子どもの頃から当たり前にあったものが、こうも簡単に変わってしまうものなのか。 僕が生まれた年、1967年に政府は“共産圏や紛争当事国には武器を輸出しない”などの『武器輸出三原則』を決め、さらに1976年に三木内閣が内容を強化して「すべての国への武器輸出を慎む」と宣言、日本は事実上の全面的な武器輸出禁止に踏み切った。 僕の知る限り、武器輸出禁止を掲げている国家は日本だけ。他の主要先進国、特に米英仏中露という国連安保理の常任理事国は、「死の商人」となってアフリカや中東に武器を売っていたのに、日本は武器輸出で利益をあげることなく世界トップクラスの経済大国となった。それが僕には誇らしかった。 ところが安倍政権は、約半世紀も日本が平和外交の要として誇ってきた『武器輸出三原則』を、4月1日に「撤廃する」と閣議決定したのだ。約50年ぶりの対外政策の一大変更であり、本来であれば「日本は死の商人になるのか、ならいのか」と、国民投票にかけるべき重要な方針転換だ。 安倍政権は「無制限な武器輸出解禁ではない。紛争当事国には輸出しない」と言うものの、「紛争当事国」の定義については「武力攻撃が発生し、国連安保理が武器禁輸措置をとっている国」としている。この“国連安保理による武器禁輸措置”が大問題。2月にパレスチナを空爆したイスラエルはアメリカと、泥沼の内戦を続けているシリアはロシアと仲が良いため、武器禁輸措置が発動されていない。第二次世界大戦後に、安倍政権の定義に当てはまるのは、湾岸戦争時のイラクと朝鮮戦争時の北朝鮮だけだ。新たな『防衛装備移転三原則』では、イスラエルにもシリアにもロシアにも武器輸出は可能。「歯止め」なんてないに等しい。それなのにNHKがこのことを報道するときは「“特定の条件を満たせば武器輸出が可能になる”新しい防衛装備移転三原則は…」と、いかにも厳格な条件があるかのように伝えているので、その政府の提灯持ち、大本営ぶりに頭にくる。 そもそも、紛争当事国は戦争が始まってから武器を手に入れるわけじゃない。武器を充分に揃えてから戦争を起こすんだ。日本製の武器を大量に売った先が、将来的にそれをどう使うかなんて分からない。日本製の武器で虐殺事件が起きた時に、現内閣の政治家は責任を取れるのか。 原発再稼働や秘密保護法の際は、反対派が国会を包囲したりデモをぶつけたけれど、武器輸出解禁にはほとんどアクションがない。かく言う僕自身も、署名運動を始めることもなく、この日記に思いを書き綴っているだけで…。なんというか、50年近くも国策として守ってきたことが、まったくと言っていいほど国民的議論にもならず、こんなに簡単に安倍氏の方針で変更されたことが、にわかに信じられないんだ。驚きが大きすぎて固まっている感じ。 ハイテク兵器は他国と共同開発した方が効率が良いとか、武器は大量に生産した方が単価が安くつくとか、そんなことは百も承知の上で、歴代内閣は東西冷戦真っ只中の80年代でさえ、武器輸出に走らなかった。いかなる国にも武器を輸出しないという政府方針は、まさに平和国家の証しだった。武器輸出にどんなにウマミがあろうと、“死の商人になってたまるか”という日本のプライドがそこにはあった。 かつての宮沢喜一首相や橋本龍太郎首相の頃の90年代日本と、野田政権から安倍政権へと続く今の日本があまりに異なり、同じ国に住んでいながら別世界にいる感覚に陥っている。とはいえ、非力感から思考停止になっている場合ではない。今後、次の政権が再び武器輸出禁止に再転換するよう尽力していきたい。(関連リンク) |