宮廷の女性はスダレの 外には出られなかった |
だから百人一首も後ろ姿 |
平安中期に活躍。姓は清原、名は不明。父・清原元輔(もとすけ)は百人一首に「契りきなかたみに袖をしぼりつつ
末の松山波越さじとは」が採られた三十六歌仙の一人。曾祖父・清原深養父(ふかやぶ)も百人一首に「夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいづくに月宿るらむ」が入った『古今集』の歌人。こうした周囲の環境に感化され、彼女は幼い頃から和歌や漢文に親しみ、機転の利く明るい活発な女性に成長した。15歳で橘則光と結婚し、翌年に則長を産む。しかし武骨な則光とは性格が合わずに約10年で離婚した。24歳、父が他界。
993年(27歳)、関白・藤原道隆から「宮中で教養係をして欲しい」と依頼が届く。相手は関白の長女で一条天皇の中宮(后)、藤原定子(ていし、17歳)。それまで想像もしなかった夢のような宮廷生活が突然始まった。後宮には30名ほどの高い教養の女房(侍女)がいたが、清少納言の機知に富む歌の贈答に誰もが感心し、和歌や漢詩の豊富な知識もあって、彼女は詩歌を愛する定子に人一倍寵遇された。当時、漢文は男が学ぶものであり、漢詩に詳しい女性は男達から「生意気だ」と言われたが、清少納言は子どもの頃から父にみっちり教え込まれており、定子はそんな彼女を貴重な存在に思った。清少納言は漢文の知識で天狗になっている男達をやり込め、名声はどんどん高まった。 ところが、それから僅か2年後の995年(29歳)に道隆が逝去。関白に弟の藤原道長(「この世をば我が世とぞ思ふ望月のかけたることもなしと思へば」で有名)が就任すると、後宮の花形だった彼女の運命は暗転し始める。 996年(30歳)、定子の兄が道長の策謀で流刑になり、こともあろうに「清少納言は道長方のスパイ」という酷い噂が流れ、彼女は自ら宮廷を出て家に閉じこもってしまう。定子は母も他界し屋敷が焼失するなど不幸な出来事が続いていたが、これまでは陽気で勝気な清少納言が側にいるだけで気持が弾んだし、彼女が努めて明るく振舞い皆の心を元気にする姿に励まされた。それゆえ、早く宮廷に戻って欲しくて、清少納言が以前に“気が滅入った時は上等な紙や敷物を見ると気が晴れる”と言っていたので、20枚の紙(当時はとても貴重だった)と敷物を贈った。清少納言はこの時の喜びを「神(紙)のおかげで千年生きる鶴になってしまいそう」と記した。 彼女は以前にも定子が兄から貰った紙を贈られており、授かった紙に宮廷生活の様子を生き生きと描き込み、詩情豊かに自然や四季を綴ったものが随筆『枕草子』となった。
※『枕草子』…約320段の章で構成。『源氏物語』を貫く精神が“もののあはれ”(情感)の「静」とすれば、『枕草子』には“をかし”(興味深い)という「動」の好奇心が満ちている。作中には実に400回以上も“をかし”が登場する。この気持こそが、鋭い感受性で鮮烈に平安朝を描き出した清少納言の原動力だ。“枕”の由来は複数あり、「備忘録」「枕詞の集まり」のほか、唐の詩人・白居易(はくきょい)の漢詩集『白氏文書』(はくしもんじゅう)に登場する「白頭(はくとう)の老監(ろうかん)書を枕にして眠る」とする説もある。“草子”とは閉じた本のこと。
定子の気持に応える形で彼女は宮廷に戻ったが、再び波乱が起きた。1000年に関白道長が娘の彰子(しょうし)を強引に中宮とし、天皇が2人の妻を持つ事態になった(一帝ニ后は初のケース)。そして同年12月、定子は出産で衰弱して、24歳の若さで他界する。清少納言は自分より10歳も年下なのに聡明で歌の知識も豊富な定子のことを心底から敬慕していたので、この悲劇に打ちのめされた。そして、哀しみを胸に宮廷を去り、山里で隠遁生活を送るようになる(34歳)。 その後、摂津守・藤原棟世と再婚。1001年、清少納言が書いた『枕草子』の初稿は、非公開のつもりだった彼女の意に反して、家を訪れた左中将・源経房が「これは面白い!」と持ち出し世間に広めてしまう。驚くほど好評だったので、彼女はその博識を総動員して『枕草子』に10年近く加筆を続ける。やがて宮仕えの7年間に興味を持った全てのものを刻み終え、1010年(44歳)ごろ最終的に脱稿した。晩年は尼となり京都東山の月の輪に住む。 墓は滋賀坂本のほか、徳島・鳴門市の里浦町にも供養塔(尼塚)がある。 ※「なにもなにも ちひさきものは みなうつくし」 【枕草子〜特選16段】 ※(注)格段数は出版社、編纂者によって微妙に異なるようです。これは角川文庫の段数です。
・第1段 春はあけぼの…春は曙が最高!ジョジョに白んで、山際の空がほんのり明るくなって、紫に染まった雲が細くたなびいているのはたまらない。夏は夜がいい。月夜はもちろんのこと、闇夜でもたくさんの蛍が舞う様子が美しい。また、ほんの一、二匹が、ほのかに光って飛んで行くのも、何とも趣がある。夏の雨の夜も風情がある。秋は夕暮れに限る。夕日が赤くさして今にも山に沈もうとする時に、カラスがねぐらへ向かって、三羽、四羽、二羽と飛び急ぐ様子さえ、しみじみと心に染む。まして雁などが連なって、遠い空に小さく見えるのはとても感じ入ってしまう。とっぷり日が落ちて、風の音、虫の音などが聞こえるのは、言葉にならないほど素晴らしい。冬は早朝ですね。雪が降り積もる景色は言うまでもなく、霜で真っ白なのも、空気のはりつめた寒い朝に、火を急いでおこして、炭火を持ち運ぶのも、冬の朝ならではのもの。ただし、昼になって寒さが次第に緩み、火鉢の炭が白い灰ばかりなのは、見た目がイマイチかなぁ。 ・第2段 小五月-高貴な方も無礼講…1月15日は身分の上下を問わず、女性同士が薪(たきぎ)でお尻を叩く風習がある(安産の祈り)。宮中では侍女たちが薪を隠し持ち、相手の隙を狙う者、常に背後を警戒している者、なぜか男を叩いている者、叩かれて“してやられた”と言う者もいれば、呪いの言葉で悪態をつく者もいて楽しい。 ・第21段 宮仕え礼賛…この時代、高貴な女性は顔を見せてはいけなかった。成人すると親子でも扇で隠していたほど。結婚3日目の朝にやっと夫は妻の顔を見ることが許される(だから平安貴族は歌の良し悪しで恋の運命が決まった)。ところが宮仕えをする者は色んな人に顔を見られているので「すれっからし」と言う男がいる。そんな男は本当に憎たらしい。 ・第25段 憎きもの…局(つぼね、私室)にこっそり忍んで来る恋人を見つけて吠える犬。皆が寝静まるまで隠した男がイビキをかいていること。また、大袈裟な長い烏帽子(えぼし)で忍び込み、慌てているので何かに突き当たりゴトッと音を立てること。簾(すだれ)をくぐるときに不注意で頭が当たって音を立てるのも、無神経さが憎らしい。戸を開ける時も少し持ち上げれば音などしないのに。ヘタをすれば軽い障子でさえガタガタ鳴らす男もいて、話にならない。※局で音を立てるのは憎しみの対象になるほど最低の無作法らしい。 ・第26段 胸がときめくもの…髪を洗い、お化粧をして、お香をよくたき込んで染み込ませた着物を着たときは、別に見てくれる人がいなくても、心の中は晴れやかな気持がして素敵だ。男を待っている夜は、雨音や風で戸が音を立てる度に、ハッと心がときめく。 ・第27段 過ぎ去りし昔が恋しいもの…もらった時に心に沁みた手紙を、雨の日などで何もすることがない日に探し出した時。 ・第60段 暁に帰らむ人は…明け方に女の所から帰ろうとする男は、別れ方こそ風流であるべきだ。甘い恋の話をしながら、名残惜しさを振り切るようにそっと出て行くのを女が見送る。これが美学。ところが、何かを思い出したように飛び起きてバタバタと袴をはき、腰紐をごそごそ締め、昨晩枕元に置いたはずの扇を「どこだどこだ」と手探りで叩き回り、「じゃあ帰るよ」とだけ言うような男もいる。最低。 ・第93段 呆然とするもの…お気に入りのかんざしをこすって磨くうちに、物にぶつかって折ってしまった時の気持ち。横転した牛車を見た時。あんなに大きなものがひっくり返るなんて夢を見てるのかと思った。 ・第95段 ホトトギスの声を求めて…お供の者たちと卯の花を牛車のあちこちに挿(さ)して大笑い。「ここが足りない」「まだ挿せる」と挿す場所がないほどなので、牛にひかせた姿は、まるで垣根がそのまま動いているようだ。誰かに見せたくなり、ホトトギスの声を聞くフリをして町をひかせると、こういう面白い時に限って誰ともすれ違わない。御所の側まで来てついに知人に見てもらった。すると相手が大笑いしながら「正気の人が乗っているとは思えませんよ!ちょっと降りて見て御覧なさい」。知人のお供も「歌でも詠みましょう」と楽しそう。満足した。 ・第95段 父の名は重い…父の元輔が有名な歌人なので、歌会になる度に「あなたも何か詠め」と言われるのが嫌だ。これ以上詠めと言われたら、もうお仕えはできない。常に人より良いものを詠まねばならない重圧。 ※彼女は歌人の家系であり、自身も百人一首に「夜をこめて鳥の空音ははかるとも 世に逢坂の関はゆるさじ」(まだ夜明け前なのに鶏の鳴きマネで門を開けさそうという魂胆ですが、この逢坂の関はそう簡単には行きませんことよ)が採用されている。家集「清少納言集」(42首)もある。しかし、彼女は歌才がないことを痛感していたようで、宮仕えの際に“詠め”と言われて「父の名を辱める訳にはいかないので詠めません」と断っている。 ・第123段 はしたなきもの…きまりの悪いもの。他人が呼ばれているのに、自分と思って出てしまった時。贈り物を持ってる時はなおさら。何となく噂話のなかで誰かの悪口を言った時に、幼い子どもがそれを聞いて、当人の前で言い始めた時。悲しい話をされて本当に気の毒に思ってこちらも泣こうとしているのに、いくら泣き顔を作っても一滴も流れないのは決まりが悪い。 ・第135段 退屈を紛らわすもの…碁、すごろく、物語。3、4歳の子どもが可愛らしく喋ったり、大人に必死で物語を話そうとして、途中で「間違えちゃった」と言うもの。 ・第146段 かわいらしいもの…瓜にかいた幼子の顔。雀の子に「チュッ、チュッ」と言うとこちらに跳ねてくる様子。おかっぱ頭の小さな子が、目に髪がかぶさるので、ちょっと首をかしげて物を見るしぐさは本当に可愛い。公卿の子が奇麗な衣装を着せられて歩く姿。赤ちゃんを抱っこしてあやしているうちに、抱きついて寝てしまった時。人形遊びの道具。とてもちっちゃな蓮の浮葉。小さいものは何でも皆かわいらしい。少年が子どもらしい高い声で懸命に漢書を読んでいる様子。鶏のヒナがピヨピヨとやかましく鳴いて、人の後先に立ってちょこちょこ歩き回るのも、親が一緒になって走るのも、皆かわいらしい。カルガモの卵、瑠璃の壺。 ・第147段 人前で図に乗るもの…親が甘え癖をつけてしまった子。隣の局の子は4、5歳の悪戯盛りで、物を散らかしては壊す。親子で遊びに来て、「あれ見ていい?ね、ね、お母さん」。大人が話しに夢中だと、部屋の物を勝手に出してくる。親も親でそれを取り上げようともせず、「そんなことしちゃだめよ、こわさないでね」とニッコリ笑っているので実に憎たらしい。 ・第209段 牛車…五月ごろ、牛車で山里に出かけるのはとても楽しい。草葉も田の水も一面が青々としている。表面は草原でも、草の下には透明な水が溜まっていて、従者が歩く度に奇麗なしぶきがあがる。道の左右の木の枝が、車の隙間から入った瞬間に折ろうとすると、スッと通り過ぎて手元から抜けてしまうのが悔しい。牛車の車輪で押し潰されたヨモギの香りが、車輪が回るにつれて近くに漂うのは、とても素敵だった。 ・第218段 水晶のかけら散る…『月のいとあかきに、川をわたれば、牛のあゆむままに、水晶などのわれたるやうに水のちりたるこそをかしけれ』“月がこうこうと明るい夜、牛車で川を渡ると、牛の歩みと共に水晶が砕けたように水しぶきが散るのは、本当に心が奪われてしまう”。 『枕草子』を読む度に“これが千年前に書かれたとは思えない”と感嘆する。心の動きが現代の僕らと何も変わらないからだ。描かれたのは、冗談を言い合い、四季の景色を愛で、恋話に花を咲かせる女たち。そこには敬愛していた定子を襲った悲劇(父母の死、兄の流刑、家の焼失、そして24歳の死)は一言も書かれていない。作品中の定子は、常に明るい光の中で笑っており、『枕草子』そのものが彼女への鎮魂歌となっている。清少納言が宮仕えをした人生の7年間は、筆を通して永遠になった--彼女が出会った愛する人々の命と共に。
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清少納言の墓石はめっさデカい!! |
《あの人の人生を知ろう》 | ||
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