一陽斎豊国の金太郎 |
歌川国芳の金太郎 |
酒匂川・足柄大橋の リアル・プロポーション金太郎 |
阪急宝塚線「ひばりがおかはなやしき」駅 |
駅からバスで10分の満願寺に眠る |
創建は奈良時代(728年頃)と非常に古い | 寺は室町時代に一度戦乱で消失した |
境内には金太郎、熊、ウサギのパネルがあった。ウサギはかなりテンションが高い(笑) |
金太郎は坂田金時の幼名。墓への案内板はちょっとホラー・タッチ。熊の絵もかなり微妙… |
付近にあった源氏武士団の墓 | 寺の裏山の、奥へ、奥へといざなわれて行く |
これが金太郎の墓だ!扉に鍵がかかっていたので、中に墓碑があると思われる |
金太郎は実在した平安末期の猛将・坂田金時の幼名だ。駿河国(静岡県小山町)出身。金太郎は足柄(がら)山の山姥に育てられ、血色が良いため顔も全身も非常に赤かったという。熊を相撲で放り投げ、大木を引き抜く怪力の持ち主。山中の動物たちを手なずけて遊び、江戸期の絵本や浄瑠璃の中で“快童丸”と呼ばれている。
成長した金太郎は足柄峠で、この当時都で最強の武将と言われた源頼光(948-1021)と出会う。頼光は東国から都へ戻る途中だった。金太郎の腕力と器量に惚れた頼光は彼を臣下として召抱え“金時”の名を授ける。『今昔物語集』によると金時は頼光配下の平貞道、平季武と並んで器量と武勇に長じた三人衆として名を連ねている。室町時代の『御伽草子』では、渡辺綱、卜部季武、碓井貞光と共に「頼光四天王」と呼ばれ、都を荒らす鬼・酒呑童子一味を退治する討伐隊に加わり、頼光が成敗するのを助けたという。その一方、東国で手柄をたてた勇猛な金時が、賀茂の祭(葵祭)で初めて牛車に乗り、車酔いでヘロヘロになったというユーモラスな逸話も伝わる。 ※頼光の命を受けて諸国で強者を探していた碓井貞光(うすいのさだみつ、四天王の一人)に、金時はスカウトされたという説もある。 金時が他界したとき、力自慢で弓や馬術の名手だった彼の死は各方面から惜しまれ、摂政・藤原道長の日記(御堂関白記)の1017年8月24日分にも「相撲使の公時(きんとき)が死んだという。近衛兵の最強の男として日頃から噂になっていたので、彼の死を皆が憐れんでいる」と刻まれている。
金時の主君・源頼光は平安時代中期に初めて源氏武士団を形成した源満仲の息子。本拠地が兵庫県川西市多田(かつての摂津国)にあったので武士団は摂津源氏・多田源氏と呼ばれる。彼らは主に宮中の警備を担当した。金時の墓所は多田源氏ゆかりの川西市・満願寺にあり、同寺には源満仲をはじめ源氏の墓が多い。
金時の死には異説がある。九州・筑紫国への遠征の途中、美作国勝田荘(岡山県勝央町)で豪雪にあって進路を阻まれ、熱病の為に1110年12月15日、55歳で他界したという。地元民は金時の豪傑を讃えて金時塚に祠を建て、この祠は後に栗柄神社に祀られた。当地では今も“金時まつり”が催されている。一方、富山県大沢野町にも金時と伝わる墓があり、町には子孫を名乗る坂田公時さんが住んでいる(代々、公時の名を受け継ぐそうだ)。
金太郎は死後1000年を経た現在、五月人形のモデルとなって親しまれ、男の子の節句に“気は優しくて力持ち”の金太郎のようにスクスク育って欲しいと願いを込め、親は熊にまたがった彼の姿を飾っている。
※酒呑童子(しゅてんどうじ)…日本最強の鬼。丹波国に拠点を持ち、人肉を喰らう。白面金毛九尾の狐(玉藻前)、大天狗(崇徳天皇)と並び日本三大悪妖怪とされ、手下には茨木童子を筆頭に多くの鬼がいた。最後は体がシビれる神便鬼毒酒を源頼光に飲まされ首を斬られた。陰陽師・安部晴明も戦っている。 ※1673年、初代市川団十郎は13歳で歌舞伎『四天王幼立(おさなだち)』の初舞台を踏み、この時の役柄が坂田金時だった。団十郎は顔に派手な隈取を描き、まさかり(大斧)を担いで酒呑童子を相手に大立ち回りを演じ、やんやの大喝采を浴びた。市川家の代名詞となる「荒事」はこの金時役から。また1712年には、近松門左衛門が金時の活躍を描いた浄瑠璃『嫗(こもち)山姥』を発表し、大ヒットとなった。こうして庶民の間に広く金時ヒーロー伝説が広まっていった。
【各地の伝説】 ・神奈川県箱根町…金太郎が山姥と住んでいた金時山(足柄峠)、猪の鼻を折って埋めた猪鼻神社 ・宮城県村田町…金太郎の生地という蝦夷岩、姥が子守しながら歩いた子守沢 ・長野県八坂村…熊と遊んだ熊穴、産湯となった池、大姥山、誕生した洞窟 ・長野県南木曽…金時岩、金時の遊び場、足跡石 ・静岡県小山町…山姥が金太郎を生んだ子産田、金時の足跡石、金時の爪切り地蔵 ・高知県日高村…金太郎と山姥がすんだ山姥洞、金太郎が投げた大石 ・岡山県勝田郡勝央町…金太郎の終焉地 ※本来の山姥は鬼女ではなく山の神に仕える女であり、金太郎は「山の生命力の化身」と考える研究者もいる。
【金太郎トリビア】 ・かき氷などで小豆は金時と呼ばれるが、これは肌が赤かった坂田金時からきている。 ・「きんぴらゴボウ」の語源は息子の坂田金平。硬くて辛いゴボウに金平の勇猛さを見てとったとも、金平がゴボウを食べて滋養をつけたとも、歌舞伎で金平を演じた役者の髪型が刻みゴボウの形だったとも言われている。 ・「♪まさかりかついだ金太郎」の童謡は1900年に刊行された「幼年唱歌」に載り、子供たちにとって馴染みのキャラクターになった。
・金太郎飴は江戸時代中期に発明された。
・週刊少年ジャンプの『銀魂』の主人公・坂田銀時の名は坂田金時のパロディ。
・桃太郎や浦島太郎の元となった物語が日本書紀など古代の文献にあるのに対し、金太郎は紫式部と同時代に生きていたことになり、昔話の中では比較的新しい主人公だ。
※源氏嫡流(ちゃくりゅう、正統後継者)…9世紀初頭、嵯峨天皇は増えすぎた皇族が朝廷財政を圧迫しているとして、30数名の皇族を一気に臣下(民間)に降ろした。この時、皇子達に与えた姓が「源」で、彼らは嵯峨源氏と呼ばれる。この中の源融(とおる)は光源氏のモデルとなった。次代の天皇も次々と臣籍降下を行なった為、最終的に源氏は21流にもなる。最も有名なのは清和天皇の皇子達=清和源氏。坂田金時の主君・源頼光は清和源氏の血統だ。本拠地を摂津国に定めて初の武士団を作った彼らは清和源氏の中の「摂津源氏」として勢力を伸ばし、源氏嫡流となった。しかし、血を受け継いだ頼政一族は平清盛に滅ぼされてしまう。だが、清和源氏には頼光の弟・頼信の流れを汲む「河内源氏」が健在だった。彼らは平家から逃れて全国へ散らばり、その中の源頼朝が鎌倉幕府を開いて源氏嫡流を名乗ったことから、河内源氏が嫡流となった。頼朝一族が3代で滅びた後、室町幕府を開いた足利氏も元は河内源氏(清和源氏)だ。
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スヌーピーの金太郎人形。顔は可愛いけどまさかりを持つとシュール(ジェイソン化している、汗) |
《あの人の人生を知ろう》 | ||
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