世界恩人巡礼大写真館・史蹟編
関ヶ原、400年後の古戦場 【English Version】
(古代〜室町) (戦国乱世・覇王信長) (安土桃山・豊臣の栄光) (関ヶ原、大坂の陣〜江戸中期) (炎の幕末) (旧日本軍) (関ヶ原史蹟)
駅前のレンタサイクルでチャリンコを借り、いざ古戦場へGO!
(画像・ウィキペディア)
関ヶ原は東西に約4km、南北に約2km、標高123mの高原の盆地だ。東軍7万4千、西軍8万4千、
合計約16万の兵力が大量の銃と共に関ヶ原の盆地に集結した。当時、世界最大の射撃戦だった
1600年9月15日朝8時。ついに天下分け目の合戦が始まる。時に三成40歳、家康58歳。
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石田隊の旗印は『大一大万大吉』の紋。意味は「一人が万民(大)の為に、
万民が一人の為に、さすれば世に幸福(吉)が訪れる」というもの |
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三成の本陣から見た関ヶ原全景!あいにくの天気だったけど、合戦
当日は霧が出ていたから、ちょうどこんな感じに見えていたのでは! |
パネルのボタンを押すと勇壮な音楽に
乗って解説が流れた!(動画46秒) |
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『史蹟 関ヶ原古戦場・開戦地』
福島VS宇喜多、井伊VS島津で戦は始まった
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『史蹟 関ヶ原古戦場・決戦地』
西軍本陣の笹尾山の手前が最終決戦の場となった |
まず東軍の井伊直政隊が西軍の宇喜多隊へ攻撃を開始。両陣営が一進一退を繰り返すなか、三成は山上に陣を張る西軍陣営に対し、「加勢せよ」と合図の“のろし”をあげるが、なぜか山から下りてこない。西軍で戦っているのは、親友の大谷吉継、文官の小西行長、大老・宇喜多の三隊という3万5千の兵だけ。どうもおかしい。そして正午、やっと小早川秀秋の大軍が参戦してきたと思ったら、なんと西軍に襲い掛かってきた!
午後1時、勇戦していた大谷隊が持ちこたえられず全滅。吉継は自分の首を敵に晒されることを良しとせず、切腹の後に地中深く埋めるよう側近に命じた(今も発見されていない)。 |
★西軍史蹟
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手前の紅葉の山が、三成が陣を張った笹尾山 |
なにげに「クマに注意」の看板 |
『史蹟 石田三成陣地』 |
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陣の中には采配する三成が目に浮かびそうな台がある |
西軍本陣の正面には大型の柵が再現されていた。これなら騎馬隊も突入できまい |
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宇喜多秀家陣跡 西軍副大将の宇喜多氏は1万7千の大軍を率いて中山道をおさえた。宮本武蔵が奮戦したのもこの付近という |
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大谷吉継陣跡
三成との友情のために家康に立ち向かった漢!
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藤堂氏が建てた
大谷吉継の墓 |
平塚為広の碑。大谷隊に
加わり奮戦した義将 |
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島津義弘陣跡 ここから伝説の中央突破を敢行! |
小西行長陣跡 |
★裏切者たち
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小早川秀秋が陣取っていた松尾山 |
小早川に続いて裏切った脇坂安治陣跡 |
小早川の寝返りがきっかけとなり、味方の裏切りに歯止めが利かなくなっていく。やがて宇喜多隊、小西隊が敗走し、とうとう残るは三成の本隊のみとなった。三成の家臣は四方から津波のように押し寄せてくる東軍を相手に、獅子奮迅の戦いぶりを見せたが、多勢に無勢、一人、また一人と、壮絶に散っていった。だが、これほど絶望的な状況でも、三成の家臣だけは誰も裏切らなかった。午後2時、死闘の果てに三成隊は全滅。ここに合戦は終わった。 |
★東軍史蹟
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徳川家康最後の陣跡 |
風にたなびく三葉葵の家紋 |
家康は合戦が大詰めになると、本陣を桃配山から笹尾山(敵本陣)まで1キロの当地に移した
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井伊直政&松平忠吉陣跡 |
福島正則陣跡 |
井伊直政が6千の兵で島津隊に攻撃し、開戦の火蓋が切られた
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本多忠勝陣跡 |
藤堂・京極陣跡 |
西軍総大将を引き受けたはずの毛利輝元は、大阪城に入ったまま関ヶ原にやって来ず、合戦では三成が総大将になるしかなかった。毛利はこともあろうに、家康の「戦闘に加わらなければ所領は保証する」という密約をのんでいたのだ…。
三成軍の最期を歴史書『天元実記』はこう刻む「三成は武道に名誉ある者であれば、何をおいても召抱えた為に、関が原における石田家の兵の働き、死に様は尋常ではなかった」。 |
【 合戦終わって 】
●首洗いの古井戸
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合戦で討ち取られた西軍兵の首級は、この井戸水で血や土が
洗い落とされ、家康によって首実検(誰の首か確認)された |
●東首塚
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首実検の後は敵味方の区別なく両軍の戦死者を
弔い、供養塚(首塚)を築いて丁重に葬った |
『関ヶ原合戦戦死者首級塚』
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●西首塚
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西軍諸将の旗がたなびく |
『史蹟 関ヶ原古戦場 西首塚』 |
説明版には“戦死者数千の首級を葬った塚”とあった。大木の根元には「合戦戦死者胴塚」の石柱もあった。
●巡礼完了
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小雨のせいもあって、17時というのにもうこんなに
暗くなった(11月上旬)。今度は晴天の昼間に巡りたい! |
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大谷吉継陣跡に向かう道は素晴らしい眺望 |
でも自転車には少々キツい。階段が急角度! |
こんな所で戦っていたのか〜 |
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