世界巡礼烈風伝・12の巻
(4日目その5)

(ザ・パーフェクトホテル)


17時に日光から宇都宮に戻る列車に乗ったが、列車の発車直前にあちこちに看板が出てて気になっていた、『日光名物ゆばラーメン』を食してみた(ゆばとは豆乳の膜を巻いたもの)。ゆばは栄養満点だし、独自のしんなりとした歯ごたえが楽しく、若年寄の僕は目がないのだ。
…しかし、これが本日最後の食事になるとは思わなかったが。

その後、18きっぷでどんどん北上した。
19時半に黒磯、21時半に福島、23時には仙台まで到達していた。昼に東京を出て日光を訪れ、その日のうちに仙台まで行けちゃうんだから、各停だって馬鹿に出来ないよね。各停同士が連携してる為、次々と乗り換えて先に進めるんだ。
ただし。運行本数が少ない東北本線で列車の接続がスムーズということは、逆に一度乗ったが最後、途中でどんなに腹が減っても降りて飯を食うことが不可能ということだ(次の列車がない)。

仙台駅で僕はある決断に迫られた。仙台にはカプセルホテルがあり、格安で泊まれる。しかし、終電に乗れば岩手との県境近くまで行け、翌日の行動範囲が広まる。仙台駅の駅員に終着駅の様子を尋ねると、誰に聞いても“行ったことがないので分からん”という返事だった。なかには、
「鉄道マンてのは、意外と遠くへ行かないもんなんだよ。安月給じゃ、休日もじっとしてるしかねえさ。どう思う、お若いの?」
と、逆につっこんでくる老駅員までいた(ブルーになったぞ!)。

結局、列車が終電になるような場所なんだから、いくら辺境の土地でも安宿のひとつふたつはあろう、という希望的予測から飛び乗った。

午前0時ちょうど。終着駅に着いた。明朝訪れる岩手県平泉まであと1時間の距離まで接近していた。
「ぬお〜っ!」
駅から出て立ちすくんだ。一応小さいながらも町はあった。しかし街灯が少なく非常に薄暗い(当然コンビニなんかない)。駅の待合室からは、“始発まで閉鎖”と追い出されてしまった。夜中の町を徘徊し、宿らしきものを2件発見したが深夜で閉まっていた。仕方なく駅前に戻りベンチで横になったが、付近が田んぼ地帯だったため蚊の総攻撃が僕を待っていた。こりゃかなわん、と僕は最後の奥の手を使った。

・24時間オープンしている
・クーラーが効いてて、虫もいない
・長イスがあり横になれる
・安全
・しかも宿泊費無料

このすべてを備えた究極の宿が、どんな町にでも最低2ヶ所はあるのだ!勘の鋭い読者諸君なら既に察しがついているだろう。そう、ズバリ、警察署と総合病院だ。これは長年の巡礼生活で身につけた、裏技の中の裏技、一子相伝の奥義だ。
警察だと住所や電話番号、職業などを書かされて煩わしいので、最初に病院をあたってみた。…玉砕!(ここではダメだったが、大体今までの経験では50%の確率で病院は泊めてくれる。宿直室に布団をひいてくれた所もあったくらいだ)

これで選択の余地がなくなり、警察署に行く。無職と書くのは印象が悪いので、“作家”と記入した。これはこれでかなり恥ずかしかったが。さすがに人が働いている側で、すぐに横になるのは悪いと思い、眠い目をこすって本を読んでると、
「寝れ、寝れ。始発の時間にゃ起こしてやっから。」
と、中年の警官が優しい言葉をかけてくれた。

僕は警察無線に色んな事件が入ってくるのを聞きながら、ウトウトと眠りの世界へ滑り落ちていった。


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世界巡礼烈風伝・13の巻
(巡礼5日目)

『爆走平泉伝説』


★エンジン、スイッチ・オン!

福島&岩手の県境の、宿のない町の警察署で快適な一夜を過した後、始発で岩手県平泉に眠る武蔵坊弁慶のもとへ向かった。途中、一ノ関で乗り換え午前8時に東北本線の平泉駅に着く。

『東北本線』と名は立派なのだが、次の各停が来るのは朝のラッシュ時にもかかわらず1時間10分後(どっかーん)。ガイドブックには、弁慶の墓は駅から徒歩20分とあったので、往復を全力でダッシュすれば現地で多少ゆっくり墓参しても、時間に若干余裕ができるハズだった。僕は早朝マラソンに挑む為、リュックをコインロッカーに預け、カメラと財布だけを手にターボ全開で駆け出した。
(この時点で行き方を調べたりロッカーに行ったりで、もう15分経っていた。残り55分!)

平泉はハッキリ言って田舎だ。朝の時間はゆっくりと流れ、人々はのんびりと庭掃除なぞしておった。四辻ではバアちゃんたちが世間話をし、みんな良い表情をしていた。
「ウオーッ!時間がないんじゃあーっ!」
その横を目をひんむき歯をくいしばり、汗だくの青い顔をして韋駄天の如く疾走した。すれ違う人が奇異の目で振り返っているのが気配で分かったが、無我夢中で走った。

…とはいえ僕ももう若くはない。息が上がるのは早かった。
「おのれーっ、この足、動け、動かんかーっ!」
激しい叱咤にもかかわらず、足の関節は錆付いたように動かなくなった。気ばかりが焦る。
「フンヌーッ!」
鬼気迫る意気込みとは裏腹に、徒歩20分で着く所を走って15分という、ほとんど何やってたのか分からぬタイムで墓にたどり着いた。

★ワンポイント弁慶


生まれながらに巨大だった弁慶は、その妊娠期間が18ヶ月という、ミラクル・ベイビーだった(質問しないでね、僕もわけ分からんから)。両親により6歳で僧侶になるべく比叡山に預けられたが、粗暴な弁慶に手を焼いた寺側が彼を叩き出した。宗門を追放され反省した彼は、自ら頭を剃り諸国を修行して歩く。

この世で何があっても絶対に信じぬくことが出来る確かなもの…弁慶はやがてそれを、常勝無敗だった己の腕っ節の強さに見出し始めた。そして彼は自分の存在証明をかけて、天下の京都でことを起こす。それは決闘した相手の命を奪うのではなく、殺生の道具である刀を千本奪うという行動だった。これは、僧を名乗る自分が腕力をふるう矛盾に対しての、彼なりの折衷案だった。

999本が揃い最後の1本というところで出会ったのが、かの牛若丸こと源義経だったわけだ。小柄な義経に圧倒的な自信を持って勝負を挑んだ彼は、自然体で流れるように剣をさばく義経に完敗する。豪腕が最強の道に続かぬことを悟った弁慶は、その場で義経の家来となることを心に決めた。
以降、約15年間彼らは行動を共にすることになる。

義経が兄頼朝と不和になり、4年間の逃避行の末に行き着いた場所が、都からは遥かに遠い東北の平泉だった。落ち延びたのは、わずかに6人。1189年4月30日、義経を最後まで守っていた弁慶は、敵の矢を全身に受け仁王立ちのまま絶命した。
同日、弁慶たちが守っていたお堂の中から、自害した義経の体が発見される。

弁慶の墓は松の根元にあり、巨体だった彼の体とは裏腹に、約50cmほどの古い小さな石塔がチョコンと建ってるだけだった。

★義経堂も見たり!

“ふ〜っ、無事に墓参できたし、まだ30分あるよ。ゆっくり帰れるなぁ”
そう思った矢先に、来る途中で道を尋ねた弁慶の墓近くの土産物屋のおかみさんが、
「あんた、義経堂には行かんのかえ〜」
と声をかけてきた。
「え?そこは歩いて行けるんですか?」
「そうだねぇ、あんたは若いから5分くらいかねぇ」
事態は急変した。義経が絶命したお堂となれば、たとえひと目しか見れんとしても、行かぬわけにはイカ〜ン!僕は雷にうたれたように覚醒し、ダッシュした。

5分っていうのはウソだった。義経堂は山の中にあり、10分はかかった。義経堂は人ひとり入ればいっぱいになるような、本当に隠れ家って感じのお堂で、こんな所に潜まなければならなかった義経の境遇を哀れに思った。
ただそこは景色がめちゃくちゃ最高で、眼下に大河や平野が視界いっぱいに広がっていた(何を隠そう芭蕉の有名な句『夏草やつわものどもが夢の跡…』はそこで詠まれた句なのだ!)。

残り15分。
ロッカーから荷物を取り出す手間を考えても、行きのスピードでは間に合わぬことは明白だった。
「こなくそーっ!やってやろうじゃねえか!」
東洋の医学書『北斗の拳』に以下の様なことが書かれていた…人間は通常自分の潜在能力の30%しか使うことが出来ぬが、時として残りの70%を出すことがあると。僕にとってこの帰り道こそが、真に精神が肉体を凌駕した瞬間だった。

あの四辻にいたバアちゃんたちは、まだ同じ場所で世間話をしていた。さっきより露骨にこちらを見る、その視線が痛かった。
完全ノンストップで走り続け、わずか10分ちょいで駅に着いた。すぐさま荷物を取り出してホームに駆け込み、今まさに入ってきた瞬間の各停列車のドアにズザザーッと滑り込んだ。
「ハア、ハア、ゲホッ、ハア、グホッ」
僕はボロ雑巾の様に、列車の床へ崩れ落ちた。

巡礼開始から5日目、朝の大騒動はこうして終わった。



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日本巡礼烈風伝・14の巻
(巡礼5日目その2)

『みちのく移動編』


そんなこんなで9時過ぎに平泉を発った僕は、青森を目指してさらに北上した。各停で揺られること6時間。青森に着いた時は、もう15時半になっていた。
この大移動はのんびり旅情気分、ってわけにはいかなかった。とにかく目眩がするほど車内は混みまくってたのだ。

“なんか祭りでもあるのかなぁ。旅先で祭りにぶつかるなんて、まったくついてないよ。”
ガラガラのローカル線で俳句でも詠みつつ、みちのく一人旅を味わう…その枯淡な野望は、浴衣を着こみ浮かれ気分で大騒ぎするヤング・ジェネレーションに粉砕された。しかも連中ときたら、全身にべらぼうな数の鈴をぶら下げていた。“不思議な祭りだな。『鈴祭り』かな。そんな祭りあったっけ?”
とにもかくにも祭りが何であれ、人込みはいただけなかった(しかしこういった感情が間違いであったことを数時間後に思い知るが)。


      


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