世界巡礼烈風伝・42の巻 (11日目) 『拝啓、淀川長治師匠様』 ★師匠、その人 博多を21時15分に発った夜行快速は、兵庫の明石駅に5時半に到着した。そこからモウロウとした頭で列車を乗換え、須磨駅に降り立つ。駅から須磨海岸に背を向け山を目指して歩くと、やがて視界には巨大な須磨寺が見えて来た。 ここに淀川長治師匠が眠っている。 師匠が神戸に生まれたのは1909年。 昔から良い物を他人に紹介せずにはいられなかった性分らしく、面白い映画(当時は活動写真)に出くわすと、劇場の電話を借りて家に連絡し、親や親族の席を7人分予約して、あらためてもう一度観たという。 青年になってからは映画会社の広報部に勤務。27歳の時に、『チャップリンと新妻ポーレット・ゴダートが、新婚旅行で極秘に神戸港へ船で立ち寄る』という大ニュースをキャッチ、取材にかこつけチャップリンの個室で2人きりで話をするという、人生最大の体験をする(クーッ、羨ましい!)。 その後、テレビの映画解説者に抜擢され、あの「サヨナラ」が千回を超えて毎週繰り返されることになった。 僕が淀川氏を一方的に師匠と呼んでいるのは、映画の膨大な知識はもちろんのこと、作品の魅力が10あれば10すべて相手に伝えきる天才的な話術に脱帽してのことだ。 師匠の解説は、分かりやすく、かつ熱狂的。このふたつを両立させるのが非常に困難だということを、僕は好きな芸術作品を語ろうとする度に痛感している。 僕がテンションをあげて喋ると感情が先走って内容がチンプンカンプンになり、なんだか道化じみて来てさらに焦るという悪循環に陥るが、師匠は声色を巧みに使い分けながら話のポイントを確実に抑えていき、異次元トークの印象を与えながらも、作品に対する自分の主張を明確に伝えている。 そして、これは非常に重要なことだが、自虐的ユーモアをふんだんに散りばめる為、評論する姿勢には権威者じみたものがまったく感じられず、押し付け感も全然ない。 それから、普通は誰でも自分の話の重要なポイントになるとつい声を張り上げてしまうものだが、師匠は逆に大事な部分になると声をグッと落としてお話しなさる。その為、我々は聞き耳をそばだてずにはいられない。見事だ。 あの視線も強力な武器。嬉々としたつぶらな瞳は、対峙する者の警戒心をたちどころに解く。ウ〜ム、まいった。 ここで、師匠の愛すべきエピソードをひとつ紹介したい。これはたぶん、どの本にも載っていないことだと思う。 今から約15年前。僕の高校時代にはまだ世にレンタルビデオ店なるものがなかった為、日曜洋画劇場を毎週欠かさず観ていた。一度、酒に酔った師匠が解説していた回があって、あの衝撃を今でもハッキリと覚えている。それこそ、画面に映った瞬間から酒臭いのがすぐ分かった。 「ハイ、皆さんこんばんは。今日は私の顔、赤いですね。ちょっとスタジオに入る前、お酒を呑みましたね。フラフラですね。そういうわけで、今日は私、少しご機嫌さんでキャメラに向かってますが、舌がもつれたら皆さんごめんなさいね。さて、今日の映画は…」 この時は仰天して椅子から転げ落ちた。師匠も凄いがこの収録をボツにせずオンエアしたテレ朝もぶっ飛んでると思った。 ようするに番組の現場スタッフは、日頃から師匠の人間的魅力に惚れ込んでて、“ご機嫌さん”の師匠すらよし、と感じたんだろうなあ。翌週に師匠は「あらまあ、先週はごめんなさいね」と謝ってたけど(笑)。 あと「サヨナラ」の3連発に飽きたのか、師匠は突然「にぎにぎバイバイ、にぎにぎバイバイ」と右手を“にぎにぎ”した回があって、その時も思わずのけぞった。 ※初期の「サヨナラ」は毎週回数が違っていたが、子どもの間で「サヨナラ」の数が賭けられていると聞いて3回に決めたとのこと。 日曜洋画劇場は、たまに最低の三流作品を流すことがある。そういう時、師匠は短所を探すのではなく、ひとつでも長所を多く探しながら見るように、そんな精神で解説していた。 だが“13日の金曜日”シリーズの時に師匠はキレた。映画前の解説はいつもの口調で 「ハイ、皆さん今日の映画はコワイ、コワイ映画ですよ」 とか言ってたのに、映画後の解説では 「私、大嫌いですこんな映画。なんでこんな映画作ったのか理解できませんネ」 と視聴者に訴えかけてた。 それから、読者諸君は気付いていただろうか?日曜洋画劇場で邦画が放送される時に、師匠の解説がなかったことを。師匠は“邦画に関して私はアマチュアだ”と公言しており、職業上、文章で評論することはあっても、テレビで解説することは一度もなかった。 黒澤監督はそんな師匠のことが大好きで、 「淀川さんが一番いいね。純粋に映画を楽しんでいる。映画は理屈じゃないんだよね」 と賛辞を惜しまない。 『友だちのうちはどこ?』というイラン映画がある。師匠は作品にこんなコメントをつけている… 「イランがどこにあるのか調べるといい。各国各地の映画が国境を越えて訪れて、“人間”は同じということを知る。これほど平和を生むものは他にはない」 確かに未知の人々への恐怖を映画は取り除いてくれる。 親友の話も面白い。 「ところで最近の親友と申したい監督が、香港生まれのウェイン・ワン監督。親友といってもじかに話したこともない。好きな映画を見せてくれた監督は私には親友だ」 生前の師匠は自分の人生観、人間観について、よく次の様に語っていた。 「私は未だかって嫌いな人にあったことがない。好きになることがどんなに人を助けるか私は知っている」 「ウエルカム・トラブル、苦労来たれ、苦労が人間を強くするんだ。悲しいなぁ辛いなぁと泣いたことがある人が偉いんだ」 これらもすべて映画が教えてくれたのだという。 “好きになることが相手を助ける”…これは、同時に自分をも助けることにつながっていく素晴らしい言葉だと思う。 映画『学校』には複雑な思いを感じていた。 「実は中学しか出ていない私には最も見たい映画であったのに、映画の感覚のズレた優しさが辛かった。そのズレにしばし息が止まった。私の最も愛する監督、それだけにこの優し過ぎはどうにかならなかったのか」 同性愛者だったので、師匠は生涯独身だったし当然子供もいない(一週間だけ結婚していたという説もある)。 だが、その分様々な映画サークルに積極的に関わり、日本の至る所に師匠の遺伝子を受け継いだ子供たちがいる。(師匠の映画評にはやたら“ホモだち”という言葉が炸裂する。名作『太陽がいっぱい』を同性愛映画と即評したのは有名な話) 晩年の口癖は、 「あした、来週、新しい映画がくるかと思うと、死ねない」 “死ねない”…この激しさ!これはもう、映画への狂恋だ。 死の前日にも師匠の姿がスタジオにあった。 最後に解説した映画はクロサワの『用心棒』をハリウッドがリメイクした『ラスト・マン・スタンディング』。親友クロサワの面影が漂う作品を最後に解説できて、師匠も幸せだったと思う。 僕は、ビデオに撮った師匠最後の凄絶な解説を見る度に、“この翌日に亡くなった”という事実に圧倒される。誰が死の前日に映画の解説なんて出来よう。 “死ぬまで役者”というのはよく聞くが、師匠の場合、“死ぬまで解説者”だった。他人の創った物を、他人へ伝え、そこに最高度の喜びを見出す。こんなカタチで映画に殉じていく…“本物”の生き様を見せつけられた。 後期のクロサワ作品が世間で、「“七人の侍”の頃のエネルギーがなくなった」とか、「クロサワはもうダメだ」と言われていた頃、師匠は『夢』を「日本映画史上最高の映画美術と申したい」と評し、『まあだだよ』など晩年の作品群が持つ「温かさ」に酔っていた。遺作となった『まあだだよ』には以下のコメントを残した。 「若い映画ファンの多くがこの師弟の物語を観て“時代おくれ”、“照れくさい”、“ついてゆけない”と言う。馬鹿かと思った。なぜ監督の、美を一途に追い求める姿勢が分からないのか。日本中が今、この温かさを受けつけなくなった。怖いし、悲しい。干からびた地面からは、このような枯れ木の若者が伸びるのか。この映画、乾いた土に水の湿りを与える。」 黒澤監督が亡くなった2ヶ月後、師匠も後を追うように逝ってしまった。 89歳の大往生だった。 ※晩年は赤坂の全日空ホテルで暮らしていた。 ★須磨寺にて 須磨寺の墓地に入ってすぐ横のメチャメチャ目立つ場所に、ドーンと大きく『淀川家之墓』と彫られた墓石があったからだ。 師匠には最近見た素晴らしい映画について報告し、その他今夏にアメリカの墓巡礼をして来たばかりなので、もし僕の背後にJ・ディーンやM・モンローがついてきてたら、心ゆくまでトーキングして下さいと話し、蚊に喰われながら半時間ほど過した。 「六本木の青山霊園に淀川長治の墓アリ」というネット情報を信じて上京し、ガセネタに踊らされたことが判明した“青山の惨劇”から8日ぶりに、この炎のリベンジを無事果たした。 自宅に帰ったのは朝8時半。北海道の荷物の上に九州の荷物をブチまけ、玄関で昇天したのだった。 ★痛快!師匠は吠える “映画はこけおどしのスケールよりも演技”をモットーにした師匠の批評から、僕のお気に入りをチョイスした。 〜師匠激怒編〜 師匠はテレビの優しい表情とは裏腹に、ペンを握ると不動明王と化すのだ! 『12モンキーズ』 「登場するのが、今や売れっ子のブルース・ウィリス。まことファンのお望みどおり全裸に近い裸身で活躍。この男、シュワルツェネッガーと違ってその肉体のぶくぶくふくれたセクシーぶりが呼びもの。たんまりと今回はそれをお見せする。 最悪なのがJ・ディーンの2代目を狙うが如きブラッド・ピットだ。とにかくありったけのオーバー・アクト。この男、ワン・シーンとて共演者のブルース・ウィリスに負けじとばかりのハミダシ熱演。私の最悪の男オリバー・ストーン、ビム・ベンダースとともに、今ここに最悪の若者としてブラッドを加える悲しさ。なぜいつも、どのスナップを見ても、J・ディーンの表情をするのか、このばかみたいな個性づくり。 裸男と狂的青年とテリー・ギリアム。とにかく覚悟をもってご覧あれ。今年の珍作第一級。この肉のかたまりの坊主頭と、電気カミソリが化けたごときギョロ目の若造の共演。入場料を払う価値はありますぞ。」 (師匠爆発。凄まじい怒り。僕は「下品」でアクの強いオリバー・ストーンも12モンキーズも大好きなので、墓前で“ちょっぴり”抗議した。…ほんの“ちょっぴり”ね。) 『ライアーライアー』 「弁護士のパパを演じるのがジム・キャリー。私、この男が出るとゾーッとする。嫌いで嫌いでゾーッとする。オーバーアクトのその派手さ。目から口から鼻まで動かす。前作『MASK』を見てもお分かりだろう。最悪すぎ。」 『ピースメーカー』 「あたかも全編、これ予告編。ガンガン画面はうなり、列車は爆発し、次々スリル180%。見ていた私は、その後へたばってベッドにぶっ倒れた。主演の2人が核爆発防止のため、ロシアの列車一大爆発にボスニア、トルコ、ウィーン、ニューヨークと画面も潰れんばかりのこの一大活劇。たいていの活劇、この映画から比べるとライオンとリスぐらいの違い。 よく調べるとこの映画、スピルバーグの会社「ドリーム・ワークス」第一回作品。となると、このところ金を貯めて頭がおかしくなっているスピルバーグの使命よろしく、監督は全身汗だくでこれを完成したか。とにかく耳と心臓にせんをして見られよ。」 (師匠、スピルバーグを血祭りに。まさに怖いものナシ。ピースメーカー好きなんだけど…) 『ライオン・キング』 「ディズニー・プロは名作ベストワンの“白雪姫”で世界中を驚かせたのに、W・ディズニーの死後、アニメ長篇は陰りをみせ“美女と野獣”は何とか恋の美しさで持たせたが、“ライオン・キング”のひどさ。あれはギャング映画だ。ディズニー生存中なら封切りを止めたであろう。」 『スピーシーズ』 「女は遠慮もなくパーティーの中から男を誘い出し、別室でみるみる全裸。男はたちまちズボンを落とす。この男のだらしなさの最高映画。これはSF映画と同じくSEX映画。しかれどもさすがM・G・M(大手映画会社)、きわどさの一歩手前でこのSEXスリルをとどめるあたり、安心してジャリ連れのママもごらんにゆける。」 (師匠、子供は“ジャリ”ですか…) 『マディソン郡の橋』 「四日間のこと。カメラマンが古い橋を撮りにきて、田舎のオバサンに逢ってその橋に連れていってもらう。これが2人の出逢い。知り合ったその女の名はフランチェスカ。まあお茶でも飲みなせい。これがやがて、めしでも、泊まるといい、亭主も子供もよそにいま行っとるんじゃ、というわけでこの2人、できてしまう。」 (か、か、完璧なストーリー説明!非の打ち所なし!) 〜師匠、御機嫌編〜 『エド・ウッド』 「狂信的な映画ファン(ティム・バートンのこと)が思い切って作ったこの個人趣味作品を、あの営利主義のハリウッドがよくも作ったことと、ハリウッドいまだ死せずと安心した」 (これは監督のバートンを誉めてる文です) 『もののけ姫』メガ・ヒットをうけて 「邦画ファン層の質の高さに胸を締めつけられた。もちろん、邦画ファンだけではなく、映画を見に来たすべての日本人たちにだ。汚い“心中”映画(失楽園のこと)に群がった悲しさ、辛さがここに掻き消えた」 おしまい! 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