」と危機感を煽っています。

<反論3>
戦闘継続中の機雷除去は、戦闘行為の一環と見なされ、相手国に宣戦布告したことになります。また機雷除去中の掃海艇が新たな攻撃のターゲットにされるので、機雷の除去は戦闘が収まってから行う場合が多い。湾岸戦争でも、戦闘中に機雷の除去作業を行ったのは米・英・サウジアラビアのみでした。
そして現状でも停戦協定さえ結ばれれば、「遺棄機雷」の除去として自衛隊の派遣はできるのです。集団的自衛権の憲法解釈を変えてまで、戦闘中に掃海艇を派遣する必要性はありません。


事例4)
「世界の平和のためにまさに一生懸命汗を流している若い皆さん、日本人を、自衛隊という能力を持った諸君がいても守ることができない」と海外でのNGO活動を例に挙げて安倍首相は訴えました。

<反論4>
安倍首相のこの発言に対して、紛争地で活動するNGOが反発をしました。その理由は、自衛隊など軍隊と行動を共にすると攻撃の対象になって危険度が高まるからです。
私はカンボジアで活動中に目の前で発砲されたことがあります。カンボジア人スタッフのとっさの判断で難をのがれました。この時、もし自衛隊が一緒だったら銃をかまえたと思います。そこから撃ちあいに発展するのです。
ですからNGO活動の現場では、自衛隊などと行動することは、守ってもらうというよりも、むしろ危険を引き寄せると言われています。これは世界のNGOの常識です。この問題点は何回も国会で取り上げてきました。安倍首相は不勉強はなはだしいと言えます。


事例5)
「近隣諸国の戦争に参加する米軍艦船への攻撃に自衛隊が応戦しなければ、日米同盟の信頼が揺らぐ」と安倍首相は言っています。

<反論5>
日本が攻撃されていないのに、米軍が攻撃されたからと日本が応戦するということは、相手国から見れば、一方的な宣戦布告に取られます。そうなれば、日本への反撃を開始され、ミサイルで原発(特に福島第一原発)を攻撃されたら、日本は壊滅状態になります。米軍艦船を助けるのだと一発の応戦で「日本沈没」になりかねないのです。果たして、日本の原発で弾道ミサイル防御が配備されている原発なんてあるでしょうか。
日本は原発という「核の不発弾」を何発も抱えているのですから、戦争に巻き込まれることは絶対に避けなければならないのです。
集団的自衛権というのは、かつてアメリカが南ベトナム政府に対して行使したのが典型的なように、小国の紛争に大国が介入するために使われてきました。当時、遠いアメリカ本土がベトコンに攻撃される危険はほとんど皆無だったはずです。しかし、安倍首相が前提にしているのは日本の近隣で起きた紛争です。正当化させてしまった相手国の報復が容易なのです。
さらにいうと、戦争のカタチも変わってきています。イラク戦争のあと、武力攻撃に積極的に参加した英国で、どれだけテロが横行したか。
「子どもたちを守る」どころか、原発を攻撃されて日本の半分に人が住めなくなるようなリスクや、テロで安心して電車にも乗れなくなるようなリスクを、一国の総理がニコニコ笑いながら押し付けようとしているのです。
安全保障というもっともシビアな議論を、「理」でなく「情」でやろうとしているのが許せないのです。しかも、戦闘で殺し殺されるのは、自衛隊の若者です。
そして、大国がしかける戦争に加担してこなかったからこそ、アフガン戦争後のタリバンの武装解除などで日本が優れた国際貢献ができたのです(彼らは、もし米軍に武装解除を求められても、信用して武器を手放さなかったでしょう)。

どうでしょうか。安倍首相が「限定的ならいいでしょう」と出してきた事例は、「国民を守る」のではなく、むしろ「国民を危険にさらし」、世界でも貴重な日本の外交資源を手放すことになりませんか?日本は憲法九条のもと、「専守防衛、海外では武力行使はしない」と決められています。これを、いくら総理大臣が「海外で武力を使えるようにしたい」と駄々をこねても、変えることはできません。

憲法は多数をとっても、たとえ最高権力者の総理大臣でも「やってはいけないこと」が書いてあるのです。この憲法という縛りがないと、時の権力者が好き勝手なことができる=独裁になってしまうので、あらかじめ憲法で権力の行使の範囲が決められているのですから。これが万国共通の立憲主義のルールです。
これを憲法改正の国民投票にもかけずに、時の権力者が「いつの間にか海外で戦争のできる国」に勝手に変えてしまおうということは通用しません。それでは、まるで「独裁国」「ファシズム国家」で国際的に信頼されません。
政治は戦争をさせないためにあります。危機回避のメカニズムの構築のために、私は行動を続けます。(元リンク



【閣議決定を受けて】
2014.7.4

憲法は自衛隊が海外に出て他国軍と殺し合いをするなどまったく想定していない。半世紀以上、憲法学者は右派・左派関係なく「集団的自衛権行使は違憲としか解釈しようがない」と考えてきたし、政府における“法の番人”内閣法制局も、そして歴代首相も、米ソ冷戦の真っ只中でさえ集団的自衛権を容認しなかった
それを、わずか数年で消える内閣が、まともに国会論議をせず、国民から意見を聞くための公聴会も開かず、好き勝手に解釈するなど許されない。公明党はずっと集団的自衛権に反対していたのに、たった14時間の幹部協議で変容してしまった。それも「歯止め」とは到底言えない内容での妥協。
安倍氏が「これで戦争に巻き込まれる恐れは一層なくなっていく」と言い、公明党・太田国交大臣も「戦争に巻き込まれることは“全く”ないと思う」と胸を張っていたが、日本が攻撃されていなくても、米軍が攻撃されたら先制攻撃するという、最も戦争に巻き込まれる道を選んでおいて、なぜアクロバット的な180度逆の見解になるのか理解し難い。
他国が勝手に起こした戦争に自ら巻き込まれるのは愚の骨頂。同級生がケンカを始めた際に、「よし、オレはこっちに味方して一緒に殴るわ」って宣言したヤツが、なんで恨みを買わずケンカ後に平和に過ごせるんだ。ケンカが終わっても「アイツは中立と思ってたのにいきなり殴ってきた」とずっと憎まれる。そして相手側の友人たちから、一気に信用をなくす。戦後約70年かけて培ってきたものを一瞬で失う。

つくづく、21世紀の現代日本のニュースとは思えない。いつから日本は「時の政権の首相が憲法の内容を好き勝手に解釈できる国」になったのか?報道によると閣議決定前に全国200の地方議会が反対決議を行ったというではないか。かつてナチスは、憲法をいじらずにそのまま残し、全権委任法で憲法を死文化した。安倍政権の閣議決定もそれと同じで、憲法を解釈で骨抜きにした安倍一派によるクーデターだ(大袈裟ではなく)。いち内閣の解釈が、国家の最高規範・憲法の上に立つ前例を認めてしまったら、もう何だってやりたい放題になる。憲法の拡大解釈を自由にやれるなら憲法改正は必要なくなる。
公明・山口代表は「国民の権利を根底から覆す事態」「明白な危険」という文言が入ったことで、“二重三重の歯止めになった”と自画自賛しているが甘すぎる。政府が中東の原油を確保できないことを「国民の権利を根底から覆す」事態と認定すれば、自衛隊は中東でイスラム国と戦うことになる。条文の上ではそう解釈できるんだから、歯止めになんかならない。安倍氏は口では「自衛隊が中東で戦うことはない」と言う。だったら、なぜ「集団的自衛権を行使できるのは日本周辺のみである」という地域条項を載せないのか。この短い一文を入れないのは、尖閣・竹島を目くらましに使い、地球の裏側まで米軍と軍事行動するつもりだからじゃないのか。国民の生命に「明白な危険」が迫ってるなら、今ある個別的自衛権で十分だ。
そもそも、「自衛隊が日本人を守るため米艦船を守る」っていう状況設定が矛盾を含んでいる。米軍に守られてるということは、既に日本は直接攻撃を受けてるわけで、それなら個別に反撃する現在の個別的自衛権で対応できるじゃないか。それに、安倍氏は「他国が日本に戦争を仕掛けようとする企みをくじく」と言うが、集団的自衛権を行使するのはまだ日本が攻撃を受けていない状況だから(攻撃を受けていたら個別的自衛権が発動)、先制攻撃で相手国を侵略する状況になってしまうんだけど、安倍氏は自分の言葉を理解しているのだろうか。

※安倍氏の諮問機関・安保法制懇の中心メンバー、岡崎久彦氏は集団的自衛権容認の目的を隠さない。いわく「これでやっと東京湾からペルシャ湾まで全部パトロールして一緒に守れるようになる。これはすごいですよ。どこでもアメリカの第7艦隊と日本の艦隊が一緒になって動く。(武力行使について“必要最小限度”の具体的な定義はないから)いざという場合に、国民の生存が脅かされる場合に、手足を縛る条件は入っていない。(戦争が起きる場所については)日本の安全が根底から覆るケースは地球の裏側で起こることもある」(7/1報道ステーション)。この通り、尖閣・竹島は眼中にない。いかに安倍近辺に迎合した公明党幹部の認識がぬるいか。

安倍氏は三権分立を規定した憲法第65条「行政権は内閣に属する」を根拠に、「政府が憲法を解釈していくことは当然だ」と言い切った。これに対して憲法学者・小林節慶応大学名誉教授は反論する「法が禁じていても、最高権力者(首相)がそれを無視すると決めたら無視できる、これでは“人の支配”じゃないですか。王様・王政じゃないですか。全くおかしいですよ」「(米艦の邦人輸送のように)想定できないことを条件として掲げて、“はいこれがそのケースです”って、基準になっていないんですよ。まったく恐ろしい話です」。
自民の良心、反対派の村上元行政改革担当大臣は閣議決定の直前にこう記者会見した「憲法9条は、日本が攻められていないのに同盟国のために戦争することができるとはどう考えても読めない。9条を空文化するようなことを自民党が行っていいのか」。そして閣議決定後のコメント「戦後70年間、血を一滴も流さないでやってきた日本型平和ブランド主義のどこが悪いんだ」。

ニュースで頭が痛くなったのは、一般市民への街頭インタビュー。集団的自衛権の賛成派の意見は「中国とか韓国とか、隣国が尖閣諸島とかに毎日船が来ていたりするので、対抗できる力を持っていた方が良い」「自分の国、自分の身は、自分で守らなきゃいけないと思う」「中国の攻撃とか怖いと思っていたから、ある程度しっかりとした、こうなったらこう攻撃するとかは必要かなと」…それって、全部、個別的自衛権の話じゃないか!今の憲法でも尖閣が侵略されたら対抗できるし、竹島周辺で攻撃されたら目の前の危険を排除する個別的自衛権で反撃できる。憲法をねじ曲げてまで集団的自衛権が必要なのは、アメリカと一緒に戦う以外に何があるのか。集団的自衛権に賛成している人は、自分が自衛隊の人たちに、殺し殺されに行けと言ってるという自覚はあるのか?

最後に念押し。「やられたらやりかえす」のは個別的自衛権であり、集団的自衛権は日本が「やられていないけどやりかえす」こと。中韓に攻撃されたら、現状でも武力反撃できる。日本が攻撃されてないのに、遠い土地で他国軍を守るために割り込んで先制攻撃するのが集団的自衛権。紛争当事国の一方に肩入れする、この愚。制服を着た日本人が戦死したり、他国民を殺す立場になる。このデメリットを安倍氏は説明せず、中国脅威論で国民を思考停止にさせたまま閣議決定を強行した。自民党に投票した有権者の割合は、2012年の衆院選が26%、2013年の参院選が22%しかいない。国民の2人に1人が投票に行かなかった結果、こんなことになってしまった。

第二次安倍内閣が発足したとき、短期間でこれほどたやすく解釈改憲が認められ、第9条が死文化されるなんて夢にも思わなかった。日本は法の下で政治が行われる立憲国家であるから、集団的自衛権行使の賛成派であっても、「ただし解釈改憲は絶対にダメ」「堂々と国民投票で改憲するべき」という国民と、元々集団的自衛権行使に反対している国民が合わされば、数百万規模の群衆になって国会を包囲できるはずなのに、なぜこうも大人しく現状を受け入れてしまうのか。戦争に参加すれば、もはや日本人に安全な場所はなくなり、国内で大規模テロが起きる確率も跳ね上がる。そして一度でも大規模テロが起きれば、テロ防止を理由に、必ず政府は国民のメール、電話などを監視してくる。アッという間に警察国家の完成だ。既に秘密保護法も用意されている。これが大袈裟でないことはスノーデン氏が実証している。

※1984年から30年間もパキスタンやアフガニスタンで現地支援を行っているNGO「ペシャワール会」現地代表・中村哲氏「(アフガン)戦争の後で憎しみと破壊だけが残ったという現実の中で、欧米人は外を歩けない。韓国人も。戦争に参加した国々は。復興のために自衛隊を送るとなれば、私はまず引き揚げる。私だって家族はいるし死にたくない。(アフガン戦争で)日本が協力したことは(アフガン人は)みんな知っているが、“少なくとも制服・軍服を着た人が自分の国土を踏みにじらなかった”、この一点で(日本人に)好感を持っているんです」。




★岩手大学教員有志の緊急声明に120%賛同!

『立憲主義破壊・憲法違反の閣議決定は認められません』
憲法違反の閣議決定は無効です。日本国憲法第98条第1項は「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅(しょうちょく)及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」としています。今回の集団的自衛権行使容認の閣議決定はまさに憲法第9条違反該当します。
もし、安倍内閣が閣議決定を撤回せず、今後、閣議決定に沿って国会で集団的自衛権容認のための法令の制定・改定が行われたとしても、それらは当然ながら憲法違反であり、無効です。
私たちはここをしっかりと押さえ、憲法に違反する関係法令のなし崩し的な施行を許さない世論を作っていく必要があります。(岩手大学教員有志 7月1日)



「元自衛官 @yoko_kichi」さんのツイッターより。この方は、集団的自衛権行使が閣議決定された14年7/1から「愚行に黙っていられない」とツイートを開始。出身部隊などは明らかにされていないけど、未転載のものを含めた氏のツイートは元自衛隊員ならではの視点であり、「元自衛官」は本物と信じてよいかと。以下、日付順にツイートを紹介。

【7月1日】
・安倍総理が白々しいパネルを持ちだして記者会見をしていた。集団的自衛権を行使するという。元自衛官としては、隊員や国民を危険にさらす愚行に黙っていられないので、ここで語らせていただく。
・「自衛のための必要最小限度」という言葉に騙されてはいけない。安倍総理やそのブレーンは、69年前の戦争まで「自衛ためのやむをえない戦争」と言ってきた。際限などないに等しいのだ。

・(ヒゲの隊長こと)佐藤正久。自分もOBだが、後輩たちをいかに危地に送り出すかということしか考えていないこのバカにはあきれ果てるばかりである。それ以上に、このバカを当選させるために奔走した自衛官たちの愚かさよ…
・自衛官なのだから「国のために死ね」と言われれば、死もいとわず働いた。 だが、「年末の日米ガイドライン見直しのために、米国のために自衛官の命を差し出そう」と言われれば、死ぬ気も失せる。安倍総理よ、貴方が行 けばいい。ただ、貴方が米国のために死んでも、靖国神社には祀らせない

【7月2日】
・護憲派・改憲派というが、ほとんどの国民が安全なところにいる。 改憲派は自衛官にもっと危険なところに身を置けと叫び、護憲派は危険なところに行くなと言ってくれる。 誰が味方か、最近になって身にしみて分かるようになった。
・自民党の議員が集団的自衛権行使容認について、何かと領土問題を持ち出して正当化しようとする。 だが、竹島や尖閣の防衛は、個別的自衛権で可能だ。領土問題を持ち出す議員は、よほどの無知か、虚言癖の持ち主だ。騙されてはいけない。

【7月4日】
・中国が危険だから日米同盟を強化しなくてはいけないし、そのために集団的自衛権が必要だと言う連中が多い。 その中国とアメリカは6/27からハワイで合同軍事演習をやっていた。アメリカが中国を招待したのだ。 もちろん自衛隊も参加したが、何とも間抜けな話じゃないか。
・国際情勢の変化というが、米ソが対立し、世界中で小競り合いをしていた東西冷戦・代理戦争時代に比べれば、危険は確実に減っている。アメリカと中国が合同で軍事演習を行う時代に、日本はどこと戦争しようというのか。

【7月6日】
・かつて同じ部隊にいた先輩と会った。自民党の石破氏が「アメリカの若者が日本のために血を流すのに、日本の若者が流さなくて良いのか」と言うことに激怒していた。私も同じ思いだった。歴史上、米軍が日本の防衛のために血を流したことは一度もない。石破氏などに国防を語る資格はない。

【7月10日】
・いまの自衛隊の陸海空の組織構成は、いびつだ。島国では、国境警備にあたる海自・空自が重要。だが装備費も人員も陸自が圧倒的に多い。空爆・ミサイルの時代に、あれだけの戦車など無意味だ。いきなり地上戦でも始まるのか?陸自の一部は、空自・海自にまわすか、災害救助専門部隊にすべきだ。

以上。「元自衛官」さんのツイッターはコチラ



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